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UNIVERSITY OF ILLINOIS-URBANA 




3 0112 004419906 



て 'iS3|^ 



主 筆 室 伏 高 信 

編 • 解題 飯 田泰三 

X 2 5 3 

復刻版 ^ 



第 



一 曰 曰 曰 曰 曰 曰 日 
曰 



5T3 5T3 >T3 5T3 5q^ 5T3 5T3 
八 七 六 五 四 三 ニー 



解題 飯田泰 三… 1 

室 伏 高 信 年譜 隨細灣 丁 U 

室 伏 高 信 著書 目録 錄細灣 了 i 



本卷 収録 史料 

批 



大正 十 一 年 四月 

ひ 五月 

ひ 六月 

ひ 七月 

び 八月 

ひ 九月 

ひ 十月 

び 十一 口 




大ま. 十 1 零 H b: ョ 十一 nil ョ種讓 蒙物賺 v. 

大 1 十 1 <• B A I B B Si! 本發ぉ 



□ ラテ ノクの 新社會 S, ん想 

(獨 逸に 於け る 新 社 曾 主義 SSJ 動の 哲學) 

室 伏 高 信 



口 階級闘^に 於け る 知識階級、 文化 及び 藝 

術の 問題 室 伏. 高 信 



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高 


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信 


信 





ラ ー テノク の 社き 思想 

(獨 逸に 於け る 新社會 主義 運動の 哲學) 

彼は大 K 末 家で 肚會 主義者、 政殆 家で^ 巩. 實業 家で 科お 者、 藝術 家、 ュトヒ アンで わる。 

彼は硯 代. の虑 げられ た 界で ある ミ管 しる し. 科 中 的社會 主,^ に 人 問の 心 グど おやさない と ぃム。 .\n 一一 riLerseel€ 

がさ;:.、 w 彼 は 叫ぶ 

tg 逸の 皮 は * 英 8: のゥ ヰ. " アム J ス 14 比 マる、、 >- がで さ i う。 



私は嘗 つて • 外遊の 前 VT .t^l ゥ H ンゃ、 モリス や- まれ-は 英 國ゎギ ,一-アイ ズムの 思想,^. 招. 冗,、 批;, 。す-る-ぶ. f に、 fs5 の 小 

さい 努力 用ね た。 私 は 今 *r 猫 逸から 歸 つて、 新ら しい 心^ちで、 ! の 新社會 主義 運動に ついて、 の 力で、 -に來 ろに 、.ゾ 

の 招 介 もし、 批評 もして 見れ い W 思 ふ。 :、 にゲァ か タァ .ラ| テノ. C の 會 思想に つ いての 一 文^も ゆしれ の は、 私の 社會 いか 

想 上に おける 1? 運 勧の 先陣で ある。 



彼 は 今日の 胡 逸に 時 A ズ政治 家で も io 否、 今日の 欧羅巴に 星の 如く 嫁く 政治家で,; る ロシアに レ = ンが ある ミ いふ 人ば、 

IS 逸 L1 ラ. I デノウが もる こ w^, & ふで わら、 フ 彼 は、 彼の 日常 事挤 は、 俗務 中の 俗務で ある。 彼の 手 はま だ 資本主義から 雜れ 

てはゐ ない しかし 彼の 心.:: 當 來瓧會 への 情 5 ^つ.; おえろ 

サ f テ ノウ は 1 九 六セ年 九月.; 猶 大人り 兒 W して 伯林に 生れた。 ギム ナジ ゥム ん. 出てから、 美衔 家よ たは 文藝 家. ならう v- 

も 迷 っ^が、 自然 科舉な 撰む こ W Li 決心. してから * 伯林 大ぬ- ミストラ スァ. - t 大 で、 ^^、 數學、 化 學 び、 また ディ 

〃タイに ついて 哲學 も舉ん だ0 彼が ドク ト. -の tj- 位,^, St たのに 二十 二の 時. ノ; つし) 

彼の 父に If 逸に おける 屈指の 大^業 家で もリ 、世界的に 有名な 伯林の 大 會社ァ iHli ゲ, Ir TJSH ミ |^*ラ| テ ノウ 

いふ;.:, 一 九 一 五 年に H ミ I たか 死んで から、 ラ. I テ S ゥは その後 錢 つ-、 ァ —• H i ゲ tfc- 社. お ? 椅子に ついれ や R 爭 中 

は 原料^ 給,^ 扭理 して その-; - 胸ん 二 般に 認め ちれた。 

革命. かき ズ、 會化^ A 食が 組織され た 時に、 彼 はま;.:、 カウ タキ f や、 ヒルフ H イング や、 ク ノウ 、ゲキ タセ i なぞ 

もに その 委 jis; ミ なつれ I 九 ニー 年 六月 ゲヰル ト內閣 が 組始さ 八た 時,!、 彼 は^ 迨 K 臣ミ なリ, 同 2: 閣. か 次 造され;: 後 卜 

外務大臣 V- なつ;^。 - 

彼が 最初.. i 文 や もって 世に 間 ふれの は 一 <_ れ, 九 年 「タ, ー マ y 7 ト」 における 一 設 义 であつ.; ;o 一九 一 二 年に 「ゆ 代 



表して 以後、 彼-..: は 次の. 4 うな^ 著が..; -ろ C 

1, Zs- Kritik der Zeit, lulu 

2, Zur Mech:-nik des Geisles, Gin 

3, Destsf hlan 二 KclletotTvcrforJ^ung, 一ぬ- 3 

4, jprobleme der I-riedcnswirtBchaft, ち 5 

CT, Yon kimenden Innuen, 】9l< 

6, Eine Streitschrift vom ol:- 一 「e 一一, 1917 

7, v。m Aktienwesen, 1917 

8, I>;e meue wirts,lr-ft, I ョ 7 

9, Der neue Staat 

10, writlk der dreiklc-llen R-woluticlfl 

11> Autonome .wirtscllnft 

12, se neue GesllBchafl, |?9 

右のう ち 一九 一 七 年までの? 者の 多く は、 f- の 論夂ど W も- 1L 、「ラ —テ ノウお」 立卷 (W. R:*the?-2, Gc さョヨ e-e Sehriften. 

191s) のぅちに輯^^^されてねる 




ラ|テノゥは在來の社會主{_^}5を批評して、「思相^貧困の社會主義」 といった ことがある。 (はこ 彼に 從 ふと、 社會 主義 



が、 npi 來; "指 理 となろ ために は- それ は^ V,- る. にや. >ズ 治 や、 ^狩の ために 戰ふ だけで は 駄目で ある。 そ 

れ は思湘 ^ のために 戰 はねば ならん。 それ は^, む" w^i 介, 物 の^ 界- 自然の^ 界な 超越した, 永遠な もののう へに、 

彼の 理想 を もってる る ものでなくて はならん。 つまり,! あ!^ 逸 派な; ての 考 へて ゐ るよう に、 .GI 然に對 すろ 文化、 富 在 

に對 すろ 惜 値の け界 へと 交渉して ゐ る も で なく. 「はならぬ。 彼の 一; i;i でい ふと- ^界觀 ^學 へ, vcltallsclilms な 

り, 信仰な り、 若しくは 先驗的 イデ— なりのう へに 文たなくて は * 人生 を 革命す る こと はでき る もので ない とい ふの 

である C § 

(註 一 ) Kathcnrui, Die ncue Gesellschaft, S. « 

(註 二) Kethen ョー, vcu kcsmenden Dingen (Gesammelte schritv-n, 3. Bapd,) s, 17.8 

T I クスは SJ 里 コム ム I ンを 批評した 時に, 勞 働お が 階級 を もって 「新 社 會の耍 素」 であると はして ゐる けれども- こ 

の 階級 は 自分自身 を 解放す る ためにた 永い n 爭を 重ねて ゆく だけであって、 iiirl レぉゥ V" お" ク 4」 を もってる る 

もので はない といって ゐ る。 また こラ した 理想と は- マ I タスに 從 へば、 「出 來合 ひの ゥ トビ ェ ン」 であり. 更に 一 種 

の 「奇^」 でも あろと いふので ある。 §ー) ラ I テ ノウの 立 5;^ はこれ と は 正反對 である。 彼の 世界 は 彼の 所謂 「目的 人; 

(zweckmegch) の 世界で ある。 ^在から 未來 への 豫兄 と. 恐怖と- 法悦と に 生きる 入々 の 世 1^; である。 g 彼に 從 

へば 人々 が 自^的 存在に ある 合- 即ち rol 的 人」 の 世界に おいて /生活 は;^ 定 されないで 自定 する。 彼 は 外部から 

彼 を 指 する 力 を 否定して a ら これ を創瑣 する。 彼 は 最早 ゃ惯 爐 や、 理ぉ .5;-、 Elg^ や- II 力 を 受取る ことなくして、 

^^.u 釋 する ので ある。 命 的の 世界で な,^ て镙祸 の^ 界でォ る.. 



界 である 。機械的の 並界 でなくて nrwqmwl; でめる. お 的; はふ- 3 ゅ界 てなくて 先驗 的お おの:^ 界 である レ ラ ー テ / 

ゥ はかくの ごとき 世界な 名. つけ て「^ の T;Ei」 (チ S Reich ,der ? ric〕 とい ふ 一一 

(註 ミ) Karl Marx, i>er Btirgertrieg in Frallkreicl 一, mit Ehileitung unci A-:n:erkl3geII voa cscnrady, s, 9 ひ 

(註 四) Kathcnau, Ziir yieclsnik des Geists cd^r vom Reioh der Seele, (Gesaraselte Schriften, 2. wand) S. 27 

(註主) Neue OSGllschaft, S. s 

この 「接の 王^」 を 名 づけて、 ラ— テ ノウ はこれ は 新社會 と 呼んで ゐ ろので あるが、 ま.;^ この 新 社會の 人, 即ち 「R: 

的 人 j 二 そ 新人と 呼ばれべき ものであるが • それ は ® は 新ら し くもなく、 古く もない。 天才が 古る くもなく 新ら しく 

もな やよう に 、力強い 生命 は, 新ら しく も 十 " くもなくて、 ただ 若い ので ある。 ラ I テ ノウに とって は、 近代 主 Si 我 は 無 

意味で あり、 好古 主 殺は展 であるから である。 (《s 

(註 六) Neue Gesll8cha{.t, B- 49 

rsi の 王國」 は、 物質の 世界と 對立 する。 それ は 物質が 精神 を從屬 させて ろろ 資本 中; 鶴の 世界と 兩立 する ことができ 

ない とともに、 物 1^ の 分;^ よりも, より 以上に 出ろ ことので きない 社會 主;!: とも 兩立 する ことがありえない T 忍 想^ 

闲^ 社會 主^」 は, 社會 中: 一: ¥ ゲ、^ :1S 梨の 範域」 まで せしめて るるので あろが * それ はた だ 手^で ありうる。 それ は 

ある! 5 さ E 的に^: する ための 币 はとしての みせ おしえられる。 E 的 は^ 濟で なく、 軍なる^ 的 正義で はなく、 ラ 

I テ ノウに 從 へば、 r 地上に^ は S し、 责 現すべき われ, --の 最後に して 诀定 的な 目的 は 人 si の 鍵の 解放で ある。」 (は i . 

ハ; lii 七) ifeue Gesellscli: 一 ft S. 



人間の 靈の 解放 は、 物贸の 分配ではなくて 精神の 分配な ので ある。 それ は經 前に 精神 を沒 人す る ことで はなく 

て、 精神に よって 經濟を 征服す る ことなの であろ" それ は 古る き經 濟 的から 新ら しい 經濟的 世界へ ゆく ことで はなく 

して、 經濟的 世界 を麼 止して 精神的 世界 を 創造す る ことなので ある。 それ は經 的 財 S 世界 を 改造す る ことで はなく 

て T 經濟 財」 の 世界から 「文化財」 (wdturguter) の 世界へ と 革命す る ことなの である。 人間が 自然の 遊戯 こ, 奔 弄され 

る ことでなくて- 人間的 自由 (MeDschliche Freilleit) を 把握す る ことなの である。 

「われく が 努力す る 目的 を、 人 問 的 自由と いふ。」 eA. 

(柱 八) van ko 画 sden ; DinSen, S. 76 



慰と 量との 世界で は 利害が 行動の 動機で あり 、「成功」 が 行動の 最高の 指導者で ある。 從 つて かくの ごとき 世界で は 

物 も-人 も, 祌も 手段にまで 墮 して T 人々 は旒 慎から 虛儇 へど さまよ ひ」、 そして それ を 人々 は 生活と いひ、 勞 翁と 

いひ、 または 創造とまで 呼んで ゐ るので あるが、 si 目的 人の 世界で は, 地上に おける 外部 的な 幸福の 大小な ど は 問 

ふところ ではない。 何と なれば 「われく の 頋望は 功利で も、 利潤で もなくて、 神の 法で あるから である。 si 彼 曰く、 

われく は 所有 を 欲する がた めで はなく、 權カを 欲する がた めで はなく、 また 幸福々 欲する がた-しで もない、 われ- 

は 人 問の 精神から 高な もの を 輝かせる ためな ので あると。 (は ナ】) 

(註 九) Kommenden Dh】gen, S. G9 

(註 十) Ehenda, 8-39 



• 事 物の 最奧の 內部は 常に 靜默 である。 中心 かち 離れる に從 つて 運動の 回轉は 激し さを壤 すので ある。 (5. 一一) 日々 の 

森な 進 轉は, ただ 外^的な 激^で あるに 過ぎない。 中心 は 「星の ごとく 靜 かに」 移る。 (5. ミ 

(註 十二〕 wbenda, S. 21 , 

(註 十三) Neue GeseUschaft, a* 13 

精神の 王國は 星の ごとく 靜 かな 世界で ある。 かくの ことき 世界に 對. して は、 外部: S -」 もの は 何等の 權威を もた な 

い。 精神の 基礎のう へに 立. y ない もの は、 「目的 人」 の 前に は 屑 じある。 Saf なろ 階 :® 關、, は、 それが 避くべからざる も 

ので あるに しても, 人生 を 救 ふ もので はありえない。 人生な 救 ふ もの は * たた 內 部から. ただ 世界の 最 深の 自覺 から 

のみ, そして 正 殺と 自由の 名に おいて、 人類の 贈 ひと 祌の榮 光の ために、 來 たる もので. S る) g や B) 

(註 十四) Rathenau, Die neue Wittachaft, (Gesmmelte schrms, 5. Bin 二) s* 2GI 




ラ. I テ ノウ は ざの 哲學を ディルタイから 學ん だ。 ディルタイの 影響 は 彼の 哲學の 基礎 を 築き あゆて ゐ る。 即ち ディ 

ル タイが 主知主義に 反對 して 「精神の 力」 (Gemutskrafte) なり、 體驗 (Erlebnis) なり、 若しくは 意愁 (wollen) なり を 

いたよう に、 (は +i -フ ー テ ノウ もまに 知性な り、 自然 科學 なりに よって は, 到底 世界 理解に 到達る ことす がで きな 



8 



信じて るろ。 そして 直接 經^ の 世界 は 意慾 若しくは 精神の 力に よっての み 理解す る ことができろ ものと 考へ ろリ 

十五」 ディ^タイ 曰く 「われく は 純粋の 知的 道程. さほして »g 明,, るが、 しかし われ/ \ は會 3 おにお けろ 凡ズの 精神力り^ 

フユ ル, ノテ IH ン 

同に f* つて 理解 マる ミ J (W. Dilthey, Ideen uher cine hoschriehende u. zerg;ie,iernde Psychologie, Ak: 一 desie, 1894) 

主知主義 (Intellektualismus) の哲學 は浪曼 主義に 對 立せられ る揚合 も あるし、 若しくは 主意主義と 針 立 させられる 

芻 合 も ある。 前者の 場合に は 主知主義 はべ— コ ン等 一 派の 自然主義 または 合理主義の 哲舉を 指す ので あり, 後者の^ 

合に はへ ー ゲル 一 派^ 汎理 的、 哲學 であり、 概念の 證 法的 發展 によって 世界 を證 明しょう と T る 唯心論で あるが、 そ 

の 何れの 場合で も, 主 知 主穀の 根本原理 をな す もの は 「知 は 力で ある」 とする の信條 である a ラ I テ ノウ はかくの ごと 

き 哲舉の 根本に 向って 挑戦す る。 彼に 從 へば 知力 は王笏 でも 拍車で もなくて、 St なる 道具で ある。 

(註 十 六) Mshanik t Geiates, S. 320 

彼 は 知性と 靈と を對立 させて、 知性 は 固定、 性急 • 矛盾、 混亂- 苦痛 を 示す のに 對レ、 靈は i! 音. 着色、 明嘹. sa- 

1 を 示す ものである。 1 方 は 多く 耍望 して 何 ごとな も 信仰 しないのに 對し • 他方 は 多く 信仰して;!: ご と も. 要望し な 

い。 知性に とって は靈の 把持 は不 賢明で * 夢想 的で- 誇張で あるが, 靈 S 把持に とって は 知性 は 不安で、 貧 慾で 盲目 

である。 知性 は; =:M 望し 爭 11 すろ に對 し、 靈は 感得し 創造す ると。 g+i 

(拄 十七) ssnd? S. i 



彼に 從 へば 知性 ss- 化 任谈は 「知る」 二と である" 即ち|5^^.物を;^.^^しまたは.れ:^すろために* 先づ それ. か 何もので 

あろ か を 知らね ぱ ならぬ, そ は 思惟の 二つの 領域- ヅ もって ゐる。 gi®. 及 ひ. ティア レ、 クチ イクが これで あろ。 即ち 箭: の 

計算 及び: g 念の 計量が これで ある。 それ故に 知性 は 外部 的 統計的^ 驗」 は牧 立つ ので ある, か, ^^,^^的及;5^1.物的には評 

便の 錤錢を 導ぶ ので あろ。 真;^ なる 惟の 規範 は直觀 である" 直観 こそ 感覺、 藝栴 及先驗 的への 秘奥に と 突入す ろ 力 

である。 (*?<) 

(柱 十八) Erada, S. 54 a- 

科 舉は靈 の 王 國を證 明す ろ こと はでき ない。 それ はた 地上の 世界に 役立つ だけで ある。 ,てれは思相^^の旅^:者に 

とって は 1 つの 「地 £1」 では ありうる。 こ- -に 山が あり、 河が あり、 彼 所に 町が あり、 湖水が ある。 若し正しき^3をと 

れば、 われく は 目的の 揚所 へと 到! S する ことができる • 或は どの 道が 近道で あろ か、 どの道が山乎ソ里^:^し て ゐ ろ 

か、 どこに 自. B な 天然が あろ か、 どこに 文明が あるか、 われく は 地^」 によって これ を 知る こと, かで きる であら ラ。 

しかし 如何な ろ 地圆も われく が どの 道 を 行くべき か を 詰らない。 如何なる 地 31 も われ/、 の 心が どこに わ, W くな 

求めて ゐ るか、 またどこへゎれくの義^^5が求めてゐるかを語らなぃ。 科舉は 計量し. 記述し、 說 明す ろが 慣^ 批判 

ゲ 漳 ル.. 'ン グダ *. — ル , ^ 

を しないつ 評 憤と 撰擇 とがなくて は 目的へ 目 ざす こと はでき ぬ。 それ故にゎれくの珲性的行爲カ目的と窮!^とな山^< 

求す る もので あろ 以上、 人間の 活動に とって は, 心が 最高の 決定 者で ある。 (註+ を 

(註 十九〕 KomBenden Dings, S. 1G.7 



o. 知性の 最高 事業 は自已 破壊で ある。 そこに 屍にまで SI せしめる 「知の 王國」 が あろ。 そ は 心 を 無情に し * 靈々 隔て 

ら (は 二十) 

((柱 二十) Beich ds Geis S. 3S9 

が 心 胸 を 打つ もの は ェ ネル ギ I である。 凡ての 眞實 なろ 言 楚は反 g;! する ェ ネ ル ギ I である。 生命と 信 卬とを 生 

み 出す 思想 は、 ディア レ クチ I 夕な 理解の 迷宮のう ちに 生れた 思想ではなくて、 感^の 血暖ぃ 胎内に 生れた 思 S であ 

る 凡ての 證 明は單 なろ 說伏 であり、 幻 威で ある。 人が 眞理々 把持した と 信ん する こと は 人が 思惟した がた めで はな 

くて、 體驗 したため である。 何と なれば 目に 見 ゆる 世界よりも、 精神の.' ちに 感得す ろ 世界 は * よりょく SJCia であろ 

からで ある。 この 世界に おいて * 矛盾の 嵐 か 去った 後に、 影 饗 を與へ る 唯一 の もの は、 自覺 への 要求で ある。 そ は lii 

の 騒々 しさが 去って 农の靜 けさが きた 時に 低く 語る" 生命の 名に おいて 語る。 そこに は 證明は 役す: たなくて * 直覲が 5^な 

in? を强 制する。 若し この 小 供ら しい エネ ルギ— がない とすれば ,た だ樂者 の 思想 的 遊戯と 美的 悅 とか 殘ろ。 「かくし 

て 心が 目的み-、 自覺 が, を 保障す ろ。」 g 一 + 一 > 

(註 二十 一.) wcmmenden Dingen, B. C1.2 

われ が 創造す る もの は 深奥な 無知な 衝動から くる。 われく が 愛する もの は 崇高な 力に よって 觀る" われ/、 

の 心配す る もの は 知る ことので きない 未來の 世界に 屬 する〕 われく の 信仰す る もの は 「無限の 王 固」 に 住む。 これ, 等 

の 何もの も 錢 明す る こと はで きないが、 しかも 何もの もこれ より 確. 貧な もの はない U , >れ 等の! 1: もの,.,, 獨 知す る こと 



はで きないが • しかも われく の *5 活の 凡ての なる 歩み は、 これ 等の 表明す ベから. さろ ものの 名に おいて 運ばれ 

ら S 二十 ご 

(tli 二十 1 ) Eb さ da, B. 60 

「われく は 早朝から 深夜まで 何 ごと をな すので あるか?」 われく はわれく の 意欲す ろ ものの ために 活 きる。 知 

性 は、 われく に 何 をな すべき かを敎 へる 力で はない。 われく の 生活の 指導者 は 知性ではなくて 意欲な ので ある。 

思 は., それが 動物 的で ない 限り, 整の 泉から 生れろ。 「人生のより 大 にして より 貴き 部分 は 意欲から 成立す る。」 凡 

ての 意欲 は蹬 明す る ことので きない 愛と 好みと である。 そ は 整の 一部で あり、 その 傍に • 宛 かも 「世界の 舞臺」 への 入 

口に 立つ 符付 资 りの よ 5 に 知性が、 數量を 計へ つ. - ある。 (K- ーナ 5 

(註 二十 二) Ehend. 

「われく は 何 を 意欲す るか?」 それ はわれく の 知らない もので あり、 しかも 不可侵に 信仰す ろ もので あろ。 そ は 

^明す る ことができな いので あろが、 しかも 知的 證 明より は 遙に强 い 證明を もつ。 ブラ トウ や クリスト や、 ボウルの、 

設 1- なし; i 叫んだ 言葉 は, 凡ての 三百代言が 論駭 する ことができる にしても, しかも そ は 不滅で あり、 その 凡ての 言 

. 葉が、 地上の 物理的, 歴史的、 若しくは 社會的 理論よりも 眞赏な 生命.^ もち、 そしてより 多くの 信仰 を 燃やす ので あ 

る。 若し 鼸明 とい ふこと を 厳格に いふなら ば、 ュ ー ク リツ ド 幾何 i^- でさへ それに える こと はでき ない。 しかも 尙 ほ- 

世界 は 深き si; 理感を もって 常に 浸透し きって ゐ るので ある。 § 一 ±5 



(註 二十 三) Ebe,nda, S. G0>1 

た ^- 心 をと ほしての み^ 界の 自由へ の^を 指^す る ことができる。 (K 二十 a> 

(註 二十 四) Ebenda, S.24 

四、 

ラ一テ ノウ は 現代 社會 生活の 特 を 「機械化」 (Mecllanisicn 一 ng) にあろ と考へ ろ。 生活の 化と よ 一 ^ヒ と、 €5.^ 

的 他 制 主義と を その 內容 とする リ 卽ち個性主^_奴に封して 一 般化 である。 自律に 對 して 他律で あろ。 目的に對して手.^- 

であろ。 人格に 對 して 機械で あろ J 露に 針して 物質で ある。 

機械化の 象 は 個別 經濟か 破 威した 時に 始まろ。 交換 財が 字-積され、 交換が 分業 化し、 經濟 制度から 人格の 返 場 

が 始まろ。 機械が 發 明され 一な。 生 產の築 中と 分 紫と、 從って:!!^;人格化とが促進されろ。 生産の 機械化 は 所有の 機械化 

を 伴って くる。 「所有の 機械化 を 資本主義と 名 づける。」 資本主義, 5 發達 は、 一 切 S 經濟制 .1 を 完全に 機械化す る。 ^ 

り經濟 制度 だけで はない。 近代 國 家の 發達は * 攻治 生活のう へに 官僚 制度 を 築き あけた。 一切の 社會 制度が、 一般化 

と、 集中 主義 從 つて 强制的 他 制 制度へ と 進んだ。 そして 目的の 代りに 手投、 人 i£ の 代りに 機械が、 一切の 社會 生活 を 

お する の 規範と なった. - 即ち 生活の 沒 目的 的. 沒憒値 的廻轉 としての 機械. 的 生活 樣式 (mechanistische lebendforrB) 

を もちきた したので ある" > 現 代社會 生活が これで ある。 (き Hi) 

(註 二十 五〕 Batheuau, Zur loitik der Zcit 一 GCBaBaelte Schrifte 一 1、 wand), S; 4 ひ to: 



機械化 は * 論理的に 啓蒙され た 人間の 意思の 力から 生れた ので はない? そ は 人お の. にして f つ: 慮- 5 な 目的 力ら 生 

れ.. こので よなくて、 4- は沒企 阖 的に, 或は 人間の 知らない間に, 人口の 法 M(nevolu!rmll;J.g<3sctz) から 生れた? そわ 

は 如何に 深く 合理的で あり • 論理的の 仕組で あるに もせよ、 無意識的 過程で あり、 また 一精 .1 な 自然 的. に來 がで-め 

ろ。 力の 榴衡- 爭 翻, 利己心の 非道 Si 的 立場に 立って: 胞始的 社な" への 道に きる" 「き S- 人 は その 力と 愛と を 彼の 仕事 

に 注いだ。」 彼 は 事物の ために 活 きろ こと を 51- んた。 彼 は 彼の 愛する. 親しい 人々 の 狭い liii のうちに 住む だ。 や" 離 

れて 彼の 同倐が 住む だ。 そして 彼の II ふ缺は 遠く離れて 控えて ゐた。 しかし 新ら しい 人 は 1^ 物の ための 生活す ろ こと 

を しない • 彼 は所衬 のために 闘 ふ。 彼の 行く ところ * 彼の 目の!?^ すると ころ、 そこに 他人が ある、 他人 は 良」.. -る 

彼と 人との 問 に は 垣が 立って ゐ ろ。 彼 は 垣 を 越えて、 仲 Si を 利 川 さする ことか あろに しても * 指 一. t すろ ノ も、 さ, -ろ 

人 も 愛の ためにではなくて、 利 のた めで ある。 各々 が 他人 的の ための 手段な ので ある J ^:仅立たなくなった時に 

棄 て., しまう。 製造者に とって は、 彼の同業^|^は競爭^5,」ぁろ。 從 つて である" fi^ 費 者 は 手^で ある。 契約^ は, お 

であろ。 共同者 は 手段で ある。 彼 は. 彼と il 係 あろ 凡ての 人から 何もの かを收 益す る こと を 求める。 求められろ 人 も 

また 彼から 何もの か を 求める。 人と 人との 鬧保は 相互 的な^ 帝 5 と £1 疑と である。 

人と 人との 間にお けろ 故意から、 圑體と 圑體. 種,;^ 、と?^ 族、 民族と 民族との 敵意が 生れる。 

これ 等の 經驗 は、 と、 先驗 的確 信が. 直觀 S 形式と して、 永遠の 反影と して 存在す る こと を 否認す ろの 思お- 5 に 

よって 高調され る。 そして 利益の 實證. 知力の 専制、 感情の 奴隸 化へ. と 導かれて ゆく。 £-モ ハー 

二十. I ハ) Kossenden Dings, S. 46.9 



機械化 は 物質的 袂序 である そ は 物質的 手 はと 物質的 意思と から 成立す る。 そ は 地上の 行動 を 難 精神的 傾向へ と 5^ 

導す も. 。その 傾向 から 全く^れ る こと はでき な い、 最高に 精神 化された 人 も、 經&の 奴銶と 化する。 世界 は 商人 や 

仕 人の 世界と なり. そして 何人 も^代の 着色から 免れる こと はでき ない。 それが 數 世紀 S 問に、 人間の 精紳 に^ 1^" し 

たこと だら、?! Jt^liwi"^ は努 働の 寡 問 化 を 求めた" 固定し. U 規範と- 寳用的 規律の Si に 立って. 事件の 沒 al 的な 變 

化の ほんやり した パノラマ を 見つめて きた 精; t は, 偉大な もの を 小さく * 小さい もの を 偉大た と 見る よ、 フ になった - 

無惜 ig な, 無 童 任な 判 斷が榮 えて、 驚異と 不可思議 とが 沈んだ。 尊ばる i もの は 数と 量と である。 思 測 は 長さ、 廣さ。 

r ボ さと 幅と によって 計 其され る ものにまで 堕した。 道 德的觀 念 は 死滅して、 性急な 判 斷が 不可避と なった。 誤謬と 幻 

诚 とが 來 たり、 心 は 懐疑 的と なり * 人々 は耻恥 を. 失った。 われ/、 は 知識 は 力 * 時は舍 であると いふ。 そして 知識- i 

沒認儎 に 、時間 は沒 喜悦のう ちに 過ぎる 。物 自體は 無 親され て, 凡ての ものが 手段と 化する。 人 も 物 も 神 も 手段と 化す 

る、 われく は 文明の 頂 點にゐ ながら、 たに われく の 祖先が 奴銶に 許る した 生活、 氣持、 不安, び を經驗 すろ 運命 

の ものと に 置かれて るるので ある。 

わ,;^、 の 客び は小兒 の、 奴 銶の、 若く は 低調な 女の寞 びで ある。 びか/、 と雠 き、 そし 一」 嫉妬 を 誘 ふ 所有と * 享 

樂と • 感能 的^ 醉 (sinnenrausdl) 止が これで ある。 所有の 喜び は、 貸 物への 狂氣 的貧愁 へと 進む。 彼の 必要 以上の 何 

百倍も^ ものが 著 精され る。 沒價 値の 貨物が 倉庫に 满 つる。 低 惡な莩 If か 近代 都市の 喜びで ある" 未來の 不安の 一瞬 

間 をも感 する ことなしに 人々 は 莩樂に 耽る。 S 享樂、 犯罪と が 世界に 與 へられる。 註-一 个さ 

ハ牲 二十 V-) Kbend, S. n 



機械化 は^ 制飢! J(zw ョ】 gsorgallisation) であろ。 從 つて 人 問 的自. E と兩 立す る こと はでき ない ^ そこで は * 各個 人 

は 彼の 勞 働の 2< 度を發 Is- する こと も、 彼の 生活 S 必要より より 以上の 標準 を..^ 發見 する こと はでき ない。 彼 はたに 外 

部から 與 へられた 規範- 競爭 のうちに 規律され る。 彼 は 彼の 力と 希望との 標準に 從 つて 働いた, U け. では 不充分で あ 

る。 そ は 他人の 勞働景 と 比」, ^されねば ならぬ。 半勞 働. * た. は 遲勞働 は 無 ISig である。 世界の 勞働は .75- 事 統帥 者から 郵 

便 脚 夫に 至る まで, 職人から 財界の 人に 至ろ まで Alckord. 目 d Rekordsystem の もとに 立って るる" 各人に して 丁 皮 

他人から せられる-たけ の もの か! §义 求され る。 昔 S 職 匠 は 愛 >美 の 精神 を もって^の 仕事 を 仕上、 に 一。 ! g 械の 世界で 

は, 鍰 低の 15 格. かよくて * 愛 は 計 へられて はるない j 計 へられる もの は 客観的の 力で ある。 

人々 は 彼の 活動の 撰擇 においても、 若しくはそ^ 勞慟 G 規律に おいても 自由で はない。 人々 が 一 1^3 ことに 適して 

ゐ るか • 若しくは 專問 的の ことに 適して ゐ ろか は 問 ふところでない。 凡て- S 人 は 一. 林 問 家と して 使用され る。 人 は 生れ 

ながらに して 商人に. 敎師 に、 按師 に、 昆虫 舉者 にと 運命 を强 制されろ。 若し 昔の 騎士 や 職 匠 や, 豫言者 や、 胃險^ 

のよう な ものが あっても、 彼 は 現代に お:,: C は, 最.^賤しぃ務めを務めなぃではゐら,;:なぃのでぁる。 

强制 はこれ だけに 止まって はるない。 自己 資任 もまた 人 か." 除き とられる," 何と なれ は、 機械化 5"せ 求 は、 凡て 

の 人、 凡ての 部分. か、 一;;: 機體 となろ まで は 停止す ろ もので ないから であろ リ かくして 大きな もの も、 小さな もの も、 

一 つの 論理形式に 强 制される。 f£ 費 組合 も * 組合 も 1 商會 も、 社會 も、 同盟 も. i は 僚 的. 職業的、 國家的 * 敎會 的の 

あらゆる 組織 も, ^雜 のうちに、 人間 を 離合す る。 何人も 彼 自身の ためで なく、 凡ての 人が 從屬 てる。 昔 S ギルドの 

職 匠 も從展 的で なかつ とはいへ ない にしても、 しかしそは商^上の底储^|^が從2@的でぁるとぃふのとは意味が同ー 



でない。 ギル. ド.. の 職 匠の 從凰は 疑 を容れ ない こ-とで. あるに しても、 それにお か k わらす そは^ 郁:^. <=1 出に 滿た さわて 

るた。 機械化の 社會は の 幻 IS に 一, g はれて だけな ので ある。 そ は 皆の 暴君が 劍を もってな し遂 けえなかった 赛 制な 

仕上け てゐ るので あろ。 そ は 從屬を 永久 化する。 

個人的の 從3« は、 園^ 的の 從尾 に比べる と 物の 數 でもない 。圑體 組織と しての 機械化 は 人間の ヱ ネル ギ I を, 單ー と 

してで なく, 流れと して 耍求 する。 フエ I 口 ー の ビラ ミツ ドを 築べ ために 使 はれた 奴隸^ けで は、 近代 社會 では、 機械 

製造の 1 圑 にも!: えらぬ。 ナ.ネ レオン の 軍隊 なぞ は 今日の 1 炭坑に 使役す る ほどの 數 にもなら ぬ。 われく-の 機械 は そ 

の 何々 傻と いふ Bil 力と ともに 何々 憶と いふ 人力 を 要求す る。 機械化. 原理の 內部的 必要 をと ほして ではなく、 この 進化 

の從 展的狀 態として、 精神的 努 働と 體カ勞 働との 分化 は 永遠 化される。 そして 凡ての 文明 社會 において 二種 類の 人民 

が 分裂され る。 そ は 血族であって、 しかも 永久に 分裂して、 上 暦 階 扱と 下^階級と を 形成す ろ しかも この 兩 階級と 

.CST^-- よって 支: W される。 上 階級に 凰す る 何人も、 彼の 自由に は、 彼の地 位を诀 する こと はでぎ ぬ、 下 階 扱に 厚 

する ts- 、も、 彼に 資本と 知識と を與 へる ところの 燒 倖な もつ のでなくて は、 その 地位から 脫却 する こと は 不可能で あ 

る。 か.-る^1!-^は、 移民の 場合で で.,^ なくて は、 殆んど ありえな いこと である。 產 業界に 入って ゆく 知識階級の 靑尔 

のうちの、 殆ん どた だの 一人 も、 無產者 階級から 成る とい ふ 例 を 知らないの である。 

かくの ごとき 強制 は古來 つて 存在した ことの 類例がない。 へ n グト や、 農奴に しても そうだ。 農奴の 仕事 は努 

苦に 満ちた ものであった にしても、 尙ほ 生活の 美しい 環境 を享樂 する ことができた? 今日の 無產教 階, 欲 は、 命令 

を 受けない. か 指令 をラ ける。 彼 は 伍長の ほかの 主人に 泰仕 しな い。 彼 は; 仕し ないで 自由 人と して. M 發 的に 働く。 

彼の人横ャ-t^iw^i.-と同l である。 彼は住所の^:山をもってるる" 然り * 何人も 彼を從 恩せ しみる もの はない • 法律 h 



彼 は 自由 人な ので ある。 しかし 法律の 境 を 一 歩 越えろ と图黑 である。 個人の 代りに ブル ジョァ 社 會が彼 を 支配す る, 

彼の 生活 は 何十 年 も 何十 年 も 退屈な 箪調 さで ある。 彼の 勞働は 無精 神な ので ある。 われ. の 時代 は 動物の 虐待に つ 

いて 政府の 干渉す ろ 時代で は あるが その 待 を 同胞の 間にす ろ 場合に は 正當で 合理的で あると 考 へ られ る。 被 壓迫搭 

扱の 人々 か 現代 社會 制度の 永久の ために 投票 しないと 攻擊の 合唱が 起る。 (註-一 +5 

(柱 二十 八) Ehenda, S. 41-C 

1 代 文明の 特色 は 整の 喪失 (seelenlosigkeit) である。 努働も * 敎育 も、 藝術 も、 文明 も 魂 を 喪失した。 そしてた だ 

soelenlose Bildtsg, seelenloBe Statten, seelenlose Stamme, seelemlose Glaubensfors, seelenlose ICunstionn, seelenbsa 

Ideale, seelenlose Zlvllisation が殘 された。 魂が 失 はれて 機械化が 殘 つた。 人格が 失 はれて 機械が 殘 つた。 目的 人が 

失 はれて 機械 人が 殘 つた。 人 も、 物 も、 蕤術 も、 哲舉も * 社會 も、 制度 も、 みな 魂に 餓えて ゐ るので ある。 

ラ ー テ ノウ は 現代 社會の 特質 を かくの ごとくに 解した。 S- 一千ち 

(註 二十 九) 》Iech£lik des Geiates, S. 37,46 

五、 

現代 社會 の救劑 者と して 立って ゐる もの は、 社會 主義で あろ。 こ、 に は 傅 愛 的 慈善 論 や、 無. 户 ^ 理の 社會 政策 や は 間 

想で はない。 そ.;: 等 は,! クスの 所謂 「慈善 袋 であろ からで ある。 問題と される の は 社會主 一: 我で ある。 社 食 主-鼓 じお 

來社會 の 理に 1* ひすろ か。 



. > 'ルクス 派 社 會主穀 は 自ら 科舉 的社會 主義と 稱 する。 それ は 歴史的 進化の 必然のう へに 社會主 殺の 基礎 を 2^ いたた 

. めで あるが、 そ は 一面に は 歴史 を 形而^から 解放して ディア レ クチ ー クの 世界へ 移した ことで ある。 エンゲルスの 言 

葉. でい へば 自然 は ディア レ クチ ー クを證 明す るので ある。 しかし そ はへ ー ゲルの 理想 主錢を 意味す るので はない。 マ 

1 ク. ス* ヱ ング ルスに 從 へば、 歴史 は 唯 物的に 解釋 せられねば ならぬ。 從 つて 科 攀的 社會 主義の 理論的 基礎.^ なす もの 

は、 辨 法的 唯物史観 だとい ふこと がで きる の である ヌ つまり へ ー ゲル 哲舉 から 辨證 法み- 灿き とって、 理想主義 を 

. 排斥し, そして理^^^^:義の代りに, 吔物 主義 を もって これに 代えた ので ある。 (は 一- +) 

唯物史 觀に從 へば、 人閒の存在を決定するものは人間の.意思ではなくて--それ.^は反對に社會的^^在が- 人 Si の 意 

E わ を诀定 すろ。 fisi 

人間 は 歴^ を 造る。 し^-しそれは人間にょって撰まれた倏件にぉぃて自發的に^.,りれるのではなくて* 彼等が 彼^ 

に與 へられた 他 働 的 原因から そうする ので ある (gil) . . , 

芬慟者 階級 は實 現すべき 现 想が あるので はない。 た 新 社會の 要素と なること が 彼等の 歴^的 使命で あろに. 過ぎな 

いと。 

(註 三十) Engels, uerrl- L 一お £1 l)ulu.hl ま uswaltzuug <les wissensclnft 

(は 三十 一 リ Marx, vorwolt sir ICriti に clcr pclitische- 〇el£nomie 

1 註 111 十二) Man, Dcr achtzehu!e wrusaire 

ラ. I テ ノウ は 次のように 述べる。 



唯 物 5:^ 觀に從 へば ノ 人間 は 凡ての ものな? 境に 负 ふので ある" 血液 も、 { せ氣 も、 地球 も, 地位 も, 所有 も、 彼 を^ 

束す る.' 外界に おける 凡ての 21- 化 は それに 相 《=s する 内部的 變 化な もち 來す。 歴^ は 到る ところに 唯物史観 を設據 立て 

てるろ ように:!^ えて ゐる。 しかし かくの ごとき 理; fl は その 根本に おいて 誤りで あろ。 それ は 肉 體 か 精神に 先 たち, 物 

質 か 精神 を 形成 するとい ふ,? 雞 I を^ S ^としてる ろので あ-る" 若し われ/、 が反對 S 前提に 立つ とすれば, 即ち 精神が 

肉體を 形成し • が 世界 をせ 1 きに ft き、 われく の 5: 部に 3{::〔::1 た ~焰 が 燃えて, ゐる もの -た とすれば, 人 Si は 彼 自身の 

製作で あり、 彼の iS 命 は 彼 自身の 作物で あ.^、 彼の 世界 は 彼 自身の 作品で ある。 若し そ \ た とすれば、 國民は 海に 

よって 恵まれた 國 民ではなくて- 國 民が: S を もつ こと を 望む だので ある。 地上 9,:psa を もって ゐる國 民 は、 ^!^福な發 

見者ではなくて 征服 的國 民で ある。 文明の 進歩 を もちき; i す ほどの 人口の 稱 さ * ゲも つて ゐる 31 民 は、 眾 なる 多産の 

^牧民ではなくて, 子孫 を 顧 ^51*1 し • そして その子 孫の ための 土地 を 川 ゃ1 した^ 民で ある。 若し そ、 ジだ とすれば 一 :1 れリ 

血 は • 軍なる 自然の 遊^ではなくて, 自已發 展を要 永す ろ^ 神の 產物 なので ある リ e-+-a 

(註- 1 十一 一一) wommenden Dings, B* か£ 

地上の 生活 は 精神に 與 へられろ 形 ss ュ 武^と をお 味す る。 即ち 精^が その 權 利と、 .^^在と- その 未來 とのた めに 戰 

ふための 形體 なので ある。 若し 精神が 無形の 戦に 適して ゐる とすれば、 そ はお 形の 戰ひ にも 適する。 音き 被 造 物 は S く 

を 創造す ろ 。健全なる もの は宰 福な、 强 きもの は 榴カを 創造す る" 货物 それ 自身の ためではなくて、 精神的 15^: 在 S 地 

上に おける 着物. V してで ある。 武器の 所持 荐が 武器 を 規律す るよう に. 武器. か 所持^に 反應 する。 國民 がその 美しき 

もの. となる の 力 を もった とすれば、 その美のう ちに.、 內部的 尊貴への 刺激 を 見た ので ある ノ 



個人 は f.- 局 目:^ (EndNweok) なので ある。 彼に おいて は见 g る 創造 の 連 績は終 を告け 、「靈 の 速續」 が 始まる 4 靈の覺 

醒が 始まる はに、 彼 はもう 地上の 特椾 なり、 利 <处 なり を 求め はしない。 貧困、 」; ^苦、 孤 獨 も、 彼に 使へ、 彼 を 祝福す 

る。 國民は 彼の 母で ある。 そ は 永遠の 仕事の ために、 美と、 健全と、 力と を耍 求す る. 彼の地 上の 遍歴 を 見守る。 われ 

くの 近隣 も、 沒方 にあろ もの も、 みな われ 等の 母で あり、 兄弟で ある。 個人の 機牲 は、 われく が 生き, 且產 むた 

めに は 小さい 價 である。: は 一-十 5 

(註 三十 四) Eben5l> S. f 

社會 中: 義の父 は * » 言 者で は W くて 舉者 あった。 彼 は 信 を 人間の 心に 置かす に • 科學に 置いた。 この 不幸な 人 は 

預値を 知り、 を 見出だす の 力が- 科舉 であると 考 へた。 彼 は 先驗的 世界 觀と、 靈感 と、 永遠の 正義と を 排斥した。 

だから 社會 主義 は 決して 建設的の 力と なること はでき なかった そ は 弊って 光明 ある 目的な 示した こと はな かつ 

た。 それの 最も 情熱 的な 叫び は 不平と 彈効 とであった。 それの 活動 は 煽動 的で 無情 値であった。 そ は 世界 觀哲舉 を 建 

投 する ことの 代りに 物質的 貨物 問 超 を もってした。 そして この 所有の、 誰れ の もの、 彼れ の ものと いふ • ^れ むべき 

問題 をノ 事務的な 經 |5舉 及 攻治舉 を もって 解诀 しょうと した。 無論- 多くの 社會 主義者の 間に、 問 頃 を 論理的に、 若 

しく は 人間的に 解釋 しょ ラ とした ものがない ので はな か-つたが、 これ 等の 考へ は、 社會 主義 運動の 中心に 鑾 かれて は 

こなかった。 舞査の 中央に は^ 物 主義が 立って きた。 彼の 力 は 愛のう ちに でな く, 訓練の 5 ちに あった。 彼め 啓示 は 

理想ではなくて 巧 利であった。 

否 〈止から I 攻載 運動が 起る。 世界 運動で はない。 世界 運動 (weltbewegllDg) は豫 宵と 豫言 的 意義と から 生れる 



雷 は 軍 一 で、 理 5b 的.; f 言 班で ある。 そわ か: W と畔 ばれても、 信仰と 1xr;!i れて も, 机 el,, ^ばれても、 山山. 人 *T 鸮と a. ば 

れて もい 財と 財の 分 sr." は 彼に とって は なろ 第二: 峩的 なので ある。 生命ら • 死 も * 人 Si 的 幸福 も * 貧乏 も, 

氣も • 戦 ® 'も、 最後の 目的. ビも 恐怖で もない。 

科 舉的社 會主殺 は つて 汄間 の 心 を 燃やした ことがない。 そ は 利害の 心と、 恐れと を もちきた した。 利 と 恐れと 

は 1 日 を 支配す る こと はでき ろが 一 時代 を 支配す る こと はでき ない。 

- 世界 を 變 革し ょラ とすれば、 人々 は 外部から それ を壓 迫しても 駄目 だ。 ,^れ く 林内 部から それ を 把握し なくて は 

, ならぬ。 世界 は、 心の ラ ちに Br 、凡ての 言葉の ために 開かれて ゐ るので ある。 g 一 零き 

(註 三十 五) Ebenda, B- 70.3 

社, 會主 は 物質的 欲求から 生長す る" それの 中核 財の 分配で ある。 その 目的 は 經濟的 秩序で ある" 今日, 社贫主 

^i^5_,が異端からの理i^を同化しょラとしてゐるにしても• 彼に とって は理ゃ C は 無 川で ある。 そ は 地上 か..^ 地.. H へ 導く." 

その 最後の 信念 は 反抗で あり そ、 の, 最大の 力 は^ 惡の ii? であり、 その 窮 115^ 法悦 は 地上の 滎福 なので ある 一- チハ) 

(注 三十 六) Ehenda, & 16 

人 Si の 社會が 完全 v! 社會 化され, たとい ふ! E 準が 一 つ あろ。 そしてた だ 一 つ ある。 そ は 働かざる ものが 收入を もた な 

い 社^な 力で ある。 そ は 兆 :!^ では ある。 しかし ではない。 そ は I それ 自身に おいて 诀定 的で はない 目^ は.?..^ 

なろ マ 化 ii の = ^人山^お でもな く s?*^ の 分:^ でもない。 そ は 1^ 卞:: の 減少で もな く、 车ぉ の^人で もない。 そは.^;產^|<? 



的狀能 b の麼止 (Abschaffullg des proletarisclien verhaltnisses) である。 そ は傳來 的 奴 $| 制度の 止 \ ^ある。 そま, 傳ぉ 

的な 社會 階級の 麼止 である。 そ は 人? i によって 人間 を 奴 隸 化する ことの 麼止 なので あら。 

しかし そ はた だ 政治的の 目標で あろ。 そ は 最後の 目標で はない。 如何にん て 經濟ゃ 社會が 最後^ 目標. か を 語る こと 

がで きょう? われく の 最後 窮 局の 目標 は 人間の 靈 の發展 であるから である。 §- 一千 i 

(註 ョ 十七) Neiie Gesellschaft, s?5- 

實際 的社會 主義 はた だコ レ クチ ー フの ものと しての 意味 を もつ。 世界 觀^ してで はない 。しかし 數舉的 正義に よる 

機械的 建物 は、 當來- ま會の 原理で はありえない。 §^6 

. (註 三 十八) Mechanik des G か istes, g. 30 は 




地上の 凡ての 事物 は、 , 第二の 性質に 苒生 すろ まで は * 善くもな く 11^.5 るく もな く、 若 もく は有價 値で も無價 値で もな 

い。 習 ^やお 的 性質から 生れて くろ 善 は、 心の 力から 再生した もので ない 以上-善 ではたい a 自然 は .l;^ 神の こもっ- 

た 眼.^ も 見た. P ので. な. くてば 自然で はない 。一 自由 を かち 得た^ 作 は、 藝術 をと ほして 自然に 再生した ので あろ。. 自覺 

re, 自由 意 呷 5 と.^ とほして、 .J 我務 と、 仕事 S 愛にまで 再生す る こと は, 機械化の 耍素 とお 兩立 する ことができない. * 

國 家が 幾多の 高貴な 源泉から 生れ 出た とい ふこと は事赏 である。 家庭 種族 的 友 5r 文化と 經驗 との 民族的 共同- 

0, i-w 敎の 同一 感 その 王國を 超自然的にまで 高めた ので ある" しかし 诀定點 は. てれの 起 is- い 問 ではなくて:.: 存 



;^の€:^的必|§^^なので,ぁろ。 诀定 は; t 聖な 制度が, 涸人の,必要ょりも,高きに^^っ.てゐろとぃふ自覺でぁる。 人は地 

へ上の幸福のために造^^^れたのでなくて神の^使命の充實のために造られたのでぁるとぃふの洎覺でぁる。 人間の 社會 

目的 ti? 合 (zweekvtu:eiui ま D^) ではなくて 靈 の故國 (eina Hcimat der ssle) であると すろ の 信仰で あろ。 . 

科 舉及藝 術 * 軍隊 及國 家に おけろ 活動 は、 ただ, てれ 自身 に だけ 實任 あろ 活動と いふ ものの 存在 しないと いふ こと を 

; a へる。 凡ての 仕事 は それ 自身と, そして 世 に 責任 を もつ • 凡ての 創造 は 袋 務と必 耍の鎮 によって 結合され る. 絕 

針の 我儘と 離脫と は、 利己心の 耻辱を もって 印 しづ けられる、 とい ふこと である。 

神への 責任と 感謝と は、 1 人の s^k を 各人の 事關 とし、 各人の 事闢を 一人の 事 關 にす 60 われく の 共同責任 なき 

不幸 も罪惡 も ありえない。 全人の 運命と 離れて 權利 もな く、 義務 もな く、 幸福 も權カ もない。 機 制 體 にして、 若し 一 

度 この 認識のう へに 神 を问復 したなら、 そ は 最早 や 經驗的 均衡 狀態 ではなく, そは^适的世界の總-^!-理にぉぃて 

の 純^な 有機 體 である。 かくして ェ.^ ルギ ー が 天帝の 心から 心へ 汪洋 として 流れ、 地球の 生活 はハ 有機:? 神攻の 像に 

まで 到!^ すろ であらう。 

機械化の 害惡 は, 非 Si 神 的な 力が 内部的 生活 を 統制す ろ ことに 始まろ。 そこに 運動 は 無責任と なり、 務めの 義務が 

放擲され、 比 事の 主^で ある ベラ 人間 を、 それの 奴 練にまで 墮 せしめる。 ここに 不自由、 無意味な 勞苦. 紋意、 窮乏、 

精神的 死 減の 泉が 潢 はる、 e 三 九 

(註 三十 九) Ksnsellds Di 一 Iwetl, S..2-3 

わ く^ 客 觀的事 としての 機械化から 超越した 時に、 われく が內部 か、 精神的 進化 どして そ^.^ 理解-まる 時 



に、 われく は 痛切に 感 すろ、 必要な こと は 機械的でなくて、 精神の 再 指導で ある. V いふ こと を。 今 B は 魂^お ^i: 

の 時代で ある! 主 知 主 の 時代が 破綻して-それの 果實が 熱した! 魂からの 最初の 射 光が 知的 世界と、 機械的 秩序と に 

觸れた 瞬間に, 生命の 鐽的 指導と、 機械的 秩序への 魂の 浸透が もたらされた 時に、 力の 盲目的の 橫 行から 意識的な、 

そして 自由な 宇宙 * 然り 人生に 價 ひする 宇宙が 生れる! S20 

(& 四十) Ehenda, S. 64.5 

人 問の 心 は 皮 腐の ごとく 銳敏 である) 必要が 鐵を 破る 時に、 人の 信仰 は 山 を 動かす。 時代の 機械化が 固化 すれば す 

る ほど 內部 的の 焰は • いよく 情熱に 燃える! 

(註 四十 一 ) EhandB, S. 47-50 

七、 

失 はれた もの は 魂で ある。 回復すべき もの は 魂で あらねば ならぬ。 支配して きた もの は 唯 物的 秩序で ある。 来る ベ 

きもの は 理想で なければ ならぬ。 然り * 利 *^ の 代りに 愛、 機械の 代りに 人格、 專 制の 代りに 自. E であらねば ならぬ。 

われ 等 か-して 凡ての もの を、 人 を 物 を、 努働 を藝術 を, 秩序 を^ 界 を、 悉く 精神 化せし めよ。 魂の 指導の もとに、 地 

上の あらゆる もの を * 1^ 生せ しめよ! Ein wai wkchst in Freiheit. 

室 伏 篇 信 



25 



階級 鬪爭 に 於け る 知識階級、 文化, 

及び 藝 術の 問題 

1、 はしがき 

この 1 文を赛 く 動機 は • はじめ, ぎ ssi^ 郞 氏の 「1 つの 宣首」 へ 雑誌坎 造 一月 號) を證 むだ 時に 始まる。 それから 後 

三 ヶ月ば かりの 間に、 私 は ごの 宣言 を 中心しての * 有 島 氏 や、 片上氏 や、 廣津氏 や、 杉 森、 加 藤、 平 林 • 細 田、 

ぎ, その他 文壇 または 社會 運動の 諸家の 論文 を、 私の 眼に 斶れ ただけ は讀 むで 見た。 私 は 無論 諸家から 多くの も 

のを與 へられた。 しかん まだ 満足 さが 充分で あると はいへ ない。 

問 超は必 すし も 新ら しく はない。 成 は 昔から 厘々 社會 主義者の 間 なぞに 論じられた 問題た と, もい へる 尸し かしこ 

の 問 短 はき の 大きな 動きのう へに 根 を 下ろして るる。 そして 時代の 動きと ともに、 常に 新ら しみ を增 して ゆく 

ので ある。 となれば^ らしい とい ふこと は 珍ら しいと いふ ことで はない。 珍ら しい こと は、 却って 多く は 十" る 

いこと なので ある。 新ら しい こと は、 より 多く 現實的 だとい ふこと であろ からで ある。 




. 社<|- 主?^ 思想の i した 過去 数年? - 間に, 社會 主義に 關 すろ 理論 は • 各方 面の 入た ちに よって、 可成り 炙く 論ん ぜ 

られ た。 特に マ ー クス派 社會 主義に ついては、 河 上肇、 山川 均、 一: 5 畠 素 之 利彥、 福田德 三等の 諸君に よって、 翻 

0. 1» 1. 攻擎 と、 理論 上の 根本 問憋の 殆んど 凡てに S つて 手み-着けられ てきた。 しかし その 釗 合に、 了 ク 

ス主 翁の 根本 問 超の 1 つで ある 階級の SI 超に ついては あまり 多く: SI ん じられ てきた よ、 フには 思 はれない。 私自身 も、 

こ i にこの 問題 を 論す る ことが 主 超ではなくて、 階級 鬪爭 における 知識階級の 地位 能い! 度 及 任務 を 論す る こと、 並に 階 

級 または 階級 鬪爭 と藝術 或は 汎く 文化との 關係を 論す る ことが 目的で あるが、 しかし この 問 超に 入る に は、 先づ 階級 

の 問 超から 入って 行く ことが 必耍 なので ある • 

階級 問 超の 基礎 をな す もの は 階 极分哳 である。 また 階級 分哳に は、 階級の 存在 を 承認す ろと すれば、 その 階級の 區 

別の 標準 を どこに 匿く か、 また 如何なる 種類の 階級に 區 別す るか、 の 二つの 命 超 か 含まれて ゐ ン。 階級の 問題 を: SI す 

るに は先づ これ 等の 點に、 しっかりした 槪念を もって か- -る ことが 心 要で あろが • 加 藤 一 夫 氏が 指摘した ように、 文 

遭の 諸家 を 初め、 この 點 について あまり 無頓着に 過ぎて ゐ るので はない かと 思 ふ。 即ち 知識階級の 問題な 論す るのに、 

その 知識階級が、 現代 社會で 如何なる 地位 を もって ゐ るか、 若しくは 如何なる 社會的 職分な もってる るか, とい ふよ 

うな、 第 一 的に 必要な 問 超 を 閑却して、 砂上の 樓閣 のうへ で やって ゐ ると いふ 感を 免れない ので ある。 有 島 氏は自 

ら 知識階級 を もって 任ん するとと もに、 知識階級に 凰す る もの は、 みな ブル, チヨ ァ 階級のう ちに 人れ てゐ るよう に 見 

える。 有 島 氏の ような、 知識と ともに、 他の 收 入の 源泉と しての 土地 または 他の 生產 手段 を 直接 間接. に 所有して ゐる 

もの は、 S 識 階級に 馬す ると 否と にか かわらす、 1 個の ブル ジョァ である ことに、 何人も 異論の ない ことで あろが、 

司氏に*^へ^<、 マ ー タスで も、 ク U. ネト キンで も, レ ニンで も、 みな 一個の ブル, チヨ ァ であり、 文壇 s> 原稿 生活 を 



すも有名無名の士がみなブル^^^3ァでぁり、 槪 して 知識に よって 衣食す る もの はみ な ブルダ ョァ 階級に ^してる やら 

ので あ VCO 氏の ような 知識 ある 人 は, その 財産 を 失って しまっても * 尙ほ 「永年 かかって 養 はれた 知識と と 

が ある 以上、 それ はブ" レタ リア. I ト より 優越な 階 扱に 屬 してる ると 考 へて るるら しい。 (は 一》;. i からお! S 氏の 說に f;i 

へば、 「知識と 思想」 と を もってる ろ もの はブ P レ タ リア ー トとは 別の 階級に 藤す る ものである こと、 そして その 別 5 

階級と は ブル. チヨ ァ 階級で あろ こと、 この 二つの 說.^ 肯定して ゐ ると しか 思 はれない。 この ブ 口 レ タ リア I トで なけ 

れば ブたチ ョ ァ であると いふ 考方 は、 私に は マ一タス 主観の 影 il であると 思 はれる が、 また 後に 述べ るょ-フに有^^氏 

に は 唯 物 觀の影 德が弗 常に 大きい と 思 はれる ので あるが、 階級の 區 別につ いての マ ー ク ス主穀 のお は, 有 島 氏し 

はこれ 以上 及んで はゐ ない らしい 何故なら マ ー クス 主義 は、 マ ー クス 自身が 「資本論」 のうちで 述べて ゐる とほり、 

階級 分哳の 基礎 を收 入. たは 収入の 源泉に おいて ゐ るので もない からで ある。 g 一一》 

(註 一) 我等 三月 驟 

(註 二) K. Marx, Daa KapitaL IV. s. S. 422 

か k 庄太郞 :> は 、現代 日本の 學 者のう ちで 二番 多く 階級の 問題 を 論じて るるし、 また 同氏 は 社會學 の暮攻 者で 

あろから われく の聽 くべき ことが 甚. た 多い と 思 はねば ならぬ わけで ある。 同 博士の 見解 は 右島 氏の 考 方と は 大分^ 

つて ゐろ。 即ち 同^ 士は 知識階級の 凡てが ブル. チヨ ァ 階級に 馬す る ものと は 思って ゐ ない。 知識階級に 藤す る もので 

あっても • 「s^ 產 のない」 もの は 矢 張 6. プロレタリア なので ある。 そしてこう 考 へる ことが • 「科舉 的」 であると いふて 

ゐ るので あるから、 ぉ&^^£從へば, i^^ 說は 的 だとい ふこと になる のであって、 島說の 側から いふと 

大に意 1^ 强、 フする わけで あるが、 それで は 士の 「科 舉的」 階級 分哳 はこの 「財 產」 の 有ろ 無し を 標準と する かとい 



ふのに, そ * フ でもない。 K ゆ- 米 m 傅. H に從 へば > ?.財產の無ぃ階,;^」即ちブ0 レタリャ^級はぁるけれどもそれに對^»^ 

する 「財産の ある 階极」 とい-ふ もの は 現代に は 存在し ない。 同 博 ±5 科舉的 見解に 從 ふと、 ブル, チヨ ァ 階級の 對立 する 

階 扱 はこの ブ ロレ タリ ャ階极 ではない。 それ は 勞働者 階 核な ので ある。 勞働 # 階 极とブ B レ タリ ャ 階級と は 同 一 階級 

ではなくて、 全く 述 つた 漑念 ももつ。 ブ 口 レ タリ ャ 階級と はた だ 「財產 5 無い」 階級と いふ だけの 意味し か 無い からで 

あると C 努働者 階級と ブルダ ョァ階 殺と は- 米 E 說 によると、 ^代 社會 において 根本的に 重要な 社會 階級で あるが、 

然 らば この 二つの 階級 は 何に よって 區別 する かとい ふに、 別に 何ん にも 區 別の 標準になる もの はない。 ただ 一 方 は 財 

產 があって 賛澤な 生活が できて、. その 財産から くる 威光で 現代の 社會 または 政治に 野心が あると いふ ことで あり、 他 

方 は財產 がなくて 「賃銀に よって 額 立の 生, お」 を營む 人々 を 云 ふの だ. と ある。 e-e それで はこ こに i, 、財産の あるな しが 

問 臨の 耍點 かとい ふに ノ そうなる とブ 口 レ タリ ャと勞 働 者 階級との 區 別が 分らなくなる。 それで は 「野心」 の あるな し 

が 問 超の 耍點 かとい ふのに、 まさかに それほど 馬鹿 氣た考 方 をして ゐ ると も 甲 5 へない。 それで は 「1^ 立の 生活」 とい ふ 

ことに 重點が あるか どうか。 そうなる と 貸 銀 を 受取っても • その 賃銀が 生活 を 支へ るに 足らない 婦人 勞働 者の 一 部な 

ぞは勞 働 者 階級でなくて ブ 口 レ タリ ャ だとい ふこと にもなる。 そこで 最後に 「賃銀」 を 受取る ことによって 生活す ると 

いふ こと を 中心とする かとい ふこと になる が、 ここにな ると 知識階級に 屬 する ものの 受取る の は 「賃銀」 ではない かと 

いふ 疑問が 當然 起って くる。 この 點 についての 米 田 博士の 說明 は、 私の 讀 ひだ 範園 では えない。 耍す るに 米 ffl 博士 

の 階級 分浙は 「科 舉的」 を 標榜して ゐろ にか かわらす、 その 分晰の 根本と なろ べき Was bildet eine IClaaae ? の 命 超 

が瞹昧 で、 どこに 分晰の 根搣が あるの か、 さっぱり 分けの 分らない の を遺德 とする。 

. 《は 一一 1) 来 sa 太 s?^ 現代 文化人の 心 51 九 二... 1125 



^级 分晰^ ilSI な、 簡 であるが w 確に^ したの は、 今^? 知識? に關 連し., -は、 加 藤 一夫 氏で あ も。 同 

氏はブ ル * チ ョ ァ對ダ 0- レ タ リャ 階級 對 立の 基礎 を * 絞;^と被絞取の^^-貪」 お いて、 ブ ル. チ ョァ階 核と は 絞 取 者 階級、 

ブ ロレ タリ ャ 階級と は 被 絞取养 の^ 級 だとな してる ろい (" ) E 丄博 ±(1 せ) は 自說を 述べた ことか t る "ないか 私 は 承 

知して ゐな いが、 マ I タスの 階极闘 爭說を i^/ 、へた 場な C に, マ! クス說 が 加 膝 一夫 說と 同一で ある こと を說 明して ゐ 

ろ。 RS) そして! 1: 上 傅. H が 日本に おけろ 代表的 マ —キ ストの 一 人で ある こと は 一 股の 定說 であろ から、 博士 自り もこ 

の V 1 クス 說 をと つて ゐろ ものと 思 はれろ。 

fts > 「束 iiK 朝日 新 s」 三月 八 B 以後 

「社か 問 as 5? ハ辑 

階級の 問 超 は、 現代 社會問 超の 燃 ゆろ 問 想の 1 つで ある。 この 問題に 最も 多く 奇與 した もの は マ ー クス、 ヱンダ ルス 

そして-その 1 派の 舉 徒であった とい ふこと が できる と 思 ふ。 或は マ ー クス の 階級 鬪爭說 は、 コ ン シデラ ン の 小册子 

( ち から 原. E したと いふ 說も荒 無稽で はない かも 知れない 。-成 はまた かくの ごとき 考は、 マ I タス ンゲ ルスに 

先って、 旣にグ イダ アル や、 ルイ きブ ラン なぞに よって 發 表された とい ふこと もで きる であら、 フ。 否、 共産^宣言のう 

ちで、 マ I クス 肇ェ ン ゲル スが旣 にかくの ごとき 事 實を裏 寄き して ゐる ともい へよう。 何故なら、 共產黨 宣言のう ちに 

は、 サン *シ モン や、 フ I リエ I や、 ォ ー ゥェン なぞ か、 「旣 に階极 對抗」 に 着眼して ゐ たこと ヶ承認 してる るからで 

あろ。 (Is しかし カウ ツキ I が^って 指摘した ように、 この 說は、 前代の: 1: 人に よってよりも, 共產黨 宣言に よって、 

深く 突 込んで 論ん ぜられ たとい ふこと だけ は、 gA- 多くの 設索 なしに も、 ^定 しても い- -こ とだら うとい. 5 ふ。 

(ss 六) Victor C0uiiae3 ヌ Pri 口 cipea du Socialiame; Maaifesie de l;i iiil CHie au dix-nsvi2ne shcle, 



(註 七) l>a8 ko 画 tsitisdle Manifest tvorwort von Karl Kaut8ky), S. ひ 3. Das kosmu5sti6( Ji 3 Ala ミ fst (vorwc-lt von 

一 Mai Adier;, _s. 45; Das KomnsniBtiache Manifest, erlid, 1919, OT. 27. 

(ts 力」 w. Kautsky, IXis KOIUQistiBohe Manifest eid Plagiat, Nse Zeit, 190^, Band XI 

Tl クス 說に從 ふと、 凡て 從來の 社會の 歴史 は、 一 つの 例外 P ち を 除いて、 階級 鬪爭の 歴史. でのる。 そして 現代 社 

會は, ブルダ ョァ 階級 對ブ ロレ タリ ャ 階級の 鬪 爭 の社會 である。 マ— クス說 は- 階級 分 折の 基礎 を 無論 經濟 上の 實 

において るるので ある。 この 點は唯 物 史觀を 奉す る マ ー クス 主義と して は 當然な ことで ある。 しかし ここに Ig^ 濟 上の 

事暂 とい ふの は、 箪に 貧乏で あると か、 金持ちで あると かいふよ 5 な、 無意味な 標 m のうへ に 分 折の 基礎 を 置いて ゐ 

るので なくて、 絞 取す る 階級と 絞 取され る 階 殺と いふ、 つまり ブ ディ ン なぞの いふ。 社 會經濟 的 職分 (social-economic 

function) n さの 相違の 根據 によって 區 別してる るので ある。 そこで ブロ レ タリ ャ 階級と ブルダ ョァ 階級との 區 別が 

はっきりして くるので あって、 ブル, チヨ ァ 階級と は、 ブ ロレ タリ ャを使 ffl し、 若しくは 針會^ 生 產耍具 を 所有す ろ 階 

級の ことで あり, ブ B レ タリ ャ階极 と は、 共產黨 宣言の 言葉で いふと * ただ 仕事 を發 見す る ことによって のみ 生活 

し * 且つ 資本 を增 加す る 場合に のみ 仕事 を發 見す る 階級 をい ふこと となろ ので あろ。 (は卡 こ 

(註 九) ii.u^ つの 例外 や J は、 原始 共產瓧 曾の、、 ミ である。 共 產黨宣 一 |ョ では 「凡 ズ從來 の 社 食の 1^ 史」 W は訪錄 上の 歴史 die 

2:.llriftlich ud,.ru.fe£ Gschichr のこ >j だ w なして ねる • H ン ケ少ス に從 へば、 それ は^ 始的 共産主義の 時代^ H 外 ミ する W 

なして ^ る。 (Engeh, Hers Eugea Dullrlns uoawalzuag der wissnshaflo 

Is^ 十) L. B. B;judin, The Tl-eoretical System of Karl Marx, p. "09 

(往十 一 ) Dob KcmasniBtisc ザ e Manifest (vcrwort vou K. tcalltsky), S. 31( 以下 共產 黨宣ー illn,^;?; 川す ろ 場合に カウ ツキ l;w 



31 



/iU ろ) 

マ-タス は、 そして ェ- ンゲ ルス も * こ S 勞 働の 絞取被 絞 取と いふ 社會 的 職分に よって 社會 階 級を區 別してみ も 

のであって、 この 點 からい ふと、 社會的 若しくは 社 會經濟 的 職分のう へから、 何の 根慷 もない i¥ 由に よって 社會 階級 

を區. 別す る、 一派の 人々 の 階 殺 分 折に 比べて、 マ, クス說 こそ 「科學 的」 社會 主義の 名に 背かない とい ふこと がで きる 

ので ある。 この 標準の 5 へに 立って、 マ ー クス說 は、 現代 社會 階級 をブ ロレ タリ ャ 階級と ブル チヨ ァ 階級との 二階 級 

に區 別して ゐ るので ある。 そして ブル, チヨ ァ階 級のう ちに、 資本家 (Kapitalist) と 地 ま Gruieiglhf er) との 二つ 

を 分けて るる。 前 は收 入の 源泉が 利 潤 であり、 後者 は 地代で あろ 一 ネ-: これに 針し 勞^ 貸^ を. - つて 生活 S 源泉と 

すろ r£ 代 勞敏者 階級」 (die Klasse der modernne Arbeiter) が 立す るので あるが * マ !• クス說 に 「近代 勞働者 階級」 

とい ふの は、 Ji^ &說の 「近代 勞働者 階級」 のように、 ブ ロレ タリ ャ 階級と 違った 槪 念で はない。 近代 勞働者 階級 即ち ブ 

ロレ タ リア— ト なので ある〕 I プロレタリア ー トを ただ 「貧乏な 階級」 だとの み觀 念す る說 は、 例へば 米 E 說 なぞ 

は マ ー クス 派の 舉說 によろ と 蒼然た ろ 古色な ので ある。 6£) 

(註 十二) t>a8 wap.-tal, IV. Bd. S. 421 

(ま 十三) KomBUQiBtisclle Manifest, s. 31 

(註 十四) wolldln, op. cit. ,p. 202 

三、 

ブル. チヨ ァ 階級と ブ 口 レ タリ ャ 階級と が 現代 社 令:" の 一 一大 階級で ある ことに は、 何人も 異論の ない ことで あるが (米 



田 SS は 外) こ c^l 大階敏 の ほかに、 他の 社會^ 被 即ち 中 階 扱 はない か。 マ I クス說 によろ と * 代 社會は 凡て こ 力 

. 二 大階极 に 包含され てるる のではなくて-現代 社會- 即ち 資本家 的 生産の 行 はれる 社會 では、 社 首が 全 體 として- こ 

の ニ大階 翻に 向って 益々 分^し つ..' あると いふので ある。 さ 從っ てこの 分裂が 完成され ろまで は、 この ニ大 階, 设 

のほかに中間的の^^在がぁるとしてゐろのでぁる。 この 中 的?: i: 在と は- 共產黨 宣言に よると • 小 商人, 商 iyHr 矗 

民、 技工、 財産で 衣食す る 中流 人 (Rentier) なぞ をい ふので ある。 共產黨 宣言で はこれ を 中間 的 地位 (Mittelstand) と 

もい ひ • また 階极 (taasse) ともい つて ゐ ろので あろ。 (Ki. さ しかし これ 等の 中間 的 存在 を * 階级 とい ふ 言葉で いひ 現 

はして るる ことがあろ にしても、 厳格の 意味で は、 これ を もって 現代 社會 における 社會 階級と は考 へて ,0 ないようで 

ある <? さ 何故と なら * これ 等の 中間 的 存在 は、 共產黨 宣言に よれば 次第に プロレタリア. I トに 沈む で ゆく 一圃で 

あり、 そして 最後-. r 近代 資本 主 籙の而 前にお いて 「衰頹 し 且つ 减. 法す る」 からで ある。 (は ナ<> 

(許 十五) Rsnmuniatisile Msnifcst, S. 2は 

(註 十六) eben<K & sv-s 

(iy 十七 「資本論」 第 四 « 末 では、 1 クス は社會 階級な ただ 「三 大 階級 JLL 分けてね る 即ち 資本 地主 及 贊銀勞 働 者の 三 ほ 

級; i けに 分け ズねる 

(註 十八 > l^osln-lnis.iscls Manifst, ». 33,35 

以上の マ— クス說 から 二つの 疑問が 提出され る。 一 つ はこれ 等の 中 問 的 地!^ が 果して 袞 額し、 威 落 (vel.k§ss 

iind gehen unter) する か LJ いふ 點 である" この ことに ついては B 和 的 止 ^^^!我 者と して 知られる ベ ルン シ タイ ンが 

詳 5IL た ことがあり。 i+ さ また マ. I クス 殺^ 反 對者か 今 n よで 幾 i^J か 諭 じ-きたと ことで あり- マ ー キス ト^ 脚 



から も旣に 還々 當! 4 應 戦され てゐ ろから 私 はこれ まで 論ん じられ てきた 諸 問 超に 稱" ろ こと を迎 ける が * ここに 注 

意 を 要すろ こと は 農民 iJ. 超で ある。 何と なれば 農民 もまた マ, I ク スに從 へば 「衰頹 し 且つ 威 落して」 プ ロレ タリ ャ 階級 

に沈む^1^のものなのでぁろが* シ ャ 革命の 經 驗は决 して この マ I クス の豫言 を立證 しない。 自" 純 マ ー キ ストな も 

つて iti ん する B シ ャのレ 二 ン 曰く、 世界史 ヒ, 始めて こ- -に 一 一つの 階級 —— ブ 口 レ タ リア I トと €1 民との 一 一大 階級-力 

? 5: 在す ろと。 へき 5 第一 一の 疑問 は マ I クス 主義 は 知識階級 (Intellektucuclo に つ いて どう い ふ解釋 をと つて ゐ るかと 

いふ 點 である。 

(註 十九 ^ W. wernstein, so vornussctz 一 Isgen des sozialismus iind die に \ufxahon ( dr s:zlaldemoeratle, Zmr IneKne und Geschl- 

ch 一 e des sooisrs ョ us, :304 

(註廿 ) -、 の 問 姐に ついて は 「吹 造」 四月 械拙 「 共産主義 の 莨 民政 策 J€A 照 

四、 

マ... キ ストの 立場から 知識階級の 問題に ついて、 比較的 秩序 的に 書いた ものと して は 私の^ つてる ろ範圍 では マツ 

クス • ァ • トラ ァ の 「社會 主義と 知識階級」 及び カウ ツキ— の 「エアフルト ! I 領」 等の 數 著で ある。 カウ プキ ー に從 へば 知 

識 階^, n よ it つて は 「精神の アリス トクラ ティ」 Arintkratie des Geistes) と稱 せられた もので あろが * 今日で は 「有識 

無產比 i" 級」 rProletafiat der Jlltelligenz) 若しくは 「j^ 敎 育無產 階級」 (Ivoletariat der Gehildeten) と稱 せられる もの 

であって、 それ はブ ロレ タリ ャ 階級の 第三 種に 3?、 る ものである。 (き 一 さ) この 階 级に 3i すろ もの は > カウ ツキ I に 

從 ふと, 百年 内外 も 前の 時代に は、 これ 等 S 地位に あろ もの はごく 少数で あり、 舉校も 威 多に なく * ぉ學 とい ふこと 

ま 非常な 費用 を 必要と した。 か- -る 時代に は?^ 育 あろ 人々 即ち 科學者 や、 藝術家 や、 敎師 * 醫師 その他の 職業 人 を 各 

面に 需要され たに 對し 供給が 《5 に 不足であった。 ところが、 資本家 制 .E.- の もとで は 敎育は (02chaft) となった。 資 

本家 社啻及 本家 國は その 赏業 を常理 する ために 知識と 才幹と を 必要と する ことにな つた。 が資 4 家 自身、 またす >^ 

皆 級::: 身 は、 その 全^ 問 を 彼等の 赏桨と 享^と に 費さねば ならぬ ので あるから、 この 享樂 支配階級 は、 ^代の 支 R 階 

級 なぞと 逮 つて、 自分で 科 學ゃ按 術 を 修養す るよう な こと をし ないで、 彼等が 麓 俯す ろ 特別 階級 S 仕事に 殘 して^む 

ヒの である。 この 制度の も. N~ で, 敎育は 商品 (eig w2Te) となる に 至った ので ある。 



商品と なった 以上, ぞれの 相 楊 は 市場に おける 霜 要 供給の 開 係に よって 支配され るの が當然 なので あるひ 從 て最 

初敎 育をラ けた ものが 少なかった 時代に は、 敎 育はゥ i き惜格 を-": M 求した。 そして 敎育を 「所有 する もの は, 少く とも 

それ を 赏用ヒ の 目的に 供 袷した もの は、 澤な 生活 もで き • また 往々 にして 名^ 名 iS を 5£ する よ、 rv になった。 辯 護 :r-、 

者、 役人、 霄記、 敎授 なぞが これであった。 「精神の アリス トクラ ティ」 は 門地 や 金の ァヮ スト クラ ティよりも 優^ 

だとい ふこと を考 へる ようになった。 彼等の 主として 注意 を拂 ふこと は、 知識の 練磨 そのものであった。 敎育 はかく 

して 力で あり、 幸福であった 。しかし 敎育 がかくの ごとき 地位 を 占める ようにな つてから 高等 敎 育が 急 述 に發展 してき 

た。 Id 等敎 育の 機閼は ts.^ 增 大してき た。 特に 舉 生の 數が 著しく 增 大してき た。 小 商人 やその 他の 中等 階級に 屠す ろ 

もの は、 彼等の 子孫 を 體カ勞 働 希に 落さい 唯一 の 方法が 敎 育を與 へる にある とい ふこと に氣が ひいた。 てして こ 

れ 等の 結 E!- は、 敎育 をう けた 人が 著しく 增 加した ことで ある。 こうな つてく ると、 效育. か 一 つの 商品で ある 以上, そ 

れ はまた 市揭 相場の 支配 を れる こと はでき ないから、 敎育 商品が 增 加して, その 價格か 下落し, 從 つて その 敎育 商, 

品の 所有者の 地位が 下落し ない わけに は ゆか なくなった。 今日で は敎育 商品の 市揚は 在荷 過多に 苦しむ でゐろ 。 こ、 ) 

に敎 宵勞 働の 方に も 體カ勞 働と 同じく、 失業者が 生じ、 そして また 從 つて^ 敎育勞 働 者の r 豫備: l」(Rirvear2nee) を 

もつ ことと なった ので ある。 ここにお いて 知識階級 もまた 現代 社會 制度の もとで は 疑 もな くプ ロレ タリ ャ, 卽ち 有識 

ブロン タリ ャ として 認められる ようになった ので ある。 (註- lt》 

(ii^ 二十 一 ) ? a Krfurter prograsm: Jn seines grundsitzlichen Teil erlA-tert von K:-rl I ウ -lltsky, S.f4-5 

(註 二十 二) ^TO-. oben, g. ,1 ひ 

カウ ツキ I の 指摘して ゐる とほり、 敎育 商品の 相 揚が 下落して、.^ 識 階級の 地せ かァリ ス トク- フティ から プ u レ タリ 

ャ へ と^ち こむ できた 今日に おいてさ へ 、 まだ 彼等 自身 はブ ロレ タリ ャ より は 何處か 上等 な も の で あ る。 ((-twas 

Besserca zu sein als die proletarier) と^みてゐ,^>0 彼等 は 無若氣 にも、 彼等 自身 を その 主人の 階級. 卽ちブ ル-デ ョ 

ァ 階級の 仲間に 人れ て 喜んで ゐ るので ある。 また ある もの は、 知識階級の 從事 して ゐ るの は 職 紫 (proftsion) である 

が、 Trade では-ない といって、 彼等の 勞働 を、 體カ勞 働から 區 別しょう とし、 或は また 彼等の 受取 *^Ht 給、 手當、 報酬な 

ぞは 「賃銀」 ではない とい ふこと によって、 彼等と 體カ勞 働 者と を區 別しょう とする ので ある。 如何にも 彼等の 階級に 屬 

する もの は、 ブル. ギヨ ァ もしい 着物 を 着て • ブル デョァ らしい 靴 を 穿いて- 髪 を 奇麗に 分けて * 手指が 細くて、 どこ 



35 



となく ブルダ ョ ァに 類^して るると ころが あるし、 また どこまでも ブルダ ョ ァ颜 をしょう とする 苦悩の 情: S 察すろ 

餘り あるので あるが、 し 力し それ 以外に 彼等の 社, f!:" 生活に, ブ ロレ タリ ャ と- pi; 別 さるべき 何もの が あるか〕 彼卞ォ 所 

有すろ もの は 生產の 手段ではなくて * ただ 知識. じある。 然り. 赍 るべき 知 _識 である- :^仳等はそ•〕知識な:_奴等自身か.t 

出して • これ を勞 働市塌 において 資買す 乙の ひ ある。 だから 彼等 3 受取る ところの も. 力が 如何なる 名稱の もとに 行 

はれろ にしても * 彼等の 提供す る もの、 その 提供す ろ 唯一 の もの は 商品で あるので ある〕 從 つて 彼等 力 勞働は 疑 もな く 

TTrade なので あ, 00 しかも 彼等 はこ の 彼 il^ の 所有す る 唯一 の 商品の 寶買 を もって 生活の^ 耍手投 (Hgpt ョヨ 01) とし 

てゐ るので あり、 且つ この 商品の 賣買は 資本家 側に 利益 を與 へる 口に だけ 行 はれる もので. あって、 勞 働の 生産物に つ 

いての 統制 横 (多くの sNa に は生產 S 飢! I においても は 資本) が に 屬す るので あるから、 彼等 は r 敎育 商品」 を资る こと 

によって 資本家の 統制に 服從 する 知識 的 奴 練で あり、 俸給 その他 彼等の 勞働を 資本 冢 階級-に 接.; II して ゐる 制度に 一 種 

の奴隸 制度で ある。 カウ ツキ ー の 言葉で いふと 、被 等 意 を 注ぐ ところ は、 や 知識の 練磨ではなくて, そ、 ひぽ g ハ.^ 

ことなの である。 彼等 G 立身^ 最上の 道 は. 彼等の. H 我の 賫淫 (pitituierllllg) なので ある 然り、 信念の 賫却、 黄金 

これが 彼 や ^ の 立身 または その 生活の 維持の. 自然 的に して 且つ 必要 欠くべからざる 手段な ので ある。 

(註 二十 三) 前褐カ タク キ 1 害 

五、 

社會 主義 反對荐 * ブ-ケ チヨ ァ舉 者、 またはべ ルン シ タイン 二 派の 日和見 的 修正 社 食 主 翁 者の 問で は、 知識 階- "激 はー莉 

巾 等 階級」 と稱 せられて きた- S- 一 £) しかし. この 「斬 中等 階級」 なる もの は * 中等 階級と しての 彼等の 新地 位 を 築 、代 

りに. 急速に 無産者 階級への 沈 ^作用の 飜界 すると ころと なった" ブル. ヂョァ 舉者ゃ * 日和見主義^の 學 說を證 明す 

る ことの 代りに, それ は 疑 もな く マ ー キ ストの 豫 首 を證慷 立てた。 知識階級 は 「新 屮等 階級」 となる ことの 代りに 急速 

に 「新ブ 口 レ タ リア ー ト」 を;^ 成す るの 道 を 歩む だ。 

(註 二十 四) 私の 尊敬す ろか か 氏 か、 か、 る プ少ゲ ョァ學 者の 見解に 從 つて、 知 裁^ 級 f 新 中等 階級. ru> --眞 似て ねら 

れる は 至: nf- わる。 



知識階級が, 急速に ブ レ タリ ャの地 ぼに 沈みつつ ある こと は、 現代社會の最も顯 ^=な^象の 一 つで ある。 シァ 

のよう な • 共產 革命の 過程、 若しくは 無產^ 階級の It 裁 政治の 行 はれて るる ところでは * この 事實は 殆んど 勿論 完成 

されて るるので ある。 その他の 諸國 でも 特に 勞働 動の 發達 して るら ところ で は、 この 現象 は 著しい。 * ハ ー ナ ード?ン 

3 ゥの 記る してる ると ころに よると、 俸へ お 生活 者が 職工よりも 善き 報酬 を 受取る とい ふ考 は、 全く 正 反 對な考 方な ので 

ある 。(,!十五) 英國 でも 玀 逸で も、 填供國 でも 進歩した 歐羅 G の 殆んど 凡てに 亘 つて、 體カ勞 働 者の 受取ろ 報酬 は、 クラ 

f ク またはべ アム テ として 知,?^ ら てるる 俸給生活者の 受取る 報洲に 優って ゐ る- 工場の 中で 働ぐ 油 じみた 勞働 者の 受 

取ろ 赁銀は • ォ フ并ス (またはに ュ ロウ) — ン ヨウ はこれ を 「監獄」 といって ゐ る —I の 中で 働く 髮を 櫛け づ つた 勞働 

者よりも 豊かな 報酬の 受取 者な ので ある。 額 逸で は勞働 者の 受取ろ 貧 銀の 標準が 1 1 千 馬克で あるに 對し、 大學 敎授の そ 

れ もまた 一 i 千 馬克 、または それ 以下で ある 。、き 一士 ハ) 壤太 利で は、 著名な 人 舉敎授 でさ へ 、その 年俸が, 昨年の 夏、 一 萬! 一 

千 クロ I ネ. (日本 41- 約 四 拾圓) の i- 俸 を 受取って ゐた。 貧困に 堪えす して 死んだ 敎授も 幾人.. か あると いふ。 彼等の 多く 

は、 慈善鍋の 晝飯 によって その 飢餓 を 癒 やして るるので あるが、 こうした 貧しい 食物 は、 こ G 國の體 カ勞働 者の 口に 

しないと ころ だとい はれて るる。 (ia-H. さ 私は獨 逸に 滯 在して るる 間に、 幾人 かの 大學敎 授と相 知った が、 それ 等の 人 

々の 生活 は 體カ勞 働 者の それと 少しも 異 もところ はない ので ある〕 またたた に 報酬のう へだけ ではなし に, 社會的 地位 

のうへから いつても- 知識階級が 沈 落しつつ ある ことが 著る しい。 玀逸 では 大舉敎 育 をう けた 青年 若しくは Korps- 

student. の 1 圑は、 特種の 社會的 地位と 特權 とも もって ゐ たので あるが、 今日で は 體カ勞 働 者 出身の もの かどし/ \ 

顯 要の 地位に 就く。 ヱ エル トゃ シャ" デマ、 ンゃ, ステ ゲル ダルト や • 多く、:: 純 勞働者 出身の も S- が國家 S 樞: れ M な 地 

位に 昇る。 ブル シュ ダイ ヒ では- 革命の 後に- 前の 洗? i 女が 文部大臣 となる。 また 普通 官吏の 間で も、 大學 卒業生と 

そうでない ものとの、 待遇 上の 障壁 は- 次第に 撤去され つつ あるので ある。 

(註 二十: .fo Trade uniouiss for Clerks: Intrcductipn by G. B. Shiw, p. ひ 

(註 二十. 5 ,-タ 相場の 袋 勧 WW もに 货銀 または 译給も 自然に 變 動す .Co 特に 昨年 十 一 巧 以降 勞働 者の 貸 銀 値上 運動 U 効果な 

攀げ てね るので, 今日で は 最早 や 二 千 マ I クが模 準で なくなって ねろ-、 と は その後の IS 逸 新聞 に fr つて 分つ ね 

るが、 .sst^fe 者の 方の 棒 給の 接 動の 割, 1C が、 ま:; ^私に は 分つ ズ ねない。 

(飪 二十 七) T15 pdgs ぷ, lulg 3,?:1 



37 



丄 C 

知識階級の 社 會經濟 上に おける 地位が 以上のと ほりだと すれば * ここに 問題と なる の は 知識階級が 階級 鬪爭 に對し 

て W 何なる 度 をと るかの 事釐 と、 如何なる 態度 をと ろべき かの ゾル レンの 問題で あろ。 先づ事 實の點 かん 考察す る 

のが 順序で あると 思 ふが、 階級 鬪爭問 超. 若しくは 社會 主義 問題が 提供され た 最初の 時代に は、 それに 對 する 理解の 

炔乏 のために、 r- 々複雜 な 1 象が 1 はれて ゐる。 特に 注意 を 要する こと は、 ^カ勞 働の 一 部が 社會 主義者 運動に 反對 

し, 知識階級の 一部が これに 味方す る ことがある。 例へば ラサ ー レが 初めて li 逸に 社會 主義-速 動 を 起した 時には、 彼 

は 却って 勞勒 希から 反對 を. フ けて ゐ る事實 が ある。 これに 反し. て 殆んど 各國を 通じて、 最初に 勞働者 運動 または 社會 

主義 思想 か 提唱され た 場合 は、 主として 知識階級に よって 行 はれて るる。 サン ?ン モン. フ ー リエ. I、 ォ ー ゥヱン 、マ ー 

クス * エング ルス、 ラッサ ー レ なぞが みなこれ である。 英國に マ ー クス 主義 を 復活 させた ハイ ンド マ ン なぞ は フ 口 

ック nl ト, シ > ク ハットの 粉 装で 社會 主義の 演說に 出た 位 ひで ある。 否、 獨 り 指導者 だけで ない。 これ 等の 社會 主義 

運動に 参加し、 若しくは 社會 主義の 社會を 理想の 社會 であると 考 へて るる もの は、 屢々 多く 知識階級の 間に あつたの 

である シド ニイ *ゥ ヱ ッヴの r 英國の 社^主義』 に は 次の ような 二 £ か ある。 

「1 八 四 八 年に おけ ゐダ ヨン 。ス チュヮ I* ミルの 「經 濟學」 の 出版 は舊經 濟學と 新 經濟舉 の 間に 都合よ く 境 を 割す 

る ものである。 ミルの 甞物は 彼れ の 死が その r 自俥』 において 彼 ひが 完全なる 社會 主義の ために 單 なる 政治的 デ モク 

ラシ ー に對 すろ 力の 入った そして 明白な 否認 を 世界に 表明す るに 至る まで 論調に おいて 盆々 社會 主義 的と なった 

そして 賀銀 基金 說の 排斥. リカ I ドの 地代の 法則の 發展と 延長、 並に マルサス 主義の 漸次 的 修正と 從 凰と によって 

正統 經濟舉 者と 經濟 的社會 主義^との 間にお けろ 科舉 的の 相 遠 は. 今日は 主として 術語と 關係的 重要 リ それ、 となつ 

た 。その 結果 立派な 經濟舉 者の 一 人 は、 彼れ 自身 は社會 主義者で ない が、 悲痛の 辭を もつ. て、 多數 ひ.^ 授と 凡て 

の靑 年と は 今や 社會 主義者で あろと 公言した。 (註 二十 八、 、 

こうい ふ 現 糸 は n 本の 最近 數 年間に も 見る ことができ たよ 5 に S ふ。 即ち デモ クラシ ー の 潮の 勃興 力 社會. 思 

潮に よって 頼 かれた 最近 數 年の 間に、 知識 階极の 進歩的な 分子が、 可成め 目醒 ましい 勢で 社會 主義 思想に 吸收 され- 



38 



行った ので ある ヌ それ はた だ 「共 產§且 言」 にい ふ.^ ころの 社會 進化 に ついて 充分 理解 ある ern^JrcilderwourgcolsHl 

eologoo だけで はなしに • 理解 ある もの も it 解な きもの も. 少く ともみな 等しく 社會 主; 翁クぶ わ. かした ので ある : 

の 間に、 社會 主義に 反 對 する 言論 は 殆ん. ど 行 はれて こなかった し * 大 舉敎授 なぞの 間で も、 彼等が 社 會主殺 的 言論 を 

試みろ ことによって • 若き 舉 生れ 急進 愁 との 調和 を 保つ ことかで きてきた ので ある。 中には 突如と して、 に 突如と 

して. 「氽は 十 年間 マ ー クス 主義 を折究 じてきた』 と 自ら 口にすろ 大舉 敎授を さへ も 見る に 至った ので ある。 こう..' ふ 

わけで 資本 主教 社會 における 知識階級の 勞働 運動 または 社會 主義り お. -に對 する, 怒 度は必 すし..^ 最初から 鈹對的 で 

あつたと いふ こと はでき ない ので あろ。 

(註 二十 八) Bocialisn in Engbnd, qp,S3-4 

しかし 私が 以上に 述べて きたと ころ は > 知識階級が 社會 主義 側に あつたと いふ ことの 證 明になる より は、 寧ろ 社 

會主 袋が 知識 階 扱の 遊戯の 對 象であった ことの 證明 になろ の だとい つた 方が 正しいで あらう。 また あろ 場合に は 知識 

階級 は社會 主義 それ 自身に 贊 成した のでなくて、 彼等が 舊社會 の 支配者に 對 すろ 抗議と して、 否定的の 意味で、 偶々 

、階會 主義と 一 致した までに 過:^ ない の だとい ふ 二と もい ひえられ るので ある。 特に 社會 革命が 開始 i< れ, または それ 

が 近づきつつ あろと いふ 場合に は、 知識階級の 心理 は、 反動主義 において, 彼等 自身の 擁護 を覺 える もの も 思 はれる マ 

1 タスに 從 へば、 一 八 四 八 年 六月、 BJ 里勞働 者に よって、 ブル, チヨ- ァ共和 國反對 運動が^ された 時に、 知識階級の 有力 

者 (Geistigen Kapazitate) が • 民 や, 產業的 資本家 なぞと とも LT aJM 勞働 者に 反對し 一」 資本 階級の 側に あった 

こと を 述べて ゐ ろ o( は-一 ナ i マックス • アドラ ァの 述べて ゐる ところに よれ は * 澳太 利で は、 一九 〇.fs 年勞 使者に よつ 

ての 大 示威が グ井 ー ンで 催された 時に • 舉生 その他の 知識階級の 一 圑が 『文化の 旗』 (.-ie der 、: Kultur) を 押し 

立て、. 勞 働.;^ し 動への 抗議 G- ための 大 示威運動 を. なして、 遂に 鮮.^ を 流した ことの、 耻 ち 且つ 憤慨すべき 光景 を 示した 

ことがあった , このことは最近のロ シ ャ革命及び獨逸^>§.命にぉぃて最もょく證據立てられ>」ゐる0 ロシャ では. 

ボルシェ ヅキキ 革命 以後 • 知識階級 は ブル, チヨ ァ- チイ または 王黨 とともに、 ボルシェ ヴ并キ 革命の 反對 者であった。 

(はミ fn レ 二 ン攻府 は、 これに 針して、 知識階級 を-はの 味方に 引 人れ ろ 運動な 試みた ので ある。 寡 問 家 優遇 方法の ご. 

とき はこれ なので ある。 しか. P その 結染は 革命の" :! にブ I- タゾャ と 知識階級との 眞實 なる 協同 を 見ろ に 至ってる ない 

^である? (ほ?ー 一) 11 逸で は. 革 4 叩 中に おいても, また 或は 特 命 後に おいて、 大舉 は殆ん ど社會 主義 反 封 運動の 淵 



装の ような 觀を呈 してきた。 It 逸の 知識階級の 人々 が, 如 M に社會 主義 を 僧 ひの 念が 强烈 であるか はノ 私は獨 逸に.^ 

ろ 間に * 寧ろ 私の 想像 以上に さへ 出て るるの を 見た。 ェ ルツべ ル ゲルの 殺戮 國 として 知られて ゐる オル ゲッシ (org 

anization Escherich) のー圑 なぞ は、 獨 逸に おけろ 猛烈な 反社會 主穀圑 であるか. そ は 矢張り i^t 宫 その他の 知識^ 

级 によって 組 IS されて るろ ので あろ。 英國 においても 事情 は 同 二であって、 大舉救 授は舊 によって 資本主義 經濟^ を 

講じつ、 ある。 シド 二 ィ*ゥ ツエ ヴの名 を もってしても、 倫 敦大舉 では 到底 代議士 當 選の 見込がない ので 彼 は旣に モ,^ 

舉區を ダラ ム に變更 すろ の 止むな きに 至ってる るので ある G 

(註 二十 〇 凡), k:. Marx, Del- achtzehnle IBrii ョ aire des Louis BonapafteJS. 14-5 

Adler, J) r S (一 zi 己 is2-s uiid die Jntellektuellen, S. 

SD 1 ) N. Leni-1, Des n:ichsten Auf お ibeu dcr Scwjet-Macht, S. 7 ff. 

(註 〇〇) The New Policies of Soviet llusia by Lenin, w-khari=, Rutgers, p. 84 

七、 

知識階級が 階級 鬪 爭に 面して 如何なる 態度 をと る もので あろ か.、 の 問題 は、 私の 考-じ は 一 樣には 云 ひえられな いこと 

だと 思 ふ 。- 少 くと: ,0 それ は 三つの 場合に おいて 相逹 する" 一 は その 階級 鬪 爭が如 何なる 方法 狀態 または 戦術の もとに 

行 はれる かの 問 超で ある。 つまり D シ ャ革 命の ように 暴力 的に 革命の 行 はれる 場合と、 社會 革命の 社 會的條 件が 爛』: 

すろ の を 待って 行 はれる よ、 フな 場合, 言 菜 を 換えて いへば 社會 革命が 殆んど 自然 的に 行 はれる ような 場合と によって、 

S 識 階級 度に 相 遠の あろ こと は 何人に も 相-像され ると ころで ある。 即ち 後者の 場合に は 知識階級 は-ての ブル., チ ョ 

ァ的 執着の ために 最後の 反動 を 行 ふ. にしても、. この場合に は 知識階級の 歩調 は大に 亂れ. ^ものと 思 はねば ならぬ。 と 

ころが 前者の ような ^INC に は、 プ ロレ タリ や 階級、 特に その. 前衞 としての 一圓 か ciilf 力に よって 革命 を抬 一港し、 且つ 攻 

治 上に プロレタリア —トの 獨 裁 政治 を ig いて • 勞働: 逸 動の 側から 知識階級の 一部 を 排斥す るので あるから、 かかる 革 

命に 對 して 知識 階 殺 か、 新社會へ 6^^熱に燃ぇて、 夾- るべき 社會 9 ために 自己 機 牲を惜 まない 人で ない 限り そ は勞蟹 

-者側14ー扠對すめもケと8^はぶサればなも-^^?のズぁる。 第二 ^;集合 は li じく 知 難^ 教.. つても ノモ. 9®4 は 一?.^ や 



、 j の《 ^が f 。 s ち. Ml^s 謹夸 tif s 別が これであって、 an^. iw0 

^ 度から 經濟 的、 攻治的 • まな は 社會 的に 相 當の利 盆 を うけてる ろ ものの ある こと は事實 であるし, こ n 等の; <々5 多く 

は 資本家 旳社會 に 適すろ 知能 を もち、 且つ この 社會に 迎合す る ことによって その 地位 を 保って ゐる ものであるから、 

つて 勞働 者が 勢力 を 掌握す ろ社會 において、 その 現在 保有す る 地位な り名簪 なり、 利^な り を 喪失す るで あらう こ 

. と は 明白で あろから、 乙の 自意識 からして これ 等の 人々 が 階級 鬪爭の 前に 資本家の 擁護 君と して 立つ トい ふこと は 寧 

ろ 自然の 現象で あると • 見なければ ならない。 これに 反し v.^ 下歷 知識階級に 屬 する もの は、 社會 革命が 行 はれなくて 

も、 旣にブ ロレ タリ ャの 地位に 沈 落して ゐ るので あるから * 現代 社 會に對 して 勞働 者に 近い 不満 を もってお り、 且つ 

未来の 社 畲二對 して 格別に 失 ふことの 恐れ を もって はるない ので あろつ 從っ てこの 階級に 屬 すろ 知識 階 殺の 心理 は 前 

者 ^場合と は决 して 同一 に 動く ものと は 思 はれない ので ある。 第三の 問題 は 階級 鬪爭の 過程の 問題で めろ ^ 即ち 今日 

の 社 會がマ ー ク、 スの いふと ほり 階級 鬪爭 の社會 である t しても、 その 階級 鬪爭 の當時 者た る 階級の 分解が どれ だけ 深 

刻に 行 はれて ゐ るか、 また 知識階級 自身が その 鬪 爭に當 つて 事實上 どうい ふ 地位にまで 押し進められ たか、 とい ふこと 

によって 知識階級 自身の 自 紫の 程度、 覺 悟の 程. お、 斷 念の 程度が 相違す る ものと 思 はねば ならぬ" しかし 知識階級の 內 

部に 於け る 階級の 問 超と この 第三 即ち 階級 闘爭の 過程の 問 超と は必 すし も 別問題と いふ わけで はない。 作 故 力と いふ 

に、 知識 階极 自身 S 問に 種々 の 程度が 出来て くる 原因の 主要な もの は、 矢張り 資本家 的 社會の 進化 過程が 相當に 熱した 

こと を 意味し、 從 つて 階級 闘爭の 過程 もこれ に 伴って 深刻化し てるろ もの 思 はねば ならぬ からで ある." 棺 して レ へお 

階級 闘爭の 過程が 相當に ^ 刻 化して、 從 つて 知識階級の 一 部が 純然 仁る ブ 口 レ タ リア, -トに 落ちた 場合に、 階級 鬪爭 に 

對 して 知識階級の 心理-か 如何に 動く であらう かとい ふのに * 知識階級 は先づ 最初の ような 遊戯的 氣 分から 脫 する。 そし 

てこの 問 超 を 自己の 問題で あるとまで 意識す るよう になって くる。 そうなる と 彼 は 彼の 周 園 を 見渡し 且つ 自分自身 を 

內省 すろ 機 會を與 へられる ので ある OR 省した 時に、 そして ある 一 部の もの は 「自己.! を 越ん て來 るべき 社會を 達観す 6 

こめに • ある もの は 来らん とする ものに 憧憬す るた めに、 ある もの はた だ 古る きもの へ の 抵抗の ために、 ある もの は^ 

命の 成 行に 觀念 する ために • 階教節 爭に對 して それん、 の 程度に おいて 自己の 態度 を诀定 する ょラ になる ので ある。 そ 

して その iis 築 は、 S 識陪极 自身 e.,^ 裂 を來す ことと なる ので あろ。 詳しくい へば 上极 知識 階极の 大部分 及び 下 魇知職 



保守 分子が 狭 色 を 明らかにして ti&i 運 Si への 抗議と 僧惡 とのた めに W ち * これ 等の 階級に 通じての 争 5 進 主義者 または 

最下^ 知識階級 S 大部分が 勞働 運動に 投 すろ ことと なる ので ある。 共產黨 宣言のう ちに、 階級 鬪爭 がその 诀定 的の 日 

に近づくに從って*支配階級の^に分裂が行は.;^、その 1 小 部分が 革命 階級に 參加 する ことと なるとい つてる ろ こと は 

(Jt 卅三) 必す しも 知識階級 をい ふて ゐ るので はない が、 私の 以上に 述べ てきた 時期に 相 《:s する ものと いはねば ならぬ 

今 H の歐羅 e の諸國 における 陪教 S1 爭 及び 知識階級の 地位 は * 丁度 この 時期に 别 達して ゐ もものと 思 はれろ。 私 は 

旣に 英國の 知識階級が 一八 八 〇 年代の 遊戯 時代の 後に 反社會 主義 思想の 支持者と なった こと を 述べ、 また 獨逸 におい 

て もそう いふ 事實の 存在す る こと を 述べて きたので あるが、 しかし. 現代の 資本主義の 諸國に 起って るる 知識階級の 蓮 

動 を、 過去から 現代への 眼でなくて、 現代から 未来への 眼で 見る と、 旣 にこれ 等の 知識階級の 間に も 新 運動の 若葉が 

芽ば えてる るの を 看 逃す こと はで きないの である。 新 運動と いふの は 知識 階教の 分解 運動な ので ある。 英國で 見る 

と、 大舉 生の 間に 可成り 有力な 社會 主義 圑が 成立して 相應の 活動 成績 を 奉け ており、 -、 g 一 S) 上層 知識階級の 間で も 

最近に 勞働 運動の 側に 立つ こと を诀 し" 若しくは 進んで 努働 運動の 戦士と して 働いて ゐる もの も少 くない。 ァス キス 

內閣の もとに 睦 相であった ホル デ I ンの ごとき、 また 自由 黨 から^ 働黨及 共 產黨に 投じた ト レヴ エリ アン * ゥ エツ. チ 

ウッド、 マ ー ロンな; V がその 著しい 例で ある。 そして 知識階級の 職業 團體. か、 勞働黨 または 勞働 組合 運動に 參 加す * つ 

傾向 も 々顯 著で あら。 新閉 記者 組合、 敎員 組合. 書記 組合、 技術者 組合 なぞが それで ある。 蜀逸 でも 近頃 大學で 政治 敎 

育い 獎 P される よ-つに なり、 ベ ァ ムテ 運動と 勞働者 運動と が 提携し、 敎員圍 と社會 主義との 結合の 現象 さ へ 現 はれる 

ようになった。 昨年 基督 降誕 祭に ドレ スデン に 催された 『文化 日』 (Kulturtag) の ごとき は その 一 例で ある 

(拄 # 二) K:osmnuistiacl5 Manfe;arB.WS 



ff^3 -の 運動 .il.- 、ゥ ネィ w コ す-^ ミ^ 指導者 ミ して、 小へ ンダ, < ン、 小 グライン ス なぞが 活動して. Q る。 

ここで 私の 議 ii は, も 氏に よって 提供され た 問題へ と 入って §: 順序に なって きた。 第一 は 知識 階 殺 -屬 する も 

のが 勞働 運動に 貢献す る ことができる かどう かの 問題と 私 は 解す る。 第 一 一は 階級 または 階級 闘爭と 文化 ,5 -」 

の關 係の 問 超で ある。 

有 島 氏の 提供され た 問 超の ラ ちに は、 私に は 二つの 混同す ベ からざる ものが 混 Ipv- れ てるる ように 思 はれる 。即ちお 

島 氏の 個人的 立場と 知識階級 そのものとの 同一 親が これで あろ。 有 島 氏 は あろ?! 合に は 自己の 名に おいて 云々 し、 或 

ろ?? 合に は ブル, チヨ ァ、 ィ ン テリ ゲン チャなぞの名にぉぃてぃってゐる0有^:;;-氏自身は前にも述べたとほり知識ぁろ人 

であって、 同氏が 縱令財 產を投 け 出す ような ことがあ つても- 尙ほ 『知識と 思想』 とが 殘る こと は 疑 S 餘地 のない と 

ころで あるが- しかし それだけ でもって、 有 島 氏が 一 知識階級』 に屬 するとい ふわけ に は ゆかぬ。 何と なれば^ 識 

級と は、 若し これ を 階級 だとい ひうる としたら、 ただ f 知識. か ある 階級」 とい ふ 味ではなくて、 『知識 i を寶 つて 生 

活を支 へ る 人で あろ ことか 必要 條件 なので ある リ だから. 口 ス チャイルド なり、 ス チン ネスな り、 D ック フェラ ァ なり 

岩 崎小彌 太な りが^ iw: に 多くの 知識 を もって ゐろ にしても、 それ は 知識階級でなくて 資本家 階級な ので ある" 冇島氏 

のよう な 人 は、 階級 分析 上に ほ甚た 面倒な 地位に ゐ るが- 同氏が 知識に よって 生活す る 職業 人 e ない 以上、 資本家 階 

鈒に 屠す る ものと 見なければ なるまい と 思 ふ。 だから?;^ は 現代 社會 階級 分 折の 場合に、 有 島 氏 を 知識階級に 人れ て 論 

ん する ことが 當を 得て ゐな. いと 思 ふので ある。 また 假 りに 有 島 氏.^ 知識 識 階級に 入れる M とに 意 同す るに しても 資 



氏 は 普通の 知識 勞攝 によって 衣食して るる 職業的 知識人に 比べる と 全く 別の 地位 境遇に あり • 從 つて 階級? 1 爭 への 打 

<|^5の心理が他の知識人と同1 でぁると見、 有 島 氏が 自分自身 『生れ 且つ 育った 境遇, i を もって 他の 钮識 人の 『生れ 

且つ 育った 度 遇 J を 類推す る こと は大 なる 閒途 であると US- なければ ならぬ 「 また 從 つて 有 島 氏に とって 『越 ゆべ から 

ざる もの」 となって ゐる毛 6- も、 他の 知識人に とって は必 すし も 『越 ゆべ からざる もの』 であると はいふ ことができ 

ない ので ある 

そこで 問 超 はん 個人の 問趙と 知識^級の 問 越と を區 別し なくて はならない ことと なる ので あるが、 知識階級に 

魅す る ものが 勞働 運動 若しくは 社會 主義 運動に 參加 する ことが T 越 ゆべ からざる もの』 を 越える とい ふこと になる で 

あら -フ か。 或は それが r どんな 偉い 學者 であれ * 思想家で あれ、. 運動家で あれ、 頭粱 であれ、 第四階級 的な 勞働 者た 

る ことなしに- 第四階級に 何もの か を寄與 すると 思ったら』 そ は 『明らかに 潜 上 沙汰で あり、 「若しくは 『第四階級 

は, ての 人達の 無駄な 努力に 依って かき 亂 される の はかま はない もの 一 でめら うか" §s また 『ュ ー トビ ャ 的な 社 

會キ: 義 から 哲 的の それにな り、 遂に 科 寧 的の 社會 主義が 成就され たと はいへ * 舉說 としての 社會 主義 は 遂に 第 四^ 

級 自身の 社會 主義で ある こと は出來 ない』 であらう か。 は ニヤ 5 

(註 卅五) 「改造」, 一月 K 「一 つの 宣言」 

fesc 「大数」 一月 號 r 藝; r.i 就て 思 ふ」 

こうい ふ考方 は, 少く とも マ ー ク スの考 方に 似た ところが あろ。 マ ー クスは 《きって 勞働者 階級の 解放 はた だ 勞働希 

自身に よっての みなしう る (Die wefreiung-der Arbeiterkli ひ kaiin imr das Werk der Arbeiter selbst sem) と いった こ 

とが ある。 そして このき i は诀 して 軍なる 片貧片 句ではなくて、 マ ー タスに とって は、 彼の 科攀 的社會 主義の 精一 ポ.^ 



^ 表明してゐるものにほか^?なぃのでぁる.^ 共 產黨宜 首に 凡ての 階级 のうちで ブ 口 レ タリ ャ 階級 だけが 眞 革命的 階 殺 

ハ eine \V irkJihc revolutionare Klaase) となる ことができる といって ゐ るの もこれ と 同じ 意味で あ ると 甲い" る 。91 ャ七 

つまり マ. I タスに 從 へば、 資本家 社會 において 絞 取され てるる のはブ ロレ タリ ャ 階級で あり、 その 階級 は實 本家 的;: B 

會の 進む に從 つて 增大 し、 結局 資本主義の 倒壊な 來す ことによって 新 社會が 生れる ものであるから- この 新社會 への 

革命的 勢力 は 他の 何れの 階級で もなくて プ 口 レ タリ ャ 階級で あり- また 新 社 會の耍 素と なる も. 5 もこの ブ ロレ タリ ャ 

階級に ほかなら ない と考 へたので ある" 即ち.マ.|クス以前の社會主義または社會改^^家の考へたょぅな{仝想* 慈善-、 

ファ ランス テ ー ル- イカ リア なぞの 理想 村の 試みに よって は實 現ので きる もので はない とともに、 中等 階級の 一 部の よ 

うな, 縱令 階級 飼爭に 面して, 支配階級に 反抗の 悠 度に 出る ことがある にしても、 それ はた だ 中等 階級と しての 自己の 

地位 を 機 持し、 若しくは 回復す るた めの 目的から きて, ろ 以上、 それ はもと,..^ 革命的ではなくて、 却って 反:^.? な 

ので ある。 從 つて 無産階級の 解放 は 無産者 階 殺 自身の 力に よってで なければ ならぬ とい ふたので ある。 繰返して いへ 

ば 社會の 歴史的 進化のう へに 社會 主義の 基礎 を 匿いた のであって- ここに マ ー タスの 社會卞 -義 が科學 的社會 主義で あ 

ると いふの 理由が 存在す るので ある 。從 つて マ I タスの 考 は. 一 方に 空想 主義— この 時代の さ 想 社 會社會 主義 運動 は 一 

種の 中等 階級 速勳 であつ; i を 排斥 するとと もに- 中等 階級が、 尙ほブ ロレ タリ ャ 階級 そのもの となって る 

ない 以上、 階极 として は 革命的 精神の 持主で はありえない とい ふこと を 論じた ので ある。 從 つて マ ー タス、 そして ェ 

ン ゲル スの 意思 は、 決して 甞 つて 中等 階級に 属して ゐ たもの.^ 悉く 勞働 運動から 排斥し よ. フと 企てた ものと は 思へ ぬ 

若しそう だとしたら マ ー クス • ェ ンダ ルス 自身が, 最 先に 社會 運動から 手 を 引かねば ならかった 害な ので ある 特に 

マ 1- クス はこの 場合 • 知識階級, もっと 正しくい へば 知識, 5 職 人 を. 勞: 连 動から 排斥した もめと 思 ふべき 理由 は存 



在し ない。 思 ふに マ. I タスが 共産 紫 宣言 を發 表した 時代に は、 まだ 知識, wir ..に 入の 数に 甚だ 少く * 從 つて 知識 あろ も 

の は カウ ッヰ ー が 述べた ょラに * 力で あり、 幸福であった 時代な ので あろから、 今日の ように 知識階級が ブ レ タリ 

ャ 階級に 沈 落して ゐ<- 時代と は 同 一 に 論ん する こと はで きないの である 

(註卅 玉) Kolllu&ni,tisclle Mnnifest, S. 3 ひ 

(註 卅六) C- ョ mtsist Manifesto, IC つ rr edition, p- r8 

近代 勞慟 運動の- フ ちで * 知識階級に 對 して 不信の 態度 を 明白に したの は、 人の よく 知る とほり サン.、 チカ リズムで あ. 

ろ 。ラ ガルデルの ごとき • ソレ ルの ごとき は それで ある。 ソ レ ルに從 へば、 勞 .働 者 階教. か 思想 階級の ごとき 弱者の 道德 

に^ ふような ことで 革命的 サン V 力 リズム は 不可能で あると。 S? さ しかし サン.、 チカ リズムが 知識階級 を 排斥 

するとい ふこと について は、 少く とも 二つの ことが 考 へられなければ ならぬ- その 一 つ は フラン ス における 特種の 狀 

悠 である。 その 二つ は サン ダカ リズムが 排斥しょう とする 對 象の 實體 なので ある。 先つ 第一の 方から 觀 察する が、 レ 

パインが 甞 つて 指摘した とほり、 サン * チカ リズムが 佛蘭 西に 發 達した の は * 少く とも 一 つ は佛蘭 西に おけろ 特種 狀怒 

の 存在に 基 11 して ゐろ 見なければ ならぬ。 S ーラさ そして その 特種 狀 態のう ちに * 少く とも 知識 階, # の 不信と 非 革命 

的 gl 度と を 計へ ねばならぬ。 ミルラン、 ブリア ン、 ヴ并ヴ 井ァニ は、 その 不信の 知識人と しての 典刑丄 である。 議會的 

社會 主義の 指導者の 妥協 的您度 は 革命的 サ ンデカ リズ ムを 奉す る 一 派の 人々 の 精神と は 到底 兩立 する ことかで きな-' 

ので ある。 しかも 議會 的社會 主義の 指導者の 多く は 知識階級の 人々 —— 辯 護士、 醫師、 新聞記者、 大 學敎授 なぞで ある 

から、 これ 等の 知識階級への 抗議が, 革命的 勞働 運動の 側から 提唱され たる こと は 寧ろ 自然の 結 51- である 。從 つてこう 

いふ 事情 は 他の 諸國 では 洛 易に 考 へる こと はでき ない。 例へば 英國で 見る のに、 勞働 運動の 指導者であって、 最高の 

地位に ある もの は 多く は. 體カ勞 働 者 出身で あるから である。 且つ 體カ勞 働 者 出身で ある こと は 英國の 勞働. 連動 を 革 

命 的たら しめてる る 所以でなくて * 却って 妥協 的 * 日和見 的と ならしめ てるろ のが 事實 なので ある) 現に 英國 におけ 

る 勞働黨 の 指導者が 主として 體カ勞 働 者 出身で あるに 對し、 共産 主 一 _ 我 運動の 指導者の 多く. か 知識階級に 凰す る 人で あ 

るのに 見ても 了解され ろで あらう。 §i 第 一 一に 注意すべき 點はサ ン.、 チカ リズ ムの 排斥 せんとす る對 象の 內容の 問, 

6 題で あるが、 ソレ ルに從 へば、 彼の 所謂 知識階級と は、 思想 を 職業と する もので あり I 且つ 『食 族 的 俸給 J を 受取る 

人 をい ふので ある。 SE+,) 從 つて ソレルが 知識 階极 といって ゐる 場合に は、 今日の 知識階級の 大部分の 場合に は 常 



46 



符 まろ 議論で はない。 また 彼の 意 ST か,' ^働 運動から 一 切の 知識階級, 例へ. は 小學^ ^や, 書記 や、 新 間記荐 なぞの 

所謂 r 食 族 的 俸給? を 受取らない 人々 を も 排斥す るに あると はお ^ ふこが できぬ、 特に 彼 G 排斥し よ? とし > 1 

革命的 精神な のであって、 勞働 運動から、 革命的 知識人と しての * マ ー クスゃ エンゲルス や、 リ. I フ クネヒト 父 千 や 

パク 1- ーン や、 レ クルス や、 クロポトキン や、 レ -ーン や、 トロッキ 1 や、 ラデック、 ブ ハリン や, ラガ ル デル や ベ ル 

チクェ そして ソレ ル 自身 を 排斥し ようと 考 へて ゐ たもとの は 思 はれぬ。 最後に 注意 を 要する こと はサ ン.. チ カリ スムの 

,s 斥 せんとした ものが、 知識階級の 勞働 動への 參加 そのものでなくて、 知識階級 によつ マ 指導され る ことなの であ 

る。 知識階級 を勞働 運動の 指導 階級と すろ ことなの である。 

(註 三十 七〕 BQrl, Kefiectiog on violeuce, pp. 

(註 三十 八) "evine, syndislliBHl in Fsnce 

(註-一十 九) 英國勞 働 靄で はス マ ィ サイ、 ホクゲ エス、 ヘン ダス ン、 クライ ソス、 ト." マス、 カメロン、 ダンカン, ゴス--, ン^^ 

等み な體 カ勞働 者お 勇で あろ。 共產 黛の 指導者 マ クタ マナス、 バタ ャ、 メラ ァ * インク ビン 除名 さ. vf,: 力 I 

ス 等み な知载 階級の 人々 であ あ。 

(註 四十) sorel, op. cit. ,p. 

島 氏の 問題 はもつ と廣汎 な. 概念的な 問題で ある。 有 島 氏に 從 へば、 一、 知識階級 は 必然的に ブル. デョァ 階級で あ 

る 。二、 この 階 极に屬 する もの は勞働 連動の-理論的 一 i^J 際 的、 指. It# となる こと はでき ぬ。 三、 こ?^階极に,齒すろ人々カ 

勞働迷 動な り 若しくは 第四階級の 文化; IS 動に 加 はる こと は 越 ゆべ からざる もの を 越える ことで あろ。 四、 知識階級に 

屡す る もの は 財産の 有無に かかわら >勞働 者と は 全然 別の 世界の 人間で ある。 

これ 等の 問 超のう ちで. ある 點 について は旣に 先き に 私の 意 を 述べた からこ 二に 繰 返さない。 私3兒 ら ところ 「- 

は 平常の 有 島 氏 は 多分に 理想 主载的 色彩 を もってる たようで あるが * 級 11 爭と 知識階級との 1: ,係に つ いての 氏り 

悠 皮のう ちに は、 却って 多分に に 唯 物的 傾向が 見える。 即ち. 島 氏に 從へは ブルダ ョ ァ階教 なん 財產 階級に, おする も 

の は、 そ3所^するものからの<^1$^^ケ、 精神の 働きのう へに * 必然的に うける ものであると いふの" 一 则提に 立って るる 

ように 見える- 若しそう でない としたら、 ブルダ ョァ 階級 S 出身者 は、 必然的に ブル, チヨ ァ*ィ ディ ォロチ 1 の 所存 

であると する 二と はでき ないから である" また ブル ヂョァ 出身^ か 必然的に ブルダ ョァ • イデ ィォロ チイな もって ゐ 



47 



る もの: u としなくて は、 有 島 氏の 議論 は 根本的に 成立し ないから である。 また それでな ぐて は、 钮識 人が 勞働 運動に 

參 加した 時に、 それが J 越 ゆべ からざる もの を 越えた」 とはい ふこと がで きないから である。 

私は必 すし も 有 島 氏の 立場の 凡て を 否定しょう とする もので はな い。 有 島 氏の 考の うちに は 私の 多分に 理解 もで き 

同 もで き、 1^ は贊成 もで きろ 點も ある》 特に 勞働 運動が 流行 期に あるよう な. 場 4 口- ii^ しく は勞働 運動の 勝利が 近づ 

いたと いふよう な 場合に は、. 何ん S 確信 もない 人、 ^働 運動に ついて 何の 理解 もない 人, 勞働 者の 生活に ついて 何の 

同情 もない 人、 若しく、 は來 るべき 新 社 "について 燃える 熱 もない 人達が、 襟々 の混雜 した 心理から • 特に 政治. 上の 

野心 または 物質的 野心から、 勞働 運動の 側に 立つ ものが 少 くない。 こうい ふ 場合に は、, これ 等 S 人々 の勞働 運動 はい 

ふ 走で もな く 勞働者 階級に とって 有害であって- ^島 氏の 所謂 越 ゆべ から ざら もの を 越えた とい ふこ =v こなる ので あ 

る 。私 はかくの ごとき 種お S 知識人の 勞慟 連動に は 何の 同情 ももと よりもって は *Q ない。 そして 私 等 自身が 

そうした 人々 の 仲間の 1 人で はない かとい ふこと を さへ 常 に 反省す る だけの 用意 はもち たいと 思って るるので ある。 

また こラ した 野心な り、 利 ヒ 心の 持主で なくても、 知識階級が 尙 ほお 惯 的に でき 上った 自尊心 を もって、 自分" 右し く 

は 自分 等の 仲 問が、 體カ勞 働 者に 比べて どこか 優越な 人間で あると 意識して ゐる間 は、 彼等の 心 は 第四階級の 心と 通 

する こと はで きないの であろ。 こうした 心が 知識階級の 11 に殘 つてる る 限り、 怫蘭 西の 社會 5 おが 甞 つて 經驗 したよう 

な勞働 連動の 『二つの!^ Ji は どこまでも 調和す ろ ことので きない r 二つ 6-12= として 績 ,0- ねばなら ぬので あら。 また 

!^^E^4^かぃったとほ,り、 ブル.、 チヨ ァ 階級に 靨す る 知識人 は. 縱令财 麓 を 失っても 尙ほ 『知識と 思想 1 とを殘 して ゐる 

ので あるが、 その 知識と 思想と は、 • 臊刖 として は、 資本家 社會 S. 要求に 從 つて、 それの 生產と 政治と 社會 生活と に 適 

應す るよう に^ 成された ものである。 特に 政治 舉ゃ 經濟 3^ は赛ら ブル.、 チヨ ァ 階級.^. 1 ディ ォ 口.. チイの 組 織 なので あろ 

否、 ^舉 でも、 511: 一 術で ち、 宗敎 でも、 主として ブル. チヨ ァ社會 の 原理 ふ 秩序との 維持 者で める 5 が 現代の 嚴然 にる 事 

責 である 以上、 こうした ブル ョァ 的の 『知識と 思想』 と は、 ブロ レタ リア— トの新 社 會に對 して は 何の 役に も 立た 

ない ばかりでなく、 甚だ 有害な 毒素で ある。 從 つてこう した. 『知識と 思想』 と は, その 持主 をして ブ ロレ タリ ャ から 

隔絕 離反せ しめろ 要素と しての 役 剖を演 する ものと 見なくて ならぬ。 有 島 氏に しても、 若し 氏の 自ら 云って るろ とほ 

り、 氏の 今日の ブル、 チヨ ァ的 環境の もと lt 氏の 思想と 知識と が 存立して るる ものと したら、 有 島 氏の もって ゐる、 

『知識と 思想』 とも 同じく ブ P レ タリ ャ 運動に 有害な ものであると 云はなくて はならぬ。 



しかし 私 はこ こに i<s か 個人の 問蘧を 諭す るの が 主眼で はない-。 私の 論じよ * ジと思 ふの は 知 譖 階^と ブ 口 レ タリ ャ 

4 との 關係 なので ある。 知識階級, t の ものの 立場に ついては、 私 は旣に 私の 觀察を 述べ てきた。 即ち 知識階級と は 彼 自身 

ブ ロレ タァ 階級な ので ある。 これ をブロ レ タリ ャ 以外の 1 階級と いふ ことが 誤りな ので ある。 從 つて 知識階級が 勞働 

運, 二 加 はろ にしても、 第四階級 運動に 對 して 他の 一階 級が これに 參加 すろ のではなくて, 第四階級 そわ,: m 身の 運動 

なので ある。 從 つて それ を 第四階級に 對 して は 越 ゆべ からざる もの を 越えての 運動で あると 見る こと はで きないので 

ある しかし 問題 は ただこれ で 終った と 思 ふと 矢張り 誤りで ある。 何と なれば 知識階級に 屠す る もの は尙ほ 彼れ と 同 

1 階級に 厘す る 體カ勞 働 者と を 別種の ものであると 意識し、 或は その 意識が 殘存 して ゐる 以上, これ を SBf なろ 經濟上 

の 理由から 見て 體カ 勞勳 者と 全く 同 一 物で あると 見る ような 平面 的な 考方 は複雜 な社會 事相と 兩立 する こと はでき な 

いからで ある。 

私 はこの 點 において、 少く とも 第四階級 を 二種に 區別 しなければ ならない と 思 ふ ものである。 ^識:^ ブ ロレ タリ ャ 

と體 カ的ブ ロレ タリの 二つが これで あろ。 從 つて そこに は 別種の 職分が 存 する ものと 見ねば ならぬ。 從 つて 知識階級 

は 今日の 瓧會 においても、 また 新社會 への 過渡期に おいても、 別種の 職分が 與 へられて ゐ ると 見なければ ならぬ. - し 

かし 別種の 冁 分が 存 するとい ふ こと は知鐵 階級が 勞働 運動に お て い • 體 カ的ブ ロレ タリ ャ と 協力して ならな いとい T 

の 意味で はない。 否. 正反對 である。 知識が 勞働 運動お いても、 來 ろべき 社會 においても 必要な ものである 限り、 知 

識 人の 職分 は 存在す るので あり、 また 從 つて 知識人 は 要求され ねばなら ぬので ある。 否、 カウ ツキ— の 指摘して るろ 

とほ fo -、 知識人なくて は 生產は 全く 不可能な ので あり、 知識の 要求 は^々 增加 すると も减少 する こと はありえない の 

である。 (*st ご そして 過渡 時代に おいて、 想 カ勞働 者の もつ 知識 は * 知識 的ブ ロレ タリ ャの それに 比して 優越で ない 

ものである 以上、 この 時代に おいて は、 資本家 社會 においての 知識人が 需要され ねばなら ぬので ある。 レ 一一 ンが專 問 

家 を 優遇せ なければ ならなかった の はこの 車實の 何よりの 裏睿 である。 

そこで 私 は 次の ごとき ことか 云 ひうる。 資本家 社會 から 次の 社會 への 過渡 時代に は、 知識階級 は勞银 運動に 對し重 

要な 役割 ももって ゐ ると。 

V 註 w 十 一 ) Kalky, dea Proletariats, (室 伏 ® 信) 

: の 問理は 尙ほ餘 旨の 半ばに 逢 しれだ はで ある、 次 は主ミ して 來社會 に M する ものであるから 次 號に譲 *、、*、、 しね 



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至柬柬 
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の?!^ 時 臨 別特但 
く 殳 申に 別 は 債 



▲ 誌代に 攘て 前金 ▲ 郵券 代用 I 割せ 

為5^」金は可成振替 外國 行, 齔稅 

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加 
田 

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伏 

高 

信 












伏 

高 
信 



社 評 批 



May Day 

The song of the world' s awakening 
Shall be sung by the Quciii <;f the May. 
For that, with its news む f Iier -ladness, 
Is the song of the < Idest d.iy, 

Jis the voice of the Maiden singii、g 
('From the East to the west is it f.ir?) 
The song of a 8oul with its dwelling 
Where the homes of the angtla are. 

Forever increasing in volume 
Sustaiiud jukI u[)b()rne hy the throng, 
Is the treiiuilou^ note of tiio singer 
Whose vuice is a river of song. 

The face of the Earth is gladdened, 
The depth of the Earth are stirn.d, 
The beat of the heart in her bosom 
Is stayed by the Angel' s word 7- v -: — 

丁 he note is upheld by the clvorus, 
The tiemple is in the refra.ii. 
Oh, blessed are we to l>e lie:irir.g 
Of that uhicli recall eth again, 

To the raind of the Mother 01 jfotbers 
The '])ealing of bells in the morn, 
The nclls that prtlud し' cl her wedding, 
And luld- of the child to })e horn, 

There is promise of life in the 1110? ii^'e, 
Of love ill the (lark は of days, 
And, fu.-t as her tciir.s arc falling, 
HtT voice is upIit'UcI in priiise, 

Our Queen on the threshold >t;iii(lii,g 

Oil Life, it is good to be lair, ! 
If all that we love could be sirg n r, 
L fe , Lite, it 、vere good to ther?. 



Km est KadforcL 



信用 社會 主義 

—(英 國の 新社會 主義 運動 )ー 

171 テ ノウの 社會 想に 引! て、 は尙ほ fgj?- の 社 食 主^ 運動 マ』 その 理論 ミ につ いて 招 介し n い ミ思ふ ものが 數多 ゎリ、 ラ 

1テノゥの、、>,にっぃで、,?^^_」研究|表1§享21ふぁできが、雜§茛の關係上思ゃ」任^ いか 

ら、 ::に は^の 針會 想の 再 蓬 勧の 第二 囘 H として、 英國の クレディ クト 運動の: > 、^話しお ぃミ思 ふ。 、、のさ *^ のこ ミは 

が 外遊 前から 興味.^,. つて 眺めて/ 3;.: ミ、 、るで. 拙ぉ「ギかド社會主^^」第一 卷のぅちにも少し^かリ、、の問題に稱れ^ぉぃ 

れ。 しかし; si の 知つ ズ ねる 範 国 では、 その後、 その 前に ュ無? -1、 日本で、、 の 問 ® についての 研究^ 發 表しれ ものがない f* うに 

思 ふ アダム • ス ミス や" 力 アド や バラ ノウ スキ. I なぞ に ついては、 多くの 者が 相爭っ V 、研究す る、、 V 誠に 壯觀 でもろ が 現 

代に 新與 して. Q る 新 »說 または 新 a 動に ついて、 多くの 學 だ 鳴り ケ^め てゐる 、、さ 誠に 寂^で わる。 

私の 考 では、 私が、、 れ から 述べ i ぅミ する クレディ ツト 運^ は、 凡ての I- 濟擧 まに は. 砟會 主義お、 或は:^ 會 運動家が、 この 

說に资 成す る もの もしない もの も、 等しく 研究、 大に研究^2|^すろ必^*のぁろ、 舉問上 並に 實際 上、 當 面の 大 問題で ある ミ思 

れ 

一、 

信用 社會 主義へ 註 ごが 最初に 提唱され たの はド ダラス §-) によって" - ある 。雜認 「二 ュ i ェ ー. チ. I における ド グラスの 諸 

め, 5 文に よって 5- あろ 一九 一八 年- ドゲ ラスが この 新 提唱 を 試みてから 、『二 ュ ェ ー ダ』 の 主^ ォ ウレ ー, チも また 

終始 彼と 立場 を 同じく し、 ド グラス 案 を もって ギルド 社會主 凝の 唯一 の 解決 1^ であると なして きた。 否 な、 獨り ギル 广 

社 食 主義に おいて だけで はない, 4> れ. か 今日の 瓧會問 as を 解決す 、ベき 唯 1 の^ 理 であり、 また 實 行し えられる 唯 1 の 



方法で あもとな してき. 勿論こ^ 運動に 對 して は、. ギルド 社 書 主義者 內部 においても 有力な 反對が あり、 n オル * 

ネ ブス ン、 ぺ ン ティ 等 みなこれ を攻窜 し、 特に コ オル はこれ を もって ギルド 社會 主義の 產業 民主主義と は-止 反對 

の 立場に ある もので > 赏際 上に は 役に立たないで, 經濟 上に は 不完全で. 道德 上に は 望ましくな いもの だとまで 痛論 

して ゐ ろので ある。 g£) ナシ ョナル • ギルド 同盟で は、 一 九. 一 1〇 年の 年會 で, 一の 题の 調査 委員 會を 設ける ことと した 

ので あるが、 そして 委員 會はド ダラ 久 案 を もって ナショナル • ギルド へ G 接近に 對 して startiiig-poii 一 t を與 へた もの 

だとな して ゐ るので あるが * 同年 十! 一 月の 特別 會議 では 十三 對 a 十 一 G 大多数で この 委 M きの 報告 を 一 ^し 去つ 

てし まつお ので ある。 從 つての 問題 は、 n オルが 私に 語った ように * ギルド 同盟の 範 li では、 一 應否定 されて しまつ 

たと もい ふこと がで きる ので ある g さし かしこの 問 超 は、 一 回の 決議で 抹殺され る ほ どに 簡箪な 問題で はな い。 

否 過去 1、 二 年の 間に、 社會 主義 理論のう ちで, この 問 题 ほど 盛んに 議論され たもの は あるまい と 思 ふ。 (註, <) 實こ 

過去 数年の 間- この 問 超 は、 英國 におけ ろ 社會主 残理; i の、 燃 ゆる 問題であった。 一九 一 一 !| 二 年が サン デカ》 ズ 

ムの 時代で あると いふ ことができろ とするならば * また 一 九 1 五 ! 一 九 年. か、 L 產業 自治 論と しての ギルデイ ズ ムが 

英國 における 勞働 運動の 急進主義 を 燃やして ゐ たと するならば、 一九二 〇 年 以後 は- クレディ ット 統制 問題. か, 英國 

勞働 運動の 頭 腦を剌 激して きた 時代で あると いふ ことができようと 思 ふ。 ォ ウレ —デは n オルの 批評に 答 へ ていふ。 

「二 ュ |*ェー デ」 こそ ギルド 社會 主義の 父で あり、 コ オルが まだ オック スフ ォ— ドの舉 生であった 時分に、 われく 

は それ を 養育して きたので ある。 ド グラス こそ 最も 完全な ギルド 社會 主義者で あり、 そして コ オル は、 最早 や I ドゲ 

ラス 以前 一 の ギルド 社會 主義者で あるに 過ぎない と。 (ほさ 

(註 一) 私が、、. こに 「信用 社會 主義」 いふの は、 P グラス U 一 1 1 .iHI ゲ計畫 > 、し 知られて. Q る、 信用 社 會化遂 動 及び 

其 理論 いふので ある それ は ギルド 社せ 主義 運動のう ちに 创 生し 生長して きた もので わるから、 ギ^ド 社會 主義の I 種で も 

もが、 》 ^かしこの 新 |^動 及び その 理論が 「信用」 問 超に 根據も 置いて ねる >」 こから、 、、こ LL 「信用 社會 主義」 >J 名 づけれ ので あ 

^ そし それ は 私 自<!« の 造! sa で わ *o I 



(tail) 》r ノラス (PH. Douglas) はも ミ 陸軍 少佐で わる。 彼ば ォ ウレ ー ゲ^ 主聱 W する、 雜誌 「一一 T-.i ま 1 ゲ」 の 寄 害 家 

で わる 

(註 一 二 ドグ ,ス 5;、、 れ 等の 始 文の 多,、 は、 次の 二 のうちに 收錄 されて ねる。 

1, C. H. Douglas, Eoono ョ ic Demoonicy, 1920, 

2, C, H. Dol-glas, and A. R. Otage, CFedit.psver and Democcracy, 1921 

(註 四) 左 著赛 及び 餘文參 照 

1, G. D. W. Cole, Chaos and order in h-dostry 

% S. G. Hobson, Concering credit (The tfuil (一 SFVan April al-1 Jlmo,:n)20 

3, A. J. Penty, Guilds, Trade and Agricult-rci 1921 

(註 五) The Guildsman,Feb.ma.-y; 1921 

(拄 六) Final Reports on the Dol-glas Credit t. cllt-me, by leaker, Ktckitt, am】 Taylpr. 

(註 七) J;^ は 一九二 一 年三月から七月初め へかけて倫^^-レめ.^.:してねたが、 、、の 間 に コ す^ 氏、、」 は數 同 に 百 一って 長時間の 會 i 

^試みた、 その 時 ®ltso 

(注 八) : の IB® にいて は、 英 a は 各地、 各方 研究 首が けられ、 英國 黨も また シ ドニ. i ゥ M クプ 以下 4- 調査 委 A 

に攀 f てね ろ。 ,^ た 最近に は特 に、7 の^: gG-a^lei,:^ ほ V- して 1* 一一 一-二 C vveln-lo が $54 J; されて ねる。 

(註 九) The New Age, IVTarch 24 and October 13, 1921 




會主 tsjsr そ^ « ^将方 aw 意 を 集中して ,9.^ おめ- ^^siitt. < ^す L も 雄大せ もの S4 な 



あろ 意味から い ~ ば, 彼 は社會 主義 を 經接摹 にまで K せし^て るるとい ふ樣 ひがない こと ぼない。 若し" F ダラス や 

ォ ウレ. -. チの 著述 だけによ つて, 信用 社會 主義の 全 構造 を 見なくて はならない とすれば、 そは少 くと も 攻治的 • 社會 

的、 哲舉 的, 若しくは ベン ティの 所謂 道 的 理論 を 欠いて るる もので あろ。 そ は 人間 生活 を S 单 なる 經濟 生活の 方面 か 

ら觀 察して * 碎-濟 生活の 解決に よって, 人?? の 政治的 または 社會的 生活の 目的に 到達し ょラ とすろ ものである。 しか 

しそれ は 政治的な り * 社會 的な り、 または 哲舉 的な りの 理論 を 無: g して ゐ るので もな く、 また 不必要 だとい つて ゐ る 

ので もない。 それ は ギルド 社會 主義の え 者の 一 人で ある ォ ウレ デを 協同 者と する. たけに St また ギルド 社會 主義 

の 畑のう ちに 生れた だけに、 一 種の修正派ギルド社會主^^でぁり、 また 従って その 根本 理論に おいて、 正統派 ギルド 

社會 主義との 間に、 重要な 共通 點を もって ゐる ものである〕 Ka、 その 共通 點が、 彼等の 間で は、 あまりに 明白 且つ 自 

然 であるた めに、 信 ffl 社會 主義 S 建設者の 間に * ^4識的または無意識的に, 識 論の 閑却が 行 はれて ゐろ ともい ふこと 

がで きる ので ある。 

信用 社會 主義 は、 正統派 ギルド 社會 主義と 同じよ、 フに * 個人の 自. から 出發 する。 個人の 自由 は、 その 政治的、 社 

會的、 または 經濟的 理,; is. 根底に 橫 はる。 政治 も, 經濟 も、 社會 も、 た^^^個人の自由のために存在するものでなくて 

はならぬ。 ド グラスの 言恭 でい へば、 制度 は 人間の ために 造られた ので あろ。 人間が 制度の ために 造られた ので はな 

い。 しかも 人間の 利,! まと は- 自己 發展に ほかならぬ。 自己 發:^ は、 宗敎 的で あれ、 政治的で あれ、 あらゆる 制度 を 指す 

る ものでなくて はならない。 だから、 若し 國家 制度に して 人間の 自己^ 展 にお 害 だと すれば 、,そ は廢 止されねば 

ならぬ。 若し 社會 的習惯 にして、 この-原理 を妨 ける ものである とした. ら、 そ は變更 されねば ならぬ" また 若し 放縱な 

疲紫主 殺に して、 その 發達 を禍 ひする としたら、 そ は 制 縛され ねばならぬ。 卽 ちわれ くは國 家からで はなくて、 栖 

人から 建き 上け ねばならぬ また 從 つて 彼の 建設し よ 5 とする 社 曾と は、 フエ ー ビア ン やその 他に よっての ょラ な、 集 

產 主義の 社會 ではない。 そ は 個人の 自發 性の 基礎のう へに、 經濟的 及び 攻治的 再 整 を 行の ものでなくて はならぬ。 

しか I 彼が 個人の 自由と いふ 集合に は、 今日まで、 個人主義の 名に よって、 または 自由主義の 名に よって 知られて 



きた 商業主義、 資本主義、 または ブルダ 3 ァ 自由主義 をい ふので はなく、 これ 等の 經濟 的ォ- トク ラシ. I、 從っ てま 

た攻 治的ォ ー トク ラシ I、 に 封して 經濟的 デモ クラシ ー また 從 つて 攻治的 デモ クラシ ー を 主張す る ものである。 この 

意味に おいて、 彼 は 個人の 蜀立 若しくは 自由の 基礎が、 決定的に 經濟 的で ある こと を 信ん する ものである。 そして 経 ほ- 

的 自由 を、 意識的 または 無意識的に 閑却して、 自由 を 論す ろ こと は、 彼に とって は箪 なる^ 善で あろに 過ぎない。 (*? 一) 

、fc ^卜) レ ー ゲは旣 に 一 九 04" 年の 餘文 (politics for Graftsman, in The Contemporary Review, June 1907〕 のう 5 で 

7 HI ビアン その他の 集產 主義 LL 攻擊^ 如へ、 Arts and Crafts の 立場から、 新社會 主義の 原 «s 要求して ね も (七 百 八十 

二 頁 11 七 百 九十 四 貫 参照) 

(註 十 1 ) Eoonomlc Demoorooy, pp, 5.7 

また 從. つて、 信用 社會 主義 は, 正統派 ギルド 社會 主義と 同樣 に、 現代 社會の 病弊 を, 貧乏の 問題と は 見ないで、 奴 

铼 M にある とする。 奴銶 制度と は、 貨銀 制度で ある。 だから 個人の 自由への 再 整の ために は、 貧乏の 廢.^ の 代りに 奴. 

§ 度の 廢止を 要求す る。 * J の 意味に お いて、 信用 社會 主義 はギ ル ド社會 主義で ある。 しかし 正統派 ギ ル ド社會 主義に 

從 へば * 貸 銀 制度 を廢 止す ろ こと は、 生產 手^の 國^ と、 そして ギルドに 組徵 された 生産者に よっての、 生産の 民主 

的 自己 統制で ある C (*¥ョ しかし 信用 社會 主義 は、 正統派 ギルド 社會 主義と は、 全然 その 立場 を 異にする ものである。 

彼 は生產 手段の 國有 もも 主張し ないし、 また r 生產 J の 民主的 統制 を も 要求して はるない からで あろ。 だから 若し 生 

產の 民主的 統制が ギルド 社會 主義の 要素で あろと したら、 信用 社會 主義 は、 明らかに ギルド 社會 主義から、 區 別され 

ももので なくて はならぬ。 

(柱 十二) The Policy of Guild Socialism, by The National Guilds League 参照 

ミ、 

« 用 社會主 sssT 資本主^の 害 isr 從 つて 新 社 f への 鷉が • 利潤の 简 超で あると もしない。 資本 對勞 動の 直接 雜保 



に あもと もしな ぃ0 また それが 產<?-上 の 行政 18 题 であると もしな V* 

彼れ に從 へば、 今日までの 社會 主義 は, 利潤の 問 S1 にあ まり 重き を き ST きた。 (? 一一 一) 利潤 は, それ 自身が 害惡 であな 

とい ふより は、 利潤の 寡^ 的潢 奪が 害惡 なので ある。 否 * 利潤が 生産への 誘 ^ であるが * 誘引 は 常に 強制よりも I 事 

物を爲 しと ゆ させろ 手段と して は- よりよ き 方法で ある。 利潤の 問題 か * 社會 主義 理論の 中心 を なすこと は、 社會的 

疾病に ついての 無識の 結果で あるに 過ぎない。 (5.5 

(註 十三) バ ゥ レイ 教授の 計 ギレ 從 へば 美 國 で 一 年 一 人 百 六十 傍. s^ae 過す ろ 餘剩收 入の 敏額は 二 億 五 干萬榜 マお る。 從 つて 若 

しこれな 一 千 萬の 家族に 均分す る >」、 一 家族 わたりが、 二十 五碟 である ミ。 

(羊 四) New Age, Julys, 1920, PP. Is 

ギルド 社會 主義 は, 統制の 問題に 重點を 匿いて きたので あるが、 しかし 統制が どこに 存在すべき かの 問 超に ついて 

の 理解 を 欠いて ゐる。 ャき 彼 は產業 統制と いひ、 または 生產の 民主的 統制と いふので あるが、 しかし 生產は 生産者 

によって のみ 行 はれる ので はない。 却って 生產 された 富の 大部分 は 自然 增憤 (ssprned increment) である。 そ は 社 

會の 存在と その 總 活動と に、 若しくは 過去から 承け た 思想と 知識と に 員 ふ ものである" 道具、 機械、 及び 產業 行程と 

は 何 世紀 かに 亘 つての、 人々 の 天才と 思考との 產物 である。 若し これ 等の 過去に おける 人々 の 思想の 寄與を 除いた な 

まして 何 まどの ものが 殘 される であらう か。 然り、 何人も、 その 塵に I したと いふの 理由 t つて * その 生產 

物の 一片— 例へば 機械の 一片が、 自分の 生堯 とい ふこと はで きないの であろ。 I しかも 近世の 協同 的 産業の 

寡 門 的 指導 は、 凡ての 生産者の、 簡單な 賛成 や、 反對 とい ふような 方法に よって 行 はれる ものと 思 ふの は、 箪 なる 幻 

想で ある。 また これ 等の 指導が、 單に專 門 家 を 顧問と する ことによって 行 はれる ものと なすこと も單 なる て ある 

若し 社會 にして、 H に 機械 ex 制から 解放され よま I するなら ぱ、 そ」 て 科 f 豪と S 大な II 用し よ 

ラ とするならば、 11^1^. 完全に S の 理解して ゐる If 据 .<な く はならぬ。 (,) 何とな 

れば、 產紫行 攻の問 BS は、 本 E 的に 技 f 短で あるから である。 c¥6 



(柱十五) OTedi£>ower, P; 129 

(柱 十六) New Age, July 8, 1920, p. 151 

(拄 十七) Credit-Power, pp. 79.8 ひ 

(註 十八) New Age, June 10, 1920, p. 85 

四、 

信 ffl 社會 主義の 特質 は- 資本主義の 害 惡を. 從 つて 社會 主義 社 曾への 鍵 を、 信用 (credit) の 問 題に あると する の 

點 にある。 また, 足って 物 憤の 問 §1 にある とする の點 にある" 彼 曰く T 鍵 は 信用の 統制のう ちに ある』 と。 §i また 

曰く、 こ^ 信 ffl 制度に して 改造 さ;: ろなら、 世界 は、 五 年のう ちに 改造す る ことができ ると。 (註-?) 

(註 十九) New Age, Dec. 3で, 192, p. 102- 

(柱 二十) credit.power, P. 8G 

五、 

社會 主義の 原理な 把握す る こと は、 經濟舉 徒 以外の 人々 にと つて は, 決して 興味 ある 課程で はない。 何と なれ 

ば そ は 先つ 1、 信用 制度の 本質 を舉 び、 且つ 二、 物價の 成立 閼 係 を 理解す る ことで あるか.^ であろ。 

物 1M 問 P と 信用 問 圏と は、 信用 社會 主義に とって は、 循の兩 面で ある。 




近世の 工業 は、 無論 種々 の複雜 した 生 § 程 のために、 多くの 費用 を かける 機械 装 3i や, 動力 や、 光 や、 を 必要と 

する ので あるが、 それ 等の 動力 や 光 や は涫命 S される もので あり • 機械 もまた 破損し、 消耗して、 常に 機械の 修繕な り 



, 取換え なり * 若しくは 新ら たは 勳 力なり が 供給され なければ ならない. ので あるから、 そして 人員と^ 料と が 生產に 必要 

である こと も 勿論で あるから、 生産に 要す >vl 場 費 は 一、 15- 料费 二、 賃銀 及 俸給 三、 設備費から 成立す るので ある。 

ところが 資本主義の もとで は、 生産の 目的 は 利潤に あるので あるが, その 利潤 は生產 物の 價 格から 生すべき もので あ 

るから、 その 生産物の 憤 格に は- 以上の 工場 費の ほかに * 利潤の 要素が 加 はらねば ならぬ。 且つ 生産物が M 螯 者の 手 

に 移る ために は 尙ほ襃 却 费を計 其し なくて はなら ないから、 生產 物の 賫憤 は、 J 場 費、 利潤^^-び賣却費の總計となる 

4K> である。 從 つて 企業の 働きの 結 として. 世界 S 富 は、 この 工場に 使用され る 原料の 價値 を、 その 生産物の 賫懍 

によって 代表され ろ總 額との 相違に よって 增加 するとい ふこと は 勿論で あるが、 しかし こ- -に 確實な 二と は. 1、 

俸給 及び 配當 によって 分配され たもの の 全額.. か、 生産物の! 焚惯 S 總額 より 非常に 少 けない とい ふこと である。 そして 

若し 二の ことが 1 H 場に ついていへ るなら ば、 そ は 凡てに おいてい へ る ことで ある。 卽ち この種の 製造 行程に おいて 

支拂 はれた 金の 全額 は 明らかに 生産物^ 黉. 慣ょり も少 けない ので. める。 6 一 + 一) 

橾 返して いふと、 凡ての 近代的 企業の 支拂は 次, 3 ような 一 一種 類の 項目に 分類す る ことができる。 

V 各個 人への 支拂 (賃銀、 俸 袷, 配當) 

&、 他の 組織への 支 沸 銀行 その他の 外部 的 费用) 

從 つて 個人への 支拂 は、 企業の 支配の 全部ではなくて 一部で あるが- 生產 物の 貸 憤 は 工場 費. 寶却 費、 利潤の 凡て 

を 含む もので あろから 個人への 支拂 より 多額の ものと ならなくて はならない。 つまり 個人への 支 拂は單 に ひだけ で 

ある. か、 生產物の寶價はめ十£でぁるから-^1者は後者ょりも小さくなくてはならなぃのでぁる"そして前者が 一 般消 

费 者の 購買力に ほかなら ない ので あるから この 購買力 は だけ 生産物の 寶 憤より 小さい ことと なる ので ある。 

ところが 購買力の 存在し ないいと ころに は 貨物の 生産が ありえな いのが 原則 であるし、 ひだけ の 購買力に 對 して 

^十 の實價 が 存在す る こと は 想像し えられる ことで ないから、 この 寶價 によって 代表され る支拂 の在存 する ために 



&に 常ろ だけの 臃買 力が 創造され なければ ならぬ。 そして この 新に 創造され る 購買力 は: 》s のうちに 包含され る もので 

はなくて、 他の 外部 的 要素に よっての み 可能で ある。 內國 的に は、 r 信用 J が これで ある。 (は ミヨ 

(注 ご 十 I ) Economic Democracy, づ p. 57,9 

(註 二十 二) Credit-Power, pp, 21-3 

近世の 大企業 は * 信用 制度の 基礎の、 r- へに 行 は.;:. る。 企業家 は その 財產榴 を抵當 として 銀行から、 この 信用の ラへ 

に r 贷 越し」 . ^許ろ される。 そして 銀行家の 事業 は, その 一 小 部分が. で 行 はれろ だけであって、 取引の 大部分 は 

小切手で 行 はれる ので あるから、 この 『贷 越し』 は * 明らかに 新 貨!: 山であって、 銀行家が 货幣 を鎮 造し • ま. U は 紙幣 

を 印刷した と 同 一 結果 を もたらす ので ある。 卽ち 通貨の 膨脹 (inflation) と 同一 効果に 陷 るので あって, その 結果 は 

それが 货 物の 霈! §女 として 働く 瞬間に、 他の 凡て 通 货の購 3!11- 力 を 減 返せし める ことと なる ④ であろ。 且つ、 かくして 

r 信 fflj から、 スられ た 購買力に、 大部分、 fi^ 本 生産 S も 道具 や、 工場 やその 他の 中 問 的 生産物の ために 投資され るので 

ある。 卽ち 消費者に は それ 自身 必要の な. い 物の ために 投資され るので あろ" 從っ ーべ 今日の 信用 制度の もとで は、 且つ 

この 信用 制度に 伴 ふ ふ物惯 制度の もとで は、 購買力 は 資本 生產 物と 最終 生產 物との 双方に 分配され るので ある 一.^ s、 そ 

の 分配され た、 購買力 は 11 實 際に その 大部分が 11 た 最終 生産物の 價格 だけによ つて 回收 される ので ある。 つま 

り全體 とし 社會は 資本 生産物と 最終 生產 物と を 買 ひながら、 たに 後者た けの 引渡し 11 統制 をう ける に過ぎない 

ことと なる ので ある。 ii) 他の. f おでい ふと、 針- 會は資 木 貸 物と 消費 貸 物と を生產 しながら、 個人の 築 合と して 

は、 た 後者 たけを 消費す るに 過ぎない ので ある。 S- 一 +5 

(註 二十 三) credit-power, pp. 28.86 

(拄 二十 四) ibid., p,99 

上 六、 



この K を 明瞭に?? ために は 信用に ゥ いての 明確な i が 必要で ある。 信用に は實 信用 (real credit) と 4N 融 信用 

(FigHcial credit) との 二種 類が 存在す る。 ォ ウレ 1* チ^ 説明に よらと * 眞 信用と は 貨物の 引渡の 可能に 關 する もの 

であり、 金融 信用 は货幣 の, 引 波の 可能に 關 する ものである。 卽ち魔 信用 は 貨物の 供給、 金融 信用 は货 の 供給に 關す 

る ものであると いふ ことができ るので ある。 しかし a 信用 は 貨物の 現赏の 供給に よってではなくて モの 『可能」 の 

供給に よって^ 定 される ので ある。 首 葉 を 換えて いへば、 具 信用と は * 货 物の 要求、 要求され る 時、 耍 求され & 場所 

に從 つて、 その 货物ふ 生産し 且つ 交付す ろ 能力の 正確な 計算で ある。 一 つの 機械 は 滞," 女に 應 じての それの 貨物 生產能 

力の 正確な 計算 だけの sf 信用 を もつ。 ー國 民の 眞信、 用と は, 可能の 消 養 者に よっての 耍求內 溶に 從 つて 货物パ な 生產し 

交換す ろ國 民の 能力の 正確な 壯算 である-) そこで 慮 信用に は 二つの 要^が 存在す るの を 知る。 一 つ は 生產の 能力で あ 

り、 他の. 一 つ は 需要で ある。 この. フ ちの 一方が 存在し なければ 他方 は 無用で ある。 卽ち 何人も 要せざる 貨物の 生產 

者 は 生産され る ことのない 貨物の 可能 消費者と じょうに、 無惯 値で ある。 他の 言葉で いふと、 眞 信者の 存在の ため 

に は、 生產 #1^ 同じく 淸费 ffl が 必要な ので ある。 だに に 消費者が 必要な 要素で あらば かりで はなしに、 社會全 體が必 

耍 なので ある" 經 Is 的に 觀 察すれば * 國 民と は、 魔 信用の 生 產に從 事す る 人民の 結合な ので ある" そして この 意味に 

おいて、 國家 は、 共同 社 會の眞 信用の 管理者と して、 生 產i<?:f^ 費^の 利益と をと もに 代表 するとい ふこと がで きる の 

である。 何と なれば この 二つながら 莨 信 川の 創造の ために 欠 くらべ からざる 要素で あるから である" ところが 全社 會 

は 生産者と 消费 者と から 成立す るので あるから * 眞 信用 は その 起原に おいて 社會 的で あると いふ ことができ るので あ 

る。 從 つて それ は 生産者に も IE 费者 にも 恩 すろ もので はない ので ある。 

これに 反して、 <IN 融 信用 は、 貸幣 S うへ に 立つ。 しかし 貨$? は それが 貨物に よって 基礎 づ けられ 場合に のみ 憤 値 を 

もつ ので あるから * 金融 信用 は眞 信用から 生す る ものである。 つまり 眞 信用 は^ 接に 货物を 基礎と し、 金融 信 ほ は 貸 

$5 の 媒介に よっての み 货物を 基礎と する ので あろ.' そこで 金融 信用め 職分 は 何かとい ふのに、 それ は眞 信用 を まかせ 

る ことで ある。 車 を回轉 させる の は货幣 であるから である。 例へば こ. -に 靴の 製造の ための Hsl^ 装 が あると する。 



ぞれが 靴の 製造の 能力が あり、 且つ 靴への § が 存在す ろと せよ, こ-に 凰 信用 は 存在す るので ある。 しかし この ェ 

揚装? r か窗 際に 靴 S 製造 をな すため に は、 卽ち魔 倍 用が 働く ために は • こ、 に 他の 一 定の條 件が 必要で ある。 卽ちこ 

の 工場 装 Id の 所有者 は 靴の 製造に 必要な^ 料と、 これ を 働かせる 人 間 への 赁銀 .傣 袷 その他の 必要な 費用 を もたなくて 

はならぬ ひ ところで 彼に これ を充 常すべき 貨幣がない とする。 彼 は それ を惜 りねば ならぬ。 卽 ちその 機械 を 働かせる 

ために 必要な 金融 信用 を 借りねば ならぬ。 この 金融 信 ffl の發 行者 は 普通に は 銀行で ある。 

ところが 銀行 は, 货物 そのもの を 必要と する もので はない。 勿論 前に も 述べた とほり、 金融 信用 は窮 局に おいて 貸 

物の 基礎 を 離れて は 存在し な、 いので あるが、 直接的に は 貨物の 基礎のう へに 存在す る もので はない。 銀行の 職分 は、 

その 愫務 者た る 生産者が 如何なる 货物を 生産す ろかの 問題と は 交渉がない。 彼の 考量に 上る の は、 その 債務者と して 

の 生産者が 貨幣 を 返却す-能力が あるか どうかの 問 1^ である。 ところが 生產 者の 貨幣 返却 能力 は、 その 生產 物への 可 

能の te 要が 存在す るか 否かの 問 超と 交:^ する ので あろから、 若し 有望な 消費者が 存在 しないと したら、 銀行 は 舍を貸 

さない ことと なる。 何と なれば、 銀行 は愫務 者卽ち この場合の 生產 者から 回復す る ことので きない 金 を 貸す 害 はない 

からで ある。 しかし 涫费者 は 常に、 その 鶄 要する ものの 全部に 針す ろ 購買 能力が あろので はない。 だから 淸费用 は 貸 

物の 全部 を 求めても しかも その 一部分し か iSC 費す ろ 能力がない ことがある。 ぞし てこの 場 4n に は、 銀行から 發 行され 

る 4- 融 信用 は、 消費者の 赏 際の 購買 能力に よって 制限され ろの ほか はない。 從 つて 舍融 信用 は眞信 によって 測定 さ 

れる もので はない ことと なる〕 生産者に 生産の 手 を與 へよ。 彼 はより 多く 生產 する ことができる リ 消費 用に 需要の 

手段 卽ち 金を與 へよ。 彼 はより 多く 消費す る ことができ るので あろ。; しかし 銀行 はこうした ことと は 沒交涉 である。 

彼の Ml はると ころ はた i ^金、 そして 金と 直接 關保 にあろ 貸 物の こと だけで あろ。 

そこで 次の ような ことが 云 ひえられる, S 典 信用の 生産者 は統 一 社會 であるが、 それ を 働かせろ 手段 を もたない 統 一 

社會 はこの 眞 信用 を實 際に 活用す る ことかで きないと。 從 つて 具 信用の 統制 は社會 共同 83 によって 行 はれる ので はな 

いとい ふこと" 



12 



そ は 金融 信用に よって 锄く。 從 つて 金融 信用の 發 行者に よって 統制され るので ある。 そして 今; 融 信用の 發行は 金 la 

權カ (finacial power) に 風す るので あるが- その 權 力の 運用 者が 銀行 (bank) なので ある。 (? +き 

(註 二十 五) credirpower, PP, 15G.162 

七、 

そこで 次の ような ことが いひ えられる ので ある 

(一)、 凡ての 信用 惯値 は、 永久 組截 としての 統 一 社會 から 生す る。 た 現在の 精神的 及び 體カ 的勞働 者の 時代から 

だけで はない。 

(二; r 生 產の率 は 第 1 に統 1 社會の 科舉的 及び 文化的 遠產 によって、 第二に は 機械 及び 装置に、 第三に は總 人員に 

よって 決定され る。 

(三)、 賃銀、 俸給 及び§ は 全 生 產物を 買 ふこと がで きない。 

(四)、 この 個人の 搦買 力と、 全 生産物の 償 格との 隔り を補墳 する 唯 一 の 方法 は 信用の 發 行と 輪 出と である。 

(五), 凡ての 產業的 國氏は 輸出の 兢爭 をす る。 その 結果 は戰爭 である。 

(六)、 個人へ 分配され る 購買力の 主要部 分 は 賃銀 ふ-俸給と であるが、 生産に おける 重要 さを增 して ゆく 要素 は生產 

行程の 改善と 自然力の 利用と である。 

(七)、 前項の 後者 は 賃銀と 俸給と を 排除し- その 結果と して 各人への 貨物の 分配 を f する。 かう して 購買力 li. お 

けろ 信用 的 要素 か增 大して、 それが 生產を 支配す るリ 

(八)、 從 つて か- -る 生産 は 信用の 統制 者に よって 要求され る 性質の ものと なり、 そして 資本 生産で ある。 

(九)、 信用の 發 行と 便 格 決定と は • 社會 の經濟 生活 を 支配す ろ 職分の 積極的 消極的 方面で ある。 從 つて 社會 自身 を 

棘 制する ので ある。 



(十)、 社會 は, 今日で は、 信用 發行 及び 物很 決定 を 統制し ない a 社會 は社會 の^ 生活 を * また 從 つて 社會自 身 

を 統制し ない。 

(十一 y その 統制 者 は 41- 融 力で ある。 金融、 攛カは 小 ッ數の < ホ-融 家の 手に あり、 銀行が これ を 運用 i« る。 s§i 

(註 二十? ク ew Age, ; Ds., 23, 1920, p. SO; cllt-i》o 一 ver, l)p. i 兹照 

八. 

また 更に 次の ことが いひ えられろ ので ある。 

( 一 )• 資本家に は 生産 的 資本家と 金融 的 資本家の 一 一種 類が 存在す ろ 

(二), t 融 上の 權カ從 つて^ 濟 上の 權カは 後者の 把握す ろと ころで あろ。 €S ち 資本主義の 權カは 金融 家の、 フへ にあ 

つて 生 產者的 資本家 は 最高の 權カ荠 ではない。 

(三), 資本主義の 害惡は 金融のう へに あって、 利潤な り、 生產 手段の 所有者な りの 問题は 却って 第二義で ある。 

(四). 從 つて 資本主義の 害惡 か." 解放され ろた めに は 第一 に 〈お 融 制度の 改造が 必要と されねば ならぬ。 第一 に必 女 

な こと は 生産 手段の 國有 でもな く、 生 產行攻 の 統制で もな く. 利潤の 麼止 でもない。 

(五)、 信用 制度の 改造 は 信用 制度の 破 壌で はない。 信用 制度 は 文明の 血液で あり、 その 破 壌 は 文明の 破 壌で あろ か 

ら である。 j 

(六)、 必要な こと は 3 典 信用の 所在 に 令; 融 信用 を 一致せ しめる ことで あろ。 卽ち 信用 制度 を; S 會的 統制の もとに く 

ことで ある また 從 つて 物價の 統制 を 社 會に歸 せしめる ことで ある。 つまり 信用 制度 及び 物惜 制度の 社會 化な の 

である。 

九、 

信用 社 會主殺 はか.、 して 信用 制度の 社會 化、 從 つて 物 憤 制度の 社 會化を 要求す る ものである。 そして この 方法 さへ 

1 行 はれる と * 世界の 改造 は 五 年に して 行 はれる とい ふので ある" (次號 につ V く) (室 伏 高 信) 



4 

1 



インタ ナン ョナル の 新 運動 

(Einheitsfront の 問題 



四月 二日から 三日間 伯林の 議事堂で 開かれた 國 際社會 翁の 各派の 會議は 世界の 社會 主義 運動の 歴史のう ちで 空前の 

大 l?K^ である。 少く とも 空前の 大 運動の 除 慕で ある。 

その 繁 まった 人た ちの 數は、 僅々 數十人 (詳報に 接しない が) に過ぎないが、 その 鬼 まった 人々 の 顔觸れ から 見る 

に、 第 1 1 インタ ナショナル を 代表す る もの として 英國の ラムゼイ • マ ク ドウ ナ ルド、 白 耳 義のグ ンダ アベ ルト が あり 第 

二 半 イン タ ナショナル を 代表す る 澳國^ フリ ー ド リツ f アドラ ァ * 佛國の 口 ンゲ ー ぶ 路國の マルト フが あり、 共產ィ 

i タナシ ョナル から はブ ハ リ ンと ラデック 及フロ ッサ ー ルが あり、 更に Iw れのィ ン タナシ ョナル にも 屬 する ことのな 

い 伊太利の セラ チイが ある。 卽ち インタ ナショナルの 旣 成圑體 に魇 してる る もの も、 若しくは 何れに 5^ して ゐ ない も 

の も、 世界の 勞働 運動の 本流に 立って ゐる もの は、 殆んど 悉く 一 堂に 會 したので ある。 

今日まで、 世界の 組織的 勞働 運動が、 完全に インタ ナショナルに 統 一 された こと は 無論 無い。 マ ー タスの 第 一 イン 

タ ナショナルの 八 年間 は、 各派の 勞働 運動 を 連ねた にしても、 その 數は徴 々たる もので、 あった。 第 一 j インタ ナ ショナ 

ルに 復活され た 時に、 11 逸から はべ ー ベ ル, 大ゾ I ブ クネヒト、 ベ ル ンシ タイン、 クララ • ツェトキンな AJ が • 英國 

から はケ ーァ* ハ I デ ー, ダ ョ ンたパ ,-ン ス その他、 露國 から はブ レ ファノ フ その他 * 佛國 から は 一 1 百 一 一十 一 名の 代表者 

が、 その他の 各國 から も それぐ の參加 者が あって、 その 規摸は 無論 第一 インタ ナショナルより は. K きくな つて は來 

てゐ たが、 しかし 最近 伯林で 開かれた、 今回の 4 ンタ ナショナルの 共同 會議 に比べる. 物の數 にもなら ぬ。 何と なれ 



ば 伯林 會議 は、 今日の 世界、 sSlg 的努働 者、 約 S 千 萬 を 代表す ろに 近い ものであるから である 

二、 

インタ ナショナル の 分裂 はチ ム メル フル ド會議 以後で あろ。 口 シ ァのボ ル シ ゲ 并キ、 獨 逸の スパルタ タス、 和 蔵 

の トリ ブウ 二 ストの 運動、 それから 第三 ィ ン タナシ ョナル の 創立と なり、 また 昨年 一 一月の 第一 一半 インタ ナショナル 

(I. A.S.R) となり、 更に また 昨年 十月の 第四ィ ンタ ナショ ナル となり、 そして 第三 ィ ンタ ナショナル に* 若し,, ^は 

第一 一半 ィ ンタ ナショナルに 加 はるべく して 加 はらなかった 伊太利の セラ チイ • 米國の 社會黨 その他が あり. 國 際制會 

主 や; 耽 運動 は、 戰爭 とともに、 過去 数年間, 殆んど 手の つけよう のない ほどの 分裂に 苦る しんで きたので ある。 勿論 そ 

の 分裂に は それぐ の 理由が あろ。 特に 分裂 者の 方に より 多くの 理由が ある。 しかし その 理由の あると 無い とに 力. - 

わらす、 この 分裂が、 今日の 世界 勞働 運動の 疾 ひであった こと は、 從 つて 同時に 世界の 資本家 階級の 乗す ろと ころで 

あった こと は、 疑の 餘 地がない。 




共産 インタ ナショナル は, 世界の 資本主義と 戰 ふとと もに、 【また 世界の 日和見 的勞働 運動と 戰 つてき た。 否、 資本 

主義と 戦 ふこと よりも 直接に は 旣成勞 働^ 動と 戰ふ ことに 全力 を 注いで きた。 第一 一回 會議の 決議に 曰く、 ァ ムス テル 

ダム, インタ ナショナル JJ 對 して rp^ 強な 鬪爭」 01 ま taiicki^l waspfgerlen dio Algtcrda 一 ner Jutcr ヨ Itlonale) を 行 

ふと。 また 曰く、 共產, -ンタ ナショナルば IV ての 黃色 社會 民主 黨に對 して 戰を宣 する』 と。 た C に 第二 インタ ナシ 

ョナル に 封して だけで よな しに、 カウ ツキ ー にも、 ヒル キット. にも、 ロンゲ ー にも、 マ ー クス 主義の 中央 派の 諸君 を 

も 排^し、 共產 インタ ナショナルの: g 下に 參 する もの は. 何れの 國 においても、 先づ 凡ての 日和見 主義者と * 凡ての 

rs- 夹マ ー キス ト j(zstru-sle 一 Ite) と を蹈逐 する ことが 必耍條 件で あると 宣言した ので ある。 (註 二 



(柱 一 ) teltsg-tze £ber <lie wedi/l^lingeh der AUIPie in die KOHenullistische tpternationale 

第三 インタ ナショナル のこの 戦法 は 健に 大 なる 反響が あった。 古る き 社會黨 または 努働黨 が各國 において 相次いで 

動搖 し、 若しくは 崩瑭 した" カウ ツキ ー は r 變 isEJ だと レ ュ ンが 叫ぶ と、 各國の 大小、 有名 無名の レ 二 ン 派が、 昨 

f では カウ ッヰ ー を {lis と 仰ぎ、 被の 害 物 か- "の クオ テ ー シ ヨンも^ する ことに 忙し かつ.?. <々、 までが、 ^ 

は r 變 ti 漢」 だと 應 する。 一 九 二 〇 年から ニー 年初へ かけての 世界の 勞癱 運動 は、 せハ 產 主義の 颶風が 席捲す るの 勢 を 

示した ので ある。 

四、 

しかし 魁 風 は、 そう 長く は續 かなかった。 セラ チイ はんう く モス n ヴへは 加らなかった。 それが, チノ ゲ# エフの 

最大の 躓 づきであった。 蹈 逸の 共 產黨、 口 シ ァに 次いで 最大の 共產國 としての 鑼 逸の 共產 |g (V. K. P. D.) は 一 さ 一 

〇 年から 二 一 年へ かけて 二十 萬. はかり 會員を 失った。 そして 殆んど 群衆から 遠ざかった。 佛蘭 西の 共產黨 は 曖昧 黨 

である。 英米 は 全く 問 超に ならない。 そこで 一九二 一 年 は 共產ィ ンタ ナショナルが、 一 大方 向轉換 をし なくて はなら 

ない の f~ であった。 同年の 第三 回會議 は、 共産主義が シァ 農民の 前に、 彼の 政策 を 根本から 轉 覆した のみで はなし 

に * その 國際 政策のう へに、 それに も 劣らぬ 一大 回轉を 断行す るの 舞臺 となった。 

五、 

チチェリン は 口 イド チヨ 1* チを 讃美した。. サ,' ル 時代の 舊債 承認 を 宣言した。 彼 は, 1 シ ァ內に 農民の 商 行爲を 承認 

する のみでな しに 外國 人の 商業 を 許る そうとい ふ 。ブ ハリン や コロン タイの 左翼 派が 敗れて、 クラ ッ シン、 チ チェリ 

ンの 右^ 派が 時め く。 內に無 攻府主 殺 者が 牢獄に 泣いて, 外に イド V チヨ— デ、 バ ルツ I と 手 を 握る リ 



この 變化は インタ ナショナルの ラへ にも 勿論 現 莨に なった。 彼が rtiii 漢 J、 r 日和見 屋』 といって ロ稳く 罵し つた 

マク ドヴナ ルド、 セラ チイ、 ロング I、 ゲン タァヴ 井 ルトと * 獨 逸 議會の 一室に おいて 會謅 卓子 をと もに する〕 ラデ 

ック も、 ブ ハリン も、 レ 二 ンの言 葉で いふと、 正に 1 大 變節漢 である。 

六、 

共產 インタ ナショナルの 第三 回 會議の 敎訓、 所謂 新戰術 は、, チノ ゲ井 エフの 指摘して るると ほり、 Heran an die 

Mesen ! である。 昨 曰までの 部局 的 運動から 一" 群衆』 の 運動へ と轉 回す る ことで ある。 卽ち、 ブ ロレ タリ ャ及半 

プ ロレ タリ ャの 群衆の % 集 群のう ちに 參人 する ことなの である ( は-一) こ.. に旣に 伯林 會議 への 方向が 存在す る。 

{註 二) Die wommullistische Internationale, Nr. 18, S. 8 

この 傾向 は、 獨 逸の 共產黨 によって Eg 先き に具體 化された。 11 逸の 合同 共產黨 は、 昨年 パウル • レビ ー を 除名した 

が、 しか じ 一 方に は 力 1*ァ1* ベ デ— を 排斥しながら * 『共同 陴營』 を 主張す る ことに、 诀 して 機會を 逸して はるな 

かった。 咋年ェ ルツべ ル ゲルの 喑 殺された 時に、 1. 口 ーテ* ファ ー ネ』 は、 89 立社會 民主 黨と、 そして. 口 ー.サ, ルクセ 

ン ブル ヒとカ |ル*リー ブクネ ヒトを 殺害した ことによって,, 3£ ふべ から ざろ 污辱を 印して ゐ る社會 民主 黨 (は 一-一) に對 

して さへ、 KB winheitsfrollt を 主張した ので ある" それが 阼 年末に なって、 遂に モス コゥの 本部へ 向けて, インタ 

ナシ ョナル の 全 戦線に 向っての、 Eilihcitsrgt の 要求に と 飛躍す るに 至った ので ある。 これが 共產ィ ン タナシ ョナル 

の 伯林 < ^議へ の發展 の、 第二 1^. 找 である。 

(註 三) リ-プ クネヒト、 ^グ セン プ Jit の 虐殺に、 ぺ ヤシ タインの ような 日和見主義 おでさへ その?! 逸 革命 論の 近著のう ち 

で 痛 整^ 加へ てね み。 E. Wesstein-Die devtsdle devolution, 1921, S. 1G5.72 



s 一 セ, 

||^§共產黨の要求は, こ X に 1 九 二 1 年 十二月 十八 日の * 各 5^ インタ ナショナル への * :Hn 、同 陴營の 宣言と なって 

はれた。 即ち 共產ィ ン タ ナショナルの 執行委員 會の 決議と して 十 1 1 月 十八 日の ブラ ウダに 發 表された ものが これで あ 

る。 この 宣言に 從 へば、 各國 において、 ブ ロレ タリ ャ 諸政- M の 共同 陣營が 必要で ある C そして この 共同 陴營 は, イン 

タナシ ョナル のうへ に. 必耍 であろ。 彼に 從 へば Keran an die NRSSen ! と は、 耍す るに 各派の 勞働團 との 共同 1: 

營 でなければ ならぬ。 そして 『共 產ィ ンタ ナショナル は、 共同 陴營の 標語 を發 する に 常って、 且つ 共產ィ ン A ナショ 

ナルの 各 支部が, 第二 * 第二 半 及び アムステルダム • インタ ナショナルの 各派との 協調 を 許容す るに 至って, インタ 

ナショナルの 範域 にも 同樣の 協調 を ffi む わけに は 行かぬ。」 

こ- -に 共產ィ ンタ ナショナルの 一大 轉 回が 明確 現 "苗に 宣言され た。 それ は 共產ィ ンタ ナショナルの 一 大轉 回で あろ 

とともに、 もての インタ ナショナルの 轉回、 從 つて 世界 勞働 運動の 轉回 である。 

八、 

私 は 今まで 共產 インタ ナショナルの 方 だけ を 述べて きた。 そして また それが 轉回 でも あり、 行 詰まりで も あり、 若 

しく は變 is でも あると いふ こと を 述べて 來 た。 しかし そ は 共產ィ ンタ ナショナル だけの 問題で は 無論 燕い。 口 ンド ン 

ィ ン タナシ m ナル は、 その 有名な ベ ル ン の會議 で、 口 シ ァ が.、 民主主義の 原理、 所謂 Dcmokratie tibel.haupt の^ 理を 

採 W しない 限り、 それと ともに 行かない と 言って 來 た。 しかし ロシアの レ 二 ン 一派から 彼の 生命と しての 無產 者階极 

の 11 裁 政治の S5§ 理を 放擲す る こと は、 ボル シヴヱ 井 キの死 である 以上、 かくの ごとき 條 件で、 各 國勞働 運動 共同 行 

動の 出來 上ろ 害がない。 從っ てこれ 等の 黄色 派が、 &に 赤色 派と ともに 行こうと する の 誠意が あれば、 彼等 は 彼等 自 

らを 楚 へて 行かねば ならぬ ので ある。 



第二 インタ ナシ 3 ナル は、 英國勞 傲 黨と 11 逸の 社會 民主 紫 と を 提げて. る 限り、 その 分量に おいて 最大の インタ ナ 

シ ョナル である。 特に アムステルダム • イン タ ナショナルが これと ともに 行く かぎり、 彼の地 位の 優越 は 動がない。 

しかし そは少 くと も 第二 半 を 失って から は、 支配的な 力で はない。 勞働 運動の 活動的な * 燃 ゆる 力で ある 急進派 を 失 

つて ゐる 以上、 最早 や 精神的 死 威で ある。 然り * 第二.. 'ンタ ナショナル は- その 數舉 的の 勢力の 如何に か. i わらす、 

旣に 久しく 屍で ある。 彼が 如何なる 工夫 を こらし、 如何なる 新 戦術 を 用 るても、 そ は モス コゥ からの 嘲罵】 のと ほり 

r 屍の 錢 <^」 (Galvani8ierlmg des ILeichnams der Zweiten Internationationale) であるに 過ぎない ので ある。 (は 五) 

(註 五) Bsohli tlher die Stellung zu den Sozialistischen strolnungen upd der Werner Konferenz 

九、 

第一 一半 ィ ン タナシ ョナ ルがヴ 井 ー ンで 創立され たの は 昨年 一 一月 一 1 十二 日の ことで ある。 この 1 圑は ヒル フエ ル デ.^ 

ング、 バウア ァ、 マルトフ 等の、 所謂 マ ー クス 中央 派 を 指導力と する ものであって、 獨 逸の 獨 立社會 民主 黨と、 佛蘭 

西の 社會 嫁と、 澳國 の社會 民主 黨と英 國の獨 立 勞働黨 ロシアの メンシ H ヴ井ヰ なぞ を 中堅と する ものである。 即ち 大 

體 において カウ ツキ.' 派の 理論 を 奉す る 1 圑 であろ。 また 從 つて モ ス コゥの 理論と 感情と も兩 立す る ことので きな か 

つたの は 勿論で ある。 ラデック 曰く、 第 一 1 半ィ ンタ ナショナルに 對 する 共産. r ン タナシ ョナル の 關係は 第 1 に戰 周の 

關 係で なければ ならぬ と。 g 六) 

(註 六) K:arl Kadek, Die Grundu-g t 2 J Internationale 

しかし 第 一 1 インタ ナショナル は、 こ、 に 別種の イン タ ナショ ナルを 彼 自身の 勢力の もとに 樹立し よ、 フ としたの では 

なかった 。彼の 目的と すると ころ は、 革命的 階級^ 爭の 線に 從 つて、 世界の あらゆる 革命的 勞働者 階級のう へに 包括的 

9 なィ ンタ ナショナル を 樹立す る ことなの である 一半 イン タ ナショナルの 出來た 時には、 即ち 昨年の 春に は尙ほ 未だ 

I 世界の 勞働 1^ 動のう へに 共產主 接の K 風が 收 まって ゐ ない 時で あつ: U ので あるが、 しかし それ も 漸く 收 まらう とす も 



幼 一 方向に 向って ゐ たし、 第二 インタ ナショナルが 耩神的 Li 死 威して るた 時で あり、 且つ 世界の 勞働 蓬; a が 大に分 a< 難に 

一 苦しむ でゐた 時で あり、 更に ュ 6 た、 世界の 對 資本主義 關 係が、 勞働 者の 一 大圑 結を耍 求して るた 時であった から、 彼 

の 目的と すると ころ は、 甚だ 困難な 事業で あつたし、 また 事實 彼の 期す る こと それ 自身 は 今日に おいても 尙ほ 絶望的 

では あるが • しかし 何 等 かの 形に おいて、 彼の 期待に 反應 する ものが あるべき 形勢の もとに 立って るた ので ある。 彼 

が咋年 十二月 十九 S の會 謹で、 先づ 五ケ 國の 各派 社會黨 または 勞 働^の 包括的 會議を 開く ことにつ いての 具體 的の 方 

法を樹 てた の は * 口 シァ からの 共同 陴營の 宣言と 殆んど 時 を 同じう して 行 はれて ゐ ろので ある。 それから 今年 一 月 十 

四日 及 十五 日の 伯林 會議 に發展 し. この 會議 では 二つの 共同 陴營 を耍 求した。 一 っは全勞動^?:11動の共同陣營でぁり, 

他の 1 つ は 五ケ 國、 たけの、 即ち 戰爭 から 直接 影 il された 五ケ 國の勞 働 者 階級 だけの 共同 陴營の 要求で あろ。 

十、 

五ケ 國社會 黨會? i は 最初 LT 二月 四日から BJ 里で 開かれた。 ブルべ ー ルの S0cst6 de Gcogmpllie で 開かれた。 

そは^に 口 ンゲ ー のい. つて ゐ ると ほりに • is.o;os 事件で あるに 相 這ないで あらう。 鐵道 ストライキ のために 蹈 逸から 

は ロンゲ I の 所謂 「偉大な 老人 J レ デブ— ァ 以下 は來 なかった し、 期待され た 伊太利の セラ チイ も來 なかった。 特に 

この 會議 では 白 耳義の 一 委員 から。 ロシアと 共同す るの 條件 は, ロシアが 『獨裁 政治』 を やめねば ならぬ とい ふよう 

な、 出來 ない 相談まで 持ち出された ほどであった。 しかしての 會議が ロシアからの 共同 陴營の 宣言に * 反對 すべ 

く、 時代が あまりに^ 働 者 運動の 統 一 を 要求して ゐ たのであった。 そこで この 會議 に引續 いて、 二月 二十 五日から フ 

ランク フルト • アム • マ イン で 五ケ 國社會 §5 各派 會議か 開かれろ ことと なった。 - 3 の會議 は. 佛繭 a から 口 ンゲ 1* ル 

ノウ デル, 逸 がら レ デブ ー ァ、 ウェルス、 グラウン、 ベル ンシタ イシ、 ジル ベルシュ ミット、 ブライ トシヤ イト、 

ヒル ァ エルディン ダ 、、クリス ビエ ン、 ,チッツ マン, デット マン、 白 耳: に 我の グ ンダ アベ ルト、 英國 のゥォ I ル ヘッド、 

Vv ヨウ H> ヅト, サ レット、 伊太利の セラ チイ その他 * それから 共產" を 除名され た パウル • レビ ー、 ガイア.' その他- 



も參 加して" 改造に ク いて • ゼ ノア 會議 以上の 有意義の 會議を 開いた。 この 會議 では 歐 州の 改造が 主題でば ある 

が, しかし それと ともに- .1 ンタ ナショナルの 共同 g: 營 問 SI か、 他の 一 つの 直 問題であった こと 勿論で あるつ そ 

しても は,、 ワンダ アベ ルトの 提案に 從 つて- 

1 、 * チヨ ー ルジァ の 自治 權 

二, 政治犯 人の 釋放 

の 二つ を條 件と して、 各派 ィ ンタ ナショ ナルの 共同 會議を 決定した ので ある。 L 、 ) の 決議 は. 實にモ ス n ゥの十 

二月 十八 日の 宜 言に 針す る 第一 一 及び 第 1 1 半ィ ンタ ナショナル その他の の^ 言であった ので ある。 

(註 七) Da%Herald, February 6, 1922 

(柱 八) Freibeit, 27. Februar, 1922 

十 r 

こ- -に、 第二、 第三、 第二 半、 及び その 何れに も參 加せ ざる、 セラ チイ、 レビ I 等の * 殆んど 世界の 勞働 運動の,^ 

sg を. SS する 二 大會議 が 四月 伯林で 開かれる ことの 蓮び になった。 そめ 決議 は 左 S ごとくで ある。 

4^;產|» 「第三 イソ タ— ナシ B ナヤ」 は社會 革命 露 は 四十 七 名の 審理に 辯, 謎 人 許す: ご、 必^-死刑^^订ぽ^^亊、 同 審理, V 公開 

^1して2派扭行?《;の傍聽.^許す可き事等*^02し三,派執行妾0;會は各方面の材料鬼化!^の上ジ ョ;.- ジャ間題の調ま研究に從 

^».し其結果.!.-次同會議に「 告し會 謹に 「第二 インタ ー ナショナル J が 其 所所 各 國!^ 交涉ぜ <2 ^リ今 巧 中-,: t1K-> ^決定す ろ 

こ- W 能 はず 從 つてせ ノア 會議會 期 中木會 譴の閉 催に 不可で ある ミ する.^ 承ュ はする, T 成み 可く;^ に 次 同 會議. ^ 招請す るの 必要 

認 む無資 階級 共同 作戦の 示し、 勞莨 露國の 外交 關係 復活 其 他の 目的 達成 ぜん. か S 四月 二十日, SJK 五月 一 日 示烕運 勧.!^ 

行 ふ If し。 (外 表) 




この 會議 は、 勿論 不充分な ものである。 しかし そ は 満足への 第一歩 だと 見られる であらう。 そして 十二月 十八 日の 

宜 首のと ほり * 世界の勞働^^^動が統ー への T 拒むべからざる 衝動』 に 動かされ てるろ ことの 紀念 塔であって、 この 會 

链 そのものが 成功す ると 否と にか、 わらす、 共產 t.a 宣言に いふと ころ s- Bcwcgung der imgcheuereii Melirzalil に 向 

つて 世界の 努働 者が、 莨の 體 5^ を 見せる の 機運が 漸く 迫つ きたと いふ こと だけ は、 疑 ひもな く證 明せられ たので あ 




この 機運 を 導いた もの は 1 、 第二 インタ ナショナル の 精神的 死 :!一 一 、第一 一 半 インタ ナショナル の 努力 三、 第三 ィ ン タ 

ナショナルの 行 詰まり 及び 方向 轉換" 四- それに も か i わらす 全體 としての 世界 勞働 運動の 左 行- 五、 資本家 階級の 

反動 攻治を 計へ る ことができ ると 思 ふ。 特に 資本家 階級の 反動 政治 は 最近 数年間に おける 世界の 最も 頭 著な 頃 向で あ 

つて、 かくの ごとき 野蠻 政治 は 世界の 勞働者 階 扱が ともに 堪 へざる ところで あつたが, 伯林 會議は 一 面に 於いて この 

反動 政治への 世界の 勞働 者の 答であった ので ある。 (室 仗 高 信) 

正 誤 

第 一 统には 大分 誤植が わりました、 : . に その 一 部^ Iss 正します 

第ー页 Anhrueh は Anbruch 第 四 頁 veltanscliauuDg に Weltanschauung 第 六 頁 wlllturguter 

は Kulturgnter 笫七頁 Gemiitskrafte は Gemutskrafte 第 十 頁 Keicli は Meclianik 第 十 一 

頁 Edend は Ebenda 第三 十六 la; odseruer lulg は observer July 第 三 十三 頁 T:hekrie は 

Theorie 第 八 S 「汎理 的」 は 汎祌的 其 他 



の 自 
手 由 
帳 人 

口 
マ 

ン 

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疲 ン 

の )^ 

態 

度 
の 

雄 
辯 
な 

言 




アナ ト. 》ル鲁 フランスと アン リ*パ ルビユ クス との、 佛 

S 西 文壇 の 二つ の E 星が 共 產主幾 運動に 加 はった 時に、 

他の 一つの 輝く 星、 ロマン ランが 共産主義 運動に 封 

して どラ いふ 悠度 をと るかの 問題 は 佛繭西 文 IS にと つて 

若しくは 世界の 文壇に とって. 若しくは 世界の 社會 主義 

運動に とって 大きな 興味であった。 




P ャ ン *0 ランが 共産主義の 前に、 彼 自身 を 宣言す るの 

時が 來た、 今年^ 三月, 彼はク ラルテへ 二つの 手紙 を發 

^ ^c^o それお バ ルビユ グス から 『知的 冷淡』 だと 責め 



られ たの 對に する、 彼 自身の 宣言であった。 暴力と 共產 

主義と に對 する 彼 自身の 雄 辯なる 宣首 であつ. UT 新 マ ル 

クス派 共産主義 は- 私に は、 現實な 人間的 進歩と 殆んど 

調和し ない- 絕對 主義 的 形^で あると 思 はれる』 I. 彼 

は その 第一 の 書簡で こう 宣賈 した。 何故に そうか? 

「何と なれば、 ロシアに おける それの 實行 はた r に兇惡 

且つ as 忍な 誤謬に よって 汚 瀆 されて ゐる ばかりで はなし 

に、 (ョォ D ツバ 及び 亜米利加の 攻府の 罪惡ゲ 重い 贲任を 

もつ こと は 勿: i であるか)、 その 赏行 において、 新 秩序の 

指導者た ち は, 最高の 道德 的憤隨 11 人道、 自由、 及び 凡 

てのものの. フ ちで 最も 賁 重な 眞理 を. 熟慮 的に 犧牲 にし 

たからで あら。 軍國 主義、 警察 權、 若しくは 慘 忍な 

暴力 は • 私に とってお. それが 4- 權教 治の ためでなくて 



共產主|^^の13^攻^*|の手陇でぁ,なと^,ふの理ぉでもっ 

て、 神聖な ものと する こと はでき ない。」 

マン *ロ ラン は、 目的 か 手段 を 神聖 化させる とい ふ • 

ありきたりの 暴力 捥護 論に は, 何の 尊重 をも拂 つて はゐ 

なかった。 彼 は 正 反對な こと をい ふ。 そして 偉大な こと 

を い ふ.^ 曰く r 目的が 手段 を 正しく するとい ふ - J と は 眞理 

ではない。 手段 は 真の 進歩に とって , 目的よ to! も 重要 

である」 と。 何故に? 

r 何と なれば、 目的 は、 威 多に 到達され ももので はなく 

そして 常に 不完全に しか 遂 けられる もので なく、 そ はた 

e 人 問の 外部 的 關係を 制約す るに する に過ぎないが、 し 

かし 手段 は 正義の 韻律に 借 調しても、 若しくは 暴力の そ 

れに應 じても- 人間の 整 を 形作ろ からで ある。 若し それ 

が 後者で ある. したら、 如何なる 政治 形式 も、 强者 によ 

つての 弱者の 應, g を、 水久 にと ビ める こと はで きないの 

である。 だから 私 は 甲 ふ、 道德的 惯爐を 擁護す ろ ことが 

恐らく は 平常に おいてよりも 革命の 時に おいて、 より 多 

く 緊要で あろと いふ こと を" 

『革命の 支持者の 精神が 狹溢 にも 政. 治 的お ものであって 

そし、 て 良心の 神聖な 叫び を r アナ ヰ ズム」 だと か 『感傷 



的 一 だと かいって 軽 一! S して ゐろ! 5は* 私 は 傅 の も S 

しに 爭 ひの 問 超に ついて * 私 は傍觀 して rO るで あら、 >0 

『しかしこう いふ こと は、 私が不活動でゐるとぃふ^^味 

ではない。 私 は 現在の 世界の 度攀 が、 人類の 生長 

における 長い 危機、 人民が 他の 多くの 戰 ひな 忍ばねば な 

ら ぬと ころの • 度 摩の 時代の、 た の 始まりに しか 過ぎ 

ない。 たち はこうした、 私たちの 服, が 見ない が、 しかし 

私たちの 精神の 何もの かが 生殘 する であらう と 信ん する 

鐵血 時代に 向って, 私たち 自身 を 武装し つ i ある。 私た 

ち は、 私たちの 後に 來 たる 人々 のために、 彼等 を 凰の、 rs 

4i に 泳ぐ ことに 助ける- 理性と, 愛と * 信仰の 力 を 救 ひ 

且つ 集中し ようと * 努力し つ- < ある。 私たち は 曙 

の 光 を 眺め、 そして 人間の 進み を妨 ゆる 過去の: S ぶべき 

羈 胖 を 破る ことに 努力す る。 しかし 私 は それの 代りに 新 

らし い 且つ 有害た 驟粋 を |g き 換え はしな いで あらう。 




ロランの 第二の 手紙 は、 共産主義に 對 すろ 彼の 態度の 

宣言に 更に 一 歩 を 進めた。 自由 人と しての 彼の 面目 は 一 

展 躍如たる ものが あろ. - 彼 は、 自由 人と しての 彼 は 勿論 



箪 命から 逃け ようとして ゐ るので はない ひ Ka* c〇〇 凡 

ての 幸福と よりよ き 生活と を 希 ふ 凡ての 人々 にと つて 0- 

1 つの 建物であった。 彼 自身 は そこ を 彼の 住居, たと 信ん 

じて ゐ るので ある。 しかし 彼 はいふ。 

「しかし 私 は、 ブル ジョァ と 共産主義者との 爭鬪が 私た 

ちに 課する 「仲間』 S 空氣の うらに 生活す る こと はでき 

ない。 これ 私が 窓 を 開き、 且つ 呼吸の ために 若し 必要な 

らば * 窓 硝子 を 破らう とさへ も 用意して ゐろ 所以で あ 

る。 

佛 §の 指導者た ちが もちきた してる る 怪物 はとても 

歡 呼ので きる もので はない。 そして 私 は 群衆 を 見る 時に 

私 は、 多數 者の 冷たい 利己主義の 中で、 暴力と 攪亂 的の 

勢力と が、 建設に より は、 破壊の ために 役立つ こと を 見 

る 

「私亿 ちの 西方の 世界 は、 镇 いた 巨大な 鹿に 似て ゐろ。 

そ は それの 傷を雜 める。 そして 血が 愈 i 流れる。 それの 

精力 を 回復す るの は 新ら しい 像に よって r あらう か? 

私 は 恐ろ、 殘 つた 血 を も 失 ふで あら ーフ とい ふこと を 

われく の 共同の 敵 は 今日 存在す るよう な 人間の 社會 

の 迫 的 暴力 _で ある。 しかし 君 (パ ルビ プス) は反對 



の 暴力ん-? S 用しょう としてる る。 か-" る 方法 は、 私の^|^ 

では 相互 的の 似に 導く。 

r 私が 私の 友に 薦めろ 度 は 離れて るる ことで も、 絕っ 

てるる ことで もない。 反 封に 私 はいふ、 休止す る 勿れ! 

妥協す る 勿れ! 不正 及び^^と か、 わる 勿れ! 新ら. 

しきもの のために 古る き 偶像 を 逐一 に. 破壊せ よ! 敢行 

せよ! 汝 自身な^ 牲 にせよ! そして 汝の 努力が 決し 

て 無駄に はならぬ と 信ん すべきで ある。 汝は來 るべき 時 

代の. U めに 働きつ 乂 あるので ある、』 目的に 達しない とい 

ふこと を鉈っ こと 勿れ。 汝の 生命の 及ぶべき 範圍を 超え 

ての 仕事に 掌った とい ふこと を 喜ぶべき であろ。 それ は 

汝が生 きゐる 間に 不威を 味 ふの 道で ある。 

四、 

『1 日の 人類、 その 朝生暮 死の 信仰、 それの 喪失、 それの 

勝利 を 超越した」 何ものか^ 存在す る。 そして それ は 永 却 

の 人類で ある。 

五、 

『 一 九 一 四 年の 權 利の 軍 嫁 へ のように、 一九二 1 1 年に, 革 



命の 軍 除に 加 はる ことが、 藝術家 や I 舉者 や、 思想家の 

義務 だと * 君 は 信ん する か? 人類と 革命 自身と に 奉仕 

する のに、 革命が 自由の 致命的 要求 を 包括して ゐ ない 時 

にえ 革命に 反對 する ことで あっても、 尙ほ 君の 自由 思想 

の 完全 を 保持す る ことが * 最良の 道.:^ と は 忍 はれない 

か? 若し 革命が 自由の 致命的 耍求を 含む でゐ ない とし 

たら、 そ は 更新の 力で はないで あらう。 そ は 百面相の 怪 

物 _ 反動の 新ら しい 形體 となる であら ラ。 

アナ キ ストの 抗議 

勞働 者の 國 、無産者 階級の n 裁攻 治の もとで 、無政府 主 

義者は 如何な ろ 態度 をと つて ゐ るか、 また 如何なる 待遇 

をう けて ゐ るか 。ェ ム マ オル 'マ ンと ァレキ サン ダァ 

バァ クマ ン との、 二人の 卓越した アナ キ ストが、 エリス島 

から, Ked Ark に乘 せられて 『 自由』 の アメリカ を 追放 さ 

れて、 彼等の 故國. 「無産者』 の ロシアへ と 送られてから、 

J 一年、 彼等 は 『無産者』 の故國 から 逃れた。 ヱムマ • ゴ 

ォ. -ド マ ンの言 菜で いふと , 監獄 i 11 彼女 は 今の P シ 

プを監 SS いとって ゐる 1 から 逃れた。 そして ストック 



ネル ム から 數 通の 手紙 を 各國の 同志へ と 送った。 

1 月 七日 (1 九 ニニ 年) ストック ホル ム にて。 

親しき 友よ- III ロシアに おけろ 革へ. 5 的 分子の 迫害 は、 

ボル シヱヴ 井キの 政治的 及び 綏濟 的變 化と ともに、 減 返 

はして ゐな いのです。 反 封に、 4- はいよ く 激烈 且つ 斷 

乎た る ものに なった のです。 ロシアの、 ウクライナの、 シ 

ベ リナの 監獄 は、 男 や 女 や 11 或ろ 揚 合に は單 なる 小 供 

さ へ も —— 支配す る 共 產黨の それから 違った 意見 を 抱 持 

する こと を敢 てす る もので、 1 杯に なって るます J 私たち 

は^と J 意見 を 抱 持」 するとい ふので す。 何故なら 今日の 

口 シ. ァ では、 柿 縛に 服す る ことと なる のに は 言葉 や 行動 

で、 あなたの 反對を 表現す る 必要 はない のです a 

しかし ロシアに おける 凡ての 革命的 分子のう ちで, 今 

日 1 番に 無慈悲な、 そして 組織的な 迫害 を うけてる るの 

ま、 アナ キ ストな のです。 ボルシェ ヴ井キ によって アナ 

キ スト 迫害 は旣に 一 九 一 八 年に、 11 四月です —— 共產 

政府が 何の 警告 もな しに、 モス コゥの 『無政府主義者 俱 

樂部』 を襲舉 し、 そして 機閼 銃と 大砲 仏 使用と を もって、 

全圑 1^ を S 淸算 J した 時に 始まった のです。 それが 無 政 



府 主義者 狩りの 初めで あるので すが、 それ は 寧ろ 散漫 的 

な 性質の もので 時々 に 起り、 全く 無 計 割で、 そして 往 

々自己 憧着の も" であった のです。 だから 無攻府 主義の 

出版物 は、 ある 時 は 許ろ され、 あろ 時 は 禁じられました 

無攻府 主我 者は此 所では 抓搏 され、 彼 所では 稷 放され ま 

した。 時として は 射殺され、 また あろ 時 は 最も 責任 あろ 

地位 を うけとる y く 懇願 もされました。 しかし この 混沌 

たろ 狀您は 一九二 一年 四月の、 D シ ァ共產 紫の 第 十回 會 

議で、 レ ニンが た 4- 無政府主義者に 對 してば かりで なし 

に、 「凡ての 小 ブルダ ョァ • アナ 牛 ストと アナ ー コ*サ ン, チ 

カリ ストの 傾向」 に對 して 公然の、 且つ 無慈悲な 戰を宜 言 

した 時から 終り を告 けました。 この 時から こ- -に ボル シ 

ェヴ 井. の 支配す ろ ロシアに おいて 組 熾 的な、 慘 忍な 無 

政府 主義者の 根絕が 始められ たのです。 レ 二 ンが 演說し 

た その 日に、 モス コゥと ペトロ ゲラ I* トて數 十 人の アナ 

キ スト、 アナ ー コ • サン, チカ リスト、 とその 同情者と が 

柿 縛され、 次の 日に、 全 口 ロシアに 一 旦 つて * 私たち 同志の 

柿 搏が行 はれました。 その 時から 迫害 はいよ/、 暴力 を 

增 して 行きました。 そして 共產 主義者の 治世と 資本主義 

の 世界との 妥協が 擴大 すれ ぱ する ほど、 無政府主義者へ 



の 彼の 迫害 は いよく 激烈 を 加 へ たもので す. - 

私.;! ちの 同志への 野 © な處 置に、 匪徒 主義と いふ 常套 

的糾 彈の假 fg を 被らせる こと は * ボルシェ ゲ并キ 攻府の 

確定 政策と なりました。 この 糾彈 は實 際に 凡ての 捕縛 さ 

れた無 攻府主 i_ 我 者に、 そして 往々 單 なる 私たちの 運動の 

同情者に さ へ も 加 へ られ てるる のです。 赏に 有力な 便利 

な 方法です、 何故なら. それによ つて, 公判 * 審問、 ま 

たは 取調べな しに、 誰れ をで も 秘密に 死刑執行 をす る こ 

とがで きる からです 

レ 二 ンの 無攻府 主. 峩的 傾向に 針す る戦爭 は,、 最も 忍び 

離い 亞細亞 的の 剿 討 形式 をと りました. - 去年の 九月に は 

多數の 同志が モス n ゥで怖 えられ、 そして その 月 三十日 

の イスべ ス ティアで、 この 柿 縛され た 無攻府 主義者のう 

ちの 十 人が 匪徒と して 射殺され たこと を 公式に 發 表され 

ました。 彼等の 何人も 容門. または 公判 をう け はしな かつ 

たし、 また 辨護 十: によって 代表され、 或は 親戚 友人 なぞ 

によって 訪問され る こと も 許され はしなかった のです。 

死刑 を 執行され た 人た ちのうち に は、 一 1 人の 最も 著名な 

無政府主義者, が ありました。 一 人 は その 數ケ 

月: gii リア. サンの 監 Si から 逃け 33 した スァ ン ユイ • バ 



ンと、 ザ ー ル 時代に 彼の 革命的 活動の ために 西 伯 利の 力 

トルガで 長い 年月 を 送った • 人氣 あろ 講演 家 且つ 記者の 

レフ • チョル 二 ィ と です。 ボ ル シ エブ 井キ は、 チヨ ルニ 

ィを 射殺した こと を公當 する の 勇氣を もたなかった ので 

した。 

則絕攻 策は緣 行され つ i あります。 數 週間 前に モス コ 

ゥで 無政府 主 接 者の 柿 縛が 行 はれました。 今度 やられた 

の は universalist Auarohist の 一 派で r あつたので 

す。 捅 縛され たもの のうちに は 全 露に 有名な ァス 

カロフ、 シャビ 口、 ス チッツ ェン n などが あります。 :: 



これ 等の 铺 縛と 糾彈の 目的の 非道な こと は 殆んど 信ん 

じられ ない ほどです。 ァス カロ フゃ、 シャビ 口 や、 スチツ 

ツエ ン コ等を r レ フ • チヨ ル-ー ィの 地下 圑. 1 の會員 だとし 

て 罰に 問 ふこと によって、 ボ ル シ ェ ヴ并キ は、 九月に 死刑 

にした バ ロン や チヨ ルニ ィ 等の 镜れ たろ 殺戮 を 正 化しよ 

うと 欲し • 且つ 他方 もっと 他の 無政府主義者の 射. 殺への 

便 刊 な 口; S を 造らう として ゐ るので す。 しかし 私たち は 

S? に 保留な しに 且つ 絕對 的に、 r レ フ • チヨ ルニ ィ 地下 

ffi なる ものの 無かった とい ふこと を 保障す る ことができ 



ます。 これ を 否定す るの は、 極 惡な虚 ?s です。 

今や 世界の 革命的 勞敏 運動が、 ボル シヱ ゥ并キ 攻府に 

よって、 凡ての 他の 攻治 上の 考の 違って るる 人々 のうへ 

に實 行した 血と 殺戮の 治世 を識 ろべき 最高の 時で ありま 

す。 

ァレキ サン ダァ • バ 1 クマ ン 

ェ ム マ • -コ オル ドマ ン 

(署 名) 



一月 十二 RT ストック ネル ムム にて。 

最近に ロシア を 去って から、 私たち は、 私たちの 第二 

に 且つ 最も 急切な 言葉 か、 口 シァ における 私たちの 攻治 

的 囚人の ために 語られなくて はならない こと を 怒 じます 

社會 革命の 國 におけ ろ 政治的 囚人の こと を 語る の は、 

口 シ ァの狀 態に ついての 悲しむべき * そして 斷 腸の 思 ひ 

すろ 批評で あろつ しかし 不幸に して それが 事實 なのです。 

^5§惧のょ、フには見ぇるかも知れなぃか、 ロシアの 

監獄 は- この 國の 革命的 分子、 最高の 社 書 的 理想と 願 

望との 男女に よって • 雜沓 してる るので す。 廣大 なる 全 

國 を 通じて、 ロシア 本土 も 西 伯 利 も、 舊 治世の 監獄 も 新 



らしい それ も、 チェッカ の 特別 區割 (ossoby otdell) の 

通じが たき * 土牢のう ちに も、 各 攻黨及 運動の flS: した 

革命家、 左翼 派 社. i^M 革命 黨員、 最極 派、 勞 働反對 派』 の 

1 派と しての 共產 主義者、 無政府主義者- アナ— コ • サ 

ン * チカ リスト、 及び ユー 一 バ アサ サ リス ト —— 社 會哲學 の 

各派の 信奉者 * しかし 彼等の 凡て は 翼 正の 革命家で あつ 

て 彼等の 大部分 は 一 九 一 七 年 十 一 月 革命の 最., ^熱烈な 參 

加 者であった —— に 満ちて ゐ ます。 

これ 等の 攻治的 囚人の 地位 は 極度に 憐れむべき もので 

あるので す。 たぐ 彼等の 精神的 憔 S: と 苦痛とば かりで は 

なしに, 純粹に 彼等の 生存の 肉 鉢 的 方面から 見ても、 言 ふ 

ベから-さる 不幸な もので あろので す。 ロシアの 一般 狀 能- 

のために、 建築 材料と 熟練 勞 働との 欠乏の ために、 監獄 

の 修繕 は赏 際に 問題外な のです。 しかし 最惡な 

の は 食物 問 超で あろので す、 如何な ろ 時で も、 ボルシェ 

ヴ并 キ攻府 は、 その 存在 中に • a 人に 充分の 食物 を 供給 

する こと はでき なかった のです。 彼の 食料の 割 當は單 な 

ろ 生存の 可能の 最小限に も當 V0 ものではなかった のです 

囚人の 實 際の 支持 は 彼等の 友人、 親戚 または 同志の 責任 

になって きました。 しかし この 狀 は 今日はい よく 惡 



化して きました。 食 物税 は 五十二 パ アセント しか 集めら 

れ ないし、 また 實際 にこれ 以上 集まろ 見込み もな し 『• クオ 

ル * 力の 戦慄すべき 飢餓と、 政府の 經濟機 閼の破 威 とと も 

に 囚人の 地位 は, 實に絕 望 的の ものと なりました。 :…… 

モ ス n ゥの 監獄から 

ベ トロ ゲラ— ドの 監獄から, オレルから, ゥラ, チミ ー ル 

から、 柬 方の 遠い 地方から、 谏ろ北 地に 流刑され た 同志 

から 戦慄すべき 報知が 來 ます。 飢餓の 恐ろ ベ き 罰、 戰 操す 

べき 壞血 病が 彼等 を 顛 ひつ i あろ! 彼等の 手と 足と が 

膨れ > 彼等の 齒 齦が 緩る み、 齒が拔 け、 腐蝕が 生ける 身 

體に 起り つ. 1 ある f 

ァレキ サン ダァ • バ ー "クマ ン 

ェム マた コォ ルド マン 

ェ攀シ ャビロ 



ス ツル ム 運動 

戰爭の 苦ろ しみのう ちに 獨 逸の 劇場が どつ して 維持 さ 

れ たかは、 寧ろ 一 つの 奇蹟の ようで あろが、 しかし 獨逸 

の 劇場 は、 たにに 戰の 苦ろ しみに 堪えた ばかりで なしに 

戰の 苦る しみのう ちから、 新ら しい 生活に 復活し つ- -ぁ 

る。 II 逸 劇場 は、 今や、 緣蕞 や、 彫刻 や、 建築 やと 同じ 

く、 獨 逸人の 內 生活の 革命 を、 到る ところに 啓示し つ- - 

ある。 

帝室 劇場 は甞 つて 久しく 獨 逸の 皇室 的 且つ ブル, チ ョ ァ 

藝 術の 紀念 塔であった がぶ 「では 「モン ナ, リデ」 の 作 

曲 家 マ ックス • フォン • シル リング スがォ ベラ (staatsojp 

er) を、 レ オボ— ルド • ィ エツ セル が 劇場 (staatstheatre) 

を そして ミ ユン ヘシ の 靑年藝 術家ビ ル ハ ン が舞薆 装飾 を 

支配す ろ。 H ミ— ル • ビル ファ ンの 表現主義 的な、 簞純 

化さ わた 装飾 は、 帝室 劇場の 舞臺の 光景 を 全く 革命 化し 

た。 そこに r リ ヒア —ド 三世 一 か演ん ぜられ た。 ぞは革 

命 化された、 表 5?^ 主義 的 r リ ヒ ァ —ド 三世」 であった。 

伯林 力— ル 術の シュ ー マン 曲馬 51^ は、 著名な 新 舞臺装 



铈歸家 ビエ 1 チプヒ の 天. IV によって ライ ン ^ ルトの 有名 

グ 01 ャズ シ罾ゥ a ピ一ル C ウス 

な r 大 ^ 揚」 に 革命され た。 そ は 近世 的 希臊劇 

場の 一 種であって • 廣大な Amphitheatre の 四 分の 三 

が觀衆 席で 殘 りの 一 角が 數 1^ の舞臺 になって ゐる。 そし 

て 以前の 曲馬 揚の圓 心が 最前 面舞臺 となって ゐ る。 シェ 

1 クスビ 1 ァの ハム レット や * シ 1 ザ, I や 、 ロマン • D 

ラ ン の r ダ ン トン」 や、 ハウ. ブト マンの r 力 ィァ ー』 な 

ぞが この 大舞臺 の 革命的 ス ゼ ー ネ のうちに 演 ん ぜられ 

た 

人民 劇場 (volks.theatre) は^ 逸の 到る ところに 建て 

られ てるる。 就中 伯林の VolksbUhne は その 構造に お い 

て も 装? e においても 驚異に 價 ひすろ ものであって、 十二 

萬 五 千 人の ブ 口 レ タリ ャ がその き 員と して sll- 錄 されて ゐ 

るの は、 正に 新劇 場 運動の 方向 を 示して るる もので なく 

て はならぬ。 

トリ ビュ I ネは 革命と ともに また それ 自身 を 革命して 

マックス • ハインツの もとに ミ ユン へ ン の 優チ ラ • • 、チ 

ュ ゥリ オイ —— 革命的 文書の 出版者と して 知られる. ネ— 

ル* カツ シ ラ I の 妻,!—. は、 玀 逸に おける 最大の 悲劇 役者 

の 一人と して, 自由と 革命の ために、 彼女の 藝術 を捧け 



3 



oi ある。 

戯曲 的 本能 は 、還 逸の 到 6 ところに 勃興し つ ある。 如 

何なる 小 都會へ 行っても、 今では 劇場 蓬 動 、カ行 はれて る 

ない ところ はなく, しかも そ は If 逸人 民の 新 生活の 要求 

とと も 動きつ. -1 あり- . また 從 つて 國家も 都市 も 劇場 運動 

の 支持者と して 立って るろ。 誰れ か^いった とほり * ド 

ラマ は、 今の 新 獨逸國 家の, 有機的 機能 S. 一 つと して 承 

認 されて るろ の ある。 

甞 つて は ハグ ブト マ ン とズケ デル マ ンとは * 獨 逸文埴 

の 二つの 星であった。 バウ ブト マ ンは 今も尙 ほこ.' に 輝 

く 星の 一 つで は あろが、 そして 彼の 戯曲、 農民 戰爭 を晝 

いた r ガイア ー』 は ライ ン ハ ルト大 劇場に 演ん せられて 

大唱 釆を馎 した。 しかし スゥ デル マ ンの 時代 は、 今や 獨 

逸文 壇から 永久に 去った。 そして シェ ー クスビ ー ァの樣 

々の、 劇 や、 ワイルドの r 理想の 良 夫」 や、 ショウの 樣々 

の 劇 や、 ダ 1 テの ファウスト や、 シ ルレ ルの ヴ并ル ヘル 

ム テル や * または モリエ ー ルゃ、 イブセン 劇な 一て. か 復活 

する。 そして マックス *ブ 01 トゃ、 アントン ゥ井ド 

ガン や、 ラインハルト • ゴェ, I ヘル や、 フォン • ゥンル 

1 や、 フランツた ウェルフェル や、 力 1ル • シェ 1 ンへ 



ル やの * 革命的、 表現主義 的 新 術 家の 各が 睬く. - ゲク 

タァ • ハ ー ゼ ンク. レバ ァの 共產 主義 的 若しくは 人道主義 

的 表現. か 新 獨逸靑 年の 喝 仰み-集める" 

劇場 建築 術のう へで は、 エリック • メンデル • ソン や、 

ブル ノウ • タウト や、 若しくは r クロ ー セス • テア テア」 

のボ ェチッ ヒ敎授 なぞが • 舞臺 築 や 革命し" 晝家 フリ. 

1 ドリ ッヒ • シ ヱ フラァ の舞臺 装飾が n 逸 劇壇の 革命 運 

動 i 呼應 する。 

IS 逸の 晝壇 は、 今 ま カン, チン スキ Is^ 響の もとに 立 

つと いふ f J とがで きる であらう 。『新ら し ぃ晝 一 (Die ueue 

Malerei) のへ ルゲ— ス • 、、ワルデ ンゃ、 ヤコバ • フォン • へ 1 

ムス ケルク や、 ヨハネス • モルツ アン や バウア— や * マ 

ックス ?ンャ 1 ガル や、 若しくは ミュ ン へ ンの バウル きク 

レ,— や、 マックス • ピツカ ー トゃ、 表現主義が、 蜀逸晝 壇 

の 新生 命で あると は、 旣に汎 く 世界に 知られて きた。 

五ケ 年の 痛ましい 戰は數 百 萬の 11 逸 青年の 生命 を 奮つ 

no その 屍の- フ へに., 逸 議會の 石 壇のう へから、 一 血の 

無き 革命』 が 宣言 せられた。 その 革命 は、 攻 治と 經濟と 

の 外面 生活のう へ では、 尙ほ 混沌の 狀 態から 一 步も 出で 

はるない。 しかし 戰 ひの 苦 慘と、 そして 多年に 亘 つて 



絕對 的な、 若しくほ^?^8なものに壓迫されてきた揮逸; 

人の 慘じ めな IF 自我」 は * その 古る き 形式と 能 威と に 反 

抗 して 彼 自身の 力 を自覺 しないで はるら れ なかった。 そ 

は S 単なる 政治 上 ゃ徑濟 上に おける 古き 揺 力の 否定で ある 

ばかりで はなし に* 知カの^£$^制に針する、 若しくは 自然 

の 15^ 橫に對 する、 人間の 反抗であった。 そこに 幻想と、 

神秘との、 偉大なる 力が 彼を铺 へた。 そして 人々 は 自然 

の 啓示 を 受けろ 代りに、 彼 自身 を 表現す る こと を 求めた 

表 ^主教 は 印象主義の 自然 的發展 とも * 若しくは 印象 主 

義 への 反抗と も 解され てるろ ので あるが、 しかし マック 

ス • ビ ッカ I ト とのい つて ゐる とほり、 表現主義 は 印象 

主 殺の 純 粹客觀 ゆ 代りに、 Siibjektive Affektation を晝 

出き すので あり、 そ は 事物との 交渉の 代りに 神との 交渉 

であり、 しかも 印象主義が 過去 (Gewesen) にか. * わる 

に 封して 表現主義 は^ 在. (exiMieren) する ので あり • ま 

た 疑 視力ら 激動 Vom Stan-en Zulu Bewegtcn) への 轉 

移 を 示す ので ある。 その 個人主義 • しかも そ は 深く 現代 

無產者 階級の 生活の. フ へに 根 を 下ろした 共產 主義 的 個人 

主義が、 新 頸 逸の 內的 生活の 表現と して、 新 藝術を 指導 

する。 



伯お の 中央に 近、 力く、 ボッ ダマ ァ • シト ラッセの 一角 

に T ス ッ ル ム』 (Der St 50 の 本部が ある。 小さく は あ 

るが 感じの い. - 建物の 中 に、 ^塞に 似た よ. フな もの やら 

建築 術に 似た ような もの やら- 若しくは 政治 上の ブラ 力 

1 ト のよ 5 な ものが 一 杯に 並べられ てるる。 ヘル ゲ —ス 

ゲル デン 等の ような 人た ちが この 建物の,. ン ちに 出入す る 

頸 逸の f 典な 革命 は T 血の なき 革命』 が 宣言され た ライ 

ヒス タツ ハ の 宏壯な 建物からより は、 この.. 1^ ッダ マ ァ? ン 

ト ラッセの 小さな 建物から 生れつ X ある, といっても 過 

言で はないで あらう 

△ 新社會 への 藝術 (西 村陽吉 著) 

、、の 一 卷は 所謂 「社 會藝 術」 の 提唱で あろ 社 會藝術 マ, は、 著 

者に 從 へば、 一 民衆!^? f 術 了. - いはれ て, 、たもの の i ? なお ン J^u- し 

たもので なく、 社會階 絞のう へ に 根ざした、 階扱藝 術て ある。 著 

者は藝 術.^ 階級 的 爭鬪の 手 S ださ 言 はない が、 藝術 至上 主義に 反 

對し、 藝^ は 生活の 一 部分で わろ ミ解 する 從 つて 實 生活の 事實 

であろ 階級 成-のう へ にでなくて に 藝術は 存立 しないと 考 へろ。: 

の 考は藝 術.^ プ か ゲ ョ ァ藝 術ミ、 並に 著 の 所謂 社 會藝術 W に區 

別せ しめろ。 そは少 くや、 も アヤ ゲ if- ァ 若しくは 「民衆 藝術」 への 

抗議 ミ/^ て は頗ろ 明瞭な 批評で ある。 新藝 術への 方向 しても 著 

者の 考は ぃスく の 方面から 述べられて 居る C ただ 文化 價値 W し 

ての 藝術價 値に ついての 著 あの 充 の 意見の 見えない ために、 新 

藝 術への 強い 情熱^ II やす LL は餘ほ 遠い と 思 ふ。 (別 衹廣 ijnf ) 



近代 經濟 制度の 藝術的 批評 

= ゥヰ リア 厶 • モ リ. ス の 近代 經濟 制度 批判 = 

I 、 

モリスの 近代 經濟 制度の 批評 は. 甚た 特異の 地位 を 占めて るろ。 彼 は單に 通常の 社 會王義 的 思想家が、 その 論點を 

贫 富の 懋隔に 菜 中す る 以上に 出で てるる ので ある, 言葉 を換 へ て 云 へ ば、 彼 は 力 アル • マルクス の 經濟學 に 影響され 

たもので あるか、 彼の 思索 はこれ に 止まらなかった ので ある。 彼 は 思索 は^ 富の 懸隔と 云ふ點 を: nj- 逃-ベ-なかった 許り 

でな く, 近代の 經濟的 制度が 全然 人間 本來の 要求で あろ 勞働. 5 莩樂 比と 云 ふこと を 消 威せ しめた こと をカ說 する。 

(C. Delisle WU3S, The. Principloa of RevolutioD. William Morris ascl Industry p. 71) 何故に 然り しかと 云 へば 

モリスの 社會 主義に 入った 動機が 他の 普通の 社會 想 家と 異 るからで ある。 モリス をして その 事情 を 語らし めよ。 彼 

曰く f 要するに 歴史の 研究と 慈 術に 對 すろ 好 愛と その 實行 とが 自分 ケ- 導いて 現代文明の 嫌 憎に 至らし めに のでめ る。 

んし文 期が 現狀 のま. -に 止まるならば * そ は 歴史 をして、 何等 成 架の ない 無意義の ものたら しめ。 さう して 藝術 をし 

て 現代の if! 活に 緊要な 81 係 を 持って るない 過去の 珍奇 品の 蒐集たら しめる であら 5。 しかし 乍ら * 現在の 嫌悪す. べき 

社會の 中に 生じつ- - ある 革命の 意識が、 多くの 藝 術に 理解 ある 人々 よりも 幸に も、 自分 をして * 「方に おいて は r 進 

步」 に對 する 單なら 嘲笑 者と 化する こと を 防け、 さう して 他方に お いて は、 藝 術が 何等の 根底 を 持って ゐな いとき に藝 

術 を繁榮 させる やうと 希望す る 中流 階級の 藝術好 愛 者に よって 企てられる 多くの 計晝に 時間と 精力... ^注ぐ こと を 防い 

たので ある 。かくて 私 は 赏臉旳 の 社 食 主義者と なった ので ある」 と。 ("ilow j; び eca ョ ea soci 长 ist" C ぶ Iw ヌュ Works 一 



34 



事«にぉぃてモタスの返4;?^^^龃度--驟すー6批1?ーレ就ての材?4たろべき%^^15舉に接したのは, 社 書 主 髮 者と なって 

からの ことで あろ。 モリス は社會 主義者と なる 以前にお いて は、 アダム • ス ミス も リカ アド ォも、 ま; 一力, ル • マル 

クスを も 讚む- ) とがなかった C た 彼はフ I- リ ヱの 社 會主穀 な攻 華した ジ ヨン • スチュ ァ ート* ミルの 遺稿 を ある 雜; 1^ 

上で 諝 むで • 社會 主義の 必要な ろ こと、 .遂 じに 代の 社 會にそ を 持ち 来たす ことの 可能 を 悟る に 至った ので あろ。 こ 

の ミルの フ ー リ ェ 論 は モリス をして 社會 主義に 改宗せ しめた ものであった。 かくて 彼 は 民主主義 聯盟に 加 人し、 さう 

して 社會 主義の 經濟的 方面 を 研究し 始めた。 彼 は 力 アル . マ ルクスの 資本論 を 苦 一,? I したい 資本^ eks:^ 的 部分に 就い 

て は- 彼 は 葛んで これ を讀 むこと が 出來 た- けれども モの 純理 經濟學 に 至ってに 頭腦の 混雜を る、 ケ とが 出 來 てな 

かっこの 讚 書のと、 モリスの ハインドマン、 バックス、 並びに シュ— との 交友 は 彼に^ 濟舉的 智識 を 供給し; しので あ 

つた。 ("flow I bocanie a Socialist" pp. 277-278) 

旣に 述べた やうに、 モリスが 社會 主義に 入った 根本の 原因 は歴 の^ 究と藝 術の 好 愛 ふその 實行 とであった。 それ 

は モリス 自らの 性情であった 。しかし 乍ら、 その 性質 を 養って 行った 源泉 は 何で あつたか。 モリスの 揭 けて ゐ ると ころ 

によると • そ. れは當 時 11 社會 主義 復活 以前 -11 の 自由主義 的 文明に 反抗して 起って ゐたー 一人の 藝術的 思想家 ! ト 

マス • カァ ライルと ジョン • ラスキン とであった。 殊に 後者の ジ ヨン きラ スキン は モリ スの 思想の 源泉であった。 ラ ス 

キ ンに 就いて モリス は 云 ふ or 後者 (ラスキ ン) は 私. かま だ實際 的社會 主義と ならない 以前にお いて 旣に 述べ た (藝術 

的) 理想に 關 する 自分の 師 であった。 自分 は 住 時 を 回想して、 二十 年 以前に、 もし ラスキンが 生存して るなかったら 

世の中 は どんなに か罩 調で あつ. U らうと 云 は ざろ を 得ない。 自分の 不瀟は 漠然と はして るた と ぱ云ひ 得ない が、 その 

不^に 一 定の衫 錢を與 へ o こと を舉ん だの は、 彼 を 通じてであった。」 とパ Hbw I II a f oialiet. p. 279) 

かくの 如く 力 ァ ライル. ラスキ ン の社會 思想に よって、 i ^な 化された モリス ス の 思想 は 彼 自身の 言葉 を 以て 云へば 次 

の 如き ものである 一美し いもの を生產 すると 云 ふ 願望な 外にして、 私の 生涯の 主要な 怒 情 は 現代文明の 嫌惡 であった 

し * また 現: 让 もさう であるに rHCW I bocalg a Socialist, p. 279) 藝 術と 云 ふ觀點 から 現在の 經濟 制度 を 眺めた とき 



に, その 亡 ほされた 藝術を 救 ふべき 道 は、 モリスに 對 して は社會 主義に 行く ことであった。 さう して 社會 主義者と な 

つた モリス は 現代 經濟 制度に 闢 すろ 藝術的 批判と 共に 經濟舉 的 批評み-行 つてる ろので ある。 故に、 もし 私共が モリス 

の 近代 經濟 制度に する 藝術的 批評 を 聞かう とすろ ならば、 これと 共に その 經; ぉ學的 批評 を も 間く - } と を 要する であ 

ら、 フ a 

二, 

モリス は先づ 近代 經濟 制度の 如 奮 を 見ろ。 彼 は 現代の 社會 が、 不 斷の爭 闘 の 上に その 基礎 を 8a いて ゐろ こと を^ 見 

した。 虔々 經濟舉 者 等に よって 主張 せらる ろ やうに、 不斷の 爭鬪卽 ち經濟 上に おける 競爭 に. I 在 5 生產 の-原 W でさ 

、フ して 國 民の 經濟的 進歩の 勳因 であるか くの 如く 考 へられて るる。 さう して、 この 爭鬪は 他人の 損 灰に おいて 最もよ 

く 自已を 利益し やうと すろ のであって、 現在に あって は 商 紫, なる 形式の 下 こ. 表 はれて るろ。 ?-フ して こ S 親爭に は、 

三種。 別が ある。 それ は 第一 に 团 際 的镜爭 であり、 第二に 本家 間にお けろ 爭 であり、 第三に 勞働者 間にお けろ 競 

爭 である。 この 三種の 競爭は 吾々 に 何 を 興へ たか。 

i 的 商業 戰が 現今に おいて は、 すべての 文明 的國 民に 對 して 絕大 なる 火 藥 と錠劍 との 負擔を 負 はしめ る" 原因で 

あろ。 それ は 國際的 市場 S 獲!? & から 起る ことで ある。 英國 において は旣に 世界の 商業 市場 を 占 して ゐ るので- 巿楊 

獲得の ための 戰 爭を排 して、 國際的 平和 を 要求し やうと してる ろ。 けれども, それ は 國際的 市場の 占 冇と云 ふ (g 提 の 

下にお いての 平和の 要求で あり、 武装 的 平和の 狀 であろ。 もしも、 文明の 劣れろ 國に對 して 砲火と 1; 戟., : を 以て 利 

潤 獲得の 市場 を 開柘し 得る とすれば、 國際的 競爭は fa^ すろ の 時期 かな-いで あらう。 

更らに r 勞 働の 雜 IS 者 J 並に 大 株式 會社、 大 製造 家 等、 約言 すれば 資本家の 問 匚 おけろ 競爭を 観察し やう。 銃爭は 

生產を 刺激す ると 云 ふ。 然 らば その 生 產とは 如何な ろ 種類の 生產 であるか、 それ は 利潤 を 得て赍 ろ こと ひ-出来ろ もの 

の生產 である。 換言すれば 利 の 生産が これで ある。 この 目的の ために 資. 14 家 は n.) 命に 5^ 物 S 生 產に從 事し、 さう し 



一 て. 市揭に 商品 を 供給す る。 こ6U^^にS木家は のらぬる手段とぁらゅる機曾とを利用する。 このために 生 產が廉 

一. 行 はれら と 云 ふの は、 ある 意味に おいて- 41^ であ- CV けれども、 一般 勞働 者の 貸 銀は價 格の 低一洛 と共に 低 する, - 然 

かも 資本家 は 利潤の 獲? 1- を 熱望す る" その 結 として、 憤 格の 低 簾 は SBf に 消費者 を 欺瞞し、 翼の 生產者 をして 餵死狀 • 

に 置く ことによって のみ 達せら 乙ろ ので ある。 製造 者 は S 単に 慣 格の 低廉と 云 ふこと だけで. そ Gil 占 的 勢力 を 利 

ffl して、 その货物の酶買をfE費^j^^に强_せM-'るd かくて 良い 品 を fi? 費す ると 云 ふ 数千 年 問の 偉 統は怪 々數 ヶ月の に 打 ■ 

破せられ、 さう して 利潤 生産の 猛威 は單 に生產 制度の 進歩して るる 譜國 において のみ * 振 はれる 許りで はない。 ,てれ! 

は 弱い 小 i に 末開國 の生產 制度へ も 影 饗して. 贵 重な 生 產的傳 統み減 亡せ しめ、 さう して 藝術を 破壊す ろ〕 かくて 一 

諸國の 消費者 は 涼. せ t の對 象た. るば かりで はなく して、 その 藝術 HI 賞 機 會をも 奪 はれる に 至る。 利潤の 追究 を その 唯, 

1 の 目的と すろ 生產の 生産者 卽ち勞 働 者に 及 ほす 影 饗 は, 消費者の それに 比 狡すべき 程 重大で ある。 利潤 追究の 必然: 

的 結 であろ 大生 產 制度 は、 多数の 勞働者 を 一 處にま 中せ しめ、 勞 働の 能率 を增 進させる めに, 極度の 分 勞を强 制 一 

的に 訓練せ しめろ。 かくて 分勞. S. 結果 は 各人の 勞 働を箪 一 化せし め、 熟練 勞働者 を 化して, 不熟練 勞働 者の 同位-に 居 一 

りしめ その 結果と して 勞働 者の 供給 を 過大なら しめろ。 かくて 商業 戰 において 絕對 的に 必要な 產業 豫備軍 The 

serve Army of labour を 構成す ろに 至る。 さう して 『現在の 狀 能ハ: の 下にお いて は、 產 紫に 從 事す る 多数の 人々 が 固. 

期 的の 伞 餓死の 危 險に哂 されろ ことが 必要で ある。 然 かも それ. は 他國の 民衆の ためにで はなく して、 彼等^^墮落と奴ー 

隸 化との ためのに である。』 (vol, 28.P.9) この 墮 落と 奴隸化 とが 常に 吾々 の 生活 を 脅威し、 あらゆる 精神的 * 物質的 一 

享樂を 阻害す る。 それの みならす、 國際的 並に 資本家 間の 競 リ この 惡栗と 維持、 增進 せしめろ ために、 資本家 階級 一 

は攻 治的灌 力との 握手して、 攻治 をして 次の 二 機能 を 行 ふ機蹈 a らしめ る。 一、 國内 において は, 弱肉强 食の 組織 を 一 

雜持 する ための 强 力なろ 警察 權の 行使) |「 國 外に 對 して は、 商業 的 市場 を 維持し、 且つ これ を擴 張す ろた めに 經濟ー 

g 俊 略 主義 を 遂行す る こと, かこれ であろ。 第三の 爭鬪は 勞働者 間にお ける。 それで ある" 二の^ 働 君の 生活の ための- 

爭 騎 こそ、 資本家 をして 溶 易に その 利潤の 追究に 從事 せしめる 虞の 原因で ある- かく 資本家の 利潤の 追究に おいて は: 



枚爭を 必然的の 條件 とする が, 勞傲 者の 勞過 において は爭鬪 がそ 本質で はなく して • 協同 こそ その 本質で ある。 け 

れ ども 現在の Si 濟 制度 はた ビ M 際 ii の 爭鬪、 ま 本家の 利潤 者爭, 勞働者間の賃銀競爭の三っの爭鬬の.^^在にょっての 

み、 その成^^か可ぉ〕でぁるバニ」§- We Live and Uow \Vc IMi gilt- Live" collected Works, vcl. (23- pp. S.11) 何 

となれ. た^ 在の^ 梁 主: _ 我 か 人間の ための 市場で は;^ く、 反って 市場の ための 人間、 換言すれば 市場 は 主人で あり • 人 

fS よ 奴 棘で あ, 狀能 5 を その モ ット I として ゐ ろからで あ ろ。 へ/ -rt ョ ul its Producers. 】n Lectures on Art nnd In 

dustry CJollec ted works, vol. 22 1). 34(J) 




この 三 樣の爭 闘 は 何に よって 起る か。 それ は * 現在の 經濟 制度の 內容が 動勞を 提供して 生活 資料 を 得る 階級と、 勤 

勞の 提供な くして 生活し 得ろ 階級の 存在す る ことに 起因す る o(sollol>by. vcl. 23. p. 243) この 勞働 對不勞 階級の 內 

容に何 か 富の 生産に は少 くと も勞働 並に 原料の 二つの 要素 を 必要す る。 旣に 成年に 達し、 さう して 病氣 でない 人々 は 

勞働 マろ ことが m 來ろ。 從 つて 富 を生產 すろ ことが 出来ろ" 然るに 富の 生産に は-ほ-料 を 必要と する。 この 必要なる 原 

料 は 現在の 社會 にあって は、 ある 少数者に よって 占有され てるる ので あろ。、 3 の生產 手段の 占有 こそ 現在の 經濟^ 度に 

おける 病 宴で ある。 モリス はこれ を 呼ぶ に獨占 Mono マ ohy を 以てした ong 占と は販賫 者が 何等の 惜値も 貸 物に 附加 

すろ ことなくして、 高價に 貨物 を販寶 する ことで あろ。 そ はまた 次の やうに 云 ふこと が 出来る。 卽ち 遂行され ない も 

しく は 遂行す ろ 意志 もない 勤勞、 要するに 假想的 S 勤勞 に對 して 報酬 を受 くろ 習慣で ある ノ 一 (IVIOncpoiy. vol. 23ニ> 

347.) 一 先づかぅ定義したモリ スはこれを以て5i占の性質を^i^说くしたも6;だとは考へなかった。 彼 は 更らに 定義して 

云 ふ o『gi 占者と は 假想的 勤 勞に對 しての 支拂を 吾々 に强 要する 特權を 持って ゐる もの を 云 ふ』 と。 卽ち II 占者の 行爲 

は に 欺瞞 9 みで はなく して * その 背後に 暴力 を 持って ゐる もので あろ に、 17) この 點 において 現今の- 獨 占者 {i 

若しく ま 資本家 i は ギリシャ、 トマの 奴隸 所有者 または 第 十三 世紀の 晨奴 所有者に 酷似して ゐる) た^ 彼等と 異 



M ると ころ は s 時の « 占者の 暴行强 制 か 明據に 世人の 眼に 映す るに 反して、 近代の, てれが 甚だ 陰密 なること である。 

彼等の 地位 は 「國 家の 全 描 力に よって」 法律 的に 認定せられ、 維持 さ; -て ゐるズ True £1(1 False Society, or f 

UT oue&on From Socialist Standpoint, iu Lectures on Spcialis ヨ. Collected Worka. vol. 23. pp. 221-222" 

かくて 資本家 は生產 手段の |g 占に よって, 勞働 者を强 制して、 その 生產 した 富の 正當 なる 分 置 を 獲得せ しめない。 

努働者 は 働く か、 さもなければ ならない。 資本家; li 食料 を 持って ゐる。 故に 勞働者 は、 彼に 强 制せられた 條件を 認容 

しなければ ならない。 これが 所謂 『自由 契約』 の 内容で ある。 (True and False Society, p. 223) 

これ を 他の 一 面から 觀 察する と 現在の 生產 制度の 下にお いて は、 逸の 富の 生産が 行 はれない ことに ある。 富と We 

alth と は 何 か。 モリス はこれ を 二つに 分った. し 第一 - 類 は 食物、 衣服- 家 屋 號 第二 類 は藝術 及び 智識、 卽 ち精祌 並に 肉 

體 に 對 して 必要で よき ものである- さ、. - して 在の 生產 制度の 下にお いて は、 第一 類の 富 はこれ を 浪費し- 第二 類の 

富 はこれ を破壞 する ぶ Art, Wealth, ami Riches. 23voL p: 19?) 眞の富 w 生產さ ;: 得ない 現在に お 、.• て生產 され もも 

の は贪權 Riehes でお る) 金 樓とは ある 人 か 他に 對し て^すろ 支配 權を 意味す ろ, (p. 143) 支配 複 なる. か 故に 他の 生活 

を束賻 する。 さう して 他人 をして 隸恩 化せし めろ ので あろ) かくて 富 は 生活 を豐饒 たらしめ る ものであるが、 金權は 

こ-;; を壓 迫す ろ T 現在め 文明の 創造した の は 富 じ はなく して 金權 である ひ そうして そ は 必然的に 贫困, ぶ隨 件す る。 何 

となれば 金植は 貧困、 他の 尊お で 云へば- 隸 3^ なくして 存在す る ことが 出来ない からで ある XArt, Wealth, and Ric 

he? p. 158) こ S 經濟 生活 は 術 生活 は藝 術に 何もの を與 へた か。 

匿、 

先づ藝 術と は何ぞ やの 問 超. か 起って 來ろ。 モリス の 解す ると ころに よると 『藝 術と は 人間の 勞慟 における 喜 悅の表 

現で ある。 JrArt is mall -3 expl.ea ム 0- of his j-y hi L-abGllr,(Art ョ l(lcl. plutocracy couctccl wokrs, 23 vol. p, 17, 

故に 勞 働の .51*;^^ 存 すると ころに 必す藝 術が ある。 薛 術 は S 乎に 檢塞. 彫刻 • 建築 S みで なく、 すべての 形 慈と 色彩 ふ 



を 有すろ 家庭用品, 鎅 作用の すべての 設備 並に 都市 並に 道路に II すろ あら ゆろ 施設、 一 言に して 云へば、 Ha 々の 生活 

の 外的 方面の 表現 を 云 ふので ある。 モリス は 吾々 の 生活の 璦境を 形成す るすべ てのものが 美で あろ か、 醜で あるか 

または 吾々 に對 して 苦痛で 負 嫁で あるか • 快 I- で 慰安で あろ かで なければ ならない と考 へた (Art under Plutocrao 

y, Qolleotod WOTIG. さ 1. 23. pp. 164.165^ 

さう して 彼 は 便宜上 藝術を 分って 二つと してる る o 卽 ちその 一 は 精神的 藝術 iBtellootgl Art であり、 その 二 は 

装飾 藝術 DeoostiveATt であろ 精神的 藝術は 吾々 の 精神的 要求に 應 すろ。 さう して 物質の 闢 すろ 限りに おいて は 

そ は 必要な もので あろ。 装飾 藝術 は、 また 精神的 i に應 する もので は あるが、 そ は 元 來肉體 の 必要に 應 する ためこ 

作らた ものである。 精神的 藝 術の 炔 如して. た 時代と 國 民の あろ こと は 認め^る。 然し 乍ら 装飾 藝 の 菜て 存在し^ 

かった ところ はないだら- フ。 藝 術の 發 達して ゐた 時代に おいて はこの 兩 種の 藝術は 甚だ 深い 闢係を 持って るた、 最高 

の 精神的 慈 術 は 單に眼 を ませろ 許りでなく、 愁情を 喚び 起し、 智識 を鎮 練した。 さう して 装飾 藝術 もまた 有識者の 

智識と 怒 情と を S 養した。 兩 者め Si に は 本質的の 差異が 存在し なかった のであった。 接 言す ると I 仁 普の 藝術 もまた 勞 

働 者であった。 さう して 最も 憐れな ろ 勞働者 もえた 藝術 家であった ので あろ。 然るに 現在の 狀態 はこれ と異 る。 靑神 

的 藝術は 装飾的 藝 術と 厳然として 區 別せられ てるる。 Ssf 一に 生產 される 物が 異ろ ばかりで はな い。 その 生產 者の 社會的 

地位 も異 ろので あろ。 即ち 精神的 藝術は 自由 職業 者よ た 紳士に よって 遂行され てるろ。 然るに 装飾 藝術は 賃銀 勞動者 

によって 行 はれる。 (Art Under Plutocracy. CollectedWorks. Vol. 23. pp. 165,1G6) 

精神的 慈 術 また 分って 二つと する ことが 世 来る。 その 第一の もの は- 彼等の r クラフト」 において 重要な ろ 地位 を 

占めて ゐる人 々の藝 術で ある。 その 第二 は、 彼等の 翁 術 的 素質に よらないで、 たに 彼等の 家柄と か、 商賫 上の 習慣と 

か 産業資本の 所有と かの 理由に よって るる もので あろ。 この 第二の ものの 藝術 は、 需要 は存 する が、 その 價 ig は 甚だ 

高くない。 被 等の 內 にもよ い 錢術家 はる 11。 けれども 彼等 は- 利己的 努力と 强 制する 制度の ために 腐敗せられ * 民衆 

鬆猢^生產に^^與し得なぃも^でぁる。 第一の もの は、 その 僧館 ある 製作に よって 世界.^ 飾って r9 る。 これら^ 人乂 



は 彼等 自らの 努力に ょクて • 亡の 1. クテ アト j を Is* し. U ケ教の 人々 である-" はれ ども 波 等., た假人 主義 的 傾向の 

ある 現在の 社會斛 度に よって 災 されて みる。 第 I に 彼等 は傳統 から 離れて みる。 彼等 は藝術 習 得の 近道で あろ 數 世紀 

間の 練の 集積で ある 傅統 から 離れて るる。 故に 彼等 は その 藝 術に 關 して 常に 自己の 努力に よって- これ を學修 しな 

け,;; ばなら ない。 藝術 家の 孤立に よって 現代 は 蓊術的 智識の 抉 乏し * これに 對 すろ 愛の 少ない 時代と なった。 かくて 

人間の 美に 對 する 本能 は您サ られ、 威 亡せられ た。 その 結果 は 美に 對 する 表現で あろ 民衆 藝術 は何處 においても 發見 

せらる ろ ことがない。 た. 孤立 的な 狀態 において、 少数な 天才と 才能との 所有者の 意識的 努力の 結果が た 氣息 奄々 

の狀 において 存在す るに 止まる。 かくて 大藝術 家の 心. も 狭隘と なり、 彼等の 同情 も その 孤立 的狀 態に よって 氷 匕し 

た 唯 だに 協同 的藝 術が 行き 詰った のみで はない 籁神的 並に 装飾的 藝 術の 基礎が 破壞 されつ-. ある 0- 磐 術の 泉 は その 

源泉に おいて 毒 さ h てゐ るので ある。」 さう して 美に 對 する 本能の 喪失 は 民衆 藝 術の 威 亡に 止まらす して、 更らに 吾々 

の 慰安で ある. P 然の美 を も破壞 して 行く。 かくて モス リは、 現代 社會^ 狀 態の 特質 を 以て、 藝術卽 ち 生活の 快 樂の破 

壊で あろと 見た、 然 らば 何が かくの 如き 狀 態に 達せし めた か。 この 問に 答へ るた めに は、 歴史的 觀 察-か 必要で ある。 

Art nnder Piutooacy, vol. 23. pp. 166,172 (つ 4i く) (加 田哲 一 1) 



「マ ハ— ェ クン- チナ』 

イン ティ! I リ ゲン ッ. -ャ (intyelHJJentjia) と は 何で あるか、 この 問題 はこの 一一 一一 口 築の 本國 ロシャ でも、 可な り 古く 

から 爭 ひの 超 目と なって るる。 ロシ ャのィ ン テ リ ゲン ッ メャ は、 シ ャ の文學 もしくは 更に ひろく 口 シ ャの 文化 

を 知らう とする ものの 到 底 閑却す る 乙との 出來 ない 超 目で ある ノ 口 シ ャの文 學をィ ン テ i リゲ ンッ" ャの社 會& 

運動の 現 はれと しての み專ら 32- よ- フ とすろ 一 派の 文舉 3:^ 家 評論家. たと へば 昨年 故人と なつ. U ベ ト 口 ゲラ ー ド大學 

のゥ, -ンゲ 口 フ敎授 (prof. \V さ gerof) の 如き さへ も ある。 實 際-一 6 た 口 シャで 多少と も 社會的 意義 乃至 閱係を 有して 

ゐる ところの 思想 上の 事象であって、 それと ィ ン テ ィ エリ ゲン ツイ ャ との 間に 重大な 深い 交渉の ない もの はない ので 

ある そこに は、 イン ティエリ ゲン ッ 4 ャが、 單に 知識 敎養を 有する 人々 の 仲間, 卽ち イン テ i リ ゲン トヌ 1 

(illtyelligentnye. intelectuals) であ ろと いふ だけの 意味で なく. 特殊の 意志 方向 を 有する 繼承 的な 社會 的集圑 であ 

ると いふ 解釋 (イワノフ • ラズゥ ムニ ク T ロシ ャ社會 思想 s^u 上卷、 序め i) を 成り立た しめる 事情が あり、 また それ 

が、 外國の 有識 階极 とい はれる ものと 比べて 全く 特殊の 任務と 意義と を社會 的に 有して ゐら とすろ 說 (ォ フシ ヤー 一 コ* 

クリコ ー フス キ— I 『0 シ ャのィ ンテ 丄 リ ゲン ッ < ャの 歴史』) を も 否定す る ことの 出来ない ところが あるので ある。 

それ 等の 人々 の考 へに 從 ふと、 口 シャ の社會 思想の 歴史 は 卽ちィ ン テ i リゲ ン ッ "ャ の歴 3^ であり、 口 シャ 文學の 

主潮 はまた 莨に ィ ン テ i リ ゲン ツイ ャの 性格 及び それの 表現の 變遷の 上に 迎られ ろと いふ ことにさへ なって 來る。 

(イワ ノ フ* ラズラ 二 ニクの rd シ ャ社會 思想 史』 I 1 卷は 事實に 於いて 十九 世紀から 二十世紀 初め へ かけての ロシャ の. 1 

ンテ i リグ ンッ ィャ の 黡史に 他なら ないし、 オフ シャ ニコ • クリコ n フ スキ, I の 「cl シャの イン テ i リ ゲン ツイ 



ャの 歴史」 は、 ダリ ボイ * f ドフ 以後の 作品に あら はれた 各 時代の 特色 を 表現して ゐる 人物の 心理的 解剖に 他なら な 

いと 言って よい。) 口 シ ャの イン テ i リ ゲン ッ ィ ャに關 する 研究 は、 口 シ ャ文舉 乃至 口 シ ャ 文化 一 般を 究 する 上に 

恐らく は 最も 興味 あろ, 目の 一 つで ある。 私 もまた 私の 材料と 理解との 許す 範閣に 於いて、 多少の 研究 を 試みようと 

する ものであるが、 こ- -には 差し 赏 つて、 その イン テ i リダ ンッ, -ャ 研究の 上に 於いて, 最. f 興味 ある ポイント、 

卽ち イン ティ- リゲジ ツイ ャと 民衆 もしくは 庶民 (口 シャ 語で 謂 ふところの ナロ— ド norod. づ eaple) との 閱係, . ^ひ は 

更に ィ ン ティ- リ ゲン ッ ィ ャとブ p レ タリ ャ. I ト との 關 係の 問 超に 閼 する、 口 シ ャに 於け ろ: SI 評 考察の 重要な もの を 取 

り 出して、 讃 者に 紹介して 見ようと 思 ふ。 




口 シ ャの イン チ リ ゲン ッ. - ャが 口 シャの 1 般 民衆と 常に 融合し がた き關 係に 於 いてあった こと は、 恐らく は旣 

に 多くの 人の 知る ところで あらう。 この 兩 者の 間に は 昔から A の 理解が なく、 何となくょそくしさの溝か:5^;!-く院っ 

てるた, - 民衆 は イン テ. i リグ ンッ "ャ にと つて 何となく 不可思議な 信仰に よって 生きて るろ 如くに 見え * 西ョ ー 口 

ツバから 受け入れて 来た ィ. ンテ. i リ ゲン ツイ ャの 人生 觀、 社會 理相严 は、 民衆の 生活と は 遠い 隔り があった。 もとよ 

り 民衆の ために 1^ くす とい ふの が ィ ン テ i リゲ ン ツイ ャの 本願であって、 或 ひ は 缠 山の 苦役 に、 或 ひ はシべ リ ャの 

雪に • 更に また 銃殺の 刑に、 ィ ン テ ,i リゲ ン ッ ィ ャは眞 に 身命 を睹 けて 民衆の ために 苦艱の 運命 を堪へ 忍んだ。 而 

かも ィ,, ニァ, i リ ゲン ツイ ャの 心の底に は、 どこか 民衆と は 離れ/、 な、 しっくりと 合 はない ところの あるの が愁ぜ 

られ. 民衆 もまた イン チイ * リ ゲン ツイ ャを 別種の 人間と して 疎んじ * 心から これ を 信す る ことがなかった。 ロシャ 

の イン テ ィ. - リグ ン ッ ィ ャの 悲劇的な 運命 は、 專ら この 兩 者の 疎隔の 間から 生れて るる やうで ある。 ツル ゲ— 二 ェ フ 

の 作品のう ちに も その 惱 みが 描かれて ある。 トルストイの 一 生涯 もまた 資 にこの 悲劇的 運命 を 荷 負う;: 一 人 G 偉大な 

る II シ ャのィ .V ティ- リグ ン ッ ャ e® みの 行程に 他なら おいと さ へ考へ る ことが 出来る。 ある 人 はこの 疎隔の 原因 



を たづね て、 ィ ン *vi リゲ ン ッ" ヤ^ 自己の 信條と 理想と を. -而 かも 西ョ I 口 ツバから 受け入れて 來た それ 等の もの 

を, 民衆 をして 無條件 的; i 受け 人れ しめよ ラ としたと ころに 在る と 首って るろ。 また イン テ i リ ゲン ツイ ャが 民衆 

に 就いて 舉 ぶこと をせ す、 民衆の 精神的 寳逮. を 愛せす、 民衆の 魂の 底に ひそめる 眞堙を 深め 高め 自. a にせう としな か 

つたから であり、 要すろ に 民衆と ィ ン テ i リグ ン ッ ィャ との 間 に 宗敎的 融合の 境が 打ち立てられ なかった ためで あ 

ると 首って るる。 (たと へば T 民衆 支配」 第 十五 號のブ イス トレ 二 ン T& シャ の自. ej 十二 三號の ムラ 井ョフ など)。 

また 口 シ ャのィ ン テ i リグ ン ツイ ャが 自己の 一 切のカを手近かの目的の到^^」のために第注す る- J と をな し 得すして 

現在の 生活の 問 超と 極めて 關 係の 遠い 純舉術 上の 論 爭に熱 注して、 勞働 階級の 力 を 分裂せ しめる. ゆ S を 有し, 純理;! 

的な 抽袅 的な 過誤の 批評の ために 赏際 的な 階級 爭鬪 上の 必要 を犧牲 にす る 傾向み-有する ことみ 以て, 千 九 百 十七 年 革 

命 後の 社會 主義 的ィ ン テ 1 リ ゲン ッ" ャを 非難して るる もの も ある。 (r デ イエ ー 二 』 紙、 千 九 百 十七 年 百 四十 1 1. 號の 

ザスラ フス キ ー)0 また 人 はよ く 口 シャの 民衆 を喑 愚 (口 シャ 語で 文字通りに は i" 黑の 意味 を 有す) だと 首 ふが 喑愚 

なの は 寧ろ 今日の ィ ン テ i リ ゲン ッ " ャ であろ。 ィ ン テ i リゲ ン ッ ィ ャの 中に 洞察力 ある 指導者の ない とい ふこ 

とが、 今日の 分裂 破壊み-現出した 所以で あると いふ もの も ある。 (r リエ ー チ」 ま * 千 九 百 十七 年 1 1 百 三十 六 號のコ ンド 

ウル ー シ ユキ ン )o 更に また P シ ャのィ ン テ ィ リダ ン ッ ィ ャは、 その Ef 斷的、 狂信的 空想に よって 民隶を 欺瞞す る, 

殊に 土地の 社會 右と いふ 點で 民衆 を 欺 ti して ゐる、 かくの 如き ィ ン テ イエ リ ゲン ッ ,^ ャの 態度 は兩 者の 分裂 を自 から 

招く ものである とする ものが ある 0(f 自由』 のゴ ー レ フ)。 更に また 革命 後の イン テ i リグ ン ッ ャ の小黨 分裂 紛爭を 

&r と I. て 1 致 战< ^の 精神に 乏, いこと を 難 C て、 これ を t 命 移住 時代の 習性に よって 說 明せ うとす る ものん ある。 (r フ 

リア ゾ フス キ —• クライ」 百 九十 八 號のァ ムフ. - テア— トロ フ: 卽ち 久しく 亡命生活 を 送って 來た 革命的 イン ティ, - 

リグ ン ツイ ャを 通じての 主要なる 特兆 は、 極めて. ^数の 人々 を 除いて、 その 根深く 養 はれた 偏狭な 心で ある。 本 II と 

も • もの 移住せ る外國 の周圍 と.,、 殆ど 全く 隔絶して 生活せ る 彼等 は、 極めて 狭い グル ー ブの閬 に 分れて 互 ひに 相 下ら 

す, その g の 抗爭が 彼等の 生活で は 唯 1 の & 面目な 攻治 上社會 上の 活動と して 考 へられ さへ もした ので ある。 隨 つて 



^ その生活^氣分はぃか-にも^l^霜の光りのなぃ不iなものでぁって, その 不機嫌な 氣 分の はけ ロは而 かも 自分た ちの 

狭い 仲間の 上に しか 向けられない 事情の 下に 在った。 そこで 屈して るろ 內 心の 不機嫌 は、 弗 常な 勢で、 而 かも 實 につ 

まらない ことに 一 生 想 命に なって、 その 狭い 生活 範 園へ 向って 爆發 する。 ロシャ 革命家の 亡命者の 仲間で は、 仲裁裁判 

がしき りに 開かれる. > その 仲裁裁判から また 爭 ひが 生じて 第二の 仲裁裁判が 開かれ、 更に また 爭 ひが 生じて 第三 第 四と 

どこまでも 爭 ひがつに くノ J の, 水い 間の 習性な り氮 分な りが、 口 シ ャの草 命的ィ ン テ 1 リダ ン ッ ィ ャ の紛爭 排斥 同士 

打ち を 引き起こ すに 至った 心理的 道德 的の 原因で. 而 かも かくの 如き 問に 間諜 的 爆 動 者な どの 介在して ゐる ことが 發 

見せられ るに 至って、 革命的 ィ ン テ i リゲ ン ッ ィ ャの 間に は T 凡ての 人 々がえ ての 人々 を 信じ なくなつ」 二と いふ や 

うな 結 栗 さへ も 生す る や、 rs になり-彼等 は 到底 心から 民衆と 融合す る 心理的 條件を 失 ふに 至った とい ふので ある 

三、 

イン テ 1 リ ゲン ツイ ャと 民衆 乃至 ブ ロレ タリ ャ I ト との 練 隔- 不信、 反咸 な, 反目 は、 實にロ シャの イン ティ H リ 

ゲン ツイ ャの 歴史の 初めから 赤, き 一 と 筋の 糸の 如くに 人の 眼底に 落ち 來 たる 事 實 である。 た^その 疎隔 * 不信- 反感 

. の 現 はれ かたは、 時代に より 場合により 人に よっても とより さまぐ の 姿 をと つて ゐ る。 千 九 百 十七 年 革命 後の ィ ン 

テネ. - リゲ. ン ツイ ャとブ ロレ タリ ャ— 卜との 閼 係に 就い. て は、 もとより 上に 略述した 說 明の 如き は、 ゎづ かに, ての 當 

時に 於いて. 眼前の 事象に 剌戟 せられた 社會 評論家の 所見 を * 極めて 無選擇 に大づ かみに 取り出して 見た のに 過ぎな 

い。 しかしながら この 無 選擇に 取り出された 一 1 三の 批評 は、 或 ひ は 却って その 當 時に 於 ュんろ 口 シャの 一 部の イン ティ 

,リ ゲン ツイ ャの 自己 を 批評す る ものと して、 それく に 生きた に觸れ てるる でも あら ラ。 所詮 これ 等の 批評の 

示す 如く、 イン テ. i リ ゲン ツイ ャは 多くの場合 非難の 的であった。 多年の 艱苦に! 堪へ 忍んで 來た イン ティ H リ ゲン 

ッ. -ャが • 革命 後 殊に 重大な 社會 上の 任務 を 有する こと を說 き、 自ら 策勵 すろ 傾きら、 勿; 1 多くの 評論の 間に 少くは 

なかった が、 しかし それ 等の 評論の 中に すら、 イン テ. リ ゲン ツイ ャ. S 過失、 無 氣カを 成 ひ は 資め或 ひ は If つの 口 



吻を 交へ ざろ もの は 殆どなかった と 記 臆する。 ィ ン テ i リゲ ン ッ , ^ャ と^い 意味の 批評 • また 隨 つて 自己 批評と は 

常然相 れが たきもの である。 批評の ない イン テ リ ゲン ッ,^ ャ とい ふこと は、 前に 述べた イワ ノ フ • ラ ズゥム 二 

クの謂 ふやうな ^味で • 首 葉の 上の 矛盾と なる 。『意志 方向 を 有する』 とい ふの は、 この場合 批評 的 精 :1 を 有つ とい ふ 

意味に 他なら ない。 批評 的 精神に 立つ とい ふ、 ことが、 ィ. ン テ 1 リ ゲン ッ. - ャ がた の 知識 を 有つ 人々 とい ふ 意味と 

自のづ から 異なろ 所以で あらねば ならぬ。 

1 ン テ 1 リゲ ン ッ ィ ャに對 する ブ 口 レ タリ ャ ー トの 不信、 排斥の 意志 傾向が、 明確な 一 つの 主張と して 現 はれて 

來 たの は • 口 シャの イン テ 丄リゲ ン ッ ィ ャの 歴史で は、 一 一十 世紀の 初め、 千 九 百 七 八 年の 頃で ある o( ィ ヮノフ • ラ 

スゥ ムニ ク、 「ィンテ1リゲンッ-ャに就ぃて』、千九百十年版にょ,^0 而し てこれ を 言 ひ 現 はす 特殊の 言葉 は T マ ハ 

1 エフ シュ ツナ 「 laldmefsllcllina) である a 

この 言 楚は千 九 百 七 八 年頃の 一 般 のロシ ャの讀 者に もま だ 十分に は 了解せられ てるなかった 新語であった。 しかし 

その 常時の 新間雜 誌な どに も 漸く この 言葉 は 散見せられ てる やうに なった。 たと へば あろ 勞働 者の 會 合で、 社會 民主 

及び 社お 革命" M 員の 演說の 後 、『勞 働 陰謀 ilJ の 代表者が 演壇に 上 つたと 害いて あり、 その 『勞 働陰媒 黨』 と い ふ 下, 

に 括 孤 をして T マ ハ ー ェ フシ ュチ ナ』 と 書いて ある, - 或 ひ は 無政府主義- マ クシ マリ ー ズム * 革命的 シ ンデ- カリ ー 

ズ ムに對 する 社會 主義者の 攻擎に 際して- 『マ ハ ー ェ フシ ュチナ j も.^ 6 た 一 擎を 受ける。 これ 等の 用語 例から 察して こ 

の 首 か 口 シ ャ社會 思想の 極左 翼に 立つ 新ら しい 思想 傾向 を 意味す る もの i やうに 一 般の讀 者に は 受け取られ たので 

あった。 r マハ ー ヱ フシ ュチ ナ」 と は、 マハ— ェ フ 主義 もしくは マハ ー ェ フ的 傾向な どの 意味であって- 後に^^明する 

如く この 思 相-の^ 底に は社會 主^に 對 する 批評が ある。 而し てこの 新語の 現 はすと ころの 意味 は、 結局 社會 組!! に 於 

ける ィ ン テ イエ リ ゲン ッ ィ ャの 位: 地の 問 超に 中心 を Sig いて cQ る。 隨っ てまた ィ ン テ イエ リゲ ン ッ ィ ャと は何ぞ やとい 

ふ 問 超 をも自 のづ から.^ んでゐ るの は 言 ふまで; ない。 ィ ン テ! リゲ ン ッ ィ ャの 問題 は 富に 吾々 自身の 問題 じある ィ 

ン テ 1-?- ゲ, ン ク " マの s^is の 考察の ための 1 資料と して, マ ハ I エフ シュ チナを f 一 S 者に 紹介す る こと は 決して 無意味で 



はない と B5 ふ o( この 招 介 ほ 主として 前に あ 1- たィ / フ ニフ ズゥム -I クの r ィ ンテ i ヮグン ッ. -ャに 就いて J の ペティ 

ェ ル ブル ゲ千九 百 十 年 版に 收 めら れ てるる ィ ン テ i リ ゲン ツイ ャに關 する 二つの 研究のう ち- 「マ ハ. ー ェ フシ ュチナ と 

は何ぞ や』 により * それに 雜誌 『文學 と 生活の 報告」 に 散見す る 諸 論文 及び ヮノ — フス ヰ. ー 君な ど 知人の 說明を 1^ 照し 

おもので あ も) 

四、 

> 'ハ I ェ プシュチナの 根底に は社會 主義に 對 する 批評が ある。 社會 主義 は マハ ー ェ プシュチナに とって r 打ち克た 

るべき」 ものである。 それ は社會 主義が r イン ティエリ ゲン ツイ ャの 階. 教的觀 念に 他なら ない とすろ からでめ る d T 

ハ ー エフ シュチ 十の 態度 は 主として この 意味で 否定的で ある。 社會 主義に 對 する それの 批評の 《ns 否の 問 超 以外、 ロシ 

ャのィ ン ティ ェ リゲ ン ツイ ャの問 超と しても マハ I エフ シュ チナは 輿 味 ある 一 思 t5 たる を 失 はない" 千 九: 白 五六 年の 

革命運動 當時 社會 民主 黨に 風して 流刑に も 處 せられた ことの ある 一 人の 口 シャ人 は、 マハ ー ヱ フシ ュ チ ナはィ ン ティ 

エリ ゲン ツイ ャに とって- ひろく 一般の 社會 にと つて、 最も 有害な 危險な 思想で あると さへ 首って ゐる。 ともかくも 

この 思 i やか 他の 社會 主義 思想 乃至 階級 觀念 とどう いふ 關 係に 在 あるか、 その 思想 發 生の 論理的^ 係 を 明らかにする こ 

とが 必要で あるつ 殊に この 思想の 發 生が、 主として 正統派の マル クシ— ズムの 論理的 連續 であると せられ、 この 思想 

の 中心 點が 社會組 截 上ィ ン ティ ヱ リゲ ン ツイ ャの 位地の 問 超に 對 する 答 へ であると いふに 於いて 尙更 さう である。 勿 

諭 イン ティ ヱリ ゲン クイ ャの社 會組截 上の 位地の 問題に 對 して は、 さま ざ. U の 解釋が あるので あるから、 マハ 1- エフ 

シ ュチナ のこの 問題に 對 する 解釋を 明らか に する ために は、 先づ簡 短に これ 等の さまぐ の 解釋を 述べて 證 くこと が 

必要で あるつ これによ つて はじめて マハ ー ェ フシ ュチナ の 由 來及ぴ 意義 を 一 暦 明らかにする ことか 出來 ろで あに? つ、 

更に-一 この: の 意味 及び それに 關す 文献に 就いても 多少の 紹介 を 試みね ぱ なるまい。 

イン ティエリ ダン ツイ ャは 勿論 1 つ 6> 社會 上の 意 有する 集 園であって、 その 特色 か 何に よって 如何に 诀定 せら 



47 



れ るか i-ssla である. - イン ティエリ ダンプ ィャは 結 社會的 經濟的 #11- によって 決定 せ ら る ベ き ものである もし 

く は 社會的 俭理的 意義に よって 決定 せらるべき もので あるか、 この は 口 シ ャに 於いても 十九 は. 紀^ば 以後の 論爭 

ゆ 中心 超 目で あつたと 言つ てよ い。 ィ ン ティ ェ リゲ ン ツイ ャと いふ 言葉が、 はじめて 口 シ ャで 一 般に用 ひられ 乙 やう 

になって 來 たの は、 千八& 六十 年代の ことであって、 この 首 i 光 を はじめて: ひたの は * 口 シャが 漸く インダストリ ャ 

91 ズムの 時代に 入ら ラ とした 常時の 社會 生活 を 主 超と して, プノく の 作品 をせ 1: い; にホボ ル ィ や ン である。 (ビ ョ I トル • 

ド r ^1 トリ 并 ツチ っホ ボルト キン P, D. wohorykin. 183G-1921. 常な 多産の 作家で、 c;^ 近に は ス并ッ ツル S ルガ ノ 

に 住んで るた。 未刊の 逸 著 も 少なから す ある。 昨年 八月 ルガ ノで 没した。) 千 八 百 六十 年代 D シャ は- 有識 無産で 社 

會上 一 定の 身分 區 別に 馬さない ところの 知識階級と 言 ふべき も のに *t-) かに 頒を 一;^ けて 來た 時代で あつ. -ー。 この 社 曾 上 

新 勢力 を 有すろ に 至った 一 團は謂 は ゆろ * ラ ズノチ I 二 エツ (ramotcl 一 inietz) である. - この 一 園に 對 して は、 身分 

上 階級 上の 區別を 意味す る 一 M 凝で なく、 經濟上乃至^!理上の 一 定の 物質 を i ぉ较 する 稱 が與 へら, れ なければ ならな か 

つたので あろ。 こ S 社會 上の 新 勢力に 最も 早く 注目して その物 1J〔:: を 一 つの 言 に 首 ひ 現 はさう とした もの は ほの. 社 

會 及び 文舉 上の 批評家 ビ ー サリ ヱ フ (e. J. 12?2.6|-184118—68.)でぁった〕 ビ ー サ リエ フ はこの 一 圜に 一 E- い^する ブ 

レ タリ ャ— ト」 とい ふ 名^ を與へ 社-曾 的 經濟的 解 釋 を 下し.; r (ビ, I サリ ヱ フ , 可な り SI1;_A\:I1 乂 r 思 11- する プ ロレ タ 

リャ I- ト』 は 千 八 百 六十 五 年の r 口 シャの 首 t^』 に掲 けられた。 パウリ ェ ン コ フ版全^1;木補遣に.^^めてぁる。)こ〔,-名:化は 

直ちに 一 般に. 流布し, 七十 年代に 近つ くに 從 つて 「ィ ンテ イエ リゲ ン ツイ ャ」 とい ふ名稱 によって 代られる に 至った - 

イン ティ ヱ リダ ン- クイ ャは 中立 的の 言葉と して、 即ち純然たろ社會的^濟的£;意味でもなければ^^然たろ社<^的^理 

的の^ 味 でんな く、 多少 不明確な 從 つて 廣ぃ 意味 を 有すろ ところから、 この 一 か 前 19 ビ ー サリ エフの 『思索す るブ 

レ タリ ャ ー ト」 より は 1 歷廣く 用 ひられろ やうに もな つたので ある。 

0^ ラ ズノチ ー ン ェ ッ (SBO、 ラ ズノチ ン ツイ (複 )、 は& シャに 於いて 制定 せられて ゐた 身分 上の 區別、 即ち 責族 

階級 (ドウ ヲリ ヤン スト ヲ dworyanatwo) にも 商人^ 級に も、 組合 ふ 組織して ゐる 職人 階級に も、 また 農民の 階級 

にも 恩して るない 人々 を 謂 ふので あって、 たと へば、 その 本人の 功躂 によって 特に その 一人 一 代 だけ 贵族 S, 外分 

に 上 けられ その 待遇 を 受けた、 n シ ャで謂 ふところの Esf 身贵族 (リ ー チュヌ ぶ ドウ ヲリャ 二 I ン) の 子供た ち-, d 如 

きもので、 卽ち 父の贵 族と しての tit^f を 受け! ない 子供。 ちで、 しかしながら 敎育 だけ は 受けた ため. 「^^^の義 

務を t% 除せられ てるろ 人々 の 如き ものが それで ある。 多くの 5„§ 合ラズ ノチ ン ッ" は敎 育が あり、 自己- S 財產 はなく • 

身分 卜; どの 階級に 恩 するとい ふで はない が、 官^^^などの子弟で多く中流以上の環垸の中に成長して來たものでぁ 

つた ^ i 一產 有識 OS 級と もい はビ いはれ る。 

(この紹介解^5^は今後^回を經て完結すろでぁらぅ。 ニニ、 四、 一 七ー八、) 片上 种 




讀讀 
賣賣 
新 新 




讀 W 



—に は 立 論 公平で 着眼 切 實な社 說が ある 

^ に は 外國觀 察の 異 彩ハ 氏の J 瑕 

事 



は 燜眼爛 々たる 



は 活躍 比類の 無 



は 特種 記事に 驚 殺 




lit <a SB* 五お 



が あ る 

が ある 

が あ- る 

一 



は 時代 文 藝の先 



2 は 本紙の 新 特色た る 



は 新 知識 マ」 興味の 庳の 




は 一 日讀ん だら 忘れられぬ 



瞬: 况 

說 講 ^ ぁ る 



氣橫 溢した! 1 

今の 讀寶新 閬を見 よ 




捌 a 大 



a 京 je^ 
本 

f 逢 橋 H 

S 朿 吏 
誠 海 京 
堂' お 堂 



g の§^2^臨別特111 

^ '受 申に S リ (1 憤 



ギ^ド 社會 主義 (第一 卷) i 



室 伏 高 信 著: 



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批評 社 





く \ 一 世界主義 _ 



. 文藝 I- 誌 i 

定惯 四十 錢 



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ラ ー テ ノウの 社會 思想 (長 篇) 

ー獨 逸の 新社會 主義 運動の 哲學) 

室 伏 高 信 

階級 闘爭に 於け る 智識 階級、 文化 

及び 藝 術の 問題 (良 篇) 

室 伏 高 信 



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行 所 批評 社 

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jpv.j^ 6 ^ ^ 定價金 貳圓五 拾 錢 • 送 費 金八錢 




民 



衆 藝 

す ぎ M: 

ロ堺 



この 書 は 古き 藝術觀 の複滅 であろ 藝 術の 愷値體 系の 書 直しで ある 從來 の藝. 

術 至上 主義の 隱遁的 傾向 を 指摘し、 藝術 によろ 社會 改造 を高唱 せる 鬪爭的 民衆 

藝術 論の 本體 である。 實 生活 をして 藝 術の 如く 光輝 あらしめ よ- 藝術 をして 人 

生 改造の 前銜 たらしめ よ —— これこの^^の使命でぁる。 第 一 章 『新 社會 へ の藝 

術』 第二 章 『民衆 ま 術 VJ しての 短歌』 第三 章 「石 川 啄木に 就て」 第 四 章 『尺 土 

漫筆』 凡て 六十 五篇の 文章 悉く 新 會欣 求の 心 熟に 燃 ゆ。 

利 彥拔. 



補充と 背景 

榮践 :::: ィャナ な 奴 

□Qp^^w ……: 西 村 君と 僕 



□ 大,. ノ 



ネ 



西 



陽吉 



著 



ロ劍 都市 居住者 

□1 街 路 樹 



定惯金 五拾錢 

送费金 四 錢 

定_© 佥六拾 餞 

送 費 金 四 ま 



「批評」 は 微力な 一 雜 誌です。 始めてから これで 第三 號目、 第一 號は八 千 

部 を 印刷して 六 千 何百 部を賫 つたに 過 ざよ せん C しかし 私たち は 無 な 

「自. S ん」 の 熱^ によって * きっと 人々 の 心に 一!^ へて 行く ことができ ると 

信じます。 レ-ー ンが 亡命 中に 編 し. U r ソ チア ー ル* デモ. クラ ー ト」. 獨 

逸の 「タ I ト」. 「ス ツル ム」 T ァク チヨ ー ン、」 佛蘭 西の 「ク ラルテ、」 若し 

く は .5^% の f 二 ュ .!• ェ —* チ」 なぞの ような 何れ. J 、片々 たる 小雜 が 何 

ものに 〈增 して、 新ら しい 世界の 文化に, 大きな 役剂 を^ じてきた 私たち 

の 目の前の 記錄. か、 私に ちの 希望 を 鼓舞して くれ ま. す。 どうぞ 證き 諸お 

^ i£ 導と 同 とに よ つ て- 批評 あ 志 を け さ せ て 頂きた いと. 1^ じます。 



英國、 印度 及 ス ワラ ヂ 



この: ill 文に e 度 解放 動の PX 力 ン * チ 自身の 翁いた;;^ の." 日:^; ^、於で 

• 力. -ダ. s 身の S.I 文 sc;-;^ の? 表で ある C 英國 民の 木 l^r 只 を說き ^く 文?; 

の 害. おを^ じ, カ辻、印§^の」」國の原困を^_九?^—.* そして 彼の 運^の 大精 

神スヮ ラ. チに 及ぶ。 lie 々赏に 彼の 偉大な Eij や) と 人 松との 結晶で ある- 

ロォザ • 〃クセ ンブ 〃ヒ 女史の 

口 シ ャ 革命 論 を讀む (室 伏 高 信). 



社 評 批 



ガ 加 小 秋 
田牧田 

ン 

哲 近 雨 
デニ 江 雀 



伏 



Ira 



信 



加 村 室 
田 松 伏 
哲 正 高 
二 俊 信 



批評 六月 號 目次 

有島武 1^ 氏の 想片. 

哲 學、、 J 傾向と :…… 

福 田 博士の 社會策 K 他 

ロォザ • ルク セン ブル ヒ 女史の 

自由 人 口 P ど 寶 ひへ。 シャ 革命の 批ン :•:-• : 

tl, 評— 問題の 新著) 

の 手帳 伯林 會議 :: :… . 1 . :… 

ク ロボ トキ ン の晚年 

. 小 劇場、、」 民衆 劇場 の 運動に 就て 

バ ルビユ— スとロ マ ン. * 口 オラン 

近代 經濟 制度の 藝術的 批評 (一 一) 

英國、 印度 及ス ヮ ラデ (全 譯) … 



有 島武郧 氏の 想片 



有^^:!武郞氏の 「宣言 一 つ」 が 一 寸 した 思 ひ 付き や、 利害の 動機 や、 若しくは その他の 不純の 理由からで なくして、 

眞 面目に 自己 を內 省し、 煩悶し, 可成り 久しい 間、 氏 自身の 頭と、 若しくは その 周 園の 人た ちの 智 li ,ゲも かりて、 思 

ひに E わ ひ を こらした 結果の 所產 である こと は 想像に あまり ある。 この 用意と 眞 面目 さ、 有 島 氏に ありそうな 眞 面目の 

さがあって こそ 彼の 「宣言 一 つ」 が あれ だけに 人き な 波紋 を 起した ので ある。 無論 それに はいろ ノ、 の 影 i! が あろ C 

例へば それが 久しく s 和 見 をして ゐ.; 一知^ 級の 心理 狀 能-の ある 意味に おいての 雄 辯な 代 辯と もな り、 また 有 島 氏 個 

人が文壇の代表的ブル^^ョァ (物!^バ上に) であり、 且つ 同氏が 從來 日本の 文壇に もってる た 優れた 地位と it 望 なぞが 

この 一 宣首 1 つ」 を かくまでに 大きな 問 超にまで もち 上け た 理由の 幾つかで あろ こと は 疑 ひの ない ことで は あるが、 そ 

れ にしても、 有 島 氏の 「宣言 一 つ」 にあれ たけの 真面目 さがなかったら • あれ はたに 嘲罵と 冷評と をう ける にし か 15f 

ひしない ものであった らうと 思 はれる。 勿! fl あの 眞 面目 さがあって さへ、 文壇の j 角で は、 た 嘲罵と 冷評と を もつ 

て 有 島 氏の 「宣言 1 つ」 を、 有 島 氏と ともに、 文壇から 埋沒 しようと すろ の 意味 かと 思 はれる ほどに 酷な 批評 をす る 

もの もあった。 しかし百の燒舌ょりも、-人^3の片影は、 强ぃ 力で ある。 

しかし あの 「宣言 一 つ」 の 後に、 有 島 氏の 發 表した ものに 隨分辩 i が ある。 隨 分な 非 論理が ある。 つまり 「宣言一 

つ」 み- 發 表する 時には、 省察、 煩悶の 裼句 あの 結論に 到 著した 跡が 顕著で あるのに、 その後に 發 表された ものに は、 3- 

ての こと を あの 結論へ 引 張って 行こうと する 努力な り 煩悶な りが 見える。 同氏が あの 有名な 結論 を 把持して 動かな、 

とい ふ 確信の 强 さに は 敬服す るが、 しかし!! 1 氏の 聰明 を もってして, あ- - した 結論に 問 を 重ねる ことなくして, た 

5- それ を 何んでも 彼で も 維. 持しょう とする 乃 木 軍 式 無 反省の 突進に はどうして., r 敬意 を 表する ことができない 特に 

【新潮」 五月 號に發 表された 「想 片」 を 一 IS むと この 感を 深く する。 



、一の 「想 片」 は その 名の 示す とほり^ 片 的な 甲 5 相 ^ の 寄 木 細工で ある プ 彼,^ 「自己.^ この-. つべ, もな く 愛し、 それ を眞 

の 自由 トま贵 とに 導き 行くべき 道に よって」 突き進んで 行く ことが 人間の 唯一 つの^し い 道で あると いふ。 ところが 

この 考を もって 突き進んで 行く ベ き 有 島 氏に 共產 黨官; 言から 彼の 思想の 糧を求 がようと する。 そして 共 產黨宣 la のう 

ちに は f 嗜默の 中に」 この 氣 持ちが 現 はれて ゐ るの だとい ふ。 また 唯 物 3;^. 觀の 「背後」 に は 精神的 gK 求が. 「潛 んでゐ 

る」 の だと もい つてる る。 つまり 有 島 氏 はこの 「喑默 の 中に :滘 んでゐ る」 もののう ちに マ, I クスの 精神 を pi: 

察して るるので ある。 實際 共産 isl 曰; 言 は 幾度 讀 ひで 見ても 新ら しい 氣 持で 讀め るので あるが、 それだけに 幾度 讀 むで 

見ても 明確 を 欠く ところが あろ。 それだけに その 片言隻句 を 引用す ろと、 それ は 唯物論 者に も 精神 論者に も それ-^ 

郡 合の い、 部分が 發 見し えられる ので ある。 しかし 共產黨 宣言 ゃ难物 史觀が 若し 冇島 氏の 解す るよう な 精神的な もの 

であろ としたら、 唯物史観 そのものが、 それ 自身 を、、 若しくは 有 島 氏に よって 轉^ された ので はないで あら、 rs か? 

「思想の 歴史 は、 精神的 所 產が物 }^ 的所產 とともに 變 化する ことのほかの 何もの. を r 醱明 する だら うか? XWas beweiat 

aie vieschichte <3er Ideen aiiders, als dass die geistige roduktion sicli mit der matenellen um^estaltet? ^^S^M 

宣言の この 首 葉 は、 有 島 氏の 考へ てゐ るよう な 精神的な., f ので あ. らう. か? 人!! の 思想が、 物質的 社會 構造 S 上部構造 

であると いふ^ 物 史觀の 「背後」 に 精神的な な 0, か 「潜む」 でろ て、 その 精神的な もの 6 うへ に 唯 物お 觀か 成立す る 

とい ふこと がいひ えられる であらう か? 正反對 である。 マ— クスの 見.!; は 精神的な もののう へに 唯 物 觀が 立つ ので 

はなく して、 唯 物的な もののう へに 精神が 構造され るので ある。 精神が 物質 を 規律す るので なくて 物質が 精神 を 規律 

する ので ある。 でなくて、 どこに 啡 物お 觀が 成立す ろので あるか?。 また 共產 黨宣 首な り- その他の マ— クス 主義 力 

文, 欲のう ちに-お 島 氏の 所見 を 裏 li^ きすろ ことので きる ものが あるで あらう か? 

しかし こ、 に は 唯 物お 觀 のこと を 論ん する こと は 止め, る。 た 唯物史観 を 有 島 氏の * する ように 「精神 化」 する: と 

がで きる にして.. 人 その "精祌 化された 唯 物 史觀」 なり、 若しくは 自己 を この、 rs へ もな く 愛し- 自由と V 尊貴と へ 導き 

行くべき 道を迎 るの が 人間に とって 唯 一 の 正しい 道で あると する 有 島 氏から 如何にして 一. 宣言 一 つ」 が 生れう; かが 



今 ゆ 問 頃で あ 

i 甲の i«a 武郞氏 曰く、 自分 は 自己 ゲ こゆうへ な 無く 愛し、 ,a.s と. 尊貴と へ 導く 道 を 行く • これが 唯一 しい 道 

たし 

4 この 有 島 武郞氏 曰く、 自分 は ど. つせ ブル.. チヨ ァの 所產 なのた。 縱令財 產は投 け 出しても 尙ほ 「知識と 思想」 とが 

殘 る.) だから 自分 はも ラ この 境遇から 股す る ことができぬ。 

つまり 自由 人の 宣言と 機械 人の 宣言な ので ある。 自由 人と しての 有 島 武郞の 宣言と 機械 人と しての 有 島 武郞の 宣言な 

ので ある 一つ は價値 批判で あり、 他 は 自然の エルク レ ー ルン ク なので ある。 - i 

As- の 有 島 武郞氏 曰く、 自分 は ブル,. チヨ ァ 階級の 崩壊 を 信ん する。 . 

A この 冇島 武郞氏 曰く、 しかし 自分 は ブル. チ<^ ァ 階級に 踏み止まる。 

つまり 存島氏 は崩壞 する ブル, チヨ ァ階 扱に、 その 威 亡 を自覺 しつ、 踏み止ま るので ある。 减 亡の 運命 を 見定めながら 

も尙ほ 壇の 浦までお 伴す る 決心な ので あろ。 その 決心と 勇 氣とは 勿論 敬服せ ねばならぬ。 その 事 人 主義で あるの 點 

は 敬服に 堪えぬ ので ある。 しかし 有 島 氏が この ブ ル, チ ョ ァ 階級の 擁護の ために 働く ような 目先の 見えな いものと 思つ 

たら そ は 大きな 見當逮 ひで ある。 有 島 氏 は ブルダ ョ ァ 階級に 踏み止まり はすろ が、. しかし 彼 は ブルダ ョ ァ ^級 を 威 ほ 

すため に 働く ので ある。 財產 はなくな つても 尙 ほ殘存 する 「知 顬 と 思想」 と、 を もって 鉢 を 逆さまに して 二の ブル * チヨ 

ァ 階級の 覆: li のために 働く ので ある or 生れ 且つ 育った 境遇」 の もとに 「永年 か、 つて 養 はれた 知識と 思想」 と を もつ 

て —— 即ち ダル. チ ョ ァの 知識と 思想と を もって ブルダ ョ ァ 階級 を 威 ほす ために この ブ ルダ ョ ァ 階級に 踏み止まって 一 

步も 動かない とい ふので ある。 しかし ブルダ ョァ 階級 を 威 ほす ために 働く とい ふの は、 有 島 氏に 從 へば、 ブ & レ タリ 

ャの陴營に^^!加すろことではなくて、 內 から その 崩壤を 助ける ことで ある。 そ W 崩壞を 助ける ため に 何 ごと か 有 島 氏 

によって なされる か? また 「第三階級 にだけ 主に 役に立って ,6 た敎 養の 所產」 を もって 果して, よく 第三階級の 崩壞 

を 助ける ことができる であら、 フ? 勿論、 >-1 タスの 唯物史観 を 信奉す る 有 島 氏 は- 第三 階 扱の 自壌 作用 を も 信ん する 



もので あらう。 もの 意味から すれば, 第三階級の 崩 壌 を 助ける 最大の 道 は、 グル. チヨ ァ§ ため. に、 資本の 集 接 そラ 

して それの 上部構造 であろ ブル, チヨ ァ 精神 を發锡 する ことで あろと 考 へて るろ のか も 知れない。 その 意味なら、 有 島 

氏の 謂 ふところの、 ブル, チ ョ ァの 崩壞を 助けろ とい ふこと は、 第三階級の 崩壞 を自覺 しつ. -、 ブ V チ ョ ァ 精神々 發ぉ 

する ことで あり、 從 つて ブルダ ョァ のために 耿ひ、 踊り、 合唱 するとい ふこと であら シ。 しかし 有 島 氏と して は. 同 

氏の 性格と して は、 彼に 「知識と 思 1. ヒ を與 へた 彼 自身の 階級に 對 して、 こ..' した 「だ.^ 6 し 打ち」 の やうな、 或は r 獅 

子 身中の 蟲」 の や 、つな 戰術を 川る る こと 11 尤も これが ブルダ ョ ァ 精神で は あるが —— が あらう と は 思 ばれない。 

それなら 有 島 氏のと るべき 方法 または 能^ 度 は 如何?. 曰く、 第三階級の 人々 に對 して r 觀 念の 眼 を閉 ちる」 やうに 働く 

ことが これで ある。 っまりぁきら.^の哲舉を敎へ 、 枕頭の 念 佛を唱 へ I 葬 ひの 饉を撞 くと いふ ことなの である。 今の 

佛敎徒 や 耶蘇 敎の 諸君が、 階級 闘 爭の事 奮に 面して、 第 gi 階級の ために あきらめの 哲 學を說 き, r 觀 念の 眼 を 閉ぢさ 

せる」 ための 念 佛を唱 へ、 宗敎 なり、 國體 なり、 道德 なりの 名に よって、 奴 隸道德 の 鼓吹に 急がし いと は反對 に、 有 

島氏はブ ル^K ョ 厂に對して牧師、 佾侶、 埋葬 官の 役割 を 演んじ やうと いふので ある。 ブ ロレ タリ ヤょ、 あきらめ よと 

いふ こと (牧師、 僧侶 * 講談師、 敎誡師 * 社會 政策 論者、 御用 舉者、 泣き 男 其 他の 合唱 圑) の 代りに、 ブル ジョァ よ 

あきらめよ とい ふので あろ。 ブル. チヨ ァ よ- お前の 榮 華の 時代 はもう 過ぎた 諦ら めよ、 とい ふので ある。 

私 はこの 有 島 氏の 役割が 非常に 貴重な 役割で ある こと を 信ん すろ。 若し 多く 乃 有 島 氏が 現 はれたならば、 そして 今 

日の 憎 侶 や、 牧師 や、 ^^:i師ゃ、-!^^き男ゃ、 ドラ ッ. ク商酋 や、 普選 尙早論 や、 社 會攻策 や、 社會 主義 尙早論 や、 「社會 

民主 主 i^sw の 對抗」 ゃのブ ル^K ョ ァ合唱圔の代りに、 ブ チヨ ァ 埋葬 園と しての 多数の 有 島 武郞が 出て きたなら、 少 

くと も 階級 鬪爭の 前にお ける ブルダ ョァ の慘忍 性、 例へば ファシ ツチ や、 オル ゲッシ や、 若しくは 「過激 社會 運動 取 

締法」 なぞ か 不人氣 になろ であらう ことが や V 像され るので ある。 そこで 有 島 氏 曰く 、「それ は 取り もな ほさす、 第 四 階 

級に ffi もの か與 へて rO るので ないか」 と。 

ところが、 二、 に 箱 壁が 疾 はろ. - とい ふの は、 有 島 氏の やうに 唯 物 史觀を 奉す ろ ものに とって は, ブル, チヨ ァ* イデ 



ィォ 口, チイ は ブル, チヨ ァ 生產樣 式の 上部構造 なので ある。 se herrschenden Ideen einer Zlit waren stets nur &e 

Ibeen der herl.sclsKkll Kksse.. なので ある。 だから 一 萬 人の 僧侶、 百 人の 社會 攻^ 舉者が 出て きて あきらめの 哲學 

を: いても ブ 口 レ タリ ャの 階級 的 自覺を 如何と もす ろ ことができない やうに * 百 人-の 有 島 武郞が 出て きて ブ ル, チ ョ ァ 

のた めの あき ら めを說 いたにしても、 その lierrsche ョ 一(-11 IClasse が 存在す. る 限り , そ の 上部構造 としての ク (Trschcudell 

Ideen に 「 觀 念の 眼 を 閉ぢ」 させろ ことができ やうと は 思 はれぬ。 從 つて 第三階級に 観念の 眼 を閉ぢ させる こと は • 

それに 封して あきらめの 哲 舉を說 くこと ではなくて、 この 階級が、 自." 覲 念の 眼 を閉ぢ なくて はならない やうに、 彼 

の生產 形式 を J^Ji 更 すろ ことで はないだら うか? 

冇島氏 はもう 一 度 考へ直 ほす 必 はないだ らう? か 或はもう 一 步 進めて 考へ ろ 必要 はないだら うか? 冇島 氏に 從へ 

M, ホ 并ット マンが 詩人と しての 自覺 をえ たの はェ マァ ソン 著 寄 を 讀ん. たこと が與 つて 力 ある。 がし かし ェ マァソ 

ンは それだけの ことで ホ丼ト マ ン から 感謝 を 要求す ろ榴利 はない。 從 つて 「第三, 階級に のみ 役に立つ てるた 敎 養の 所 

§ :::: 第四階級. か 取り 上け たといった ところが, 第四階級の 功績と はい はれない」 と。 何故に 功績で ない 

だら う? ェ マァ ソンが ネ 丼ット マ ンを 詩人と しての 自ー おに 導いた 時に、 ェ マァ ソン は 有 島 氏の 所謂 「何もの を か與へ 

てろ ろ 一 ので はないだら うか? また 第三階級に 屬し てゐ たも の の敎 養の 所產が 第四階級 によって 取り入れられた 時 

に、 「それ は 取り もな ほさす * 第四階級に 何者 をか與 へて るるので はないで あらう か? 若しも ェ マァ ソンが、 ホ 并ット 

マ ンを 詩人と しての 自覺に 導き えられた としたら、 第三階級 者と しての 敎 養の 所 產も、 第四階級に 對 して、 プロ レタ 

リ ャ としての 自 や」 導く ことができないで あらう か? そして 若し 將來の 社 會を嬉 つて 立つべき 第四階級 を, ブ ロレ タ 

リャ としての 自覺 に 導き えられた としたら、 それ は 新 社會に 封して 「何もの をか與 へて ゐろ」 ことと なり はしない だ 

らう か? 

» ^は 有 島 氏が こ、 に 進 一 進すべき の 時が きた やうに 思 ふ。 有 島 氏は甞 つて それ を 「超 ゆべ から. さるもの」 を 越える こ 

-4i とも 考へ たや、 ァ である。 また それが 第 四階极 にと つて 「或は 邪魔になる もの」 でも あると 考 へて るた やうで ある。 



しかし 「想 片」 に 残れた 有 島 氏 は 依然と I て ブル 3 ァ陪 級に 踏みと まることの、 « ^氏の 言葉で いへば、 「絕 望の 宣 

言 J を 維持して ゐ るので は あるが、 しかし 「想 片」 は、 有 島 氏が 第四階級に 投 する こと を、 最早 や 第四階級に 邪魔に 

なると も、 若しくは 越 ゆべ からざる もの」 を 越える ことと もい つて は ゐ ない。 否、 正 反 對-ビ ある。 何と なれば、 .f^, ま 

それが 「合理的」 である こと を 自ら 承認して るるから である。 平たい 言葉で いへ ぱ 「越 ゆべき もの」 とする に 至った 

ので.^ ろ。 こ >- に 有 島 氏の 一 大 躍進が 存 する。 然り T 越 ゆべ から ざろ もの」 から 「合理 !&」 への 一大 躍進が 存 する。 

しか.. > その 躍進 は、 流行 や、 煽動 や、 事大思想から でなくて、 本氣 な、 眞 面目な、 省察、 煩悶、 研究の 結 EI- である 

だけに、 退却の 爱 のない 躍進で ある。 私 はこの 眞 面目 さ を 買 ふ。 この 眞 面目 さから 私 は 更に 進 一進の 生れる こと を 期 

待す る。 

私 は 旣に有 島 氏の 「宣言 一 つ」 が 自由 人の 宣言でなくて 機械 人の 宣言で あると いふた。 私たちが 黯 かんとす る こと 

は 機械 人と しての 宣言でなくて、 自由 人と しての 有 島 氏の 宣言な ので ある。 

彼 は 唯 物 史觀を 精神 化する ため l^i 無駄な 努力 を 費す ことの 代りに、 彼 自身 を 精神 化すべき であろ • 唯 物お 觀 ゃ共產 

《熟宣 首 や、 マ ー クス や、 ェ ン ゲル スは 如何に 精神 化し やうと しても それ は ガルバ ニジ エル ン グ であろ に過ぎないが、 

有 島 氏の 唯 物 化 も、 恐らく は 氏 自身の 本來の 面目ではなくて、 氏の 思想 的 遊戯で あるに 過ぎない であらう。 ほんとう 

の 有 島 氏 は、 私の 見る ところでは、 自. E 人と しての 有 島 氏で あらう 。一で あれば こそ、 ブル デョァ 階級に 生れて、 そこ 

に、 rKf か \ つて 養 はれた T. 知識と 思想」 と を もちなが らも、 尙ほ唯 物の 桎梏から 脫 して、 太陽の 光 を 浴び、 大地 を 踏 

も 5 とする 煩悶な り 努力な りが あり 、つるので あろ。 その 煩悶な り、 努力な りの 存 する 以上, 被 は、 本來 は、 機械 人 

では ありえな いので ある。 (室 伏 高 信) 



哲學と 便 向と 

攀か 原理の 舉 である ことに は 多く 異論がない。 しかしながら 哲學と は元來 古代の 舉 であって 現代の 學 でない。 そ 

れは 倫理 舉 や、、 美舉 や、 法律 學 なと とひと しく 古 人の 空想より 發 生し, 古代人の 空 相 .ws なかに 花 さ いた 學 である。 

古代人 は 生活に 對 して 直接に 面しなかった。 之に 反して r 觀念」 又は 「理想」 を 通じて 生活 を 見た。 故に 生活 は必す 

ある 觀念 なり 理想な りの 變形 でなければ ならなかった。 しかしながら これ はより. 深い 意味に^ ける 「i^「w 識」 の 欠乏 か 

ら來 た欠陷 である。 さう して 近代 科舉は 哲舉的 認識 以外に 正しい 認識 を へた。 さう して 觀念ゃ 理想の 偶像 を 破壞し 

た。 その 故に 哲舉 か科擧 として 成立す ろた めに は 科學の 救助 を 求めなければ なら なくなり, 美舉ゃ £1 理舉ゃ 法律 學は 

その 軌範 的 性質 をす て、 記述 學 とな 6 ベ くやむ を 得ざる に 至った。 その 最もい い 例 は 心理 舉 である。 今 曰で も 時代 を 

知らない 哲 s;1. 者 は 心理 舉ゃ以 哲學の 一分 科と 考 へて ゐ るか も 知れない。 しかし 心理 學は 今日 純然たる 科舉の 一部分 

である】 しかも その 發 生のと きに 於て 哲學 であった こと は、 あらゆる 古代の 哲學體 系の 一部と して 存 して ゐ たこと か 

ら 知られる。 かくして 現代の 舉は 古代の 舉の すべて を 改造 せんとし つ. - ある。 

原理の 學 としての 哲 3^ が 現代 社會 生活 を 批判す るに 當っ ていかなる 態度に 出る ので あるか。 不幸に して 日本に 於け 

る 哲學は 多く 古代の 學 であろ。 その 位 Si する 處は 知る ベ きで ある。 

生活の 展開 は 新たなる 道 を 開いて るる。 それ は ある 空想せられた 「理想」 の あら はれで もな く、 また 「慎 値」 の 表 

現で もない。 か- 1 る 科の 古代の 觀念を 以て 生活 を 批判しょう とするとき、 その 批判 は 當然尙 古主 毅に陷 る" これ 「原 

理」 が や i も すれば 反動的なる 所以で ある。 

* 原理の, 研究と は その, 名 は 美で ある。 さう して それが 同時に 反動的な 効用 をつ とめる ことが 出來 ると すれば、 それが 

に 眼 を 開け や、? とする 哲舉 者に とっていい 逃 接と なること も事實 である。 現代の 日本の 哲舉者 は、 この 數 年来の 



社 <P5-S0S 勃興に 驚かされた。 しかも それらの 社會忍 想に 哲學の 根底かない &を 以て これ を 強いて 無 蜆し よ-? として 

ゐたリ その 無視が 出來 切れない 時、 彼等 は その 有する 「先 驗的」 合法性 や、 普遍 S 常 性 を もって 來て之 を 律しょう と 

した。 それによ つて 彼等 は 間 接に 反動 氣分を そ 、り 立てた ので あろ。 

1 口にい へば 現 時の 日本 は 反動的で ある。 さっして その 勢に 乘じ、 若しくは その 勢 を 助長せ しめたの が哲學 論で あ 

つた。 今年の 哲舉 者の 論策の 多く は それで ある C 田邊元 民の 「文化の 槪念 .『 ハ 改造 三月 號) の 如き もま さしく その 一 つ 

に^ へられる。 

余 等の 見て 不思議の 感に堪 へない ことが 一 つ ある。 それ は ドイツ 思想が 全然 日本 S. 哲舉界 を 征服し 去った ことで あ 

り、 同時に 日本の 思想の 一 方が それで 満足して るる ことで ある。 哲舉が ある 一 派の み を 誇り、 それ 以外 を 認めまい と 

する こと. か 奇妙な ことで あると 共に、 その 1 派と いふの が實は 他に 征服され たもの だと すれば なほの こと 妙で ある。 

思想 は 自由で ありたい。 名詞 を 使用して 論理的 構造 をのみ 誇るならば、 E- お は どれ だけの 屈曲 さ を も つので あ 

6C いはん やそれ だけ をい は ゆる 「正系」 哲學 として 高く 殿堂 a まつり 上け るに 至って は 沙汰の 限りで あろ。 哲學 者の 

偏狹は どこでも 同じで ある" しかし それ は 自ら を 持す る ことが 堅い からだ。 日本の 哲學者 やうな ドイツ 風な 考へ. を 

して、 それ を 威張る の は!: 安子の 御者と 奸一對 の 例み なすので ある。 しかし それが 日本の 支配 政治の 官僚主義の 政策 か 

當然の 結果 を 得た の だと すれば、 仕方がない 事 かも 知れない" 

この 風潮 か 勢 をな すと き、 その 本來の 理由 を 知らないで、 若い 哲學 の舉徒 か 好んで そ 6ia をな して 來 るので ある。 

さう して それらの 徒にと つて は, 哲舉が 原理の 攀 であると して その-原理 か赏は 何物の- :5i 理 でもな くな つて ゐ るのに 氣 

がっかない。 さラ して 眞 面目に^ 理を考 察すれば する ほど、 その 詐欺に 陷 るので ある。 さう して 日 木 か 支那 哲學ゃ 印 

度 思 1^ を 受けて * しかも 漢字の 文字 を用ゐ ると ころから も その 欠 陷が來 るので ある- 朝-水 三十 郞氏、 桑 木嚴翼 氏. 阿部 

次郞氏 その他の 哲擊 者の 業鑌が ことごとく 反動思想の ために カを盡 して ゐ るの も 怪 むに 足りない。 

二 九 ニニ、 五十 七) 村 松 正 俊 



福 田 博士の 「社會 政策」 其 他 

社 <^:: 問. 越に 閱 する 論議の 流行 期 は 確かに 去った。 流行の. は、 その 本 體の絕 (故ケ 弁? 味して るない。 否, 流行^の 

經過 はれ 會 問^に 關 する 論議の 深刻化 を 語る ものである。 社會 とか 勞働 とか 云 ふ 名 さ へ 附 けば, どんな 下らぬ 本で も 

赍れた 時代 は、 真面目な 研究者の 出ない 時 だ。 眞而 目な 研究 は 却って 流行^ 後に 出づ るで あらう" まして 社會 問題 そ 

の ものの 解決に は * その^ 議の 流行に よって は 少しも 貢 さ,;: なかった からで ある. - 社會 問題の 本贯 並に その 解诀法 

に關 する 思索 は 寧ろ 今後の 冷靜 なろ 研究に 俟 つべ ぎで ある. - 

福 田輕ニ 博士の 「社 會 政策と 階級 鬪爭」 はこの 冷靜 なる 研究 期に おける 一 奢 物で ある。 二の 寄 は その 形態 上 二部に 

分 たれて ゐる" 第一 部が 社會 政策 序論で あり、 第二 部が 階級 及鬪爭 とその 常事 者で ある。 博士 は 本書に おける 自己の 

悠度を 約 首して 云 ふ.^ 

「我々の微弱なカ.^以て無限なる欲望な充さぅ>.、するには、 必す 共同 生! S がなければ なら i-o 共同生活が 發 達すれば、 其 間から 

階級が 起る C 階級 や、 隋級 i の 間 LL は、 自ら 階級 鬪爭が 生て ろ。 今 n-」 おける 階級^ 爭は、 資本 所得 階級 >』勞 銀 所^ 階級 マ" の爭で 

其 形 は I 方 は 雇 旗 引、 他方 は 勞働爭 謹 以て. しズゐ る。 社會 主義 も社會 政策 も、 否 一 社會ミ 名の 付く 事 は 少くミ も 今 8 にお 

ぃては、 ^«の,ぉ-.:於けろ闘爭な主題.^するものでぁる0 然る I: 社會 主義 は、 少く >J も マ^キシズムの 說 において は 此鬪 爭に關 

する 唯 物史觀 i して 接め て 樂数說 持して ねる。 卽ち此 くの 如き 階級の 對抗は 資本主義 がそれ 自ら 必然的に 崩壞マ 可き 運命 有 

する., f. ので わる かも、 之れ W 共に、 富お 早晚 消滅す ベ. V 、もので あ- Q win ふので ある。 私の 解す る 社會玫 策は此 樣な樂 観し 恥 マ * 



10 



もので わって、 安本 主義. J, 以て、 其自らに崩|?す可,*、必然的運命,^^有して居るものさは認めなぃ」 此^に 放認 して I おけば、 即ち 

必然的ぎ 命に 任ぜ,. け 資本增殖の;&^は益々强烈さなリて人生の眞の厚生幸福は全<其の爲めに3^鱺^^らるろ外はなぃ0 我 

々は 必然の 運命の 到 米に 一 任せす * 人爲の 政策 以て 此 大勢に 對抗 さ- C. はなら! 2 、、、主!^ すろ もので あろ C 是が卽 ち 社會 政策 r:^ 在 

の 理由で わる。 從 つて 社 會 政策 は マ が タス 流の 唯 物史觀 以て は 到&、 打 立て 得られない もの * 否な 否認 ぜら るべ さもので あろ. W 

共に、 我々 の 如く 唯物史^.^ 取ら 5:.,.^ のに 取って は, 社會 主義が 誤 リズ 敎 へつ、 あ ろ 所. 5^ 正しく;^ ゆろ もの Si ち社會 政策で 4> 

る o( 序 五 I 六 K) 

博士の 立? 1^ は 極めて 明確で ある。 卽ち マル キシズ ムを排 して 社會 政策 を 採る。 これが 博. H の 立場で あり T 社會 政策 

と 階級 鬪爭) の 五 百 余 貝 は、 この 立 提を說 明し 辯 護す るた めに 費され てるる。 

博士の 社會 政策 論は單 なる 行攻 論で も, 常識 論で もない、 それ は 一 の^ 驗的 智識の 上に 立脚した 理論で ある。 博士 

はこの 理論 を 打ち立てる ために * 先. っ國 家と 社へ 昔の 對 立を以 つてし、 1!^ 世の 社贫 運動 は 一 に 「社 會の發 見: i にある と 

した。 一度 社會 ケ發见 し、 其 存在と. 活動の 法則と を 知る に 至って は、 國家に 一括す る 能 はす、 個人に 分割し 能 は ざ 

ろ此 等の 異例 的 現象 は, 之お あけて 「社 會的」 現象な りと する に 至る" 社會 運動、 社會 s^^, 社會 主義、 社會 階級、 社 

會 事業な どと 云 ふ 場合に 閼 する 「社會 的」 r ソ ー シ アル」 なる 槪念 は斯 くして 出で 來 つた。 而 して 其 等が 直ちに 人の 注 

意を惹 くこと は, 此等は 個人的で ない は 勿論, 國家 的と も 云ひ壶 されぬ と 云 ふこと これで ある ピ( 一 七 —— 一 八) 故に 

社會 政策の 理論 は 先 づ國家 哲學の 研究に あらねば ならぬ。 「社會 政策の 根本 研究 は 此の 新しき 國家 哲攀、 社 會哲舉 の 産 

物 を 十分に SB 得する ことなくして は、 決して これ を完 ふす る 能 は ざろ ものである。」 (一 一 五 頁) 



然ふに從來の國家畢說を見ろ.^^、 少く とも 二つの 形 55 が ある。 それ は國家 至上の 哲畢 と國家 Ko 定 の畢說 である or 前 

者 は 之 を 押 詰めて 行く と、 社 會を國 家に 融 化し!^ さラ とする ことにな り、 後者 は 國家を 社 會に融 化し 盡さ うとす る こ 

とに なろ。」 (一九 頁) 卽ち國 家 至上 主義 は 一 切の 事象 を舉 けて、 これ を國 家て ふ 容器に 盛り 上け や 5 とする。 然るに 一 

方國家 否定の 舉說は 一 切を舉 ゆて 社會の 内に 包.^ せしめ やうと する。 兩 者の 對 立の 結 51- は杜會 か 國家か 一 1 者擇 一 の 結 

染 となろ。 社會攻 策は兩 共に 否と する or 國家 を社會 へ. 包懾し 去らう とする 考も、 社 會を國 家、 包^し やうと す ろ考 

も 共に 社會 政策の 取ら ざろ 所で ある"」 (一 五 四 頁) 國家 • や 1 上 主^の 缺點は * 阗蕖 生活の 一 形式た る國 家に • 個人的 事象 

も、 社會的 事象 を も包攝 せしめ やうと する 點 にあろ" 國家も 一 の 人格で ある T 國家は 同家 それ 自らの 生命 を 持って ゐ 

ろ。」 (六 五 I. 六 六) けれども この 頸 立 人格の 所有者で あろ 國家 はすべ ての 社 曾 js?. 象 を 包摄し 得る もので はない。 勿 諭 

< ^去に おいて は • か- -る こと は 可能の ことであった。 けれども 社會 の發 はこれ を 不可能なら しめて ゐる。 軍に 不可 

ヒカ ならしめ てゐる 許りで はない。 同家 至上 主義 を 否定し、 更ら に國家 そのもの を も 否定 せんとす る 傾向 か ある,. - この 

兩頃向 を 調和す る ことが、 社會 政策の 使命で あろ。 卽ち人 問の 厚生 11 爭は 「決して 國 家て ふ 容器 以外 國 家の 範 31 以外 

こ^ての み 行 はれる ので はなく * 國 家に 盛り 上 けられた 部分、 國 家て ふ 容器の 中に ある 共同生活に 於ても 行 はれる 者 

で, 國家 範圍は 決して 闘爭範 園で なく、 鬪 爭は阈 家の 內外を 通じて 一 樣に行 はれる ので あるから T 社會」 は國 冢の內 

外 を 通して、 其 存在 を 維持す ろ 者と 考 へられる。 (一 五一 ) これ を具體 的に 云へば * 從來の 權カ國 家を變 形して、 義務 

國 家たら しめよう とする る。 これ を 他の 言葉で 云へば 「財 產國 家より 勞働 M まへ, 一の 一 言 を 以て 言 表 はし 得る。 而 

して 其 蜀立點 は、 生存 權の認 承に ある こと は、 ァ ン ト ン*メ ン ガァの れを 承け て、 私 S 十数 年 來キ: 張し つ ある 所で あ 

る。」 博士の 雄大なる 議 ii は、 その 十 數年來 の 主張た る 生存 權の認 承に 歸 着して ゐる ( 一 六 一 1 -—— 三) 

三 

. 生存 權の 11 承なる-義務 國家を 如 i: にして 建設すべき か。 國家形 の變改 後に お.^ る國 家の 範圍 如: w。 .社 曾^な り. t 



fa めら る ものの isaa 如何。 殊に 「國 家て ふ 共同生活 は 今日までの 事實 として は、 此の 不自由 不平等の 第 一 淵源た る 射 

產 制度の 捥護を 以て、 其事實 上、 經驗 上の 第一 任務と して ゐた —— 本質 上の 第 一 任務た る It では 決してな いが I ^ 

從 つて、 今日 迄の 國 家に 就いて 云へば、 其統 冶、 其 支配の 下に 立つ 人類の 生活 こそ、 不自由 * 不 等の 體我 であると 

云 はねば ならぬ。」 二. 三 一 ) 「事 富に 於ても 國 家の 乾 害の 最大なる もの は、 其 財產 擁護 制度に 伴 ふ 弊害であった ので, 國 

家の 衝カを 掌握す る 者 は, 又 同時に 財 產權カ を 掌握す る ことにな り、 反 對に財 產權カ を 紫 握 すれば、 自然に 國家權 力 

を 掌握す ると 云 ふこと が、 少く とも 今 S 迄の 歴史的 發展 上の 常例であった。」 (一 二 七 並に 一 四 九) かくの 如き 國 家に 闕 

する 經驗的 智識と 「一 度 存在 を發 見した 社會に 就て、 更らに 其 運動の 法 刖を發 する こと, 其 運動の 進行 上に 於け ろ 

國 家との 交涉を 正しく 解釋 する こと、 他方 同時に 個人との 關 保 を 究明す る社會 政策 理論」 (三 五) と を 如何にして 解說 

すべき か。 馎士は 自己の 學說が 經驗的 智識 S 上に 立脚して * 诀 して 社 會 主教 者の 如く 一 の 13 斷 から 出發 して ゐ ない こ 

と を 誇りと して ゐ るので ある o( 「階級 鬪爭 常事 者と しての 雇储 所得と 資本 所得」 中の マ ル クス 階級 鬪爭 論に 對 する 批評 

を 見よ) 

博士 はこの 經驗的 事 實の認 承の. t に 自己の 學理を 建設 せんとす るが 故に、 博士の 所謂 經驗 的事實 から 出發 して、 故 

に當然 社會の 内に 融 化せら るべ きを 主張す ろ マルクス 派瓧會 主義 殊に レ ー ニンの 說 に反對 する ので ある! 博士 は、 か 

i る 目的の ために、 マ ル クスの 經濟論 と 唯 物 史觀と を 斥ける。 マ ル ク スの唯 物 5.<觀 全 體に對 する 博 十-の 議論 は 本 害 中 

に は • これ を發 見す る ことが 出來 ない。 た 階級 鬪爭論 は 歴史的 事實 に反して るるが、 た^ 近世 資本主義 制度の 下に 

おいての みは, 正しい と 主張 せらろ る〕 さう して 社 會攻策 は 階級 闘爭を 否認 "a ろ T 社會 政策 か 階級 鬪爭を 否認す ると 

云 ふの はノ 決して 現存の 事實を KP 認 する 謂で はない、 其 は 爲す能 は ざろ 所, 否舉問 上爲す 可から ざる 所で ある。 其 否 

Ik と 云 ふの は、 階教li爭を飽迄を階級lKS^として進行せしめ* 此に 標的と 目的と を 指示して、 より 有力に、 より 有意 

的に なすと 云 ふこと を K0 認す るので ある)」 (三 六 八) 博士の 見る ところに よると 社會 主義 は 階級 II 爭を唯 一 の 目的と 

してる る C 故に 博士 はこれ に贊 同す る こと は出來 ない。 >♦ ^は 博士の マル ヰ シス ム觀は あまりに 窮屈に 過ぎす やと 考へ 



る ものである o - 

最後に 馎士は 資本の 增殖 と資木 主義の 崩壊に 就いて 諭す る。 博士 は 資本 增殖 は、 勞働 階級の 消費 減退の 事に 不构ら 

す、 進行す ろ もので あ, ろが 故に * マルクスの 崩 壌說 を、 ッ. カン • バラ ノウ ス キイと 共に 誤りで あると 主張す る 。この 點 

に 就いての マルクス 說辯護 は 河 上 博士が 「社會 問題 研究」 「我等」 に揭 ゆて るろ: 私 は 兩說に 就いて こ- -に何 ごと も 云 

はない。 けれども 博士と 雖も資 本 制 皮の 永遠 性 を 信す る もので はない やう だ。 曰く 「我々 は 今日 現在 此の 資本 制度と 

云 ふ 形を與 へられて、 其の 中に おいて、 我々 の 力 を、 又た 他の 或る 更らに 進んだ 急所へ 集中して 攻め立て、 我々 の 運 

命 を開柘 しつ i ある。 而 して 此れ も * ある 度まで 我々 の 力が 達すれば、 やはりから となって 亡び 行って しま ふ もので 

ある」 と。 博士 は、 この 點に 於いて 唯 物お 觀を 純然たる 機械論と 解す るので ある。 

要するに 社會 政策と 階 殺 鬪爭は 博. H の 深遠なる 畢 殖を倾 けて * 社會 政策の 理論的 基礎 付け を 行 はふと する もので あ 

る。 乍然、 !@-± の 云 ふところ によろ と T 社會 政策 序: i」 は 汎論の 汎論と 云 ふ 積り で、 云 は, ホンの 見本に 過ぎない、 

後篇に おいても、 論じ やうと すろ 問題 は甚た 多い ので ある。 (序) 吾々 は 博士の 眞意を 知る ために、 更らに 博士の 末刊 

e 諭 文の 發表を 願 はねば ならな い。 

一 1^1^.^ の マ ル クス社 會畢說 の 批評に a- しも、 フーつ マル クス 批評 を 吾々 は、 本年の 上半期の 收獲 として 持って る 

る。 それ は 二月の 「改造」 に 現 はれた 小 泉 信 三 il-il の 「勞働 僭 値說と 平均 利潤の 問題 マ ルクスの 惜 爐學說 に對す r 二 

批評」 であった。 ー^^;^!!の所諭をー言にして云ふとかぅでぁろ。 マルクス は 資本論 第一 卷 において、 すべての 商品 

®feisl は、 そり 主產に 要する 社 會昀に 必要な ろ 勞縻 時 e によって、 決定 せらる と 主張した。 然 ろに その 第三 卷 におい 



て は, lef. 均 利 《s と 云 ふ 觀念を 人れ て 來て. 商品 は, そめ 費用 憤 格と 均 利潤との 和 を 以て 袞 買され ると 云 ふ a この 第 

1 卷 において は、 商品の 價 俯 は 社會的 必要 勞働時 B-i よって 決定 せらる ると 云 ふ 勞働憤 fl と 第三 卷 における 費用 賈 

狩 ブラス 平均 利潤に よって 價格か 決定され ると 云 ふの は, 明かに 矛盾た と 云 ふに ある〕 小 泉敎授 は、 先き に 力 アル V デ 

ィルの マ = ^クス 1^ 値 說舉說 を 紹介され たし (社 會問超 研究所 載) 今、 この 矛盾, 乂 指摘す るのに ォ I スト リア 舉 派の 大斗 

ボ HI ム* バウ H ルクの マルクス 舉說 批評に 據 つた。 勿論 小 泉 敎授も 云って るる やうに、 勞 働惜链 說に對 する 主 觀僧値 

論者の 批評 は 今日 始まった ことで はない。 隨分 古いので ある C 

この 批評に 對 する マルキスト.. からの 冋答は * 山川 均 氏に よって、 その 主宰す る 「社 會 主義 研究」 (五月 號) において 

なされた。 この 回答 もまた 幾度 か 操り 返された ところで ある。 詳しく 云 ふと 大邊 長くなる から、 簡單に 云 ふが- 資本 

主^の 發 達した ところで • 商品が その 勞働價 値に よって. 寶 買され な いのは、 自由 競爭 その他の 障害が 存す るからで 

ある。 それ は、 空中から 物が 落下す る 場合に 引力の 法則の 支配 を 受ける が、 空氣 その他の 障害が あって、 法則 通り は 

行かない。 けれども、 これ は 法則の 存在 を 否定す る もので はない。 大體 かう である" 

けれども 吾等の 超と すると ころ は、 價爐 は、 果たし-し 勞 働から 發 生す るかと 云 ふこと である。 マルクス は豫 め、 

その 對 象の 商品 を 人間 山努考 によって 自由に 再:^ 產し 得る.. T のに 限って ゐる。 これ は- 甚だ マルクスに は 都合の よい 

ことか も 知れない が、 憤 俯 問 を 解決す ろ 所以で はない。 英國 で、 八十 年代に 社會 主義が 勃. S 〈して 來た ときに, 當時 

流行の ジェヅ オン スの 主觀的 限界 惜爐 論に よって、 マ ルクスの 客 觀的勞 働 慣爐論 を 批評した ものが あった。 マルクス 

主^の 長老 ハインド マ ン は- 「最終 利 ffl は 最終 無用 だ」 と 罵った が、 慣値舉 說發展 の 上に おける 最終 利 川說は 最終 無用 

ではなかった ので ある。 マルキスト は その 第 一 卷と 第三 卷 との 問の 價値 論の 矛盾 を說く 前に, 利^ 說に對 する 批評 を 

行 はねば ならない。 

次に 云 ふべき こと は* 勞働惯 値 論と 餘剰價 isl 說 との K 係が ある。 マルキスト は努働 憤植, 翁の 否定 は、 直ちに 除剩價 



15 



敏說 の. 否定と 逢 はす もが • これ は設 りで ある • ベ ル ンシ ュタィンは勞银馁^!11?^の|?^^^は* 直らに 餘^. ほ の 誤謬 を 

文 $^ すろ もので ない と 云 ふやうな i1 味の こと を 云って ゐる。 また フエ ビヤ ン フ、 は勞 働へ I を 否定しながら、 地代 論の 擴 

張に、 よって 餘剩愤 値 綸を立 > おしてる る。 マル キス トが勞働憤!1!論のスロ【疋者を以って、^0:ちに餘剩憤^^^の否定^|<?んーり. 

社 會主殺 者た る こと を 得ない や 5 に 云 ふの は速斷 である。 

耍すろ近;;^-の社會問超の論議は漸くその中心問¥」觸れて來たと云って いい。 流行 明 S 雜駁な 議論から * 厦 面目に 

しで 內 i4 的 V は 1,1 に 移りつ」 ある。 吾々 は 流行 期の 經過 を悲 まざる もので あろ" 五月 九: n (加 田哲 二) 



會議の 筌氣を 一 新しで 協同 的氣 分な 導きました。 その 結 

染吖ル三 ィ ンタ ナショナルの 代表者 は 次の よ 5 な 聲明害 を 

發 表しました。 

2 ) ヂョ ー ルゲ ア^ SLi つ いての 双方の 情報^ 蒐 113- する、、 ミ 

に 一 致す もこ. WO 

( 一 一 ) 社會 革命 黨 晨 の 政治犯に ついては、 辩護士 ミ. (ての ゲァ 

ンダぺ 少トの iyi-^ 容 する ぶう ロシア 府に $S 言す ろ: 

§ ) zcllepbildung の 戦術 yj- ミ,! ^ない こ i は 第三 イン ネナ 

;>111 ナ少 が旣に 左お l^yi- 除名 し V- ねる 、、ミ u. ぶつ ズも 分 



*o れ V 理論 宣 以外に、 勞働 組合の 11- 壊の 戰術は 旣!. .L ミ 

つてね な い -i 

これ は 無; 1 第一 一 インク ナ ショナ ル の大讓 歩です が、 , ) 

れと 同時に 第一 一 インタ ナショナル -っ 協調 的と なって、 結 

周 右の 第三 ィ ン タ ナショ ナ ル の讓 歩の 程度で 双方の 妥協 

が 成立し、 その 結 染( 一 ) 八 i- 間 % 働の 維持 * (一 一 )0 シャ 

革命 捥護 (三) ンヴ并 ヱ ット •。 シ ャの 承認 

とい ふ大 11 目について 共同 行動 をと る ことなり * そして 

この 共同 行動の ために 九 名の 委員 か g3 まれる ことと なり 

まし. UO 



の 自 
手 由 
m 人 



J3 



口 ォず *ル ク セン 

ブ ルヒ 女史の 遺 

稿 を讀む 

(口 シャ 革命の 批評) 



私が 最近に 讀む だものの うちで 最も 多く 興味 を 感じた も 

の は ロォ. サ* ルクセ ン ブル ヒ女 おの 遣 Isl, ロシャ 革命」 g: 

である。 SBf に 私が 興味 を 感じた ばかりで はなく、 この 一 小 

著 は共產 主義の 文献のう ちで、 レ 二 ンの r 國 家と 革命」 と 並 

ぶべき 地位 を 占める ほど 重要な もの だと 思 はれろ, - この 書 

を讀 むこと なくして、^ 界^ 社會 主義 革命が 産み出した 最 

大の 革命 婦人 ロォ. サ* ルクセ ン ブル ヒ を 知る ことができな 

いと 同じく- また ロシャ 革命 を 論じ、 共產 主義 を 論じ • 口 

シ ャ* ボルシェ ヴ并キ の 諸 攻策を 論じ. 若しくは その 根本 理 

としての 「獨 裁」 の 超 を 論ん する ものに とって は * こ 

の 一 小 著 こそ、 何人も 先づ 一 讚して か i ら ねばならぬ 重要 

な 歴史的 文献で める W S 二、 



S 1 ) ョ e russlsols Rcvol-ltio。:Ki ラ ---.^-roy^ wirdignnT _ 

au3 desNachlass von wosa Lvxcmb-lrg,l922 

(註 二) カウ クキ- は その 最近の 讒 文のう ちで、 、、の ロナ ザ s_ 

1 小者: そ、 多くの ボル シ H ゲ并キ 革命 へ の 反對 賛成の 鼓 

文献の う ち で 水平線 上 に 高く^ ゆる もので わろ?」 いってろ 

(Rosa Ijixemburg mid BolschewisuuH, von Klarl Kau tslcy 

-—— 「カム プ ス」 本年 二月 號) 「フ ライ ハ イト」 "その 社說 の、 1 

ちで、、 の 一 小 著,^ 批評し • そ は |S??fj 勞! 1 運動に おい ズも若 L 

くは閾 際的勞 I 運動に おいても Grcsste A 一 Ifsehe- でもろ さ 

なして ねる (同:^ 一九二 一 年 十二月 二 tlw 朝刊) 「フ オルべ.^ 一 

-ン」 もまた、、 の 小 M 子の;.: めに 長 篇の社 說.^ 揚げ V- 、、の I 小一 

. プヰ ルリ ヅへ 

册子が f ia; 正の n ォザ • シク セン. フ, ^ヒ」 , ^知ろ ために 重耍な 

文献で もる、、 述べて なる 。(同紙 一 九 二; 年 十二月 十日 夕 

刊) 

この 小 册子は 一 .f^ 1 八 年の 夏, ロォ ザが まだ ブレスラウ 一 

の牢 jS にあった 時に、 SH) そして 外に は 世界 戰爭 が績 行し、 一 

口 シャ では ボ ル シ ェ ヴ井キ が 天下 をと つてから 四 分の 1 ケ 

年獨 露の間に ブ レスト • リト ウス ク條 約が 締結され * ト 口 ッ 

キ ー の 有名な ロシ ァ 革命 史 「十月革命から ブレ スト 講和 m 

:IS まで」 も 出版され た 後め ことであった。 で この 論文 は 被. K 



等の 一 圑" 「スパルタ クス 寄簡」 (spartak-sbrief) のた め 

に^かれた もので あつたが、 ス パ ル タク ス圃の 一 派で は、 

^^.;.への^文を發表することに反針し、 且つ それ を燒 き棄て 

ろ ことに 決議して ゐた ものである? この 論文 は 爾來パ 

ゥ. ル* レ并 ー の 手許に あつたの を • 昨 年末 レ并 ー は それ を發 

表する ことに 決心して、 長篇の 序文 を 添へ て 今年 初頭に い 

ょノ, \» 出版の 速び となった ものである。 

(註 三 口す ザ 史 は戦爭 中二 同まで 投獄され た 第 1 间は 一 

九 一 五 年 二月から 翌年 二月までの 一 ケ 年間、 次 は 一九 一 六 年 

七月から 一 九 一 八 年 十 一 月 十 m までの 二 ケ年四 ヶ月で わろ 

後の 場合:.: は 伯林、 ゲ ロンゲ、 プレス. ナウの 諸 監獄に めった 

が-、 の 「ロシア 革命」 ^香い-;: の は プレス ラウに 行って から 

である。 從 つて 口 シャ 革命の 哲 つれ 時に も、 i;^ その後の 一 

ケ 年,. r 彼女 は 牢獄のう ち に 幽閉され て- Q たわけで もろが: の 

間に 彼女 は 51 逸出 版の 新 简雜誌 丧籍は 勿 S! 气 ia シャ 語の 

諸 文献お 通じて n シ十 苹命-^-研究すろ、 、 かで さので わろ。 

(註 四) : の の 獄中? -ら 彼女の 書簡れ 其 fSl 簡集 (Rcs:l Lsc 

CJSlmrg, Brief* as Gefangnip, のう ちに 集:? 3 されて ねる 

W が、 : の 镩シャ 、革命 餘;^ け は 一 ニケ年 有半の 間埋沒 されて. -V 、れ 

の. で わる 



二 

ロォザ は、 リ ー ブ クネヒト とともに、 或は リ I ブクネ t 

ト よりも 卓越した- II ^ 共產主 袋 の智的 指導者で あつ た 

彼女. か シャイ デ マ ン攻府 の 毒 に仆れ てからもう 三年 を 過 

ごした が- ラデックの いって ゐろ とほり、 彼女の 屍 は, 尙 

ほ 「11 逸共產 主義の: K」 である。 (§) 否、 獨り、 獨逸 共產主 

義の 旗で あるば かりで はなしに 眞 正なる 「世界 共產 主義の 

旗」 であると いふ ことができる であらう (1^、 蘭の ギ ム ナジ ュ 

ゥムに 早く 旣に 社會 主義の 硏究を 重ねてる た 彼女、 一九 〇 

七 年の 有名な スッッ ガルトの 會議 に、 レ 二. ンと相 結んで 對 

戰 決議の ために、 戰 つた 彼. V、 世界 戰爭が 始まる や、 直に 

勇敢に 戰爭に 反 針し、 「社 曾 民主主義の 危機」 を 叫んで 立つ 

た 彼女、 牢獄から 出る ときび!^ 逸 共產 革命の ために 身を铤 

して 戰っ^ 彼女、 遂に 一九 一九 年に, 革命の 鮮血 を もって 

彼女の 最後 を 彩った 彼女 は、 疑も な く 共 產主^_我 の 巨 大 な 紀 

念 塔で ある。 第三 ィ ン タナシ ョナル が 最初に モ ス カウに 開 

かれた 時に、 世界の 革命的 勞働 者に とって、 紀 念すべき こ 

の 會議の 劈頌に 上って 開 曾の 言葉 を述 ベた もの は ゥリャ 

ノフ *レ 二 ン その 人で あるが、 彼の 口から 最初に 叫 はれた, 



と は 凡ての ことに 先だって、 この 會議の weY, 出席 ic が 

一 「第三 インタ ナジお ナルの 代表 ike 」 力 I ル, リ— ブク 

ネヒト と D ォ-サ • ルク セン ブル ヒ との j 1 人の 追憶の ためこ 

起. N したいと いふ ことであった o( はや その ロォ. サ* ルクセ ン 

ダル ヒ から, その 「第三 イン タ ナショナル」 の最 1:^:1 の 代表 

者」 から、 若し シャ 革命に ついての、 忌俾 なき 批評が 聽 

かれ. としたら、 そ は 疑/, なく, 最も 櫓 威 ある 批評で あら 

ねばならぬ。 何と なれば そ は 資本主義の 諸 新 一 流の 荒 its 

無^、 出^ E でな いのは 勿論、 日和見 主義者 一派の. 攻舉 

のた めの 攻擎 ではなく-. て、 】 苗に 革命に 燃 ゆろ 心が、 その 

感 ig を 押さへ * ,ての 一 時の 利害 を 顧みす に、 義に 彼女の 

信ん すると ころ ふ- 大腊 卒直に いふた ものであるから であ 

る 

(註 KOBa Luxe ョ burg, Karl Liebknecht, Leo J《>gisches、 

vch K-1 Railelx, S. 26) 

(; tSi 六 1x-r . Kongress der Kommuni Jishen Iiitere 一 Tstic- 

n 一 le (plotokollv 

I 一一 

O ォザ •:; クセ シブ ル t 女史 は 長く 純正 マ ー クス 主義の 



立 51 にお;, てきた • 彼女 は 如何なる 意味に おいてら 革命的 

社, は 主^の 敵て はありえ な V 、- 彼女の 逍稿 「口 シ ャ 革^」 

の: せ 末にお いても、 ある 意味に お いて、 世界 レ- 將來 がボ 

ル シ ェ ヴ并ス ム のうへ にか k つてる ると さへ Jj;:- へ て cO ろの 

である。 しかし カウ ツキ— 派の 社會 民主お 義に 痛, を 加 へ 

る 彼女, ^界 の將 來がボ ルシェ ヴ井ズ ム のう へに か. -ると 

信ん する 彼女 は、 た モス コ、 ゥへ の 巡禮し 旅に 仰の 淚を 

こ ほしつ、 ある 世の 多くの レ ニン、 ト n ツキ ー の崇拜 者で 

はない。 ボルシェ ヴ并キ のた めと あらば、 非を是 とし * 黑 

を 白と し、 た 手 を 合せて 讃美の コ オラ スを唱 へる 一 派の 

盲: m 的ボ ル シ ェ ヴ并キ ではない。 それと は 正反對 である。 

彼女 曰く、 シャ 革命の 經驗と 敎訓と を 偉大なら しめる 道 

は T 無 批評の 辯 解ではなくて、 あくまで A 面目な 批評で あ 

ると。 また 曰く ロシャ 革命 を、 あらゆる 歴 3^ 的關 係に おい 

て 批評す る ことが、 n 逸の 勞励 運勳 にと つても、 若しくは 

世界の 勞働 運動に とっても、 「最良^ 敎育」 であると-) 

こうい ふ 立場から 彼女の 小册子 「口 シ ャ 革命」 は^かれた 

ので ある。 從 つて そ は 最も 公明; 止. K な 批評で あると ともに 

また 最も 大膽 」 して 徹底的な 批評で あらね はならぬ" 

^註 七、 Die rusaisohe Re さ luti =, S. 7 , 73 



9 

1 



四 

^女 は シャ 革命. か 非常 やよ 難局の、 つちに 生れた こと を認 

めて、 Q る。 そして ミリ- ュ ゥ コフ、 ケ レンス +1 等の 革命で 

Hi 王制への 復歸が 止む を 得ない やうな 狀 態にまで 陷 つた 

こと を 認めて ゐろ とともに、 この 難局 を 切り 拔 ける 唯一 の 

逍が^!?;働^!^:及び農民 の手 に 政權 を? ギ 握す ろに ある こと を認 

めて るる- 從 つて レ 二 ン黨 こそ 革命の 利 4 ぬ を 救 ふ 、> とので 

きる 唯一 もので あろ こと を 認めて ゐ るので あろ。 彼女 は 

レ 二 ンが 4:}: つてい つたことの あると ほり、 口 シ ャ 革命の こ 

の狀態は反革命の膊利か無產^|^階級.3|1裁政治か、 若しく 

は カレ ディン かレ 二 ンか、 とい ふ 場合で あり、 そして この 

難局に {.a つた レ -ー ン黨 こそ、 た に D シャ 革命の 救濟 者で 

あるば かりで はなしに, 實に r 國際 社會 主^の 名 春救濟 J で 

あると なして ゐ るので ある 0(R-<、 

(註 八) 上 七. パ、 七 七、 八 一 頁 

しかし ボ ル シ ェ ゲ井キ 革命に 封して かくの ごとき miss を 

らち、 かくの ごくく に それの 功績 を 認めて るる 彼女 は、 ボ 

ルシェ ヴ并キ の 根本 攻 策に ついても, また その 根本原理に 

ついても、 如 H なろ 反動主義者に も 劣らぬ ほどの 梭嚴 に批 



諍家としての波.^=^でぁることを妨ゅなぃ* 

彼女の 批評 は、 ボル シ ェ- ヴ并キ の 農民 政策から 始まろ * 

蓋し 農民 政策 は、 卽時; 牛 和の 政策と ともに、 „ ポルシェ ヴ 井- 

キ 革命の 最初の 1 一大 根本 政 魔で あろから である C 

五 

彼女に 從 へば * 大地 主の 土地 及び 中 地主の 土地 を國 有に 

すろ こと, そして 工業と 農業との 同盟 を實 現す る こと. か * 

社會主^^:我革命にとってのニっの根本的の^^^璩でぁり" この 

攻 策の實 現がなくて は社會 主義 は 存在し えられな いので あ 

ろ" 從 つて ボルシェ ヴ并キ 政府が 社會 主義の 經濟 政策 を 實 

現し やうと すろ ものである 以上 * そは少 くと もこの 二 大方 

針の 方向に 向って 歩を步 めろ ものでなくて はならない。 と 

ころが レ 二 ン 一 派の バ 口 — レは何 か? 「行け、 そして 土地 

を 取.;:!」 これが レ 一一 ンのパ 口 — レ ではない か, - 卽ち 農民 

によっての 土地の 卽 時の 占有と 分配との ク k である。 土地 

の國 有ではなくて 分配で あり、 生產の 集中ではなくて 小規 

摸生產 であろ。 ロォザ • ルク ブル ヒ女 曰く、 そ はた に 社 

會 主義 的 方法で ない のみなら す、 それへ の 道な 切斷 する も 

ので あり、 瓧會 主義 的 意味に おいての 農業 狀 の 改造に お 



_ ち 勝つ, へから ざろ 困難 ふ 積み重ね る もので あろ (sie ist 

niclit niiT keine Eozi£18tiBche Maasnalime, sondern sie 

chneidet den weg zu ei Her sol chen ab, sie tamlt vor cler 

iJmgestaltUDg der Afjrarverh- Jtnisse im sozialistiscllsl 

(註 九) 同上 八 二 I 四 頁 

彼女 は 更に 進んで 曰く、 創造した もの は社會 的財產 では 

なくて、 新ら たなる 私有財産 であり、 そして 土地の 大所 有 

を 中小 所 に 分割した ことで あり、 比較的に 進歩した 大經 

營を^ 始的小 企業に 逆轉 する ことで ある。 しか. も その 政策 

の-;^ 行 は 農民の 間にお ける 階級 對抗を 減退せ しめなかった 

ばかりで なしに、 却ってそれを激成するの効£|^ダもたらし 

たので ある。 特に この レ ユン 政府の €g 民政 策 は、 D シャに 

おける 一般 生產 の^ 係に おいて、 都市 無産者と 地方 ssg 民と 

e 間の、 反抗的. 鬧 爭的 狀懇を 導く に 1J 土った ので ある。 從 

つて 「レ -I ン的 i い 業 改革」 は 土地に おける 社 會主錢 のうへ 

に、 有力なる 人民 階級 を, 敬と 化せし めろ に 至った ので 

ある" 《は 十) 

《註 十) ほ 上 A Hi! 七 S 



六 

次に 注目すべき こと は- HI 裁と 民主主義との 闢係、 若し 

く は 11 裁と 階级 または 政黨 との 關係 についての、 彼女の 

51^ であ 一な。 蓋し この 問題 は、 政策と して なしに、 ボル シ 

ェヴ并 ズムの 根 本^論に 閼 する ものに ほかなら ない から で 

ある。 この 點に關 すろ 彼女の 立場 は、 頗る カウ ツキ ー の そ 

れに 一 致す る ものが ある。 彼女 は 獨 裁、 卽ち 無産者 階級の 

獨 裁の 必要で ある こと を 認める。 しかし ¥ か It 裁と いつ 

てゐる 時に * そ は. カウ ッヰ ー 流の r 狀 態としての 蹈 哉』 で 

はない ので あろが、 それと とともに 一 黨 一 派の 哉で もな 

い。 彼女 曰く, しかし こ-に 鑼 裁と は、 階級.., It 裁で あつ 

て、 一 攻黨. または 一 つの 徒黨 の li 裁 ではない (Diktatur 

der 一 <lassc, n 一 cht einer pal.tei odor einer Clir 一 l-e) 卽ち 

無 制 縛なる 民主主義に おける、 活動的に して 妨 けられる こ 

と な き 民衆 の 千與の もとにお いての、 E: 欢も廣 い 開放に おけ 

る 階!^ の^ 裁 "sktjlt-r der Klasf^e, d. h. in hreitester 

cdi.eutlicllkeit, llnt(T t-atiger l=-gehen1mtcr Ivilnahs な 

der Vclk8mas8en, iij lll-k-xchrfinkter Demoknltiro v:;^ なナ 

れば ならぬ。 彼女 また 01 く > jSf 兹とは 階級の 仕事であって 



少欲 S4e が 階 la の 名に お て 語る も S であって はならぬ 

と 0(K+ 一) この 點 において 彼女の: fi じて ゐる ところ は、 變 

節漢」 カウ ツキ、 が、 虔々 論じて き U ところと 重要な 一致 

點が あり、 特に カウ ツキ 1^ r 階級 li 裁と 政 41^11 裁」 の 一 

論文と その 授を 一 にして るるの を 見ら ので ある。 ft¥ つ 

(註 十一 ) 同上 ぼ卞 五、 百 十七 頁 

(註卞 二) 、、の 論文 (K に 8enclikt{-tur uml parteidiktatur) は 

「カム ブフ」 の 昨年 八月 號ハ 二百 七十 一 頁 以下) に 出た もので、 

え;^ 木 年 三月に なって 雜誌 「解放」 に譯 載され た。 

だから、 彼女が 無産者 階級の 11 裁 政治と いふの は、 彼女 

に從 へば 決して 民主主義に 反 する ものと しての 鑼 裁 政治 

ではない。 彼女 曰く T 然り、 II 裁攻 治! しかし この 獨 裁攻 

治と は 民主主義 を 用う ろ ことの 方法に 存す るので あって、 

それ を资 止す ろ、 ) とに 存す るので はな い JawohhDiktatlJr 

I Abei: diese Giktatur Isstent in der Art der Verwe 

ndung der Demok-ratie, nictltlin ihrer AlschalTullg) 

S1.H こ 

(註 十三) 「n 、ゾ ャ荜 命」 百 十六 on 

七 



aj 上 は 口 ォ •,• ルク セン ブル ヒ女*-の遠接 「B シ ャ 革^」 

の 一 般を 5^ 介した に 過ぎな いので あるが、 , 一れ によって 見 

て も、 彼女 s; この 追 稿 か, ボルシェ.. ヮ并 スムの 根本 理論と 

溶れ.. さるもの である こと * 否、 それに 向って 挑戰 する も 

ので ある こと を 知る こと. かで ざるので ある たから この 遠 

稿の 發 表される とともに, 共產 主義者の 間に 一 つの 大きな 

驚き を與へ た こと は 寧ろ 自然で. るが、 獨 逸の 合同 共產黨 

は 幹部き を 開いて- ) の小册 子に ついて 協議した 後、 クラ ラ* 

ツェトキン から、 この 小册 子に、 口 ォ.サ女史の出獄以前の甲=^ 

想 を 代表す る も、 出獄 後の 彼女の 意見で はない と 辯 じた。 し 

て 見る と ロォザ 女史 は、 出獄 後 は カウ ツキ ー と 反對の 方向 

こ 「變 isn しヒ ことと なる ので ある。 しかし また 同 こく 共 

產黨員 パウル • ランゲ が 「赤旗 」 のうちで 書いて ゐる ところ 

二 よると、 • こ の 小 著- ) そ 口 ォ. サの 立場 を宣 明した も 

のであって * クララ • ツエ トキ ンの 書いた ことか^り であ 

り、 口 ォザは その 內心 において ボルシェ ゥ井キ ではな かつ 

たので あると。 (Ktlo 

S} 十四) 「口- デ *フ ァ -ネ」 一九二 一年 十二月 ニー-七 Q 

私 は、 この 點 について、 ランゲが 正しい か、 若しくは ク 

ララ *ッ エトキン が 正しい かの 問 超 を isa 索す るよ り も B ォ 



デ# ルク セン ブル t の 次の 1 句 こそ * に 彼女 自ら の 口から 

彼女の 魔 精神 を 語った もの だと 思 ばれる。 彼女 曰く、 トロ 

グキ ー は • 彼が マ ー ヰ ストと して T 形式的 民主主義の 偶像 

崇拜 者」 ではない といって るる か。 健に 私たち も 形式的 民 

主 主義の 偶像 崇拜 者ではなかった" しかし 私たち はまた 社 

會主^;,ゃ マ ー クス 主義 s£ 像崇拜 者で もない と。 

(註 十五; 「n シャ 革命」 百 十 玉 頁 

(室 伏 高 信) 

晚 年の ク ロポ トン 

(バ 1 ク マ ンの 手記) 

私 は 口 シャ へきて から 間もなく ビ イタ ァ * クロポトキン 

についての 噂 を 間く ようになった。 それは:^^^:常に矛盾した 

ものであった。 ある 人 は 彼 か ボルシェ ヅ并 ヰに 對 して 好 

意 を もってる るふい ふ. U0 ある 人 は 彼が それに 反 針して ゐ 

ろと いふた〕 まため る 者に 從 へば 彼 は 比 絞 的 満足すべき 物 

質的 狀您 において 生活し つ、 あると いひ、 他の^^^に從へば 

拔 は事實 上 まえつ-^ あろと いふよう な 次第であった。 私: U 



事の 相が 知りたかった ほかに. 私 は 儷 人的に、 ^i. 

4i かった。 過去: 1: 年、 私 は 彼と 時々 の 通信 を 交 はした が, 

しかし 私たち はま だ會 つたこと はなかった。 私 は 最初に 彼 

の 名 を 聞き、 そして 彼の 書いた もの を 知る ょラ になった 少 

年の 時分から 彼の 嘆美 者であった。 。 

一 九 一 ー〇 年 三月まで は、 私 は、 ビ イタ ァ,ク 口. ホト キン を 

訪問す る 機^ を もたなかった。 彼はモ ス コ ゥ から 六十 バ ァ 

ス ト隔 つて ゐる 小さな W のド ミト 口 フに 住む でるた。 口 シ 

ャの^ 道 は、 この頃 最惡の 狀怨」 あった。 罩に 訪問と いふ 

ことの ためにべ ト 口 ゲラ ー 'ド から ド ミト ロフへ 旅行す るな 

ぞは思 ひも よらない ことであった。 しかし 倫 敦レノ r デ ー リ 

— • へ ラ ルド」 の 主^, チ ョ INK* ラ ン ヅ ベ リ ー が ペトロ グ ラ 

I ド へ 到 著した こと は, 私の モス コ ゥ 行の 可能 を もた.^ し 

た。 ラン ヅ ベリ ー は 特別^ を與 へられ、 そして 私 は 彼の 通 

譯 として 首 邵 へと 隨 行した。 他の 一 一人の モ ス コゥ. S 同志と 

ともに 私 はこの 機會を 怖へ た。 

著名の 士と 〈コふ こと は 多くの場合に 人なる 失? iH である J 

との 道、 私たちの 想像 は ぴったり〕 技 際と 添 はない ので 

ある。 しかし クロ. ネト キンの 場合に そうでば なかつ.; 

K 的に も 精神的に も、 殆んど 正確 に、 私. か 心に いて ゐた 



ものと 同じであった。 彼は規 切な 眼と、 快い 笑と、 そして 

! かな 84 と、 丁度 彼の 寫真 のよ、 フに 目立って 見えた。 :: 

现ぉぶ^^^の刻印が强く彼のぅへに、 そして 彼の 人格 3 

t 避 性が S 際に 感 される ことかで きた。 しか, 私 は 彼 は 袞 

弱と 彼の 明らかな^ 弱との 樣 子に^い た。 彼 は 組織的に 營 

養 不良で、 牟ば 飢えて、 そして 年の 刘 合に 老けて るた。 

クロ. ネト キンの 家で は、 飢えつ X あろ 全 口 シャの 凡ての 

家と 同樣 に、 食物 問 超 か 非 に!; 難な 問 超であった。 ……: 

クロポトキン は 一定 数の 科 舉者ゃ 革命家に 與 へられる 所謂 

Fah-yok 若しくは これに 等しい もの を 受けて ゐた。 それ は 

量 においても 質に おいても 一 般 市民に 發 せられた 日 SS より 

も餘程 上であった。 しかし そ はとても 生命 を 支へ ろに 充 

分な よ、 な ものではなかった。 ¥ にして クロポトキン は 時 

々外 15 たは ウクライナの 同志から <H 物の 包 を 受取りつ k 

あった しかし それ を もってしても クロ. ネ トキ ンの 一家 (彼 

の み 娘の サシャ ) は餓を 凌ぐ に は 非常に 因 まって るた。 

燃料と 燈火 もまた 始終 丙 難す る 事件であった。 冬 は 非常に 

酷し く、 薪 は 非常に 稀れ であった。 石油 は 5^ ろに 難く, 一 

時に 1 ランプ 以上 を 燃やす の は、 減 多に 耽る ことので きな 

ぃ餘 程の <a 澤 であると 思 はれて ゐた。 この 欠乏 はク P ポト 



キンに おいて 特に 感じられた。 それが 彼の 文 箪勞镟 を 非常 

に 不利の 立 楊に S いた。 

これ 等の こと は、 私 は 凡て ソ フ并— *ゲ リ. ゴ リエ フナと 

サシャ から 聽 いた。 .;1^ の 一 語で も、 クロ, ホ トキ ン 自身 は 

自分の 生活の 闲難を 語り はしないで あらう。 しかし 彼の 孤 

It か 彼に 煩 ひ した こ と は 明らかで あつ.;!。 クロポトキン 

の 家族 は?..^ 问モ ス コ ゥの 彼^:^ 家を處 分され. モの数 角 は 

攻 iw: ン 所用の た め に S 發さ ;:. てるた〕 彼等 はに ミト ロフ 

へ 轉居 する ことに 決め.; io そこ はき 鄱 から 半 kiT ハ I スト 位 

ひの 距離で あつたが * しかし^ 千哩も 離れて ゐ るのと 同樣 

であった の だ。 何故なら 二 れは クロ. ホト キン を、 殆 んど牢 

獄 にも 等し ほどに、 隔 難した からで あるつ 交通 組 II の 危機 

的狀 のために * また その 時の 一般 狀憨 のために、 クロ. ホ 

トキ ンの友 は 减., A に 彼を訪 ふこと はでき なかった。 西歐か 

らの 報^, 科舉 的の 著述 • 外 匿の 出版物 11 :.^ てこれ 等の 

も s- は 手に入れる こと. かで きなかった。 ク ボ トキ ンは深 

く 知的 同僚と 精神的 慰^ と の 欠乏 を 感じ てゐ た。 

私はド £ ト 口 フにー jfw ビ ィ タ ァ*ク 口. ネト キン を 訪れた 

1 度 は 一九二 年 三月に • 二度目 は 同年 七月に。 二度目の 

時には、 彼 は 大分よ くな つて ゐ たよ、 フに 見えた a そぅ^^せ 



て もる す a 前より は 顔色 も 健康に * 丈夫で そして 活動的に 

見えた。 赫く 夏の 太陽 は 著しく 彼に 幸 ひであった。 彼はク 

口. ネト キンの 小 都に M ろ 小阅. を 散歩して ゐ た。 そして ソフ 

井. I の 手に なろ 満開の 野 f 楽 畑 を 指しな が" 得意であった。 

彼 S. 眼 は 輝き、 淸 澄な 空の § ?璃 色が それに 反映して るた。 

それ は 溢る るよう な 好意の, みに よって 人 を 魅 化する 特別 

の g であった。 それ はク CX. ネト キンの 全人格 を 直に 映し出 

す 人 問 の カメ ラレ ンズ であった。 彼の 人間 及び 自然 へ の 

愛、 そして 凡ての 生への 彼の 天賦の 聖 なる 尊敬 を。 

私たち は 多くの 問 IS を 議論した.' 私 は クロぶ ト キンが、 

力を入れて. 斷乎 として ボ ルシェ • ヮ并 ヰに 反對 する の を 知 

つた。 或は、 寧ろ、 彼が 橾 返して 主張した ように、 國家社 

會 主義の, 全國的 暴力に よって 强 制された 共産主義、 そし 

て汎く マ, -クス 主義の 妥協す ベから ざ敏 であった。 ボル シ 

ェヴ井 牛から は 別に 何も の も 期待され たも の ではな かつ 

た • と 彼 は 述べた。 ボルシェ ヴ并キ は 理論に おいても 目的 

においても マ ー タス 主 S 我, であった。 彼等 は 全能な、 專制 

國 家の 創造に 向って ゐた。 彼等の 1 九 一 七 年 十月— 十 一 月 

の 革命的 ス I- ゥ ガン は, 無產者 階級と— M 民 を、 特に 無政府 

主義者 を、 全く 親った。 無政府主義者 は 無赊, その美 辭麗 



名に か i わらす、 凡て 强 力の 5 へに 立てられた ……: か 常に 

誤謬で 害 1^.》 であろ ことな 知って ゐた 。しかし 一 九 一 七 年に、 

彼等 はボ ルシェ ヴ井 が 偉大な 革命的 要素で ある こと を 

見 * そして彼等はマ—クス主^.;^?!の哲學に^有な危險にっぃ 

て 盲目で ゐた。 口 シャの 無政府 主 i 〈我 者 は 革命の 勝利の ため 

にボ ル シ ヱ、 ゥ井 ヰと 手を携 へて 働き、 扣 並んで 戰ひ、 犧牲 

的に、 勇敢に 戰 つた。 数百 人の 彼等 は 生命 を 失った 11 そ 

して 今 は 如 何? 今や 彼等 は 迫害され、 られ、 凡ての 表現 

は 彼等に 禁ん せられ、 彼等の 多く は その 思想の ため 牢獄に、 

そして あろ もの は 射殺さ へ されて るる〕 そして ボ ルシェ ゥ 

并キは 政-治と そして 國の全 經濟的 及 社會的 生活の 完全な 統 

制 をす る こと 殆んど 三年に して- 彼等 は 人民の ために 何 ご 

とを爲 した か? 「私 は 飢え 且つ 減 ひた ロシアに ついて 語つ 

てるる ので はない。 無論 それ は 全然 干渉と 封鎖 とのた め で 

はない の だが- 國 家共產 主義と そして ホル シ ェ ヴ并キ 方法 

と は * それに 對 して 小さくない 資任を もって ゐ る。 彼等の 

集中 へ の 狂的 欲 彼等の 生活の 實際 問^に 對 す る^ 能 

率, —! 腐敗 をい ふので はない ! 特に • 彼^の? J« 業 問 超 

並に 民 心理に つ いての 無知, 凡て これ 等の こと は 大に今 

日の シャの 經濟狀 に 貴 任の ある ことで ある。 しかし 私 



が 今 まカ說 しょ 5 とす も ゆ はこの a ではない * 私が 特に あ 

なた. に 指:^ しょうと 思 ふ 、 -と は」 クロ. ホト キン は 苦る しみ 

に 満ちた 股で 私 を そして 彼の は愤 りに 慄ぇ てるた r ホ 

ル シヱゥ 并キ國 家が 人民 I! 個人と そして 集まりに 對 する 

=sw 度で ある〕 私 は: 牛!, 吋, i は そ のこと な 話す ことができな 

い。 P (迫と 威赫、 これ か ボル シヱ. ゥ并キ の * 革命の 友に 針 

して さ へ とる と、 H つの 手. 校で ある 革命 を^め ろ ことの 代 

りに、 彼等 は 今 はたぐ 政權搜 得の ことにば かり か k わって 

るるの だ。 彼等の 革命の 即ち 人民の 自發 * 自已 

表現, 組 及び. E 發的 協同への 最大の 機<^ 及獎勵 について 

は 全く 盲目で ある,' 盲目 だと 私 はいった か? いや、 彼等 は 

熟慮 的に 且つ^ |g 的に それの WM しの 徴候 を膨 迫し、 或は 根 

絕さ へしつ >- あるの だ。 それが ロシャ 革命の 恐怖すべき 悲 

劇な ので ある。」 

… •:::: 彼はボ ル シ ェゲ并 ヰが 他の 凡ての 革命的 諸政 黨及 

び 運動 を 膨 迫す る 悠度を 貴め た" そして 特に 無政府 ギ: 一 者 

を 投獄し 或は 射殺す る 彼等の 政策 を 憤って ゐ.; T そ は野蠻 

主義であって、 革命で はない、 と 彼 はいふた。 彼 は ボル ェ 

ヴ井キ が SX シャ の 偉大な 協: g 組合 運勳 を破墙 した ことにつ 

いて 群ら か; i 語った。 11 P シャの *K 民に Sg する ボ ル シ 



ェゲ丼 キの攻 策 は * クリボ ト キン AM 一 IB 葉に 1« ふと. * • 本 ル > 

ェヴ并 ズムの 最闍黑 の IC- であった 一九二 二 年 一 

月 ストック ホルムに て ァレキ サン ダァ • バァク マン 



伯林 會 



ィ ン タナシ ョ ナル三 派の 伯林 會議 のこと について は前號 

にも 誊 いて g きました が、 その後 伯林からの 新聞 か 到 著し 

て會議 の模樣 や, 結果の 詳細 を 知る ことかで きました 力ら 

こ X に その 大體を 紹介し ます。 

伯林 會議は 四月 1 1 から 四日 間に 亘 つて 蜀逸議 事 堂で 開か 

れ ました。 集よ つた もの は 左記の 四十 九 名です。 

第二 インタ ナシ 》 ナ.^ 厶ゲ アン ダ ペ^ト、 ハイス マン、 ゥ 

ス、 マ クドヮ ナ^ド * ショウ、 ゴス リング、 ゲ 

ン、 スタン 11 ング、 ミュ ー ラ ー - ッ H レテ, I (以上 代表 

者) マン、 アラウ ン、 シ ッフ、 "H トケ レス、 べビナ * ギ 

"-ス 、コ ー ス (以上 客員 j 十七 名 

第二 牛 インタ ナシ. 1- ナ,: • <3 アドラ ァ、 クリス ヒ H ン • ロンゲ 

I、 バウア ー、 ツエ ^マ. 'ク、 ゥ玄. ^ヘッド • マ; - 卜フ、 



力 * 一一 ン、 7 ォ T*、 r V A(S5.H 代表者 シ ユラ イダ ァ * 

g ァプラ IP ゲ并 ツチ、 力 プラン スキ、 、 ブ, クク、 ロク 力.'、 

ゲクト マン、 コム, レ. i f 以上 客 Ba;) 

第一 一一 ィ. ンタ ナショナ^ A プハ V ン、 ラデ クク、 -ン エトキン、 

フロ クサ. 1^、 スト カノ ゲ井 クツ、 ス メラ, 1.5^、 片山、 口 

ス マ一、 ウタ ^スキ |( 以上 代表者) ゲ ナノ ヴ并— ク、 プノ 

ゲク. ソ (以上 客 良) 

外に 伊太利 社食黨 から <1 セ」 フ ティ (代表 も) アデ ルフ 井、 ドメ 

-1 P (客 £ 

先づ ショウ (第二 インタ ナショナル) アドラ ァ (第二 半ィ 

ンタ ナショナル) ツエ トキ ン (第三 ィ ンタ ナショナル) の 三 

人 を 座長に 撰み、 それから 會議に 人って から 先づ フリッツ • 

アドラ ー が 哲議の 趣旨 を 述べました この 三 派 イン タナシ 

ョナル の 共同 會議^ 目的 は 「資本主義 を する 目的 を も 

つて、 無產者 階級の 合同 的國際 行動の 必要から, 

の 基礎のう へに 凡ての 無產陪 級の 政黨を 結合す る こと」 で 

あると さ れ ました。 次いで クララ *ッ エトキン が 第三 ィ 

ンタ ナショ 十ルを 代表して 次の よ、 フな ことが 述べられ ま 

した0 

第ニィ>-*'ナシ !-ナ^-けプ!! ノ タ, ァの 大衆が 00〇驄83-.1 



政權^ 獲得し o〇〇〇〇〇c〇〇〇 -」 同復 する、、 と v^a! 梵し 

そ. して、 、、の目的のためには艇産^^9階級の Ki=hcits fr:-t 

が 必要で わるが この 點 におい ズ 第三 インタ ナシ ョナ 1 は、 第 

ニ牛ィンタナショナ^^のィ11 シァチ I フ に 敬意, „ ^表て る もの 

である 

次に ヴ ァ ン ダべ ル トが 第; 一 インタ ナショ ナルを 代表して 

雄 辯 を 振った が * 彼に 從 ふと 三派ィ ン タナシ ョナル の 共同 

運動に 入る ために は、 第二 インタ ナショ ナルは 次の 三條件 

の満たされろことが必1|^-でぁるとされました。 

(一い 勞働 組合の 中 LL 所謂 zellenbildlsg 並-」 今後 勞働 組合 

の 分裂、 運動の 戦術 放 マる こ,、 

(二) ゲョ 1 ルゲャ に 對,、 ^ クゲ并キ政府の4r逸vs^調ャ、几す 

るた め に三、 派 インタ ナ ショナ かの 代表者から? I* -委負 な擧 

げろ 二- W 

(三 政治的犯人^^釋放し且っ政治犯人の.ぉ理に國際社曾主^^ 

の 辩護檷 並に 管理の も S に 立つ 载判廷 設け ろ - 、 >、- 

、 ) の 第一 1 インタ ナショナルの 條件 に對 して ラ デ ッ ク が 第 

三 インタ ナショナル の 立 楊から 逆襲 的た 辯^ かあつ.; に: め 

にこの 伯林 會議は 一 時 行き 惱 みの 狀 態に 陷 りました。 しか 

し 第一 一 半の オット ゥ* バウアの 大演說 が 非常な 印 4 チケ與 へ 

(第 十五 頁へ つ く) 



±1 



小 劇場 及 び 民衆 劇場 蓮 動 に 就て 

私! 今日の 劇 を 救 ふ も は 小 劇場の 運動 及び 民衆 劇場の 運動に 依る 外 はない と 確信して 居る 者で ある。 併し 日本 

の^^劇研究者の問には* 小 劇 51- と 民衆 劇 5; おの 木質 及び 其の il 係 を はっきり 意識し ないで、 漠然とした 意味で 論じて 居 

ろ 人. か 多い と 思 ふが、 それに 反して 此の 自分の 短 い 考察 を 記して 见た いと 思 ふ、 - 

演劇と 云 ふ もの は 誰でも 言 ふやう に 立體 的の もので あり、 さつして 綜合 的な ; つ s.ifl 術で める ノ 殊に 他の 藝術は 文 

章 或は 音、 色彩と 云 ふ もの だけで 構成され るのに 比铰 して * if^ 劇 は ガ-" 々自身の 肉體 を: N つの 構成の 一 大耍 素と して 居る 

と 云 ふこと は, 氽程 面白い ことで も あり, 又 アン ビッシ ァスな ことで も あんと 思 ふ。 演劇 は 吾々 の實 際の 社會狀 i ひ,— 

I 其の 時代のお § ろ 文化の 程度 を 材料に して、 其の上に 創造され る,、. ので ある。 それだけに 他の 藝術 に比べ て 創造の 

材料 も 社^的で 其の 演劇の 享 おれ 範圍も 亦. 社會 的な もので あろ それだけに 或る 社 <iT が. K きな 變 革を來 たさう とす. 9 

0. 或は 革を來 した 時に、 直に.;§文求される^術は夭張り^^劇でぁら:.っと2、了ハ。 其の 意味^ら 今 HI の 日本が 此の 藝術 

に對 して 斬し い 要求 を^た うする と 云 ふこと は 亦當然 でも あり、 それ. たす.: 此の 森 一 術に 携 はって 行く 人々 の 資任も 重い 

と 思 ふ。 

演劇 は 綜合 藝術 たと 云 ふ。 例へば 光、 :^、 色、 音, 11 もっと 具體 的に 言へば fflss 的 要素、 彫!^ 的 要素、 建築 的 要 

素 * 音樂的 要素、 總て そわ 等の 要素が それ 自ら 完成され たもので ある。 同時-,. S 劇に:^ て は それやの ものが 充分に 綜 

合されて. 其處に 新しい 1 つの 創造が 生れて 來 なければ ならない、 - 是 等の!^ 素 を 綜合す る 力 は 二つの 階投に 於て 行 は 

れ 1 つ は 文 31 的 方面の ドラマに 依って, もう 一 つ は: K 、の ドラマの 出 者」 依って-. - ある。 最も 理想的な 狀 は 文 

舉の 方面の ドラマ を 創造し やうと する ものと * 演出 者の 創造し やうと する ものと か 一 敎 した 裼合 であるか * それ は 31; 



底 望み 得られ もこと ではない。 柯 故なら ば^ 曲 家の 創造し やうと すろ 創造の 能力と、 演出 者 W 能力と が 各々 違って 居 

るからで ある。 唯 此の 二つの^ 造 者が 或る 一^に 於て 接觸 し、 =1=- の 接觸點 から 一 つの 新しい 世界が 創造され て 行く も 

ので ある。 而 して 文舉 者の 創造と 演出 者の 創造と :!: 方 を 主にすべき かと 云 ふやうな 問譆 力. II 逸の ハ.. -ゲマ ンの やう 

な, 人に 依って 袍雜な 分; 的な 硏究. ^されて 居る、 私 は 今 其の 事に 就いて 語らう す るら ので はない。 唯 文 舉者か 創造し 

やうと すろ もの を * ブ 口 テジ ウス;;,. Js^ 出 者が 新しい 創造に 移さう とする 時に 起る、 多くの 不統一 の狀 能^ を 今 曰の 演 

の 中から 舉 けて 見やう、 さう して それ 等の 不統一、 不調和が 姒: 1: にして 生れて 來 るかと 云 ふこと を考 へて 見やう。 

演出 者が 或る 一 つの 戯曲 を 演出し 5- うとす る 時に、 ^劇 を 構成す る 色々 な 要素が どヲ云 ふ 風に 調和され て 居る か、 

其の 調和 さ て 居る 狀 態に 依って, 其の 上演され た 演劇 か 成功して 居る か 成功して 居らない かと 云 ふこと を 批判す る 

ことになん ので あろが 、今日の 演劇 を 見て 居ろ と 奮に 是等の iiM 素 か 不統一 の 極に 達して 居る ので あら。 

先づ 1 つの 劇 を 上演す るに 先立って、 演劇 を稱 成す ろ 要素 以外に アップ リオ A に 其、 の 調和 を 破壊し やうと すろ も 

のが ある。 それ は 今日の 檢閱 制度で あろ。 今日の 檢閱 制度 は舊ロ マノフ 朝 時代の 檢閱 制度に 匹敞 する 程の ものである 

と^さ, れて 居ろ が. 日本の 演劇に は先づ 第一に 此の 檢閱 制度の 歷 迫が 演劇の 上演に 不安 を與 へて 居る。 1^ 檢閱 制度 

と 云 ふ もの は S 単に 演劇にば かりで なく、 人民に 藝術を 鑑賞したり * 道德を 批判した りする 力がない と 云 ふ 侮蔑の 思想 

が、 でなければ 其の. 民族の 支配階級が 民族の 思想 咸、) 情 を^ 解す る こどの 出来ない 不安の 狀 態に S 直 かれて 居る 事な 示す 

もの. たと? 心 ふ。 鬼に 角 演劇の 構成 以前 に 起ろ 檢閱 制度 は今ョ の 劇壇に 封す る 最も 大きな 障碍 物の 一 つで あると 思 ふ- 

おの lt<!Jfw 劇の 調和 を破壞 する もの は 資本家の 越權 であろ。 此。 例 は 近く 日本で 一 番 大きた 劇場で ある 帝國 劇場の 侏 

主と 劇作家との 間- 綸爭 などに も 明かに 觀る 事が 出来る * 私 も 劇作家の 一 人と して 此の 事件に 關 係した 者で あらう 

1 株主が 劇場 一 日 買 取って 改作す. ると 云 ふこと は、 同時に 總 ての 株主が 劇場 を 買 取って 改作 をし 得る と 云 ふこと を 一 

した ものであって、 是 f かな 不合理 はない 害で あろ。 さう して 此の度の 資本家と 劇作家との 論爭 は、 S や;: 此の度の 

事件と して: U けで 見るべき ものでなくて、 もっと 根本的に もっと 永久 的な 問 て I もっと 徵底 的に 進めて^、 



越であった と 私 は 信じて 居ろ a 

其の 次に 演劇の 構成 を妨 ける もの は 俳優の 越檑 であろ。 俳優 は 演劇 を 構成す る もの V 中で 最も 重大な 一 つの 要素 を 

なして 居る こと は 事 莨で あるが- 併し 俳優 H 、の ものが 演劇の 全體 ではない、 然るに 今日 迄の 演劇に 於て 俳優の 肉體か 

先づ 第一 に拔 出して 來て, 其の 演劇な 構成すべき 重大な 要素が 其の 調和 を破壞 すろ 最も 著しい ものに なって 居る と 云 

ふこと は 不思議に 感じられる. 併し 俳優の 肉 體 が 演劇の 上に 於て 拔 出して 來 ると 云 ふに は 理由の ない こと はない、 他 

の藝術 的の 要素 を 作る 藝術家 は 時 問 的に 求められて 居ない けれ 共、 俳優 は 或ろ 短い 時間の 間どゥ しても 舞臺の 上に あ 

る こと を 要求され る, 劇場 資本家 は 其の 內容 に對 して 不當の 給金 を 支 拂ふ, 叉 一方 俳優の 演技が 觀 客に 對 して 個人的 

な 帝 引 を 生じて 來ろ、 或る 俳優の 演 する 役割、 例へば 勇敢なる もの * 悲壯 なる もの、 115. 隣な もの * 或は 殊に 所謂 1^" 場 

を演 する 俳優に 對 して は 一 種の 戀 愛さ へ も感 する ことがある。 さう 云 ふやうな ことが 俳優に 對 して 個人的な 最 屑と 云 

ふ 感情 を 起させろ、 劇揚 資本家 はさう 云 ふ 現象 を 利用して 巧みに 俳優 を 一 個の 商品と して 客 を 喚ぶ 方便と しゃう とす 

る、 是は 即ち スタ ー セス ティム 11 俳 侵が 特種の 地位 を 得たり、 或は^ ass 感情 を 起させる と 云 ふこと は、 演劇と 云 

ふ藝 術の 上に 於て 許されて 宜 いこと であると 云 ふ 論者 も あるが、 私 は それに は反對 である。 それ は 何故かと li 一一 C へば 演 

劇 制度に 於け るス タ ー セス ティム は單に 俳優 制度と して 惡ぃ ばかりでなく、 延て は文舉 としての 脚本の 性質に も^ 響 

して、 上演 脚本の 形式 及び 思想 を 制, 限す ろ ことにな ろからで ある U 今日の 上演 § 本の 種類 を 見ろ と 来, かく 此の スタ ー セ 

ス ティムに 當 欺った ものが 可な" あろ.) 今日 私達が 一 つの 劇を觀 ると 云 ふこと は、 色々 な 演劇の 要素が 藝術 的に 統 

1 された 一 つの 創造 を觀 るので なぐて、 此の スタ I セス, ^ィム の 中から 生れた 或る 種類の 俳優の 内 體的速 動ケ觀 ろと 

云 ふに 過ぎない • 是は從 来の スタ— セ ス ティムの 極端に 行 はれて 吾 た 劇 一!? の?? 出 法 及び 上演 脚本 を 見 ひば 能く 分ろ こ 

とで あろ。 

檢閱 制度の 不合理, 資本家の 潢暴、 俳優の 越權に 反抗して 的な 演劇 藝術を 作る 爲 めに は 吾々 はどう 云 ふ途を 取つ 

たら 宜 いか- 私 は先づ 第一 に 藝術を 構成す ると ころの 各 藝術家 同志め 意志 S 練 通と 云 ふこと が、 先づ 第一 の必 條件 



であら、 フと思 ふ • 勿^ 組 の變革 も 行 はれない 以上 は 1 瑰 S 的な もの を S り 出す :4 は 出來な いのは 言 ふ 迄らない が、 

少く とも 慈 術 家 同志 か 同じ 理解の 上に 立って * 1 つの 目的に 向って 進む, V 云 ふ: と は. どんな 狀 に g かれて 居ろ 榻 

合で も 必要な ことで あると ふ。 今日の 俳優 生活 も 演劇 を 構成す ろ 他 Gi^:l 術 家 W 生活と 比較して て も、 全く 異った 

環境に 住って 居る ことが 分ろ - 是等 の!^ 境 を 3^ にして 居ろ 欽ー術 家 かどうして 統一 の ある 藝術を 創造す る ことが 出來る 

であらう か- 此の 問 SI は 決して 今更^った 問 超で はなく して, 歐羅ヒ :」 は 四十 年 以,; 1 からの 問^であった、 今日の 日 

本の 劇場 組 は 決して 藝術 家^ 理解 や 親 { 松 を 造り 出す と, 一ろ の 5^ 所ではな く * 又 それと 同 に觀 客に 藝術を 味 はせ る 

所で もない。 今: n の 劇場 組 |g は,^.^ 術の 假 面な 被った ところの 計 ^箱に 過き ない。 例へば 私達 は先づ 劇場に 入, て 一 番 

先に 目に付く もの は 吾々 の 肉 體 を 入れる ところ S 四角な 树 である * 私 は 何時も あの 树刃、 ) とを考 へ ると 〈もが あっても 

へ 入 "うと 云 ふ氣に はならない • あの 桝は 決して 人 Si に 術 を 味 はせ 乙爲 めに チ; 一 られ たもので はなくて、 人間の 

頒^な 計^す ろ爲 めに 造られた ので ある" 树ば かりで はない、 椅子 制度の 劇?^ も 亦 決して 人 Si に 休息と 尉^ 安と 創造 

を 輿へ る 5 龙所 ではない、 又 大道具 の 赛橫 無智と 云 ふやうな こと も 日本の 劇場の 藝術 的な 統 一 を妨 ける 一 つの-要素 であ 

る J 是 等の 不快な 人間 S 計 其 箱から 免れて 新しい 藝術 S 世界 を 造らう とすろ 爲 めに は、 先. つ 第一 に 今: n:: 資本主義の 

束搏 から r お i 術 を 救 ひ 出さなければ ならぬ。 第一 一 に は 藝術家 同志が 御 互に 理解し 合って 統 一 ある 創造 をし なけ ;;: ばなら 

ぬ。 第三に は徒來 全く 異なる 別々 の 世界に 住んで 居た 觀 客と It 躉と」 か 校 近し なければ ならない" 卽ち 第一 の 耍素は 今 

日の 小:! 場 及 ひ 民衆 劇の. つ. 逃 動の 生れる 共通した 一 つの 思想で あり, 第二 S 要素 は 小 劇場 S 運動の 動機で あり、 又 第三 

は^代の 民衆 劇 5« の 生れろ 動機で あろと 私 は 思 ふ。 

ー體 今日 私達の 觀て 居ろ 劇場 建築 はコン マ ー シャ ルズムの 發 達した ものであって、 演劇 は 其^ 最初に 於て は 何れも 

星 外で is ぜ しれた もので あろ。 で 此の コン マシャ ルズムに 反抗し で^い 屋外に 出て * 新しい 藝術を 造り 出? なけ. れ. は 

ならない と 云 ふの は- 民衆 藝術 としての 野外劇の 運動で ある 1 澄ん た. 靑々 とした 樹木』 の 間で 自由に 藝術を 享樂 

しなけ.;; ばなる まい, と 云 ふの が 野外劇 動 者の 標語で ある。 



-31 



今日の 獻撝 から 放れて 小さな 理想的な 劇 5§ を^って. 其 返で 新しい i^l 術の 世界 を 造って 行か ラ とする の は 即ち 4- 劇 

場の 速 動であって, n .ビ マ I シャ リズムから 解放され や S. とすろ 點* は觀 客と, き:: せの 接近 iic つた やうな 點 では 小 

剌揚と 民 t 劇 5!^ は 全く 共通した もの を 有って 居る ので あろ。 小 劇 si^ の 運動 は 民衆 劇 51^ の 蓬 動-」 もく 反した 運動の やう 

に 思ったり、 或は 小 劇 SS は 近代の 民衆 思 相で」 反した 運動で ある やうに 思ったり する 人が あるが、 それ は 全く 誤って 居 

る。 今日 迄歐雜 HJ の 小剌提 で^せられた 脚本 目錄を 見る と 其の 事が 能く 分る、 例へば ヘッベル、 イブセン、 スト レン 

ドぺ ルヒ- ミ ィレル リンゲ * ゴ ルキ I, ショ— - ブリュ I などの 近代の 歐, r 就 LI 民衆 思想の" y 驅者 或は 主唱 の 作物が 

多く 演ぜられて: 11^; る. はかりで なく- 又 :}«j; の 演出 法 は^して ナチ ユラ ルズ ムの 演出 法 を 川 ひて 居る ので も 分る と 思 ふ。 

そこで 小^ 5; お述^の 哲舉は どんな もの かとせ 1; へば • 大體 次の やうに 言 ふこと が出來 る。 

0^ 、 商業 主 jisst^ する 反抗 

第二, IS 術 家 同志の^ 合 的 協力 

第三、 舞臺 と觀 客との 接近 

第 四, 上演 目録 制度 

第五、 試驗的 

と 云 ふこと で、 是たけのものは各^に於ける小劇5效^^^^1に共通した甲¥)でぁると云ふことが出來る0 

小^揚の^^動を年代的に記して見ると. 佛蘭 西の アン トヮ— スの自 m 劇? r か 一八 八 七 年 • 今から 三十 四 年 程 前で、 

此の 運動 は赏に 近代の 小 劇場 運動の 勃興の 醍を なした もので、 Ssf に 演劇 であった と 云. V ばかりでなく * 澤 山の 

劇作家と 劇榻美 術 家 か: 生んで 居る。 マ、 ドレ ンドべ ルヒの 小釗場 は-一八 八 八 年で 今から 三十 三年 前、 有名な モス コ —の 

ビュ. I チ座は 一九 〇 年で, 此の 運動 は 明に 日本に 於け る 小 劇場 巡 動に 直接の^ 響を與 へた ものであって、 小山 內黧君 

の自. E 劇場 坪內 博士の 文藝 ど... 此の ifl: 動に 剌戟 された ものであると 云 ふこと が 出來る J 英國の 舞; ザ 協會か 一 

八 九 七 年、 亞米利 加の.^ 劇餳 の具體 的に 起った の は 一 九 1 一年で 僅か 十一、 二 年 前で あろが、 此の 運動 は近來 著しい 



發 達を遂 ゆて 居る と 云 ふこと であろ。 殊に 亞栄利 加の 小 劇場の 運動 は 各 大學の 演劇 研究者に 依って 發 達を遂 ゆて 居る 

と 云 ふこと、、 村々 の^ 劇 愛好者に 依って 起されて 居ろ と 云 ふところであって、 "疋 は 常に 面白い 現象 だと 甲: b ふ。 日 

本に 於け ろ小釗 場の 運動 は 一九二 一年 (大; あ 一 一年) から 一九 一 六 年 (大正 六 年) 迄が 第 一 期の 運動と 見る, ) とが 出来 

る、 併しながら 今 曰の 日本の 劇壇に. は 未だ 判つ きりした 小 劇場の 運動と 目 さるべき ものが 現 はれて 居られな いや, フで 

ある- 今日の 新劇の 運動 は剡場 資本家に 利 川され、 又 劇場 運動 者が 資本家 を 利用す ろと 云 ふやうな、 妥協 的な 傾向 を 

多分に 帶 びて 居る と 2,5 はれる。 是 に比べ ると 第 一 期の 新劇 運動 は、 判つ きりした 小 劇場 運動の 主張 を;^ つた 劇場 設備 

あ 上 M ふ 組 illl 藝術內 容に對 して 叛:^ を飜 し? たと 云 ふこと は 可な、 フ花々 し、., ことで あつたと 甲 n さう して 其の 

第 一 期に 於て 小釗揚 運動の 倒れた と 云 ふこと は, せの 運動の 眞 面目で 妥協 的でなかった と 云 ふこと を證 明して 居る も 

ので ある。 

民衆 劇の 運^が 小 劇場の 運動よりも 餘程 以前から 哲擧 として は 存在して 居た けれ 共- それが 明瞭な 旗 を揭け 得る や 

タ になった の は歐羅 BJ に 於ても 比較的 近代の 事で ある。 それ は 近來の 民衆の 社會的 地位 及び 其の 甲; 潮に 勵 まされて 勃 

與し來 つた ものであって, 其の 哲舉 として は 近代の 4? ゆる 思想の 泉で あると: 一一 一 n はれて 居る ル ッソ —か" 生れて 居る や 

うて あろ。 口 マ ン, 口 —ランな どに 從 へば 民藥藝 術の 思潮 は ルッソ I 及び 佛歸 西の 理學 者の デ ー ド ひ に 依って、 一 方 は 

II 逸に 人って シルラ 1* ゲォテ を 生み、 又 ウィンに 入って 色々 な 民衆 藝術 運動 を 刺戟し、 更に 端 西 にんって 人民が 自 

ら 造って 自ら 演 すろ 澤 山の!^ 民 劇の 運動に なり、 又 白 耳義に 於け る 民衆 演劇 を 生み、 更に 近代の 佛蘭 西の. ネ ー トシエ 

などの 民衆 劇場 s- 運動 を 生む やうに なった ので あると 言 はれて 居る.」 日本に 於て は坪內 博士の ベ— ジ ェ ントの 運動 を 

除いて は 殆ど 民衆 劇の 運動と 見做さろ べき ものがない やうで あろ。 民衆 劇と 云 ふ もの を單に 平易な 分り 易い、 或は 道 

化た 芝居 を iS じて 多くの 觀客 を-: 早 樂 させろ と 云 ふ 風に 解釋 すろ 民衆 藝術 論者が あろが * 是は 民衆 劇と 云 ふ もの i 本質 

を 誤って 居る ばかりでなくて、 民衆と 云 ふ もの-思想^ 情 を 侮蔑した 差別 思想から 生れて 來る ものであると 私 は考へ 

て 居る • 整 術 を 求めろ 心、 藝 術を咮 はう 心ば 決して 今 曰の 文化の 所有者に 比較して 民衆 は 劣って 居ろ もので はない、 



錢術を 解し ない 大畢 liS 授も あれば, 一 1 一度 翻 譯劇を 見たり 謾ん だり し;:. たけで 近代の 藝術 思想 を 最も 端的に 摑み 得る 

工場 勞慟者 も あろ、 今日 迄の 誤った 藝術を 味 はう 事の 出來 なかった と 云 ふこと は、 民衆の 誇りに なっても 耻. K 寸に はな 

ら ない、 マン 0- ラン は 將來の 演劇 は 民衆に 現 實の姿 を 見せら ものでなくて はならぬ。 感情の 解放 を 示す もので な 

くて はならぬ、 思想 を 公道に 導く もので なければ ならぬ と 言って 居ろ が、 今日 迄の 劇場 組 熾の 中から 生れた 總 ての 藝 

術 は 民衆に 封して 新 はられた と 云 ふ; と は、 民衆 其の ものに 取って 一 つの 幸福で ななれば ならない。 將來の 演劇 は 民 

衆の 有って 居ろ 明い 性質 • 自由な 性質、 理性 を 求む る 心- 共同 的 感情の 上から 生れた 積極的な 巧妙 的な、 さう して 力 

に 満ちた もので なければ ならぬ。 多くの 民衆に 娛 樂を與 へる と 云 ふやうな こと は, 寧ろ 民衆の 意識 を 鈍く し 感情 を 麻 

疼 させろ ものであると 思 ふ。 其の 意味で 私 は從來 漠然とした 意味で 言 はれる 民衆 藝術 論に は反對 する もので あろ" 

要するに 民衆 劇場と 小 劇?^ の 運動 は 其の 現 はれろ もの は異 つて 居ても、 生れる 動機と 其の 目的 は 一 つ 所に なければ 

ならぬ と 私 は 信じて 居る。 つお 田 雨 雀) 

通俗 相對性 原理 講話 (寮 佐吉譯 ) : の 書物 は ァメ" 力で ー萬圆 as -」 當 選し £1 文. S した-の 

で わる それ は 相對性 理が 知^ 界に貢 ほ.^ けろ 最高 莨默 e ありながら、 惠門家 以外の 人 Li は 六 かしくて 分らない の. 4* 殘 

念 >」 し、 誰れ にで も 分ろ 說^ が 欲しい マ、 いふ 理由から 募集した ので わろ。 その 當選 J!l 文で もる だけに、、 の 書 ほ われく 

素人.」 も r* く 分ろ サイ H ンチフ 并ツク • ァメ" カン は、、、 の 書物の 著 *p は 「何 yHia ふべ さか、 何に を 一一 一口 は T に 置く ベ さ 

か に ついて 非常に 卓减 した 判斷カ もつ」 ミ いったそう. た どう..,, 墟 ではな いら., 3ぃ0 譯者 も,, うし;: 通俗 書 はどうし 

て SS すべ. V ん 善く 心得て ねろ i うだ 0(1^ I 、八 〇5£ 東京 5« 町 富士見 £• 四 ノニ^ 明閣、 ^楚 京 五 五 七 八番」 



( アン リ* ,ハ ^ビュ ス對ロ マン • 口 オラン ) 

アン リっパ ルビユ ス對ロ マン-口 オランの 第一 回 公開 書に 就いては 本誌 『批評』 及び 一 改造.』 の 五月 號み 二お 照. -1 れ; い 

い。 二人の 間に 交 はされ た. ホ レミック は笫 一 回の. ヘム 開甞 で 終結 を i りけ なかった。 それ ばかりで はない。 二人の 間に 交 

された. ホレ ミック は 今や 世界の 革命的 思想家 全體 の問题 になら うとしつつ ある- - は玆で 自分の それに 對 する 立場 を 

明 咬に しゃう とする もので はな い。 そのこと に 就いては 己に .ー 「クラ ル テ* ;述 動の 將來』 ^ga 下の もとにき つばり 言って 

ある。 不幸に して その 記事の 耍點は ところどころ 抹消の 浮 目に § ラリ たが > の 言 はんとした ところ は, もしも、 アジ 

リたハ ルビユ スが, 『明日』 の 建設の ために 實際ィ 、ータ ナショナル *コ ムミ ユニス ムが ある ものの 责 現に 最 V 有効な 理 

想と 確信 するならば • 彼 は 進んで ク ラルテ 運動 をして 具 體 的に 共產 主; ii 我 化しなければ ならぬ もので あり, 且又、 そう 

しない 限り 彼の 主張 も, 彼の 信仰 も、 また * 彼の 常に 言 ふところの E-5 想の 横 威 も 遂に 空文に しか 15 しない こと、 恰度 

彼の 批難す る 口 ラ ン ディ ストと 同じ 精神主義 的, 誤謬に il! る 結 eK になろ と 言 ふ- S であって、 如何に 僕ら は 思想家の 運動 

がより 以上 具體 運動と { 松 接な 關係を 保ち、 それと いは ゆる 共同戦線 を 一 つに しなければ ならぬ ことの 怠 志を發 表して 

匿 いた。 しかし、 この こと は 今 僕が 改めて 更に 玆に 述べ やうと する いではなくて, 今日は その後に、 即ち 第二 に 取 

交された バ ルビユ ス、 口 オラン 二 氏の 公開 寄 を 紹介す るに 止まる。 

總 ベて、 第二 问の 公開 は 第 一 回の そ; -に 比して 大した 變 化がない。 ロマン • 口 オラン は ク ラルテ 誌 第六號 にある 

アン リたハ ルビユ スの 公開 書に 對し、 L-Art Libre 及び la Kesseg-a Inteinazioiiale 誌上に 於て バ ルビユ ス に 答へ た。 

そこで、 また、 アン リ*バ ルビユ スはク ラルテ; S 第 十號に 於て 更らに SX マン オランに 答 ふるところ かあつた。 これ 



が、 兩 氏の 二回 公 Si 書な ろ ものである。 

僕 は 首った。 第二 回の 八ム Si 窗 は吖± 冋 S それに 比して 人した 變 化がない と. - しかし-^ らは ロランた ハ ルビユ スの. ホ 

レミ ッ ク乃 52に 多少 神經; おに 馓兵戦 を: る。 口 ォ ラ ン はズ ルジョ ァ • アナ— キス トと; マ:: ば.;; た, 】 とに 就いて。 5 なる 程 

アナ ー キス 卜の 中には ブ ル ジ ョ ァが 居る。 がし かし、 それ は コム ミュ 二 ス ト の 巾に も 门.- 受ける, ) と.: •;, ルビユ ス 

は; K ふ。 『私 は アナ. I キ ストの 友人 を li^ なり 持って ゐる 。私 は それらの 人た ちに^ 敬を拂 つて^る し、 また、 それ" 

の人たちが人^;|的理;^1を具||化しゃぅとすらことを^^める-" しかし、 ^は、 の考 から ると. こ;::, いの: 十: たちの 

理論 はセ 、ン チメン タルで あり、 的で あり, 且又 あまりに 組 II の炔 いてる はせ ぬかとの^^ * ど 懐かざる もので もな 

い rr^. か^々 口 ラ ン デス ムと 呼ぶ ところの もの は 他の 人た ちが アナ. I キ ス ト氣 質と いふ も と 同 一 であるの であって 

この 二つの 對照は 成立して ゐろ ものと W 心 ふ」 と。 また、 口 オランが ガン ディ を 例に 引いて ョ 5 fi の 代りに 新 

に いは ゆる non acceptation を 主張され る けれども * パ ルビユ ス によれば 結局 勿、; i も: ぉ匸」 於け る r【te des hr;i 

g croisca と 何等 撰ぶ と, ? ろかない と 言 つて ゐる。 

とい た BJMCLr ^0, 口 オランと バ ルビユ ス G 理論の 彼れ 目 は 自由 か 平,.^ か、 1: お 力の 是, y か 否認 かに; シる こと は 

第一 回の 公開^に ある 通りで ある。 口 オラン は、 現下に 於け る藝術 家、 $, m- お- 家 は 一九 一四 年 S 歐洲 戦爭に 於け 

ろと 1:1^ に、 ^命 そのものに 射しても 絕對 の自. B を 保お しなければ ならぬ と 主張す ろので ある、) そして、 现^ の 共同 

の 敵 は 人類 社會の 強制的 暴力で あるのに、 バ ルビユ ス 一派が その 暴力に 對す るに 他の 暴力 を備 へや、 つと する ので ある 

が、 それが 反って、 二つと も 共倒れになる もので あろと 批難す るので ある" 

しかるに、 バ ルビユ スに言 はせ ろと * 今のところ 絕對 の自. a は 求め 得られない。 よし, そんな もの か あると しても 

それ は必 すし も眞の 自由で も. また、 絕對な ものではなくて、 言 は f 最大限の 自. B であろ に 限ぎ ない I 今 C 

ところ 自由と いふ もの は 架空 的な 言 はば 詩人の 資源に 過き ない。 そして. 差 あり それよりも 必要な もの は それの 完.^ - 

を 期す るた めの Theorie Collootive. 圑體の 存在の ための あろ 意味の 强 制の 甘受であって * それが ために は 多少の 自 

由の 不足に 満足し なければ ならない。 眞の 自由 は 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 にし か 求められない。 その 時に 先. っギ等 

^ が a- ^も 比較的に 普く 行き わたろ に 容易で あらう。 しかし、 その 平等 1 自由への 第一歩で あると ころの 平等す らも あ 

ら ゆるさ 想と 個人主義 的 平等 を 捨てない 接り、 それすら も 得られない であら- フ。 (小牧 近 江) 



. 一 近代 經濟 制度 の 藝術的 批評 

五 * 

中. W 紀 における 工匠 は虔, -物賈 的 窮乏に §3 んだ。 けれども 工匠と 封建的 樓カ 者との 間の 階級 組織 は 甚だ 嚴 格の もの 

であった にも 拘ら す、 彼等の 間にお ける 差別 は 一時的の ものであって、 本質的の ものでなかった C 彼等の 間に は; 一 一一 口語 

風俗- 思お. - において 今 03 の有產 者と 勞働 者との 間に 見る が 如き 溝 梁 は 存在し なかった ので ある。 彼等の 勞働狀 態に 就 

いて 見る と、 彼等 6; 蹶は各 々組合に 形成 せられて、 その 間に 嚴密 の區 別が あった。 さう して その 生產は 自己の^ 费を 

さとして その 餘 のみが 市場に 裔 された。 また 組合 S 部に おいて は、 分 勞の行 はれる ことが 少なく、 一 職業に 徒弟 

となった 者 は、 その 職の 全體を 習得し. 必す その 職の 親方た る こと を 得た。 組合 制度の 初期に おいて は、 一. ^におい 

て は 徒 :5- 親方と 云 ふこの 一時的 區別 しか 存在し なかった。 後期に 至って は、 組 八 口の 親方が 資.^ 家と なり、 その 徒^も 

また 特樯を 持った 職人 JouiylDen-craftin の 階級が 存在した。 然し 乍ら 職人と 組合 贵族 the aristocracy of tile 

gild との 差異 は、 また 一 時 的の ものであった 要するに- この 時代に おける 勞 働の 箪位は 有識 的の 人 々であった。 この 

制度の 下にお ける 工匠に おいて は- 勞 働の 執行 は 急速 を I^M さなかった. - 工匠 は徐々 に, 考 へながら その 仕事 を 遂行す 

る ことが 出来、 工匠の 智識 は 彼^ 才能に 應 じて 發 達せし める ことが 出來 た。 さ 5 して 彼の 全 精神 を 一 小生 產に沒 頭せ 

しめる 必要がなかった〕 これ を 他の 言葉で 云へば、 工匠の 手と その 心靈と を 競爭的 市場の 必要の 犧牲に 供す るの 必要 

がな く、 人間の 發 達に 應 じた 自由が これに 與 へられた のであった。 人 51 か 商業の ために 存在す るので なくして. 商 率..^. 

が 人間の ために 存在す る この 簡單 なる 事實が 中 世紀の 調和 ある S 取 高の i^i を 生ん だ" この 藝術 のみ * 自由と 呼ばる-. へ 

きで ある X Art under ; plutocracy, l)p. 177 や 1.17 し 

イタ リ てに おけろ 文藝 復興 時代に おける ti 秀 なる. 翁 術い 出^ は. 實に てれ 以前 五 世紀に おける 民衆 4i 術の 興. f の iis 



果 である。 そ は その 當^ 勃興し 来った 商業 主 i へ 我の ためで はない。 文藝 復興 胡の 隆盛が • 商^ 的 $ ^爭の 發達 -」 共に 衰 • 

亡 に 到った こと を 以て 知る ことが 出来る。 さぅして第十七ぼ紀の終ぉに釗って:;;?^:^ゃ^!^;:^^:^?;ー?^は^-かニその形 

骸を殘 すに 止まって、 その 心 酚^」傳說 と は 失 はれ、 お 飾 藝術は Ssf に 市場に おけろ 商品と 化した。 かくて 商業 主; 峩は勞 

働の ギルド 組 11 を 亡 はし、 これに 代 ふるに 職場 糾^ を 以てした。 生產の£31^^は^!^平個人でなくして, 個人の 集團 とな 

つた- ノ さう して 集 園の 各員 は 互に 他に 依存し * 彼自身としては完全なる生產^!^たらさるに到った。 こ 職場 的 分勞の 

制度 は、 企^家 階級の 市 張の 努力に よって * 第 十八 世紀 中に 完成され た。 この 制度の 下にお いて は、 旣に 云った 

ゃデ に、 5^5. 山藝術 の 精神 は 亡 ほされた。 けれども. 牛 凡な ろ 藝術は 未だ ^ ^在した- S であつ.: 13 何 とな,;; ば 製适の 主要な 

ろ 目的 は. 未だ 新しい 思想と 相反す る やうな 貨物の 生産に あつたから である。 ?;? H 時の 生產は 一 方に おいて は 企^家の 

利潤の ために、 他カにぉぃては勞働^i<;の雇储のためにすると云ふ新思想と^ゃ爭Ilしっ 、あった ので ある。 (Art 11 ミー 

«!• t*lutocracv, 177-178) 

商業 は 目的であって、 手段で はない とする 思想 は 職? _ "制. おの 特殊 的 は 代で ある 第 十八 紀 にお いて は、 充分に 發達 

しなかった のであった。 製造 家 は 未だ 自己の 生產 した 商" i に 信 川の あろ こと を 喜んで、 全然 商業 的 需要の 必耍 のため- 

に、 その 信用 を犧牲 とする こと を肯ぜ なかった。 さう して お:; 働 者 は, 藝術 家で はなく して, y 巾勞働 者で あつたが. ,て 

の 職に iss^ すん こと を 要求され た。 然し 乍ら、 商業 は 新 販路, 力 開 一:^. こ 新 機械の 發明 と共に" 一. お々 發 達し、 從 つて 生産^ 

1^ は 古代 中肚の それと は 甚た異 つた ものと 化した。 プリ -li の 時代と サァ • ト— マ ス* モア 〔い 時代との 間に は 一 物 を 生 

產 する その 方法の 差異 は殆 んど發 見し 得ない。 然るに 現在の 生產は 年々 に その 生產 方法 を變 化せし める。 さう して 昔 

時の クラフト 組織 は 失 はれて * 勞働を 省略す ると 稱 せられて ゐる 機械が 生產 手^ 中の E. 取 重要 位 を 占める や、 ひに なった 

機械 生産の 組 IT 工場 生産の 組織^ 勝利 を 促進した の は、 實 にこ S: 機械 採 川の 事實 であった。 ェ 51^ 組^に おいて は、 

職? ^"組織に おひるが 如き 機械的 勞 働が 富 際の 機械 の^めに 騙逐 せられ、 勞働者 は 機械 速轉 t.: 一 部に附^^し、 その 重 服 f< 

においても、 そ S 数に. おいても 々そ 細の 地位に 董 かれ やうと する】 けれども この 制度.: 未だ その 完, 肷 期に は 達 



してるな いの マ 職場 組 S 的 生產は 僅かに 行 はれ T はるろ が、 そ は 段々 と 消 しつ- - ある。 その 完成 期に 達 r ると • 

S 熱 練 職工 は, 存在し なくなり • 彼の地 位 は少數 なる 技師に よって 指 Si せられ、 熱 練 も 知識 もない 男子, 婦人 並に 小兒 

によって 執行され る 機械に よって 代 はられる であらう。 さう して この 組織 は、 旣に. 云った やうに 民衆 藝術を 生み、 ィ 

タ リアの 文藝 復興の i^K 術を瓣 らした ゃラな 組織と 相反して るる。 故に そ は 昔時の クラフト 組織の 生ん. たものと: 止反對 

の もの を發 生せ しめた 。藝 術の 死 威が これで ある。 言葉 を換 へて 云へば 生活の 環境の 墮落 である。 (Art under Social 

ii, pp. 17d.l79) 

藝術は 亡びつ、 める。 生活の 幸福 は 文明の 進歩と 共に 減 返しつ- - あろ。 そ は 如何によ つて 起った かつ ある 者 は 機械 

の 使 W であると 云 ふ •。 けれども 勞働を 省略す る 機械 を發 明し やうと する の は 人間 自然の 性情で ある。 藝術的 勞働は 疑 

ひもな く、 それ 自ら 快 で-^ る〕 然るに 勞 働の 中には 必要に して、 然も 快樂 でない ものと、 必要に して 且つ 苦痛なる 

勞 働が-杯 在す る。 この種の 勞 働の 負 擔を輕 減す るた めの 機械の 必要 はこ、 に呶々 を 要さない。 けれども 事寳 はこの 理 

g に 合致し ない。 吾々 はジ 3 ン* スチ ュ ァ ート* ミルと 共に 近代の すべての 機械が 勞働 者の^ 擔を轉 減し たかを 疑問と 

すろ 近代の 機械 は 疑 ひもな く勞 働の 費用 を 減じた。 けれども そ は勞働 それ 自らの 苦痛 を輕 減した ので はない。 何故 

に 然る かと 云へば、 生産の 主要なる 目的が 利潤の 獲得に 存す るからで ある。 製造 せられた 貨物が 世の中に 利益 を與へ 

ろか 否か は 問題で はない。 一定の 借 格 を 以て * そが 販賣 せられ、 さう して そか 勞働 者に 僅かに 生活の資 料々 與へ、 資 

木 家 をして 一 定の 費用 以上の 利潤 を 獲得せ しむる ことが 出来るならば、 生產 せらろ 貸 物の 種類と、 ^^;働者がそを生產 

する 條件 は、 これ を 顧みる 必要がない と 云 ふの が、 近代 經濟 生活の 原則で ある。 故に この 組織の 下にお いて は、 勞働 

の 種類 並-一 上. -問は 無^ K\ ^これ を 制定 せんとす ろ. か 如きば 愚の 骨頂と せられ る。 かくの 如き 商業 至上 主ぎ の 迷信 

/、間のため--^-.^か^^:在するのではなくて、 商 裳の ために 人 問. か あると 解す ろ 商業 至大 主義の 迷信の ために 藝 術は滅 

ししせられ、 さう して 腐敗と 不斷の 無 秩序が, これに 代って 滎 える。 かくて 近代 經濟組 截と藝 術と は 相容れ ざる 兩 極に 

立てる もので あろ o(Art l-n 二 2- Hlltoc-.acy, pp, 17£91) 

(一九、 ニニ •§> 1 了) -; 加 m f 二 i! 




英國 印度 及 ス ワラ ヂ 

ガン デ 手記) 




1、 英國 の狀態 

讀者 1 であな たの 陳述から 私 は 英國の 政府 は 願 はし くもなし, また 私たちに よって 眞似 るの 値打ち もない と 推論 

します。 

主筆 1 あなたの 推論 は 正しい" 英國の 現 時の 狀態は 憐れむべき である。 私 は 印度が その 狀 態に 立たない こと を 神 

に 祈る。 あなたが 「議 食の 母」 であると 思って ゐる もの は、 不姙の 女 * そして 賣女の ごとき ものである。 この 二つの 

言 菜 は 苛酷な 言葉で あるが、 しかし 正に 事實 にび つたり と箝 まる。 議會は 自ら 一 事の よき こと をも爲 して はゐ ない。 

だから 私 は 不姙の 女に 比べた ので ある。 この 議會の 自然の 狀 は 、外部の 壓迫 なしに、 それ は: 1: ごとな も爲 しえない。 

それ は寶 女の ごとき ものである。 何 どなれば 始終 變更 される 諸 大臣の 統制の もとに あるから である。 今日は それ はァ 

ス ク イス 君の もとに あるし、 明日 はバ ル フォ ー ァ 君の もとに ある だら、 フ、 

讀者 11 あなた は それ をい ま諷剌 的に いふた T 不袵の 女」 とい ふ 言葉 は 適用され ない。 議會は 人民に よって 選舉さ 

れてゐ ろから、 公衆の 腫 力の もとに 働かねば ならぬ。 これが それの 性質な ので ある。 

主箪 II あなた は 誤られて みる。 モ少 しそれ を 嚴% に檢 討しょう ではない か。 最良の 人間 か 人民に よって 選舉 され 

ろ ものと 假定 す, 選皐 人は敎 育され ており、 そして それ ゆへ に 彼等 は慨 して その 選舉を 誤らない ものと 推定すべき 

であろ j 左 な 議會は 請願の 鼓舞 やその 他の m 力 を 必要と しない 笞 である。 それの 仕事 は、 それの 効果が 日 一 8 と 《& 



々明瞭に なろ ほどに 滑らかで あろべ きで ある。 然し 事實は 議員 は Issn 的で 且つ 利己的で あろと 一般に 認められて ゐ 

る。 皆が 彼 自身の. 小さい 利 i せを考 へる。 それが 指導 的の 動機で ある こと を 恐れる。 今日な されて るる こと は, 明日 は 

なされない かもしれ ない。 それの 仕事に 針して 最後 性が 斷定 され 得る た^ 1 つの 實例を も 思 ひ 出す こと は出來 ない。 

最大 問 超が 討議され てるる 時には 議員 等 は 手 を 伸ばして 投藥 する や、 フに 見られる。 時として は 議員 等 は傍聽 者が 嫌き 

るまで^ つて ゐ ろ。 力 ー ライル は それ を 「世界の!!^ り 店」 とい ふた。 議員 等は考 へないで 自分の 黨派 のために 投ぎポ す 

る。 彼等 S 所謂 黨紀 がそう させる ので ある。 若し 如何なる 議員で も、、 例外の 方法に よって ノ 11 自の 投票 をす ろと, 彼 

は變 is 漢と考 へられろ ので ある。 若し 議會 二 よって 空費され た 金と 時間と が 少数の 善き 人物に 委せられた としたら、 

英國民 は 今日 占めて ゐ ろより はもつ と はろ かに 高き 地位 を 占めたで あらう。 議 會は國 民の た r の 蝥澤な 〇〇 である。 こ 

うした 考は 決して 私に 特有な もので はない。 英國の ある 偉大な 思想^が そういつ てるろ。 この 議會の 議員の 一 にが 最 

5- 一い ふた、 眞の 基督 敎徒は 議員に はなれろ もので ない と。 他の 人 はいふた、 それ は幼兒 であった と。 しかし、 若し 

それが 七 百年 間の 存在の 後に まだ 幼兒 として 殘 つてみ たと したら、 何時 幼年 性 を 失 ふだら うか? 

讀者 —— あなた は 私を考 へさせた。 あなた は あなたの いふ ことの 全部 を 私が 直ぐに 受 人れ る こと を 期待し まい。 あ 

なた は 私に 全く 新ら しい 見解 を與 へた。 私 は それ を 咀嚼せ ねばならぬ. - 今度 は 「贅 女」 とい ふ 形容 を 話して 下さろ で 

しょうか? 

生 筆 — あなたが 私の 意見 を 直ぐと 受 入れろ ことができな いのは 尤も だ。 若し この 問題に ついての 文 獻を證 むだら 

あなた は それにつ いて あろ 意見 來 るでしょう。 議曾は 卞- 人かない。 總理 大臣の もとで、 それの 運動 は 不變な 

もので なく、 それ は寶 女の ごとくに 打つ かり 歩る く。 首相 は 議會の 幸福よりも それの 權カ にか、 わる" 彼の 精力 は 彼 

の. 黨 の.!^ 功 を うろこと に 集中され る。 彼の 注意 は 常に 議會が 正しい こと をすべき の點 にある ので はない ク 首相 は單 

に攻" S の 利 i まの ために 議會 をして 事 をな さ..,^ める ものと し-, 知られて ゐ る," 凡て これ 等の こと は 充分 考へ るに 憤す る。 

諝者 では- あな たは 吾 V かこれ まで 愛 oaL 的で 且つ 正直で あると & つて 來 たと ころの 人 もほんと 5 に攻擎 しつ" - 



41 



あるので すか? 

$ 11 如何にも その 通り-た" 私 は 首相に 反 針すべき 何もの もない。 然し 私が 見た こ. こ は 私 をして 彼れ 等が ほんと 

5 に愛國 的で あろと 考 へられない やうに させる。 若し 彼れ 等が, 一 般 に贿路 とし て 知られ てゐ る もの を とらない た 

めに、 正 i< ^であろ と考 へられなければ ならない とすれば、 彼等 をして そう 思 はせられ て 匿く がいい。 然し 彼れ 等 はも 

つと 陰險な 勢力 を 川い ろ d 彼れ 等の 目的 を 達する ために、 彼れ^ はたし かに 名譽を もって 人民 を買收 すろ。 私 は 彼れ 

等が 眞に 正直で もな くまた ほんとうの 良心 を 持つ もので もない とい ふこと を斷言 する に 0; からな い。 

讀者 11 あなたが 議會 につ いてそう した 意見 を發 表した。 で英國 民に ついて G あなたの 意見 を聽 きたい。 それで 彼 

等の 政府に ついての あなたの 意見 を 知ろ ことができよ うから リ 

主 茶 11 英國の 選 摩 人に とって は 彼れ 等の 新聞紙 か 彼れ 等の 聖書で ある。 彼等 は 彼れ 等の 合圖 言葉, 厦々 不正直 

な新閒 紙から とる。 同じ 事 莨が、 遠った 新 によって、 攻 黨に從 つて ,1 . 新聞が? てれの 利害の ために 編輯され る 11 

1^ つて^ 明され てゐ ろ。 一 つの 新聞紙 は 或る 一人の 偉大な ろ 英國人 は 正直の 模範で あると すろ し、 他の 新聞紙 は 彼れ 

を 不正 K だとす る。 新 紙が かくの 如き 有さまで ある 人民の 狀憨は どんな もの だら ラか? 

讃者 11 あなたが 說 明して 下さ つ 

主笨 11 かう した 人民 は虔々 彼れ 等の 意兒 を變更 する。 彼れ 等 は 七 年毎に それ を更 へる とい はれて るる。 これ 等の 

意見 は 時計の 振子の やうに 振動す ろ * そして 決して 不動で はるない。 人民 は 雄 辯 家 または 波れ 等に 宴會ゃ 招待 なぞ を 

與 へろ 人物に 隨從 すろ。 人民. かこう だから 議會ら その やうな ので あろ。 彼れ 等 はたし かに 非常に 强く發 達した 一 つの 

性質 を もってる る。 彼れ 等 は 決して 彼れ 等の 國を: iS す, こと を 許さないで あらう。 もし 何人で も それにつ いて 邪 眼 を も 

つて 見ろ 時 は、 彼れ 等 は その 眼 を 引つ こぬ くで あらう。 しかし、 それ はこの 國 民が ほかの 德 或は 眞 似べき も の を もつ 

てるろ とい ふことの 意味で はない。 もし 印度が 英 國な眞 似るなら • それ は: 落す るで あら、 フ とい ふこと は * 私の 動か 

す ことので きない 確信で ある。 



42 



讚 者 —— 何ものに あな はこの 英 國の狀 の 罪 を JS する でせ うか? 

主^ 11 それ は 何も 英國 民の 特別の 欠陷 であると いふ わけで はない。 この 狀態は 近代 文明の 結果で ある。 指すべき 

はたに 文明で ある。 それの もとで ョォロ ツバの 諸 國民は 墮ー洛 して 日 一 HL,-:^ 落しつ,^ める つ 

二、 文 明 

讃者 11 さて あなた は、 今度 は あなたが 文明と いってる る こと は 何 を 意味す るか を說 明し なくて はなら CT 

主 菜 11 .V れは 私が どう 考 へて ゐ るかの 問 超で はない。 数多の 英國の 記者 かその 名の もとに 蔽 はれる もの を 文明と 

ぶこと を拒絕 する。 多くの 窖物 がその 問 超に ついて 害 かれて ゐる〕 諸 图體が 文明の 害惡 から 國民を 救 ふ 爲に組 IS さ 

れてゐ る。 一 人の 偉大なる 英國 人が 「文明, 其 源 因と 救 治」 とい ふ 名前 G 書物 を 書いて るろ〕 そこで 彼れ は それ を 病 

といって ゐる 

讃者 11 なぜ 吾々 は 一般に この 事 を 知らないの だら うか? 

主箪 11 答へ はき わめて 簡單 である〕 吾々 は 自分自身 を攻耀 すろ 人 をめ つたに 見ない。 近代 文明に よって、 胸醉し 

てゐる もの は、 文明 を攻擎 する こと を 欲しない。 彼等の 注意 は それ を 支持す 乙た めの 事 LS と 議論と を發見 すろ, } とで 

ある。 そして 彼れ 等 は * それが 眞理 であると 信じな から、 無意識的に そうする ので ある. - 人 は、 夢 をみ てゐ ながら * 

彼れ の 夢 を 信す る。 彼れ は 彼れ の 眠から さめた 時に 欺かれた こと を 悟る" 文明の 害 素の もとで 働いて ゐる人 は、 夢み 

てゐる 人の ごとき ものである。 吾々 が 普通に 讀 ひところの もの は.. 近世 文明の 辯 護 者の 書物で ある。 勿論 これ 等の 信 

者のう ちに も 非常に 立派な、 そして 非常に 善良な 人 さへ も ある。 彼れ 等 の^いた ものが 吾々 を 催眠させる。 そして か 

くして 吾々 は、 -1 人 一 人 渦の 中に 落される ので あろ。 

讃者 I ど、 rv も それ は尤 のように 思 はれる。 で この 文明に つ いて あなたが 蒙み または 考 へて ゐる こと を 伺 か 話して 

ぐれまい か? 



4S 



主班 ー! 先づ如 :!: なろ 事物 S 狀 gr か T 文明」 とい ふ 言葉に よって 說 明され てるる かを考 へて みよ、,。 それの 眞實の 

試練 はノ て-や r ちに 住む 人民が 肉體 的の 幸福 を 人生の 目的と すろ, > との 事赏 のうち-にある.^ 吾々 は 二三の 實 洌を舉 ゆる 

であら. I ョォロ ツバ の 人民 は 今日 彼等が 百年 is におけるよりも よく 建築され た 家に 住む。 , } ひが 文明の 表徵 である 

と考 へられて ゐ ろ。 さ. フ して これが 肉 體的 幸! を增 進す るの 材 である。 昔 は、 彼れゃは.!^^を着て- 彼等の 武器と して 

e. を 使った。 今日は 長い ズ. ボン を はいて 彼れ 等の 肉 體を美 しく 飾. り- 々の 種類 S 者 物 を ti?. ^5 代りに 五つ 以上 も 

穴の あろ 短 1i を携 へて るろ" もし 從來 多くの 着物 や 靴な ど, ザ # る;! I 惯 のない 或る 國の 人民が- ョォロ ツバ 流の 着物な 

着ろ-こ、 彼等 は 野 23 から 文明 化した と 想 はれる。 昔 は. ョォ D ツバで は 人民 は 主として 體カ勞 劫に よって;^ 等の 土 也 

を 耕し.; r 今 は 蒸 汽機關 によって 一 人が 成 太なる. H 地 を 耕す ことができる, - そして かくして In; 大な富 を 積む ことかで 

きる。 これが 文明の^ 侯と 呼ばれて ふる〕 以, :1 に は 極く 少数の 人し か價 ある 書物 を 寄かなかった、 今 は 誰でも 書き 

彼の 欲す もの を 印刷し- そして 人の 心を赛 する) 曰 は 人々 は 車で 旅行した。 今 は 一 a 四百 哩 若しくは それ以上の 速度 

で 汽車に 乘 つて {仝 中な 飛び 廻る。 これが 文明の I. な 一 :1 度で あろと はれ」 るろ。 人閒が 進歩す るに 從 つた 彼れ 等 は 飛行 

船で 旅行す る 二と も出來 るで あらう し、 數 時間のう ちで M 界 のどの 部分へ でも 旅行す る ことができろ であら- フと いわ 

れてゐ ろ。 人 問 は 彼等の 手 や 足 を 使ふ必 :%Y か くなる だら、?。 彼等 は ボタン を 押し、 そして 着物が 彼れ 等の そ はへ ^liy 

ばれろ。 彼等 は 他の ボタン を 押す と、 新聞が 運ばれる であらう- - 第三の ボタン を 押す と 自働車 か 彼等な 待って るる. た 

らダ。 彼等 は 美事に 盛られた 食物の 樣々 を 持つ-たら- フ。 凡ての 事が 械 によって 行 はれる であに う。 以前に は • 人民 

が UI^ に相戰 はんとした 時に、 彼等 は、 彼等 同志で、 その 肉 體のカ を りあった,〕 今 は 丘から、 砲の 背後で 働く 一 人 

の 男に よって 教千 人の 生命 をと る ことができろ であらう。 これが 文明で ある。 以前に は 人々 は 彼等 か:^、 した 上 t- に. 、ニナ 

戶 外で 働いた。 今 は 数千の?^ 働 者が 集合して そして 生活 SE に ェ?? U! は 炭坑で 働く.^ 彼等の 狀 f」^ は の それよりも 

悪る い。 彼等 は 百 萬 弗 長. の 爲に最 ..T 危險な 職^で 彼等 W 職業で 生命 を^して 働く こと を 余儀なく される C 以, に は 

人力ば 肉搭 的の 力で isa 迫に よって 奴隸 とされた。 今 は 人々 は 金と そして 金に よって 貿 ふことの できろ 贅澤の }j ^惑に よ 



つて 奴 15 化される- 今 は 昔の 人間が 夢にもお $ 像たなかった 多くの ir か ある。 そして 醫者 軍が その 救 治 策 を發兒 する た 

めに 働き そして か增 加した。 これが 文明の 試練で あろ。 以前に は, 手紙 を 送ろ ために 特別の 使者が 必 でも あり、 

そして 多くの 費用が か、 つた。 今 は 何人で も 一片の 手紙に よって 友達 を わすら はすこと かで きろ。 資に 同じ 一片で 人 

々は 谢奇ァ ま:^ る ことができる" 以萷に は 人々 は その 家庭で こしら へ た 麵^ と 野菜と で 一 日 一 一回 か 三回 か 坌-事 をした。 

今 は 二^間 饰に 何もの か 食べる こと を 求める。 そして、 それ だから 人々 は 外の 何事 をす ろ 暇 を殆ん どもたない。 これ 

以上 何 ごと を いふ 必耍が あらう か? こ,;: 等の 凡ての こと は、 あなた は權威 あろ 書物. ij よって 確め る こと. かで きろ。 こ 

れ等は 皆な 文明の 眞の 試練な ので あろ。 若し; 1: 人で もこの 反對 のこと を 言 ふ もの は、 彼が 無知で ある こと を 知る。 こ 

の 文明 は 道 德 にも 宗敎 にも 注意 を拂 はない。 それの 信者 は、 彼等の 仕事が 宗 敎を說 くこと でない と靜に 述べろ。 あろ 

もの は それ を 迷信の 成長で あろと さへ 考 へる。 他の もの は 宗敎の 衣 を 着け、 道德を 々する。 しかし 二十 年間の 經驗 

の 後に、 道德の 名に おいて 不^ 德か 々敎 へられて ゐ ると いふの 結論に 到達した。 私の 述べきたい, V ころで * 道德へ 

の 誘引が 存在 しないと いふ こと は、 小 供で さへ 解ろ であらう。 文明 は肉髏 的快樂 を增大 する こと を 求めろ。 そして そ 

れ はそう する ことにお いてさへ、 懌れ むべき ほどに 失敗す る。 

この 文明に 非宗敎 であろ。 そして それ は、 ョォロ ツバに おけら 人民に、 そ を 信ん すろ 人 は 半 狂人と 見えろ ような 意 

見を與 へた。 彼等 は 真の 肉 照 的の 力よ たは 勇氣を 欠く。 彼等 は 孤!^ では 殆んど 幸福で ない。 家庭の.^ 王で あるべき 女 

は * 街 を さまよ ひ、 若しくは ェ で奴隸 となって, Q ろ」 僅少の 意み 物の ために、 英國 におけ ろ 半 百 萬の 婦人が、 f 

がたい ほどの 狀悠の もとで、 ェ 5! または そ 5 いった 制度の 5 ちで、 勞働 しつ- - あろ。 

この 文明 は、 人々 がた. - 我慢して るなければ ハ," ら ない、 そして それが 自壞 すろ といった. のな ので ある。 モ ハメッ 

トの敎 へに 從へ ば、 これ はサ タ ン の 文明で あろと 考 へ られる ものな ので あろ。 ヒ ン ヅ ゥ;; ^では.、 ) れ を闇黑 時代と 呼ぶ。 

私 はこの ことにつ いて 適 常な 觀念 を與へ ろ こと はでき ない。 それ は英國 民の 生命の 中に 喰 ひ 入りつ、 ある。 それ は 避 

けられねば ならぬ" 議 會は眞 に 奴 除 制度の 表徵 である。 若し あなたが この 問 超に つに て 充分に 考量した いなら、 あな 



45 



たは 同意見 を 抱く ようになり, そして 英^ を非艱 すろ こと を 止める よつ になる だら う。 彼等 英國民 は 却って 私達の 同 

*?21g ひすろ。 彼等 は 鋭敏な 國民 であろ。 そして 私 は、 それ 故 彼等 はこの^ 惡を 除去す ろで あら 5 こと を 信ん す 

ろ。 彼等 は 企業 的な, 產業 的な^ 民で ある。 そして 彼等の 甲;? 索の 方法 は傳統 的に 不道德 であろ ので はない ので ある。 

彼等 は 哀心惡 ろい ので はない。 それ故に、 私 は 彼等 を 敬す る。 文明 は 不治の病 ではない. - しかし 英國民 は 今日で は 

それに か-つて るろ 國民 である こと を 忘れて はならぬ。 

ニー、 何故に 印度 は滅 ほされた か 

讀者 II あなた は 文明に つ いて 多く を 語った 11 私 をして それな 充分に 考 へさせる ほどに. - 私 は 今 まョォ 口 ツバ 國 

民 を どう 扱 ひ. また それから 何 を 避けべき かな 知らない。 しかし 一 つの 疑問が 直に 私の 春に 上る。 若し 文明が 病で あ 

ろなら ば • 若し それが 英 國を篛 ふたと したならば、 何故に 彼女 は 印 皮 をと り. そして 何故に それ を 維持して 行く こと 

がで きる であらう か? 

主 菜 11 あなたの 質問 は 私に は 答へ ろに 六 かしい もので ない。 そして 私達 は 直に ス ワラ, チ (自治) の ほんとうの 性質 

を 討究す ろ ことができ ろので あろ。 何と なれば 私 はま だ この 問^に 答へ べきで ある こ, V を 承知して るるから。 しかし 

私 は あなたの 前の 問題 を とりあけ ろで あ.? つ。 英國 人が 印度 をと つたので はない, - 吾々 がそ 1 を英國 人に 與へ た ので 

ある- 彼等 は、 彼等の 强さ のために 印度に あろので はなく, 吾々 が 彼等 を 支持す るが ためで ある。 私達 はこ G 前提が 

維持され 5^ ろか ど、 つか を 見やう。 彼卞 ザば!!:. 取 初に 商 f 糸の 目的で 來た。 會杜 バハァ ダル S 二の こと を 回顧せ よ。 誰か それ 

をパ ハァダ アルと なした か? 彼等 英國人 は, て の^は 少し., 王國を 建てる やうな 企てはなかった。 誰が この^ 社 S 職員 

を 助けた^? 誰が 彼等の 銀 を 見て nfsl^. ざれた か? 誰が 彼等の 貨物み-買つ たか? 歴^ は 吾々 が 凡て それ をな した こと を 

! 1?^ 據 立て、 るろ。 一 足と びに ま 持ちになる.; 【めに 吾 々は會 社の 職員 を 手 を:^ ゆて 歡迎 した。 吾々 は 彼等 を 助けた ので 

あるい もし 私 か 印度 大麻 を 呑 ひ 習惯が あると すれば. そして 商賣 人が そこで それ を 私に 1^3: ると すれば 私 は 彼れ をぶ 右し 

く は 私自身 を贲む 可き であら、 つか? 商 IS 人 を?. K める ことによ りて 私 はこの 習惯を 避けろ ことができる であらう-か? そ 

して 若し 特種の 小賫 商人が 除かれた としても、 他の 商赍人 かそれ に 代る こと はないで あらう か? 印度の 眞の 4. 仕 者 は 

I 事せ の « 赛 にまで liP く 可き である。 若し^^l^食が私をfa化不良にしたとすれば、 私 は 水 を 貧め る ことによって それ を 避 



ける ことの 出来な いのはた しかで あろ。 の! « 因 を 探査す る 人 は 真の Ks: である" そしても しあな だが 印度の 病氣 

に^する gwlf としての 立榻を とら、 フ とするなら、 あなた は それの ほんとうの 源 を發 見す ベ きで ある〕 

^^^s あなたの いふ こと は尤 である。 であな たの 結論 を もたらす U めに は 私と あまりに 多く 論議すべき でな いと 

S 心 はれる。 私 は あなたの そ; i.^ らの 解 を 知りたくて たたまらない。 私たち は 今 ま 最も 與咪 あろ に i!s してんる" 

で 私 は あなたの 忍 索に 追隨 して 行く こに とつと め、 そして 私が ひ を 抱 いた 時にはめ な. を 制止し ましよ- 7 つ 

B —— 私 は あなたの 熟 心に も か- - わらす、 私達が 話 を 進める に從 つて > 私達 か 意見の 相違 を來 すで あらう とい ふ 

こと を 恐れる" それに も か、 わらす 私 は あなたが 私 をと めた 時 にたけ 議;? I する であらう。 私達 はもう 旣に 英國の 商人 

私達が それ々 鼓舞した ために、 印度に 足場 を 得る ことができ たとい ふこと を 知った。 私達の 王侯が 互 ひに 戦って 

ゐ ろ に、 彼等 は バハァ ダル 會 社の 助け を 求めた。 その コォ. ォレ ー シ ヨン は 商赍匚 爭にも 通曉 して ゐ た。 それ は 

^?|ほ5問^1にょって、 拘束され なかった- それの 目的 は それの 商赍を 擴-设 し, そして 危を iiS! ろ ことであっ^, - それ は 

私. 3 の 助け をラ け、 そして その 倉. 揮 の^を 增 した。 この倉庫を保_^!れするために11?|-隊を使役した。 その軍隊を:^|:1々もま 

た 利用し たので ある。 で 吾々 がその 常時な し. U ことに 對 して 英 11 人を贵 めろ の は 無 川で はないだら ,か? ヒ ンズゥ と 

そして マ ハメッ ト敎 徒と はま さに 劍ゃ拔 いて 戰 はんとし てる. , ) のこと もまた 會 社に それの: 會を與 へ * かく, L て 

吾々 はこの 會 社に 全 印度の 支配 榴を與 へ たと ころの 狀您を 釗 造した ので ある。 だから, 印度 か:^ ほされた とい ふより 

は. 吾々 が 印度 を英國 人に 與 へたと いふ ことが より ハ A く 眞】 I:- な ので あ る。 

そこで あなた は 今度 は英國 人が 如: 1: にして 印度 を 支持す る ことができ るかに 就て 話して 下さる e せう か? 

4.*^ -11 印度 を英 國に與 へた 源 ST か 英國人 をして 印. K を 支持 させて るるので あ. り。 あろ 英國 人, は 彼等が 奪 ひ I そし 

て劍 によって それ を 維持して ゐ ると いふて ゐる。 こ.;; - 等の 陳述の どちらもが 誤 IS である. - 劍は 印度 を もってる. のに 

に 無^で ある。 吾々. か |g り 彼等 を 支持して ゐ る、:^ である. - ナボレ オン は、 英國民 を 番頭 國民 であると いふた とされて 

ゐる。 それ は 通 《"m な 記述で ある。 彼等 は 彼等の 商資 のために、 如: 1: なる 領土で も 持つ のて ある。 彼等 S 陸軍と 海- is- と 

は それ を a- 護す るた めに^ てられて るるので ある トランス 、パ ァ ル. か 左 樣な目 L:^ しい 物. を 申出でなかった 時に。 逝け る 

ゲラ ン ドスト I ン は それ を 持って ゐる ことが 英國 民に とって 正しい、 】 とでない とい ふこと を 知った。 そ れが 見込みの 

あ 提^物と なった 時に、 そして それな! ^絶した ために 戦爭. か 起された ので ある チェン: ハ アレン. は英國 か. -ラ ニス 



47 



パ一 ルのラ へに 5^ 設 13 を もつ ゐ たこと を i ぐと 0- 出した 3 何人 か t 大統 1^ ク ル ー ゲ ル に 月堡の 中に 金が あるか どラか 

ふた, 、, まれて. る。 彼 は、 とて.,;: そんな こと はあり そ、 フ もない。 +1:: しあった としたら、 英國 か, てれ を 併合した 

であらう から、 と 答へ た" 多く^^ Er. か、 金は种 であると いふ こと を 記惊 する ことによって 解決され るで あらう" そ 

こでゎれ/、は英國人.^印度にぉぃて卑しぃ利己のために支:i^してゐることi^^すろG われ/,、、 は 彼等の 商 II- を 好 

み- 等 は その 怜阚な 方法で われ/ \ を^ば せ、 そして われく から、 彼等の 欲すろ もの を. 獲得す ろので あな。 この 

ために 彼等な 贲 める こと は 彼等の 榴カ を、 水久 にす る ことで あろ。 われ/、、 は 更に われ./、 自身-の 仲 問, 中 ひ をす る こと 

によって 彼等の^ 力.^ 强め るので ある。 i おしめな たが 以上 述に御 同 ザ 5 なら、 英國人 は 商業の 目的の ために 印度に 

人って きた ことが 明され たので ある。 彼等 は その 同じ 目的 S ために そこに 止まり、 そして わ わ/.、、 に 彼等が さう す 

& こと.^ 援助す る。 彼等の 武器と l!SM|i 品と は 全く 無用の ものな ので ある" この 點 において * 日本で 翻って るるの は、 

R 本 S 旗でなくて、 英國の 旅で ある こと を, 注意したい。 英國人 は 彼等の 商業の ために 曰 本と 條約を 結んで るる。 そし 

て 若し 英 國 人が 日本な 支配す る ことができろ としたら、 彼等の 商業 は そこに 大 に擴大 すろ ので あらう。 彼等 はや-世界 

を 彼等の 貸 物の 廣大な 市場に 化せし めようと 望む。 彼等が そうする ことので きないの は眞寳 であるが、 しかし 貴 は 彼 

等: あ. るので はない。 彼等 は 目的に 達すろ ためにに あらゆる 手段 をと るで あらう。 

^、 Vj うしたら は -01 由 と なること がで きる か 

S 11 私 は 文明に ついて あなたの 兌 解 を竦靈 する。 私は,てれにっぃて^^まに〕なけ,ればならなぃ。 私 は 急に 受け 容 

れる こと はでき ない。 では あなた は 印度 を 解放す ことにつ いて どうい ふ 意見な もたれる か? I 

B 11 私 は 私の 意見が till- に 受け 六せられ ようと は m いってる ない C 私の 穀務は あなた^ 読者の 前に それな ^供す る こ 

となので ある。 それ以上の こと をす ろ は、 に 任せなくて はならぬ》 私;^ちは旣に印度を解放することの^11ゃにっ 

いて 討究して き. u。 しかし それ を あまりに Si 接 的に してきた。 私たち は 今 それ を 直接的に しょう。 氣の を 除く 

ことが 痈氣 それ S 身な 除く ことで あろ ことと は、 は界に 知られた 格言で ある。 同様に、 印度の 奴^制^の 原因が 除 力 

れ たなら、 印度 は 自由と なろ ことができろ であらう- J 

諝者 — 若レ 印度の 文明が、 あなたの いふ ごとく、 最善の ものであると したら、 どうして 印度. S 奴 ま 港 度 を 云々 す 



ろ ことができろ であらう か? 

主筆 11 この 文明 は 疑 もな く 最善で あろ。 しかし 凡ての 文明が 審判 を うけてき たこと を昆 なくて はならぬ。 永久で 

あろ 文明 は 審判に 堪える。 印度の 子孫が 贫 弱な ことが 見出され ために * それの 文明 は 危殆に 頻 してる ろ, - しかし その 

力 は 振動に 打ち勝って 生殘 すろ そ.;; の 能力のう ちに 兄ら るべき であろ そのうへ に, 印度の. 全體か 犯された ので はな 

い。 西 作文 明に よつ て 影 饗された 人 々だけが * 奴隸 となった ので あろ" われ;、 は 世界 を われ/ \ 自身の 憐れむべき 一 

呎尺; J よって 計贵. する。 われく が奴銶 でめる 時に、 われ/、 は 全世界が 奴隸 化して ゐ ろと 考 へる。 われ ノ、 が 卑しき 

狀 f ち」 あろた めに I 印产 A の全體 もさう だと 考へ る ol£$*I- はそう ではない が、 しかし われく の 奴 1^ 制度 を 印度の 全體に 

歸 すろ こと もよ からう 。しかし われく が 以上の 事實を 心得て るろ な.:^、 われ/、 は、 われく が 自由と なった 時に、 印 

度が 自, S であろ こと を、 知る.. ことができる。 そして こ 6 思想で, あなた はス ワラ.. チの 定義 を 知る。 われ ノ、. m 奢 を 支 

; g する の を 知ろ 時に、 それが ス t- ラ. チ なので あろ。 だから それ はわれ の eif のうちに あろので ある。 この スワ ラヂ 

を 夢の ょラな もの だと 思 ふこと 勿れ。 これ 故に そこに は靜 座の 思想 はない。 私 か あなたと 私との 前に 塞こうと 思 ふ ス 

ワラ ヂは、 われ/ \ がー 度 それ を 悟った 時 は-他人 を も同樣 にす る こと を說 伏す ろた めに、 われく は 終生の 努力 をす 

るので あら 5、 とい ふような もので あろ。 しかし 斯 樣なス ワラ, チは: 各人に よって、 彼 自身の ために、 經驗 されべき 

であ-る。 1 人の 溺れた 人 は • 決して 他人 を 救 ふこと はでき ない われ/、 奴銶 自身が、 他人 を 解放す ると 考 へる は gBf 

なろ ロ實 なので ある。 诸、 あなた は * 英國人 を 放逐、 すろ こと を われ/、 の 目的と する ことの 必要で ない こと を 知った 

であら. フ。 若し 英國 人が 印度 化した としたら、 われ /\» は 彼等と 調和す る ことができろ。 若し 彼等が 彼等の 文明と と 

もに 印度に 止まる こと を 望; D なら、 彼等への 餘地 はない。 か、 る^ 您を, - ちきた すの は- 吾々 の 仕事で ある。 

(註 一 )、、 の 論文 は 彼の 有名な 「印度. 治」 で 最初に 2^ 表され * 次で 英國 で-、 の 四 :!:: 未に 發 表され 五月 二十 一 日 私に 手に 著した も 

めで ある。 ハ註 二、 パ ハァダ i> 、は 印度人が 英 S: 人ん、 尊^し ズ呼ぶ 名 38、 Mr 通大士 V 譯 され ズ ねる。 

(一九二 三年 五月 ニニ B«) 



す 限ミ 三き の 



► 、夏? 5$^安《1^切.汉物^?は出し (一日、" - 

♦ :f - こ 絞 浴衣 地 陳列 („5 

三 三 彩 t 染儆展 81- き. G 

楚ャ覲 ^山 作品 展覧 會 (-1 a v^^^ 

S 緋 陳 列 會 (十一 日 上 

.1、 中央 美術 社展覽 ?!^ 

本 含 器 陳列 會 

一明 石ミ 上 布陳 到 (せ Q よ"〕 

♦ …; 定休日 十日… 二十 五" 



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夏のお 召 物、 夏 蒲團、 團扇、 藤 椅子 

すだれ r f = なつ ざ レフ ひつ えう 

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て >h ヷ t た、 r- ん みつこし ち? れつ 

度 品が 澤山、 三越に 陳列 

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大原 社會問 

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令: 五册 一 ^五十^ 



第 壹 册 

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第貳 S 

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六 



班 

册 



一 資本主義 國 家の 一 歸着點 大 內兵衞 

一^ら、 しき 獨 逸より 櫛. 出 民葳 

一社 食生活の 理想と 宝 想 高 野 岩三郎 

~ クロポ トキ ンの死 淼戶 辰 男 

無產兒 保育 策 新 傾向 一:? S 慎 吾 

時戰 後の low 北澤 新次郎 

勞 働露國 の娛樂 政策 植 ffl 保 之 助 

S1 未定 米 E 庄太^ 



菊判 八十 頁 月刊 行 



來京神 田 西 紅梅 町 同人 社 書店 0^1^ ぜド や) 



重 i?.、\ 一 世界 

,^J く i\〕 文藝 



主義- 

雜 誌) 

定 ffi 四十? 4 



(振替 東京 五 九 三 八七番 & き it 



大正 十 一 年 三月 W 1 = 第三 種 ffis 物 認可 { ,华 弓 

大 疋十 一 ま ハカ I B 印 脚^ * 月, 



囘 I U 發行) 批評 六月 號 



.<5^金は可成.£«^3 券 代用 一 割せ 

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束 京 •. ^芝 K 三 w 一 丁 H 二十 六^ 地 

發行 W 批 社 

0^, ^一 Ms: 五三 3: 六 




世界の 階級 蓮 動と 其 主潮 (講演) 

室 伏 高 信 

; 會 主義 運動 は 下火と なった か、 それ、 こも 共 

產黨 宣言の 所謂 審判の 時間が 切迫し つ 、 ある 

か 並に 世界の 階級 連動の 主潮 は? 

流行の 囘轉 や」 勞働 S: 盟! 知 譏 階級からの 解放 >」 其 意味!' マ,' ク 

スの科 * 的 社會主 やお- IffA 木 主お の 最近の 發達 — H ルフ かト辆 

以後 .—— < ^逸 及び 世界^ 級??^ 動の 状 —— ゥンゲ ポィ レン • メ1 

一 ルクァ ー か —— 資本家 階級のお 勧 —— 反^の 瑰由 11 階赖! i 爭 11 

一一 ^^翻 爭 へ の 組 W i ^際 社會 主義の 三 潮流 11 第 二 インタ ナシ ョ 

^ ナか W その 「死滅」 第二 インタ ナシ "ナ かの 三 派 ! 第: 二 インタ ナ 

f シ ョナ かれ 成立 11 ロシ ャ苹: ての ss-^ 11 ^ かシ H ゲ井 ズムの 

,、. 班 風 1— 第三 インタ ナシ! -ナ かの ぬ理 11 無產^i^階:iのls教 —— 政 

41^ の 1^ 教 —— 一 人 S 00 —— レ ニン、 ゲ ノゲ并 H フ、 カウ ツキ 

II 「無産者 階お への 1^ 鼓」 - お-力 S^It 力 11 タ クチ! ク ! ^$^0 

の ^状 -— ゲ ノゲ并 H の說 11 口 シャ革命の成5^- 11 その 葭 民政 

^ —— n す ザ •. ^ク セン V* 々じ の 批評 ! - マ ,— ジ ス ,:+ 教 ビ i« 一広 政策 

! n , ャ 革命の H 和 見 化— ! 共同 陣營— 共 si 宣言 後 七十 餘年 

にほん > ,つの ブ ロレ タ W ャの" 11- 5^ 明 

ジ ヤン • ジ ヨレスの 死 (小牧 近 江) 

勞農 治下の 新 藝術家 (ェ リゼ ニ郞) 

自由 敎育 (土 田 杏. 村、 手 塚 岸衞) 

病中の レー 一 ン I SI .1 一 論文 (室 伏 高 霞 



^ M t I t- 三 H: II ー卞 一 B « PI IT K S Q S 

,fc 十一 * 七 X I »1 け n_KU 



社評批 



瞧 



おお お V'i: リ': リ r リ', 舞 i? 化さ々' t U-r-m:s-f<:r*r4i:[:iy- さたお、 ^* えそ、 'i ルさケ 



にき さ! *"a*^WA^,jM つ ■iV; ん い' さ vv<i ':>>:. 、 い に^:' や'》".:. , * . ゼ., • P 'ペ /*^;;v 



■'■X 



批評 七月 號 目次 



世界の 階級 運動と 其 主潮 (ま). 



室 伏 高 信 



內 

容 



流行の ぱ搏え 働 問題 11 知讖 階^からの^ 议さ其 怠 味 —— マ ー グ -.、 の 科,:^/ 紅」" チぉ ,.-1 

資本 主 ,5 最近の 鼓 達 11 H かフ. -ト辆 15^以 後 11 1^?^,; 及び ほ sife 級 M 動^? K"3;^、 は W 

ホイ レン • メ!. -ッ ァ.. 'か II 資本家^ 級の 反動 11 反動の 3由 11 階級^ 級鬪ハ 寺へ 

の 組 12 1- 國際社 主^の 三 1^ 流 11 第二 インタ ナショナル v その - 死滅」 11 二 インタ 

ナショナル の 三 j# 11 第三 インタ ナン m ナか の 成立 11 口 シャ苹 命 VM ての Ljw t ボ-シ H 

ゲ 并 ズ ム の 颶風 —— 第三 イン タ ナショナル の —— 無産. f^s^ の お 11 政 まの^^ 11 

一人の 1^ 钱 —レニ ン、 デノゲ 井 H フ、 カウ- ソキ I .— 「旌產 S; 級への 鼓」 11 ::^.? カ對 ふ リ 1 

I タ クチ I な ! 共^^3_^動の鬼状 11 ゲノゲ 井 H フの說 11 口 シャ 革命の 成 5^ —— その s« 民 

政策 II _ "す *サ • ^ ク セン プヤ t の 批評 一 マーク ス主^^>.~?5^氏政策 -11 口 シャサ 半 命の H 和 

見 化 1 i ハ 词 陴螫 U 共 產紫宣 :iin 後 七. r 餘年 に. して ほん- W うの プ 口 レ タリ ャの 大衆運動 —— 

黎明 . 4 



小牧 近 江 



ジャ ン • ジ ヨレス の 死 

勞農 治下の 新藝術 家. T シ ドラ *ダ ン 力 ン… ヱ リゼ ニ郞 

自由 教育の 根本原理 土 田 杏村 

自由 教育の 目的論 的 一見 解 手 塚 岸 衞 



自由 

の 手帳 



病中の レー ーンと 彼の 最近の 

一 一 論文 

獄中の ガン デ 



室 伏 高 信 



、、の 一 «| は 今年 四月 十九 日魔應 義塾 理財 學會大 會-」 お いての; :5 の nnt 演の 速記で、 それ, 大體 原形の i で視 げろ、、 

ミミ し した。 (室 伏 高 信) 



私の 申し述べ. たいと 思 ひます の は、 勞働 運動に 關 する ことであります。 勞働 運動 もしくは 勞働 問題、 若しくは 社會 

主義の 問題 は、 近頃 餘り はやら なくなつ たとい ふこと であ, りよす コ 如何にも * 知識 喈 -tF" 人 • 或は 知識^級の 一部の 

人の、 玩具と しての 社會 主義 は、 日本 だけでなく、 世界的に、 確に 流 lb しなくな つたと 5,0 ひよ す。 社會主 行の 歴 

史を觀 .v^ する, と、 社會 主義 思お .0 の 勃興の 最初の 時代に は- 人 抵の國 で. * 社へ 13 主^ 思 f) や 運動の 魁 をな し、 若しぐ は そ 

れを 支持した の は勞働 者ではなくて、 ^つて 知識階級の 一 部の^_?でぁったのでぁりュ6す。 日木の過去數年の社會主ャ:^;- 

思想の 勃與期 若しくは 流行 期で も, :大 張り 同樣 に社會 主義が 知識階級の 甲お 的 遊^の 具、 若しくは 賫 名の 具に 供 せら 

れ てきた の を: ID- ます。 諸大學 の^ 濟學の 先生な ど は * 卒先して * 社會主 f 我の 講釋 をしたり * 若しくは 宣傳 をしたり、 

なかには、 私共 第三者から 見る と、 あの人 は少 くと も. s: 心 は社會 主義者で あるかと 思 はせ るよ. -な 人. か 現 はれ * 或は 

あんな 人まで か 矢張り 社會 主義者で あつたかと 思 はれる ような 人まで. か、 社會主^^:_^5の問題を說ぃたりする事ー|;^を見た 

のであります。 啻に 經濟 學の學 者ば かりで はあり ませぬ- 平生は 倫理 やって をる とい ふやうな 人 さへ も、 社會主 

義の問 超が 少し 流行に なって 來 ると * 俺 はも ラ十年 も 前から マ ー クスを 研究して ゐた、 とい ふやうな ことみ-言 ひ 出す 

人が 現 はれる。 そ,.^ て 丁度、 この 流行が 過ぎて • 宗敎の 問 超が 流行す ろと いふ やうな 時に なって、 俺 は旣に 三十 年閒 



も 一 燈囿の 生活 をして、 あらゆる 苦心 慘檐 して 來 たの-た、 とい ふやうな 人が 現れて 來る。 そうなる と * つい 先頃まで 

俺 は 十 年 is から マ-' グスを 研究して るた と 言 ひふら してる た 人が、 今度 はそんな こと は 一 切 忘れて しまった かの よう 

な、 元の もく あみになる。 流行が 去ります と > 今まで 社會 主義者ら しく 見えた 人が、 急に 社會 主義 を攻擊 したり、 階 

級 S1 爭を 非難して 又復社 會攻 策の 安全 地!^ に^ 活 したり * 俺 はどうせ ブルダ ョ ァ 階級に 生れたん だ、 俺が 俺の 财產を 

全部 抛け 出した ところで、 俺に はまで 永年 か V つて 養った 知識と 思想が 遣って をろ、 だから 俺 はどうせ ブ ルダ ョ ァで、 

ブル デョ. ァと して 泣いたり、 笑ったり、 欲ったり する のが 俺の 任務 だ、 とい ふやうな こと を 勇敢に 言 ひ 出す 人 か 出て 

來 るので あります。 私 は 決して 個人 攻擎 をす るので はない。 た 1^ そこに 時代の 傾向 を るので あります。 勿論 流行が 

週れ たと きば かりで はあり ませぬ、 流行 明に 常り ましても 尙ほ 且つ、 社會王 ー峩に 勇敢に 反對 したり、 或は 普通 選舉は 

尙平 である、 とい ふや ラな こと を 叫び 出した、 これ., A 勇敢なる 大學の 先生 も 在った のであります。 しかしながら、 社 

會主義 が、 斯の 如き 知識階級の 一 部の 人々 の 玩弄物で なくなつ たとい ふこと は、 粱 して、 本統に 社酋卞 -義が 流行し な 

くな つたと いふ ことの 證據 になる ので ありませ うか。 平生の、 日常の 騷々 しさと いふ もの は 木統の きを 意味す る もの 

でない と、 私 は 思 ふので あります。 . ^統の 時代の 中心の 動き は、 天に 坐す る 星の やうに 靜 かに 遷ら ものである。 知識 

階級の 一部の 人達が、 社會 主義 は 流行 遲れ であると いふ やうに 思って をる 間に * 本統 の社會 主- 1^ 運動 は 益々 深 身へ 々 

々と 向って 進みつ、 あるので あると、 私 は 信す るので あります。 私 は 世界 を 一年ば かり 歩る いてきた ものであります 

が、 ^は 外國を 一年 や 半年 廻って 來た ところで、 何にも 解る 苦 はない のであります。 私 は 伯林に 暫 らく 居ました。 伯 

; よ 爲替? Hs^ の關 係で 日本の 金 を 持って行き ますと、 B 本で は隨分 貧乏して ゐる もので も あちらで は相當 iKS 澤 カ出來 

ます。 ビ ー ル 一 杯が 一 ー錢, シ ャ ン ベ ン 一 本が 一 圆位 ひです から- 誰れ でも 日本人 は 一 ヶ月 何 萬 マ ー クと いふ 金 を懷ろ 

にして * シャンべ ンを飮 み、 ダンス 場へ 行き、 所謂 官能的 陶醉 がで きる わけです。 で 酒 を飮, ダンス を 踊り ノ てして 

大使館 あたりで • 若しくは 在外の n 本人から 噓と 本統と を附け まぜて 聽 いてく る 多くの 旅行 荐に 外國の 事情の 分らう 

害 はない のであります。 だから、 私 もそう した 洋行 者の 一 人として^!!!許がましく人の前に出てぉ話するなだ-とぃふこ 



と は, 成ろ ベく 差し 控 へよ、? とは考 へて ゐる のであります。 ところが, その後, いろ/,、 の もの を ますと, 外^に 

行く に は、 多少^が要りますから贫乏人は行けなぃ、特別の場合の他は^^ぉ乏人では行けな いので * やはり < も 持が 多い、 

持の 大壌 の 先生た とか、 <|3 社の 重役. たと か、 若しくは fli: 木 家の 新 の 記^で あろと かいふ やうな 人 に-が、 主として 

外國へc^物に行くのでぁります。洋行^l<?とは殆んど凡てブル.、チ ョ ァ 階級の 人た ちであります。 それが 外 國で酒 を \i ^み、 

ダンス 51 へ 行き、 夜フリ ー ドリ ッヒ? ント ラッセ を徘彻 し、 そして:!: 本大 館から、 二、 三の 報 土:: 位:,^ いて 來 ると、 

物識り 顔に、 新 問 雜誌其 の 他の ものに、 自分の 見て きた ものと して, ある こと 無い こと を I い. U り 話したり する d ま 

たこ、 數年は 凡ての 洋行 者が 勞働問 超の 話 をす るの が 恒例な ので、 れも 彼れ も 分に 應 じて 彼是と 意兒を 述べ る。 そ 

れ がまた 近頃 は 描 ひ 描って 外國 では 勞働問 は 流行し なくなった とか、 1$; 動.: S 働 は^!? の 時機に 瀕して をろ とか、 

自分 達に IS 八 のよ いことば かり、 それ も 木統の 出^目な こと を、 眞しゃ かに首ひ觸らしてゐるのを:I^^ー6す。私自身は、 

私か诀 して 勞働問 超に ついて 充分の 知識 か あると はい はない。 また 充分の 研究 をして きたので ない こと も 明らかで あ 

る。 しかし こ 、に 私に とって 信じ えられる こと は、 私が 他の ダル. チヨ ァ階 被の 洋行 者の ように- 自分の 立 揚が、 外國 

で見てきた勞働運動の}^^をすろぅへ に、 自分の 良心な W 仏ろ ことの 必 IgJ- のない とい ふ 一 點 であります。 



今日の 勞働速 動 はいふまで もな く、 今までの 歷 史上に 於て!: i つて 兒ろ ことので きないば かりで なく、 私たち は 今 R 

において 初めて 本 統のパ 力 働::^ 動、 勞働 者の 火 衆に よって 行 はれる 本統 の、 1,^. ^働 迷 動を兒 る ことができる よう 

になった と * 私 は 確信す る ものであります。 マ— クス. か 七十 餘年 前に 彼の 共產黨 宣言に よりまして、 在来の 所謂 { 仝 想 

的社會 主義に 反對 しまして、 マ I クスの 所謂 科學的 社會主 一.: 我を啗 道した とい ふこと は、 皆 樣の御 承知の 通りで ありま 

す。 マ ー ク、 スの 有名な 階級 分析 はいふまで もな く 彼の 科 舉的社 主教の 基礎 をな す ものであります が、 この 社會 階級 

に 就て マ-. クスは * 資本 主 a-* かたんく 發 達する に 從 つて 針會は 二つの 相 封す る陪 級、 マルクスの 言 蘂を 以て 云へば 



gegenSbersteh き de Klassen 即ち ブル * チヨ アジ..' とブ 口 レ タ ァ. I 卜との 相敏封 すら 二つの 階級に 分裂す ろら ので あ 

る そして この 社會が ブルダ ョ ァとブ ロレ タ リアの 二階 級に 分裂 するとい ふこと は、 マ— クス の科學 的社會 卞 袋なる も 

のの 基礎 をな す ものである こと は 前に 述べた. C ほりであります が * この 二と は、 マ一タス によって 舉說 は樹 てられ ま 

した けれども, そして マ ー クス はこの 社會 階級の 分裂のう へに 彼の 社會 主^の 基礎 を §151 いた ことによって 自分から 科 

舉 的社會 主義と 言った だけれ ども、 實際 は、 マ. I タス *ェ ンゲ ルスの 時代に は、 まだ さう いふ 社會の 現象な 事赏 として 

經驗 する こと は出來 なかつ.;! のであります。 資本主義 は、 その 晩年に ェ ンゲ ルスが 述べて をり ます やうに > 《a 時. はま 

だ そんなに 發 達の 頂上に 達して るなかった のであります。 資本主義の 木統 に^ 熟の 域にまで 發 達しました の は、 歐羅 

e 等の 比較的 進步 した 國に おきましても、 極く 2 取 近の 事實 であります。 

私 は 伯林に 四 ヶ月 程 滞在し ました。 その 間に、 獨 逸社會 民主 驚の 大會 が、 ゲ ー ル リッツと いふ 人口 十 萬ば かりの 町 

で 開かれました。 私 も社會 民主 黨の 一 代議士、 日和見 主義者と して 世界に 知られる ベ ルン シ タイン に 5i 介され てこの 

ゲ ー ル リッツの 社會 民主 黨の 大會に 出席して 見る ことの 機會 をえ ました.。 凡そ 一 一千 人 ほどの 代表者が 全國 から 集まり 

ました。 この 會義は 二つ 重要 問 超 を 決定した ことによって 歴史的な 會議 であった とい ふこと がで きます。 一 つの こ 

とは^ 名な エルフルトの 綱領 を、 新しい 綱領に 取り 換へ たこと であります • 一千 八 百 九十 一年に 極められた、 私共の 

誰でもよ く 知って をる 有名なる 社會 主義の 綱領、 歴史上 逸する ことの 出來 ない 有名な 社 會主翁 ま領 に、 ヱル フルト 綱 

領 が- 三十 年後に おいて 始めて 改正され たのであります。 その 改正され たの はどうい ふ理 山で あるかと いふの、 いろ 

くの 理由が あつたの だら うと 思 ひます が、 少く とも その 理由の 一 つ は、 彼等 自身が 言 ふて おります 通り、 この 三十 

年 問 に、 世の中の、 政治的な り、 . 經濟 的な りの 狀 態が、 ー變 したと いふ こと, 即ち 時代 e, 大きな 變化 とい ふこと であ 

らうと 思 ひます ゥ 一千 九 百 七 年に は、 この 11 逸で は、 小規模な H 場の 數が 二百 十七 萬 幾何と いふ ものであった のが、 

咋年 において は、 诚 つてき て. 百 八十 一 保 幾何と いふ 數に なって をり ますが、 その 反對 に、 人 規模の 工場と いふ ものが 非 

おに 激^し よして, 一千, 九 百 七 年に はたつ..; i 九 千 幾何であった のが、 昨年に は 約 三 萬 幾何に なって をり ま」 し そして- 



この 大規模の ェ揚に 働いて! る勞働 者の 數は、 一 千 九 fc: 七 年に 百 十一 はかりで あつ. ひ., つ たも G え, 咋年は 約 五 百 1=? 

になって をり ます。 この^?$.】敷にょって解りまする通り、1!1.収近十教ギの閒にぉ ぃて、||逸の^本ギ:ー」权は^^な勢をもっ て 

發 達した のであります。 獨り 11 逸. はかりで はあり ませぬ, 恐らく この 事 は * あ E1 で.,、、 佛蘭 西 でも、 米國 でも、 ^ 

の 他の 各國 において 適 川 さ.^ ると ころの i^la であらう と ひます。 木 主へ 莪は 斯う いふ 工合に 非^な 勢 を 以て 發達 > ば 

してきた のであります が、 本主穀 の^の 如く 火なる^ 達と いふ こと は、 同 t- に、 社 〈IS をして ャ— クス の 所 fi 、一 一つの 相 

故對 すると ころの 一 ー大階极に分れる、とぃふ事實を生み出さしめたのでぁりまして、ニカ_^"|^-は* 勞働荐 の 種々 なる 組 

II 團結、 特に 勞働 組合員 及び、 勞働攻 isl 員の 数の 異 《吊な 膨脹に よって. 一番 能く 證明 する こと.. かで きる と 思 ひます。 

li 逸の 例 を 取って 見ます とし ェ ル フルトの 綱領 を 極められた 5:?3 時、 社會 民主 黨に 二し をった 者の 数 は、 十 萬ば が f 

の ものであった、 それが 咋 年になります と、 社會 民主 黧員 だけで も 百 一 一十一 一 萬 人に 上って をり ます。 li 立 社 會黨 にして 

も、 <p 年の 一月 ライブ チッヒ で 會議を 開きました 際の 報告に よります と、 約 三十 萬 人の 會員を 有って をり ます。 それ 

から共産^^でぁりますが、 これ は 一時 五十 萬 人に も 上った ことがありました が、 その後 減りました。 それでも 尙ほ 今 

日 三十 isg: の數を 維持して 居る とい ふて おります。 この 他に まだ 共產 勞働黨 とい ふの があって、 これ も 三 萬 八 千 人の 會 

員が ある さう で、 全部 を 合せる と、 二百 萬に:.!?! ぃ社會 主義 政黨員 か、 いまの 11 逸に 在る 譯 であります。 勞働 組合の 方 

の 救.? \ら莒 へば. その 事 實はー Isi 著になる のでありまして * ヱ ル フルトの 綱領が 極められた 即ち 今から 三十 年 前の 

ゆ Ei^ にば、 ^逸の, 勞働 組合 1® して 居った ものの 數が、 二十 一 5£人 ばかりし かなかった のであります が、 そ ネカ咋 年 

の 報 ijn によります と、 一 千 1 1 百 五十 何 萬 人と いふ 大きな 数に なって 居る のであります。 1^ 逸の 今の 人口が 五 千 五 百ー冯 

人あります。 その 五 千 五 百 一 5^ の 人口のう ちで、 勞働組合にsiするものの數が 一 千ニ百五十何萬人とぃふ多數に^^して 

をり ます。 これに は 無論 婦人 勞働者 及 少年 勞働 者の 數.^ 合 まれて をり ます か、 要するに 働く もの、 勞 働して 生活す る 

ものの 集圍 でありまして、 親の 脬を嚼 つて をる もの、 女髮結 の^を 嚙 つて IH5 ろ 亭主な ど は 無論 この 中には 入って 居り 

ませぬ。 それで. これ に 斯うい ふ 寄生 蟲を 加へ まする と、 1 ^諸君の 事 を 寄生 蟲 だとい ふ譯 では ありませ ぬが I - この 



一千 二百 五十 s: とい ふ 教は, 更に _J?He に 大きな 勢力であります。 It 逸人 口の 大多教 を 包含す ろ數 であろ とい ふこと が 

できる と 思 ふので あります、〕 この 事 もまた 獨 逸ば かりで はありよ せぬ。 英國の 例 を 見ましても、 勞 働お 一に iSI してお る 

ものが 今日 四百 五十 萬 人 あると 計算され てもります。 勞働 組合に 1® して 居ります もの も 矢張り 八 百 萬 を 超 へ て 居る と 

言 はれます。 人口 四千 五 百 萬ば かりのう ちで、 勞働 組合に! ii^ して 居る ものの 數が八 百 萬 を 超えて ゐ ろので あります、 - 

そこで 世界の 全 SS に 就いて 見ます ると、 勞働組 八 "に屬 してる る ものの 數が、 今 曰で は、 咋 年末の 統計に よります ると • 

四千 九 百何禹 人、 約 五 千 萬 人に 達して るるので あります。 そして この 大部分が 歐羅 e、 特に 西歐 rs.c で * 三 億 :!: 千 萬 

の 人口 を 有して 居ろ ところの この 西歐羅 e のうちに、 四千 萬 人ば かりの 勞働 組合員が あるので あります〕 そして その 

大部分 は 矢張り 工場 努働 者であります から、 農業 勞働者 を 除いての 工場 勞働 者と いふ ことに なれば. 殆んど それの 大 

部分の ものが、 西 歐§ では、 勞働 組合に 入って 居る とい ふ 事實 を、 私達 は 見る のであります。 斯の 如く 勞働 組合員 

の數は 西歐羅 E に 於て 最も 多く、 從 つて 進步 したろ 工業 國 におき まして は、 その 人口の 大多數 が、 組織せられ たる 勞 

働 者の 圃體に 馬して ゐる譯 であり ますし * そして これが、 資本家の 階級に 對抗 する 陴營 のうちに あると いふ こと は、 

マ— クー 八が 共 產黨宣 首 を發 表しまして から 後、 今日まで 七十 何年に なり ませう が、 その 七十 何年の 後に 至って * 初め 

て實 現せられ たる 事實 でありまして、 共産 黨宣言 にあります ところの、 所謂 本統の 巨大なる 人口の 多数が > 卽ち 

ungeheureu Mehr/ahl が、 無産者 階級と しての 一 階級に 組織され たとい ふ 事實 は. 今日 初めて * 私達の 世界に 實 現さ 

れ たのであります。 マ I クスは 科 舉的社 會主藉 運動の 先祖で はあります けれど、 しかしながら マ ー クス の科學 的社會 

主義 運動 は * マ; タスの 時代に は實 現せられ すして、 今日 初めて、 その ま 現せら るべき 本統の 時代に 入った ので ある 

と 私 は ふので あります。 決して、 社 會卞義 若. もく は勞 働-速 動が 衰 へたので はなく して、 午 日に 至って 始めて, てれが 

本 統に實 現せら るべき 科 舉的成 熱の 時機に 到達した ので あろ、 と 私 は 信じます。 

II 一 



こ-? いふ 流れが 1 方に あります ときに、 世界の 資本家 階級が どうい ふ 態. 度 をと つて ゐ るかと いふに、 私 は, 今 曰 ぼ 

界の资 本家 階級のと つて をり ます 態度 面白い、 興味の ある、 愉快な g や 肝 V はま づ無 からう と 忍 ふので あります。 惟 ふ 

に i™^^ 殺 塾 は、 今迄 自由 主 殺の 1^ 板 をた て、 今日に 至った 大舉 であり、 また 政治的 自由主^ を標 校して 福?^ お 先生 か 

てられた ものであると * 私 は 思 ふので あります。 この 政治的 自. E 主 一 ij ^は, 少く とも アン. グロ *サ クソンの 世界で は, 1 

つの 大きな 流れであった のであります。 資本家 は、 少く ともこの ァ ン グロ *サ ク ソ ン の 世界で は、 レ— 二 ン などの いふ 

ょラ な、 《^カを以て勞働運動に封杭するゃラな國家組^5を.してをったとぃふことになからぅと5-^ひます。 少く とも、 

之 を 革命 前の 鑼 逸、 若しくは- サ ー リズ ムの行 はれた、 ゆ 路西亞 などに 比べます と、 英! E や^ 國 などの 家が 勞慟 者に 對 

してとった^^^度は、 大に區 別され なけば ならぬ ところと 思 ひます。 ところが 世界 戰爭 は、 デモ クラシ— のた めの 戰で 

あると いふ 大きな 標榜の 下に 起された に拘ら す、 事實 において は、 何百 一??: か 何千 萬 かの 機 牲み拂 つて、 デモ クラシ ー 

を 世界の 地上から 葬 U るた めに 戰 はれた ので ある、 と 云っても よいと 私 は 思 ふので あります。 自由の 祖國 などと 言 は 

れて をった 英國 において、 若しくは 自由 を 以て 建國の 基!^ であると. までい はれました ところの 米國 において • 今日、 

自由主義 は 一條の、 昔の 夢と なって 了った のであります。 特に 私 はい ま勞働 運動に 對 する 場合に 就て 言て ゐ るので あ 

ります が、 勞働 者の 圑結 とい ふこと は、 從來、 英國に 於ても 米國に 於ても, 可な り 多く 自由であった のであります。 諸 

君 も 御 承知の 通り、 クロ • ネト キンの 如き 無攻府 主義者 は、 英國を 第二の 祖國と 思って、 自.^ に、 彼の 主 殺 思想の 宣傳 

を爲 しえ たのであります。 多くの社會主義者乃至は無攻府庄:.^«者か彼等の安全なる地位を求めたのは、 英國 で, あり、 

米國 であり、 其 他の 諸國 であった のであります。 然るに、 その 英國 におき ましても、 私 は 丁度 去年の 石炭 坑夫 スト ラ 

ィキの 時 あちらに 行って おり ましたが、 この 炭坑 夫の ストライキが、 口 イド, チヨ— ダ 政府の 暴力、 軍隊の 力 及び 螫 察の 

力に よって 應 迫され た、 とい ふこと がで きる と 思 ひます。 米 國 に 於ても、 勞働 運動 殊に 平和なる ストライキが、 匮々 

機闢 銃に よって 壓:! ^されて をる のであります。 のみなら す, 戰爭中 は 言^の 自由 さへ 束縛して、 單 なる 一 ッの 演說を 

したために, 社會 aft 大統領の 侯 補 者にまで #け られた 偉大なる、 私共が 本統 に米國 ^産み だした 最大の 偉人で あら 



、フと 思 ひます ところの、 ュ 1-^1 ン。 デヴ スの..^フな人物までも十年閒のゅ)役の宣告ぅけたとぃふゃぅな、實にァ ング 

口 *サ クソンの 世界に 於て, 初めて 見る 所の 政治が * |^3;本家階級にょって實現されたのでぁります。 獨逸 などに 至 

つて は、 私 は 旣に雜 誌 「改造」 に窨 いた ことがあります が、 オル ゲッシ 運動 ノ これに は 會員か 百 五十 萬 位い あって、 

,てれが 一 つの-, 殺團 たと 言 はれて るる ものであります。 en 本で は * 丁度 私. か 外國に 行って おります ときに、 安田 善 次 

一 t が 何^^ かに 殺された、 また 時の 總理 大臣であった 敬 氏が 刺客の 手に i 且れ. U とい ふやうな 事實か ありました" 支配 

階級の 人が 殺される と * 殺した 者 は 「不逞 鮮 人」、 「主義者」 若しくは 暴徒で あり 國賊 であると 言 はれる ので あり ュ6 す 

丁度 そのと き 逸で は, 例の ェ ルツべ ルが嗜 殺されて 了った。 その 以前に も 力 ールっカ,| ライス 其 他の 共 產ぉ義 社會主 

義の 名士 達 か, オル ゲッシ 即ち 支配階級の 一 a? 殺團 によって C おされて をる のであります。 從來 無政府主義と 云へば、 恰 

も喑 殺圑體 であるかの 如くに、 吾々 は 子供のと きから 敎 へられて きたので あります が、 今日で は その あべこべに、 資 

本 主義と 云へば 嗜 殺^で はない か. V 思 はれる 位い に、 本 主義の 方から 社會主 者の 先驅 者、 指導^^?に對して盛んに喑 

殺 主義 を赏 行す る 傾向と なり、 ii 逸、 匂 牙 利 * 伊太利 邊り では 特に その 事 貪 を 見る のであります。 伊太利の フ ァシッ 

チ 運動と いはれ る 喑殺圑 運動、 若しくは 暴徒 運動 も、 實は 支配者 階級の ために 傲く ところの 喑殺暴 徒の 園^ 速 動な の 

であります。 支配階級が 斯うい ふ 態度 を 取る やうに なった の は、 どうい ふ爲 めで あらう か、 社會 主義が 流行らな くな 

つた 爲 めに 斯ラ いふ 度 を 取る やうに なった ので あらう か。 

四 

惟 ふに 今日まで、 支配階級の 諸君 は、 勞働 運; i が 起って きても、 左 f 恐る >- に 足らない ものと 考 へて るった、 勞働 

者の やる たけ やらして 見よう、 あの 貧乏な、 無智な 勞慟 者に よって、 何 を か爲し 得られん や, と 高 をく i つて ゐ. U 

のであります。 こ、 に ブル, チヨ ァ* リベ ラル. か榮 えたので あります。 ところが 世界 大戰の 影 13 は, 彼等の から 見て 無 

智 であり 無力であった ところの 勞働 者に、 遽に揍 頭し 自覺 する の 機 會を與 へた。 この 戰爭 は、 勞働 者に、 勞働 者と て 



も 1 つの 人間で あろ, とい ふ 人間と しての 自^ を與 へす に は かなかった" この 大 なろ 刺戟 は、 世界の 努働者 をし 

て、 こ、 に、 彼等の 階級と して、 革命的の 階級と しての 自覺に 導く に 至った ので ある、 と 私 は 思 ふので あります リ こ 

の自覺 より 起った ところの、 大なる勞働^|<;階級の革命的組歡* 及び その 精神の 前に、 流石の 支:^ 若 階級 も自づ からお 

ひえざる な 5^. なくなった * 支;^ 者 階級 は 自分 等の 足 許 を考へ るに 及んで、 自づ から 戰傑 しない 譯には 行かなかった の 

であります-〕 資本家が おびえ 出した とき、 卽ち 資本家の 手が 顴ぇ 出した ときに、 こ、 に 資本家 階級 は. 今までの や- フ 

な 日和: 25- 的の 態度 をと つて をる ことができ なく. なった ために、 直ちに、 自 からの lllf 隊 なり 警察な りの 機 關 を もちだし 

て、 勞働 者の 動に へ: I つて 璜極 的の 方策 を 講じなければ ならぬ 必"斐 に:? rl られ たのであります。 その 結果が、 今 n 世界 

に 見る ところの * 支配階級の 大 なる 反動的 態度、 暴力 的 階級 爭 鬪 の 手段に 訴へ るに 至った ものであると 私 は 思 ふので 

あります。 

言お を 換えて い へ ば, 今日の 世界 は、 マ ー ク スが言 ふて そして マ ー クスの 時代に は實 現されなかった ところの, 一 一つ 

の社會 階級、 相敵對するところのニっの社會階級に分れた 一 ^^代となった、 とい ふこと かで きる と 思 ひます" あら ゆ 

る ものが、 この ニ大 階級の 鬪爭を 中心として 展開す る、 政治ん 經濟 も、 若しくは 學問 も藝術 も. 總 てが この 階級闘^ 

を 中心として 展開し つ k あると いふ こと は-現代の 世界に おける 厳然たる 事實 であります" それ はたつ. -.^ 治ゃ產 業の 世 

界 において だけで はない。 人間 生活、 の あらゆる 部面に おいて、 階級 11 爭は 今日の 世界 を 支配す る最 "最大の 力で ありま 

す。 こ. -に 世界 を 歩いて 興味 を 感じた 一 つの 例と して 新^紙の 一例 を舉 けます。 新? m 紙と い、 へば 公 なる 立場 かり 世 

の 中を觀 ろ、 卽ち 社會の 耳目で あり 木 一 <s であると いふ やうな こと を, 自分 自ら もまた 世 問 もそう いふて きたの. であり 

ます。 しかし、 今日の 進歩した 諸國 では、 新聞紙 は 最早 や 昔 s の 新聞紙で ある こと 許る されない。 階級 闘 爭の事 置の 

前に は、 新閗 紙の 態度 も 非常に 露^に なった ので あり ま す。 一 般の勞 働 者 若しくは 社 會黨の 新聞紙 も多數 にあり ま 

すが、 そ, れと 同時に 資本家 側の 新聞紙 も、 勞働" d 動に 針して、 從來 取って きた やうな 中 問 的な 能」: 度 を とらす に, 飽く 

まで 之に 反對 する、 資本主義に 都合の 惡 いこと は 二 切 載せな. い、 勞働 運動に 對 すろ 惡ロを 主として 満載 するとい ふや 



、-- な 想 度が 見える のであります。 要するに 勞働者 側の 新聞と 資本家 側の 新開 紙と が 截然と 分れて. その 間に 中間 的の 

存在がない のであります。 

この 社會 階极. の 分裂、 この 階級 鬪 爭の 厳然た ろ 事實を 見て、 或る 者 は 後ろに 引き 下る, 支配階級の 一部の もの は 後 

退り をす ろ • 丁度 暗い ところで 人間の 影 を 見た 犬が、 何 か 恐ろしが つて 後 返り をしながら 吠へ る やうに、 或る 者 は 吠 

へながら 後退り をす るので あり ます。 今. まで 社會 主義者の やうな 顔 をして • るた 者が • 革 かに 社會 主義 を攻犟 しなが 

ら^へ 後へ と 退って をる もの を • 私 は、 夜 人の 影 を 見て 吠へ なから 後 返りす る 犬の ごとき もの だと 思 ふので ありま 

す そして 斯うい ふ 人が だんく 出て くろと:;, ふこと は • 社會 運動が 本統の 深みへ とス つてき たことの 證據 である。 

と 私 は 思 ふので あります 

今日は 世界の 勞働 運動の ことに 就て お 話す る やる やうに なって おります が、 その 總 ての 闢 係に 直って お 話 するとい 

ふこと は, 無論 不可能であります から、 その、 つちで 一番 注目 せらるべき 國 際社會 主義の 諸潮統 について、 大體 のお 話 

を 致した いと 思 ふので あります" 

國際社 會主毅 の 速 動 は、 今日で は大體 三つの 流れに 屬 して をり ます。 それ は 御 承知の 通りに. 第二 インタ ナ ショナ 

ル と 第一 一^ 及び 第三 ィ ンタ ナショナルであります。 , J の ほかに 第 四 インタ ナショナルが あります。 その 第 四 インタ ナ 

, ョナ, - カレ-一 も- 右? si: 派と 左? 4g !! 伯林 を 中心とすら ものと さ-つ-でな いもの li との 一 一つの 區別 があります カ數 

の...^ から 兒て、 極く 小さい もので も あ"、 また この ことにつ いて は雜誌 「改造」 に 書いた ことがあり ますから、 そのこ 

と は 今日お 話いた しませぬ. - 

先づ、 J;^, 一 インタ ナショナル は-皆さん も 御 承知の 通りに. 一 千 八 百 八十 九 年に e 里で 開かれた ものであります。 マ ー 

クスの^^^ ィ ン タ ナショナルが 亡びてから、 永い ST 國際社 食 主義 運 運動 はなくな つて 居った のであります が、 一 千 「ム 



百 八十 九 年に 至って G 里で 復活した のであります a そして 二の 運動 は戰爭 前まで は 相當の 注目 を 父け ておりまして * 

この國際社會主義の圍體は、 世界戰5|^の始まる前には. 一九 〇 七 年に シュツットガルトで, 一 九 一二 年に はバ ー ゼル 

で^ 合し、 飽くまで 戰爭を 未 前に 防ぐ 爲 めの 全 手^ を 講じ、 禹 一 いよく 戰爭 -か始 つたら、 その 攻治的 經濟 的 開 係 を 利 

m して どこまでも 戰爭 終結の ために 奮鬪 しなければ ならぬ、 とい ふ诀議 までし ました、 に.., > 拘ら す、 富 際に あの 世界 

太 戦が. 始まりました ときに、 この圃際社會主^_^圃體は、 ブラッセルの 決議と, チョウ レスの 屍と を殘 して、 戰爭 に反對 

の 行動 を 取る ことな 爲 しえなかった のみなら す、 多くの 社^ 主-: _ ^者 は 相 踵いで 「愛國 教.」 レ 二 ンの 所謂 ソ I シャル たハ 

トリ オットと なった のであります 無論, この 第二. T ンタ ナショナルの 中には、 最初. から、 無政府主義者の 入る の を 

ffiii 絕 排斥して おりました けれども、 それでも 尙ほ、 木統の 統一の あつ. U 譯 ではな かつ. - 一ので、 ,てのうちに は 自然に、 

右 wii; 派 も あり、 眞 中の やつ も あり、 それから 左 の 團體, ひあった のであります。 左 箕の團 ^として は、 獨 逸の 口—. サ*ル 

ク セン ブル ヒの 1 派で あると か、 ま; -露西 亞のボ ルシェ ヴ井キ の 一 派で あると かいふ ものが 是れ で、 第一 一 インタ ナシ 

ョナル の 内部に おきましても、 そのために いろくの 紛 転ゃ爭 ひな どが 存在して おった のであります。 いま 申し ま. レ 

た シュツットガルト における 戰爭 反對の 決議と いふ もの も- 赏は總 て の 人が 木統の 心から 通過 させた ので はなく し 

て、 レ 二 ン. か |g 逸の 口 ー.サ* ルクセ ン ブル ヒと牒 し 合せて, その?:? 3 時の 大立者であった ァゥ. グ スト *べ ー ベ ルを 抱き こ 

むで 彼の 決議 を させた とい ふの が事赏 なのであります。 さ -フ い.. t 譯で. 第二 インタ ナショナルの 中で も、 自づ から 三 

つの 流れが あって. さう して 互に 相爭 つてる たのであります" 表面で は、 また 議 へ:. 1 の 上で は、 若しくは 決議の 文句の 

上に おきまして は、 多くの場合に、 中央 派、 若しくは 左冀 派が 勝利 を 占めて るる" 換 一一 a すれば、 多数の 者 か <si に ipiif 

つて 意見 を 闘 はせ、 或は 決議 をす ろと いふ やうな 場合に は元氣 のよ い 者が 多くの場合に 勝つ のであります" しかしな 

がら、 本統の 運動と いふ ことにお いて は、 必す しも 左^ 派の 力に よって 指導され てきた 譯 でもな く、 また その 指 

導 力が 中央 派に あった 譯 でもなかった のでありまして、 私 は 寧ろ. 國 際社會 運動 は、 第二 インタ ナ シ ョ ナルの 時代 

. では t 少 く とも、 右翼 派の 修正 派の 諸君が 實際 力であった らう、 と考 へて おります。 e いよ /、戰 爭が始 つたと 



%A に總 ての 社會 戰爭に 反 針 すらで あら-乙 と 或ろ 人は考 へて を Cm 二 S. レ 二 ンの やうな 左 r4 派の メマ」 もダ ふ.' 

は j. 考 へて るるので あります。 ダノヴ 并ェ フ * かレ 二 ン issftl いてお ります ——— ヂ ノゲ并 ヱ フ がべ トロ, クラ I- トで 演說し 

たの を 本に したので あります が、 *v れを 死ろ と、 あの 大戰爭 の^った とき, ン 二 ン と.. チノ ヴ并ェ フと は. 澳太 利の ク 

J フ カウと いふ に 逃 ゆて おった、 そして 愈々 戰 爭は始 つたが、 此際 多くの li 逸の 社會 民主 黨鐵は si- して どうい ふ 能 ひ, 度 

を权 ろで あらう か、 とレ 二 ンと. チノ ヴ并ェ フと 話し合 ク てるた P レ 一- -ンが 言 ふの に* 自分 は、 獨 逸の 社會民 主黨は 屹度 

戰爭に 反 針す ろに 遠 ひない と 思 ふ。 そこで チノ ヴ井 エフ は、 自分 はどう もそう 思えない, と 言って ゐ た。 ところへ 

逸から * 社 會滅の 機關新 間で あると ころの フォルグ ェ ルツが きた もの-たから、 早速 開けて 見る と、 逸の 社會 民主 黨 

よ 政ん 忖の豫 ^に K 成した、 とい ふ 記事が あつたので * その 新 を * チノ ヴ^エ フがレ 二 ンに 見せた、 けれど * その 新 §k 

を 見ても 尙ほ 且つ レ -ー ンは 信用し なかった, これ は 多分 獨 逸 政府 か:^ 國を 欺かん ために 出した 間牒 新聞たら うと、 富 

つて 相手に しな かつ-;, i とい ふ 位いで あります。 これ 位い に、 この 國際 社會 主義 圑體 たろ 第 ニイ ン タナシ ョナル は、 必す 

戰爭 に反對 する だら うと、 3 具 面目に 考 へられて ゐ たのであります。 ところが いざ 戰爭. か 始まる と、 戰爭 に反對 しない 

ばかり 力、 みんなが、 愛國 者に なったり, 大臣に なったり して 了った。 ゲ ー ド がそう であり、 ハインドマンが そうで 

あり- ヴ アン ダ アベ ルト がそう であり、 英國 のへ ン ダス ン など は、 樞密 顧問 に まで 成り 上った のであります" 今迄 

1?^ 家 か狠の やうに 怖れて をった ところの 勞慟 運動の 古い irq 頭 連 は、 進んで 愛國 者に 豹變 し、 さう して 坐り 心地の よ 

ぃ柔 かい 椅チに 腰 を かけて.、 すまし 込んで 了った のであります。 そこで、 第二— タ ナショ ナルは 死んだ、 本統に 

終 HI を告 けたと いふ 聲が 起って きたので あります 。こ. に 於て か ^ レ 二 ン、 . 、チノ ヴ并 ヱフ、 若しくは 戦爭の 初め 力ら 

最後まで反對してゐたところの伊太利の,5-敢なる社會^1-* ^逸の スパん タク スっ クルツ ベの 一 派、 和 蘭の トリ ビ ュ 二 ス 

テン 此 等の 團 IS は 今までの 國 際社會 主義の 流れに 反 對の, 本統の マ. I クスの 精祌を 承け 繼 いだ 革命的 勞働 者の 蓮 

動 を 起さねば ならぬ とい ふので * 一 つの 小さい けれども 力強い 運動 を 起しに のであります。 その 頃- ノ 二 ンと, チノ ゲ并 

千フと は. ,sp 西で、 小さい 1 つの 雜誌を 出して をり ました。 それ は. ゾ チア. ール* デモ ク ラ 1 トぃふ 小さな もので. 近 



in 



0. その t- 分に 害い-たもの I ヾ鬼 めて 「ゲ —ゲン • デン *シ トロ ー ム J とい ふ 名前で 太き な 書物 にして おります。 これ を 

23- ますと よく 解ります が、 常時 レ 二 ン、. チノ. ゥ井 エフ 一派の、 國際社 AI3 主義の 本流に 反對 して, さ、 r, して マ ー クスの 精 

神 をう け裰 ぎ、 本統の 革命的 無産^の 運動 を 起さなければ な-つぬ とい ふこと に、 非常に 努力 をして を つ た ので あり 

よす。 それが、 最初の、 具體 的の 會合 として 開かれた のが、 御 承知の チ ン メルヮ ルトの 會な 口で、 千 九 百 十五 年の 五月 

であります。 それから. たんく 第三 インタ ナショナルと いふ もの. か、 一 つの 圓體 として 纏まる やうな 潮流に なって 來 

; i ので あ S ます。 初め チ ン メル ワルトで, 第一 1 回目 は ヰ— ェ ン タ ルで 開いた のであります か、 その なかには" レ ニン、 

トロッキ ー、 ,チノ ゲヰ エフ、 t ラ チイ 等な 始めと して 自づ から 左冀 あり 右翼め り、 若しくは眞中で日和G^ダする人も 

あろと いやうな 軒 樣で, 決して 意 sT か 一致して をる とい ふ譯 ではありませんで したが、 一千 九 百 十七 年に、 皆さん 御 

承知の 通り, t 路西亞 革命が できた ときには. '最早 や この 運動 は、 一 つの 小さい、 瑞西 やそこ いらの 隅ッ この 運動で は 

なくして- 世界 働;.^ の 本流に 流れて るろ ところの 大運 となる やうに なって 來た のであります。 實に、 露西亜 革 

命..^-起ってから數年の間は、 ^界 の勞働 運動 は、 露西亞 革命 を 中心として 展開した とい ふこと が出來 る-たら うと ふ 

のであります。 

マ ー クス *ェ ン, ゲル ス 逝いて 以後-永い 間. ^^|.命的精神に缺乏して來たところの世界の國際社會主義運動は,こ-に、 

t 路西亞 ^命に よ. つて. 彼等の 心に 革命の 大 なる 感激 を 見出した のであります。 そ し て この 革命の 偉大なる 感激の 下 

に 彼等の 不斷に 心に 描いて るた 美しき 世界に 向っての 大 なろ 奮 鬪 を. お 互 に 自覺 する やうに なって 來 二ので ありま 

す。 即ち I 路西亞 革命が あってから 救 年間に、 n 逸で も、 英國 でも、 佛 ill 西で も、 伊太利で も、 殆ん ど歐羅 HJ の總 ての 

國を 通じて、 、5 路 SiKK 牮命 のこの 偉 太なる 感激 は、 勞働 者の 少く とも 良き^ 腦に は浸澗 したので あります。 斯 くして. 

今迄 世界の の勞働 動の 上に 横 威 をお つて をった, ダンく の、 古い々々 巨^ 達が 衰 へて > そして その代りに、 若い 生き々 

々とした、 ^命の 血に 燃 ゆる 人達 か、 ^働 連動の 前 ilii 立つ やうに なって 來 たのであります。 

B!*:s の^ *i を J:;^ すと、 ® 逸 では li 立 社 か、 一 千 九 百 二十 年に、 ハ ルレの 會議 で. 可な り 多数 を 以て、 第 



-.. 一 If ンタ ナショ る. とい ふ 決議 をして をり ます。 佛 —1 西で も 一昨年の 末に、 社會 {:ST か 半分に 割れて、 多数の もの 

が. に 入り ま.;; fuo 英國 の^きに 於 K も、 昔 マ. I クス は、 英^に は社會 主義 を wts^ すべき あらゆる 要素 か 具 はつ 

て 居る けれども、. -た 一 っ炔 けて. 1^ る、 それ は 革命:^ の精紳 である、 と斯 1 一一 一 n つたこと があります, その 革命的^ 神 

に缺 けて をる とい ふ 英國に 於て さへ も、 一 時 は共產 主義の 運動が 非常な 强烈さ を 以て 全國に 流れ^つ たの であり ま 

. す。 伊太利に 於て は、 社 會黨の 全部 ケ舉 けて. そ S 革命的 指導者 セラ チイの 指導の 下に、 盡く 第三 インタ ショ ナルに 

. 入ら- フと いふ 形勢 を 示し たのであります。 斯うい ふ 譯で、 歐 sie の勞働 運動の 大きな 流れが、 露 西亞へ 露西亞 へと, 2 

つて 流れて をつ だとい ふこと は、 これが 露西亞 革命 かあつてから 數 年間に おける 歐羅 E の勞働 連動の 顯 著な 傾向で あ 

つたと 私 は 思 ふので ありま- K 

第三 イン タナシ ョナル の, 目的と すると ころ は、 旣に 皆さん 御 承知の 通りであります が- 1^, ゾ すらに 無產者 階級の 獨裁 

攻治 thktatiir des ノ Proletariats を實現 するとい ふこと が、 他の インタ ナショナルの 流れと 異 つて 居る 點 であると 言 

ひ Ui7 る と 私 は 思 ひます。 第一 二 インタ ナショナル でお 「コ ムム 一一 ス テッシェ • インタ ナチ ョナ ー レ」 とい ふ 機 關雜誌 を 

出して をり ます-か、 其の 第 1 號 で、 レ 二 ンは * 第二 1 インタ ナショナルの 歴^上に 於け る 地位 £c 二 It-tG Inter ヨ ui,, 

ual や ihr Ratz iii der Geschichte とい ふ 題の: i 文 を 載せて をり ます。 それにより ますと * 第三 ィ ン タナシ ョナル の 

E 的. とい ふ もの は、 總 での: C 和 al- 的の 社^ 主教 運動に 反對 する。 總 ての 社 曾 的愛國 主義の 運動に iPi 對を する" 彼等の 

的と すると ころ は, 社會主 1 逸の、 水 遠の 理想 * ewigeu Ideale. (ICS tSoxialisnius を寶 現す る 所に 在る ので ある。 マ 1 

タスの^ ナ ゎを繼 いで、 而 して 今迄の 日和見主義 S. 代りに、 今.^ での 社會的 愛國主 の 代りに, 無產有 階級の 鑼 裁坎治 

を 以て き梭 へろ こと を 目的と する ものである、 と 斯う 彼 は 一 H つて ¥.0。 この 言葉 は、 惟 ふに レ 二 ン 一個の 見解で は 

たくして、 第三 ィ ン タナシ ョ ナ ル の. 統の 精神な 能く 言 ひ し たも の で あると 思 ふので あります。 無産者 階級の 躍 



蔽 政治, そ^^す ろと いふ 二と は • 一 方に 於て 今迄の si 永 It 彼 や ザ SB- 解に 從 ひよ すろ. こ、 今まで0|_„«本家の21^;|とぃ 

ふ もの は、 i^rに貸本家か勞働^^<;:をi^::^するところの、 その 腰: =」 の 機關に 過ぎな かつ. tK;f^ 的の 共和 n の やう 

な もので も、 やはり, てれ は 勞働者 を 膜: がすろ, V ころの 一 <81^迫の 機 Si* i むしく は、 彼等の 言葉 を 借りて 言 ひます と、 

, ギ^り, 511 裁. K 治. ブル ジョ ァ階教 5 軍事的の 鑼裁 政治 mililii-. 二 一 一 aatl-r t cc=_.l.-c の 形式に 過ぎない。 故に 

この^ ii^ 機 關を廢 止して、 そして其の代りに勞働^|<?の|1哉政治、 即ら勞 働 者の 手に 二の 國家機 i- を 握 掌して、 あべ こ 

べに、 K わ 慟 者の 手に よって、 今までの 支. W 者^ 級に 對 して 腰 迫 を 加へ る 形式に する, これ. か 無產者 階級の^ 裁攻 治で 

ある。 今までの、 總 ての 資本家の 國に 於け る? i« 本家 階級の みのた めの 國 家の 武力 を 解いて、 卽ち 資本家 階級の 武力 を 

解いて、 そして 總.」 の勞 働^、, 總 ての 慨 ;產^ 階級の 手に 歸 せしめ、 あべこべに 勞働者 を^ 装して、 この 武力に より 資 

本家階級を1^;5|する..のでぁろ" これが 無產呑 階級 n 裁 政治の-ゆ? - である、 とい ふので ありよ す。 しかしながら, 無產 

級の 總 てが^ 哉 政治 を するとい ふこと は、 素より 出來 ない ことで、」 二 は勞勸 者の 多数が、 然ぅ いふ 革命的 精 

J ^こよって 1 されて をる とい ふこと も出來 ないし、 また 勞働 者の 大多数 か 自ら 獨裁 するとい ふこと も 出来な いので 

あります から、 その 赏 際の 運用の 上から 言 ひます と、 勞励 者. 哈 級の 中で, 少数の 自覺 した、 革命的 精神に 充實 したと 

ころの 一 園が 組懺 されて、 實 際に はこの 一 圑の Ei 裁 政治 か 行 はれる のであります。 卽ち 共産 黨を勞 働 者の 間に 組織し 

て、 その 共 產黨の 手に よって^ 裁 政治 をす ろので あります。 だから、 無產者 階級の 獨裁 政治と いふ もの は、 同時に 共 

^^^の獨^^攻治、 一 政" M の ii 哉攻治 I)ikt 一 tur t, Partei となろ のであります。 

この こと は、 ボルセゲ并キ^4命以來、 カウ ツキ ー が 逸 :3f- くや n ふたと 二ろ でありまして * この 理論 を、 一番よ く 整つ 

た 形で 紹介した のが、 近頃雜;!^^解放に揭載された 「階級 獨 哉と 政黨獨 哉」 とい ふ 論文であります, この 論文 は、 昨年 

の 八月に、 填 太 利の 首府 維也納で 發 行され て をり ます、 r テア、 カンプ フ」 とい ふ ー雜 まゆに, 掲載され たもので あります 

が、 要するに 階級!! 裁と, いっても" その赏 は 政黨獨 裁で あり * 從 つて ボル シヱヴ 井キの 所謂 階級 11 裁と は マ ー クスの 

所謂 「無産者 階 殺の 革命的 II 裁」, ではない 丄 いふので あり-ます。 と、:,」 ろ. か. 二の 階級 裁 即攻黨 頻裁ト いふ こえ は頻カ 



rSKis 漢」 タウ クキ, の 言葉で はなく して、 旣に從 來遷々 ボル セ. ゥ并キ 自身が 言 ふて をる ことで あとあります。 第三.^ 

ン タ ナショナル 執行委員 長の, チノ ゲ并ェ フが 前から 言 ふて をる 事であります。 本統の 無產者 階級の 革命 運; 1 とい ふ 

もの は • 無產^|<?^の間に 一 ッ の前衞 A van tga 一. (le を 組織す る ことで あろ- そして この;.! 衞の 力. 卽ち 共產黨 の 力に よつ 

て 全體の ものが 革命的 勞働 運動に 從 ふとい ふ ことに :5^: ならな い。 だから 無產希 階級 It 裁 政治と い, ふ もの は、 また 同時 

に 共 產黨の 1^ 裁 政治^ 意味す る ものである、 とい ふこと を 言 ふて 居る のであります。 レ 二 ン になります と、 更に ー歷 

進んで • 本統の 能率 ある 政治 を 施す ために は、 共產 4.?; の n 裁 政治す らも、 隙」 實 行の 出 來 る.^ ので はない。 本統の 

li 裁 政治 は 一 人の II 裁 政治で なければ ならぬ、 とい 二て 居る のであります。 之 を 一鼓 際の 事實 に あてはめて 言 ひました 

ら、 恐らく は, レ 一一 ンの 所謂 n 裁 政治, 一 人の 1:1 裁 政治と いふ こと は、 レ 二 ンの li 哉攻 治、 と 同じ 意味に なると 私 は 

思 ふので あります 斯うい ふ譯で • 無產 階級の 獨 裁 政治と いふ も S は、 一人の li 裁欢 治にまで 行かなければ ならぬ こ 

とで あらう と i 思: ふので あります が、 また それ故に、 この 無產ゃ 階級の 獨裁 政治と いふ もの は、 單に 資本家 階級に 

對 して だけ 行 はる- 1 ものではなくて、 勞働者 自身に 對 しても 行 はれる、 とい ふ 結果 を來 すので あります。 これ は 日和 

見 星の 一 社會 主義者の 說 であり ますが T ノ イエ *ッ アイト」 とい ふ 1 雜誌 に揭 けられた 一 ; (.1 文に よります と、 露 西亞無 

產者 階級の 獨裁、 政治と いふ もの は、 無產者 階級の ii 裁で はなく して、 無 帝;^ 階級に 對 すろ It 裁 政治 Diktats- f (ks 

Proletariat である、 即ち 無產者 階級の 上に 與 へられる 所の 獨 裁 政治で ある、 とい ふこと を 言 ふて 居ります が- 斯うい 

う 言葉まで も 非常に 意味が あると 思 はれます 程に、 無產者 階級の It 裁攻 治と いふ もの は- 1 敷 際」 於て- 無產者 階級に 

針す ろ 裁 政治とまで ならなくて はならない ことで ある、 と 私 は 思 ふので あります。 

そこで. こ G 第三 ィ ン タ, I ナショナル は、 單に 資本家 階級に 對 して、 斯うい ふ c|! ふ 力 1— 彼等の 言薬 により ますと、 暴 

力に 對 すろ 暴力 Gewalt gegen Gewalt 武力に 對 すろ 武力 wafre gegen IQ を 以て 資本家 階 叙 を 威嚇して 居る 

はかりで なく、 勞^ 者 階級の 間に 於ても、 r ヅ の高壓 的の 赛制 政治 をし なれけば ならない、 とい .=1 ことになるの であ 

ます。 さう いふ 立猖 から、 こ^ 第一 ニイ ン タナ シナル は、 今迄の 第 一 1 ィ ン タ ナショナル やその 他の 古い 一 派 S 勞勸迷 動 



の 形に^ しても * 之な 破壤 しなければ ならない とい ふ 立場に なって 居た のであります。 それ故に、 第三 ィ ン タナシ 3 ナ 

ル にしても-その 肺 妹團體 としての 赤色 勞働組 N ちィ ン タナシ ョナル にしても * 今迄の、 古き 政治的 勞 働國腊 なり * 若し 

く は 古い 勞働 組合な り を ブチ壞 すと いふ こと を 以て、 當面の SI 的と したので あります。 さ-つし て 彼等の 言葉で 言へ 

ば、 即ち 彼の 有名な 二十 一 ケ 條に從 ひます ると、 今まで 世界の 勞働 運動 S 上に 輝いて 來た 人々、 例へば. 獨 逸の カウ 

ツキ ー であると か、 怫蘭 西の ロンゲ ー、 英國 のマク ドウ ナ ルド -ぃ ふやうな 人達 を. -人 盡く 之み 葬り去らなければ な 

らぬ、 とい ふことまで 要求して るるので あります。 

ところが、 この 運動 はい ま 申しました 通りに、 露西亞 革命の 後數年 • 少く とも 昨年の 春まで、 非常な 勢、 宛 も 僚 原 

の 火の 如く- 世界、 少 くと も歐羅 e の勞働 運動 を^ 靡した のであります。 日本に 於ても 近頃 I お 西 亞が發 表した ものに 

見ます と • 日. 本で 共 產黨に 加 つ て 居る ものが 八 百 人から 九 百 人 あるとの ことであります。 ところが 露 西 亞のボ ルセ 

ヴ并ズ ュの蓬 動 は、 咋 年の 春まで は * 世界の 努働: 連動 を 風靡す るの 勢 を 一 1^ したので あります が, それ を 最後に して、 

今日で は少 くと も 世界な 通じて 休養の 時代に 入って ゐ ると 私 は 思 ふので あります。 ,チノ ゲ片 ヱ フが演^??^してをるとこ 

ろに よります と • これ は 一九 一九 年の ことであります が、 ペトロ ダラ 1* トで、 革へ 叩に 勝ち誇って、 ., チノ ヴ井ェ フが大 

勢の 勞働 者な 集めて 演說 をした、 その 一 に 斯うい ふこと があります。 そのと き は. 伯林で 死ん た 力 ール*リー ブクネ 

ヒトゃ 01 ザ • ルク t レ ブル ヒな どもよ だ 健;; B でありました。 そして 伯林の 革命的 勞働 運動 者 を 率いて, 獨 逸の ブル ジ 

ョァ 的の 共和 國を 顚 複 せんとす るの 勢 を 示して 居た ときな のであります。 チノ ヴ并ェ フが 勝ち誇った 態度で、 ベ トロ 

ダラ ー ドの勞 働 者た ちに 告 けて 言 ひます のに、 「吾々 は旣 に、 ^ 界の 最大 國の 一 たらと ころの 路西亞 に 於て * ボル セヴ 

7 并ズム の 勝利 を 見た、 今や, また" 歐羅 e の 最大 國の 一なる 獨 逸に 於ても, 將に 力— ル,リ|. フ クネヒトの 獼裁攻 治が 

1 

g 現されよう としつ \ ある、 だから レ -1 ンが 全歐羅 e に號 令す るのと きも、 最早 や 遠く は ある まゐピ それから 三年 を 



過し ましたが、. 力; Jr^^* "し. ブ クネヒトの 獨裁攻 治が 伯林に 赏 現しない ばかりて なく, 却って リ I フ クネヒト. も n、 

は-一. 1.^. -ルク セン ブル もも 遂に シャイ デマ ン內閣 の itp- に仆れ たのであります つ 逸 は 露 西 亞に亞 いでの 共產 主義の 最 

も 盛んな 國 であります 。そして バイエル ン では、 つて クルト • アイス ナァ のよう な れ た共產 主?^ 者が、 こ.. * に!^ 

哉 攻治を 現した 事 莨が あるの. であります、、 しかしながら * この n 逸で も、 e3 近 一 年ば かりの 閒は、 共界 主義の 運動 

が餘り 盛んで あろと ^4 思 はれない。 一 時、 一昨 半の 秋 頃に は、 五十 萬からの <!5:.- 員. か あると 言 はれました 合同 共 產^¥ か 

シャ から 财的 援助が あるに か、 わらす, 今 曰で は 三十^の 數が あるか どうかと 言 はれて をる のであります。 怫蘭西 

は f 時 社會黨 の 大半 を舉 けて 共 產黨に 加 はりました けれども、 ま た サ 、v チカ リズ ムも 分裂した のであります けれど 

も、 今日では大酷の形勢と分野.^Jが固定の狀能^に入っ て ゐるょ-フに見ぇます。 英國ゃ 米國の 如き は、 元來 資本主義 

の祖國 であって、 共 產黨は 僅かに 二 lE 人足 もす の 會員を 有って をら に過ぎない。 英國 では 勞働黨 に 屡して 居る ものの 

四百 五十 萬 人と いふ 数に 對し、 て、 共 產黨: i, 屈して 居ろ もの i 數が 僅かに 一 萬 人足ら すであります。 伊太利で は 一 時 社 

<^|リ3| の 全部 を 単け て、 莫斯科の第三ィ ン タ4^シ ョすルに加はるとぃふ形勢を示してゐ仁のにも拘らす, 其の後 * 寳際 

に 同黨へ 人らぬ ことに 廣 を诀定 したので あります。 以上の ような わけで、 爱 一 年の 間 は、. 共產 主義 運動が 世界に 於 

て 固定 的 S 狀您に 入った,, -ぃふ 二と が出來 ようと 思 ひます。 

しかし. 之 を 以て * 露 西 亞冥斯 科の 第一 一一 ィ ン タナ シナル の 運動が 固定した とい ふこと は出來 ると しても、. 決して 勞 

働 運動 そのものが 衰えた とい ふこと に は 成らない。 , , 

それなら ー體 何故に ィ. ンタ ー ナショ デルの i 氮が惡 くな つたの か、 とい ふこと にゥ きまして は、 極く 最近 • 今年の 

四月に、 第三 ィ ン タ, K シ. nl ナル 執行委員 長 ヂノゲ 并ェ フ が演說 して をる ところに よります と、 これ は 共產ィ ン タナシ 

ョ、 ナルの 罪で はなぐ して、 ェ I- ベ ルし 一派に, よって 行 はれた!! 逸 革命 失敗の 結果で あろ、 ^界の 勞働者 は 逸の 革命 

. に 常 に 大な tO>S 待を有 つ て そ つ た に 拘ら す、 、この 革命が 實 現されて 見る と、 、 〕 れ は 勞 鼬 者の^ 命 で はなく して、 却 

つて 一 つの 大きな 資本!; 木 It 世界の 表に 於け る 偉大なる 一 ッの 富豪 ス チン ネス を 造り 上け るた めに 出来た ところの ブ 



,ルジ ョ ァの草 命であった の だ。 そこで この Ig^ 革命の 失败 とい ふ ものが、 世界の tsjjfei^s 革へ 叩:, お 感激 S 喪失の 因と. 

なった ので ある。 また その 結 ET 世界の勞働^!^^とぃふものが曰和:::^的になり, 革命的稱-1が缺けて來て* 皆 改良主義 

に 落ちて 行く とい ふこと になった ので ある, とぃふゃ ぅな^|:}.5味のことを述-.へ てをり .ー6亍。 惟 ふに、 この こと も 一 ッの 

理. 5 では あら,.' と 思 ひ,^ すが、 5^ は 寧ろ、 ぶ. 収も 大きな 原 W は * 露西亞 革命の 指導者 達が > その 革へ 叩の 指 it を 過った と 

いふ ことに 在らう と 思 ひます。 や S 西 KKieK 叩の 成 si- とい ふ もの は, 愧ふ に獨逸 革命の 成 とい ふ ものよりも 一 lt¥< なろ 

期待 を 以て * ^界の や 31. 命 的 K 力 慟^に 感激な 與 へて 居った ものと 甲) はれる 山に、 二の-か 路西 亞リぶ 叩 は、 露 西亞の やうな 

百姓の 多 い^で 一番 重^なる 問^に 於て、 E- お 初から 大 なろ 失敗 をして をろ のであります。 この こと は. 資本家 測 

が 言 ふだけ でな く * よぶ 日和:: 的 社命 者か言 ふたけ でもな く、 本統の 革命的 精神に 燃えて 居ろ ところの 人々 も 

亦, 同じ やうな 1^ ひ を 以て 兒て 居つ.; 一と ころであります。 i が. 三 インタ ナショナルが 始めて 出来た ときに、 先づレ 二 、- 

が 起って 挨扱 をした が • レ 二 ンは その 挨!^ に 先き 立って、 各國 から 集って 來た 代表者の" -i で T 吾々 は 第三 インタ ナシ 

ョナ ルの會 議を il く 前に、 そして, お 命- 動の-ために 尊い 血 を 流した 逝け る ロォザ • ルク セン ブル ヒ と 力 ー ル、 -リ ー ブ 

クネヒト のために、 敬意 を 表しよ- フ ではない か」 と^に り、 一同 起立して 敬意 を 表した とい ふこと であります が、 

その ロォ. サ*ル クセ. ブル ヒの f.5h:s か 近 S 發 表されました。 「"シ ャ 革命」 とい ふ 小 さ い 書物であります。 こ^-書物は、 

ロォ. サ* ルク セン ブル ヒが ライプチヒの 監獄の 中に 居た ときに 蒈. いた ものであります. - その ロォザ *ル クセ ン ブル 

ヒは、 きから-お €1 亞 S ことに 通暁して をる し、 ボ ルセ. ゥ并キ と^い R ゆ 係 を 有、 つた、 逸に 於け る、 また 恐.. く 世界に 

於て::. 取ん 勝れた ろ 革へ 叩 婦人で あらう と 私 は 思ひュ 6 す。 その 小册子 はもつ と 早く 發 表さるべき でありました けれども、 

ボル セヴ 井キの 1 派に とって 少し 都合 かよくな いとい ふ 譯で發 表されな いてる たのが、 今年に なって. ホ ール* レゥ并 

の 手に よって 漸く 發 表される;^ 磾 ひとな つたので あります。 その 發 表の 結 染は 非常な 問^ を 伯林の 諸 新 間に 惹き 起し ま 

した。 た ギ ルシェ ヴ井キ の 側から も: 近ウァ に. スキ ー によって その 反駁; が 發 表されました。 まさ rsli 

deu utkti.xills' prcblclmjli d せ- lievclutioll とい ふ 小冊子が これで あわます。 ところで この P ォ. サ, f= -史 



IS 遣 稿に よります と 露 ぼ亞, の 農民 攻策 といぶ もの は 全然 間違で あろ。 土地 を 農 與 へる とい ふ攻策 は. た 農民の 

2 私有財産への 欲望 を 煽 ふ,, る 以外に 何等の 意味がない もので、 これ は マ I クス 主義で ない G みならす、 マ ー クス 主義と 

は 正 反 封の 行き方 をす る ものである * と 種々 なる 事 實を舉 けて 論評して をる のであります。 私共 は必 すし も マ ー クス 

主義 を 奉す る もので はなり ませぬ。 しかし. 本 統にマ I タスの 精神 を 精神と して * マ ー タスの 政策 を 政策と して 起って 

居ろ とい ふこと を 彼等が 若し 標榜す る ものであった ならば、 この嫠民政策は少くとも全然彼等の標榜を裹切る7^>ので 

あると いふ ことが 出來 ようと 思 ふので あります。 去年の 三月に なりまして、 彼等 は、 彼等の 政策が 全然 失败 であった 

とい ふこと を 裏書し i? ければ なら なくなつ たのであります C 所謂. 策と 稱 せられる のが それであります。 この こ 

と は 露 西亞の ボル シ ェ ゥ并ヰ 政府が、 全く 露西亞 農民、 特に 中產? IK 民に 降服した とい ふこと が 言 ひ 得る であらう と 思 

ふので あります。 しかし この こと は 一 部の 御 ffl 學者 がい ふように ボル シ ェ. ゥ并ズ ムが 資本主義に 降伏した る ことで は 

決してない。 それ は ボルシェ ヴ井 ズム. か 日和見 派の 社會 主義への 一 後 返 を 意味す る ものであるが * しかし、 ボ ルセ、 ゥ 

并ズム が 彼等の 本来の 立揭を 捨て. i、 そして 日和見 的の 社會 主義の 軍門に 降参した とい ふだけ は、 疑 ひの ない 事實で 

あらう と 思 ひます。 これ も 矢張り.、 チ ノ グ并ェ フが 先に 引用し ました 演說の 中に 言 ふて 居る, 一とでありまして、 「 吾々 露 

西亞の ボル セゲ并 ヰ 政府が 新しい 農民 政策 を 取った ために、 f ボル セヴ 并ズム とい. ふ もの、 即ち 第三 ィ ン タナシ ョ 

ナルの 根本と すると ころの 主義と そして 其 他の 日和見 的の 國 際 社 會主ー 我の 取った ころの 立場との 間に 於け る問隔 が, 

4^ 常に 少く なって 來た。 この 隔 りの 非常に 少く なって 來 たとい ふこと は、 W 界の同 際社會 主義 を 一 ッの統 一 ある 運動へ 

と 導く ところの 大 なる 理由 L!J なった ものである」 と 申して をり ます。 即ち. チノ ヴ并ェ フの言 ふと 二ろ によ". ますと. 

ザ S 西亞の ボル セヴ丼 ズムが 日和 的の 態度 を 取った とい ふこと は, 世界の 勞働遝 勒铳ー のために. 4H: 《吊に 便利で あろ、 

と 非常に 都合の よい こと を 言って をる のであります が、 その 言 の 一 5^ にもあります 通り, ボル ;-. ヮ 并ズム なる もの 

が、 今迄の 特色 を 失って、 n 和! 15- 的 若しくは 十 :: ぃ社會 主義に 近い 態度 をと る ものに なって きたと いふ こと、 他の 言葉 

でい ふと, ^.5^;の社會主ー|5運^が武カ對^^カ、 暴力 對暴 力の、 性急な、 vf;^ 短 かな、 少數 # ^によっての 戰 ひの 代りに、 プ 



2 



ロレ タリ ャの 大衆に よっての、 長期の 戰に 入った この 證據 であると いふ ことができよ ラと思 ふので あります J 

A 

私 は旣に 世界の 支配階級が 最近 数年の 間に、 反動的と なり、 暴力 的と なった と 申しました。 しかし 本冢 階級 か 今 

や 統一 あろ 一 "の 暴力 を 以て 勞働者 階級に 向って 來た 以上 は、 勞働^^?!階級も, その k 近 動に 就て、 今迄の やうに、 小さ 

い 仲 問 同. H の 小 競合 をして 居って はならぬ * 是产 i^、 一 ッの 統一した 運 励と して、 この 資本家 階級に ゆ S らな くて はなら 

ぬと いふ SIT か * n. れ近 殊に 高くな つて 來 たのであります。 この 結 5;- の 最も 具 體 化された の は、 今年の 四月 二日から 四日 

問に 亘 つて 伯林で 開かれた、 三ッの イン タナシ ョナル の會議 であります。 この 會議に は 第二、 第三、 第 四の 三 派の 

代表者 四十 九 人が 集りまして • It 逸の 國會 議事堂、 カイゼル 王朝の 下に 建てられた^ 逸國會 議事堂の 大會議 室で、 各 

國の社 會主殺 者 若しくは 共産 主 が 集って 會議を 開き、 世界 革命の 謀議 を 凝した、 これが 四月 一 一 曰から 六日に かけ 

- ての 四日 間の 會議 であります。 矢^^りこの會議でもぃろくな小競合がぁりました、 けれども、 資本家 階級の 攻擎的 

度に 對 して、 世界の 勞働者 は * 1 致 協力、 銃 マ ある 階級 運動 をし なければ ならぬ とい ふこと に 就て は、 皆 意 か 1 

致した のであります。 そして その 結果 露 a 亞 ボル シヱ. ゥ并キ 政府の 承認、 露西亞 革命の 擁護: 若しくは 八 時間 勞慟維 

持な ど. V いふ 大原刖 に 就て は、 從來 互に 殺戮し 合って きった 三つの ィ ン タナシ ョナル が總て 相?^ 携 して、 一 の勞働 連動 

として 統一した 運勳を 起さな けれ.; ならぬ とい ふこと を 決議して、 その 赏行 委員と して- 三ッ S ィ、 -タ ナショナル か 

ら 三人 宛. 都合 火 人の 委 np; を舉 けて をり ます C これが 同 際 社 會主穀 動に 於け る 一番 新しい 事實 であります。 斯うい 

ふ譯 で、 マ ー タス 逝いて 七十 何年の 木 年に 至って * 世界 運觔 は、 本 統の大 なろ 群衆、 11 マ— クスは 今までの 運動 を 

少数者の 運動 weweguDgeu von Jvfmcritaten と 言 ひ、 プ ロレ タリ ャの 運動 を 巨大なる 多 數の大 運動と 云って 居り, 一 6 

すが? その マ I クス ンゲ. ルスの 所謂 強大な ろ 大群 衆の 大 運動と いふ ものが、 今や 世界の 自覺 した 無産き 階級 S 人 

群に よって ノ 動かす こので きない 力と なって、 私 4i ち $ 面前に- ^界 を徘櫚 する 妖怪と して, f£ に- しかし 威力.^ も 



つて 進んで るるので あります。 

私 は E;^ 後に- 私の 一 番 愛誦して み-ります ゥ并 リア ム* モリスの 一 句 を 引き 度い と 思 ひます。 「I,AP と u と はおりつ i 

ある、 そして 旗 は 進む o」 旗 は ^1 り 民衆の 旅 は、 靜 かに 進んで 行く のであります o( 完) 

インド KV ダ ン カン 

(勞農 治下の 藝術 家) 

なぜ イシ ドラ V ダンカン は 露 西亞へ 行った の だら う? それ は * 本 當の藝 術 家で ある 彼女 は, ブ ル ジ ュ ァ歐 3le 

— 破產 した、 皮を剝 かれた • 恥 を 知らない、 憎 惡と幻 減の 片 息をして るる 歐羅 e を 現に 料理して るる 親 < ^達 か 彼等 

の 周 園に 腿 成した, 此の I^M 氣の屮 にどう しても 生活す ろ ことが 出來 なかった からだ。 

— 皆さん も 御存じの 通り、 — • シ ドラ ,ダ ン 力 ン はいふ —— 倫敦も e 里 も戰爭 前と 變 りはありません。 藝術上 か 

ら 見ます と、 戰前旣 に それ は 喧噪な 大市 5^以 上の もので はあり.^ げせんでした。 今や 物み. な 益々 險惡 に嚮 つて ゐま す。 

理想主^の 最後の 跡形 も 消え失せ ました。 何處へ 行っても、 稍 や 精神的な、 いい加減の 嫂樂 として 出來ろ たけ 一::? く赍 

らうと する 野心し か 持って ゐ ない 藝 術が^ 延. つてる ます。 藝術家 自身 も、 眞心も 感受性 もない やうな、 公衆の 機牲と 

なって. 愈よ Si 化 役者に 化して 來 ました。 從を しない 人 は、 苦難 を 甘んじて 受ける か.. 一 生 日蔭 者で 暮 すかす る 

より 仕方が ありません 

ダ ン 力 ンが 露 西亞へ 行きたい と 云 ふ 希望 を披? れ, した i はに- 憤怒と 驚愕の 叫びが 到る 處 から 起った-) 先づ 初めに 諸 新" 

? 1 は^を へて, ダンカンが 人^の 希 ひ. :- を", S い C ふろ, 一と, 5, ス n ほんした J 次に、 彼等 は 此の 希望 を 此の 藝術 家の 级すこ 



との 出來 ぬ偏俠 性に II した o S 後に • 彼等 は、 歐米 はも-つ イシ ドラ っダ ン カンな どに は 用がない と ふこと、 また 公衆 

の:^ 女に 對 する 人 氣が 母に ちる ので、 扨 こそろ た 溜." すに、 此の |^) 術 家 は t 路西亞 へ 逃け たもので あると, i> 填し や 

かに^^«立てて* 趣 中 =a の 限り を した。 

これ は 皆な 純然たる 出 目に 過ぎなかった、 ,てしてそれを書ぃた^|<?:こそ、 よく 其 事情 を 承知して ゐた苦 だ。 未だ I 路 

西 亞行を 決心 しないう ちの こと-たが, イシ ドラ •. ダ ンカ ン は、^ 國と和 から、 是非 来て 莨 ひたいと 云 ふ 馬鹿にうまい 

申込 を 受けた。 彼女 は 例に 依て、 卒直に 之を斷 つた。 クラシ ンは ルナ チャル ス キイに 語った つ イシ ドラ っタ ン 力 ンは^ 

% に 於け る その 告別 興行の 成否 を 稍ゃ氣 にして ろた と。 その 前から, 新聞紙 は;^ 女の 「ボルシェ #ズ,1」 の爲に.^^?,^ 

に 挑戦して ゐた。 夫に も 拘らす * キ. 別 興行の 常 日, 劇鴣は 立、 雜の餘 地 もない 程の 盛況 を呈 した。 間接に 露 西亞に 向つ 

て 表白され た 此の 熱狂した 敏迎 は、 民衆が^ 西亞の 勇敢な ろ 偉業 を稱籍 した こと を證 明した. - この 歡迎に 加 はつ ヒも 

のが、 特に 上流 階, 辨 であった こと は 木 《=3. たが、 併し 11 クラシ ンの 語る 所に K ると 11 平: H 閒連も 亦 ノ^ 接 敷に 針し 

て 厚意 あろ 寬容の 度 を 示した さう であろ。 ノ 

I 路西亞 に 行かう と 一 旦 決心した からに は、 6?. 氣 かなければ ならぬ。 イシ ドラ たグ ンカ ンの 友人 や 殊に 露西亞 貴族の. 

命 客た ち は、 英斯 科の 揭に は. 蛆 のたかった 死屍が 累累と 血煙 を 立てて ゐ て、 迚も 一歩 だって 進める もので はない i 一一 口- 

って, 慘^ たる 俊 墟に歸 した 此の 都 をば 彼女に 描いて 見せた。 世人 も 亦、 國境 でも ケ彼. 4- と. 彼女の 生徒 は强 される、 

か、 又はけ もな く 虐殺され る だら ラと 彼,^ に 云った。 

.此 等の 悲 に對 して、 ダンカン 自身 は. 餘り信 ffl を拂 はなかった けれども、 彼女の 生徒に は 非常な 影響 を 及 ほし 

仁。 卽ち 三十 人の 生徒のう ち, 彼女と 一緒に 西亞へ 行く 勇氣 があった もの は、 たった 一 人であった。 _ 

ィ シ ド ラたタ ク 力- ン Gfe 西亞 へ の 旅立の 目的 は 何で あるか? 彼,^ の主耍 な 仕事 は敎育 上の 境域に ある。 彼女 は 文 

部 大臣 及び:^ 務 大臣の i を 得て • 西亞 へ.^ たので あるが * 此の 兩相は 露 西亞に 新しい. 型の 立派な 舉校を 創立した 

、、いと. 云 ふ 彼女の 提言 を 欣び迎 へたので. あった。 



、ザ シ. 卩ラ,ダ ふ f-A は 體 育 及び 美育 を 第二 に 重く 見て るる 。而 して 常に 此の 敎 育の 範園內 に 於て、 彼女 は 革命家で あ 

つたので あるな ダン 力. > に 隨 ベば、 大人の 社會 とい ふ もの は • 虛慯と!^善に満ちたもので、 從 つて 醜 稳見 るに 耐えぬ 

もので あろ。 此の 社會 は、 兒童を 腐敗 させす;: i は 置かない。 兒童は それ 自身のう ちに、 正しい、 明るい、 眞の、 從っ 

て 又、. 美しくて 愛らしい 生活 を 生活す る 爲の有 ゆる 天賦 を享 けて るる もの: u。 兒童を 優稚と 高貴の 資質 を 具有した、 

大いに 敏感な 人間に、 隣人に 對 する 同胞愛に 溢れた 人間に 育て 上 ゆる 爲に は. 此 等の 兒 童の 爲に、 好ましい 11 それ 

も 物質的と いふよりも 寧ろ 道德的 見地から 觀て 11 望ましい 境遇 を 痛へ て やれば それで 足りる と 云 ふこと を, ダ ン 力 

ンは十 人; W 或は 百 人位の 兒 童に 就て、 實設 しょうと 一 生 懸命に 努力した。 ダンカンの 實驗 は、 之を舉 けて、 着々 成功 

の榮 婺を挖 うに 到った。 ダ ン お ン の學校 を參觀 した 人人 は、 ルノヮ アル や ロダン の 如き 偉大なる 畫家 彫刻家 を 初めと 

し、 詩人 も, 敎育家 も、 皆 異口同音に、 イシ ドラ • ダンカンの 指導の 下に 敎 化された 兒 童が 產み出 したと ころの、 自由 

. の 限りなき 悅び と惹赏 の 人間性との 印象 を 物語 つ た。 

イシ ドラ 弋タ ンカ、 デは 旣にづ つと 以前から 敎育 事業に 携 つて ゐた 數十 人の 生徒 は 彼 4.^ の 溜 導の 下に 敎 育され た。 彼 

等の 運命 はどうな つた か? 彼女 は;: が 等 を 常に 敏螯; 存在に 仕立てた が > ブル ジ ユア ジィは 彼等に 藝 人の 地位し か 

與 へる ことが 出來 なかつ. UO ダンカンが 規範的 人間の 典型と して 考 へた 所の もの は、 一箇の 見世物と 成る に 到った。 

アブ ノォ マルの ブル ジ ュ アジ ィは、 ノォ マ ルの 人間 を指稱 して 「あの 子 を 見ろ、 實際 不思議 だ!」 と 云つ. UO そこで 

あれが 見られるなら、 金を拂 つても 惜しく はない と 云 ふこと になった。 ダンカンの 敎子は 今日 非常に 成功して ゐ る。 

併し 此の 成功 は 彼等 を 招待す ろ 者の 手に 歸 する St な -s で, 寄席 は 喜んで 彼等 を 招聘した であらう が、 併し乍ら 彼等 は 

其の 要め に應 じない。 今日に 到る まで、 彼等 は 高く 留 つてる て、 サン フォ 二 ィの 演奏 會の時 か、 一 流の 劇場に 於て か 

でなければ 舞踏し なかった。 けれと も是は 決し」 し イシ, ド ラダ ン 力 ン の 目的で はない ので ある。 

イシ ドラた タ ン 力 ンの 改革 は, 社會 革命 を俟 つて 甫 めて 可能で ある 所の、 舉 校の 一 般的 改革の 一 部分と 成らない 限り、 

ブル ジュ ァ社會 S 奪 麻の 間に 見えなくなる 空想の 小さな 花に 終る こと は • 火を睹 るよりも 明か だ〕 



ajm, に 於け ろダ > 力 ンの 最後の 舉校 は、 驚くべき Ss 染を揚 け 始めた が、 此の 學校は あろ 大富 豪に 依て 繰 持され て BS 

た。 此の 火 富豪 は 僕 は、 あれ を 新しい 文化の 中心に すろ 積り だと, イシ ドラ • ダンカンに 洵し やかに 說 きながら、 善美 

を 4^ あ-した!^ 飾 を 以て 此の 舉校 を^ 繞し た。 . てれまでに は、 佛 蘭西& び歐, 錄 e の 第一流の 人物が 集まって るた。 

戰^ が勃發 した * ,てして 火 富豪 は 見 tOl, つつ 自分の 財産が ぐらつ くに fti ひない と考 へた." 彼 は 先 づ^の §lf 校 を 米國へ 

移轉 に取掛 つた。 それから、 . ^日の こと、 低 < ^額の 持参人に 一枚の 小切手 を^した まま * 彼 は あっさりと 舉校を 見 

捨てて 何虚 とも 知らす 姿を隱 した- 

ィ, シ ドラ っタレ 力 ンは、 彼女の 生活の 此の 多分、 に 苦い 經驗を 語つ てるる。 此の 苦い 經驗は 彼女 を 現 富にまで 呼醒し 

た。 私人の を みとして、 自分の 思 ふやうな 改革 を竄 行す る こと は 不可能 だ * と 云 ふ 二と を 彼女 は 痛 咸,》 した。 

希腿攻 界の頒 目、 ,ェ 二 ど t ス は 彼女のう ちに 或 種の 希望 を 見出した。 ,ェ 二 ゼ ロス は. その 奇怪な 民族主義に 於て、 古 

代 希 腿の 精華 を 復活 させよう とすろ 觀念を 熱愛した ダンカンの 方で も- 古代 希 腿に 對 する 其の 讚美から, 他の: w 人 

とよりも 彼と よく 意氣投 <| 口した。 彼 は 陰謀に 満ちた 其の 攻治 制度 を赫々 たる 圓 光で 飾り^て, ダ ン 力 ン の 援助 を 借り 

て、 文化の 古代 形態 を 復興し よ.' と 云 ふ 計螯を 懐いた 。此の 思想 はィ シド i フ • ダン 力 ン を 蠱惑した。 彼女 は 今日 尙ほ 

,ェ 一一 ゼロ スの 甚だ H= 當な、 頗る. 冗 遠な 41- 言 を 繰返して るろ。 それ は 新, だ T 社會 改良と 偕に 生活に 充分 美 を 採 入れろ 

二と が 出来ろ 玫治 は- 啻に 爭に 於け ろ 勝利者で ある 許りでなく、 永久に 歴史の ケ ちに 榮光も て 生きな がらへ 

るで あらう 0」 此の 神聖な 事業 をして 有終の 美 を收 めしめ ろ ことが 出 來る者 は * ,ェ 一一 ゼロ ス ではない と. 云 ふこ, と 丈 は 明 

白 だ。 近代 政治の 操 人形 中の 一 操 人形と して、 彼 は 操 人形が 失墜す る やうに 失脚した。 ■ 

さう かう する 5 ちに、 露 西亞の 革命 は, S す發展 して 來た。 イシ ドラ • ダンカン は眞 心から かう 信じた、 露西亜に 於 

, て は、 餿饉 に.. -拘ら す、 生活 必要品の 缺乏 P も拘ら す、 民衆の 蒙昧 * 時 01^ の 絕對的 重 人、 並びに 國. H の 心を减 入らせ 

> ろ爱 慮すべき 事態の 發 生に も拘ら す、 それでも やはり、 彼の 國 土に 於て こそ • イシ ドラ • ダンカン がその 全生涯 夢み 

. や、 クな、 ^彼女が 實際 やって AO? よ、 フ とし; r 兒童 解放の 事 紫 を 始める ことが 出來 るで あらう と。 



.i>Mvir や^ 夢想 は @ も 遠. K な. -..s である。 彼女 は 五 百 人 乃至 I 千 人の 生徒 を 收容し 得ろ 大規模の 舉校を 創立した い 

, とま へて るる。 併し乍ら Jsa. 力 彼女 は 小数の 兒袁 か, ら始. ^ろ ii. 備 をして ゐ るか、 此 等の 兒童は 一 般に勞 路西 亞の敎 

師 から 敎育を 受ける こと」」 もて、 唯 だ 笑 宵と 體 有に 關 しての み イシ ドラ *ダ ン 力 ン から 敎をど ふこと にす る さうた。 

—— 此等の兒童の爲に私が^5:殊の物質的條件を耍求すろものだ* と 思って 下さるな、 彼,^ は 文相 ルナ チヤ ルス キイ 

に 云った。 *"下がー:11-斯科に於ける子供らに通例與へ ることにしてろられると同じ丈の衣食を彼ゃ^5-に與へ て下さればぃ 

いのです O 小 《 ^を 以て、 純潔に して 俊稚 なろ 心 を 培養す ろ こと を 私達 は 知って るます、 - 一 體蛍 物に 就て は 

丁度い い 折 だから、 私の 身の上 を 御 話し.^ 6 せう か/私の 母 は 貧しい 音 樂の 敎師 でした。 母は澤 山の 小 供 を 生ん-た 上 

に、 何の 手 |3< もなかった ものです から、 私達 は 萬^に こと 缺 いて 麵飽さ へなかった ことが よく ありました。 私達が 恐 

ろしく 龋 じかつ. や 物悲しくて 耐ら. なかった 時には、 母さん は 私達の 爲にシ ウベ ルト やべ エト オフ ェ ンの曲 を 奏し 

て 下さいました、 そこで 私達 は 此の 音樂の 調子に 合せて 翻りました) すると 不思 謎に も 空腹の こと を 忘れる のでし 

た。 是が 私の 藝 術の. S 來 です。 私が なぜ 飢體を 恐れない か • 今 はお 解りに なった でせ うね。 

如何なる 企 S1 であれ、 殊に 一見した 處 では、 の惡 いやつ に 見える かも 知れない、 斯 3|S に デリ ケ イトな 事業.^ し 

て、^ 美 aj- を收 めしめ よ 5 とす.;; ば、 勢 ひ 露 西亞に 於て 彼等 はま 常な i: 碍に 遭遇す るに 相違な"。 けれども 夫 一に も拘 ら- 

す、 イシ ドラ • ダン 力 ンが幻 威の 悲哀 を 感ぜ. さらん こと は、 吾 sa^ 心の 希望で ある。 此の 計畫に 就て. は、 有 ゆる 方面 か 

ら ルナ チヤ ルス キイ は 熱心な 83! 成 を た。 彼等 旣にそ S: 舉校 ^ の 美 はしい 敷地 を 持って ゐ る、 で 近日 中に 彼等 は 此の 

舉校 設立に 取掛る ことが 出來 よう. ノ 

,併し 此の 時に 《"s つて、 ダンカン は 繁賴の 徒に 取 捲 かれて るる。 此の 藝術 家が や 路西亞 へ 著く か 著かぬ に、 莫斯 科の ブ 

ルジ ュ アジ ィの 殘骸は 群を成して 駅け つけた。 扣 51 師と藝 術 商と は 泡 を 吹いて 彼 t の 前に 殺到した。 或ら 連中 は 文相 

の處へ c« つて 來て、 ィ シド ラたク ン 力 ン は^^かに全く<め軌を失してゐろ と告 けた。 何故? - — と 文相が 彼等に 問 ふと 

! なぜって-. そり や あ- 彼.^ はもう 踊りた. からな いぢ-やありません か —— と;^ 等 は 答へ た 而 して 二れば 本 5 ぱの話 



だ! クン カン は此 程の 申込 を 片っ端から ル絕 して るる" fei 々の 「有利な 申込」 にも 拘ら す、 彼女 は 慈善 興行に すら 

出^す る こと をき つばり と^つ.; ヒ 彼女 は * 誰も 自分の 座席 を拂 はない やうな-又 觀隶が 出来ろ だけ 努働 者で ある や 

5 な 曾 堂に 於ての み 舞踏す る こと を 欲して るる。 

そこで 勞働? i< ;: の 方で も、 - 彼女 を 一 人の 友人と して, める や、 フ になった。 ルナ チャル スキ. -は 最近 勞働 組合 か." 三つ 

の 申込 を 受けた か,, その内に は鐵? 從^ 員の 組合が あろ。 皆ん な は勞働 者の 爲に 無料 i が、 劇 を 出來ろ だけ 早く 組 熾 する 

こと を 文相に! 求して. C る。 此ゃ liT の is 劇 は 云 ふまで もな く、 開設され るたら- フ。 然し 投機 都 は相變 らすノ 自分 を賣ろ 

こと を いやがる 人 を 魚逮 ひ-たと 稱 して 非難す る こと を 止めない。 彼等 は 愤慨の 極に 達して、 本物の 毒! S の 如ぐ バニ タ ン 

力 ンの 耳! 水の 中に 彼等し 毒 卵 を:. id いて 行く." 將に 英吉利の ブル ジ ユア ジィ がそれ でダ ン カンの 露 西 亞行を 思 ひ 止ら せ 

ようとした、 ^;!^ じ 中 が ャぉ-„3亞 でも その:: f-! 勒を i^- りて るる! 「此 等の 怪物 • 此 等の!? 殺 #1、 此等の ボル シヱ ヴィク 

なん ぞに 何が 出來る もの か、 彼^に は此? 舉校を 创設 する こと は出來 まい、 彼等 は 悉皆お 前さん を 騙し込んで るるん 

だよ。」 勿論 ルナ チヤ ルス キイに は. 彼^が 彼女に せく 取 入って 置いて * そ、 こで、 此の 大藝術 家に 革命が 吮 ふべき もの 

に 映る やうに 仕向けようと 目論む. たらう と は 分り切って ゐ たので、 彼 は 豫め此 種の 有 ゆる 無賴 漢に對 して 厚意 を 持た 

ぬ やう、 ダンカンに 注告 して いた。 , 

"t^ し 夫れ ダ ン 力 ン自 身に て は、 今のところ 共產卞 ^の 戦 11 的 精神 を 以て 鼓舞され てるる が、 此の 精神から して、 無 

意識に は 出ろ が 併し 思 遣りの; ル;^ い 親切な 微笑が 時た ま颜を 出す ことがある。 それ だから、 彼女の 友達の 一人で あ ろ* 

l&a 亞の 最も 偉大なる 一 #31 家と 語った 後、 そして 彼のお-嘆 を聽 いてから、 彼女 は自 から 進んで 彼に 云った。 

「贵下 は 今ぞフ 云ふヂ レン マの 前に 立って ゐ られ ると 私 は 思 ひます, それ は 自殺して 人生と 別れ を il 口け るか、 さもな 

くば、 共産主義者. となって 新生 を 開:; ^する かです、 その どちら か を 選はなくて はなり. ません よ ノー I i 西亞 の. K せ S 

4*^,途1^に暮れて默っでゐ.た。 また 是, は 他の 抓の 話で ある;^. ある 家族の 鑒應に 招^された ダンカン は、 彼 ゃ寸の ブル 

ジ .ュ> 的 鎌. 飾に ©I て、 ま.た彼等ゅ行爲と彼女.か^-0像に.螯ぃてゐ;!彼の燦然たも理想:^6間の矛盾に對して、 露西亞 



2S 



. の .4ic 產^ 員 を $ する. の 手 ge! を 見 した.。 .ナ イイ ゲ では あるか も 知れぬ が、 莨 際 正しい 此の 忠 1 一一 la のうち LT 如何に 多 

分の 自然の 魅力 か 含まれて るる か を、 露 西亞. の 同志に して 理解し なかった. ならば * 恐らく 一 切の事業と雖も華竞卑丄 

ぃ汚行に終るでぁ^.^ゥ0 何故と いふに、 平凡 ブル ジ ュ アジ ィの 風習が 吾々 の 生活の 有 ゆる 形態に 染 込ん でる るから 

だ。 新興 露 西亞の 人人 は 彼等の 生活 をより 美しい ものにすろ 餘裕 がな かつ.; i。 若し イシ ドラ っダ ン カンが 彼等と を 

携 へて、 此の 神聖な 仕事に 取掛 り、 その實 現に 動し むなら ぱ、 彼女 は 無限の 財 寳を彼 等の 爲に 創造す る ことになるの 

である。 . 

イシ ドラ • ダンカンの 藝 術に 就て 極く 簡單に 書いて 見よ ラ は 確か に 通俗の 舞踏 家で はない。 彼女 は 自分の 藝 

術 を崇拜 してる るが、 それ は 優美な ジ ェ ス ト (即ち 英語の ジ エス チ ユア) ,こ 笑 的な 肉 照 運動の 頌 譴 である T ォ ベ ラは 

私の ッァ アリス ム です」 と 彼女 は 云 ふ。 而 して 擰猛な 勢で、 老紳 ± ゃ低腦 な道樂 息子の ために 作られた 飽満 階級の バ 

レ ヱと 抗爭 して ゐ る。 ダ ン カン は 「ジ H ストの 女王」 とい ふ^ 名 を 頂戴して ゐ るか.' 彼女の ジ ェ ストの- フ ちで 1 番美 

しい 奴 は、 そして 最大の 喝釆に 値する 奴 は、 それ は I— 彼女の 眼 先へ 走 馬燈の やうに 廻轉 して 見せた 有りと おゆろ 慘 

ゆ M にも 拘ら す、 彼女が 敢て露 亞へ 入った とい ふ 11 その 最後の ジェ トと私 は斷言 する。 

を撊 くに 當り 昨秋 この 大藝術 家が 莫斯 科から 佛藺 西の 一同 志に 寄せた 書簡 を 玆に揭 けよ- フ。 それ は大 へん 興味 

の ある もの だから、 その 全文 を譯 載す る。 

「彼 自身よ P 更に 高贵 なる もの を 創造 せんと 欲し- 斯 くして 寂滅す る 者 を予は 愛す。」 

是の 如く ッラ トス トラ-は 語れり - 

フ, r- ィ Jr リク tol イチ H 

親愛なる 同志よ、 

肯下は 莫斯 科の 印象 を 私から 待ち望んで をら れる でせ、 フ。 H イチ • ジィ • ヱ ル スゃ其 他の 此處へ 來た文 舉荐の やう 

に" 私は贵 下に 政治 上の 感想 を 語る こと は出來 ません" 此 等の 攻治、 問 超に 就て は 全く 無知で ある 私 は、 i 下に 藝術家 

としての 私の 印象し か氣 へられません い 而も 此 等の 印象 も: i 理的 とい ふより 感覺; ^な ものです。 .11? ゆや: HI 然の 子、 就 

中小 供と お; 術 家の 衷に は, 第 六の 官能が あって、 . 之に 據て 私達 は 一 個人 や 人間の 一 集圔ゃ 或" 一 力 心 をよ ぐ;! 



小す ろ 二. V が出來 ます。 此の 第六宫 が 私の 全生涯 を藝 術に 棒け よと 私に 命じた のです。 その 聲を聽 いて、 私は藝 術が 

商 • お 根性に 依て 破 诚 に 瀬した 歐^ e を 去った のです。 また 此の 第 六 Ion に 據て私 は 莫斯科 を 占って 見ろ のです 。"何故か 

と 云 ふに、 人人は自分の周^^に物質的な|?$.實を目^-しな.から, 此^に 一 m り 起って ゐる 事象 を判斷 する ことが 出来ない 

のです もの。 眼光 紙背に 徹する 底 S 眼 を 以て 注視し なければ なりません。 と 申す 譯は、 此處に 表面上 存在す る もの は 

悉く^ 時の 假 相に 過 ざません、 そして 魔 理は國 土の 魂の 哀 深く 秘められ てるます から。 此の 偉. K な圍體 精神に こそ 奇 

^!か?^^;!:たのです。 

此虚 I 路西亞 では、 二 千年 以來 はじめての、 人類に 對 する 〇〇〇〇〇 が 行 はれて ゐ ろと 私 は 信じて 疑 ひません" 

それ を 理解す るに は、 私達 は餘 りに 同時代に 住んで ゐ ます、 それで 〇〇〇〇〇〇〇〇〇cy 人類 か 確乎 不拔の 一大 

進歩 をした こと を 理解す る もの は、 恐らく 啡だ 百年 後に 生きる 人人 だけで せう。 

〇〇p は 奇躋の 都です • そして 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇、 〇〇〇〇 基督 磔刑の 受 と 同じ ものになる でせ 

う。 人間の 魂 は 基督が 夢み た 以上に、 美しい、 一 潔な, また 偉大な も S でせ う。 

私 は 繰返して 申します, 私達 は それ を 理解し 得ない 程 も 一 切の 事件に 近く 居 過ぎる の だと。 

若し 私達が 基 と 同時代に 住んで ゐた としたら、 何にも 分らな? つたで せう。 私達 はみ 寸 ほいし い., "カ子 達に 附き 

纏 はれた 一 人の 平凡な 人間 を 見た ことで せラ, そして 十字 i 々上の 彼の 悶死 は、 隙套な 2!^ 後の 如く 私達に は 見えた で 

せう。 

併し乍ら • 精神的 &; 理は 全く 表裏ではありませんでした か。 

兹に 面り 遂行され てるる 事 I. ぶの 精神的 褒理、 私 は その 輝く 幻影 を 遠く 將來 に. ゅ于 t 見る。 ベ 」, トォ フェン 、二.,' チェ、 

それから ヲ オルト • ネ并. ット マ ンの豫 言 は資? ^される であり ませう。 〇〇〇〇〇〇 呱呱 の^を 舉 ゆた 解放の 大?: il に 引 

寄せられて、 全人 類 は 兄: Is- になる でせ う」 

私の 魂. か 受取. つた、 〇〇〇〇〇〇〇〇〇 煙の や-つに 立: 上る 豫賈 の聲が 私に 手渡した 傳首 は, W 上の 通りです。 

私が 貴下に 傳 へよ ラと 思った 宣託 は、 以上の 通りです。 

た ^- 世 Isspoiy^ め 1 致閣 結が あるば かりです • ただ 未来の 文 朋を捥 護し 得る ラ ン テ.. ルナ シォナ アルが あるの み 



.10 



. ^由 人 J 病中の レ 一一 ン と 

.£!t?j 彼の 最近の 一 一 論文 

V 一一 ン の病氣 や、. 暗殺 やにつ. いて tl、 今まで?!?.;.: ちに 幾度 欺 

かれた-かわ からな; >o しかし 彼の 死, みや 重^ 說ゃ ; へる: 

と-. If* つて、 プヤ ゲョ ァの^ 新? かそ リ信 用., r 公^の 前にお 

^し、 そし ズ それが ゲ ^ ゲ ョァ のため^ 合. 機^で, めろ、、 さ 

*^ 證^ 立 乂た點 において 幾 i 乂か間 かされ;" レ 二 ンにっ い て 

の ii 報む, 决 して 無駄 事で はな かつれ ので わろ。 それにして 

も 今度の レ 一一 ン 病..: 說:; .: け は、 プ^-ジョァ新閱だけではなく 

て 社會. お 一 の? S 新 照 も、 或は 共產 主,^ の ff" 新 問 も 報 迸し V- ねろ 

のでお るから 全^ 無根 摅 であろ VJ いふ わけで はな い。 卞マ シ 

づが この 五お に.? ス コ ゥの勞 兵食で * 報告した ヾ るに よ K- 

く レ -ー シ^-病氣の,源は、 一 九 一八 年に 彼が 兇^から i 砝 はれ 

こ >」 がわつ V: が、 その 際 彼 り體 内に 射 込まれ. 1 つ の彈丸 

である その 彈丸. 今年の^ 手術して 拔き W つた i の、、 ミ 

で、 且つ セ マ ;ソ コ の 報告 LL£, る W 手術 设の經 過 は 真 好で、 今年 

の 五月に は、 彼 國務^ ド-る LL 差 支の ない 健康 體 にえ で间復 

W のニミ である。 それが、、 の 頃に なって まれく^ 病說 



が^ へられて き;^ ので わろ 21- して m, 病で あろ かどう か、 え 

た 例の プ-ゲ ゾョァ り 「1-^?;^1雜報」 なの. で わ- C か、.,;. 少 

..>待ってねろのほ^^はなぃひ 



昨年 4- 1 月の D シ ャ革 命紀念 祭 は、 いさ-, \ なや 5 味で 重 

要な 意義の ある 紀念 祭で, あった。 一 つに は D シ ャ 革命が、 ボ 

ル シ ェ ヴ并キ の 手に 移って から 四ケ 年の 間- ボ ル シ ェ ヴ井 

キ の 描 力が 微動 だ もしなかった, V いふ ことで あ る ひ 資本 主 

^の 諸國 家が、 西から 東から、 相呼應 して. この 無產 國の • 

芽生え を無殘 にも 踏みに ぢ らう とした. あら ゆる 努力、 陰 

0. M0r 戰爭が 仕向けられた にも か、 わらす、 よく 時局 

の 艱難に 堪えて, 內には 無知な 口 シャの 農民 や、 若しくは 

反革命の 各種の 續き 起る 運動と 戦 ひながら、 よく その 政權 

を 維持した ことの 記錄 として • 私たち は ロシャ 十一月 革命 

の 四 年の 紀念祭 を 見ろ ことができ るからで ある" レニ ンが 

この 革命 紀念 のた. めに 發 表した 二つの 論文 一口 シ ャ革 

命 四周 年紀 今ん 日」 (N. JLeuiii * Ztiin vlel.teu Jahrestag der 

riische Kcvoh 一 tig) と 「現在 及社會 主義の 完全なる 勝 秤 

の 後に おける 金の 意-袋に 就て」 (N, Leiii ョ Ueber ilie 



wede 一一 ti ヨ^ des Goldoa jetzt imd iiach dsn vollen* siege 

t ? zialissus) は、 以上の j 一 つのな ) 味に おいて、 口 シ ャ* 

ボ ル ,ン ヱ ヴ并キ 革 4 叩の 第 四周 年が 産み出した c;§f も 代表的な 

^神と 理論と である。 



「われく が 今日の 偉大な 日から 遠ざかれば 遠ざかる ほど 

いよく a シ ャ における 無 產者階 核の^ 命の 意義が 明らか 

となり., 總括 的に わ れ くの 勞働 の赏際 上の 經驗 をい よ 

深く 考 へ る ことと なる であらう pj レ 二 ン は その 「口 シ 

ャぉ 4 叩 四 週 年紀念 日」 の 胃 頭に こう 寄き 初める。 

レ -1 ンに從 へば シャ 革命の ®i5 と 經驗と は |§ 玄す るに 次 

のよう な點 L4 歸着 する。 彼 曰く ロシ ャ革 (叩の 直接: q 一つ 近接 

の 職分 は ブルダ ョァ 民主的 職分であった。 中 世紀の^ 物 を 

廢し、 ロシャ からか-. る ^蠻, か i ろ 恥 奪 を 消 減 させて、 

各々 の 文化と 各々 の 改良との 障碍 を $w 除す る ことであった 

と 

また 曰く、 われく はこの 掃除 を、 百 二十 五 年 前の フラ 

ンス 革命よりも もっと 決定的に、 迅 一 ^に、 大膽に 、有効に、 

廣大に 且つ、 傑く 成, しと, tL た、 A と を 誇る々 き權利 を, もってる 



ろ もので あら。 :.: ... ..; われ/、 は りブ ルダョ ァ!^ 主 主 暴 

^命 を 終 :15 にまで 成就した ので あ ると。 - 

レ 二 ン-は 口 シ ャ 革命の 最初の I 業と 意義と を营 にかくの 

ごとくに 解して るるので ある。 即ち そ れを もって ブ ルダョ 

ァ 民主 主-; 革命であった し、 また ブ ルヂ ョ ァ民主 主義 草 命 

を 最後まで i 一^ 成した と- J ろに ロシャ • ボルシェ ゥ并キ 革命 

の 第 1 に 誇る ベ き點か あると いふので- ろて ある C 

それなら ブル NK ョ ァ芪主主^!^?革命とは何を意味するか?. 

レ 二 、ン に從 へば そ は 中^ 紀の 遺物、 奴隸 制度、 封建主義 か 

ら圃の 社 會關係 (秩序、 制 良 を淸 める ことで あろ。 .i? つ 

と 具? S 的に いふと 〇〇 や、 階級 制 や、 土地 所有 や、 土地 使. 

用 や、 嫌 人の 地位 や、 宗:^ や、 民族性の 藤 迫 や、 これ 等の 

ものの 大掃除 をす る こと を, 即ち 封建主義への 「ァゥ ギア 

スシテ ルレ」 を: 行す る ことなの であろ。 

彼 曰く. ホル シ ェ,. ゥ并 土-は その 政 權を掌 握して から 一 週 Si 

に、 卽ち 一九 一 七 年 十 一 月 七日から^ 年 一 月 五日の 法會 

議 解散に 至ろ までに、 ブ ル ヂ 37 民主 一 主義 者 ( 力 デト) や、 

小 ブル.. チヨ ァ民主 主義者 (メ ンシェ ヴ井キ 及び 社會 革命 

0^ の 八 ヶ月の. 治よりも 千 悟も餘 計に、 この太!^"|除をな 

しと ゆた ので あると 




しかし レ 二 ンはボ ルシェ ヴ并ヰ 革命が 單 なる ブ ル. チヨ ァ 

民主主義 革命で あろ ことに 満足して るない こと は 勿: i であ 

ろ。 彼のい はんとす ると ころ は、 &シャ 革命の 目標が ブル 

, チヨ ァ 民主主義 革命に あると:; ふので はなくて、 その 革へ? 

の 直接の 職分が プ ル ジョァ 民主 主"?^ 革命であった とい ふの 

である。 

彼に 從 へ ばブ ル ジ ョ, ァ 民主主義 革命の 成果 を 保障す るた 

めに は ー步を 進めねば ならぬ。 卽ち この ブ ルダ ョ ァ^i^主主 

義 革命 を 「主なる 且 根本的な 「フ P レ タリ ャ 革命の 「副產 物」 

として 考ぉ A しなくて、 はならぬ U われく は 常にい ふ. 改革と 

は^^命約階級^爭の副產物でぁると。 ブル >K ョァ 民主主義 

的 改革 は—!, わ; :...^ が 常に 言 ひんし^ 行に よって 知って 

もめた —— プ ロレ タゾ ャ 即ち 社 <P 主 i ま 的 革命の 副産物で あ 

ると。 (Ilt-IO 一. lm-1 一, sagteii >vir i ミヨ 5,, siii 一 I elm Nebellpl.cdLlktJ 

des l.evol--tl=lliil.、.:-】l Klasserjkulllpfs. .Bilrgerliclxlemoklat- 

lache Kefo 二-一一 n—tag.te】l i ョニ メ viese-1 メ vir (11 一一 -ch f 一 ie Tat, 

f siiiil cin Kebeul)roduk.t Jtjs re \. (ュ lit- Hi 一- 21 dy 一 * prolcjt- 

lu.:15h£r d.h- t s)Nlali8tiscllel- Revoliit 一 カウ ツキ l 



や、 ヒル フェルデ イノ, クゃ、 マルトフ や 、チェルノフ や * ヒ 

ル牛 fN トゃ、 ロンゲ— や、 マク ドウ ナ ルド や、 チ ユラ チ ー 

やその 他の 第 一 ーネ 1 ンタ ナショナル の 諸君 は- > のブ ル. チヨ 

ァ 民主主^ 革ム 叩し」 ブ 口 レ ク リャ; 革へ 叩との におけ 

る, 】 の 種の 交互^ 係な 理解す る ことができな いので ある. 

,:1 者 は 後者の うち に 生れる. - . 經過 のうち に前^!^の^? 

^を 決定す る。 後者 は 者の f(s ヶ?; 14 固に する" レ ニン は 

こ. フ いって .0 るので ある" , 

レ -ー ン はこのへ 1 文の 最後で、 でン ャ共產 政- 府の 經濟 政策. 

に 論及して ゐる。 そ は 今日まで 繰返して. 11 じてきた ところ 

でも あり, 且つ 彼が 「個人的 利益」 の必 ij- を說 いたり、 若 

しく は 「われ/、 は 何よりも 第一 に 且つ 如 何 なら 愤を拂 つ 

て も 生產を 高め る , 】 と を 成 就し な くて はならぬ ovir 

llli.lsseu vor -llem iimi 111- 15121 Preis the Hebii 一 Ig 

dtjl- prcd-ktioll errcichcll.) と 論じて fo ろ あたり は、 彼の 

ボルシェ ヴ并 ズ ム が 木 一: だ 的に 日和:!:^ 化する ことの 止む 

なき 察您 と、 その lEf. 您の獨 裁 措の ものに ボ ル シ H. ゥ并ズ ム 

の 日和見 化の 事 實を 3 取 も 雄辨に る ものである。 がし かし 



彼が この 論文の 最後で 説いて るるよう に, (寧ろ 訴へ てるる 

ように) 貧困, 飢餓、 袞 額. —— 過渡期に おける 苦 惱の如 

. 何に 艱難な もので あるか は • 彼の 凡ての 故が、 同情の 眼で 

見なくて はならない ところで ある 0( 註 一 > 

五 

レ 二. ンの 日和見 的 轉回は 「現在 及び 社會 主義の 完全なる 

勝利の 後に おける 金の 意義に ついて」 の 論文の うらで • 一 

^卒直に 述べて ゐる。 彼 曰く、 この 大 革命 を紀念 する 最善 

の 方法 は、 それが 尙ほ 解決し ない SI 超に 目 ざす こと-じあ 

る。 就中 時機に 適し 且つ 必要な こと は、 革命が まだ 解決し 

ない 【根本?^|8」 が 存在す る 時に、 そして 人々 が これ 等の 

問題の 解決に 對 して^ 等 か 新ら しい こと (從, ; 1 の 例の @- 地 

からして 新しい こと) を舉 なばなくて はならぬ。 新ら しい 

ことと はわれ/、 の 革命が 目下 その 經濟的 建設の 根本 問題 

において 「改革 的,」 漸進的、 慎重. 热慮 的な 迂 il 方法への 必 

要 を 把握す る ことで ある。 卽ちレ 一一 ンは その 革命 紀念 祭に 

^ おいて. 共 產主藥 の 「新 方針」 (Neuoricntierlmg) 理解す る 

. ことの 必要 を先づ 說 いて ゐ るので ある。 



ところが この 「改革 的」 へと 「新 方向」 をと つて 進む こ 

と は、 レニ ン にとっては「立場の放棄」(>-11.^,ミ15- t POS- 

itislen) でもな く、 「被產 の 白狀」 (Eingestmlntlis 二 es 

e-lfellen Banlcrotts) でも, また それ 二 類,:^ 力 こと でら な 

い。 そして ボルシェ ヴサキ の 敵と しての 「:1IJ 建 主義者から 

ノン シェ ゥ 并キ」 までの 諸黨 派が この 問题 について 一 致の 

愁度 をと つて ゐる こと は * た 二れ 等の 諸政 黨がブ ロレ タ 

リ ャ 革命に 而 して *( ヱ ン ゲル スが 一 八 七 S 年 及び 一 八 八 四 

年に ベ— ベ ル への 手紙のう ちで いって ゐ ると ほりに) 一 つ 

の 反 的 群衆」 となる ことの 證據 であろ に過ぎないの であ 

ると 

六 

レ 二 、> は續 いてい ふ、 一九二 一 年の 初めに 至る までの 三 

ケ年 問に おける 彼等の 活動の 計 劃 (方法 及 制度) は、 大工 

業 を 改造し、 それの 農民? 一 I 業との 直接 交換 を 導き、 そして 

同時に それの 社會 化. を實 現す る こ と を 望んだ ことで あつ 

た。 大工 I の 改造の ために, われく は 農 から、 强制徴 

發の 方法に よって、 <^糧 と 原料-と を 取り 上 ゆる こと- ゲ 望ん 

だので ある。 この, > と は 新ら し い 社會的 及び 經濟的 秩序 を 



もって 代, える ために,; 舌る き 狀懋を 直接 且つ 完全に 絕 威す 

るの^ 味で、, 」 つの 革命的 方法であった ので ある。 ぞ、; : が 

1 ざ 二 年の 初め 以來 、この 制度, この 方法、 この 取扱 方 

法に 代える に、 全く 異っ たも, の、 革命的 性質の 活動 制度 を 

もってする こと X なった ので ある" - われく は 古る き社會 

的 及び 經濟的 秩序、 商業、 小 經濟、 小 企 *r 資本主義 を こ 

の. フへ 破壊す る こ を 欲すろ のでな く、 却って それ を 慎重 

且つ 漸進的に われ/、. が 掌握す るか、 若しくは それの 再 輿 

の 割合に 從 つて だけ、 國家的 管理の もとに 置く ことの 可能 

を 支持しょう とすろ ので あ な。 

だから 「以前の 革命的 破 壌に 比べて この 戰術は 改革 的で 

ある」 (Im Vergleich ziir fruleren,rev01uti0111il.ell Eiusr 

! ellun^ ist diese Taktik reforlaiscll.) レ 二 ン はこうい つて 

るるので ある。 

しかし それ はレ -1 ンに從 へば 革命の 誤謬であった ことの 

承認で もない し * また 革命的 方法の 失敗 か 吟味され た 後に 

改革 的 方法に 宗旨 變 へ をした とい ふの 意味で もな に 

レ 二 ンに從 へば、 眞 正の 革命家 は、 革命に 醉 ふて、 若し 

「偉大な ろ 勝ち誇れる 國際 的.』 革命が、 如何なる 狀 態、 如何 

なる 接 所に おいても、 無條 件に その 凡ての 問 超 を 革命的 手 



1^ を もって 解诀 す.^、 >と のでき ろ もので あり, またそう し 

なくて はならぬ ものと 決めて かト VJ すれば、 た5- 威 落 ある 

ばかりで ある。 

七 

レ 二 ンに從 へば、 ロシャ 革命が 完全に なしと ゆて きたの 

は ブル. チヨ ァ 民主主義 的 方面で あるが、 それの ブ ロレ タリ 

ャ的" 即ち 社會 主義 的の 仕事 は 三つの • ぶ 項に 分れる。 

1 ノ 帝國 主義 的 世界 戰爭 からの 革命的^ 返 (Gas revolut- 

ioniil-e Ai 一 ssclieiJeii aus deui i ョ penalistisclieu 一 Vel 

二、 無產者 階級 li 裁 政治の 實 R?^ 形式で ある ソヴ并 ヱ ット 

濱 力の 割适 (ユー ® scllaii.ung cler f-owjetmacht, CJ©r 

verwirklichslgsfonu del. proleta 一 .iscllen Diktatur 、一 

三、 社酋 主義 抉 序の 基礎の 經濟的 建設 012- さ irtscbaft. 

licheAuf bau der Grundlagen der oi dnuuG 

の 三 項目が これで ある。 このうち 第 一 項目 は 完全に なしと 

ゆた" 第二の 項目 は/つの 中道に ある。 即ち ^ブル^^^ョァ民 

主 主義 的 議<1 曰 主義の 時代が 終り を告 ゆ、 世界 歴史の 新 章、 

プ ロレ タリ ャ 獨薮攻 治の 時代が 始まった ので ある。」 かソグ 



弁ェ ット權 力と ブ 口 レ タリ ャ li 裁 政治の 凡ての 杉 體の終 

的完成はた^-世界各國一 列の让^5$<でぁって> ー國 たけ^ 達 

される もので ない り ロシ ャで はまた この 點に ついて 完成 さ 

れな いもの • か 甚だ. 滞 山に ある。 一二の. is" 目に ついては r 最 

,も, な こと * 最も 主 な こと は * ま-た 終結され てゐ ない 

ので あろ。 それ は尙ほ 依然 ロシ ャ 革命の キ-; §|< 任務で ある。 

そ I て, てれ は 理論 上から も 1^ 際 上から も. 若しくは ロシ ャ* 

ソグ并 ヱ ット 社會主 、綾 聯合 共和 國の 立? から もィ ン タナシ 

ョ ナ ルの立 接から もそう なので あ る。 

八 

そこで 困難な の はこの 「最も 主要な こと」 を 如: 1: にして 

完成す るかの 過渡的 形 能-のう へに あるか、 レ 二 ンに從 へば 

「.§ 業 は、 ブ ロレ タリ ャ國 權, 指導 的共產 嫁が 全力 を舉け 

て 固めなくて はならない、 一九二 一 年から ニニ 年へ かけて 

の われ/ \ の社會 主義 的 建設 事業の 過 的 形態に おける, 

事件の 歴 的連鎮 中の そ^ 鎖 環な ので ある o」 そして 若し こ. 

の 鎖 環 さへ 充分に 固める ことができさ へ すれば 近き 將來に 

お-いて 全連鎮 を 安全に する こも が で. き るが , で な いと 社會 

ま義 的、 食 f 的 関係の 根本 を! 5t/ 設 すろ こと はでき な-い 



レ 二 ン はいふ、 この 革命に 對 すろ 1 の il 係 はた ャ卜 

クス主 一 f の 立場から しての み 正 (。s 且つ 充分に 孝醉 すろ こと 

がで きる。 卽ち f 改革 はブ 口 レ タリ ャの 革へ? 的 階級 鬮爭の 

副産物で あろ C 凡ての 資本主義 的 世界に とって、 この 関係 

は 革命的 ブ 口 レ タリ ャ的戰 術の 根本で あり,」 そして 第一 一 及 

び 第 一 一半く ンタ ナショナルが 牽强附 まし 且つ 暖昧 にした ァ 

!• ベ —• ツエ —であろ。 「 一 國 たけに お いての ブ ロレ タリ ァ 

1 トの 勝利の 後に は 革命に 對 する 改革の 關係 において 何等 

か 新ら しい ことが 踏み 進む。」 そ は マ ー クス は 先 35^ すろ こと 

はでき なかった が、 マ ー クス 主義の 哲學 及び 政治 學の 基礎 

から 明瞭に すろ ことができろ ところで あろ。 

レ 二 ンは 彼等の 政策が 5i 家^ 本 丄義へ 退却した こと を 承 

認 する。 彼 曰く, われ,.'、 は國家 一お 本 i_ 我に 退却した と。 

しかし この 退却 は、 レ 二 ンに從 へば、 一 つの 「力の-貯蓄」 

(KJ.Il.f.te V2. rat X しある? K5 

(註 二) Kussische Korr め sllondellz. Nr. Iw, 980«。84 

九 

ロシャ 革命が r 力の 貯 fHaj の 時に 入って ゐ. ると いはれ て 



rO る 時に • 他の:; iin 葉で いふと, 日和兒主^^ぉの時に入ってる 

C" る^に, (レ 二 ンと、 その 崇拜 者と にい はせ ると::: 和 見 主^ 

と は 根本的に 達って ゐる いふで あらう が) レ -U ン の病氣 

も、 また 死への 道でなくて, 單 なる 「力の 貯蓄」 である こ 

と を 望む ものである U (室 伏 高 信).., 

獄中の ガン ヂ 

ガ ン デは今 ま 人 獄中で あるが 獄中の 彼 は 一 一つの 監房 を與 

へられて ゐ る。 一 つ は晝、 一 つ は 夜の 室で ある.. ,て. して 掌 

大の 空地が 彼の 運動の ために 與 へられて ゐる。 彼 は 彼の 入 

gl 前に 常用して ゐた飮 食、 即ち 山羊の 乳、 パ ン、 ォレ ン.. チ、 

レモン、 砂糖 * 茶 及び 乾葡萄 を 供給され てゐ る" 彼 は 彼の 

望み ど ほり 1 片の 着物 を 着て るる。 そして。 彼 は 獄吏に 對. 

して- 幾度 か、 自分 はこの 取扱 ひに 満足な 旨 を 語った との 

ことで ある。 

しかし この 取扱 方 は、 どうい ふわけ か 他の 政治犯 人から 

見る と遙に 窮窟な ものである。 卽ちパ ンデ ヤップの ラチパ 

ット • ライ は 自分自身の コ ップと 皿との 使用 を 許容され て 

ゐ るし, また 彼 自身の 寢具を も 許る されて るる" その 5 へ 

書物 や 新 ir か 供 袷 さ れ もし * 可成" 度々 人 をり,; 見す る こと 



も 許されて るるので あるが、 ガ ン *チ はた 三 ヶ月に 1 囘の 

面會を 許る されて ろろ だけで, 書物 も 彼の 信仰す ろ 一、 二 

の 外に は 手に すろ こと を禁ん せられて るるので ある C 從 

つて 彼 は 殆んど 全く 世界 力ら 離されて るるので ある。 

が ンダが 入獄して から 印度 は 火の 消えた ようで ある。 非 

協同 派の 運動 も、 、ガ ン. ヂ は後仟 is^ 者 を 指,, しなかった た 

め に 今 は 指 無しで あ る。 しかし そ れ は 印度 革命運動の 

終り を 意味す ろので はなしに、 印度 革命の 沈默 の^ 化 を 意 

味す るで あら- フ。 f > の 間に も マ ラビア は英國 官憲と 惡戰し 

ながら 全國 行脚の 旅 を つ^けて るる C 

ガン チの息 、 . 、チ ュ ウダ スは、 五月 十一 一日 铺 縛され た。 

次 號豫吿 

^ W 一柳 政夫譯 

§ 無水 著 無 政. 共產主 の 根本 批 If^ (下 出 書店) 

林 <r ^未 夫 著 產業 民主々 義運動 へ 同人 针 •Ifioffio 



37 



ジ アン .ジ ヨレス の 死 

一枚の 古い 新 か、 机 上に S かれて ゐる, - 俊 は それ を 3- ている。 せ;、 の莉 は m 、が t に 成って いる。 黑 枠の 巾に 黑枠 

の {3| 魔が あ 6。 偕大な 人物 を 思 はせ る 樣な寫 肌〕 新閒 は. リ* ユマ ニテ、 そして、 其の 3- 山 H し は 「ジァ ン*ジ ョ レ ス 1" 

殺さる。」 一 九 一 四 年、 土曜 • 八月 一 日。 

其の 夜 は 暑かった。 地球の 上に、 或る 何物 かが、 sa つて 來さ うな 暑さであった。 僕 は 其の 夜 を 忘れる 事 は 出来ない。 

今から 七 年 前の 七月 三十 一 日の 夜。 

今から 七 年 前の 七月 三十 1 日の 夜、 ジ アン • ジョン ス は- こうして 喑 殺された。 無智な、 熱狂した 愛國 者の 手で。 

未た 八 時には 成らなかった。 ジョ ン スは * 社 (ュ マ 一一 テ社) へ歸 つて 來た。 彼 は 院内 社會黨 を 代表して、 時の 内 閣議 

長ル, ネ*ヴ.1 ゲイ ァ- 一氏 を 訪問して 來 たのであった。 ルノ I デルと ロンゲが 彼に 伴 をして。 ジ ヨレス は營業 部の 係の 

フィリップ • ランドリュ や、 二三の.; 5^ と 立 話 をした。 彼 は 未だ タ飯 をす まさなかった。 そして 仕事 は 後から後から、 

ひっきり 無しに 出て 來た。 

. 11 飯に しゃ 5 ぢ やない か。 • 

と 一 人が 云った-。 

I ぢゃ 行か、? ••: ..:: 

- 皆が, ユマ 一一 テ 社の すぐ 傍に ある、 レストラン • デュ • クロ 7 サンに 出かけた。 其の 這 入め 口の 左手に、 大きな ヲ! 

ブルが あった。 皆 は 其 處に座 を 取った。 ジョ レ スの 右に ラン ドリ ュ * 左に ル ノ —デル。 それ かち 此の トラジックな 

卓に は . ネア ソン と 其の 妻. 7 メデ *デ ュ ノア、 デュク ,ケ ルレ, ダニエル • ルヌ 兄弟、 ジョ ルジュ っゥ エル、 モリス • ベ 



\ケ. ^ぶ、., y ハ-. それ か, ら- ジ. ァ itvl.fvi ゲが 居た。 そ, れ から; K の 遠くの、 他の テ に フルに、 ボン ネ,ル —ジ ュ 社の ドリ ェと其 

の 若.;, 妻が 座 々占めて. いた ズ- , 

レス トラ、, • デュ • クロ, アツ サン はノ 人の 出入が 烈しい 料理店で い 始終 客が 出たり, 這 入ったり して 居た ので、 誰も 人 

の 出入に 注意 を拂 はなかった? 

ジョン スは透 通った, 底力の ある で 話 をして いた。 ジョン ス は、 政治 部の デュノアと * ダニエル • ルヌ に- それ 

<\» 指 圆を與 へて ゐ たのであった .0 ジョレ スの、 あの やさしい 聲 での 指 圖 は, 聞いた 人で なければ 分らない。 

皆 は 食事 を 終へ た。 丁度 其の 時- 向 ひの テ ー ブル、 の ドリ ヱが 立って 來て、 色取りの 寫虞を ランドリュに 示して 云つ 

た。 

11 君 見た まへ、 僕の 娘 だよ 。- 

—— ドレ 見せて 貰 はふ か。 

と、 人の 善い 微笑 をた、 へて、 ジョレ スが云 ふので あった。 

ジ ヨレス は、 ぼ 典 を 手に した。 しばらくせ、 れを 眺めた。 子供の 年齢 をた すねて、 それから その 若い 父に 御 愛 ILW を 振 

り まくの だった。 

十^ 二十 分 前 頃であった らふ か。 

其の 時 突 燃 —— 何と 云ふ慯 ま. しい 思 出で あらう 11 ニ發の 銃? St が 韈ぎ早 やに 饗 いた。 

硝煙の 臭が 人々 の 森み- 衝 いた。 女 は 叫んだ。 恐し ぃ聲 で. ジ ヨレスが ャ ラレた。 ジ ヨレスが ャ ラレた、 と。 

ジ ヨレスの、 あの 大きな 身體 は、 大木 か 切り倒された 樣に、 左 を 下に、 うちころ ゆた。 そして, 人々 は 立上り、 叫 

びながら. 又 身體々 til. 的に 震 はせ ながら^り 寄った。 其の 時 は 明らかに • 狠狠と 混" 3^ の 瞬 問であった。 二三の 人々 

が 外へ 1^ び 出した。 何故と 云 ふに 、窓越しに * 外から ジ ョ レ ス目 がけて 一 一 發のビ ス トル を 紫ち 放した のだった から-た、, 

ジョレ スは 1^ 掛の 上に 倒レに 成った" 彼 は、 やっと、 微かに t. 吸 をして るた、" 彼の 眼 は 灰色の 眉毛の 下に. 堅く 閉 



られ た。 人々 は 夢中の 有 だった。 

ジ ヨレスの 呼吸 は, 直ぐに は絕 えなかった。 者の 來 るの を 待つ 間に、 丁度 其 處へ盒 事に 來て 居に 【人の 薬劑師 がま 

よって 來 て. ジ ヨレスの 手 を 取り- 將た絕 えんと する 彼の 脉を數 へた。 そして 頭 を 少し 動かして 見た。 それから 人々 

は、, やっと 彼の シャツ を ひろけ た。 胸 は 微かに 鼓動して いた。 皆 は 彼 S 身 體をテ —ブルの 上に 乘 せた。 コムべ |ル* 

モ レ ルが騮 けつけ て來 て- モウ 死ん.: fi も 同 樣な手 を 取って * 聲を舉 ゆて 泣いて 居た。 

ル ノ I デル は、 手許の ナブ キンで 傷口から 滴れて いで 血 を 押へ た。 極く 小さい 4- い 穴が、 頭 骸骨の 後に a えた,。 そし 

て 其の あたりに、 少しば かり 白い ものが ついていた。 

. ! 皆さん、 ド I モ 駄目な 樣 です。 - 

と投 ゆろ 樣 にほ者 は 云った。 

限り無く 溢れ て^る 淚に, 皆の 咽喉 はふ さがって し.^ 6 つた。 

. I もう 駄目 だって? せ、 麼 事が ある..、 のか。 この 偉大な 生命が. 水久に 倒れる 事が ある 害の もの か。 

二分。 三分。. と 時は經 つて 行った。 

』 1 皆さん 。ジ ヨレス はなくな りました。 

努力し で 押へ て 居た Il^st.s 枷が 切れた 。皆 は 息 を 引き取った 此の 偉大なる 人に 最後の 敬禮 をし やうと 帽子 を 取った。 

宗敎 的な 沈默 一 . : , 

— それにしても 社へ 歸ら なきや ならない" - —— と 一人が 思 ひ 出した 樣に 云つ.;!。 

新聞 はいつ もの 時間 通りに 出さ なきや ならな いんだ。 ジョレ スが 生きて 居た 時の 樣に 

僕 は 古い 新閒を 讚んで ゐろ。 . . - 

新閉は 古い。.,?. >>ん 思 ひ, 出お 新 ふい.^ $5 呲れへ J^t ^年 前の IB!^ 樣には 思、 な い。 どうしても 昨 n: の樣 にし か? ^ へ な 



いり ド i。 社 今, キ-義 者、、. 平和主義者 ジ ョ レ スは、 民衆の 仇 欹* 資本主義の 擁護 者の * 熱狂した 一 愛^者の 手に 依って IB 

.. や 一, 殺され.; -0 ジ ヨレス は.、、 嗒投 された。 資本主義が 杯 在して 1© ゐ間 は、 國 主義の 戰爭は 永久に 存在す るで あら ふ。 そ 

一 して 幾多の 國々 に 於て, 偉大な-る 「歴^の 流れ」 を戾 さんと する 痴漢の 手で * 幾多の ジ アン たシ ヨレスが 殺される であ 

らラ 。絶大な^ 想 を 胸に 抱て • 憤 値 あろ 功績の 果實も 見す に、 永遠の 恨 を吞ん で。 

そ. Jrv 僕の よ 今 1 度黑 枠の ジァ- ン* ジョレ スの 寫眞の 上に 落ちた o( 小牧近 江) 



露國 飢饉 救濟金 募集 

一 • 本社 は 左の 方法に i り、 14 國肌饉 救 

濟金 vss します。 奮って 翻 接 助ん 頼 ひま 

す 

一 、 金額に は 制限 はわり ませ so 勿論 多 

いに 越し;:: ミ はない が、 十錢 二十 錢の少 

«s で. t 構 ひ まぜ c:。 

一 、 送金 は 成る ベく 振替 (又は 都便爲 

にて 本肚 に御拂 込み V ^願^ます。 少額の 場 

合 は郵使 切手 (五 腐 切手に K る) でも 差 支 

へ わ リょぜ so 

I、 御 寄附に 對 して は、 受银 書.^ 差 出す 



か、 又は 誌上で 報告^し. i す。 姓名の 公表 

^揮ら れ h; 場合 は 匿名、, 又は 其 由 御 附記 

. ^穎 ひよ す。 

一、 寄附 は 個人ても して *• 構 ひ 

まぜ 

一 、 $ ^まった 金額 は 便 宣の爲 め、 大規模 

に US 國教濟 資金 や 物資の 寡 集.^ してね ろ 外 

國 の確實 な機闢 (例へ, は 米國の 『勞農 露 西 

E1 友人 會 j 等の 如 さ) に 寄贈す る、 一 >、。 

東 京大 森 U? 井 宿」 W S は 

«替 東京 五 四 七 七 七 ,>g *w ns 



國家 學說と 社- 



加 田 哲ニ著 

本書 は 四 六^ 五 五 〇 更から 成 7 立つ 大册 

でもろ。 內 Jr<j3 は 四 編に へ 刀れ て 居る が, その 

全部 は |g 立の 論文で む わり、 えた 一 體 糸な 

たしても. Q 水喾は罔氏が最近ニ年間に 

諸^?_§上に游表.^られた謫文菓でゎる0 故に 

各論の間に重複する。^;もぁるが> 第! 編 は 

「マ^クス主義の 闺家? g」 第二 編 は 「ギ. ^ド 

會主 その 國家 說」 第三 編 は 「無政府 

主義の 諸 1? 頸」 第 四編 は 「現代 經濟 生活の 

W 判」 等 合ぜて 十六の 論文 含む で, Q る。 

、、れ i 寺の 諸 論に 「はしがき」 Li^ いて V? 

る 如く 「i" んど^ 介で わろ。」 マ,. その i? に 

加 田 氏の 國家觀 V 社 會觀に 充分に 現にれ て 

ねろ。 加 田 氏に 二三 年 前よ リ rr 虹會」 £ た 

は r 闺家」 の 問題に 就い V 、の 究家 さ. して 

汎く 認められて -Q-oo 本^ば 同氏の ほ、 わ 想, ど 

知る うへ にも、 社會 問^ や >v ^研究す . 

れめ にも、 是非 一 讚し なく ズ は-: ら《0( 下 

は 書店 玉 玉 OS 定煩 I、 K 、生) 



自由 敎 育の 目的論 的 一 見解 

一、 自由 敎 育の 槪觀 

自由^ 育と は 何で あろ か。 これ を 1 言に 要約して みるなら T 深く 批 判 哲舉に 泉み、 遠く 理想主義の 流に 汲ん た、 個 

,人的に淵しては人^^惜爐の富現となり、 社會 的に 堪 へて は 文化 國家の 思潮と なり、 これが 方法 的に は 自學と 自治の 一 一 

つの, 帆を揚 けて、 自覺と 呼び 自律と 名 づける 自由によ つて、 常に 達しつ. * しかも 永久に 達する ことので きない 自由の 

. 港へ、 敎宵 を舟濟 がう とする」 ものな ので ある。 

批判的 敎育舉 の SIg! であるから- 大きく 自然主義に 反對 し、 少 さく 霄用主 穀の敎 育に 對立 せんとす る 理想 主穀 的の 

主張で あり, 個人的 育學 とか 社會的 敎育學 とか- 兩面を 包容す ろ 思想で ある。 しかして 自由, f:^ て敎育 S. 目的; i を 

樹て、 自. £ を 以て 敎 育の 方法 を 築かう とする 試みで ある。 自由 は敎 育の 目的で あると ともに 方法で ある。 自覺の 力に 

信賴 して 自由に 自我 を 創造せ しむる 即ち 自由 を 自由に 實理 せし むる こと、 換 一;; in すれば 知に 於て 行に 於て 趣味に 於て 信 

仰に 於て- 人格 惜 ig ^自由 實現を 期す る ものである" 人格 價 値の 實現. は 文化で あるから- 社會 的に は 文化 價值 の不斷 

創造と 觀る ことができ るので ある" 敎育 方法 上から は舉 習に は 自學主 採"、 訓練に は 自治 主载に 則る ことにな 

, るので ある。 何と なれば. P 擧と 自治と は その 統 一 原理た ろ自 ^ からのみ 生れる からで あろ 自已 舉? 5: 上の 自由 か 自學で 

自已 訓練 上の 自由が 自治で ある はすで ある。 從來の 自舉自 おは Saf に 方法 上からの み 主張せられ たから、 その 根 抵が危 か 

つたが、 自由 敎 育に 至って 自擧 主義 や 自治 主義 は 目的論 上 か, つ. 演釋 せらる. ^根強い 基礎 を 持つ ことにな つたので ある。 

1 1、 自由 ど は何ぞ 

b 由と は 何で あるか。 「理性の 必然性に 基いて 多種 多樣な 意識 現象 を 統一 する 活動、 即ち 多 の 先 驗的踪 合の 活動の 



42 



體驗的 意議ノ これが 自由の 意議 である。 自由 は 無 原因の 偶然で もな く 器械 的 必然で もない。 理性の 統一 活動が 自由で 

あるから、 自由 は 自由であって 伺 時に また 必然で あると いひうる。」 人 は 理想の 寳現を その 本分と すべき 存在と して 自 

由の St 念に よって 統 整せられ つ、 ある ものである" - 人 は 自然 的 存在者と して 見れば 動物 や 植物と 等しく、 自然 的 因果 

: としての 1 の所產 であるに と r まろが、 自由の 方面から 跳め る なれば 實に 理想の 寳現 者で あり * 已の 行動の 支配者で 

ある たと ひ 行動 か 外部 的剌戟 によって 起る にもせ よ、 全然 これに 決定 せらる.^ こと はない。 外部の 刺戟 は 行動の 機 

<$2囚 では あるが その 必然 因で はない。 外部の 刺戟が 必然 因と なる は 動植物で 人で はない。 I. おする に 自由と しての 人 は 

所產 ではなく 生産で はなく 生產 そのもの である。 人 はもと より 全き 自由で はない か、 しかし 全き 必然で はない。 全き 

必然で はな i から 必 i ん ^ の戲 鎖み 脫 して 自由 を實 し * 價値を 創造す ろ 無限の 可能性 を その 中に 藏 してる る。 これ 人が 

人と して 有すろ 特色 特權 である。 , 

三、 敎育ど は何ぞ 

敎 育/は 何で あるか。 「敎 育と は 理性の 先 驗的統 一 即ち 自由に 镩け 導く 働きで ある。」 人 を その 現に 「ある」 狀 態から 

「あらねば ならぬ」 狀 態にまで 止锡 し、 人と して 「あらねば ならぬ」 即ち 人の 理想的 本分 を充實 せし むろ 働き を sffi 助 

する のが 敎育 である。 r ある」 狀態は 存在で あり 、「あらねば ならぬ」 狀態 は當爲 である。 自然 は 存在で あり 理性 は常爲 

である。 なほ 理性 5^ 理想 を 認め 感じ 欲し 行 ふ 根源 力で あり、 理想 は 理性の 所產 であると するならば- 實に敎 育 は 自然 

を 理性 化する 作 £^ を輔 くる 働で あると いふ、 ことができる。 さらに 理性が 自. E であり 自然が 不自由で あると したら, 自 

然の 理性 地 はこ わ を 不自由の 自由化と 飜 へす ことができる。 敎育 は兒童 をして まづ 自ら 理性の 光に 目 ざめ しめ 自らの 

力で 自らの 銃 一 をな さしめ よう, V する 純內部 的の 活動であって、 外部 的 器械 的な 植物の 培養. -か 動物の 馴養 とかから 

は 截然と して 切 離さろ べき 活動で ある」 自然 發 動と 理性の 活動と を對 立せ しめ、 理性 は實に 自然 を 善導し 純化す る 一 

大法 刖 なので、 理性 は その 一 般: i- 理で 自然 は 特殊 原理で あり、 自然 は その 發點 をな し 理性 は その 方向 を 指示し、 人 は 

生れな がらに 自然 を 理性 化する 可能性 を 有す ふ ものと しての 確信 を朽 する,. もしもの この 根本的な 確信 を缺 かば, そ 

の 時から 一切 教育 は 不能と なり、 何 等の 敎化 も徒勞 となる。 これ 動物に は 馴 養み で敎育 かなく、 植物に は 培養の みで 



43 



敎育 がな く、 臁 物に は變化 のみで 敎 育な ぐ, 實! i カントの 加へ 人の み钕 育し えらろ 、唯一 ; 物で ると 信す るので ある 

敎育 は. R 然と 理性と 一 一充 的に 對/ N せし むろ ことより はじまる。 かくて 自然と 理性の 對. 系に g つの 見觸 I 尸 ある。 

その 一 は 自然 即现 性と なし、 自然 はた、 ちに 憤 値, てのもの であろ とする もの、 莴物は 造, ^主! S 手から 出で た i ォ であ 

るが、 人。 手に 波って 惡 となろ とい ふやうな 考を 持った ルソ— は その 代表者で ある。 自然 卽ち 「あるが ま i」 , や 仲ば 

せば よいと いふ 主張で ある。 その 一 一は 理性 は 自然より 發展 する もの、 1^ 値 は 自然より お^づか. r に 流れ出つ る も 刀と 

なし. 進化論に 立ら 受; g 的 順 應を說 いた ス ベ ンサ— は その 代表 Ji^ で, 現今の, チュ— ィは發 動的 順應を も說き 加へ て は 

をる が、 それ とても 本能 衝動が 外界に 順應 した 副產 物と して 高尙; 、精神 作用. か 生 するとす,: '0 で、 つまり 根本的に は 

スべ ンサ I の說 と異 ると ころがない。 その 一 その 二と もに 結 Ell は 理性,^ 認めす 全く 無理 湖 5 レ 堕する もので あらう。 そ 

の 三 は 自然と 理性と を 對^< せし むろ 理想 キ義的 見解で ある。 これがまたニっに分れ^^。 一 つ は f 性に 必然 及 自然に 反 

對 するとな す もので、 人生 は 自然 征服の 途上に ある リ 戰 11 である 勝利に よって gl- ると ころに 人格が あると なす もので 

オイケンの 新 理想 ギ-義 等に 肝胎 すろ 主張で ある、〕 の 一 っは理性は^!:然の內在的統整原理でぁるとする見解で、 宇 

宙の 原理 を 形式と 實賈 とに 觀て • 實質を形式で統^^し純化するが、 宇 {5 進化の 法則で あると した. アリス トテレ スはそ 

の代表^!^?でぁら。 自然 は 善で もない。 た,^ 現 實事實 二して 「あろ」 の狀 能-である。 性 はこれ を统 一 する 法刖 として 

內在 すろ。 自然の 發達 とともに 理性の 自巾别 造の 連 續發展 か ある〕 理性 は必 すし も 自然と 反對 はしない。 時として こ 

れと 一 致す る こと も ある" 自然 を强 むる は 理性 化の 作用 を强 むる ことになるの である。 

自然と 现 性との 一 一重の 世界 を對 立せ しむる は 一 一元、 であるので はない。 ^一 isi 上 Q 在と 理性と は 人生に 於て 或 程度に 

融合して^ 在して るる。 存在して るるとい ふこと 自體 が. 目 然」」 理性 を 事赏 的で はなく、 :g 念 的に 分離せ しむる 自 一.! と 

なろ ので ある" かく 慨念 的に 分離せ しむろ ことによって 一 歷 E- かに 一 一 者の 性: ir 只と 相互 を 定める ことができる。 それ は 

恰も 一 つの 意議を 心理 舉 上で 知 iii? 帝) と 分離して 考へ るのと じで ある j 自然に 現, おとして】 在し • 同時に 理性 は實 

現せら る i ものと して 可能 能 ^ として 存在す るとの 對立 をな したまで のこと である。 

四、 自由 敎育 

かくして 自由 敎育は 理想主義 的 見解に 立つべき こと は當然 はで あるが、 前述の 前者の 主張と はや 、その 趣 を 異にし 



てるる a 前者 はこれ を 自律と 首った 言葉が よ. くその 感じ を 表す やうに EI>5 はれる. - 自然 を 征御歴 殺して 新生 せんとす ろ 

敎育は 極度の 銀鍊 主義と なり 禁欲的 主張と なる かも 知れぬ。 後^ は 自由と いふ 語が よく その 感じ を f% す やう^え る、 < 

自. E 敎育 は. 14 能と か 衝動と か 欲望と かの 强 いの を 嫌 はぬ。 いなむ しろ その 强 からん こと を 希望す る。 しかしながら, 】 

れを 理性の 作 川" のい よ/、 益々 强 かるべき を j=: 女 求す ろ 。例へば 怒りの 木 能の 强き生 來の兒 童 ありと せよ 怒" こと, てれ 

自身 を Hi 度に 强 迫して 全然 怒りの ない ものにしようと はしない, - 怒る こと は必 すし も惡 くない 。た 5- 氣 まぐ" に氣 分に 

任せて 放 澄に 怒る ことが よくない ので ある。 かの 「君子 一度 怒って-太 下 安し」 と-一:; 3 つ たやうな 怒り 方に これ を 善導し 

よ. フ とする のが 自由 敎 育で ある。 これ 「自然が 內 在的統 整- m 理 としての 理性に! t かる、 ことが 自由で ある」 と 吾等の 

主張す る 所以な ので ある, - 自律 的の 敎育は 青年 以上の ものに 適すろ 主張であって、 幼少 率 者に は 自由 敎育 でなければ 

ならぬ. と 吾等 は 信す るので ある。 

^くして 自由 敎育は 外から 强制壓 迫す る敎褴 中心の 敎 育に 對 するとと もに、 に兒 童の 自然の: f k の 發動を 隨:! Otf? 

嘆して 放任 敎育 をな さんと すろ ものに 反 針し、 役に立つ 爲め になろ の 利用 慣値 をのみ 重ん すろ 富 用 主義 的敎育 にも SSis; 

同^^す、 適 應順應 を說. いて 自然 發 動と 理性の 活動と を 一 直線 上に 並べ ^!:?平面觀の主張に墓づく敎育にも共鳴すること 

がで きないので あるり 

本? に 衝動 は 放^-殿 理 である。 放散 を 理性に よって 統一 すろ。 この 統一 はい やが 上に も累 ねて、 無限に 速 續發展 をな 

すので ある。 人 に 理性 活動の 各 力 面 即ち 認識 生活 道 is,! 生活 趣味 生活 信仰生活に 亘っ て 人格 攢 値の 自由 實現を 期せな け 

れ ばなら ぬ, 人格 1^値3實 現 は 文化で あるから 他面より は 文化 惯 爐の 不断の 創造 を なさし めようと する のか 自お敎 宵 

であろ。 これ を耍 する に自. 育 〕 主張 は 兒 i をして 巳が 理性に し兒 童のお する 程度と しての 理性に 從 つて 自已を 決 

{!圯し生活の^5^面に於けろ自巾をぃゃが上にも獲?.1^し實現はしめょぅとするに過ぎな い S である。 生活の 各方 面に 於 

けろ 自. H を絕對 に^する こと は 永久にで きぬ。 絕針獲 5^ の 相 は f: である。 人 は 神に はなれぬ 神に はなれぬ。 ; t に はな 

わぬ が、 一 段 1 段 s- お 次に 於て^ Si 的」 程度 程. せの 自山を 獲, W し する こと はでき る〕. これが r 常に 達しつ i しか 

も 永久に 達せら ざ- 6 自由」 の 所以, じある^ . たから 自山は 53 诞, S でめん と H 時に 到逮 さられ ざろ 到達 點 でめる とい ふの 

である. - 自. £ は實に 無限の 方. M と I ての み 了解 せらるべき おので ある) だ 力ら 自. 育に は 生成 は あるか 完 放 はない 

ので ある。 (手 像 岸 is〕 



自由 教育の 根本原理 

最近の 哲 めなる 一お 育 思潮 >」 しての 「自 m 教: 宵」 の 詳細な 余 は 近著 「自由 教育 論」 上下 ニ卷 に. よつ ズ述 ぺ悉 した。 此處 では 

出來ろ だけ 簡約に 「自由 教育」 思潮の いかなる ものである か 述べ、 從來 の敎育 思潮 i の闢係 尋 ほて 見よう。 詳しく は 前 

著 害, <Ji 照して? S れい 、 

自由 敎育. か 最近の 敎育 思潮と して 其の 義 を發禪 t た 所以の もの は, 第 一 に舊 來のブ ラゲ マ チズ ム的敎 育 に 反對 し 

た 事で ある。 我々 は 此れまで 敎育學 者に より、 又爲政 家に よって、 敎育 は實 生活への 準備た とい ふ 風に 敎 へられて 來 

た。 其の 敎 の 選擇に 於て、 又 其の 敎授の 方法に 於て、 實 生活への 準備 手段しての 敎育, 實 用の 爲 めの 敎 育な ろ 見方 

はいつ も 離れて 居なかった。 併し 此れ は敎 育なる 一 つの 文化 生活に 對 する 他律 主義で 無くて: E であるか、 自由 敎育論 

者は敎 育.^. して 自律せ しめ、 或る 他の 生活 G 手段と しての せハれ ではなく、 敎 育の 爲 めの 敎育 であら、 フ とする, - 第二に 

從來の 敎育學 者の 見て 居お 社會^ 念に は 多くの 誤謬が 含まれて^ るか、 然ら すん ば 其れ は 狭義に 過ぎる ものであった。 

其れ故に 社會は 邀 々國 家と 同 一. 視 せられた。 國 家主 一教 國家 本位の 敎育 は爲政 家を悦 ばせ. たのみなら す、 成る 一部の 御 

^ 敎育舉 者に 歎迎 せられて 居た ので ある。 甞 て我國 にも 1=; 傳 せられた ケル シ,' ンシュ タイナ ァ 等の 公民 敎育 思潮 は、 

時に 11 逸 軍 國 主義の 顕 欲なる かの 如くに 思 は せらろ、 部分 を 少なから す 含んで 居た。 自由 敎育 論者 は 機械的 社會觀 を 

排 して 正 富な ろ 人格 的 社 會觀の 上に 立ち • 此處 にも 亦敎育 をして 他の 文化 iH 活の 手段たら しめす、 其れ 自身に よる 支 

配 を 達成せ しめよ. rs と 力める? 換言すれば 自由 敎育 は敎 育の 自捧 である- 其れ は實用 主義に あらす、 人格 主 if 理想 主. 

義 である。 其れ. は 國家重 親 主義に 非す、 真の^;:-味のヒ ュ,| マ ニズム である) 



46 



2 

自. a 敎育 主義の 立脚 點は I 其れ故に 文化 主義の 其れと 全く 同じい もの だ。, 其の 著しい 特色 を述 ぶれば 次の 如くで あ 

る。 - 

第 一 に 自由 敎育は 敎育舉 の 哲學の 上への 立脚 をカ說 する C 從來 Si 敎育舉 は 其の 點 では 殆ど 全く 無哲舉 的で あつたと 

いってよ い。 さて 其の 楊 合の 哲舉 はいふ までん 無く, 我々 の 批判 主義 哲舉 である ^ 敎育學 は IT 歐 的で 無く 一」 批^的で 

なければ ならぬ。 兒 童の 生 瑰舉的 心理 舉的 研究 は 敎育舉 では 無い。 其れ は單 なる 存在 舉だ。 敎育 學は敎 育なる 一文 化 

生活の 中に 内在す ろ惜 3il を 批!? しなけ わば ならぬ.^ 其れは哲舉の仕!^^-に依據する。 否 寧ろ 其れ 自身が 一 の哲舉 であろ 

其れ故-に 此の 正しい 意味 S 敎育舉 を 我々 は 批判的 敎育學 と 呼ぶ リ 

第一 一に 其れ はブ ラゲ マ チズ ムの敎 育 方針 を 打破す る。 理想主義 人格主義 は 人格の 自律 主ー峩 であり、 ブ ラグ マ. チズ ム 

は 其れの 他律 中; 義な るが 故に、 兩者 互に 相容れない C 

第三 LT 自由 敎育は 從來の 敎育舉 の 方法め I 重視に 反對 して 目的ね i 本位で ある。 敎育は 一 の 文化 現象で ある: H 的 現象 

である。 先 づ敎育 W 目的が 明嘹で 無くて、 どゥ して 正しい 敎育か 出. 來 ようか。 然るに 從來 の^ 宵學 では、 此の 問題 は 

餘り 深く. N ち 入って 考究せられ すた^ /"いかに 敎 育す るか』 の 技術的 方面の みが 熱心に 附究 せられて 居た のでめ る" 

點晴 無き 螯龍は 生きる 事が 出來 ない。 此れが 爲 めに 現代 敎育は 全く 時代に 迂遠な ものと なった。 

第 四に、 自由 敎育は 人格の 自律, を 目標と する J 人格 は 其のす ベての ものに より、 いかなる 名目 を 以て 强 制ヒら る 

可き で 無い。 すべての 敎育 方針 は 此の 人格 自律、 換言すれば 眞の 意味での 自 .£ を 目標と して 其處 へ^ 中す る。 此れ 卽 

ち 此の 敎育か 自由 敎 育と 呼ばる i 根本の 意味であった。 

3 

敎育槪 念 は 自由 敎 育-の 立場から はいかに 決定せられ るか。 



我々 は 此れ を爲す 場合に • すべての irt 的 取扱々 避けろ" そして 其 處には 批^し 盡 された 哲學的 堅牢 性 を 有する 膝 

念 を よ 3 とする。 此の 結 として 批判的 敎育舉 での 敎ぉ 3::^ 念の 定義 は 一 卜の 如き ものと なる パ 敎育こ は、 へ られろ 

事の 出 來ろ人 の 上へ、 此の 人 Si を 形成し 盡さ 5 olusbildell) とする 目的 を、 以て、 , 磯續的 意識的の 影 饗を爲 す 事で あ 

るに (拙著 一八 〇 頁) 言 ふまで も 無く 此の 漑念 決定で は 目的 漑念か 重. おの ものに なって 居る。 併し 此れ は 批判的 方法 

の槪念 決定と して は 甚た當 然の事 だ。 目的 無しに は 凡そ 一 の^ A や. 二 S 定 せられる 事が H 来ない ので ある。 右の 定義 を 

なほ 耍的 すれば、 下の 如くに も 言 ひ 扱へ 得られる" i 現に 在る 人間 を 常に 在る 可き 人閒に 進まし めようと して 加へ る 

00^0 (拙著 一八 四 頁) 此の 揚<13 に r 影:; 13』 を與 へる 人格と 影 ^5 を與 へられる 人格との 闞 係、 即ち 敎宵 者と 被 敎育者 

との 關係は 批判的 敎育學 に 取って に 重 の 考究^ 目 だ。 何故 なれば、 敎 育の 目的が 人格の 自律に ある 以上、 敎育 的, S 

驩 は 却て おの 自律 を 害すら 一 の 他律 行お になる から。 自由 敎育. 2: 部で 矛盾し * 自殺す ろ。 併し 此の 見方 は 一": も 正當な 

もので は 無い" 自由 敎育 は强 制で 無い。 人格 は連績 する。 乙 人格の 自律 行爲 が、 此の 人格 連檳の 原理に より、 甲 人格 

の 自律 行爲を 以て 鹿せられ、 敎育は 亳 も 乙 人格の 自律 行爲を 害せす に 行 はれ 得る。 其れ故に 敎育 概念 は 又 次の 如くに 

も 定義し 得られる T 甲 人格の 自由 活動 を 目的と した * こ 人格の 甲 人格への 影 饗。』 或は 甲 人格の 自由化 を 目的と した 

乙 人格への 影 iLT (拙著 ニー 四 頁) 或は 一甲 人格. 力 自律 ケ 目的と した こ 人格の 甲 人格への 影 SW (拙》 ぎ 二八 頁) 

此 等の 敎育槪 念 決定 は> 瞎ほ自 .e 敎 育の 輪 廊を 示し 得る かと 忍 ふ。 

4 

自由 敎 育の 目的 は 何 か。 一般に 人生の 目的 を 取扱 ふ もの は哲舉 である〕 其れ故に glE 學 の敎冑 目的論、 換言すれば 

技術的 敎育 擊と區 別せられ た 純 粹敎育 學は常 然哲學 に依據 すろ" 否 寧ろ 哲樂 其の ものた,) 此の 事 は 前述の通り だ, 

自由 敎 育の 目的と すると ころ は、 敎育槪 〈ふの 示す ところに よ-つて 明瞭と なった 如く、、 一 般の 人生の 目的と :!: 等 sii; る 

もので 無い。 自由 敎育の 目標と する 人間 は、. -當に 在る 可き』 人間た。 卽ち語 S 正しい 意味に 於ての 自律 的 人^ね。 



併し 自律 的 人格 は當然 其れの 生活 內容. 5^ 要求す る。 可及的に 豊富の 内容 を 得た 人格. は、 真の 意味の 自律 的 人格 だ。 

^ 何故なれ.ば我々の文化生活ひ-はパ各^<化惯値範園に於て無限の經過を以て其の惜値の實現充實を計る努カに外ならな 

ぬから。 此の 努力 を 個人に 對 比して 言へば、. 個人 は少 くも 其の 歴 的 文化的 社會の 有する 文化 财產へ 14、 の 個人の 占 

むる 當然の 參與貢 獻を爲 す 可き である。 此 くして 敎 育の 目的 は 形式的に も 亦內容 的に も、 全く 嚴密に 決定せられ たも 

のにな つた。 

自由 敎育、 否 寧ろ 眞に敎 育なる もの.' 目的 は 何で あるか。 形式的に は 自律 的 人 松 だ。 內容 的に は 歴史的 文化的 社會 

生活への 參與 だ。 (拙著 下卷參 照) 

5 

斯樣に 自由 敎 育の 根本的 立場 を 論述して 來れ ば、 自由 敎育は 少しも 不思議な 又 新奇な、 內容を 持った もので 無い ゥ 

此れ は 最も 普通 3、 最, も 珍ら しさの 少な ぃ敎靑 併し 此の 批判的 敎育舉 の 立場から 出て 來た 技術的 敎育學 の 研究 は 

必す しも 常 套の敎 育 意見 其の もので は 無い。 方法と して s.s 由敎育 は:;^ 在の 敎育界 に 偉人な 革命 を 喚起し? おる" 自巾 

敎育思潮は依然として擧校^^育に、 叉社會 に、 重大な. -fu 叩 を 以て 生れ 出に もので あろ 

(土 田 杏 村) 



夏期 講習 



早稻田 大 學 

建設者 同盟 

本 同盟 は 社. 仕の 一 端 VJ して 垔期 休暇 を 利用し 東西の 新進 眞摯 なる 學者 を聘し 第二 回 夏期 講習 會を 開催す 



開 



« 所 

日時 



共通 五圓 



c}- 稻 ffl 大學大 講堂 

第一 回 自 七月 二十四日 至 同 三十日 (午後 六 時よ 

. 第二 回 自 八月 一 日 至 同 七日 (午前 八 時よ 

□ 聽講料 各壹 回參圓 

□ 講師 氏名 及 講義 題目 左の 如し 

第一 回 (KM 一一 一十 十四 S 每夜六 時 L 

楷級 II 爭 V」 國 際經濟 早大 教授 猪 俟津南 雄 氏 

〇 古代 法 ど 結 娘 制度 長 谷川 如是 閑 氏 

〇 インテリ ゲン ツイ ャれ 早大 教授 片上仲 氏 

C 民衆 藝術論 兒 大敎授 吉江 孤雁 氏 

〇マ ルクス主義の哲^^.的發展 帝大教授 恒 恭氏 

〇 インタ ー ナショナルの 史的 考察 室 伏 髙信氏 

〇;^ 會 思想の 變遷 . 苺 大敎授 北澤新 次郞氏 



四時 問 宛) 

四時 間 宛) 



注 

意 



Al^^^ へ 御 申込の なに は驄 

講券及 時!^ 割 を 御^り しま す。 

△ s?^ 務 ハ 都合 上なる ベ く isf く 御 S- 

込 か 願 ひます。 

<i 地方より 御 出かけの 方に は 旅 { 伯 

の 心! in- も 致します。 

厶,? 問 ひ 合せ は 一 切 返信 51- を 添 へ 

て 下さい 



曰 



第一 一回 (^g,- む 毎朝 八 時よ • 

〇 政治^ 象の 社會的 基礎 早大 教授 

〇 文藝 VJiii 慾 早大 敎授 

C 撤會 組織な g 唯 物 史觀的 考察 

〇 日本 資本主義 發達 史槪論 单 大敎授 

0, キ V ト社會 主義;;^^ 1 考察 0^ 

〇 第四階級 藝術論 

早大 教授 



〇 砒會 §^ 觀^ 代 生活 批 11 



波 多 野 ? I 氏 

大山 郁夫 氏 

矢 口 as 

小 泉鐵氏 

佐 野 氏 

新 明 正道 氏 

平 林, M 之輔氏 

杉 森 孝 次郞氏 



大正 十 一年 七月 ,込所 I 一 g(ii) 主催 建設者 同盟 



M ^ 本 同盟 昨〕 や 度 講演^ 

^ ^ (四 六 版 三 六 〇 頁) 

厂 afl 1 き P 定 價 壹圓 五拾錢 



本^^.?1.«に„11來る儿月 一 口 

盟機3|^^^^^創刊月刊 一 部 

關誌 き PTTr 定價 三十 錢 



建設^ リ ー フ レット 

£ 小作ん 問題へ 一部 一 一 

wiix 民 問 题パ以下綾^?^』 



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l-JH 叶 if ほ, 5 ほ J 使, S (毎月, lEl 日發 行) 批, 評 七月 號 (定價 # 錢) 



森 戶辰男 氏新譯 5 六 判 三百 頁 a 布 装 入) . 

I 走 價ニ圓 

送料 寄留 十五 錢 



勞働 I 運動の in 諭 e 歴史 



勞働 組合 を 論す.? もの は 直に 英のク ェ ッゾ、 獨のブ レンク I ノ 

を 想起し 併せて ゾム バ グトを 忘れる こ W ばで きぬ〕 ブ 氏が 民主 

々義 自由主義 思想の 社會 政策 學 派の 人で あるに 反し ゾ氏は マ 〃 

クス 流の 祉會 主義 派に 馬して 居る 原著 は 氏の 名著 「十九 世紀 

に 於け る. 社曹 主義 ど社會 運動」 ど 共に 祉會 運動の 意義 ど 重要ぐ」 

を 明示し 其 進、 的 思想 ビ 奇警なる 着眼.、」 流 魔なる 才筆,、」 は學界 

の 珍 ざする 所、 譯 者に 淼 氏 を 得た る 本書の 慣 値を贅 する は 今 

更蛇. 足 であ らう ◦ へ大原 耽會 問題 研究所 ® 書 第 七 ) 



51^ 東京 神 田 fry レ -HMmwl 振替 東京 二 七 六 

则^ 飾 町 Ip/Mfprt^ 電話 祌田ニ 九 5 



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▲ 送金 は 可成 振替 A 郵券 代用 一 割せ 

大正 十一 化七ガ I n 印刷 納本 

大正 十 - 年 七月 一 B 资 行 

東京 巿芝^ 三 W1 丁目 二十 六 番地. 

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東京 ル芝區 三 田ー 二十 六! 1^ 地 

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大正 十 一 年 三月 卅 一 口 笫 inse 郵便物 認可 

大正 十 一 年 八月 一 日印 刷 納本 鼓 行 



寫直: 說明 



三 インタ ナショ ナレノ <ss 光景 0:1 一一お"? 計 e 

ト a ツキ (上) と 彼の 赤衞 軍儉閱 (下) 

北 ハ產黨 首領 7 A リン (上) チノ fN ヰ エフ (下) 

ゴルキ |( 上) 勞? シャ 文部 大ほル 十 チヤ ルス 

キ |( 下) 

第丄ハ 頁 勞農 D シャ の敎育 板り (上) 同上 敎員衡 m 光景 (下) 

第: 七 頁 勞農三 巨頭— 陸 相ト ツキ |( 左) 內閣? S 長レ I 

二 ン (中央) モス コゥ • ソゲ * エツ ト會長 カメ ネ 

フ (右) 

第 八 頁 モス コ クの苺 市 (上) モス コク の 食 糧 分配 委 M 

室 (下) 

第 九 頁 全 露ソ、 グ エツ ト會長 (勞働 者 出,:^) カリ ニン 夫 1^ 

(上) 勞農 政府 機關紙 イス グュ スタ紙 主筆 ス テク 

a ゥ (下) 

十 頁 ぺト。 グラ, 》 ド勞 兵會議 (中央 ラシ ブ 下が 會長 

チノ ヴヰ エス) 

第 十 1 頁 露 婦人 勞働 代表 曾議 (上) 勞農" シャ 六十 留紙 

& (E 

第 十 一 1 頁 前 皇帝 族の 19! 別邸と して 有名な ザ ,ヤス づ ラ セ。 * 今日は 

ディ H クコ H • セ 口と 稱し 一 般勞働 者の 兒童 療養 及 避 奢 地と な 

つて ゐ る。、、、 に褐 げ^は 其 食堂 (上) 勞農ロ シャ日 躍 日の 小學 

兒^ (下) . 

表紙 裏 資本家の 見た 共產 P シャ (ベ グリ ー ナ 1*タ ,ゲ 

ブース グト から 轉载) 



; 救 ^口:: -ァの 

同胞 を": 

<fr 口 シャの 同胞 は 饑饉の 

ために 親 は 子の 肉 を 食 ひ、 

一子 は 親の 肉 を 食 ひ 彼等 は 野 

獸の 如き 生活 をし てゐ る。 

ヴ オルガ 河 沿岸 地方で は殪 

れる者 は、 そ の數を 知らず 

しかも その 屍 は 安ら 一れ に 墓 

^に 眠る ごと を 得ず し c、 

生き 殘. つた 人々 の 餌食と な 

つて ゐる。 

死に 瀕した ロシアの 同胞 

を 救 ふの 道 は、 ただ 偉大に 

して 崇高なる 人類愛に 依る 

外 はない。 

. .昔、 謙 信が 信 玄に鹽 を 送 



つて 敵の 窮狀を 救つ た。 

今 H の國際 場裡に 於, いて 

飢えた る 口 シ ァの 同胞に 食 

と 衣 を與ふ る 事 は 人類の 當 

然の 義務に し. て、. また 偉大 

に し て 崇高な . る 人類愛 の 發 

現で ある。 

飢えた る 口 、ン ァを救 ひ U 

飢えた る 同胞 を 救 ひ n 

目 下 同業 「前 衞」 は 其救濟 に 左の 通 

b 義金 募集 を 行って ゐる。 我々 は 

これ を 最も 機 を 得に ものと して 大 

方の 御 拨助を 乞 ふ。 

本誌 讀者 にして 本社に 寄附 を季 託さ. 

れた時 は 本社 は 喜んで 前衞 社に 取り 

次ぎの 勞を とり 且つ 御 芳名 を 受領書 

に替 ひて 本誌に 5^ ぐる" 

柬京芝 三 田 一. ノ 一 士ハ 

批 評 社 

ilf.i Jn^QT i 三. tuTJA 



露國 飢饉 救濟金 募集 

-, 本肚は 左の 方法に より、 露 國飢籙 救済 金^ 

募集し ます。 喪って 御投 助,^ 願 ひます 

一、 金額に は 制限ば ありま^ぬ。 勿譫 多い に 越 

した、、 と はない が, 十^ 二十 錢の 少額で.. -栴 

ひま ぬ。 

r 送金 は 成るべく 撅替 (又は 郵便 は替 にて 本 

社 L1 御拂 込みん、 願 ひます。 少額の 場合に 都 便 

切手(五凰切^^に限ろ)でも差支 へ ゎリ まぜ 20 

一、 御 寄附に 封して は • 受領書.^ 差 出す か、 又 

は: UI 上で 報告. します。 姓名の 公表 ふ 揮ら れ 

る 場合ば 匿名 * 又 其 由,^ 掏 附記 顔 ひます。 

一 、 寄附 は 個人で t 圑 と しズ < 構 ひま ぜ 

一 . 第 まった 金額 は 便 の め、 大规疫 に 露國 

救済 资佥ゃ 物資の 募集.?^ して ゐる 外國 の碗實 

な機關 (例へ^ 米 ^ の 『勞 as5 西 亜 友人 會. I 等 

の 如 さ) に 寄贈 マる こと。 

r 寄附 金の 淸棼 と虔 分に 就て は、 迫つ で 社外 

から- 信用す ベ. r. 数名の 人^ S んで監 骨 >^受 

けえ す 

東 京大 森 JjSS 

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の 者 St 勞般 一し 稱と ロセ' ヱコク エイ デは日 今 、"セ 
C 堂 食 其 はれ: t ろ もてつな と 地 暑 避 及 養療童 5i 




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五六 七 二 京 東替振 JltC ノ V|FU 町 梅 紅 西 



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AI て の 歷 史書 は 政治 史 に 過ぎな い 治者 群 は 政治 を 被治者 I. せ^, 働レゲ ij;^^.., 

^冶 nss^s^ 會^ 象で は あるが、 勞 働の 牛活 がなかったなら は社會 生活 は S 

35? &き^ 編ま れ る た は、 被治者 群 の 歷史が 明か と、 ゆ ひ; S 、は 

S らが > あ 巧お!? M£ ^歷史 を發 掘し 、現代. への 連^ を f」 、ベと.. は幌代 

^ 性&. & びく 理解 A>i ^であると 共に 將來の 社會變 化の 方向 を 知る 上に 

多く 貢献 をす るで あらう。 (著者) ,: : ' 3 ^ - _ 

古 S% 我 國の歷 史書 おら 閑却 せられた K 衆の 生活 史を 明かに し 

た眞の 意味での 最初の 國民史 こそ は 本書て ある 



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ボ ルレ ェ グ井キ 

の 虐政の 話」 



室 伏 高 



言 



(號月 九) 號六第 



批評 九月 號 目次. 



. 、ヤコ ブ* ヒル シの^ いた ロォ ザ- 

表現 派の 藝術 二つに!:.;::: r ひい I きおよ- 



社 會;. ^動と 社 會的諸 階級. 



グルゥ ドンの ノオト 力ら 

(近代の i 

新 社 會 



自 山-人 

の 手帳 



ボ ル レ ュ ヅヰキ の 虐政の 話 

(ェム マ 。ゴォ ルド マン) 

I して 虐政 乎-ボル シ ヱ ヴ 井キ) 

レ ニンの 後繼者 



加 E5 哲 



ラ I テ ナウ 



室 伏 高 信 




(-) 術 藝の派 現 表 

'サ 'ォ 。る な に 筆の シルコ • ブヒャ *ル 一力 

« すで 螯像 肖のお 女 ヒ ルブ ンセク ル 



2 



社會 連動 ど 社 會的諸 階級 



近代 社會 における 社會 階級の 分析と ブ ロレ タリ ァ對 ブル ジョ アジ I の 階級 的 鬪爭に 就いての 最も 有力な 所 說を, 吾々 

は 力 アル *マ ルクス 並に フリド リツ ヒ, エンゲルスの 「共 產黨 宣言」 において 發 Jk〕 する ことの 出來 るの は 云 ふ 迄 もない。 

マ ルクス は 階級 闘 爭と云 ふこと を その 社 會驟の 中樞的 要素と して ゐ るが * 彼 は 不思議に も喈 級なる 槪念を 明確に してる 

* ない。 否 マルクスに 許す る 齢 を 以てしたならば、 彼 は その 階級 觀を 吾々 に 提供し 得た であらう。 何と なれば、 彼の 資本 

論 第三. 卷の 原稿 は實 に社會 階級 論の 序 力. 1 に 終って ゐ るからで ある。 かくの 如くして 吾. は 資本; SI において マ ルクスの 階 

級 觀を舉 ぶこと は出來 ない。 ャ ルクスの 他の 著書に おいて 吾々 の 散見す る その 階級 觀も甚 た 明確 を缺 いてる る。 一例 を 

幕け て 見る と、 マルクス は 「革命 並に 反革命。 一 八 四 八 年に おけろ 蹈こ」 と 云 ふ 書の 中で、 革命 勃發 常時の 鐲こ國 民 は 

封建 貴族と. ブ ル ジ ョ ァとブ チ*ブ ル ジ m ァと大 中 地 持 農民と 小 自由 農民と 封建的 小作農 民と 農業努働者とェ業勞働^|<? 

との 諸 階級から 成立して ゐ たと 云って るる 。また, 彼 は 「ルイ *ボ ナパ ルト 論」 の 中で 一 一月 革命 中 及び その後に おける 佛繭 

西に 就いても 多くの 階級の 存在 を 認め、 就中 ブチ *ブ ル ジ ョァと 小 地 持 農民 階級の 演じた 社會的 役目に 對 して 特別の 注 

意を拂 つてる る。 さう して 彼の これらの 階級に 對 すろ 觀察 は、 甚だ 複雜予 盾に 富んで ゐる。 例へば 極小 地 持 農民 も 一 つ 

の 階級た る こと を 承認し、 之が 帝攻 成立の 上に 決定的の 役目 をお じた こと を 認めて るる。 曰く 「ボナ バルト は 一階, 級 を 

然も フランスの 社會 において 最大の 成員 を 有する 極小 地 持 農民 を 代表した ものである」 と。 然るに- マルクス は 同じ 著 

書の 中で、 極小 地 持 階級、 は ある 意味に おいて 階級と は 認め 得ない と 云って ゐる ^ かく ある 揚 合に は 階級で あり、 ある 

場合に は 階級で ない と 云 ふ。 吾々 は その 適從に 苦まざる を 得ない。 CTUgan.Baranowsky, Theorctisch Grundlageu dot 



manx 一 snius / ノ S&23) 

マ ルクスの ^殺 觀の不 s. まなこと は、 こ. - ばかりで はない。 ^級 n ゆ カ现; flsT.^ 明白に 表明した 「共 產 i4c」 も 

また.、 ッガ ンたパ ラ ノウ スヰィ の 云 ふ 通り、 その^, 辨觀ゃ 明かに した もので はない つ マルクス はブ 口 レ タリ ァを 特殊の 階 

級と して 取扱った。 マ、 ルクス は 極小 地 ^*, 民. か 一 つの 階級たら さろ こと をす; 張す ろ理. S として 「利害の 共通が 彼等の 間 

に 何等の 共同^ 係, 何等の 國民的 結合 * 何等の 攻治的 組 を 生ぜし めない」 ことん. 舉 けて るる o( ルイ v ボナ バルト:;; I) こ 

の兒 地から 見る と, プロレタリア も ある 意味に おいて 階 核で はない。 この こと は- 共 產黨 宣言の 明示して ゐ ひところで 

ある。 卽ち 「共 產^ の 直接の 目的 は、 他の すべての ブ 口 レ タリ ァ政黨 の 目的と 同じく プ 口 レタ リア を 階級たら しめる に 

ある。」 また 曰く 「フ ロレ タリ ァを 階級 從 P て政黨 に組錄 せんとす る 企 は 勞働者 自身の に 行 はる、 競爭 によって、 絕 

えす 破壞 せられる,」 と。 この 文章に 從 ふと ブ ロレ タリ ァを 階极 とすろ ことね 未だ 達せられざる 目的で ある。 

マ ル グスの 階級 觀が 不明瞭で ある 論據 として、 ッ ガン • バラ/ウス キイが、 マル クス の著畜 「哲舉 の 貧困」 から 舉 ゆて 

るると ころに よると、 ブ ロレ タ リア 階級の 發 達に 閧 して、 ブル ジ ョ ァに對 しての み 階級た る 階^と * プロレタリア それ 

自體が 階級と して 構成 せられろ 揚合 である。 ブル ジョ アジ— に 就いても 同樣 のこと を 云 ひ 得る。 第一 の 階段 は ブル ジョ 

ァが 封建的 制度と 專制君 主 制との 支配の 下に 階級 を 成す に 至った 時代で, 第 一 一の 階段 は ブル ジョ アジ— は旣に 階級 を 形 

成し、 社會を ブル ジョァ 的社會 たらしむべく、 封^制度と 君主 制と を顚複 せる 時代で ある。 

マルクスの 階級 觀は、 かくの 如く:^ 雜 であるが、 その 階級 的 關 係の 本質に 至って は、 甚だ 簡明で ある。 社^ 階級の 利 

害 は 必す對 立す る. と 云 ふに あ、 る。 この 社會的 利害の 對 立の 基礎た る もの は 何 か。 それ は 一 階級が 他の 階級の 剩餘勞 働 を 

占有す ると 云 ふ 一 事で ある。 階級 的社會 卽ち國 家が 必耍 となった の は、 この 剩餘勞 働の 奪掠 を 秩序 的に 行 はんとす る.?^ 

ら である。 故に マルクス, エンゲル スは その 共產黨 宣言に 云って ゐ る。". あら ゆろ 社會の 歴史 は 階級 對 立の 中に 發 して 

一 るる。 さう して その 階級 對立は 時代 時 代に 從 つて その 形態 を 異にして るる。 然し. - その 形態 は 如何にも あれ, 社 《1!: の 

I 1 部分が 他の 部分 を 搾取す ると 云 ふ 1 點は總 ての 過去の 諸 時代に 共通な 事實 である。」 と。 



マルクス はこの 昆地 かも 近代 社會の 階級 分析 を 試み. 階級 鬪爭の 主 な當事 者が ブル ジョ アジ I 並に プロレタリア. H 

. ト である こと を 力説し, さ、 ジ して ブ II レタ リア ー トの 必然的 勝利 を 確信した ので, ある。 然るに 現 時の 社會 において 階級 一 

鬧爭 の當事 者た る もの は, これらの 兩 階級で ある こと は事實 であるが、 この 兩 階級 以舛に 階級が 存在 しないの ではない 

こ乂 において これらの 諸 階 殺と 階級 鬪爭 によって ある; m 的 を 達し や、 フ とする 社會 運動と は 如何なる 關 係に あるかと 云ぷ 

問 超が 吾々 の 興味 を 惹く。 この 關 係に 就いて 旣に 論ぜられた ことが 多い や、 フ であるが、 私 はこ." に ボル シ ェ、 ゥ イズムの 

理論家と して 著明な ブハリ シ 並に ブ レオ ブラ チェ ンス キイの 共著、 「共產 主義 入門」 Das AIBCCles K:iinisis 1921. 

Hamburg. に從 つて その 一 般的觀 察 を 紹介ん や 5 と 思 ふ。 以下の 文章 は 同書 第 一 部 第三. 草 「共產 主?! 我と ブ 口 レ タ リアの; 

獨裁」 の 第 一 1 十 £ 節 「共 產黨と 資本主義 社 會の諸 階級」 (七三 I 八 一 頁) に相當 する。 ; 

1 共産 黨と資 本 主? 的 社 會の諸 階級 

プロレタリアが ある 國を 征服す るた めに は、 彼等が 結合し、 組織され る ことが 必要で あり、 5 うして それ 自體 の共產 

黨を 有する ことが 必要で ある。 共産 黨は資 本 主義の 發展 方法 如何 を 洞察し • さ 5 して 勞働者 階級の 寳際的 政治 關係を 明 

瞭に 知り、 その 狀 態に 就いて プロレタリアに 知らし め、 さう して その 戰鬪を 指揮し なければ ならない。 如何なる 政黨 も, 

未だ 嘗て、 1 階級 全體 を, その 黨員 とした こと はない。 この 程度の 階級意識に は、 如何な ろ 階級 もま だ 到達して るない。 . 

攻黨に 加 人す る 者 は 一 階級 內で 最も 進步 的で、 勇敢で、 戰 闘 において 最も 持續 し、 且つ 最も 正當に その 階級 的 利益 を 一 

解す る ものであるの を瞥 通と する。 故に 一 攻黨の 黨員數 は政黨 がその 利益 を 代表す る 階級の 全員よりも 大分 少 くない こ 

と を 普通と すろ。 正常に 解釋 された 階級の 利益 を 代表す る 場合に おいて、 政黨は 一 般に 主要な 役目 を 勤める" 各 政黨は 

全 階級 を 指! * し。 權カを 得る ための 諸 階級の 鬪 爭は、 支配 樯に對 すろ 諸政 の S1 爭 となって 表 はれる。 故に 攻黨の 本質 

を 了解す るた めに は、 吾々 は 資本主義 社會の 各階 級の 地位に 就いて 研究す る ことがなくて はならない。 かう 云 ふ 事情 か 一 

ら、 1 定の 階級 的 利 < 稗か發 生し、 さ、 フし てこの 階級 的 利益 を 代表す る ことが、 攻黨の 本質 を 構成す る。 

二 地 主 一 



資本主義 發展の 初期に おいて は, 農業 は 農民の 半 奴 肆的勞 働に その 基礎 を s^d いてる 地主 は 農民が 地主の 所有地に 

おいて 努働を 提供し、 もしくは 貨 19 で支拂 をす ると 云ふ條 件の 下にお いて、 民に-ての 土地 を 貸した。 故に 地主の 利益 

は eg 民が 都. 5" に 集中す ろ こと を妨 けた 「地主 は 彼が 村落に 半 奴 隸の狀 怒 を 維持し 得る やうに、 すべて 6- 改革に 對 して 反 

封 を 加へ た。 故に 地主 は 丁: 業の 發 に 反 針した。 斯樣な 地主 は、 その 多く 自. rsi-t やに 從審 しないで、 の芬 働に 對す 

る 蒋生蟲 として 生活した。 從 つて 地主の 形成す ろ攻 es- は最恶 の 反動的の ものであった。 さう して 現在 もさ- 「である。 地 

主の 政^ は何處 においても 离 秩序の 復活 を耍 求す る。 そ は 常に 地主の 支配と 鄉 土の 支配と さ- フ して cri- と勞働 者の, 完全 

なる隸^i^5:^耍求する。 そ は 所謂 保 {tM であり、 眞の 反動的 政 is- であろ。 

軍 國卞教 者. か 常に贵 族 的 地主から 出て 來る やうに、 地主と 軍人と が 最も 折り合せ い- -と云 ふの は 驚くべき ことで はな 

い。 それ は 何 處の國 でも さラ である。 ブ ロイ センの スン ブル はこ S 最もい い 例で ある (プロ イセ ン では 大地 主 は ユン ケ 

ルと 呼ばれて るる。) これらの 人々 から 將校隊 を 成立して るる。 それ は 口 シァ でも 同じであった。 ッ ァ ルの 樞密院 は大那 

分、 大地 キ; 階极の 代表者であった。 公爵, 伯爵と 云 ふやうな 舊 家の 大地 主 は、 大! ^数千 人の 奴隸所 お^の 組 先の 相 緒^ 

であろ。 ロシアに おいて は • ロシア 人民 黨、 國民黨 (首領 クルべ ン スキ) 右黨 十月 黨 等の 地主^ か 嘗てお 在した。 

二 資本: g ブル ジョ アジ.' 

ブ ル ジョァ ジ I の 努力 は產 業の 開發 によって 最高の 利潤 を 得る ことに 向けられる。 卽ち勞 働 者から 劍餘 憤! g を? おろ こ 

とに 努力す ろ。 彼等の 利 titr か 土地 所^者の 利益と 全然 一致す ろ もので ない こと は 明かで ある〕 fp: 本が 村落に 入り込む と 

そは舊 時の 狀您を 破壊す る。 資本は^^民を村落がら都會へと吸引すら。 そ は 都會の 巨大な プロレタリア ー トを 形式し、 

さう して 其の 新しい 要求 を 村落に 求める。 かくて 從來 満足して ゐ た 農民 も 次第に 馭し 難くな ろ。 斯様な 革命 は 地主の 慾 

しない 所で ある。 然るに 資本 的 ブル ジョ アジ I は、 この 狀態 において 彼等の 幸福 を 見出す。 村落から 都 會に勞 働 者が 吸 

引 されれば、 される ほど、 多くの 勞働 力が 資本家の 自由にな り、 從 つて 低い 赁 銀で 勞働を 雇 ふこと が出來 ろ" 村落が 疲 

弊す ると、 小 地主 は 自己の 消費の ために 種 な もの を 生産す るの を 止め、 大 製造業 者から これも^ する こと を餘^ な 



くされる。 村落が 自己 V の消费 のために すべての もの を 製造して ゐた舊 畔の狀 態が 1^ 速に fss すれば、 する 程、 H5I 生產 

品に 對 する 市 揚は擴 張せられ * その 結果と して 資本家 階級の 利潤が 盆々 高くなる。 

故に 資本家 階級 は、 蓊 式の 地主に 對 してお 難す る。 然し また^ 銀勞 働と 機械の 助け を惜 りて、 その 産^ を經營 して 行 

く 資本家 的 地主 もる ろ。 彼等 はブ ル ジ ョ アジ I と 共同の もの を 多く 持って るる。 さう して 彼等 は 通常 ブ ル ジ ョ ァ政 に 

加盟す ろ。 彼等の 目指す 戰 闘の 相手 は 勿論 勞働者 階級で ある。 もし勞働^t^階級が卞-として地主に對して戰鬪^開始し、 

ブル ジ ョ アジ ー に對 して は あまり 戰 はない とき は、 彼等 は勞働 者と 折り 八:: ふこと. か 出來る (冽へば 一 九 〇 四 —五 年に お 

ける が 如し。) 乍然、 勞働 者が 共 產主穀 の 利 < 处を實 ^し 始め、 ブル ジョ アジ ー に對 して 戰 鬭 を 開始す ると、 ブル ジョァ は 

地主と 相 合して 勞働 者に 封抗 する。 現 時に おいて は、 すべての 國 において, 資本 的 ブル ジョ アジ ー (所謂 自由 f;> は 革 

命的ブ 口 レ タ リア ー トに對 して 激烈な 戰を行 ひ、 さう して 自由 黨は 反革命の 政-治 的參謀 本部と なって ゐる。 

ロシアに おけろ 此 種の 欢黨は 人民 自由 黨、 立憲 民主 黨 (また S 単に 力 デッツ) 並に 今 は 見る 影 もない 十月? M である。 (二 

の 政黨は 二 コ ラ ス 第一 一世が 「 1 九 〇 五 年 十月 十七 日に 憲法 宣言 を發 布した ときに 形成され たもので ある。) 工業 的ブ ル ジ 

ョ アジ ー、 資本 的 土地 所有者 並に 銀行家 は その 追從 者で ある 大舉 敎授 > 高級の 法律家、 著述家、 技師 等の^ 識者と 共に 

これらの 政 黛の 主要な 黨員 である。 一 九 〇 五 年に おいて 彼等 は專制 主義に 對 して. K 不満 を 感じた。 けれども 旣に 彼等 は 

勞働 者と 農民と を 恐れた ので ある。 1 1 月 革命 以後に おいて 力. テツ ッは勞 働 者 階級の 政黨 —— -ホ ル シ ェヴィ ヰに 對 して 反 

對 したす ベての 攻黨の 指導者と なった。 1 九 一八 年 並に 一 九 一 九 年に おいて- 力 デッツ はソ グイ ヱット 政治に 對 して あ 

ら ゆろ 陰謀 を 企てた。 彼等 はデ 二 キン 並に コル チ ツヤ ク將 軍の 政府に 雇して ゐた。 彼等 は 要するに: i 力 的 反革命の 指導 

者であって、 地主の 攻黨と 全然 同一 であった。 勞働 者の 支配の 應迫 によって、 すべての 大所お 者の 圓》 ^ は, 一 つの 不淨 

な 旗の 下に 結束した。 さラ して その 先頭に 立って るろ の は、 最も 精力の ある 政 is! であった。 

三 都市の 小ブ ル ジョァ ジ ー と小ブ ル ジ ョ ァ 的-せ 識者 

この 部 頻に餍 する もの は 手工業 者、 小 商人、 精; t 勞勸者 並に 小官お である。 これ は 一 の陪教 ではなくて、 統一 のない 



1 の集圃 であろ。 これらの もの は、 多少 共 資本に よって 奪掠され てゐ、 虔々 その 力 以上に 攝 いて ゐる。 彼等の 多く は, 

資本 主 殺の 發展 と共に 劣敗 者と なる。 乍然彼等の勞^^^件は、 資本 主 一翁 下にお ける 彼等の 地位の 絶望な こと を^ら しめ 

ないやうな ものである。 手工業 者 を 例に 採って 見やう。 彼等 は 牛馬の やうに 働く け わ ども ffH 本に 種々 の 方法で 彼 を 奪 

掠す る。 金 贷は彼 を 奪掠す る) 彼の 勞 働して ゐる 職業で も 彼 は 利用され る。 これに も 拘らす 彼 は 「11 立の 紳士」 だと 考 

へて ゐる。 彼 は 自分自身の 道具み ffl るて 働いて るる。 外見から する 彼 は II 立して ゐる やうに 見える。 へ. ^もえ-た 勞働 者と 

混同され ないやう に 骨 を 折る。 さう して 彼 は 紳士の a を眞 似ろ ノ 何と なれ. は. 彼 はこの 心に 紳士と なる 野望み: いほいて ゐ 

ろからで あろ。 かくて、 彼 は 敎會の 鼠の やうに 貧しい にも か k はらす、 彼の 感情 は勞. 鲍者 階級より は、 彼の 奪掠 者に 近 

くな つて 來ろ。 小 ブャジ ョァ的 政, ts?, は 一般に 急進的. 共和 的、 時として は社會 主義の 故 色の 下に 集って 來る" 小 主人 達 

の 間遠った 地位から 彼等 を 下ろす こと は、 甚だ 困難で ある。 けお ど そ.:: は 彼等の 過失で はなく して、 ,ての 不 である。 

ンァ では 他の 諸國と 同じ やうに > 小 ブル ジョァ 的 政;) や ^は> 人民 社, _I35MJ ゃ社會 主穀者 革命 《:li や ある 程度に おいて メ ン 

シ ェヴィ キのゃ 5 に、 社會 主義 的 民衆の 背後に 隱れ てるる。 社會 主? 我 革命 靈 か 地方の 中産階級 や 金贷に その 基礎 を S い 

てるた こと は 注意すべき である。 

四廣 民 

地方で 農民の 占める 地位 は、 都會で 小 ブル ジョ アジ I の 占めろ, 地位と 同じで ある。 * ぽ民は 彼等 自身 一 つの 階級で はな 

い。 さう して 資本主義の 下にお いて は- 彼等 は 順次 現在の 階級の 二三の ものに 陷も 込む ので ある J どこの 村::.^ でも * 幾 

等 かの fSg 民が 谳を 求めて みる。 ある 農民 は 遂に プロレタリアに 陷ち 込み、 ある もの は舍 貸になる。 斯樣な 過样は 中產階 

极の 農民に おいても 見る ことか 出 來る。 彼等の ある もの は、 彼等の 馬と 離ハ て、 4 ま 米勞慟 者と なり、 工業 ^働 者と なる 

こと を餘 俊な くされる 他の もの は、 精 を 出して、 自分の 職 を 勤め. さう して 人手な 雇 ひ、 機械 を 据えつ け、 一 首にし 

て 云へば、 企業家 卽ち資 本家と なる。 けれども 農民 は 一 の 階級 を 形成す る もので はない。 彼等の 中で 少く とも 三つの 闺 

f 區 別し なければ. ならない。 その 第一 は 農業 的 ブル ジョ アジ ー で赁 勞働者 を 奪掠す る ものである。 第二 は 中産階級 



で lg 交に 農業 を經營 すろ 力、 貧 銀勞 働, で 奪掠 もない ものである。 第三が 半 プロレタリア I トとブ ロレ タリ ァ I ト であ 一 

る。 

これら, の圑體 がブ. ロレ タ リア ー ト對 ブル ジ-ョ アジ.. 'の 間の 階級! 1 爭 において 取ろ 種々 な 立場 を 見ろ こと は 甚だ 容易で; 

ある。 金贷は 常に ブル ジョ アジ I と 結び、 屡々 地主と 結ぶ o( 例 <ば獨 こに おいて は、 大農 業 家 は佾侶 並に 地主と 同じ 阖: 

體に 加入して ゐ る。 ス ゥ并ス 並に ォ I スト リア も同樣 である、 ある 點. 5 じ は 佛蘭西 も同樣 である。 ロシアで は 地方の 金 一 

貸が、 一 丸」 八 年に おける すべての 反革命 的 陰謀 を 支持した") 半プ 口 レタ リア 並に ブ 口 レタ リア は 自然に、 ブ ルジ ョ ァ_ 

ジ|並に兪3^に封する戰鬪にぉぃて勞働^|^?側に加擔すろ。 中産階級の 農民の 地位 はもつ と複雜 して ゐろ。 一 

もし 中産階級の 農民が, 彼等の 多數は 資本主義 下にお いて は 救 はれる 望みの ない こと を 知り、 且つ 彼^の 中の 極.^ 一 

のみが 富裕 者と なり, 他の もの は 乞食に も 均しい 生活 を 送らなければ ならない と 云 ふこと を 知る ときには、 彼等 は努 働- 

者 を 助ける だら う。 然し、 彼, の 不運な ことに は、 他の 地位が 都會の 手工業 者 並に 小 ブル ジョァ と 同じ ことで あら。 彼. 

等の すべて は、 その 心の底から 富者に なりたい と考 へて るる。 けれども 彼等 は 資本家, 地主、 さ、 フ して 金 から 壓迫さ 一 

れ る。 故に 彼等 はプ ロレ タ リアと ブル ジョァ の 間 を 常に 變轉 して ゐる" 彼等 は 全然 勞慟者 階級の 見^ を 取る こと は 出來: 

ない と 同時に、 地主 f^- 恐怖す る。 

この こと は ロシアに おいて はよ く 見る ことが 出 來る。 中產 階級の 農民 は、 最初 地主 並に < ^貸に 對 して 勞働者 を 援助し 一 

た。 けれども 彼等 は共產 主ー峩 下にお いて 不遇で ある こと を 恐れて. 彼等 は勞働 者の 敲惻に 廻った。 金 貸 は 彼等 を 自分 達-; 

の 味方に する ことに 成功した j けれども 地主から 彼等 か危 險を與 へられた ときに 彼等 は:. ± び 勞働者 を 支持し 始めた" 中, 

產 階級の 1^ 民 は あるとき は勞 働お の 政 (共 產^) へ 加盟し、 あるとき は 地方の 兪货 並に 大農 業 家の 攻黨 (社會 主 i ^革- 

命 黨) に 加入した。 1 

五 努慟者 階 扱 (ブ ロレ タ リア I ト) 一 

努柳者 扱 は 「その 暖 S1S 外 何もの を も 失 ふことの ない」 階級で ある" ブ ロレ タ リア ー トは 資本家に よって^ 掠 せら, 



るるば かりで なく、 歴史的 發展の 過程に おいて、 J つの 巨大な 勢力に 結成され る。 さ、 フ して 共に 勞 働し, 共に 戰鬪 する 

こと を敎 へられる。 故に 勞働者 階极は 資本主義 的社會 における e8 も 進歩した 階級で ある。 故に 勞働者 階級の 政黨は 最も 

進歩した 政黨 であり、 lc_ 坂 も 革命的な 政 (1^, である。 

この 政 4fJ の E 的が 共產 主義 的 革命に ある こと も 極めて 自然で ある〕 ブ ロレ タ リアの 政 黨 は斷 乎と して この 目的の 達成 

のために 活動す ろ。 その 扦務 はブ ル ジ ョ アジ. I と 掛^す る、 J とではなくて、 ブ ル ジ ョ アジ— な 澄:^ し、 其の 反抗 をお 破 

する の にあろ。 共產 is- は. 「驾掠 者の 利益と 被;^ t 掠^の 利益との 問に ある 璃め 難い^ 梁」 を 叫かに しなければ ならない。 

(^变 共牵. の 綱領が これ をな したや、 フ に。 共產 =M の 綱領 はメ ン シ ヱ-ウイ キの 人々 に はって おおされた ものである 力 

不 M も J れを 全然 忘却して、 今や ブル ジョァ ー と共に 吾々 に 突 1 せ! しつ.. あ 60) 

吾々 の. ^"お" ま 如 可なる 能い 度 を小ブ ル ジ ョ ァ. I に對 して 取るべき か。 五;: 々の 能、^^ は旣に 述べ たと, ) ろで 明かで ある。 吾 

々は, あら ゆろ 方法 を 以て、 资 本キ: i„ ^我 下にお ける 生活 向上が^^で あり、 自己欺瞞 である こと を 示さな け わ はならない 

吾々 は中產 階級の IJI 民に 對 して、 前途の 困難 を 顧 4!:) する ことなく、 プロレタリア. ー トに 味方し、 その tl-li^ にお レては 彼 

等 を 援助す る ことが 彼等の 利 であろ こと を 《めに 熱心に 說 かねば ならない。 ブル ジ ョ アジ I の 勝利に よって S たに 金 

贷 のみ 勝利し • さう して 彼等が 新しい 地主 階极 となる こと を 彼等に 示す の は、 江"々 の 義務-ひ ある。 一 言に して 云へば、 

吾々 は • すべ ての 勞働者 をブ 口 レ タ リア. I トと 了解 あろに 到らし め、 さう して 勞 働^の 立場に 立た せなくて はなら なレ 

トグル, ジョ アジ. I と 中産階級と は その 生 產の狀 態から 生れた 偏見に 充ち てゐ る。 吾々 の 義務 は 彼等に 眞富 リ 地位 即ち 

主義 下にお けろ 彼等の 地位 は絕 望で ある こと を說 明す ろに ある。 資本主義 下にお いて は * 晨 民の 生 殺 與^の 權は地 

主が 握って ゐる。 た^-ブ0 レタ リア ー 卜が 勝利 を ST さう して プロ レタ リア ー トの 支配が 確立され たと きに お レバの み 

生活 ま 全然 新しい PE 面を轉 回す る。 乍然 * プロレタリア ー トは、 彼等の ソ リダ リテと 組!^ と. さぅして^^?ソた絕對&な 

玫 el-ssl^§ のみ: よって、 i: 利 を? ほろ ことが 來ろ。 ^^^"々は、 新 生活の^ 爐 を^し、 プロレタリア. ー ト として 生活し、 

1ボ^^^^リ^舉んだすべての转働者を共牵0|に加盟ぜしめなければならなぃ. J 一、 1 

戰鬪 のために 結成し. :れを準^した共產^!^の意義に關しては, !!こ 並に ロシアの^ 例によって こ ネを學 と;^ ^ 

來る。 進4}^したブ 口 レ タ リア ー トを 持って ゐろ Si 乙で は戰 前まで、 口 シァ の. オル ジ ェ. ウイ キの や、 フな戰 鬪 的政黨 力. 在 

しな か、 つた。 力 アル *リー グ クネヒト, 口—. サ* ルク セン ブル ヒ 等が 共產^ を 作った の は * 戰爭 中に おいて.^ あった。 故に 

1 九 一 八 年 並に 1 九 一 九 年の 数次の 反亂 にも 拘ら す, II この 勞働者 は、 その ブ ル ジョァ ジ. 1 を 征服す る こと: S 出來 1.;^ 

つた 。口 シァ において ま」 オルシ ェグ ィキ黨 の やうな 確固たる 政黨 かあつた。 故に ロシアの ブ ロレ タリ ァ. I ト" よ. 

を 受けろ ことが 出來 た。 さう してす ベての 困難に も拘ら す、 口 シァ のブロ レタ リア I トは圍 結的戰 n に 入った f 第一 一 J 

n レ タ リア l- ト であり, 如 二 迅速に 征服すべき かな 知って るた。 口 シァ 共産 til は ごの 點 において 他の 共産き の,.^^ ナ 

る こと を 得る" 波 tei? のソ リダ リテと 訓練と は 右 名で ある。 そ は 最善の 戰^ 的政黨 であり、 ブ レタ リア 革命の 招 導 的.^ 

at である。 (加 田哲ニ )• 



30 



グ 〃タ ドン の, ノオトから 

(近 代 の 女) 一 

アルト マイヤ ァの窨 いた 和 蘭 土の 女 錢攻、 マ ルゲリ イト • ドブ ウル ゴ ォ-ー ュの傅 記 (一八 四 一 年 出版 11 譯者) に は、 

コル ネリ ウス • ァグ ひ. ツバの 婦人 論 か 引用され てゐ るが * これ は ガン ド> ィル が飜譯 した 13" Fesiuei sexc! 力 praeczl- 

lentia ( 一 五三 一 一年, 出版 {.r. 譯者) のうちから 拔萃 した もの だ。 

,r 男 は アダムで ある、 卽ち 自然で あり、 肉體 であり、 物質で ある。 女 は ヱ. ェヴ である * 即ち 生命で あり、 靈魂 であり 

/云 ふに 云 はれぬ 神聖な ろ 萬 能の 神秘な 四 成語 〇〇〇 或は XXX であろ。 斯 くして 女 は 天地創造 を 完成せ しめる もの だ。 

女に 生 4 叩を與 へた 後、 神 は 斯樣に 完全な 創作に 疲れた ものの 如く ほっと 一息した。 女 は 天 國に呱 ^の 聲を樂 ゆ、 男 は 

畜生の 間に 其 生を享 けた。 女 は 精神に より、 美に より、 將又、 此の 神格の 反映、 此の 天 光の きに よって 男に^つ てゐ 

る? 極言 すれば、 女 は 神 そのもの である 0」 

一 引 ffl 者は績 けて 云 ふ 、「此の 珍書の ラ ちに は, 著者が 婦人の 境遇に 就て 傾聽 する に 足る、 非常に 進步 じた 意兒を 述べて 

るろ 多くの 章句が ある ノ 何故と 云 ふに、 吾々 の 社會に 存在して ゐる もの は、 都べ て 此の 形態の 味 を、 此の 溺 かさ を、 

此の 魅力 を 失って ゐ るのに • 而も 世人 は 此等を 党め て 息まぬ ではない か。 して 其の 譯は? それ は 男 だけが その I 脈の 

《=Q つた 手な 作物に 掛けて、 女性に は * 換言す ると 何事で., r 出來 ない こと はない 此の 優し さに は、 何 一 つと して 造らせな 

かった からだ。 全 體 だれが 家 を^て、 像 を^り、 文 を 書き、 給 を 叢いた のか? それ はみ な 男であって、 斷 じて 女で は 

ない。 努術は 本來、 綜合せ ねばならぬ ものであるのに、 だ 一 つの 性の み を 所有す る < そ は 男性で ある。 だが 云 ふまで 

もな く * 藝銜が 最も 强ぃ 性の 能力と 最も 弱い 性の 傾向と を. 結合す る S 日が 來ケ たらう" その 時に 理 や-的 表現の 美の 爲 の 



時代 は 到来して、 その 被 を 桔 ぶで あら、 フ 0J 

さてさて、 これ は 恐れ入った! 縱 し 男が 一 切 を 創造した としても、 それ は 女に は 天才 もな くまた ^創 力 もない 爲だ a 

女 は 知らぬ! その他に 何の 取 か ある? 術と いふ もの は、 假令 それ を 創作す る ものが 男で あるに せよ、 その 性 110^ 

上、 女性的な もので はない か? 慈 術は隨 分と 女性化の 傾向が あるで. はない か? 婦女子が それに 嚙 を容れ ると いふ こ 

と は、 藝術を 氣の拔 けた 麥酒 にし、 その 名 を 汚す 所以 だ。 

他の 點に 於て、 アルト マイヤ ァは、 ァグ リッパの 論題 は 一 の パラドックスに 過ぎない もので- そ S パラドックスの 藤 

に 隠れて 彼 は 聖書、 その 署 惡^、 及び その 敎教に 反抗して 思 ふ 僅に 振舞った の だと 認めて るる …:: 他の 著書に 於て は、 

ァゲ リッパ は 前に 引いた 書に 於け ろ 程 女に 媚 ひすに 女性に 就て 自家の 見解 を 表明して ゐる。 此の 書 は^して づ e f 

rtitudine etvanitate scieiitiarum atque artium declamatio ( 一 五三 〇 年 出版 —— 0^^ と 、 ふ。 

一般に, ァダ リッパに 從 へば- 有 ゆろ 藝 術- 有 ゆる 科學、 有 ゆる 人生の 職業と いふ もの は 唯 だ 不幸な 若しくは 無 川な 

- 結果に 歸著 する もの だ。 

彼 はいふ、 「生活の 有 ゆろ 眞理は • 私 をして 味氣 ない ものに それ を 思 はせ た。 舉^ の 眞理は 倦 忘 もて 私を惱 ました。 友 

SS 眞理は 私に 陰, も を p〕 せて を pht た。 若し 夫れ sir まきい i; つ ひ、 一 ^^^^^^^^^^^ ^^- ^^^^^ 

、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、#、、、、 、、、、、、、、、、、 

ふより 寧ろ 如何に 戀 愛が 幸福 力ら 遠い もので あるか を a. ぶ爲 に、 私に 女 を識ら せて れ; r」 

****** 

吾 タは女 を識ら ない つて? 

1 體、 識 ると は ど 5 いふ 意味 だ? -—— 何人 彼の 淸淨無 as は 決して 疑 ふべ くもなかった フエ ヌ B ン より 女 をよ く識 

ら なかった。 

識 ると は • 私生活に 於て 且つ 有 ゆる その 行爲 * 表現、 狀您に 於て 觀察 するとい ふこと だ。 

そ は 自然 狀悠 より 最高 度の 文明に 到る. 歴 .ac- に 通院す もとい ふこと: UO, . 



- そ は 物理と 倫理 を 研究し、 精力 を湖定 し、 產 物,. 著書. 勞作、 作 a を判斷 するとい ふこと だ * 

^ 成らと は、 おゆる 種類の 人 ST 靑年、 老人. 良人、 情人、 處女 及び 細君の 告白 を聽 取した とい ふ, 一と だ。 

誠ろ と は、 ど どのつ まり • 今度 は 自分が 家族の 情愛 を、 家族と 父性と いふ 其 二方 面に 於ての 愛 を 身に 親しく 感じ、 兄 

弟 • 友 透 * 親友、 父、 其 他であった とい ふこと だ" 

要すろ に、 識 ると は. r に 驗に侬 てで なければ、. 妙く もと 觀 察-一 據て、 戀 愛の 衞生舉 と 病理 學とを 研究した いとい ふこ 

とだ。 

f". ぉを識 るお に、 <m 分が 熟 病に 種って 児たり, 或はべ スト を 療治す る爲 に、 自分の 體 にべ スト 菌を 接種して 見る 英迦 

な が あるか? ^蛇 や 獅子 を 識る爲 に、 一 々投 蛇に, い まれたり * 或は 獅子に 絞められ たりして なければ ならな か 

つた か? 

. (&1、々?1^„^ず"ぃ^、ぃ、っで") そり あ 小娘 や、 靑ニ 歳の 誇大 忘 想 狂 や、 下劣な 遊蕩 兒 やの 弗禮と いふ もの だ。 

併し 世 問で はす. i か經驗 たけを 信用す るから、 先づ 初めに 極度の 老境に 到ろ まで、 色情 は持續 する もの だとい ふこと 

それ は 唯 だ^ へ るた けで え はしない とい ふこと、 五十男 は 彼が 體 得した 長い 經驗 と、 どうしても それで 片を附 けなけ 

れ ばなら ないや 5 志と を 別にす わば、 一 一十の 若者と 同じ 狀態に 在る もの だとい ふこと、 隨 つて 最善の 批判者 は E おもよ く见 

た 者. たとい ふこ と を 言 つて S く 必要が ある。 

お 神さん に ao^ な 人 はない わよ。 ! これが 少女の 抗議で ある。 

, 吾々 は その 通有性に 於て、 即ち その" g| 力、 性、 智力の 全 體に涉 つて 考察され た 女性と いふ もの を 論す ろの だ。 

以上の 方に 從 ふと * 或る 女の 美 は 亦 他の 女に 奴銶 になる。 而して 一 通りの心得と,ぉ::-:^な習^を修5^することは、 ま 

た 事に 臨んで 敏捷に, 物靜 かで 控 に 起居 根 舞 ふこと は、 どんな 女に も * やらう とさへ 惟へば、 出來る ことで ある 以上 

美と いふ こと はさまで 太 切な もので はない。 して 見れば、 私が 美 は 凡ゆる 女に 共通で あると 云った とて 差 支ないで はな 

いか。 

そんなら、 , ^は 1: で そんなに 不平 を^に さねば ならない のか? 

さう、 ひもな く、 不満な の も 無理 はない やうな 女が^ 山に ある, けれども 彼等の 不満の 因 は 性の それで はない。 

それ は 丁度 かれらの 郞の 利が 横 利の それで はない ゃラ にね。 



5& 一祐な 女 は, :^^が5|;ま彼等の性に及ぶと、 |2!^^^女とぐるになろとぃふ;11^點を持って,0る0 そこで 彼等に 百萬遍 も 同じ 

*^-ケ繰返して3^?1く必要が何虚にぁる? とい ふ もの は, 體 力、 S. 才智 > 哲學 * 攻治 • 努術 • それから;?^-務とか云 

ふ點に 掛けて は迚ら 男に は 叶 はない が、 併し家|5^-上の能カの實際に於ては、 恐らく 英雄的 資贾 よりもつ と 5^ 雛い もの か 

も 知れぬ、 此の 目先の? si 覼 念に 於て は, 或 種の 長所 を 持って ゐ ろと は、 一般の 定評 だ C こ;; は. 大成の 多感 性に、 彼等 

の 性の 激發 性に, 彼 ザの 理想主義に、 ^等の 敏感 性に 基いて ゐる. - ぉ氣の 毒で は あるが、 彼等が 我等の 上に 常 握して ゐ 

ろ此の^;:殊な傻越性は、 我等 男子が それ 以上 は 到達す る ことが 出來 ぬ、 同量の 不道德 の 力に 依て 平均され る もの だとい 

ふこと を、 更に^に 言 はねば ならぬ。 其虚 からして 斯ラ いふ ことにな つて 來ろ 11 立派な 女 は 女性のう ちの ヱリ イト、 

ク\數 の 巾に 溺死した、 極めて 小数の エリ イトの み を 形成す るので あるから、 罩 なろ 感情の 上に 依據 した、 女性の 平均 道 

性 は. 男子の 平均 道 性に 劣った ものと 之 を 見做さなければ ならぬ。 

これは故^:-に^:4Kした牽强附會の說ではなぃ。 そ は 事實の 論理的 歸結 である。 して 見れば、 私が何を其^!に企て^ょ 

ラ9 

あなた は 莨 g な! t 人です * ところで 私の 今 首った こと は あなた を 激昂させます か? 11 私 は あなた を聖 列に 加へ る, 

そ.;;, どころではない。 私 は あなたの 前に 跪く、 私 は あなた を拜 み、 そうして 私 は あなた を 愛する。 而 して 私の 口から 出 

た 此の!: や 後の 言^ は、 私が 私の 感 ill? を 言 ひ 表 はす 爲に 用ゐる ことが 出来ろ 最も 力の ある もの だと 云 ふこと を、 どうか 本 

ゆ 3 だと 思って 下さい コ 何故なら、 縱し私 か 普通の 女に しか 注目 しないと しても、 私 はや はり 彼等に 對 して さ ラ 感ぜざる 

を 5:! ないから" ぁなたは善^5{な3^人でぁろ、 そ、 フ して 私の & 心と 私の^ 性 は そ S 善 l:st な 婦人の 前に 平れ 伏す の だが、 私 

は あなたの を 人して 愛し もしなければ、 尙ほ又 尊敬な ど は 更更 しないの だ。 

そこで, それ 以上 あなた は 何 を むの か? 自然の 樂^ に 遊ぶ、 li- 始狀能 ^ にあろ 女 は、 太; 牛洋諸 の 女の 如く、 能く 

吾々 の 的 本能 を滿 足させる ことが 出來 る。 讲し乍ら彼女は吾々の愛^5^と吾々の糞敬とを受ける複利をば殆んど^^って 

るない。 而 して 文明の 女が 此の -5- 始狀 1?^ に 近づけば 近づく 程、 愈よ 彼女 は, 縱令 それが 肉 慾と 官能の それで はない にせ 

よ • 何等かの 權カを 行使す ろの 權利を 失って 來る。 それ だから、 世人が あなたに 要求して ゐる やうに、 物靜 かに、 愼ま 

しく、 内 で忠! a: に、 勤勉に して 貞淑に、 自制あって 用心深く、 從 順にして 謙遞 におな りなさい。 さう すれば、 啻に 吾 

々は あなたの を批議 しない 許りでなく、 吾々 は あなた を 祭壇に 安置して、 進んで あなたに 鍵と 肉と を榨 ゆるで あら 

、フ 

以上に 婦 を 山列舉 したが、 何も あなた は それに 辟易す るに 及ばぬ。 耍す るに、 歸 する 所 は 常に 同じ ことで ある 

家事 を 巧く、 とい ふ 此の 言 棄 がー 切 を 云 ひ す。 懋愛 も、 自尊心 も、 また 何物 を も 其 爲に喪 はぬ であらう、 と 私 は あな 

たに^せ a する。 (エリ ゼ*ジ P ォ) 



"一 . 幕 w 會 



人 の 社 曾が、 完全に社會化された|?^を語り^^な, 何等 

かの 候 又は がめ らう か? 

一 つ ある。 そして 唯一 つ ある、 即ち • 何人も 勞働 する こ 

と 無くして は, 所^ を 得る 能 は. さるに 至った 時が、 それで 

ある。 

これ は 社〈コ 主義の 徴候で は ある • がその 目標で はない。 

それ 自, 股、 決定的の もので はない。 若しも, 各人が 生活す 

るに 十分な もの を 持つ 時 は, 何に よって 货幣 或は 貸 物 を 得 

ろか は 問. 粒と はならぬ、 何もの の爲 に でもな く、 得よ ラと 

て も 亦 il すろ 所ない ので ある。 そして、 不勞 所得の 制度の 

Is 物 は 常に 泣る。 老年に する 貯蓄の 如き • これで ある。 

標 とする 所 は * 如何な ろ 形態の 所得の 配分 でら なく、 

財産の 分 でもない。 : 牛 や 化で もな く * 勞 苦の 低: でもな く 

ま;,: 生の卒 ,IK の^太で も な い" そ は 無産お 的狀 能-の 止で 

あろ。 そは^^.3;的終身双^^階級* 名 もな き 傳來の 奴 役、 同 



1 の 名に よって 呼ばる- - 二人の 中の 一 人の 斑え である" も 一 

は傳來 的な 社 曾の、 1 一重 成^の 抹 であり, また 同胞 か 2ニ 

胞 を奴隸 化し * 古代文明の それの 如く、 現代文明の 基礎 を 一 

奴隸 制度の 上に き、 吾々 の あらゆる 行爲 * 創适、 享樂を 

害 はしむ、 西 歐の惡 風の 廢止 である。 

これ 等 とても 亦、 究極の 目標で はない 11 經: Is や 社會は 

どうして 究極 目標 を 語り 得よう 11 地上に おける 總 ての 努 

力の, 唯一 完全な、 最終目的 は, 人 問の 靈 f の 解放で ある- 

然 し 乍ら 最終 の 目的 は、 政治 學の行 く ベ き 逍 は 示す 事 はな! 

いが、 その 方向 を 指示す る。 一 

無 產者狀 能 廢 t として 私の 誌した、 攻治 的の 5 標は 「來 

ろべき ものに 就て」 (註 • 一 ) に 云った 樣に, 財 產を敎 育に 關 

すろ 適當な 政策 * 殊に 相 續權の 制限に よって、 密接に 病つ 

き 得る であらう。 この 目的の 爲に は、 嚴密な 意味での 社 曾 一 

化 は, 必要がない 然し 乍ら > 遠大な 社會化 政策 11 私の. 

こ-" で 言及す ろの は • 生產 手段の 箪な, 機械的 國有 化で は 

なく, 根本の 經濟的 社會的 改革で あろ 11 は尙, 必要で あ; 

つて 且 緊急な 耍 する もので あろ 何^ならば * そ は. 資任ー 

成,》 を換 起し \ 一 を ast し、 又 不精な 統治者 階級の 手から、 時 一 

と 方法との 決定^ を 奪 ひ 返して, ^代に 於て は 淺 75 な デ モ 



クラシ lis はに、 後援な く、 立てる、 より 適切な 實 格の あ 

ろ 全:^ 汆の 手に^ 十からで ある。 何と なれば、. 唯 攻治的 人 

物の^に めっての み デモ クラシ. I は、 民^ 支配の 帝 5 味 を 持 

ち * ;^^練されぬ、 非 政治的 人 Si にと つて. は、 そ は WHr 俗 

Si の 酒 5$ に 社 4" な 論じ、 雜談を 試み ろと wi; る 所ない の であ 

ろ。 1^ 逸 ブル ジョァ の デモ クラシ ー のか? t』 は、 居 屋 た。 

そこから 敎 化が 開:^ し, そこで 意:: か 形成され る。 そこ は 

政治的 の =^4:: 化が であり、 is 說 の^ 一 おであり、 の 

1^ 票 所で ある。 

然しながら、 この 遠 太な 社會 化が. H 施された^ 候 は、 不 

勞所? むの 斷, にある。 私 は: れを 候と 稱し * 規矩と は 名 

付けぬ。 何 となれば、 ifi-u 々は國 家の 完全な そして a 典 正な 民 

主 化と • 各人に 平等の 機 會を與 へる 敎育 制度と を以 つて そ 

の 規矩と せねば ならぬ。 その 畔 にし- - 初めて 吾々 は、 階級 

と 文化の 獨占 を破壞 し, # たりと 叫び 得ろ。 然しながら、 不 

勞 所得の 俊 止 は, 階級 11 占の 最後の 形式 即金 權 政治の 崩壤 

を 示す もので あら ラ。 

これらの E 的 か 〔Ja 現された 曉に は、 如何な ろ 社 會が來 る 

べき か は 像す るに、 容易で はない。 殊 LT 吾々 が、 K~ 時 

の 露國の 制度 や ハ ン ガリ ー國 の 過^ 局面の 如き、 僅かな 期 



間に 就て 見す、 永續 的な、 確定した 狀 慈な 考 へる 時に 於て 

そラ であろ。 ボルシェ ビ ストの それの 樣な、 獨裁的 Is 頭攻 

治 は、 こ- - では 2-^ 考の 範^ 外に 存し、 よき 意味の 社 <IH 物語 

のゥト ビアの 如き は 何等の 憤 値 もない。 彼等 はすべ て、 赏 

際の 可能 範 を 七 係 も 超 ゆる ほど 誇張した、 一 般の安 I ゃ狀 

0^. 幸福な ほど 無智な 假定に 立脚して 考 へて 居る。 

現ャ 吾々 獨 逸人、 惹 いて は歐洲 人の 亦 他の 諸國 民が、 

民衆の 上下動 搖 に^し、 向 ひつ ある 社 會狀您 の 知識 を 得 

る 事け、 吾々 をして 只に、 大な る社會 問^に 對 しての みで 

なく、 吾々 の 全 政治的 狀能 對して も、 その 您度を 決定せ 

しめる ものである。 吾々 の 目的 を 定め, 決心 を 形作る 時に 

吾々 は、 積極的 衡動 によって に はなく、 消極的 衡動 によつ 

て. 1 何もの かを^ん とすろ 努力で はなく、 何もの かか-避 

けんとす る 努力に よって 1- 衞られ ね. はならぬ と 云 ふ 事 は 

まったく 11 逸の 傳統と 一致す ろ 所で ある。 この 努力、 その 

赏は 回避で あるが、 これに 對 して 吾々 は * 社會 主義との 接 

極 的 名 稱を與 へる。 そして 吾々 は • 求めて 居た 所の ものが 

得られた 時に、 11 平凡な 瞀句 ではなく 眞赏に 11 i,^, 

如何なる ものと なって? S はれる かに 就いては、 一?S も 心 を is 

はさいの である。 



これ は s* に、 想像力の tt 乏 から 生す るので はない • 全お 

から 云って • 11 逸人が 政治的 傾向に 封して 了解 を 持たぬ に 

由る。 吾々 は 商業、 科學、 思 相. -に 於て は、 多少 敎 育され て 

るるが、 政治 學に 於て は、 柬 スラブの *isg 民と、 その 程度 を 

略^!じくしてゐる0ょりょぃ所で I. 然も, 常々 ではない が 

11 何が、 吾々 を 腫 迫し、 迫害し * 困惑せ しめる か を 知る 

位な ものである。 吾々 は 吾々 の 禍患を 知ろ。 目的 を曉 つた 

と考 へろ の は、 唯 それ を 倒様に した 時に 於ての みで ある。 

「移 察官が 難 さるべ きで ある。 戰爭狀 態 か 罪 を 負 ふべ き 

である。 ブ シャ 人が 責めら るべき である。 ユダヤ人 か惡 

いので あろ.' 英 國 人 か 咎めら るべき であろ" 佾 侶に 罪を歸 

せらるべき である。 IK 本家が 非難 さるべき である。」 こうし 

た 思惟 過程 は、 よく 了解す る 事が 出來 る。 若しも 吾々 に 

吾 々V5 よき 性 1^ と、 組!! を 愛した 二 世紀の 歴 かなかった 

なら, 丁度 スラブ 人と 同じ 樣に、 吾々 の ii- 始 的な 政治 本能 

は, 百姓 一 授ゃ 宗敎^ ゆや、 妖 姿の 魔法 や, ユダヤ人のお 

の 形と なって, 「, wig 立-つた 動」 「註 i 一) の 中に 現 はれた 

であら、 フ。 &r り l^i く f?i:: 々の 愛國心 はか- - る氣 質の 明らかな 

る 徵證を 示す、 即ち、 國 家主 f^、 率ば は、 妖怪 攻略 そして 

尊き 靜 けさ、 熱心な 自己 駄身 * 攻的理 相 や. J 對 すろ 努力 等 は 



決して 存在し ない 

頻 逸 は 今や 共和 國 となった。 誰も 真-向 目に 欲し はしな か 

つた 。吾々 は 遂に 議會 政治 を 制定した。 誰が 欲した からで も 

ない。 吾々 は 一 種の 社會生 義を實 施した。 誰も それ を 信じて 

ゐ たもの はなかった。 吾々 は 常に 云った 。「人民 は 王公と 共 

に 生 を 莩け死 を 共に せん" 吾々 の 最後の 血潮 をネ ー へ ンッ 

ォ ルレ ンの爲 に 流さん」 と。 誰も 之 を 否定し なかった リ 「人 

民 は 一系の 君主に より 統御 せらる- * ものである。 その 將 (は 

の 爲には • 火中に 飛び込む。 ^逸の 國土を 敵の 足下に 跺!: 

せられん より は 死 を 選ぶ」 と。 さて これ 等 は妄ゅ つたの 

だら うか。 否、 決してそう ではない, 十分に 誠寶 たったの 

である。 唯 深く は 進まなかった ので ある. それ は、 その 代 

替 物の 可能性 を 十分に 知る 事な しに 1 信 E へして ゐた誠 lit た 

つたので ある。 

代替物が 可能と なり、 眞寶 となって 現 はれた 時、 : 合々 は 

ぶ メラ -1 ャの 小屋に 住む 人に 至 6 まで, 共和 卞; 者と 變じ 

たので ある。 の スト ライ ヰが その iisf 紀を 破お し 去った 

時に、 將官 は, 没り. 汲 はれた ので ある。 戰爭が 負けに なった 

時, 艦^が 破れた^, そして 組國が 汚が された 時、 吾々 は 

踊り 初めた ので ある。 



これ を輕 佻な りと 稱 すべきで あら、 フか、 決して 然ら す、 

唯 政治的 理 想像力 を 欠く 事、 小兒の 如くあった からに 由る. 

ので あろ。 の^さと 才能の 訓練に 於て は、 逸人の 足 許 

にも 及ばぬ、 .ォー ランド 人 は 1 一 世 胡の si、 國 家的統 1 なろ 

思想 以外に は 何 を も 抱かなかった。 その 問、 吾々 は^ 極 的 

に その 領土 を 統治して 來 たので あろ。 吾々 のこの 軍 嫁钕練 

も、 この 戰£ ;ャ慾 も, 領土 を^ 望し、 £^ 略 を 代表す る もので 

はなく、 軍に、; 1; もの を も 欲せす • 何物 を も ばす、 時々 

刻々、 物 ごとの 移り 變り ゆく に せる、 小 供ら しき 從順さ 

からで あると 云 はば、 如何なる 英國人 も、 日本ん も. 米國 

人 も 決して 了解す る 事 を 5!^ ない に 遠 ひない。 

吾々 獨 逸人 は, 國民 性の 形成 體を 支配す, oi を 殆んど 知 

らぬ。 深奥に 對 すろ 人の 能力 は. 個人と しても- 闺體 とし 

て も、 決して、 深奥で はない。 それ は 民衆の 問に あって、 

單 なる 靈の粘 化 性、 軟性と なって^ はれ 來る。 闺的怜 12 

の 能力と * その 力と は、 唯 個人から、 人事に 鬧 した 乾燥し 

た 智識と、 利己 主 殺を耍 求す るの みで あら ラ。 吾々 の 政治 

的 弱 點は箪 に、 靈の 力の 表^で あると 云 ふの は 過言で あら 

i 何故ならば、 後. i<? は 商業 上の 成功の 障害と はならない 

からで ある。 權 力の 信用と が、 その 分 前 を 持つ ベ. 



きで ある 

然し、 吾々 は社會 民主々 義の • 古典的な 祖國 ではな かつ 

たか。 そうして、 急進派の 土地と 化し はしなかった か、 询 

に、 吾. > は、 權 力に 從 順に • ,練に 耐 ゆる、 組 II 立てられ 

た 不平の 模範的 國 家であった, 今 もそう である。 そして 亦 

Ida 々から その E- 取 も 欲求して 居る 力 11 即、 生產 的な 懐疑: f;i 

と、 具奂 的に 對 する 想像力と を 奪って しま ふ、 反セミ 族の 

© である。 組織 立 たれた 不平と、 攻治的 創造と は、 同じ も 

ので はない。 獨 逸の 後期 マ ルクス 派社會 主義 ほど 思想 貧困 

の社會 主義 及 急進主義 は 未だ、 無かった。 その 半ば は 書記 

の 仕事で あり, 殘る 半分 は、 煽動 者 等の E 奴 も 安惜な 空箱 心で 

あろ" 

11 逸 isM 叩と 云 ふ 大事 件が、 好んで 引 起された ので はなく 

背 返の 結 51- であると 云 ふこと ほど ま 要な 意味 を 持つ もの は 

ない。 吾々 を 自由にした もの は * 吾々 自身で はなく, その 

敲 である。 五:1 々の 破壞が 吾々 を自 .2 にした ので ある。 ;^i3々 

が 休戰を 求めた、 その; .1 夜、 否. カイ. サ, "の 逃亡の その 前 

日に さへ、 恐らく は 衆 民 投票が 行 はれたなら、 社會主 ii^ に 

反對 して、 君主 政治の 爲に、 大多数の 勝利 を 得せ しめたに 

遠 ひない 。「鞭 を もって • その 2^ を 訓戒す る 者 は 鞭に よって 



のみ 悟る」 私が 戰 前に、 屡々 探 返した 言 は 事 實.^ 力た の >: 

今日、 すべての ものが, 沸 縢し、 i してる —— これ は 

決して 社會 主義の 御蔭で はない ——1 に 際して は、 あらゆる 

智 的の 仕 寧 は、 「社會 化」 と 「努^^ 府」 との 間に、 躓き さ 

まよ、 つて ゐる 社會 民主 主:?^ の 上に 出で、 その外に あって 爲 

されねば ならぬ。 正統 社會 主義 も尙、 「よりよ き禍 患」 であ 

る、 佛 語の 所謂 「最後の 手段」 (pis aller) である。 「事態 

は、 あまりに 惡 い。 だから, どんな 變化 も、 より 望まし 

い」 の だ。 何が より 善く 爲し能 ふか、 吾々 は、 社會 主義者 

の 問答 法で 敎 へられて 居る。 然し、 如何にし てそう 爲 すべ 

きか、 如何にして、 如何なる ものが 來 るべき か、 この 唯一 

つの 重大な SI 超 は、 見當違 ひの 問と 見なされて 居る。 吾々 

を 富冇 にす る もの は 「氽 剥價 値」 であると、 どこか i ら、 

ためら ふ、 不最- 面目な 聲で答 へられる * そして 私 か 他で 云 

つた 樣に、 これ は 丁度 一人 宛 平均 二十 五 マ I ク宛を 生み出 

す ものである, と。 一千 五 百 萬 人の 成人が, 政治的 集合の . 

霧と、 宫 紫の きを 通して 顯 はされ た 「望み 満 てる 

國」 へと 押し出される —— そして そこから 誰 1 人, 葡萄の 

1 房 を 持って 歸 つても 來な いので ある。 



若しも 人が * 聽 衆に 問 はす, 爆 動 者に ta- ねて, 彼等が、 , 

如何なる 國を • 望みつ i あるか を 知らう したならば、 恐ら: 

く 次の 答 を 得よう —— おどく した、 賀 i な、 そして 出来 一 

る だけ 深刻そう に、 拔目 なく —— そ は • 最早 や、 富める 者 

の 住む 事な き 土地で. ある、 と" 

泡に、 3 具理 ある、. 真寳 らしき 答で ある! 然も、 根本的. 

の誤讓 が、 その 底に、 靜 かに、 潜んで 居る。 諸君 は- 富め 

る 者の 存在し ない 所に は、 もはや、 貧しき 者も^ 在し ない 

と、 想像な さいます か? 

「え! 勿論 だ、 どうして 富める 者な き 所に、 貧しき 者 あ. 一 

らう!」 然し、 貧しき 者 は 未だ 絕 へぬ。 最早 や • 富める 考 一 

もな き 土地に 於て は殘 された る 者 は、 唯 貧しき 者ら、 極く - 

貧しき 者ら のみな ので ある。 

この こと を 知らす- そして 社會 主義なる 人、 その 人 は 單: 

に 牧者 か踐 民で ある。 この こと を 知り、 そして 11 し 欺く 人 

その 人 は 欺瞞者で ある。 この 事 を 知り、 そして それに も:^ 一 

はらす * KIT その 然に こそ, 社會 主義者で ある 人、 その 人 一 

こそ、 未来に 生きるべき 人で ある。 

民衆 は 満足す る、 とまれ これが 時代の 趨勢で あり、 この 一 

流れ を 渡らねば ならぬ との 漠然たる 感情 を以 つて C より 考 一 



へ?? い 人^ は, 時代の 悪 弊 を 愧ひ. H 収 後の 手段 Pis aller 

を以 つて、 片付けね ばなら ぬと 決心す る。 然し、 資ぁち 思 

索冢 たち は、 民衆が!? ^かれつ-. ある. 土地 を • 研究し なけ 

れ ばなら なや。 E;^I 十 や、 富める^ら 住ま は ざろ 國, 勞 する 

^なくして は 所 やむ を^ろ 能 はざる 土地が, 如何な ろ もので 

あるか を • 吾々 は、 知らねば ならぬ。 吾 々が 「新 社會」 と 

呼ぶ 所の もの を, 正しく^ づ くる 爲に * これ を 了解し なけ 

れ ばなら ない。 

二 

elE- はさ ほど. や-な もので はない。 數 百年に 一旦ろ 社會 

的 世界 革命の 進路 を 阻み^なかった の は、 確かな 事で ある 

が、 また、 その 方 一 g の 過程 も • 初めの 急激な 運動 を, 保持 

して ゆかれな い^は、 確お すろ ことが 出来ろ。 將利 を^た 

國も. 敗北し に國も • 力 その 種々 な 局面 S 轉^ * 交径の 

爲に 努力し なければ ならない。 何故ならば, Ifju 々が 今日 掛 

る 所の 歴^的 發達 中には 組 ig 的發 達と. お 患の 象と が 混 

合して るので ある。 旣に、 健全なる 國 家の 社 會 主義 は. .-c 

める國家の社食主^;^と^^;なるものな.ろ^9$.を知ろ ボルシェ 

ビ スト 病に 權 つてる 人々 が > その 病 ilj* を 世界に 傳染 せしめ 



樣と 夢み ろ も, 無駄な 事で ある。 

中央 歐 羅^の 吾々 の國 土に、 日々、 年々、 起る 小さな 諸 

00^. 前以て 決定す ろ 事 は 不可能で ある、 それ 等 は, 小 

さな、 偶發 的、 地方 的の 外部 力に 起因して るので あるから 

大きい、 必然的な 事件の 發出 は、 豫知 する 事が 出来る が、 

それに 附隨 して 生す る、 偶然 的な 行 流、 逆流 を 論す るの は 

憑な; si- であろ。 防備の ない 家が、 穴藏 から iiiai 根 裏に 至る ま 

で, 燔發 物で 充 たされた 時 は、 何時か それが、 煶發 する こ 

と は 知り 得る。 然し * それが、 日曜に 起る か 月曜に 起る か 

朝 起る か 夕 起ろ か、 又 戶柱か 吹き^ばされ るか 或は 殘 され 

るか、 など は、 ねる だけ- 愚かな 事で あらう 0- 

歴史的 見地から 云へば、 急進主義が 此 度彼處 に、 浸入し 

ようが、 反動と 復古との 勢が、 はかない 勝利 を 得よう が、 

大した 重要な 事で はない。 歴史上の 大 運動 は、 大團 翻の 完 

成の 時の 樣に、 除々 に 生やる ものであって、 この 遲々 たる 

事 それ 自身が、 反動 かの 樣に兒 える ので ある。 吾々 は、 大 

異變に は 甽染ん でるな い。 吾々 は、 その 最初の もの を、 作 

り 出し はせ す、 それによ つて 苦しんだ。 吾々 は、 急激な.;^ 

動の 後; i は 容易く 船粲に 苦しむ 11 例へば前帝國^^^"を考 

へた ま 人 1. その 吾 《 は、 確かに 吾々 が 革命の 笫 一 の激 



浪に 沈んだ 後に は • 貴族的. 君主 的, 金權 的の 浪浸 主義 や 

軍旗, 戦拢の 光雠に 針す ろ憧僚 を經驗 す, であらう し、 叉 

確かに、 智識に 於て は 笫四流 どこの 招かれざる 演說 者の、 

勢な き、 機械的 愛 主義に 對 すろ 反抗 や、 雇 はれた 騒擾 者 

等の s«f 調な, 不眞而 目な 激論 やその、 躁:. t な 訓練に 對 する 

革命 や、 审 ^ 惰に對 し • 無智 • 貪欲 r 普通科 學的經 濟と假 面 

を 被った 誇張に 對し、 また 下流 階級から 起ろ- 獸 的な, 强 

暴な 攻 華に 對 すろ 反感 を經驗 する に 1^ ひないで あらう。 そ 

して、 それ故に、 吾々 は • 尊大な 個人主義と、 人の 感情 を 

た 

頑くな にす る、 他國の 傲慢と 華 飾と を 讃美し、 惡眞 似す る 

樣な、 今迄と 反對の 性質の 愚かし さに 到達す ろで あらう 今 

= は 率って 急進主義 53 成の、 聰明な、 戰爭 利得 者 連 は、 間 

もな く 矢 車 菊 を 彼等の 鈕孔に 差して ゐる であ. おう。 

三度、 吾々 は變節 者ら の、 天厦爛 jli な * 無恥の 標本 を 見 

せられる で.^ ら -フ。 改宗の 精神的 過 は、 注 >i:,^ に 値すろ、 

ボ 10 は 改宗 勸告呑 たるべく、 改宗した ので ある。 然し 乍 

ら, 失敗した 一 地位から 他の 地位へ 移り行く、 然も、 若し 

必要ならば、 再び や Y き 歸り來 るに 十分な 決心と, そして 常 

に他人を指g-せんとのfi,vl^fを持った• 聰明な相揚師の^!^ふぎ 

樣は、 生活 は 心的 確信の 事件で はなく • ラ まい? 5S け を 得る 



事 だとの, 驚くべき: 事窒を 示す、.. P ので ある C 

SliS 運敏 は、 判斷も 出来ない 近視眼 群 築. が 安 憤な 文句の 

二三に 心 を 一 杯に して、 迅速な 戦勝に よって- 列強の 諸事 

情が 強まろ 事 を、 期待し、 一 方、 坐 砲した ま- -取殘 される 

の を 恐れた 時に 初 まるので ある。 最も 著 古した 自由主義 も 

重要に 思 はれる、 彼等 は 「光り輝 やく を i せまし く 求む 

他の 方向に 逃れ 得ない^ に、 止むな く 前 する、 精神的 肉 

體 的に、 最も 慘 めな 機 牲者も 英雄と 稱 せられた。 吾々 の國 

語の 最も 男らしい、 唯 • 最も 自由な ろ 者、 最も 偉大な もの 

最も 尊敬 さるべき ものの みが 値する、 その 言葉 は、 斯の如 

くして 墮落 せしめられる。 戰爭 に反對 し、 「勝利の 日」 に 反 

對 する 凡ての 言葉に- 侮蔑 を涯 いだ、 裏切者の 憎みと 怒り 

と を 知る もの は, 如何に 全民衆が、 恥 ゆ もな く、 悲しみ も 

なく、 彼等の 誤解 を さらり と 水に 流して しま ふか は 了解に 

苦しむ —— 否、 むしろ 知りす ぎて 居る であら, rso 今日に 於 

て は、 吾々 は界轉 化した 變節 者に よって 嘲笑され、 說敎な 

間 かされる。 明日 は • 三度 轉 化した ものに よって!^ 笑され 

るで あらう 

然し それ は關 する 所ではない。 現代の^ 動力 は、 商館; ^ 

ら來 るので もなければ • 街 上より 起ろ もので もない。 また 



i> 說敎 r おから 生す る もので もなければ、 敎授の 椅子 か 

ら發 生す ろので もない。 昨 nl、 今日 また 明日の、 骚々 しい 

^進 は、 も 外部の gSI の 恐ろしい 巡 動に すダ す、 中心 は 

^. isei の 如く 靜 かに、 ; ii くの みで ある。 

吾々 の觀. おに は、 , 苦 々は、 前進運動、 逆 進 運動の 數期を 

跳び 超えねば ならない C そして彼ゃ:^:-から何らの!^^謝をもさ 

れ ないで あらう。 一人に とって 餘 りに 保守的で あろ 事が、 

他の^|<?に對しては餘りにへ^逝的でぁらぅ、 . 糠:; 尖 家 は 怒って 

fR.a 々に は 筋力がない と 篤る だら 、フ。 吾々 を 待って 居る もの 

は、 愚人の |_ ^^ではなく、 人道と 敎 化との 一 ^^的迷變の危 

險 である iff を 示したならば、 手軽な 空 承 連 は、 彼等の 二 

つの is^tn 葉で 吾々 を 罵り 倒す であら ラ。 また • 義務の 觀 

念から と、 世界の 進化に 調和す ろぺ U に、 事物の 核心の 正義 

を 信 粉して、 ;^< しくと も、 危, 臉な逬 を 歩ん. たなら ば、 吾々 

は 描 力の 5!.-^ 拜^ と 人数の 嫌惡吞 から 侮 化されろ であらう。 

然しな. から、 吾々 の立揚 として, 一?^!:々は權カ5{-;^拜者にも 

亦 群 11^ にも、 惡事を 旋 する もので はない。 吾々 は、 從は 

5 べき 何 や ザの 撥 力 を も 持たぬ。 吾々の^^は, 民衆に 進む。 

然し 民衆 は、 ^^合の群^^-でもなければ- 勢力 圃體の 全體で 

もな く、 又 新 閉 紙 や^ 議俱樂 部で もな:,。 民衆と は、 め 



たる も 眼 むれろ も、 徠 えたる もの、 总 つまれる も 

の. 即ち * ^逸 精神の 迸る 泉 を 云 ふので ある" こ- - に:; 一 !!々 

が li じなければ なら ぬらの は、 目下 も 今後 も、 人 ii 性の;,^ 

に, て. T かんと 流れつ i ある その 精神に 就て i., ある 



來 るべき 社會 化された 社會 の、 標準と して:;^ S 々の:; 小した 

もの は、 物質的の ものである。 然し 乍ら、 一^代の 結 神 的 

狀 は、 物質的 設備 を もって、』 決定し 5^ られる もので あら 

、フ か? それで は、 唯 物 主 への 信仰 を 自認す る もので はな 

力ら うか? 

吾々 は 1 IE 準に 就て 語って るので • 風の; g 動力に 就て 

はない。 然し 乍ら、 私 は 唯 物史觀 11 機械的 歴^ 觀に趨 

るの を, 避けたい と は まない。 私 は 一度なら す、 それに 

就て 他の 著せ 3 で 述べた が、 聯格 をと る爲 に、 その 大體 そこ 

に 繰 返さ、 フ。 

個人の 速 命 を 決定す る 法則 は、 聚合的 巡 動の 歴史の 中に 

再現す る。 人の 經麼 は、 その 體 格、 表 又は その 1;?? 境に よ 

つて 規定され る もので はない、 然し、 これ 等の ものに は、 

成 種の 閱聯と 類似-か 存 する、 それ は、 彼の. 智的 • ^的 生活 



の 過程 を 決定す ろ 法則と 同 一 の 法 S; が、 肉 SH 的: 實際 的め- 

形悠 に、 相反 影す るからで あろ。 吾 W の 經驗の 各.々 の 瞬間 

吾々 の 浸る すべての 狀況 • ; 々から 生す る もの、 吾々 に 起 

ろす ベての 出来事 は * みな 吾々 の 性格の 表現 かまた は その 

產物 であろ。 泡に、 吾々 は 人間と しての 限界に 馬 さな けれ 

ばなら ぬ。 吾々 は、 水中に 棲み、 他の 星に 移り 住む の 自由 

は、 持たない ので ある。 然し, この 廣ぃ 限界の 中に, 吾々 

は 皆 各人の 生命 を、 形 付く る 寧 を 得る ので ある。 人 を觀察 

すろ 事、 卽ち 彼の 仕事, 運命, 體 松に 表^、 系累 から 結婚 

彼に 恩す ろ ものに、 彼の 交 はる もの を觀る 事が、 すな はち 

人 を 知ろ の 所以で あろ。 

この ln>- 地から すれば、 凡ての 社 會* 經 sr 政治 上の 計晝 

は 無益で あら. フ。 何となら ば • 若しも 人 か 非常に 錢 高の も 

ので あるならば • 彼の 後見 をす る必耍 はない ので あろ。 然 

レ 乍ら、 これ 等の 諸計晝 が、 吾々 が 人 問と しての 經驗 中に 

見る 樣な、 一般 通人の 意志の 力 —— 槪 して 云へば、. 外的 

事 の 或 程度 以上の 藤 迫に. 突進し 得ない 11 を、 思 ひ 廻ら 

せば、 び, 相 封 的に 重耍さ を 持つ ので ある。 そして 亦、 

これ 等の 諸計赉 は、 赏に 人の 意志の 表 の 一部で ある, 1§ 

故なら ば、 これによ つて、 人格の 聚合^ は、 その 周 圍と戟 



ひ • その 同時代の と H ひ、. 彼等 自 ちの 運命 を • 自由に 

* 作り出す からで ある。 一. . 、 

1 圍體 の內的 法, S は、 それ を 形成す る、 各個 人の 法則と 

調和す る。 國 民の 或 種の 意志と 性格 上の 特色 は、 貧と 富、 

地勢と 氣候、 又は 海岸線 無き か 否か 等に よって, 條件 付け 

られ たり 或は 進んで 强ひ ちれろ ものであるとの 事 I 宵 は、 こ 

れ 等の 諸 外的 狀 態が 事 實、 人の 上に 配分せられ るので はな 

くて 反って 人に よって、 望まれた ので ある 事 を 陰蔽して I 

まひ 易い。 人々 が、 遊牧 生活 を 欲し • 或は 海濱 生活 を 欲し 

農業 を 欲し, 又は 戰鬪を 欲する ので ある。 若しも, その 力 

が 十分に 强ぃ時 は、 その 希望 を遂 ける 權カを 得 • 然ら ざれ 

ば、 敗 化し、 威 亡す るの で^る。 安寧と 文化 か懶惰 と從恩 

又は 勞 働と 精神的 發 達の 間 を 決定す ろ もの は- 亦, 同じ 意 

志と 性格と である。 ベ 一一 ス人 はた まく 彼等が 富有で あつ 

おが 故に、 建築 ゃ繪 畫に惠 まれた ので はない,' 英國人 はた 

まく 彼等が 島 國に居 を 占めたが 故に、 海軍 力 を 握った の 

ではない。 ベ 一一 ス人 は、 彼が 自由と、 努力と、 藝術を 意欲 

したから である アングロサクソン は、 彼が;: g を 希 ひ 望ん 

だからで ある。 

戰爭は 神の 裁き を 體 現す るとの 一 般 的な、 攻治 信仰に は 



23 




幾分 かの 眞理 は存 する。 とに 角、 性格 は戰爭 によって 裁き 

を、 フ ける。 人は絕 望の 狀您に は 「持ち こた」 へられる もの 

との 政治的 意味に 於て はない が、 戰爭に 至ろ までの 歴史 

攻 治と 指導者の 能、 不能 は、 性格の 問 超で あろ か 故で ある 

— 吾々 にと つて は、 それ は • 懶悄、 政治に 冷淡な 事、 階 

級 支配、 俗な 自負心、 利 欲. 5 等の 問 超に すぎなかった ので 

あろ。 吾々 の武 おした 軍勢の 領主が、 權 力に 飢えた 兵營と 

居酒屋の爬掛の2^な^^^{::11廳、 討; 機 關の耍 求に よって、 神 

の 召に 應 じて、 正に 英國 11 唯、 彼等 か 新 W の 記事に よつ 

ての み 知れる 英國 11 を 打ち らす装 務を员 ふて. 進 53- し 

た、 その 時の 吾!! 逸に 於け る ほど、 この 神の 裁きの 信念が 

不敬な 位、 誇張され たこと は、 何虚 にもない。 今日、 この 

誇張 は 屈辱に よって 報酬 せられた、 何と なれば、 神 は 支配 

し 得ない ものと 判り、 無智な 神の ssi^s 者 は * かに そして 

齒を むいて、 彼^の 爲 さんと 欲する^ を 遠慮なく 判:^ せよ 

と、 同じ 裁きに 訴 へた 時に、 正しき もの は 彼等の 敞 であつ 

たと 承認せ ねばならなかった。 

靈 魂と 速!: との 靈肉 交賠に 就ての、 この 簡 iaf な觀察 をす- 

ました 後に は- 私 は • 簡約す すろ 爲に、 新 秩序の 精神が 宛 

も そ の 物質的 構 素 によつ て 決定 さ れ るかの 樣に云 ふ かも 知 



れ ぬが 誤解ない 事 を 望 ひ。 實際に 於て は、 物的 要素 は 精神 

の 中に 結合す ろので ある。 構成 體は、 觀察 する のが 容易で 

ある 故、 吾々 は それ を 論議の 出發點 とすろ ので ある U 

(ラ ー テ ナウ 原著 11 .1 柳攻 夫譯) 



室 伏 さ S 信 著 (定 偎壹圓 五十 錢> 

靈の王 



この f^ss はラ ー テ ナウの 思想ん、 傳へ るた めに 窨 いた ものです。 彼 

は 現代,^? は HI 的の 時代々、 見て、 人々 に、 眼 VJ^ 上げて、 目的の 國, 靈 

の王國^打ち立てろ、ぶ』1_^求めます。 彼 は 魂の 明 時代が きね 

W 呼びます。 科 者で 大政 治 家で、 大資水 家で 鋭い 社會 主お 者の 

彼の 思想 は、 何れ かの 4=1;: 物で、 何人も 一 11^、 熟!^ の 必妥が もろ か 

-W 思 ひます 著11^自^!!^は、 ラ ー テ ナウの 普 物,^ 證ん の ム うな 

未. た甞 つて え 4^ こ r- が ぁリ. i ぜん。 內容は 「目的、」 

「道^、」 「政治、」 「經 濟、」 及び 「ラ! テ ナウ、 其 人 >) 思想」 の 五 

聿 から 成って ねま i »| 1 東京 芝 愛宕 下町 一 (振 一!^ 朿京八 四 二 

番) 攻 造社發 行。 




に) 術 藝の派 現 表 

*ル 一力 る なに 箪の シル ヒ* ブコ ャ*ル '一 力 

。す で 像 肖の ト ヒネク ブー リ 



25 



の 9 



/ 手 


由 \ 


1 帳 


人 入 



「ボ \ ン ヮチキ 

の 虐政の 話」 

無政府主^^者の立^^^からが ^ V H ゥ并キ 革命 評した もの 

して、 私は甞 つて 一 昨年の 「批評」 で クロポトキン 翁から 

英15のボ ンドフ井ーかド?£;へ《_2てた手紙*^诏介しれ、、ミがぁ 

つれ C 復活 後の 「批評」 でも バ I クマ ン>」 ゴォか ドマ- ンの訴 

へ .^^^t^た、、wがニ度ゎったo こ ゝには H ムマ *ゴ オ^ド マ 

ンが 「ニュ |. ョ—ク*ゥ ヮ,, - ルド」 で 最初に 资 表しれ W いふ 

「^ や シ H ゲ并 キの虑 政の; 11i」 の大 swv^l お 介し れい この 一 文 

は アナ-キス ト^よ つて^ かれた 從來の おか シ H ゲ并キ 批評 

のうちで 一 番新 らしく もめり、 a つ 一 番 代表的な もの:;,: 思 

ふ ケら、 かシ H ヴ 并キ でも、 でな:' 人で も- みな 一讓 すべ 

きもの;.: V 、私-卜.:: 考 へられる。 

1 、 何もの が 口 シャ 革命 を 

破滅 させた か。 

ェムマ *ゴ ォ ルド マン は 失敗;, 1 といって るます。 ァ メリ, 

力 を はれ, エリス島から ポロ 船に 乘 せられて ロシ ャに歸 

つてし ばらく 口 シ ャ 革命の 渦の ラ ちに 立って ゐた 彼, i«r は、 

彼女-か. U た 口 シャに 入ろ 前まで は、 ボルシェ ヴ并キ 革命に 



少 からぬ 望 を 抱いて ゐ たのです が、 今日で は 何の 保留 もな 

しに 口 シ ャ 革命 は 失敗 だと 斷言 して ゐ ます。 彼女 曰く *r 資 

本 主義 を仆 し、 共産主義 を 樹立す る, 急進的な 社會的 及び 

經 濟的變 化と しての. ロシャ 革命 は、 失敗 だとい はなければ 

ならぬ」 と。 

何もの が この 革命 を 「失敗」 に 終らした か。 ェムマ • ゴォ 

ルド マ ンは 二つの 要素 を舉 ゆる。 一 つ は 反革命の 要素で あ 

る。 口 シャの 「愛國 者」 11 力 デト、 王 isr 社 <1 "民主 右 m 

が、 ロシャ 革へ 叩 を 失敗に 終らし める ために、 諸 外 國の對 露 

千, 渉 を 求めた。 そ の^は W 界の 到る とこな に 満ちた。 

その 結 柴はー S れた對 I 路戰爭 で、 数百 萬の 口 シャの 同胞と、 

外國 からの 無辜 を 殺戮した ので ある。 彼等の 罪 は 永久に 貴 

めなくて はならない。 この こと は 誰れ も 知って ゐる ことな 

ので ある。 誰も 否む ところではな いので ある。 しかし ゴォ 

ルド マン はこの 反革命の 要素 を算へ る だけで 満足して ゐる 

もので ない。 「この 革命 を 潰 威した 種々 の 要素 を數 へろ 5S 口 

に 反革命の 要素に よって 演ん せられた 役割 だけ を 指摘す る 

だけで は 充分で ない。」 口 シャと 協商 國の 千涉 派が、 「口 シャ 

革命の 死によ つて 終り を告 けた この 大社 會劇」 における 唯 

一 の 役者ではなかった。 革命 派の ほかの 他の 役者が あった 



- ; 他, の 役者と いふの はボ, ルシ P 并 チ 自身の ことで 

n シャ 革命 は * 恐らく. その 生れた 時 運命が 定まって み 

た。 ロシャ から 彼の 最善の 人間 を 楚ひ, 彼の 血 を 絞り、 彼 

の 土地 を荒廢 せしめた、 四 年間の 戰 爭に續 いて 起った ので 

革命 は、 世界の 諸國 からの 狂的 浸擎に 抵抗す る 力 を もって 

ゐな ^つたの だら ラ。 • 

&: シャの 人民 は, 大爆發 に 對 して は 充分な 勇氣を もって 

ゐ ろが、 除々 の、 苦る しい, 革命 時代の 日々 の 要求に 必耍 

な 忍耐 を 欠いて るると * ボルシェ ヴ井キ は 認めて ゐ ます。 

私 は それが *-:is.i と は 思 はない。 

「しかし、 この 論 點か縱 令 立派な 根據の ある もの だとし 

て も、 しかも-:^ ほ 私 は、 革命 を 破壊し- 人民の 首に 專制主 

殺の 軛を かけた の は、 シ ャの內 部に おいての 無咸: :*r 殘 

忍な 方法 ほど、 外部からの 攻 耀が災 ひして ゐ るので はない 

と 主張す る。」 彼女 は、 ボルシェ ゲ并キ の マ, I クス 主義 的攻 

策が、 除々 に 革命 における 人民 S 信仰 を した 要素 だとい 

ふので す。 、 

革命に P いて 何が 最大の 危險 であるか? 外部 的な 攻舉か 

內 部の 人民の 信仰の 痳 It か。 若しこう した 疑問が あつたに 

しても、 ロシャ 革命 はこれ を 解決した。 とい ふの は、 協商 



M 金、 人, 軍 蒲 ag によって 後援され た 反革命 波 は 全然 朱 

敗て fl。 ての 失敗 も、 赤衛 軍の 力より は、, 凡ての 攻 華に抵 

坑 した 人民 自身の 革命的 狂 熱 に よってで あろ。 ところが、 

この 人民の 革命的 狂 熱に も か. - わらす ,「0 シ ャ 革命 は 悶死 

をと ゆた。」 ゴォ ルド マ ン はこうい ふので ある。 それなら こ 

の 現象 は 如何に 說 明した ちい- -だ らう か? . 

「主要! 因 は 手近に ある。」 

手近と は何處 であるか ノ ゴ ォ ル、 ド ャ ンに從 へば, 革命の 

成功の ために は、 その 革命が 常に 一 般 人民に、 「革命 S 光」 

を 示し、 人民 をして 常に 「生ける、 鼓動す る、 革命の 脉博」 

と 密接 させて おかなくて はならない。 他の 言葉で いへば、 

常に この 革命が 彼等 自身の 革命で、 彼等 自身が 新 生活 を 建 

設 する 闲難^ 事業に 參與 して.. るの だとい ふ 感じ を もって 

るなくて はならない。 

「十月 革 4 叩の 後、 短い 間、 勞働 者、 農民、 兵士、 水兵 等 

は、 實に 彼等の 革命の 運動の 主人であった。 し^し 間 もな 

く 見えざる 手が 革命 を操縱 し、 それ を 人民から 引離し、 

そして それ を 彼 自身の 目的 11 共產國 家の 鐵 手に 隨從さ せ 

始めた のです。 

「ボル シ ェヴ井 キはマ ー ク ス 派の 敎會內 における ジ vj ス 



«7 



并ット 派で ある。 彼^が 人間と して 不誠簠 だからで はな い 

また 彼 や!!:. の 意 S1 が 本! 1 惡 だからで はない。 彼等の 政策と 方法 

とを诀定したのは彼等の マークス主^^^-でぁる.。 彼等が 使用 

した その 手^が 彼等の 目的の 實現 を破壞 したので ある。 共 

產 王義、 社 會主翁 • $, 自由 11 あらゆる もの, そのた 

めに D シャの 人民 はか. 1 る殉敎 に^へ た 11 は、 彼等の 戰 

術に よって、 目的 は 手段 を 撰 はない とい ふ 彼等の ジ エス 井 

ット的 III 語に よって、 信用 を 失 ひ 、そして 汚された のです 

犬^ 主義と 野卑と が、 十月革命の 特色であった 理想主義 

的 願望に 代った。 凡ての か痳 卑した。 ー&^5與味が死 

んだ。 無關 心と 冷淡と. か 支配した。 P シャの 人民 を 革命 か 

ら遠 ざけ、 彼等 をして, 革命から 生す ろ あらゆる もの を 憎 

惡の 心で 満たした の は, 外國 からの 干涉 でもな く • 封鎖で 

もな く、 却って、 ボル シヱヴ 并キ國 家の 内部的 政策で あつ 

たのです。 

人々 はいふ • 變 化が 何の 役に立ちましょう? 凡ての 支配 

者 はみ な 同 一 である 一 I 贫乏人 は 何時でも 苦ろ しょなくて 

はならぬ と ボ ル シ ェヴ并 ヰ をして ti シャの 支配に 成功 さ 

せる ようにし たの は、 數 世紀の 服從を 伴った、 宿命 

である ボルシェ グ并チ は その 經驗 から • 目的が 凡ての 手 



段 を 正 化する もので ない こと を 事んだ だら i か? 

莨に レ -ー ンは 屡々 後悔した。 凡ての 全 露共產 黨會議 で、 

彼 は 「罪 は 私に ある」 と 進んで いふた。 ある 若い 共 庫黨員 

が ある 時 私に いふた ことがある、 若し レ -1 ンが * 他 曰 十 一 月 

革命 は 誤謬で あつたと 宣言した にしても, 私 は 驚かない だ 

ら、 フと e 

窨にレ 二 ンは、 彼の 誤 承認す る。 しかし それ は、 決 

して 彼 をして その 同じ 誤れる 政策 を繼 i^l する こと を 止めさ 

せ はしない。 凡ての 新ら しい 經驗 は、 レ -I ンと 彼の 崇拜者 

によって、 晟 高の 科學的 及び 革命的の 智慧で あると 宣言 さ 

れてゐ るので す。 この新らしぃ方法の正^;?^ 効用とを疑ふ 

こと を敢 てす る もの は、 禍ひ である! 彼等 は 反革命 家と 

して、 投機 師 として, 匪徒と して- 恪 印され るので す。 

しかし レ 二 ンは 直ぐに また 後悔す る。 そして 彼の 群衆が 

赏驗の 可能で あると 信じたなら 愚者と して 嘲弄す る? 四 年 

G 問, 共產 主義 は 口 シャで 建設され つ i あると いふ 公言で 

1" シャと 世界と を 欺いて きた 後で、 レ 一一 ンは、 !; 近の 全 I 跣 

ソビヱ ット 會議の 席上で、 彼の 同僚の、 共産主^が 今日 口 

シ ャで實 現される ことができ ると 信ん する 無邪氣 み. 嘲: # し 

ね? しかも、 三年 前に レ」 一 ンと Bwl のこと を 82 やかに いふ 



一 た もの は • 尙ほ牢 JS のうちに E ぢ こめられて ゐ るので す J 

ェムマ コ オル ドマ ン は、 彼女.^ 所謂 ロシャ 革命 失舦の 

曰-取 初の^ 因が * ブレスト • リト ブス ク條 約に あつたと いふ 

てゐ ます。 この 害惡 から、 後の 害悪が 繼 いた or それが レ 二 

ンの タノく の 失敗の 5 ちで E. 取 も 离惯な ものであった。 それが 

革命の 息を絕 つた。」 何故なら • この 條 約の 結 は、 ラ トビ 

ァ, フ并ン ランド、 ゥ クライン 及び 白 I 路 S 背反 を 結 Ei- した 

から。 そしてこの時まで勞働^^と提携してきた農民が、 ボ 

ルシ H ブ并キ を 悟惡し * これと 抗爭 する ょラ になった から 

であろ と。 , 

1 一、 食料の 强 制徵發 

ブレ スト • リト ブス ク條 約に 引續 いて 食物 强 制徵發 制度 

(Raz vyorstka) が 行 はれた。 ボルシェ ヴ并ヰ はいふ、 農 

民が都市に<{«-物を供給することを«^^だから、 この 制度 を 

賴る ことのほかはなかった ので あると。 半分 實 であろ。 

實際 民 は 彼^の 生産物. を 政 麻の 代官に 引 波す- ) と を 1^ む 

だのです。 彼等 は 直接に 勞働 者と 取引す る. - - との 權利を 要 

求した-かそれ が;^ 絡され た. のです。 ボ ル シ ェ ヴ 并キ攻 治の 

無 化に と, 彼等の i::^ 政治の 腐敗と は • 地方 人の 不満 を 買 ふ 



のに は大 に功勞 があった のです。 農民 に^して • その 生產 

物と交換に約東された?^^造品は、 減 多に 農民に 届かない し 

また 實際屆 いた 時で も、 破 5^ 品 * 分量 不足 なぞで あつたの 

です。 

力 ー ル n フで、 私 は、 集中 的 官僚 機關の 無能の 赏^ を见 

た。 大きなェ^^の倉庫の中に、 農業 器具の 大きな み靈ね 

があった。 モス コゥ 政府 は 二 週 !^内 に、 そして サ ボタ ー ダ 

を 所 Si するとい ふ 命令で" それ を 造った ものな ので ある。 

ところが それが 出来 上って から 半 ^ ^になって、 中央政府 は 

この 農民の 非常に 必要と してる たもの を、 分配す るた めに 

何等の 努力 を もしなかった のです。 これ は モス コゥ 制度の 

運用、 いや 非運 用 仕方の、 無数の. *i 例のう ちの 一 つで あつ 

たのです。 

かう いふ わけで、 農民が、 ボルシェ ヴ井 ヰ國, 家の 事^ を 

適當 に虚理 す ろ 能力 についての 信用 を 失った ことが 不思議 

な ことなので あらう か? ボルシェ ヴ并キ は、 ^fLg 民 か 格 

すろ ことので きないの を 知った 時に、 こ.. -に强 制 徴發の 方 

法 を 計 刻した のです。 これ 以上、 €1^ 民 を 反抗し、 激 せしめ 

る 方法 は, 今日まで 發明 する こと はでき なかった G- です。 

そは*1«民の51にぉける戟|1^すべき恐怖とな0たものです" 



そ は 彼等から 凡て を つ.; 一ので す。 た に將來 だけが、 この 

濱れ たる 方法と, 生命と 荒^ G 二 火^ 性との 恐ろ, へき 結果 

について er 適 《=s な描寫 を與へ る ことができる であらう。 

信ん すべ からざる よ- ァに: :3:1 える が、 しかも この 强制 徵發 

の 制度が, 今日の 飢錢 についても 部分的に 贲任 ある もので 

ある こと は、 口 シ ャ ではよ く 知られた je^Lia: であるの です 。何 

故なら、 cri- はた e に麥 粉の c.^ 後の 一 ブ,' ドを剝 奪され た 

ばかりで はなしに, 彼 や.^ は-一 6 た!^々 次の 播種の ために 貯 ji:^ 

して S 近いた 種子 を..、 おはれた のです 無 一 論 旱魃 はヴ オルガ 

地方に おける ましい 狀^ の 主要な; gra: である。 しかし、 

それに も か- "わらす • 若し 農民が 適?:? 3 な 時機に * そして 自 

由に 播種す る ことができた としたら、 少く とも あろ 部分で 

は, ボ ルガ 地方の 飢: i を 減少す ろ 事の 地位に S くこと がで 

きたで あら、 フ。 

攻府の 食料 徵發 者に 對 する 村落の 抗.扪 が あると、 征討 軍 

が 常に 共產黨 員の 訴 へに 從 つて、 武力に よって その 地方 を 

攻舉 し、 そして!:^々 事 iQf 上 そこ を 破壊し ます。 空しく も、 農 

民 は その 地方,:;: -」、 そして 最後に は モス コゥ 政府へ 反抗 

しました。 回復の 道 は 見出す ことができな かつ. た。 ボル シ 

ヱダ并 ヰの 食料 鬼 集の 方法に ついて- 農民が どう 考 へて ゐ 



るか をよ く 示して ゐ る * 意味 深 い 逸話が 口 シャに 流行して 

ゐ ます 

農民 委員が レ 二 ン に- € 會 した or ほて • 爺さん、 お前さん 

は 今日 滿足 だら う。 お前さん は 土地 も、 家畜 も、 雞も 所有 

して ゐ る。 お前さん は 何んでも 所有して rQ^CKh ら OJ 一番 年 

上の 蠱 民の 一人に、 レ ニン かこうい つた。 

すると この 農民が 答へ た 「さうた とも、 ありが と 、フ。 さ 

う-たと も、 あや ぢ さん、 土地 は 私の もの-た。 しかしお 前 さ 

んかパ ンを もって 行く。 牛 は 私の ものた。 しかし 牛乳 はお 

前さん の ものた。 纖は 私の もの だが • しかし 卵 はお 前さん 

の もの だ。 ありがとう、 おや. ちさん!」, 

こうい ふわけ で • 51« 民 はお t 取され、 欺かれて、 共產: おに 

背いた。 强 制徵發 * 征討、 殘 念な 方法と 不正と、 地方に お 

ける 反 革へ W 的の 强ぃ 感情 を 結 Ei- したので す。 

ゴ オル ドマ ン はこ-まで 述べて きてから- この 民と 攻 

府 との 杭爭 について、 ある 人々 が, 政府 側の 首 分-たけで こ 

の 問^ を判斷 する ことの 事 資を媒 ゆる。 バ ー ト ランド きラ 

ッ セルが. この 問;^ について、 6r 民が 共產^ を佾恶 する の 

が 不相當 たといって ゐ るの は- この 徴發 制度 を 見ない から 

である 若し 兒た ら、 全く 違 つた 印象 をえ たたらう、 と 彼 



女 は附け 加へ る 

彼女 はこの 問 超に ついて 最後に いふ、 若し 口 シャの 農民 

が遲 鈍で、 消極的でなかった なら、 ボル シヱヴ 并キ國 家 は 

今日の ように 永く 續 くこと はでき なかった だら うとい ふの 

が 翼 赏 である。 それでも、 この 民の 消極 抵抗の ために、 

ボルシェ ヴ井キ の 治世 は 殆んど 終末に 近づいた。 それが 分 

つたので、 11 制 微發か 非 人道的で 反革命 的であった こ 

との 事 n か 分った- -め ではない 11 レ 一一 ンは、 晨業 課税と 

自由 商業の 新政 策 をと る こと を餘 儀な くされた ので あると 

■ 三、 消費 組合の 壓迫 

「0 シャの 消費 組合 は、 國民 生活に おけろ 經濟 的に も 文 

化 的に も, 偉大な 力であった。」 一 九 一 八 年に 消費 組合の 支 

部 は 全 國にニ 萬 五 千、 會員は 九 百 萬 入、 投資 資本 額 は I 千 

五 百 萬ル— ブル、 取引 額 は その 前年に ニ憶ル I ブルで あつ 

た。 「勿論、 消费 組合 は 革命的 組織ではなかった が、 しかし 

そ は 地方と 都市との 間にお けろ * 缺く ベから ざろ 媒介で あ 

つた。」 

彼女 は 述べる。 消费 組合の 中には、 如何にも 反革命の 要 

素. かあった であら ラ。 しかし そのために 消費 組合の 全 組織 



^^破壌する必耍はなかったのでぁる? それなら 何故 ボル シ 

ェグ井 ヰ はこれ を敢 てした か。 消費 組合に その 職分 を 許す 一 

ことと なると、 國 家の 棄中的 權カを 弱める からで あるので 

す そこで 消費 組 4n は 「破 產」 し- そして 口 シャの 改造に と 一 

つての 一 大要 素 は、 全然 破壞 されなくて はならなかった の 

です。 

そこで、 消費 組合 かなくな つて • この 運 > ^のために 立派; 

な 仕事 をした 男女が ボ ル シェ ヴ井キ 牢獄の 中に 彼等の 生命: 

を 浪費した 後に、 レ 二 ンは 再びい ふ、 罪 は 私に あると。 消 i 

費 組合 は 今や 再興され なくて はなら ないし、 屍 は 復活され 一 

なくて はならない! クロ ボト キンの 死の 一 寸前に, 消費 組 

合が 適法と された。 

クロ. ホト キン は • 死の 床で, ドミトロフの 六 人の 消費 組 

合 員の 釋 免の 希望 を 述べた。 彼 はこの 人た ち を 虞 面目な、 ; 

熱誠な 勞働 者と して 知って.^ たのです。 この 時には、 彼等; 

は, その 仕事に 忠實 であった ために、 ブ I チ ルカと モス ni 

ゥの 監獄の 中で、 旣に 十八 ヶ月 も费 して ゐた。 彼等 は、 レー 

一一 ンが 消費 組合 を苒 興しなくて はならない と 宣言した 後に: 

なって, 始めて 放免され たのです; ボルシェ グ井 ヰの 國家 一 

において、 消璧飢 合が • 以前の 力と 重要と に- 到達す るよ 一 



、y な こと は、 殆んど ありえない、、 

四、 ソ ピエット 

ゴォ ルド マン は、 今日の ロシャ が、 ソ ビエ ット • 口 シャ. た 

とい ふこみ に * 若しくは ボルシェ ヴ并+ の 治^ を ソビ エツ 

ト攻 治と いふ こと も、 問 遠 ひだと いってる ます。 とい ふの 

は, 一九 〇 五 年の 革命の はに * 旣にソ ビヱッ トの發 端が あ 

り *1 一月 革命 の^に、 再び 存在した からだと いふので す。 彼 

4^ に從 へば、 ソビ ェ ット; か. オルシ ヱ ゲ并キ 政治に 封す- Q, 關 

^は、 初期某ー忏^«徒が* クリスト 敎^ に對 すろ ii 係と 似た 

ものであると。 . 

勞励 者, 兵. H 、水兵の ソビ エツ トは、 口 シャの 人 

民の 解放され た エネ ルギ —の- 自發 的な 表现 である。 そ は 

数 世紀の 沈默を 破った 群衆の, 必要 を 代表す ろ。 旣に 一九 一 

七 年の 五、 ーハ、 七月に、 ソ ビエ ットの 原動力 は、 勞慟 者が 

工場 を、 IS 民が 土地 を, 占領す る こと を 主張した のです。 

ソビ エツ トは 非常な 急速で 口 シャに 蔓延し, 十月革命の 

滔を 編った。 そして こ S 出來 事の 後、 幾 月 か 働いた。 ある 

社 4.:: 的 政治家 はソビ ェ ットの ゃん 義を 把握 するとが できな か 

つた。 ソビ エツ ト はた これ 等の 攻治 ijil み 二 掃した ボル 



シ ェ ヴ并キ にしても、 若し この 運動 S 突進 的な 新 を 堰き止 

めようと したなら • 同樣の 運命に 曾った であら、 フ。 

しかし、 レニ ンは 鋭敏で、 怜 悧なジ エス 井ット である。 レ 

二 ンは 凡ての 權カ をソビ ェ ット に、、 の 一 般の 叫びに 加 はつ 

た。 彼と 彼の 同僚の ジ H ス 井ット が確實 に 政植を 握った 時 

に、 ソ ビエ ットの 破壞が 始まった 。今 B では、 口 シャの 他 

の 凡ての ものと 同樣 に、 全然 打ち 壤 された 赏體 の, 影で あ 

る 

ソビヱ ット は、 今日で は、 た r 共產黨 の;^ 議. たけを 表現 

する。 その他の 攻治 上の 意見 は、 適 當に聽 取され る 何等の 

機會を ももって はゐ ない。 共產 〔員に よって list 行され た 選 

• の 方法 は、 タ マ 二 イネ. I ルを 望 させない では かない。 

私が D シャ へ 着いた 時に、 共產 5M の 1 有力者に よって 告け 

られ た、 ボスの マ ー ヒィゃ タマ 一一 ィ-ホ ー ル なぞ はわれ, 

にと つて は 何んでも ない こと-たと。 勿論、 私 はこの 男が 鉞 

Ifiil をい つて, るの だと 思って るた。 しかし こ の 男が 眞實を 

語った こと を、 私 は 間もなく 納得した。 

ゴォ ルド マン 女史 は、 こ- 1 で 彼女の 話 をソビ エツ トの選 

攀の赏 際の, ことに 轉ん じます。 彼 4„ -に從 へ, ボルシェ ヴ 

并キは „y ハ產黨 の 投票 を 殖やす ために は あらゆる 手段 を界す 



る。 普通の 辯; ii で だめな 時 は 投獄の 恐 迫で 行く。 選 舉人は 

何 ごとが 起ろ か を 知って ゐる。 そこで 共 產黨は 常に 多数の 

投票 をと つてる る。 しかし それでも 尙ほメ ン シ ェヴ井 ヰ や 

社會 革命 if- 左, おや、 また アナ —キ ストで さへ も、 時々 代表 

者 を選舉 される。 それ はボ ルシェ グ并キ • 口 シャ では、 決し 

て 小さな 事柄で はない のです, - 何 故,? 

新閒 もな く、 首 論の 自 .2 もな く、 ェ揚 における 宣 傅の 法 

律 上の 自. S もなくて * 反對? H がソ ビエ ット, の 間に 幾何 かの 

代表者 を 送る ことに 成功した の は、 奇 S3 とい ふの ほか はな 

いのです。 しかし この 反對. (:g の 代表者が ソビ ェ ット內 で 意 

見を聽 取され る ことの 段になる と、 無い も同樣 である。 共 

產黨の 1!^ 喝釆 人た ち は、 共 產紫員 の ほか は、 傾 聽を與 へま 

いとして ゐ るので す。 

無政府主義者が ソビ ヱット に選舉 された 場合に は- 政府 

は 常に 彼等の 選 を 承認す る こと を!^ むか、 でなければ 彼 

等 を 非- $6诹3.¥」 送る ロ實を 見出す ので ある。 一 九 一 一 〇 年に 

私 は モス コゥの あろ 工場 クラブで 催し. U 選 樂集會 へ 出席し 

た。 この 時 は 政府が 勞働 者の 候補者 —— 一人の 無政府主義 

者 を選舉 する こと を;^ んだ 二度目の 時であった、、 この 選 傘 

!e| での 對抗 候補者 は. 保健 大臣の セ マ シ コ であった が、 勞 



潘者等 は 三度 無政府主義者 を選舉 した。 セ マ シ n は 空しく 

も 罵詈 讒謗 に 屈從 した 。空しく も 彼 は勞働 者, の 頭 、上に^ 咀 

を あびせながら、 彼等の 面前に、 拳 を 振る つて 見せた。 

勞働 者た-ち はた 嗤ひ、 嘲り. そして 無政府主義者 を 再 

選舉 した" 數 ヶ月た つて、 この 無攻; S 主 一お 者 は、 あろ ロ寳 

の もとに 棉榑 されました" 彼 は 永い 絕食 ストライキの 後に 

そして その 當 時英國 勞働黨 使節が モ-ス コ ゥに來 てるた ので 

ボル シ ェヴ 并キが 非難 を 避ける ため-に、 彼 は 1? に 免る され 

たのです。 私が モス コゥを 去る 前、 一九二 一年 十二月 一 日 

モ ス コゥ のソビ ェ ットの <^:: 員で ある 三人の 無政府主義者が 

柿 縛され た。 一人 は 首都から 追放され、 他の 二人 は * 私が 

後から 閗 いたと ころに よると、 「匪徒と 陰謀」 の 罪名 -1 非 

常に 重罪で * 普通 は 審問 も 公 |2 もなくて 銃殺され る 1— の 

罪名 をう けました。 彼等 は 「片付け」 られ るの ほか はな か 

つたので す。 

モス n ゥ でも、 その他で も • ソビ ェ ット が、 何等 獨 立の 肆、 

蹈 立の 職分 を もってるな いこと は • 人々 のお 易 知る こと 

がで きる ところで ある。 普通の 共產黨 M でさへ、 多くの 言 

論の 自由 はない のです。 ソビ エツ ト において は ボルシェ 

ヴ井キ 政治^ 全體 においてと 同樣 に、 無產者 階級の 獨裁政 



治 は、 ごく 少数の 人々 —— ロシャ と, ての 人民 を り 支; g す 

ろ. 2: 部の 一 —-| の 手に 屦 してる るので すつ 

^:!: つて は、 勞働^1„?の、 ^民の、 士の 理想的な * 自由な 

表 であった もの は、 早 や 人民 か 信ん じ もせす • 求め も 

しない 茶番に 化して しまった のです。 

五, 徵集勞 働 

勞 働^: r 莨 際にお いて は 勞慟の 徴集 は、 共産主義の C 奴 

大 の财產 として 世界に 傳 へられた。 ロシャ では 今 は 凡ての 

人が 働かねば ならぬ 。最早 や 寄生 蟲 はない と! レ M ンは、 

この 方法が、 シャを 改造す ろた めに 布 吿 された 他の 多く 

の 同 樣の ものの ように- 設 であった と 公言 はして ゐな い 

が、 しかし 私 は、 彼が、 この 方法が 勞働 者の 生產 一::! を增加 

する うへ に 絕對に 何の 役に も 立たなかった こと を 悟って ゐ 

ると 思 はれる。 

それが 成就した もの は、 それが 存在した 間 は、 動 產奴隸 

制度 を 樹立し、 ボ ルシェ グ并キ 寄生 を もって、 ブ ルジ ョァ寄 

生蟲に 代へ る ことであった。 それの 職分 は、 勞働者 を勞役 

に II り、 彼等の 仕事 を監 親し、 仕事 を 忘った もの を- 00 

L. 若しくは 時. <5 射殺す る ことなの である。 勞 働 者の 大多 



数に とって は • 彼等に 傲く ためにでなくて- :!^ むた めに、 

そ して 妻子が ra 舍 へ 行 つ て麥. 扮ゃ 鈴!^ と 代 へる ために、 

数個の 物品 を 密かに 造る ために ェ 51^ I 行く のです。 それ か 

偶々 彼等の 飢娥を 防ぐ のです。 

田舍 から 何もの か を もってくる 機會 について だけで も、 

1 册 G 木 を ま 2 くこと がで きょ ラ。 商業の 禁. M とともに、 個 

人が 町へ ともって くろ 凡ての もの を沒收 すろ ために、 各 

に 兵士 や 北 おの 派遣が 行 はれた。 不幸な 人た ち は、 旅 

行 券 をうる のに 非常な 闲難 をして 後に- ステ— シ ョ ンで幾 

cc も 幾迴 Si も^らされた 後に-不潔で 混雜 した 車 や 其 他で、 

戦 Sf すべき 旅行 をした 彼 は、 た i-l^ い とられる ために、 麥 

粉 や 馬 鈴: 一 プ ー ドを もってく ろので ある。 

多くの場合に、 沒收 した 材料 は、 共產 11 家の 防 IS 卷 によ 

つて、 彼等の 間に 分配され たのです。 犠性者 は、 おしこれ 

以上の 舉 件が 起らないなら、 資に幸 ひで あるので す。 § 

は M 々その 包 を とられた うへ に、 「投機」 として、 牢: S にた 

、きこまれる のです 柿 へられた 投機 師は、 こうして 娥死 

を ::^ れ ようとし たために、 ロシャ の^: S に 満ちて るろ 不幸 

な 人々 に比べる と、 首 ふに 足る ほどの ことで ない。 

ボルシェ ヴ并キ にと つて 1 つの ことが いはな ぐて はなら 



一 ない — 彼等 は 何 ごと も 半端に はしない C. 强^ 勞傲が 法律 

となると 直ぐに、 懋罰を もって 實行 した。 男と 女、 若き と 

老いた ろと、 貧しき 衣服と 破れた 靴、 或は 襤樓 だけ を 足に 

してる る 人達が、 無差別に、 雪 を 接き、 氷 を 切ろ ために、 

爽、 さと 雨 雪との 中に 驪られ たのです。 ある 時 は、 彼等 は 木 

を 挽く ために、 群 をな して 森 11 に 送られた のです。 

肋 ドレ: 炎、 肺炎、 結核^が 結果した。 ク レ ム リンの .SI 齐ぶ 

る 人た ちが、 勞 働の 分配の ために、 新ら しい 部: m を 設けた 

の は、 この 後に なつてから であった。 この 役所が 勞慟 者の 

肉體的 適性 を 決定し、 彼等 S 商資 に從 つて、 彼等 を 分類し 

分配した ので ある。 

こうした 奴隸化 的な, そして 落の 狀 態の もとで、 人々 

が 仕事 を 逃れよう とする の は 怪しむ に 足りない ことで ある 

何故なら、 人々 は 仕 寧と そして それに 甌られ る 方法 を 僧ん 

でゐ るからで ある。 彼等 は、 共 產!; 家 を、 彼等の 生血 を 絞 

る 新ら しい 蛭た と考へ 始めた。 ペトロ ダラ ー ドの勞 慟者、 

最., > 革命的で、 、水い 爭^ の衝に 《=5 つた 彼等, 勇敢に ュ デニ 

ツチに 對し てこの 都 を防衞 した 彼等 • 殆んど 信ん せられな 

いほ ど 飢え 且つ 谏 える 彼等で さへ、 疏^の 革命家と, そし 

て それに か- - わる あらゆる ものみ «E むように なった と • し 



たら、 何 か 不思議な ことなの であら、. - か? 

彼等の 誤め であるの ではない。 惶 酷な ボル、 S ェグ并 年の 

機關が 彼等の 理想と 信仰と、 を複 したので ある。 この 機 iT か 

容易に 打 4 勝つ ことので きない 反革命 的 感^ を: g したので 

ある 

私 は ある 光 E„ お I ベ ト 口 ダラ ー ド のソビ ェ ッ トの會 合 を 

決して 忘れ はしない。 その 夜, クロンシタットの 述 命が 決 

すべきであった のです、」 共產裁 の 指導者に よっての 長^ 說 

の 後に、 數人の勞働^^と水兵とか^^說を申出た。 兵 iiw 廠か 

らの 一 勞働 者が 演說 する。 彼は聽 衆へ でなくて <| "長 席の 方 

へ 向く。 彼の 聲は 抑えが たい 感 S で 張りつ めて ゐる。 彼の 

^は 燃え、 彼の 全身が 振る へ る C 彼 はべ トロ ダラ ード*ソ 

ビ ェ ット の.^:: 長デノ ヴ井ェ ブに 話しかける。 

彼 はいふ、 三年 半 前に、 君は獨 逸の スバ *•、 革命の 裏切 

希 だとい はれた。 そして 追跡され * 迫! * された。 ゎれく 

ベ ト ロダラードの勞慟^|<;:と水兵とは、 111^ を 救 ひ、 君が 今日 

占めて ゐろ 椅子へ と舉 けた。 われく は、 君が 人民 の^の 

あると、 〕 ろ をよ く 代表す ると 信ん じたから そうした ので あ 

る。 その 時から- 君と fji; の 政 麻と は、 われ/、 から 離れた 

今, 君 はわれく を 汚 辱 S. 名で 呼び、 Iftel. 命 派と いって 罵 



しろ c 君 は. 十:!:^^-へ?のゅに, j!;:: がわれ くに 與 へた 約束 

を展 行す ろ こと を:, ズゃ f すろ ために- われく を獄に 入れ、 

そして 射 すらと。 

私 はこの がどうな つ たかを 知らない。 彼 はこの 大 $3 の 

ために、 獄 にある か、 成 は 殺ろ され. U かで あらう。 彼の 叫 

. びは聽 き容 れられ はしなかった。 しかも そ は 革命 を 願望し 

^命 を あくまで 立派に 成しと けた、 t てして 今日は ボ ルシェ 

ゲ 井キ國 家に よって 終られて ゐる、 惱 めろ^ 神 • シャの 

集合 粘种の 叫びであった のです。 

六、 非常 委 員 會 

全、3路非^„?ゃズ331<|"は* 疑 もな く、 ボルシェ ヴ并キ 治世の ョ:^ 

黑の 方法で あるので す" そ は ボルシェ ヴ并キ が 天下 をと 

- つてから 問 もな く、 反革命、 サ ボタ INK 、投機 を 返 治す るた 

めに 組織され たのです. - ::.れ初は>この非$^^^::11§:は內務部. 

ソ ビエ ット、 及び 共產 の 中央 委 會 によって 統 悟され て 

ゐ ました 

次第に、 それ は ロシャ におけ ろ も 有力な 組! g になり. ま 

した。 そ はた 5^ に 國 家の 中の 國家 であるば かりで はなしに 

そ は S 家の ラ への 國 家であった のです。 全 露が ぃ田舍 の 



村に 至らまで、 非 $e 委員の 網で 蔽 はれました 

^人な 僚機 關の 各部が、 ロシャ 人民の 生死の 5 へに 一: 山 

能な、 非常 委員 を もってる るので す。 この 組 熾に よって 創 

造され た 地: s、 それが 非常 委员會 自身のう へに 及 ほす 慘忍 

化と 破 填の 効 ET それが シャ にもた • らした 恐怖 • 不信、 

^惡, 苦る しみ、 そして 死と は、 ダンテの 勝れた ベ ンをも 

つて 5^ なくて は, とても 說明 する こと はで きないの です。 

全 t 路 非常 チズ::: おの 会::: 長はヅ エル チン スキ —であろ。 彼 は 

彼 の 委員 會 の 同^と ともに、 試驗濟 み の 共產 〈:^; 員で あ る。 

公け の陣述 のうちで • ヅ エル チ ン スキ— はいふた. 「われ 

/、は 組織的 巩心 怖の 代 主 4^ である。 :… :-. われく はソ ビエ 

ット 政府の 敞を 恐怖せ しめる。 .:.:: われく は 家: ilii に 入 

し、 ?u 物と IP; 本と を!^" 収し、 铺縛 • 尋問 をな し、 罪 あると 

思 ふ ものに 罪を宣 il" し、 死刑 を 科する ことの 横 力 を も つ て 

ゐる」 と 

言 i¥ そ 換えて いへば * 常委 :3; は^ 似, 1. 判事、 ^ 

史、 死刑執行 を 兼ねる ものである。 それ は::. 耻ー :M の 描 力で 

そこから はも、 っ變更 のでき ない、 た t-J^ れに 逃け る ことか 

あるの みで ある。 それ は殆ん ど: 夜 活動す る。 ー區 域に お 

けろ 鱸の 光、 狂 1.^ のように 急ぐ 弗 <w 娄! a; の自 働^が、 みん 



なの 驚きと 恐怖との *8 報で ある o チ ェ プカ がまぶ やって. 

る! 

「今夜 ti まった 不幸 者 は 誰れ だら ラ? この 次 は 誰れ の 順 

番 力?」 

非常 委員 は 反革命 を 退治る ため. に 組織され た。 しかし そ 

れが發 見した 凡ての ほんと- フの 謀叛に 封して は (この 處不 

明)" 弗 常 委員の 主 もな 身上 は 挑發^ と告發 者と である こと 

を 注 i1 して かなくて はならない チブスの 毒の ょラに * 彼 

等 は b シャ の大氣 を附纏 ふので す。 彼等 は 彼等の 犠牲者 を 

陷れ、 それ 等の 人々 を 危險な 反革命 家 及び 投機 師 として 處 

刑す ろた めに は、 縱令 卑しく 且つ 殘 酷で あっても • 彼等 は 

手段 を 撰まない。 それで ゐて、 = ^常 委員 それ 自身が、 反 革 

命 的 陰謀と 非常な 投機との、 温床で あるので す。 

凡ての 共産 „si 員 は、 その ii 紀 によって、 何時でも, 非常 

委員 會の用 を 勤めなくて はならない。 しかし 非常 委員 會に 

恩す ろ ものの 大部分 は ザ —時代の 秘{ お 警察から、 圑黑な 百 

人から、 デ I 時代の 軍隊の 高級 士官から、 成立って ゐる 。彼 

等 は 野 な 方法 を 莨 行す るに は教 i 達して るるので す。 

西方 世界 は ロシャ における 人民裁判 11 勞働 者と 農民と 

によって 統帥され, 法廷 11 とい ふこ ふ、 に かせられて ゐ 



♦0 が、 常 委員 會 のま 域、 のテ ちに はそんな 法廷 なぞ は あ り 

はしない。 それの 進行 は 秘密で あり、 所謂 聽 取りと は * そ 

れ がいくら かで も ある にも、 判事の 戯 翻で ある。 

未決囚 は 出來合 ひの 據に ん せられる。 彼 は^ 人 もな 

く、 辯 護 を も 許る されて はゐ ない。 彼が この 恐ろしい 揚所 

から 引返ら せられた 時に, 彼 は 彼が 免罪に なった のか 有罪 

にぶった かさへ も 知 ない。 彼 は ある 夜 かきて 呼び出され 

る 11 決して 界び歸 る こと はない —— まで は 狂 ふば かりの 

不安のう ちに 過ぎる。 次の 朝 非常 委員 か 彼の 家族 を迎 へに 

やる" そして 他の 囚人た ちが、 冷酷な 殺人が、 今までの 無 

數の、 ブ へに、 また 一 つ 加 はった こと を 知る のです。 …:… 

昔の 秘密 螫察 のように、 ボル シヱゥ 井 +の秘 i お 警察 は、 

その 惡事を 秘密に してる る。 しかし 眞實は 時に 漏れる〕 チ 

ェ ッ 力の 壁 内に おける 恐怖 11 殘 忍な 拷問、 附賂、 投機の 

潢行 11 について, 旣に 多くの 印刷物が 存在す る。 その 材 

料 を 5 るた めに は、 ボル シ ェヴ 井キ 治世の 反對 者に 求める 

必要 はない。 非常 委員 それ 自身が 時々 多くの 材料 を 提供す 

る。 ^《£ 委員 曾の 週刊 機 a- 紙の 第三 號に は、 拷問の 必要に 

つい. ての 1 論文が 載って るる そ は 「センチ メ ン タル は. 淨 

山.;. i !」 とい ふ 題で ある。 その 1 is に 曰く、 ソビ エツ トの 



故 を虚理 する のに、 彼等から 自白 を强 制し、 そして 彼等な 

他界に 送ろ ために、 拷問 を 行 ふこと は 必要で あると。 .:.:• 

,チノ ヴ并 エフ は, ペトロ グラ ー ドのソ ビエ ット の 會議の 

折りに、 ヅ エル チン ス +— のこと を 「革命に 一 身 を 棒 ゆた 

聖徒」 だとい ふたこと があった。 閽黑 時代の 歴. a:- はかう し 

た 聖徒に 満ちて るる。 ボルシェ ヴ并キ の 治世が 闇黑の 過去 

を 真似る と は、 如何に 恐ろしい ことで ある f . .:: 

、、の ! 文で それの 全部 紹介す るつ もりでした が、 あより?^ 

しく、 そして 殆んど 全? S に 近い i で-..: 嚯" 述 しました ので、 ま 

だ これで 女史の 謫 文の 半ばに,. -逮 しま t; ん。 次 t!l-」^ リ.^ ま 

ミ めて、 ^介した い-.」 S§ ひます。 た グロ ポ トキ ン訪 SE 記の 

部分 は、 :^-し 本紙の 第三 號でバ ー クマ ンの もの ^^介した か 

ら全 します。 

果して 虐政 乎 

アナ-キス トの攻 に對. しズが ^ シ H ゲ并キ の 側から 如何な 

る 辯 明が わる か、 私の 手許に は適當 なむの がありません。 で 

: 、に は アナ-.' キ ストに 答へ たので はな いが、 四月の 伯林 會 

議 でも、 若しくは 汎く各 圃肚會 主義者の 問^ V なって ねろ 社 

會苹 命!^ 艮四 十七 名の 裁判 事件に ついて、 ヤシ H ゲ并キ の 

御 川 通信 W して 知られる 伯林の nisi 新 15 通 一:2^ ら 左の 一 文 午 

n 述 マる、、 オ す. QO それ も 無餘プ ロパ ゲン ダ では あ もが * 



具體 的の 事 51; が 暴げ て わるので、 社 會萃命 が 如何なる こ >、 

^なしれ かに つ 、レ < も, また それ Li ついて;^^ シ H ゲ并 * が 

如何な ろ 態度 ミ つてね るか^ 知る も 都合よ, .vi もの W 思 ふ 

それ は社會 革命 潔 首領 チ H ヤノフへ の 公開状て あろ 

チェ ルノフ fl^ は マ タリ ン 大佐が 一九二 一 年の 終りに 近く 

「革命 D シ ャ」 の、 フ ちで、 ソ ビエ ット攻 麻に 反對 して 武装し 

た 農民の 一 校 を組梳 する. 二と, 鐵 線路 を爆發 する こと、 

赤衞 -isf の 兵 员 を 殺戮す る ことの 方法に ついて 論文 を 公表し 

たこと を 知って ゐ るか? 

チェル ノ フ君 はク D ンス タツ トの 水兵 暴動の 時に、 HeM 叩 

口 シ ャ」 がチ ェ ル ノ フ によって 書かれた、 口 シ ャ 農民の 一 

揆 み-挑 發 した 1 論文 を揚 載した こと を 知って ゐ るか? こ 

の 論文に 曰く、 汝, 暴君 • ボルシェ ゲ井キ よ, お前の 生命 

ももう 知れた ものである。 若しお 前 は 生命が 大切なら、 ま 

だお 前ので きる ラ ちに 逃け ろ,. 人民 は來 りつ. - あろ。 宜告 

は發 せられる であらう! 

チェ ルノフ 君 はこの 新聞が クロ ン ス タツ トの 暴動に つい 

て 次の よ,? にい ふたこと を 知って ゐ るか? 「クロン ス タツ 

トの 叛徒 を 援助し ない も-の は 血に 汚れた 元帥 ト 口 ツキ-と 

彼の 死刑執行 人の 1 味で ある。 われ/ \は われく の 採る 

べき 道 を 定め. われく は s 制 者と 死刑執行 人と に反對 



して クロン スタ プトの 人た ちの 側に ある to 

チェ, -ノ フ は、 第 九 问 社會 革命- M の 會議で 次の ような 

決 謎の 通過した こと を 知って ゐ るか? 曰く、 ボルシェ. ク 

ギキの 横 力に 對 して 政 if; の武 的 n 爭は 不可避で, そして 

その 活動的 力が 糾熾 されなければ ならない と。 

チェル ノ フ?^ は * 彼 自身が 彼の 新 間で * 彼の 政黨の 決議 

について、 次のょぅな^1:1.^^を書ぃたことを知ってゐるか? 

曰く、 社 倫: 革命 黨は. あらゆる 戰線 において、 ボルシェ ヴ 

并キの 2^ 君に 對 して 闘 爭を行 ひつ、 あると。 

チヱ ルノ フ界 は、 怫蘭 西攻府 が社會 革命 の 運動に 財力 

を 供給し、 そして 仲介 かソビ ヱ ット 領内の 丁 妹 使節で あ 

つたし、 また 今 日で は ブラ ー グのチ ェ ッコ *ス:0 パ カイの 

攻.: W であろ こと を 知って ゐ るか? 

チェル ノ フは、 彼の 政 (ir かァ ントノ フの^^^!判ふ援ひ、 そ 

して アン ト / フが數 百 人の 革命的 勞辦. み を 銃殺した こと を 

知って ゐろ か? 

チェルノフ は. サマ ラウと カデン で、 權 力が 社 侖:: 革命 

の V; ^にあった 時に、 軒^ 極まろ 方法で ボルシェ グ并キ を 根 

絕し たこと を 知って ゐ るか? 

チェ ル ノブ は、 社^ 革命^が 屮央 委員, の 承諾の もと 



にヽ 掠奪と、 取り 上 ゆ を 行って、 その 盗んだ 金な 中^委 員 

會の 1 人 フ 口 フ) に 渡し、 そして 第 八 回の 黨會議 が こ W 

取 上け を 是認した こと を 知って ゐ るか? 

チヱ ルノフ 君 は、 社會 革命 黨が、 ソビヱ ット國 の鐵道 線 

路 を 爆發 する 目的の ために、 佛蘭 西の 軍事 使 is から 爆藥を 

受取った こと を 知、 つて ゐ るか? 

チェル ノク君 は、 社會 革命^の 衝 难隊. か トロッキ ー とダ 

ノヴ井 ヱ フの 生命 を 奪 ほうと 用意し、 そして 同 5M の 中央 委 

員會が 個々 の 恐怖 手段 を 是認した こと を 知って るる か? 

チェルノフ 君 は、 ボラ ダル スキ— が社會 革命 の 中央 委 

員の 承諾の もとに 殺され、 そして 殺戮 考. • 社會 革命 "MM セ 

ルゲ ー フが、 同 《H^ 中央 委員の 一 人ゴ ッッ によって 彼の 行動 

を 完了す る ことの 指圖 をう けた こと を 知って ゐ るか? 

チェルノフ 君 は、 社會革 八叩黨 が、 北 IT 単 をべ トロ グラ ー 

ドに 招致し、 そしてこ^ 町の 權カを ブルダ ョァ 政府に 引渡 

すの 目的で、 ノ ダノフの 反革命 圍と 交渉した こと を 知って 

るる か? 

は、 彼の 政^が. ネスト 二 n フ火佐 を この 交渉 力 代表者 

に 任命し、 そして-ネスト 一一 n フ 大佐. か 北 の 司令官と 交 

涉し たこと を 知って ゐ るか? 



彼 は、 また:^ の 政 か ノ,、 ヮ/ フの 反革命 團 から 財 的 援助 

をう けた こと を 知って ゐ るか? 

チェルノフ 君 は、 社 命 か、 フ并ラ ネンコ の 反革命 

園と 協同し、 また この 園^から 財 的 援助 を 5 けた こと を 知 

つて ゐ るか? 

チヱ ルノ フ君 は、 社會^ 命^が 赤銜: 取の 中に 1 閥 を 組織 

し、 数回、 軍人 的:^, 動 を した こと、 例へば 十一月 革命の 

後、 この 政" おの ^PIX かべ トク ログ ラ I ドに對 して 軍隊 を 八;^ 

つたこと を 知って ゐ るか? 彼 はこの 運動の 參加 者のう ち 

に、 ァゥク センチ エフ, ケ レンス キ、 * チェルノフの あつ 

たこと を 知って ゐ ろか? 

チェルノフ |}« は リディア *コ ノブ レバが、 レニ ン喑 殺の 

計 割 を 同黨の 中央 委員に 提出した 二と を 知って ゐ るか? 

彼はチ エル ノ フとゴ ッ ッが この 問 超に つ いて コズブ レバと 

交^した ことな 知って ゐ るか? 彼は屮 夹委虽 ^か, > の 計 

割 を^ 成した ことみ-知つ てるる か? 彼 は、 中央 へ P が 

この 殺 を 備 する ために as 員の リ ヒタァ を 派遣した、 一と 

を 知って るる か? 

チヱ ルノ フl^^は社,!^^i^K叩";ssの機闢新isレ 一一 ン IP 殺 S 計 塞 

を 成し、 讃美した こと を 知って ゐ るか? 



チェルノフ 君 は- この^の 罪恶 に對 乙て 本 主 一 の諸國 

家の 法律 か 如何なる 所 罰 を 規定して ゐ る か を 知って ゐる 

か? 

チェ ルノフ rjj; はこの 問に 對 して 満足な 答 を與へ るか? 

彼 はこの ことが 反革命で ない とい ふこと を 立設し えられる 

か? 若し 彼が できない としたら、 第二 及び 第二 半 インタ 

ナショナル は、 社會 革命^ を 辯 護す るの 權 利が あるか? 



室 伏 高 信 著 (定惯 約 一面 五十 S 

腿ぽ 印象 傾向 

右 は 近く, 本社から 出版し ます。 著^^^=の世界旅行の記念の ため LL 

尙ほ室 伏の r;^ 會 主義 批判 一 は 久しく 品切れです から、 

絶 對に御 注文 無き i う; fsnn. します 



,ー レ 一一 ンの 後繼者 

リコ ゥ、 ブ ハリン トロッキ— 

. ロレ チン は 今絕對 休養の 時期に ある。 彼の 病が、 囘復す 

るか、. しない か 。囘復 しても • もと ど ほりに 政務 を 引受け 

もこと がで きで かどう か。 少し 占 ひじみ てはゐ るが、 若し 

h レ」 一 シが攻 治に 復活が できない とし.:, -ら、 何人が 第二の レ 

ランと なろ か。, a シャ內 でも、 いろくの Isf- が あるら しい。 

□ ァ一サ ー • ラ ン サ. ムはロ シ ャ 通の 新聞記者 として 知ら 

れてゐ る 人 幾度 か 共産 シャに 遊び、 今年に なつてから 

モス n ゥに 行った ことがある * 彼の 說 によると こ、 フだ 

nK 「度の 初夏 以来、 つまり レー 了ン の病氣 以来- レ ニンの 

代理 を 務めて ゐ るの は リコ ゥ であろ。 リコ ゥが 内閣 議長の 

椅子 を 占めて ゐ る。 彼はレ 一一 ン のように 舉者 でもない。 內 

閣議 長と しての 彼 は、 レ ニンの ように 閣僚 を說 伏しない、 

指導 もしない。 彼 は 彼の 同僚 以上に 目先き が 見える でもな 

V -, 僚 以上の 能力が あるので もな く、 演說 にかけ て は、 

吃りで 全く 話しに- i:^ ら ない。 

口 それで ゐて, レ 一一 ンが 地方 廻り をす ろ 時に 連れて 出る 

の は 彼で ある。 .レ 一一 ンは 深く 彼 を 信ん じて るろ。 彼 自身 も 

また 理性の 人と いふより は 信仰の 人で ある 共產 主義の 理想 

社會を 深く 信仰す ろ 彼 は、 9, ゲ 開けば 目前の 寳際問 越より 

は * 彼の 樂 しい ュ ト ビア を 語ろ" 彼 は どこかに 人 を 引き付け 

る 力 を もって ゐる。 彼 は 勞働者 出身で ある。 こ i に 彼の 强 

味が ある。 

□ しかし 彼が レ - 「ン の 病中に 內閣 議長の 椅子に ゐ る Q 

は、 彼 地位が 內閣 副議長で あるから であって、 國 民經濟 



委員長と して 彼:^ 来 その 腕前 を 疑 はれて るると もい 

はれる ゥ 

□ リコ ゥ. 力 や IT し 落第 したら 何人が 第二の レ 一一 ン となる 

だら うか? 候補者の 主 もな もの はト ロッキ ー、 カメ ネ フ- 

ス タリン、 ク レチン スキ 1、 ブ ハリンな; てで ある。 ス タリ 

ンはレ 一一 ン の 親友の 一人 * n ゥ カサス の 人、 クレス チン ス 

キ ー は 長く 大藏 大臣の 地位に るた 人で ある。 

□ カメ ネフ は モス コゥ のソ ビエ ット の會 長で * 赏 つて レ 

ニンが 一九 一 八 年に 病 氣の時 は、 彼が その 代理 をして ゐた. - 

ブレスト • リト ブス ク條 約の 調印 者の 一 人で ある だけ 理論 

家と いふより は 奮 際 政治家で あろ。 ト D ツキ ー の 妹 を 夫人 

として ゐ ろ。 が 彼 は 猶太 人で あるので、 果して レ 二 ンの後 

. ^濃 ふこ とがで き る か ど う か 、 甚だ 危ぶ まれる。 

コト 口 ツキ ー の 點の 一 つも 矢張り 彼が 猶太 人 だとい ふ 

點 にある。 理論家で、 , 雄 辯 家で、 文章 家で、 熱情 家で、 ,口 

シャで 何人も 彼 を稱贊 しない もの はない とい ふ。 しかし あ 

まりに 熱 ii? 家で あろので、 一 國を仟 せる のに 安心が できな 

いとい ふ 感じ を、 一般に も亿 れてゐ るので、 彼 は. レニ ンニ 

世と して は先づ 見込みの 乏しい 方の 一 人。 

□ リ コ ゥと 並んで 最も 冇 力な 候補者 はブ ハ リ ン である。 

リコ ゥが 『^ を 作らない 入」 一で あるに 對し * ブ ハリン は、 彼 

れ 自のぇ 解 を 持して * 容 II ^に 人に 下.,^ ない 人で あろ。 小 

男で あるが、 口 シャ贵 族の 出で、 頭腦か 明晰で、 讀 書家で, 

人物が しっかりして ゐて、 それで 煽動 ゃプ 口 パガン ダ にか 

けても天才でぁる.- 

ロ彼は勞働^^.の問に非常に人氣者でぁろ。 へ.^ は 常に 勞働 

者に 接して るろ。 彼 は ics" つて ク レムリ ン 宮殿に 住む だ こと 

がない。 彼 はまた 役人に なった こと. かぶい。 それだけに 彼 

はま だ 無 庇で ある- 云々 



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(七月 號) 



現 赏ど现 想 ど 穴 H 想 ……- 

獨逸社會民主黨新綱^^. 

クロポトキン の 死 ::: 

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大_ 止 十 - 年 九月 一 nsa 行 

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第 一 冊 資本主義 國 家の 一 t§ 着點 

(六月 號) 新ら しき 獨 逸より 



せ 一一 S 第 『ま 促 |認$ (每月 i!y 發行) 批評 九月 號 • (定價 * g 



號七 第) 號月十 



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口 ンャの 小 供の 問題 



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批評 十月 號 

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▽ ^ 新倶樂 部に 就て 

▽ 個人主義、 日本、 及び 啓蒙 ■ 

▽ 新社會 If 

1>ゲ| ドの死 • 

ボ ル レ ュヴヰ ヰの 虐政の 話; 

自由 人 



の 手帳 



口 シャ .3 小 供の 問題 11 『死 

靈』 11 勞働 組合 、こ I; 勞働 反對」 

再 改造の ロシャ 

協同 職 線 失敗の 顚末 



. 室 伏 高 信 

,村 松 正 俊 

ラ 1 テ ナウ 

_ 小 牧 近 江 



室 伏 高 信 



革新 倶樂 部の 批評 

革新 俱樂 部が ブ ロレ タリ ャの政 裁で ない こと は 1 點の疑 もない 。彼 に は、 その 宣 言 のうへ で 

は. 社會 階級の 觀念 がな い。 攻 治を國 民の 赏 生活のう へに 匿く ために は國民 生活の 根本 理がど 

こに あるか を 先づ诀 めて か- -ら ねばならぬ。 彼等が 「國民 生活」 とい ふ 時に、 若しくは 「天下 民衆」 とい ふ 時に そこ 

に は社會 階級、 私の いはんと する こと を もっと 適切に いへば、 社 會經濟 的 階級が 存在して るない かの ごとくで ある" 

明治 初年 以來, 西洋で は少 くと も 1 八 八 九 年 以來、 攻治 家が、 デマ ゴ ー グが、 天下 民衆の 名 を舞臺 言葉と して 叫びつ 

けて きた。 ナボレ オン 三世 は、 人民の 聲は 神の だとまで いふた。 否、 彼 は フランスの 勞働者 を 倫 软の歴 ac^ 的萬國 

博 會に 送り さへ した。 しかし 彼等が 天下 民衆と いってる る に、 その 天下 民衆で ない、 他の 天下 民衆 か 起って きた „ 

彼等が 國民 生活と いって ゐる Si に 、国 民 生活 はニ大 階級に、 截然と 分裂して し 

ま つ た 。こ. --に 濟的 であると 同時に、 少く とも 現代で は それの 上部構造 である 政治的 諸 蓬 動の 中軸が 二つに 分 

裂して しまったの である。 分裂して 旣に 久しい ので ある。 この 厳然たる isHS を 無視して、 た 國民 生活と いひ、 天下 

民衆と いふの は * 己れ を 欺き、 人 を 欺く もので あろ。 

革新 俱 si^ 部の 政治家の 諸君 は、 明治 初年 以來 の攻治 i}^ の 若しくは それに 隨從 する 一 の 大小 政治家で ある。 明 

治の 初年に は、 人民と は * 若しくは 天下 民衆と は、 少 くと も實と 名と、 隔 りの 小さな ものであった。 だから 天下, L^: 衆 

とい ふ聲 は、 國 民の 大部分に 何等かの 反饗 があった。 その 言 ff- は 空虚な 舞臺 言葉でなくて, 生命の ある。 ブル. チヨ ァ 

新 典 階級の 生命の 萠芽に 満ちた * 生きく した 言 俄であった。 爾來 柯 十 年 • この 天下 民衆 は 生長して、 彼等 自身 を 支 

配 陪极に 組 乙て * 具の 天下 民衆と 袂を $ た。 犬 養 氏-尾 崎 氏 、島 田 氏 は、 糙に 明治 初年から 晚年 

へ かけて, 新 典 階 殺の 雄 辯な 代表的であった。 この 新與 階級の 勃興と. - もに、 彼等の 盛名 もまた 天下に 普き もので あ 



つた。 多くの 靑 年が 彼等の 盛名 を 間き つ. その§^勃とした野心を燃ゃした0、攻^5?は.1 野心 ある 青年の 搶舞毫 でも あ 

つた。 しかし 新 輿 階級の 代表者 は、 ただ 新, 興 階級の 代表者であった。 尾 崎 氏 犬 養 氏, 島 田 氏 等の 攻治 家と しての 使 

命 は 完全に SS- の 美.^ 濟 したので ある。 

犬 養 氏 は旣成 政. を 目して ?K 本家 W 政 裁、 たとい ふた。 如何にも その 通りで ある 資本 黨で あるべく 生れ • あるべく 育 

ち- あるべく 存在して ゐ るので ある。 しかし その 點は國 民黨も 何等の 撰む C ころはなかった。 犬 養 氏 は 改進 黨の 精祌 

、ど 維持して きた もの は 彼 一人た とい ふた。 これ も その 通りな ので ある。 改 進黨の 精神と は 何 か、 

保守的 資本 主設が これで あつ た 。自由 (11 の资本 的自. a 主義に 對 して 保守的 一 ■ ^本 主 裟の精 

神 を^って きた ものが 改進 であり、 進歩 tifa じあり. 犬 養 氏であった) それが、 自由 黨か滎 えて 政府 黨 となり、 藩閥 

派と なり- 從 つて その 立黨 S 精神から 遠 ざ つて 保守的 資本^と なった t ビ、 改進 黨系 は、 多年の 勢 不振の ため 

に、 多年の 在 軒 生活の;,! めに、 自然と 野 黨的倾 向 を 示して きた。 ^封建的 倾向 を特徵 としてき た。 そこで 在野 黨 とし 

ての 犬 養 氏 一派、 非 封建 派と しての 犬 養 氏 一 1^ は、 小 ブル-、 チヨ ァ 階級の 間に? 人望 を收 めて ゐた。 彼等 は 日本の 明治 

年代 か"^^ 擁護: 連動に 至る までの- 進歩的 頭腦を 支配す るの 中心の 力であった。 しかし そは眞 に 急進主義であった 

がた めで あらう か。 進步黨 は、 國民 tsl は、 若しくは その 正統 相籟 者と しての 犬 養 氏 は、 急進主義 著であった ので あら 

うか? ^ 

彼 は^ 策を說 いた.〕 近く は經濟 的お 備を もって 彼の 一枚^板 とした e 國 策と は 何んで ある 力 

帝國卞 -義攻 i 束で あ つ た。 經濟的 軍備と は 何 か。 經濟 的軍國 主^ 

であつ た. 。即ち あくまでも 保守的 資本 主 一まで あった C 彼 はこの 境から 一 歩も^ る,. -と はでき なか ソた .の であし.. 

彼が 誇 通 f や 鎮に對 して 如何なる? お &を とった か? 何故に 彼 は晋通 選 単 問題 S ために (擒 2 内から 何人 かの 機牲を さへ 出- 

し たので あるから 最近に、 彼. か 普選 案 を ゆて 立った にしても、 その 憲政 會と異 ると、」 ろ は. 一年 遲 速の 相 遠で な. = '力 

. ^友 〈【" と異 ると ころも 数年で あるに 過ぎない だら ラ。 その 政 友會、 憲政 會が 資本家の 攻黨 であるのに * 何故に 犬 養 氏 一 



派 は资木 家の 政黨 でない といへ るか。 その 標-ト みして きた. 政!;^ の 凡そが 根本に おいて 政 友會, 憲攻會 と 同 一 でありな が 

ら- TH- 故に 犬 養 氏 一 ^は !;^:? 本.... 〈链 でない ので あるか? 彼 はま 費の 出 所 を 意味して ゐる のか。 然 らば 國民黨 は 何れ か 

は を ひき;! つ;! か。 民 の 裁 M は 全國に 何人あって、 一人 當り 幾何 づ i の 黨费を 納めて きた か? この 點で國 

民^よ」 何な に 政 友會^ 政 会" と異 るか? 異る ところ はたった 一 つあった" 國民黨 が 小さかった とい ふの 點 である。 

彼等 は 旣成政 (11 の 打破 を 叫んで ゐる。 旣成政 (Ms の 打破 は 何人も SKi がない。 し かし. 何故に 旣成, 驭 

は 打破すべき か? それが (:s 弊に 満ちて るるた めか? 大< あ 持と 大坌 持の 子が 頭 梁で あり、 宫倏 

がその 手足で ある 政 Oil は 翼に 人 11 の 堪える ことので きる 範 Si でない。 贿賠 と買收 と利權 とが 常に 纏綿して ゐる 政^ は 

眞に 人間の 耻ぢ とすと ころで ある。 しかし 單 なろ 政治力 廓淸を 叫ぶなら、 ^等 自身 を攻治 的檢: に 組織す る もい- - 

「天下 民衆」 は 見物して るよ ラ。 或は 喝釆 もしう。 しかし 苹 新俱樂 部が 單 なる 廓淸會 でな く、 風酋 でな く、 政治の 根 

本 的 一 新 を 期待 するとしたら、 旣 成政黨 は 1: 故に 打破 T べき かの 根本- m 理を 先づ與 へねば ならない。 そは大 養 氏の い. 

ふと ほり 旣成政 isr か 資本 冢 $S であるが ため か。 してそう なら、 資本主義 を 倒さなくて 本 

黨を 倒す ことができる か? 基礎 栴造を 倒さなくても、 上部構造 を 倒す ことができよ、 フ。 しかし 

その 跡に また 第一 一の 上部構造が できよ. フ。 革新 俱 部が その 第一 一の 上部構造 となる 考な のか? 犬 養 氏 を 頭 梁と しての 

革新 俱樂 部が それ以上の 考を もって るる 苦 はない。 攻友會 の 「《:ri 策」 の 代りに、 憲政 會の 「珍品」 の 代りに 「國 策」 を^ 

てようと いふか?, その 國 策と は 何 か? 資本主義の 上部構造でなくて それが 何んで あるか? 

そうでな いとい ふなら 何 故に 资本主 殺の 打破 を 叫んで 立たない か? 資本主義 を 打破す る必. 嬰 

がな く て、 資本 . を 打破す る 必要が どこに あるの か? あると すれば 

た 政 檣爭奪 か? 賄赂 とい ひ- 利 とい ひ、 S 只收 とい ふ。 如: 1: に.. - 武士の 齢 ひしがた いものな ので ある〕 しかし そ 

3 一 れを排 せと は 何 を 意味 すら or 珍品」 を排 し、 黨 利を排 して、 資本主義の もとに、 資本主義の 側に, 攻 (II が 存在し えら 

れ るか? 資本主義 そのものが 買收 であり • ^赂 であり-、.^ 權 であ fts* 耍する uie ス なくて 金で あ こ乂 に 資本. 



-. 主義の 精 ar か あるので はない.?^。, 賄路 をと るの は 攻友會 だけた と 思 ふの は大 間違で ある 3 珍品 や 貸 ふの が 加 藤 高 明 だ 

.4-^ けだと 思 ふの が大 間遠 ひだ. - 資本主義の もとにお ける 攻 治と は、 船路と 珍品 

で あ る。 如何なる 5«合 にも 贿賂と 珍品で ある。 人でなくて 金の 支配す る 時代に、 贿賂と 珍品-」 を 貰 はない もの は 

た その 日く の 生活 を 支へ るに 足りない 勞働 者で ある。 でなければ この 勞働 者の 汗と 油のう へに 寄生す る 階級な の 

である。 賄賂が よくない とい ふ 理由が どこに あるか、 珍品が 不 德 だとい ふ 理由が どこに あるか〕 、.p: が 人 を 支配す る 

のがよ くないと いふ ことでなくて * 何んで あるか? 果して そ、 フ なら 現代 そのものが よくない のでない か? 金が 人 

を奴隸 にす る 現代 を 是認しながら、 賄賂 を 非難し、 珍品 を 非難す る ことが どうして できる か? 彼等の もって ゐる凡 

てのもの は、 珍品 か、 贿賂 か、 絞 取でなくて 何んで あるの か? 犬 養 氏の もって ゐる 財產が どれ-たけ あるか は 知らぬ 

しか 丄 それが 栗して、 犬 養 氏の 勞 働の 蓄積で あるか? 珍品 か、 贿賂 か、 絞 取 か。 絞 取の 上前 を はね 

-. る こ, とも 珍品. と いひ、 賄賂と い ふ の で あ る。 在野 攻治 家が 受取る と 珍品で あり、 

在 朝 者が とる と贿赂 である。 ^品、 賄賂、 絞 取でなくて、 今日の、 た の 一人の 政治家 だって 存在し ない。 存在し え 

られ ない。 だから 廓淸 といっても 革新と いっても, 若し それが 必要であるなら、 現代の 社會 制度の 根本に 向って 革新 

も 加へ なくて は 何の 役に もた X ない ので はない か。 この 自明の理が 分らなくて 何の 攻 治の 革新が あるか? 

愚ろ かで あるか、 或は 知って 瞞着しょう-とす るので あるか。 何れにしても. 時代 はかくの ごとき ものな 求めて はる 

ない。 あろ 種の 舉 者が 入った とい ふ。 人っても よし、 入らなくて もい- r ような 人が * 何人 入っても 根本に 變り はない 

犬 養 氏 は、 旣成 攻黨が 資本家 黨 だから、 來 るべき もの は 社會の 各方 面の 利益 を 代表すべき だとい ふた。 犬 養 氏の 言 

薬 通りに いへ ぱ、 代 我國の ニ大攻 は 率直に いへば、 1 つの 資本 階級の 集圑 に過ぎないの である。 此際 全國民 各階 

級の 溢る、 が 如き 欲望 を 調和す る 機 翻が 當然 なければ ならぬ」 と。 全國民 各階 級! 犬 養 氏が 宗敎 家であるなら どう 

でもい io 攻治 家であるなら 本氣 でそう いふて ゐ るので あるか? 各階 級の 溢ろ、 如き 欲望 を 調和す ろ こと 力で きる か 

ひきない か? 犬 養 氏 はでき ると いふので あろ。 搾取 者と 被 St 取 者との 協調が できる とい ふので ある。 賃銀 制度の 鐵 



錢の もとで、 この 二つの 階极の 調和が できる とい ふので ある。 資本家 階級の 攻治 家が- 舉 者が, 欺瞞 家が みな そラ いつ 

てゐ ろので ある。 顧 田^ 士は 社會攻 策の 哲攀を 求めよ、 rs と 苦心 を 重ねつ X あろと いふ。 その 苦心 は 多くの 資本家の 苦 

心で ある。 しかし 「率直に」 いへば それ も 資本 階級の 集 国に 過ぎない ではない か? して 見れば 德川 公- ^澤榮 一 が 

産 紫 的に しょうと する 努資 協調 を、 4^、養氏は政治的に代表しょぅとするのでぁるかo 即ち 攻治 的勞資 

調會 11 各階 极の 溢ろ- * 如き 欲望 を 協調しょう とする ので あろ か? 各階 級の 溢る. - 如き 欲望! それ は 何 

ん であるか? 一 分 間で もい i から 考へ て昆て 欲しい » 本家 階級の 溢る i 如き 欲望 は 

何 か? 資 木の 集積で なく、 富に よっての 人間の 支配でなくて、 何虚に 溢る.. ような 欲望が あるか? その 欲望 を、 

人格 囘復に 封して 溢 6、 ような 欲望 を もってる る 勞働者 階 扱との 間に、 如何なる 協調の 機關を 設けよう とする ので あ 

るか? 革新 俱樂 部の 宣言に は^代の 諸政 黨 ほど 時代 後れな もの はない とい ふた。 その 通りで い.,。 しかし 犬 養 氏の 

國 策.、 經濟 的^ 備* そして 革新 俱樂 部の 建設的 方面の 一 枚 看板と しょうと しつ i ある 各階 級 協調 論が 時代 後れで ない 

とい ほうとす るか? それなら 德川 公, 港澤榮 一 もまた 時代の 先 願 者、 時代の 革新 家で ある。 先き に德 川、 ^澤 出で、 

犬 養 氏, 後に 風 を 望む で 走った としたら * 如何に 美しい 時代の 先驅 者で あら. フ! 

犬 養お に從 へば、 時代の 遷に 伴って、 汎く 民衆 一 般と 手を提 へなければ ならない。 國民黨 の 城廓に 立て 籙 つて 民 

般を 隔てて ゐ る こと は^代が 許る さない。 これ 國民黨 が 解散す る 必耍の ある 理由 だ。 とほん と、 フ にさうな のか? 

それとも あべこべ lT 「民 泶 一般」 が 犬 養 氏 を 隔て、 きたので はない か。 民衆 一般が 何時 國民黨 の 城廓に 入りたい と 

いふた か? あべこべ である" 國民黨 が、 政權 から も、 民衆から も 孤立の 國民黨 が、 民衆 一般の 中へ 入りたかった の 

であろ。 民衆が 城 腐 を 立て. -ゐ たので ある。 民衆 は旣に 久しく 一 切の 旣成攻 驚 を 

捨て- -ゐ た^で あ- る 。否, もラ 忘れて ゐ たので ある。 あるかない かも 忘れて ゐ たので ある Q 國民 黛 

力 それ を 出よ、 フ とい ふ。 ほんと、 フに 出よ、 フ とする のか? ほんとうなら • 老人で も 若者で も、 民衆 1 般 はこれ を 隔て 

る こと は あるまい。 しかし 彼の 城 腐と は 抑 も 何 か? 南 佐久間 町の 本節 か? 國民 4S とい ふ名稱 か、 それとも 犬 養 主權 



か? その 何れであって もい lo, そこから 出ても 、^なくても, それが 民衆 一般と 何の 關 係-か あるか? 政 "合,.,, ど 

標榜して 憲政 會を 出た 人た ちの 五 六- 七 人に. V つて は、 それが 城廓 解放で あるに 相違ない。 しかし 民衆 一般に 對し 

て、 若し 城 廓 開.:^ の 問題が あると すれば、 彼等の 慷 つ て 文. つ と こ 

ろの 經濟的 根 據 ——f^ 本 主義の 城廓から. 解放され ち ことで なく 

て 何んで あら, rso 

私 は 政界の t2f 新が 必!^ ,5 じない とはい は. 5。 また私^:!身の問短としても政治革新の運動に興^をもたぬとはぃはぬ。 

7^:: 野 博士の ように 攻治 家で ない もの は 政 に 入らぬ し、 また 入って ならぬ と は、 私 は 言 はない。 政治 は. r 以治 家の 仕 

事で あると いふ ことが、 アナ I キス チックな 意味が あるなら 別問題で あるが, でなければ そは少 くと も デモクラット 

の 一一 一 i では ありえない U 而し攻 治の 革新が. 明治維新 以来の 空 斑な お 超 目で ない としたら • 最早 ゃ不暴 面目な 態度, 

軽卒 な!;" :! 一 I- で、 R 民 を 欺 くんので あって はならぬ。 また 欺く こと はでき ぬ 。彼 は^代 * 社,^" の J^- れも 

厳 ; d な 問 超. 階級 鬪爭の 問 超 を • 最も 嚴 .M な 目で 見なくて はな 

ら ぬ。 この 問 超から 出^しなくて は、 攻 治の 革新の 問 超 はない。 ある もの はたに 枝 一お と 夫ん £ である。 こ を 

直に 大膽 に- そして; 止お に 2- ろ ことので きる 人-たけが 攻 治の 革新 を 語りう ろ。 旣成 t 松 《:^) の 打破 を: ほりうる ッ 一切 3 斬 

運動の 參加 者と なり えられる ので ある〕 革新 俱樂部 は, この esH を もって ゐ るか、 るない ザ-。 分りき つたこ, -」 なヽど 

ん、 しく はい はぬ。 た. - ほんとうの 政界 革新の 必要 を 前にして、 革新 偶樂 部の 生れて きた こと を 多と しながら、 私.; - 

ちの いはんと すらと ころ を 一 首した だけな ので ある o( 室 伏 高 



個人主義、 曰 本 、及 啓蒙 

S の 文明 は 必然的に その 生活の 反映で ある。 文明と は 生活の 總 計に f ない. siiar 

ると は考 "に" も出來 ない 零 ある。 § に 生 if の 文明の 形 t ち來す ものである。 文 好 

Ml とに きす、 ,一、 れが事 f ので ある。 故に ドイツが いかに 「文化」 をい ふといへ ども そな 尋!" 活 S 

限りの 夕 は 之き KC すろ 6 外 はない。 この 故に!^ じ 歐洲 に 鐘しても、 フランス、 イギリス、 ドイツ, tr^ 

はの 共 f まちな f なほこの 特 きる 文明," まする? ある。 f して その f! 定 すべき 生 f 

. ^との 1 ば 力 はする 曰 nzsi であ 化 この isK て、 さ 文 isf I! き、 濯 さい! となつ" 

し 至。 人 は歐洲 人が 石の 家に 住:. の を 知る。 ma しかし それ^ 生 。 え/口 

がない と共に、 一方 は f 、 一方 は, おいとい ふが 如 I.M の i! つて 考へ るからで あ.^ Js^rT リ 

氣 候に よってお に變 すろ 事^の あろ 以上, この 閥 一お を 無 鋭す る ことか,, 來 ない。 -Hoi きす 

その 故に 裂の 曰 本に 於て 1 0^isitri^iia アメリカ こ學ん 

で 日本 を アメリカ 化しよ i する。 他の もの は イギリス I として、 5 手 一 量 そ,^ 复似 ざ,. え f これ^ 3 れて 

ゐろ。 他の もの は ドイツに 心醉 して • イツに あら すん ば 人に あらす と 思って るる。 また 他の も S は フランス I っ師と 

して その後に 從 はまの み を これつ とめて ま。 凡それ こらの 素 か 一 好奇心 i きれ かました ものなら. M 

それでも いい OKC ら すして これによ つて 日本の 生活、 文明 を 之に 化せん とするならば その 愚 や 及ぶべからざる ものが あ 

る。 そうして 事實 として この 計^の ことごとく 失敗に 歸 してる ろの は、 にこの 生活か^ 明して るる 通りで あろ. そ 

れ にも 力 力 はらす * なほ あとから あと か "續々 として かかる 種 Si ほ; 傳 者の 出づ ろの は- ど- フレ ふわけ であるか。 

J^E に は 日本人の 牲 質と いふべき である。 自己の 個性 ケ. 忘れた こと は. 大 化の 改新 以來 一; 小され てるる。 日 木 は その 

本來の 生活.^ もってる た。 しかし その 本來の 文明 を もってる ない 言語 は: n 本 語であった、, しかも 文字 を ま那 から 倍 



りた, 衣服, 依 as 制度、 美術、 文舉, 凡そ これらの 文明 はこと ごとく 借物で ある。 しかも 日本化せ ざろ 輪 入物で 

める? さ、? J て事資 として 生活が 之 を 日本化して ゐる のみで、 日本人 は それに 氣 がっかない ままに、 物 魔 似の みで そ 

の 無意味なる 1 1 千年の 生活 をつ づけて 來 た。 その 根抵は 自ら を 信じない ところから 來る。 .H^ は 自己より 偉かった の 

である 故に 1 切の 支那 的なる もの は, 自己に とって 輪 入され るべき であった。 

この 向 じ 心理が 現代の 日本人 對歐米 文明の 關係 にも あら はれて るる。 日本人 は黑 船に 驚く と共に、 生活 以上の 生活 

が 欧米に あると 考 へた" さ、?, 3 てあら ゆる もの .1 輪 入 か はじまった。 人 は 今や 一 語の 歐語を 交へ すして その 思想 を 談 

り 得ない。 日本的な もの は 恥辱で あると 共に、 欧米 的な ろ もの は 誇りで ある。 かくして 日本の 文 舉を談 るより 前に 人 

は ドスト ヱ フス ヰ ー み談 り- ラシ ー ヌを諭 じ、 ゲ.' テに淚 を 流して ゐる 。宛た る 殖民 地で ある。 それでる て 住む とこ 

ろ はや はり 日本で あり、 讀む ところ は 日本の 文舉 なので ある d 

しかしながら かかる 性質の みに 止まる といって はならない、 より 大切な の は それ をして かくなら しめた 事態な ので 

ある。 それ は 生活 對 生活、 卽ち 必然的に 文明 對 文明 S 關 係が 生ん た 事態で ある。 

日本 はこの 支那 文明の 1 支流た もこと 幾 十 百年に 及んだ。 さう して そ 5; 根元と 由来が どラ あら- とも • 結局 事實と 

して はや はり、 日本的と なら ざろ を 得なかった" これ 生活が 直接に その 輸入 文明の 上に 及 ほした お. 蠓 であろ。 支那の 

生活が 支那の 文明 を 生んだ その 文明 を そのまま 輪 人した ところで、 生活 かこれ を 許さない 限り 生存し 得ない。 そこ 

で 支那 文明 は 日本的に 改造され るべ く餘 儀な くされた。 一 例と して 支那 晝 から 日本 螯の Si 立した る經 過の 間に この間 

の 消息が 明かに うかが ふこと が H 来る。 それ は 一 例で ある 一 例で あるが、 之に よって 他の 生活 全體 にわた つて 同じ 

同化作用が 行 はれた こと を 推す る ことが 出來 る。 かくして 日本の 生活 はこの 必然的 日本 文明 を 有する に 至った。 それ 

が德川 時代に いよいよ 確保され て 明治にまで 及んだ。 それ はすで に獨 立した る 1 個の 生活 體系 なので ある。 

二 個の 生活 SH 系が 相 合すろ ときい かなる 現象 を 起す もので あるか * それに ついては すでに 一 一三: SI 述 した ことがある 

が、 これ は 結局 合體 して 第三の 生活 體系 をな すか、 或は 一が 他の ラ ちに 合併され るので ある。 今日 本の 生活 體 系が 西 

洋の それに 出會 したと き、 日本の それ は 全然 西洋の なかに 併合 せられた。 ち 日本 は 亡んで. 純然たる 西洋が 日本に 

入って 來 たので ある。 そこに 啓蒙運動. か 日本に 行 はれる や 5 になった ので ある。 さラ して 西详と 1 口にい へど も、 こ 

の 5 ちに 多くの 支流が ある。 それら は 西洋と いふ 大きな 生活の なかに あって、 その 優越 を 誇りつつ ある。 故に 日本と い 



ふ 新たな ろ 土地に その 勢力 を 及 ほさん と 欲する G 'はか S 然 であら-,。 これ 日本の 生活が 欲すろ と 否と に かか はらす、 想 

まれ もしない 官 iiw 者が 生す る 所以で ある。 

現代 を 啓 i^t. 代と いふの は • ^界を 考察の フ ちに?? 一 くと き, やや 當 つてるな い。 この語の正:^3なる:ぉ味に就てュそ 

れは 十八せ 紀を 指す もので あり • また 紀元前 五六 紀の ギリシア を 指す ので ある。 しかしながら 一 般的意 味に 於て は 

隨^ に > 常に 啓^. か 行 はれて るろ とい ふべき である。 しかしながら 現代の 日本 は 特に この 甚し いもので ある,^ 

何故に 現代 日本 を 以て 啓 ill* 時代と なすので あるか。 それ はこの 二 個の 文明の 對 立に 於て、 日本の 文明が 根^か 

洋の それに 代られよ うとす るからで ある. - 學胜の 相途は ある、 國 情の 差違 は ある。 しかも 科 學が國 境 を 超越し • il;" 術 

が國を もたない と はしばしば 一一 1;:: はれる。 その 故に 一 :g に 西洋文明と いふ 名の 下に それらの すべて を 日本に 入れようと 

する。 日本 は 科舉を 有して ゐ なかった。 故に 現代 西洋が 科 S-S 世界なる が 故に、 その 結果す ると ころの すべて は 日本 

に存 して ゐ ない。 原 E: を 知らす して 結果の みに 驚く はの 短見 者 流の 事で ある。 さう して 日本人 はこの 結 BI- にの み 驚い 

てゐ るので あろ。 故に それ を ことごとく 日本に もたらしめ ようとす る。 西洋に ある もの は 必然的に 日本に もなければ 

ならない と 思 唯す るので ある。 それ は 半ば 正しい。 しかも 他の 半ば はう そで ある。 それに も 招せ す 輪 入は絕 えない。 

この 48 入が 即ち 啓蒙と なる ので ある。 

西洋の 現在 は その 歴史 を もつ。 故に 現在 位置す ろと ころ は 必然的に 定まって るる。 さラ して その上に 發 達する 進步 

なり, 進化な り も 必然: sgss を ふんで ゐ る。 之 を 文學に とれば、 浪漫主義から 自然主義、 自然主義から 象徵 主義, 象 

徴 主義より 未来 主義に 變 する 過程 は 必然で あり、 常 然 であり、 そこに 何等 S 無理かない。 それ は 物質文明に 於ても 同 

じで ある。 €: 外相 應じ、 生活と 思想と 一致して ゐる。 しかしながら 日本 はちが ふ。 日 木 は その 本来の 歴史の 系統 を 好 

んで棄 てようと する。 その 必然的 發展は 別と してお いて, た 5- 輪 入 をのみ 模倣お のみこれ 事と する。 故に 自然主義 か 

千 九 百 六 年 七 年の 頃 か" 盛に なって 見たり- 同時に 象徴主義が 輸入され たり、 又 之に 反して そのの ちに なって 浪漫主 

篯を たづね て 見たり、 急に 未來 主義に 飛んだり する。 それに は 何の 根抵 もな く、 何の 必然性 もない。 物好きと 模倣-」 

新しが りの みで ある。 故に アナ ク -1 ズム であり、 故に アナ トビ ズム であろ。 洋に縱 に發展 した もの を 一 に に 

«_ SS 入した ので ある。 しかも それぞれに イギリス、 フランス、 ドイツ、 ロシア 其 他 を 同時に 入れる ので ある" さラ して 

【 そ $ 生活 S: 臂後は «然 たも B 本の 生活であって- 本 追の 家に 座して • 泥 田の 如き 道に 靴 をよ ごして ゐ るので ある。 e 



f れ でも 啓 い:?^ 時代なる 仁と に は 間遠 ひない ので ある。 從 つて 翻譯と 紹介が 學 者の 唯一の 仕事と なる ので ある - 

ij ギリシア-に 於け ろ 啓 suhw 代 は 特に 倫 If 的なる ことによって 特徴 づ けられる. - その 隊長と して ソ I クラ テ., スの 出で 

たのん 不思議 じない。 それ は 人 Si の 探究であった。 人 Si か 萬 物の 尺度で あると は單 に としての みに 止まらない そ 

. わ 力 その 時代の 一, 特^であった。 之に 反して 十, 八 世紀 S 歐洲 は論现 的で ある。 合理主^と は 正しく 名づ けられた 力 ン 

ト. y ヴ オル テ I ルは その 持す ると ころ は異 つて ゐ るが、 いづれ も 常時の 合理 主 一教の 産物で あるに は 異論かない。 さう 

して それ は; 止しく ルネサンスの つづきで あり、 自我の 發 見の つづきで ある. - これが;^ 代と 現代との 分れで ある。 さう 

して K 代 S 西洋 は ルネサンスに 發 足して その 個人主義- 自我 主義 を 成立せ しめた。 個人主義 は <! 「日の 文明の 特徵 であ 

る。 否、 それ はま さに 昨:! 1 の 文明の 鍵たら うとす る。 

個人 主毅 文明の 究極 ろ ふ ■ ころ は 全體の 否認で あるつ 絕對 多元. i に 根 據を與 へろ もので あろ〕 しかし、 ながら これ は 

ルネサ ンスの あまりに 多, ^効果であった? . それ は剌擊 のきき すぎで ある。 故に 科 舉はキ :觀の 世界 を剌犛 して 客 觀に制 

御しょう とすろ。 カント は その 以; -1 の 主觀客 觀を顚 倒せし めた これ 自ら を コペルニクス ルに 比する 所以で ある。 し 

かしながら 現代 科舉は 認識の 世界 を相應 じて. 個 以外に 金の 世界 をお いた。 それ は 客觀の 勝利で ある。 ァ V- 、"スタ- 

ンが 示した る 結 を 見よ。 その 故に 個人 主赣は 正に その 行きつ まりに 達した。 さう して その. あとから 全 俊の 認識 を 開 

いたので あろ。 個人 主毅は ブル ジ ョヮ の哲學 である。 ブ ロレ タリ ャの 哲舉 はむしろ 原始に かへ つて また 圑 主義に か 

へ らうと する- - しかも ディア レ クチ クを 信す る^、 , 】 の圍體 主義 は 個人主義の 後の もので なければ ならない。 それ は 

決して-ぬ 始 そのもの でない。 個人 主錢を そのうちに 含めろ ところの 圍體 主義で ある。 それ はルネ サン ズの當 然の歸 結 

と 見られなければ ならない. - 

然 らば 日 本 は 如何の 狀 であ/. か。. 同じき 啓蒙 は 古典主義から 未來 主義まで を 同時に この 千九百年代に 輸入し なけれ 

ばな. ら ない。 さ、 フ して 日本 それ 自身 は 未-たかって ルネサ ン スを經 た ごとがなかった。 即ち 日本 は 東洋 全體 として 依然 

として 意志の 世界に あり、 俭 的 人生 觀 のうちに 生きて るる。 ギリシアの 人間に すら 至らざる ものである。 そ、 れが 正 

しければ それでい い。 しかも それ は 西洋文明 を 受けて 偶然に もルネ サン スの 結、 のみ を 影 is されな けれ はなら かつ 

そこに 矛盾と 植着が # るので ある。 個人主義 を 知らざる is^ 主義 を ぼ じて, Q ると ころに 個人主義. か 輸入され た. - 

さう して 道 In- にも. 法律 にら、 實業 にも、 文舉 にも 個人主義が 未だしみ わたらな いうちに、 同時に 新たな ろ圑體 主義 



11 



が 輪 人され た。 故に 極端 は 一 致す ろと 共!.:.、 その 根本的 差違 を 如何と もすべく もない。. 人 はい ュ 6 だ 個人主義 文明の 栗 

すら 味 はない ので ある。 それで ゐて すでに 新たなる 圑體 主義. かお, しょせ た。 人 は 幼年に して • 一 足 飛びに 老人に 入つ 

た、 これ 日本の 現狀 であり • 啓蒙の 一 悲哀で あり- 模倣: M 悲劇で ある。 さ- フ して その 悲哀と この 悲劇と は、 日本と 

いふ 生活に 今や 固着せ しめられた 悲哀で あり 悲劇で ある-) 何人と いへ ども 之 を 免れる こと は 出来ない。 詩人 は 表現 主 

義に出 でんか、 古典主義に 執らん かに 迷 ひ、 ^濟人 は fs^ 本 主義々 完成 ぜんか、 共產 主義に 走らん かに まど ひ- ^理 舉 

者 は 個人主義に 微マ 1- んか、 園" g お^に 進.. <ん かに^んで ゐ る。 これらの 悲劇 はいかに 解決され るべき か。 

他に 策 はない, - 生活 そのものに 11 るの 外 はない。 啓蒙 をして あくまで 散せ しめよ J 模倣 をして その 極 をつ くさしめ 

よ、 しかも 日本が HI 本で あろ 限り、 生活が 之 を 解決す ろで あらう。 現に かくの 如くに あり、 また かくの 如くに あるの 

外に 何でもで あり 得ない。 この 混沌と した 啓 i ー豕 代ば 決して かの 「輝け る 時代」 ではない, それ を 整理す ろの は 生活 

のみで ある。 然 らば 現在の 日本 パ 生活の 如何で わろ かや 知る ことか 第一 の!^ M 件で ある。 さ 5 して その上に 於て、 その 

生活に 對 しても つと ころの 個人 主 一教 及び 圑. S 主 の 意 が 明かに される。 それ は 他日の 機 1" に 於て 論述され ろで あら 

、,。(一 さ 111、 九 • 十七: &松正 俊) ! «. ,i ssin 

ラスキンの 經濟的 美術 觀 御木本 隆三著 

この 書物 はま だ 文 を 讚んだ たけです。 しかし それだけで もこの 書物の 内容が? はれる ほど 興味.,, あり、 且つ 著者 

の 偽ら. ざる 咸 (一 ま を 語って ゐ ます。 こ、 に その 序文の 拔畨 きをし ましょう —— 

私 は 時々 もっと 人 問ら しく 考 へて 死なねば ならぬ。 そして 折角 此の世に 生れたならば せめて 墓へ 向っての 道程 中に, 

もっと 思 相ァダ 深めて 行かれば ならぬ と 忍った 工場 主の 馬鹿 息子に 生 ;: た 私 は; &際 不安み 惑ん する- 私 は 洗? i 

すら も 受けた キリ スト 教 信^で ある。 私が もしも 眞に 神の愛 を享 けて 居るならば 不安 か 無い 笞た。 けれども 自らの 信 

仰 淺き爲 めか, 私 は 唯 祈りに のみ 安心 か 求められ なくなった。 ……: 靜 かに 思 ふと 自分 達の 前途が 心配で ある" 私 は 私 

の 父と しての 货 任が あろ 如く 私 は 何となく 恐ろし ぃ將 來の變 化を豫 期せねば ならぬ〕 満 一 一, 十五 歳の 父が 彼 を 此の世に 

. 産み出した 事 は 如何にも 罪の 樣に思 ふ。 私は父から讓り受ける私有財產でぉ前を養って行くのでは何..-なく自らの^:5- 

心に 濟 まぬ 樣に思 ふ。 如何なる 種類の 勞慟か は 知らない-か • 鬼 も 角 私 は 自分で かぜいだ 勞 力の 報 削に よつ, てお,; i の 生 

長 を 希望す るの 權利 を. つもので ある • —I 私の 如く 社會 主義 經濟舉 時代の 一 住民と して 生れな から 却って 平 氣で奢 

^の 生産 を^ 來る 限り I 所 懇命に やって 行く お前の 父 を 惡んで 貰 ひたいの である。 (i>^l西久保八幡,町厚生閣定惯:fs) 



新社會 (二) 

吾々 の 知る 凡 ゆろ 文明 は、 社 <i?B 的に 二 暦に 分れた 多數の 

富める 人から 生じた., -' ので ある。 文明 はこの ニ歷 がー つに 

融合す ろ 時に その 顶點に 達する。 

それ 故, ー國 民が * 数多く 富んで るると 云 ふ 事 だけで は 

十分で ない。 富と 力と を i^: ち • 他方 貧しい 多數の 人々 も 包 

含し、 更に 歷 迫され 奴餘 となされ たもの さへ なけれ、 はなら 

ぬ。 之 を 得ろ に 難い 時 は, その代り として 他國の 文化 を征 

服し、 また 利用し なければ ならぬ。 1 は 口 .1 マの なした 所 

であった。 他 は アメリカが 今な しつ i ある 所で ある。 . 

恐ろしい 事 だ、 然し 理解し 得られる。 何故ならば、 この 點 

まで は 自然の 無意識的 過程, 卽ち 相互 鬪爭が 勢力 を 占めて 

居た。 その 問 は gBg: 組織 は猛獸 であった。 たった今、 彼等 

は 人間的 秩序の 境界 を 超えん として 居る。 

理解し 得られ そして 釋 明し 得られる 事 だ。 何故ならば、 

文化の 創造物 は 皆 相閱聯 してる ろ 人 は Is きもの を拒絕 



しつ.. -- より 安惯な もの を 追 ふ 事 を 得ない。 安 憤な 文化な 

る もの は 無い。 文化の 創造物 は、 總 iB として, その 費用 を 

BMif すろ • 史上に 知られた る聶も 莫大な 支出、 必 isj- 品の 供 

^^以上の人間の勞作が只それにょってのみ償はる\支出を 

耍 求す るので ある。 

文明の 創造物 は、 他の 生 あり 或は 生な き 諸 物と 同樣 に、 

交互に 關係 ある ものである。 植物、 人間, 野獸 または 道具 

など は、 時代から 時代へ と 關聯が ある。 描く に 際し * 人 は 

數 千年 來の鎗 諮 を 見て、 初めて 新ら しき: 盩 S 俘 在 を 見出 

すに 至る。 吾々 の 詩馱、 吾々 の 研究 は數 千年 來の成 であ 

る。 斯く云 ふ 事 は、 技術 上 或は 思想 上の 天才に 對 すろ 侮蔑 

ではない。 天才 は * 丁度 古き 枝に 晚 ける 新ら しき 花の 如く 

新ら しくして 尙 過去 將來に 永遠なる ものである。 中央 ァフ 

リカ か 或は 二 ュ ー、 ジ ー ランドの 土人が 油: を 描いた と閗 

いたなら は、 兎も角も パリ ,にで も 行った 事 か あるに 達 ひ 

ない と 想像す る 事が 出来る。 歐洲 の藝術 家が タヒ テ チで製 

作し、 創作しても、 彼の 作品 は タヒテ チ!. 乂 化の 生 產 "〔では 

ない。 何虚 かの 不毛の地に * 一度 枯れ 失せた 文明 は、 ,1 新 

らしき 土地に- 他國の 種に よっての み 復活す ろ 事 を 得 63 

である 



然し 乍ら、 文化の 永级 は、 開化の 時に 於て すら、 只絕 えさ 

る出费 によって のみ 保 たれる。 丁度 乾燥地に て は 繁茂す る 

植物が 不斷の 液 漑を耍 する が 如きで ある。 ルネサ ン スの藝 

術の 精華 を 産み出す 爲に は、 柬洋の 富の 流れ を 伊太利に 灑 

がねば ならなかった。 藝 術と 科 學ゃ、 舉業, 名工、 舉 徒, 

或は 像 統を榮 えしめ ろ爲に "は、 数多き 貴族 または 世俗的 或 

は 精神的の 王 候 等 は、 寺院、 王宮 • 庭 碑、 ベ ー ジ ェ ン - 

ト、 遊戯、 或は 家 air 等 を 見出して 之み 飾り立て ねばならな 

かった。 十七 世紀と 十八 世紀 前半との 11 逸 S 特色であった 

外國 文化の 崇拜 は卽ち 吾々 の國が 自らの 収獲 を 得る に は あ 

まりに 贫 しく 育まれた 事 を 意味す る ものである。 中 世紀の 

文化 は、 歐洲の 人口が 稀瑰 で、 製作の 機會が 一 地方で 努力 

を费 やすに は餘 りに 少なす ぎた 間 は、 世界的の もので あつ 

た。 人口が 少なかった ホ ー マ ー 時代の 希 腿で さへ、 建築 師 

と 詩人 は、 1 所に 定往 しなかった。 彼等 はさ すらへ ろ藝術 

家であった。 若しも、 今日で も、 ダァテ マラ 共和 國が ホン 

ダュ ラス 共和 國か、 元老院 や 停車場 を 建てた いと 思 へ ば、 

P ンド ンか パリ ー から 建築家 を 迎えねば ならない であら ラ 

文明の 模範的 藝術 である * 手藝、 ェ棠の 技術 すら、 それ 

を 保持す る爲に は、 練磨に, 委託に, 寶 に大 なろ 不斷の 



費用 を 省く 事 は出來 ない • 今までに は そ ラレた 事 はな かつ 

たが、 若し セルビア 人ゃス ロゲァ I ク 人が 欧洲の 大畢敎 育 

を享 け、 その 技術の 俥統 を學ん だなら, 如何して 彼等 も 一 

大發見 を爲し 得ない と 云 ふ 理由が あら 5。 然し 乍ら, 多額 

の 費用 を 以て 大學と 研究室 を 設立し、 外國の 敎授を 招聘し 

たと て, 蹈 立した 永久の セル ビヤ 又は ス ログ ァ キヤ 自身の 

技術 を 生れし むる もので はない。 この 後で、 その 國 内に 市 

場 を 持たねば ならない。 熟練した 購買者、 製造業 者, 仲買 

人、 多くの 熟練 じた 技師、 技手、 職工 * 勞働者 或は 亦國外 

市場 —— 約言 すれば、 工業 的 零 阁 氣 11 あって 初めて 製造 

及 生産の 標準 を 保つ 事 を 得る ので ある。 

貧しき 國は、 富める 國の爲 に 高 憤な 產物 を?^ 供す る 事 は 

出來 ない。 需要から 生す る 敎育を 持たぬ からで ある。 例へ 

ば • 遊 IT 偷樂の 生産 品 は 英國が 第 1 であるが、 佛國 では 

これ 等の 製品 は, 馬鹿々々 しい 程 誤解され、 馬鹿 ゆた 装飾 

で眞 似され る。 然し 乍ら、 他方に 於て、 佛國 製の 贅澤 品、 

美術品 は,、 他の すべての 國 から 需要され る。 獨 逸が 富 を 得 

て、 科 摩の 力と 技術. 生産と 市場, 補助 工業と 僅少の 利潤 

財攻と 商業、 敎育と 訓練、 習 慎と 相應 なる 憤の 感念 等の 諸 

耍 素の 協力が もたらされ たる 時まで は • その 製品 は 安 憤な 



I 卑俗な ものと 考 へられて 居た。 、 

n_ . 然し 乍ら、 人間の 力 は, 諸 制度 や、 物質的 產 物と 同樣な 

敎 fr 同樣な 出費" 同樣な 高い 訓練 を 必要と する。 纖 細な 

仕事 は、 敏感な 手と 生活から 保護され た 道と を 必要と する 

發明は 閑暇と 自由と を 必要と する。 趣味 は、 敎 練と 傳統と 

を、 科舉的 思索と 藝術的 意 想. V は、 敎化、 思想、 智識の 斷 

えざる 連續 した 圍繞を 必要と する。 死に 瀕せる 文明と、 暂 

しが 間 はべ え 去らぬ 文化の 腐植土 力 上に、 また 消え やら 

ぬ 思想の 雰 阁 氣の 中に 生き延びら 事 も出來 よう。 然し 新ら 

しく これ 等の 諸耍素 を 創造す る 事 は、 ,ての 力の 及ぶ 範園外 

にある。 

. 吾々 は 自ら を 欺いて はならぬ。 まっすぐに 事 莨 を 見つめ 

ょラ! 僻見 を もたぬ プロレタリア として、 無 邪氣に 誇つ 

てゐる 優れたる カナダ 人 は、 學位 ある もの もない もの.. り 化, 2 

官僚 的、 貴族的 敎 化に 養 はれた 子に すぎない。 彼等が、 假 

令 その 堅い ?J と 眼鏡と を 手 離した 所で 尙異る 所 はない。 彼 

等の 一 言 一 句、 議論- 思想の 8E 系、 智識の 程度 ^ 强く 主張 

する その 智能、 S 一 術 的 科 舉 的 趣味、 凡ての 手工、 工業 等 は 

皆 彼等が 旣に 投け棄 てたり と 想って ゐる もの &遺產 であり 

彼等が 賤 しむ ものへの 貢物に すぎない" m 疋の 急進主義 は 

只, それが 諸事 物の 關係を 理解し、 結末 を 恐れない 時に の 

み, 尊敬 せらるべき である。 その 急激なる 前進 は • 文化 を 

殺す ものな. りと 心得ねば ならない。 適切な 結論 は卽 • 文 化 



に 寄 ± せ卞 文化 を 蔑視す ベ きで ある。 初期の 基^^ はすべ 

ての邪^^の屑と憎惡を棄てた, 初^の み 一一 進 if" は, その S 初 

の 瞬間に、 4^ 満家を 擇り拔 く .4 に 急 いだで あ ら ,, 。 

前述の 如く、 文化と 文明 は、 閑 il. 勞働 力, 等の 形 體 に 

於て、 莫大な 支出 を 必要と する。 それ は 保護と 市 楊と を必 

耍 とする また 學校、 規範. 俾統 * 比」 校、 判 呵 S, 敎 

養 • 生 礎 * 正し は 養育 所 等 即ち tl^ 園氣を 必要と する その外 

園に 立つ もの は、 愿々 これに 依;: てゐる ものよりも, 彼の 

新ら しい 力 を もってより 强く^ 立ち 得る) 然し ,波 も 亦 同じ 

空氣を 呼吸して 生きて ろなければ ならな い。 文化と 文明 

は、 豐饒 なる 土地 を必耍 とする ので ある 

然し 土地が 豐饒 である だけで は 十分で ない、 文化 は對 照. 

によって 基 g づけら れ、 增. K せられねば ならぬ。 富 は 自由 

に 使用し 得る 多数の 貧しき、 寄食. 教を 持たねば ならぬ。 然 

らす じて、 如何して 文化の 費が 支拂ひ 得られよう? 一 人 

の.<^1自ぉに爲し得る數人を持たねばならぬ。 他人が 彼と 

同等であるなら ば、 如 :!: して 之 を 自^に 爲し 得よ ラ經費 は 

大 であって、 實際行 はれなければ ならぬ" 若し 數千 人の 勞 

働が K 嵌でないなら ば、 如 tC して そ- 「出來 よう? 數 人の 高 

きものが、 權 力と 光彩 を發禪 せねば ならす、 模倣 さるべき 

典型と ならねば ならぬ。 若し、 之に 從ふ者 • 見物す る もの 

群 集^が 居なければ、 如: 1: して 斯く なり 得よ -3? 幸福 5 

地 • 即萬 人に 平等なる 幸福の 地 は > 小さく 地方 的の もので 



J5 



ある。 國家 とその 當: 者 ま;: は 社會の g^: 資;: r 勤勉な 人々 

か, T 成ろ 各種の 委員 會が、 その 指 案 • 1. 異議, 統轄 を 

以て、 メ I セ ナス や メダチ の 地位に 代った 時に 吾々 は、 戰 

碎、 客 問、 新 間 紙、 凉亭、 酒飮 場の 如き もの を 得ろ 事が 出來ょ 

う 。常にそう ではなかった か? そうではなかった。 然し、 c3 

も 貧しき 時に 於ても: ハ ト 口 、やたり しもの は 王者であった。 

然し 乍ら * 文化が 斯の 如き 毒 あろ 花に すぎす, 貧困の?^ 

地に 一:5 おの 太 隰 を 戴いての み、 榮 ゆろ ものなら ば * そ は 破 

壞さ ろべき であり、 破壞 されねば ならぬ。 吾々 の 操 は • 

最早 多数の 不幸から 生す る 小数の 幸福と 光 に は 耐え 得ら 

れ^い。 感 の 時 は 過ぎ去った。 意識の 時代の 曙が 初 まり 

かけて ゐる。 

そして、 今や 臆病な 悶えた 淸敎 主義 も 現 はれ 出た。 何 か 

中 腐の 途 はない もの か? 中庸 政策で 十分で はなから うか 

?否, 決して 駄目で ある 。「日々 のパ ン」 を 語り、 之に 「最 

も 尊き 藝 術の 喜び」 - のパタ をつ けようと 欲すろ、 あなた 方 

r 罩 なる 必要品」 の 選ばれた る 供, <i 者た ちに * 只 一 度 限り 明 

ら. に 曰 はラ? それ は, 駄目で ある! と。 

半途の 手段 は 駄目で あろ。 四 分の 1 手^も 亦 無駄で ある 

病める も、 健全なる も * 食 過ぎた る も、 全世界 舉 つて 吾々 

と 同じ 心であるなら ば、 それ もよ から ラ。 モス カウで は 人 

々は 世界 革命 を 今, かと 待って 居ろ そうだ。 然し 世界 は 承知 

しそう もない 。それ 故 * 若し 化と 文明が ありの ま i に 

残るべき おと すれば、 .一 扭 力に 吾.^ から、 毒 を 含める 衣 を 



もぎ 去る より: に 道 はない の だら ラか? 或は !.— 何 か 「或; 

は. S が ある だら ラか? 考 へて みよう. - まだ^ は 遠い。 先 一 

づ 第一 に、 働か-さろ もの は 所得な く、 聶早 富める 者な きそ 一 

の 日が 來た時 に* 吾々 と^ 界とは どの位に 富む か. 或は 贫ー 

しくなる か を識ら ねばならぬ" 

若しも、 經濟 制度が 吾々 をして、 自給自足 可能の 民と す 

るなら ば、 必耍品 はすべ て 之 か 所有し. 時々 舵 鳥の 羽 を 積 一 

み 出して コ ー ヒ ー や 聖欹棠 み-獲る. ネ— ァ 共和 國を 規範と し 一 

て、 問 超 は 決定す る。 然し. 鳴 呼! 吾々 は 二 千 萬 人に 營養ー 

を at んが爲 に は、 血と 腦味憎 を 輪 出しな け,;; ばなる まい。 一 

若しも 吾々 が 憐酸籟 を 得ん が爲 に、 吾々 の^ 術 的 努力の: 

善の 產物 として- 木綿の 靴下と 寢 帽子と を-提供して、 これ 一 

は 曰お も 美事な 手工 品です と 云 ふ^に. 1 故なら ば わが: 

「日々 のパ ン」 經濟 時代に は、 現代の 編絲 機械の 如き 惡 魔の 一 

^具 を 用 ふる 事 は. とうに 忘れて ゐ るの だから < 々は答 

へる だら う。 先づ第 一 に、 私共 は寢 帽子 は 入りません、 若. 

し 欲しい としても、 その 十分の 1 の價 で出來 ますと。 そし 

て 吾々 の 綿製品 は、 賫殘 つて 送り返される であら ラ。 . 

世界 貿易 は、 その 範 圍 の 小なる もの も, 只 高き 技術 組織: 

を 根 医と しての み 行 はれる。 然るに 此 高き 制度 は、 「一 文惜ー 

み」 經: 湾の 基礎の 上に は 立てられない。 部分 を 意慾す る も 一 

のよ 亦 全 體をも 願 はなければ ならな い。 然して この 全體 に: 

ま、 技術の みならす、 文^、 また 枸に 文化 ss^ 念す らも 歸ー 

1® せしめられる ものである。 破.;;^ 子で 一 年中" してる. 

る、 日樂 部屋の ォ ー ケス トラに、 年に 一 . 投 だけ、 然も 只 T 

度 受難 曰に、 一生 叩に なって. バッハの 大齊 音樂を 立派 一 

こおれと 云 ふ 事 を 得よう か? (ラ ー テ ナ ゥ. ぬ 著 一 Si 政-"^^ 



の自 
手 由 
m 人 



ボル; > 、ュダ ゃキの 

、虐政の 話 (一一) 

七、 小 供の 問題 

ェムマ オル ドマ ン女 は、 .ネ ルシェ ヴ井キ の 諸政 策 

を 論ん じてから、 進んで ボルシェ グ井キ の 諸政 策 中で、 最も 

好評の あろ ものの 一 つ、 小 供の 敎育問 超へ と轉 する。 彼女 

は、 ボルシェ ヴ并キ が 小 供の 保護と 敎 育との ためにな した 

努力 を 承認しながら も、 それの 失敗で あろ こと を 指摘し、 

また 世 S1 に傳 へられる 「口 シャの 小 供の 生活」 につい の 

話が、 多く は單 なろ 傅說 に過ぎない もので あろ こと を 指摘 

する 0「 それなら 何故に 失敗した か? ゴ ォ ル ,ド マ ン , ^おは 

ロシャ における 彼女の 實感を 語る。 • 

私 は 一九 一 九 年に マ ディ ソ ン 角阅で 催された 十月革命 

のニ冋 目の 年祭で • 辯士の 1 人から ラ けた 印象 を 目に 見る 

ように 記惊 してる ます。 この 男 は 丁度 ロシャ から 歸 つたと 

ころであった 。彼 は, D シャ における 小 供の 保護と 待遇と 

を 話して • 聽 衆に 非常な 熱狂 を 起こさせて ゐ 4^ のです。 私 



の 心 は、 この 國 — 民隶が 多年の Kst を脫 して、 そして 今 

や 「小 供の 手に よって 導かれて」 るる 1— の 人民の 方へ 惹 

きつけられたいです。 それ はしかく 不可思議で あつたので 

す 

水上 監獄、 パフ ォ ー ド での 航海 中, a シャで 小 供の ため 

になされ た 仕事の ことが、 私の 精神 を 助け もし、 暖め もし 

た。 如何に 希望に 充 ちた 宋來 であろ" このす-派な 新 生活の 

1 部と なること が、 如: 1: に 感激 的で あろ! しかし シ ャ へ 

きて、 私 は社會 主翁國 家と いふ 一 つ S 誤謬 11 それが その 

軌 fF』 内に おける あら ゆろ 努力 を應 搾して ゐろ n を 計算 外 

に Si いて ゐた ことが 分った のです。 

ボルシェ ヴ井 ヰが 小 供の 保護と 敎育 とに つ いて 彼等の 全 

力 を 注ごうと した こと は 事實 である" また 若し 彼等が シ 

ャの小 供の 必要に 奉仕す る ことに 失敗した としたら、 その 

rC| 失が、 彼等 自身の ものであるよりも、 遙に 多く 彼等の 敏 

い 3 罪で あると いふ こと も、 &實 である。 千 渉と 封鎖と は, 

無 若 氣な小 供と 病人との 弱い 肩 上に 最も 重く ふり か. - つた 

しかし もっと 好都合な 狀況の もとで も、 .ネ ルシェ ヴ 井キ國 

家の 官僚 的牷物 は、 小 供と 敎 育との ために、 共產 主義者に 

よってな された 最善の 企て を 挫き, 最高の 努力 を 癖 萍 させ 



るより ほかに はでき なかった のです" 

ゴ オル ドマ ン 史は、 彼女が ボル シ ェヴ并 キ* ロシャ での 

模範 學校、 (pokazatelnayashkola) を 見た 時の 經驗 から 彼 

女の 話 を 進めろ。 彼女が この 模範 Sf 校 を 見た の は 口 シャへ 

入って から 數 週間の 後の ことであった 。この 學 校はォ テル • 

リュ ー ロー ブの 中に 立って ゐ た * もこ はま だ 殆んど 昔の 

ま. >- に 優美 を存 して, 廣ぃ 室、 美しい チャンダ リヱ ル- 贅 

澤な定 具 を もってる た。 

1 九 二 〇 年の 冬 は、 燃料の 不足の ために、 ぺ ト 口 ダラ ー ド 

では 殆んど 凡ての 人が 死ぬ ばかりであった。 だから 小 供 等 

をで きる だけ 小数の 窒に密 築させる ことが 必要であった。 

しかし それ 等の 室は淸 潔で、 よく 整って、 そして 氣持 のい 

i ものであった。 平均 六 歳から 十三^までの 小 供 等が、 健 

康で營 養が よくて、 満足して ゐ るよう に 見えた。 保護の 醫 

者 は、 ゴォ ルド .ヽン 女史 を • 愛らしい 銅 皿で 輝 いて ゐろ壷 

所 を も いれて • いろくの 場所 を、 詳細に 說 明しながら 案 

.g: して くれた。 

この 舉校は 口 シャの 各地から、 また 各地へ 小 供 等 を 受け 

たり、 送ったり する 中心であった。 小 供 等 は 口 シャの 全土 

特に 地. 方 や. f 集められた。 禽獸の 皮 を 着て、 瘠せ 袞 へて、 



病氣で こ、 へきた。 こ- -で 彼等 は 入浴し * 身長 身重 を 3? し 

たり * そし 大切な 取扱 ひ をう けた。 暫 らくの 閒 この 舉 校で 

基礎的 敎育を 5 けてから • 小 供の. U めの 寄宿 舉校 へと 送ら 

れる。 

「私の 見たところ は 私に 深い 印象 を與 へたので す。 こ." 

に、 口 シ ャ では 小 供の ために 偉大な ことが なされた とい ふ 

ことの アメリカ へきた 報告の 證慷 かあつた のです。」 

ゴォ ルド マン は ロシャ にゐる 間に、 アメリカで 多年 知り 

合 ひであった 一 婦人の 訪問もう けた。 彼女 は、 一 一月 革命の 

後 間もなく- 彼女の 良 夫 や 小 供と ともに 彼.^ の故擲 へと 急 

い-た。 彼女 は 偉大な 十月革命 にも 參 加し、 それから はいろ 

くな 仕事に 掌 はった が、 彼女の 最大の 興 昧は小 供の 世話 

であった。 彼女が. ゴ オル ドマ ンを 訪問した 時 は、 彼女 は 

少女 寄宿 舉 校の 管き 婦 をして るた J 彼女 は、 小 供 等の こと 

について いろ-,^ のこと を 話した。 そして 舉 校に とって 入 

用な もの を 得ろ ために 苦ろ しい 努力 をして ゐる こと を 話し 

た0 

彼女の 話した こと は, ゴォ ルド マンが 信用す る ことが で 

きなかった 位 ひに、 ォ テル *ド* リュ 口, I ブで 見たところと 

全然 違って ゐ ました。 しかし ゴォ ルド マン は 彼女が 絕對に 



せ 直で 信賴 のでき る こ.^ を 信ん じて ゐ ました o 

T 皮 (鈴 馬薯 の) を捨 でな さるな。」 

「どうして、 この 皮 を どうな さるので すか?」 

小 供 等 は それで 馬鈴薯 菓子 を 造ります 

そして それ を 食べる の を 非常に 好きます。 

Y 小 供 等が? ど. rs して そんな ことが 卜 ,彼等 は 第一 日糧 

を もえて ゐな いのです か?」, 

ゴォ ルド-マ ンは 彼女に 夕食 を 食べて ゆく こと をす-. - めた 

ゴォ ルド マ ンが臺 所で 馬 鈴薯の 皮を剝 いてる た 時に、 彼女 

等 二人の 間にこう した 會 話が 交 はされ たのです。 ゴォ ルド 

マン はォ テル ,ド* リュ 101 ブで小 供 等が 白錢飽 や、 チヨ 

n レ. I トゃ、 牛乳 や、 n コア や、 米 や、 牛肉す らも 食べて 

ゐ るの を 見て、 そして ボルシェ • ヮ井キ 政府が 如何に 小 供 を 

大切に して ゐ るか をつ くぐ 感心して ゐ たもの だから、 今 

この 一 婦人の 話を聽 いて, 全く それ を 信ん すな ことができ 

なかった のです。.、 

「私の 舉 校へ 入らつ しゃい まし。 そして 得心なさい まし。」 

この 一 ? g 人 は 微笑しながら こういった。 

ゴォ ルド マ ン はこの 舉 校へ 行って 見た 。「私 は 幾度 もこの 

學 校へ 行きました。 私 はこ- -で 問題の 裏面 ケ見 ました。 t 

かし 尙 ほこ SiS 合で も 私 はそう 簡單に 信ん じた ので はな 



か CV たのです。 この 舉 校に は 六十 五 人の 小 供が るました 彼 

等の 食物 は 窮乏し、 そして 貧弱な 質の ものであった。 彼等 

の 多く は 彼等の 親 達 や 親戚が 田舍 から 送って きた もので 養 

はれて ゐ たのです。 彼等 は 殆んど 着る に暖 衣な く、 そして 

多く は 穿くべき 靴 を もって ゐ なかった のです 3 私の 友 は、 

彼等の 時間の 多くと、 そして 全 精力と を、 敎育院 のい ろ 

くな 部門に 浪費し なければ ならなかった のです。 

彼女 は 六十 五 人の 小 供 等の ために 一 一十 個の 木 化 .1 を、? るた 

めに 二週間 も か.. - りました。 列に 立って、 上役 人の 許る し 

を 待ちながら, 丸一 ヶ月た つてから、 二十 五 足の 雪靴 を與 

へられた のです。 嫉妬 や、 憎惡 や、 喧嘩 を 起こさせないで 

それ を 六十 五 人の 小 供 等の 間に 分配す るの は 常な 智慧と 

手練- 'が 必要であった のです。 

私 はこの 學校を 訪問す る 度に、 どこかに 何か惡 るい こと 

が あると いふ こと を 益々 信ん ぜさ せられる よ. ゥ になり まし 

た でなくて • どうして この ォ テル 气ト* リュ ー 口 .1 ブとグ 

ロンべ ルス キ ー • ブロス ペクト でう けて ゐる小 供の 保護の 

こうした 相 遠 を說 明す る ことができましょう? 

1 方で は、 小 供 等 は あらゆる 點 —— 食物, 衣服、 室、 音 

樂會、 舞踊に ついて 最善の もの 111 般狀 態から 考 へて あ 



まり 善す ぎろ もの を與 へられて rO ました。 他方で は 小 供 等 

は 始終 飢え を 紫え る ほどに 僅かの もの を與 へられ、 そして 

^等が 辛うじて えたの も- 非常な 困難で 獲 5£ しなければ な 

らな いのであった。 

間もなく 私 は 二、 三の 事實 を舉ん だのです。 口 シャに は 

凡ての 小 供に 充分な だけの 食物と 着物はなかった のです。 

, ボル シ H ヴ并キ は、 外國の 宣敎師 や、 代表者 や、 新閒 探訪 

なぞの 便利の ために、 各市に 二、 三の 「見せ 學校」 を 群ら 

へて 置く ことが 必要 だと 考 へたので す。 小 供 等 は:^ ての 機 

會に陴 列され、 見せ ものにされ * そして 害 かれた のです。 

これ 等の 學校は 各種の ものに ついて 最良の もの をう けたの 

. です。 他の 舉校 11 それが 勿論 大多数で ある I— に は殘り 

の ものが 與 へられた のです。 

「晃せ 舉校」 だけ を 尋ねて、 そして それによ つて 口 シャに 

おける 小 供の 保護の 問 超 を钊斷 する 人々 は、 ボルシェ ヴ 并- 

ヰ 治下に おける 小 供の 群の 眞の狀 態に ついて 全然 無知で 歸 

つたので す」 

ゴ オル ドマ ン 女史 はこ-. で、 彼女の 立場から、 ボル シ ェ - 

ヴ并キ の 小 供に 封す る 態度 を攻举 してみ ます, 艰 女に 從 へ. 

ば、 & シ弋 では 材料が 不足で あつ. て も, また 資本家 國の封 



鎖の ために 貧困に. された にしても, しかも 尙 ほこれ 等の 材 

料が 凡ての 小 供に 平等に 分配され たなら * 一般の 兒 童の 窮 

乏は 幾分 か 緩和され るので ある。 しかも この 「見せ 舉校」 を 

造った ことが * ,てれ 自身 不道德 で 且つ 特權を 造って るる も 

ので ある。 そして この 虚飾 * 佯り, 瞞着と が、 小 供と 敎師 

とのう へに 影 響 しないで はゐ ない ので ある。 

八、 「死 靈」 

百年 3.^ に ゴォゴ ルが 彼の 偉大な 著作 「死 露」 によって ロシ 

ャの 同胞 を 驚嘆せ しめた。 そ は 口 シャの 封建主義 とその 寄 

生 主義の、 辛辣な 問罪であった T 死靈」 はまた ロシ ャに復 

活 して ゐ ます た ^- それ を 問罪す る ゴォゴ ル がない 。そして 

若しあった にしても、 今日の 口 シ ャ では、 偉大な ゴォゴ ル 

が 彼の 時代に もった ように 聽 かれる 機會 はとても ある もの 

- でない。 

何も S が 近代の 死せ る靈 であるか? そ は 例示 的說 明に 

よって 最もよ く 明らかにする ことができよう。 凡ての 託 

-兒所 • 寄宿 學校、 感化院 i 實に 小^ や 大人の 住む あら ゆ 

るィ ン ス チチュ , ショ ンは — それ 寄の 寓 者の 数 だけの 愛 

物 や 衣服の 日糧 を、 フ けと る權 利が あるので す。 



凡ての ィ. ン ス チチュ f シ 3 ンは、 ぺト 口 ダラ I ド のべ 5^ 

口 クム ミュナ 、モ X n ゥの, モ ス コム ミュ ナ なぞの ような 中 

央 分配 局の 供給に よって 立って ゐ るので す。 ある ィ ンスチ 

チュ I シ ヨンが 必要な もの を 受取る ために は、 多數の 命令 

が數十 人の チ ノウ-一 ヰに よっての 署名、 副署 名が 得られな 

ければ ならない のです。 

. チノ ク -1 キは、 彼等が ある 賄赂を 受ける まで は 事件 を 組 

戰 的に 後ら せろ のです。 だから ィ ン ス チチュ ー シ ョ ンの實 

際の 人の 數 よりも 以上の 人数に 對 する 命令 を、 フる ことが 必 

要と なります c」 

何故に 必要な のか? この r 餘分」 の ものが、 役人への 賄 

路と • そして この インス チチュ ー シ ヨンの 供給 を 管理す る 

「經濟 的 管理者」 の 空腹な 友人に 與 へる ために 必要で あるの 

です。 こ- -に. ゴォ ルド マン 女 5:^ は • 彼女の 所謂 「死 靈」 見 

て ゐ ろので す。 彼女の 話 はつ く 11 

例へば 私の この 友人の 舉 校に は 六十 五 人の 小 供が ゐ ます 

それ を 彼女の 前任者た ちは假 装の 名 11 「死 靈」 11 を この 

攀 校の 莨 際の 小 供の 數に 加へ たのです。 こうやって えて、 

そして 賠赂に 使 はれた 餘 分の 日 量の 代りに 前任者た ちは迅 

速に 供給 をう けたので す。 …:, 私の 友人 は、 こ S o. シャに 



普く 行 はれて るる 實行 方法の 仲間に はならなかった. - 彼女 

は 「死 せ ろ靈」 を附加 すろ こと を 拒む. U のです。 彼女 はこれ 

等の 「死靈 が」 小 供 等の もと, 僅かな 日 糧を喰 ひつ V ある 

こと を 知って るた のです。 :…… 

ボル シヱヴ :tj; キ の學校 における 小 供の 部分 飢餓の , J と 

は 私 は 日 一 日と、 だん ^に、 そして 苦心して 學ん た。 私 

は 最初 はこの 「死せ る靈」 の 方法が 一 般的寳 行で あろ こと を 

信ん じなかった。 -r ソ ビエ ットの 第一 の 家」, ネ テル *ァ スト 

リアの 私の 隣室に、 一人の 小さい 婦人と 彼女の 二人の 小 供 

とが 住む でるた。 彼女 は 共產黨 員で あつたが し かし 「死 靈」 

の 方法に 反 針して あくまで 戰 つた 一 人であった。 彼女 はい 

ろくな 小 供の, T ンスチ チュ— ショ ンで 働いた。 彼女 は 私 

が クロンべ ルス キ— • ブロス ベ ク トの學 校で 見た 狀. 悲を裏 

書きした ばかりで はなしに、 彼女 は 私 を 同 樣な實 行の 行 は 

れ てるる 他の 多くの 場所 を つれていった。 

到る ところで 「死せ る靈」 が 半 飢餓 S. 小 供 等に 寄生して 

ゐ たのです。 私の 隣人 は 彼女 自身の. 三 齒の男 兒と九 歳の 

女兒 との 二人の 小 供に ついての 彼女の 經瀚を 話した。 二人 

とも 「殖民 地」 に やられた。 彼女の 貧弱な 稼ぎから、 この 

母 は 充分な ものの えられな ひ 彼女の 小 供 等に 「餘 分」 の もの 



を 定めて 送って ゐ た。 六 ヶ月 目の 終りに、 二人の 小 供が 病 

氣 になり、 彼等の 母の 室に 移される ことと なった。 女の 兒 

の 方 は危險 な發疹 にか- -り、 男の 兒は 非常に 衰弱した。 ど 

ちら も營養 小 のた めだと 診斷 された のです。 

私 はこの 誠實 な、 勤勉な 隣人と 友達と なった。 彼女 をと 

ほして 私 は 非常に 小 供の 一 般狀您 について 舉ん だ。 私 は *s 

.-5 ボル シ ェヴ并 キが小 供の ために あらゆる 努力 をな しつ 乂 

ある こと を 見た。 しかし 彼等の 努力 は、 彼等の 國 家が 創造 

した 寄生 的 官僚 攻治 によって.^ 泡に 歸し たのです. - :…… 共 

產靑 年圑の 委員に よってな された 調査の 結果、 ベ トロ ダラ 

.1 ドの ある 學校 における 傷まし い 狀悠が 暴露され た。 一九 

二 〇 年 五月べ トロ グラ I ドの ブラ ウダに この 報告が 發 表さ 

れた。 それが 屢々 なされて きた 攻攀 を證據 立てた 。そのうち 

、に は 「死 靈」 の 一 般的實 行、 小 供の 日糧を 種子に 多數の 寄宿 

生の 名を增 加す る こと,, それから 他の 腐敗と 非 能率との 方 

法 なぞが そのうちに 含まれて ゐた, 娄員會 は、 例へば 百 二 

十五 人の 小 供し かない 學 校に 百 三十 八 人、 二十 五 人し かな 

いところ で 三十 八 人の 假装 寄宿生が あった。 これ 等 は 決し 

1 て 例外的な ものではなかった のです。 、 

このほかに、 委員 會の 報告 は、 小 供 等が 常に 等閑 親 さ 



れ、 镜 ぃ襤樓 を 着, 不潔な そして 惡溴 のす る 布な き寢臺 に 

寢 させられて ゐる こと を 明らかに した。 ある 小 供ば 一晩中 

嗜 室の 中に 幽閉の 罰 をう け, また あろ 小 供 は、 夕食 を <M ベ 

ないで 寢 二つ かせられ、 そして ある もの は 打擲 さへ された 

こと を 明らかにした。 この 報告 は 役員 連中の 間に 非常な 騒 

ぎ を 起した のです。 

特別 調査が すぐと 命ぜられました。 そこで アメリカでの 

類似の ことと 同じように、 それ は 無論 罪 暗ら しに 終った の 

です。 共 產靑年 園の 委員 會は 『誇張』 とい ふこと で 譴贲さ 

れ ました。 ブラ ウタに 二の 論文 は诀 して 現 はれなかった: 

と、 そして か i ろ 物語り は、 反革命 派の 水車への 水で ある 

なぞと いふ こと. かいはれ たのです -0 

ゥ クライン を 通っての 四 ヶ月 旅行の 中に、 私 は 託 兒所ゃ 

幼稚 圚ゃ、 寄宿 學校 や、 そして 殖民 地 や を、 勿論 非公式に 

訪問す るの 多くの 機會を もちました。 私 は 到る ところで 同 

じ狀維5を:2^*^-した。 模範的な 一見せ 學校」 は 食物 もよ く 注意 

も 行きと どいて ゐ ました。 そうでな いのは 小 供 等が 飢餓の 

狀懋 にゐ ました。 私 は屢々 保護の 男女が、. 如何に 官僚 的 機 

開に 反抗して 小 供 等の 利签の 保護の ために 熱心に 努力して 

るか を 見ました。 しかした r 全能の 機顏 によって 最後に 馘 



22 



曹 される だけの 無益の 努力で あつ. u のです。 

私 は モス コゥを 離れる 少し 前に、 この 現象の 驚くべき 資 

例 を 見ました 。あろ 區 域に ^ 託兒 所があった それ は 私が 

&シャ で 知った ところでは 最善に 組截 され、 備 へられて ゐ 

る ものであった。 この保護者は.1^*;常に稀れに見ろ女性、 理 

想 家、 長い 經驗 の敎育 家、 倦む ことなき 働き 家であった" 彼 

女ば 嚴重に 「死 齄」 の箕 行に 反對 しました。 彼女 は パウル を 

養 ふために ビ イタ ァ から 奪 ひ はない. 下級 官 庭の 小役人に 

送 賄 をしょう と はしなかった。 

例のと ほりに、 一 人の戰士.^-^女の反針のために撰まれ 

た。 この 憐れむべき 攻 a. における 第 一 人 は、 託兒 所の 醫師 

共産 黨 員であった。 あらゆる 種類の 難が, 彼女の 前に 加 

へられた。 その 何れも 根據の ある ものではなかった。 しか 

し機關 はこの 婦人が その 地位から 除外され るまで は 止まり 

はしない。 かくして 遂に * 彼女 はまた 私 女の 室 を も 奪 はれ 

たのです。 彼女 は 四 ヶ月の 赤兒の 母であった のです。 

時 は 十一月で、 天氣は 寒く、 冷氣は 身に 浸み つ- < あった。 

しかも 託兒 所の ために 戦った 保護 婦は I この 託兒 所から 立 

も 去る こと を 命令され たのです 彼女ば その 幼兒 のために 

室の えられる まで はこ- -を 立ち去る こと を报絕 しました。 

彼女 は三ケ 年間 火の 氣 のない 地下室の 小さい、 喑ぃ • 港つ 

ほい 室を與 へられました。 この 墓の 中で、 幼兒 は病氣 にか 

お, 爾來 患って ゐ ましお。 



ルナ チャル スキ ー はこ 5 した 事件 を 知って るる か? 共 

產黨 の曾領 はこれ を 知って るろ か? ある もの は 疑な く 知 

つて ゐ るので す。 しかし 彼等 は 「重要な 國務」 にあ まりに 

忙しい のです。 そして 彼等 はこうし た些々 たる 事件に は 無 

感覺 であるの です。 そこで また、 彼等 自身が、 Vicious 

Circle に、 ボルシェ グ井キ 官僚の 機 關に怖 へられて ゐ るの 

です。 彼等 は 共 產黨. -の 執着が 多くの 罪 惡を疲 ss: する こと 

を 知って ゐ るので す。 

私の 二 年間の ロシャ 滞在の 間で、 私 は 多くの イン スチチ 

ュ ー シ ョ ンを 訪問した。 しかし 殆んど 幸福な 小 供に は 遭 ひ 

ませんで した. - 

ゴォ ルド マ ン 女史 は、 小兒勞 働を廢 止した ことが、 勞農 

ロシャ にと つての 一大 功業で ある こと を 認めながら も, 小 

供の 問 超に ついて、 最後に、 次のように 彼女の 感想な 述べ 

る —— 

「これ を 要するに、 ボルシェ ヴ井キ • インス チチュ ー ショ 

ンの もとにお ける 大 低の 小 供 は、 特色の ない、 ス テロに 箝 

つた、 真の 孤兒院 の 小 供で あると いふ こと を 私に 印象し ま 

した 

これ 等の 小 供 を、 實 際に 把握す る 何もの かが 存在し ます 

彼等 はた に 食物に 飢えて るるば かりで はなしに, より 以 

上に 愛情に 飢えて るます。 一 . 彼等 は 寂しい 小 供で あるの 

です。 



I? 



i T 「4f1v»r*1*.>tJ 英國の 努银使 ts がロシ ャを訪 ふた 時に、 モス コゥ 印刷工 

g®&<JI と .SSR®1J^#^」 が 彼等の 集會に 英國勞 勤 使 is を 招き、 そして チ ェ ルノフと 

ダレと が この 英國 の勞 i 使節に シ ャの勞 働 組合と 努敏狀 

ゴ ォ ルド マン 女史 は 最後に ロシャ におけ ろ努敏 組合 のこ 態とに ついて 二- 三の 話 をした、 それが ボルシェ グ 并キ攻 

とに ついて 話します。 彼女に 從 へば、 ボルシェ グ并キ 治下 府 から 「許る すべから ざる 罪惡」 たと された。 口 シャの 全 

における ロシ ャの勞 働 組合 は * 保守的 勞働 組合で もな く * 國を 通じて、 モス コゥ 印刷工 等 は 「反革命 派」 r 勞敏 者の 皮 

革命的 組合で もない。 勞働 組合 は, その 職分 を r 國家」 に 吸 剝ぎ」 として 難され た。 そして 印刷工 組合の 役員 は 役 を 

收 されて しまって、 た 1 つの 新ら しい 職分 を殘 された- 奪 はれ、 その ある もの は 投獄され たのです ヌ 

黎 •:;!- 的 職分が これで あると。 一 九 二 I 年の ベ トロ ダラ ー ドの ストライキの 間の ことで 

ボルシェ ヴ并 キ攻府 となって から、 口 シャ では 凡ての 勞 あった。 バル チック 諸 H?s の 努働者 等が その 會員 二十 二 名 

働 者が 勞働 組合に 入らなければ なら, ない ことにな つた。 凡 の ものの 柿 縛に 抗議した 時に、 數日 たって 工場に チェッカ 

ての 勞働者 は、 まだ これが ために 強制的に 賃銀のう ちから が 侵入し * そして 多 數の勞 働 者が 捕縛され たのです。 

組合費 を 引き とられろ ので ある。 ところが 組合の 强制 加入 「自然に こうした 狀態 は、 勞働 者の 側に 激しい 不満 を 引き 

は • 努働 組合 をして、 努働 組合の 職分 を盡 させろ ことで は おこさす に は、 永く 續 くこと はでき なかった のです。 實に 

なくて、 それの 職分の 奪取 I— 國 家への l^t 取な ので ある。 一 九 二 〇 年に この 不満 は • 政府が この 狀態 について 重大に 

「大きな、 そして 戦闘的な 組合 を 代表す る モス n ゥ の飽飽 考量し なくて は ゐられ なかった ほどに 1 般的 且つ 脅威 的と 

勞働者 等 は 一 九 一 1〇 年の 夏に 彼等 飽限 量の 擴 張の ため なった のです。 勞慟 組合の 任務の 問 題が 一 九 一 1〇 年の 終り 

にス •4' ライ キを しました。 政 麻 はこの 問題で 困り はしな か に 取り あけられ、 そして 共 產黨員 自身の. 間で も、 この 重要 

つた。 た, 罷業した 支部 を 解散し-その 指導者 を 除名し、 そ な 問題に ついて、 相 衝突す ろ 意見が 激烈に 鬪 はされ. U こと 

^て その 最も 活動的; 4 ものの ある もの-を 棉搏 したので す。」 が 明らかになつ たのです? 



. "へ 「凡ての 指導 妁共 產黨 am; はこの 努働 組合の 運命 を 決すべき 

; 熟 狂的な 言論 戰に參 加し ました f. 提案され た 議超は 四つの 

主.. 、なろ 傾向 を 示しました ピノ 

「最後に 最も 重要な の は、 勞働 者と その 支持者^ i 情 を 

風實に 代表した n P ン タイ 夫人と シ ユリ アブ ニコ フ によつ 

て 率 るら れろ勞 働反對 であった のです o」 

r 勞働反 對は勞 働 組合の 軍事 化が. シャ^ 經濟的 改造に つ 

いての 勞働 者の 興味 を 破 壌し、 彼等の 生產 能力 を痴瘁 させ 

たこと を 主張した のです。 彼等 は 群衆が ioll 僚的國 家と その 

腐敗せ る 役人 連の 驟胖 から 解放され ろ こと, そして 人民に 

創造的 精力 を實 行す ろ 機 會を與 へる ごと を耍 求した のです 

「彼等 は 十月革命が 群衆 をして 口 シャの 産業 生活の 統制 を 

なさし める ために 戦 はれた こと を 指摘し ました。 要するに 

勞働 反對は 一 般勞働 者の 重り 重った 抗議と 不满と を 表現し 

たのです。 

「レ ニン は勞働 反對を アナ I. コ • サン ダカ リ スト だとして 

中産階級の 觀念 だとして、 菲 難し、 そして それの 禁止 を 命 

令 じたので す C 

シ ユリ アブ ニコ フ, コロン タイ 、 リア サ ノフ、 勞働反 針 

の 代表者の ラ へ に 壓迫が 加 へ られ たのです。 

過去 四ケ 年の 間 シャに 事 實上行 はれて きた 八 時間 勞働 

は 今 は事實 上麼 されました。 一 九 ニー 年 十 1 1 月の モス n ゥ* 



ブラ ウダに よると • 六 百 九十 五の 工場のう ちで 僅に 八十 六 

だけが 八 時間 勞働ケ 維持して ゐる に過ぎない。 大部分の 場 

合 は 九 時間 努働 であり、 四十 四の 工場で は 十 時間から 十二 

時間、 十 一 の 工場で は 十四 時間から 十六 時間で あり、 四十 

四の 工場で は勞働 時間 は 一定して rO ない。 あろ 場所で は 小 

供 もまた 十二時 間から 十四 時間 働き、 趣飽 職工 は 最も 長く 

て 十一 一 時間から 十八 時間 働いて ゐ ます U 以上 はモ スコゥ の 

事^です 地方で はもつ とひ どい 狀態 になって ゐ ます。 *ト 

ンの 炭坑で は、 坑夫 は 十六 時間 乃至 十七 時間 勞働 させられ 

て ゐ ます。 ゲ并テ ブス ク國立 製革 工場で は 十二時 間が 標準 

勞働 時間と なって ゐま す。 

ゴォ ルド マ ンは 最後に いふ。 

「口 シャ 革命 は、 しかし、 全然 無駄ではなかった のです。 

、そ はロシ ャ 群衆の 古る くからの 思想の 多く を 根絶し、 そし 

て 勞働者 は 最早 ゃ從 前の よ 5 な 柔順な 奴隸 ではない のです 

彼 は 飽くまで 攻 治に 寄って きました。 今 は 最早 それ を 信じ 

ません。 

ゴォルド マ ン女5„^に從へば、 口 シャの 勞働者 は 現在より 

はより 直接的な 勞働 者の 新 組織 を 求めて ゐ ます 。「レ 二 ンと 

その 從者」 と は それ を感ん じつ- -ぁ" ます. - 勞働反 對とァ 

ナ.. -n • サン, チカ リストへの 激烈な 塍 迫の 加へ られつ- -ぁ 

るの はこれ がた めで あるので す。 (以上) 



再 改造の ロン ャ 

ブル ヂョァ 化の 諸相 

本年 五月の 新法 律 

I 、 はしがき 

全 露 勞兵會 中央 執行委員 會は、 革命の 第 一 年に は 盛んに 

活躍, したが、 笫ニ年 目に は r 國家」 が あらゆる 權 カを獨 占し 

たために, 爾來 中央 執行委員 曾 はた^ 名ば かりの もので あ 

つた。 レ 一一 ンの 人民委員 會が頸 裁して、 カリ -ー シの 中央 執 

行 委員 會は虛 器 を 擁して ゐ るに 過ぎなかった。 しかし 第 九 

回ソビ エツ ト大會 以來- 中央 執行委員 會 がその 正當の 職分 

に歸ら なくて はならない とい ふこと になった。 その 結果、 

新に 選舉 された 中央 執行委員 曾 は、 各種の 立法 事項に つい 

て 活動 を 始めた が、 その 第三 回目の 會議は 種々 の 重要な 事 

項 を 決 走し. U0 1 、 飢饉 問題。 二、 ゼ ノア 會議" 三, 軍備 

縮少 問題。 四、 新 土地 法。 五, ノ 土地 裁判。 六、 單一 食 物税 

七、 鱺趣 公僙。 八、 地方 行攻。 九 私有 財 產權。 十、 刑法。 

十 一 、 判 手績。 十 1 r 檢. 事 及 2» 士^ 問 超が それで 



あった。 これ 等の 諸問題に ついての 決定 は、 委員長 カリ-一 

ンの演 說に從 へば、 何れも 「ソビ H ット 共和 國の內 外の、 

地位の 變 化に 應 する もの」 であった ので ある。 その内 外の 

地位と は 何 か? その 變 化に 應 する 仕事と は 何 か? 要す 

るに 共產 a シャ の內 外にお けろ 新政 策から くる。 獨裁的 共 

產 主義の 總 返却に おける、 道路の 開拓, 修善 であろ、 卽ち 

共產 シャの 私有財産 化の 法律 的 建設な ので ある。 こ-. に 

この 會議の 結 Bi^ を 簡單に 報告して 置きます。 

一一、 新 土地 法 

農務 大臣 (委員) メシア ツユ フは 新經濟 政策に 伴って、 新 

土地 法の 必耍 である こと を 提議し ました。 彼の 報告に よる 

と 一 九 一 九 年の 法律のと ほり、 土地 は 「國 家」 に 恩す る。 し 

かし 人民 は その 土地の 使 用 權を 獲得す る ことができる こと 

になって るます。 ところが 在來の 法律で はこの 使用 榴の意 

義が 明瞭 を 抉いて ゐた。 特に その 大部分の 場合で ある 個人 

的 使用の 權利 について 意義の 不明瞭な 點が あるので、 一般 

農民 は 使用 權を與 へられる ことにな つて はるながら も * そ 

の權 利が 安定 的に 保障され てるない。 地の 公 没が ある 點 

まで 役人の 自由に 行 はれる まで、 使用 槿の 権利と しての 内 



溶が 不完全であった o メシア チヱ フ はこの 權利を 保障す ろ 

ために大體三種の改^_2*を立て、 これ を 法律と する ことの 

必耍を 提議した のです。 その 第 1 はこの 使用 權の公 奪が 厳 

重な 制限の もとにでなくて は賓 行して ならない とい ふこと 

卽ち 私有 權の 保護な ので ある" それによ ると 土地の 使用 權 

は 1、 土地 を與 へられた 家族が 全然 使用 能力 を 失った 場合 

二、 犯罪 三、 國 家が 域 道 その他の 國家 用に 必要で ある 場 

合に 公 奪され る ことができる。 その他に も ある 一定の 條件 

の もとに 1 收 獲 期 s:^ け 公 奪 がで きる ことと な つて ゐま 

す。 

第二に、 從來は 協同 耕作 を獎 S して ゐ たが, それが 思 ふ 

ように 行かす * 特に 西部の 最., 、重要な 農業 地帶で 個人 經管 

主義が 全盛で、 攻府が 成る ベ く 個人に 土地 を與 へまい とい 

ふ攻策 をと ると、 <Sg 民 等は圑 結して、 圑 SS の 名で 政府から 

土 也 を 割 て- -もら ひ、 そして それ を各圑 sfi に 勝手に 分 

して 使用した とい ふような 有樣 であった。 そこで 政府 も 

その 協同 耕作 主義の 強制の 失敗で ある こと を 悟らざる をえ 

ない ことと なり、 その 結果 は、 耕作の 經濟 形體、 土地の 使 

a= の經 濟形體 は、 個人的で も 協同 的で も、 人民 自身の 自由 

こする とい ふこと が 必要で あろ。 こ. -に 定法の 必要が ある 



とい ふので す。 つまり 集產 主義の 放棄で あるので す。 

第三 は 個人が ある 場合、 例へば 一 時 的に 耕作 能力 を 失つ 

た 鴇 合に、 その 土地 は公沒 されない こと • 卽ち この 土地 を 

他山 農民な り その他に 赁货 する ことができる こと もっと 

詳しくい へば, 農民 は その 剡當 てられた 土地 は、 一定の 稅 

金 さへ 拂 へば、 ある 場合に は, 他人に これ を 賃貸して 賃料 

を 受取る ことができ るので ある。 だから その 土地 使用 權な 

る ものが、 ブル, チヨ ァ國の 土地 所有 權と * 虚 分の 權利を 除 

くと、 殆んど 撰む ところが なくならし めようと する もので 

ある こと を 意味して ゐ ます。 

この 提案に ついては ラ アリン、 オシ ンス キイ 等の 間に 議 

論が 行 はれた が、 この 新 土地 法案の 根 木 原 W に 異論 を唱 へ 

る もの はなく、 細目に 一 且つて 規定す ろた めに 十三 人の 委員 

が 撰 まれた のです。 

三、 單 一 食物 稅 

食物 委員の ブリュ ー ハ ノウの 報告に よると、 阼 年中、 卽 

ち 所謂 新 經濟的 政策 治下に おける 食物 說の 徴收 方法 は不充 

分で あり、 そして 改正し なくて はならない ことが 分った" 

の 改正し ようとい ふの が 所謂 食物 單 一 税案 なので ある。 



輩 一 食物 我と いふの は • 家審我 を 寂し、 <w 物 我を秣 原と 耕 

作し えられる. H 地の 5 へに a き、 家 類 はた 轟 業の 繁榮 

を もちきた す 要 業と して 我 額 を 決定す る 計算に 供す る こと 

とする ことなの である。 

そして 今年 は咋 年の 經 験に 基いて、 食 物税 を 1 割にす る 

ことが 必要で ある。 つまり 昨年の 豫 定額 三 億 八 千 萬ブ. !• ト 

から 今年 は 三 億 四十 IT フ I ドに减 じょうと いふので ある、 

第二の 要項 は麁 民の 私有 財 產を簟 重して、 租税 を 納めな 

い 場合で も、 その 「租税 を 納めない とい ふ 理由で」 行攻 命令 

によって 家蓄ゃ 農具 を公沒 する こと を 「絕對 禁止」 すろ こと 

である 裁 判 所であって も、 家 1# や 農具 を、.? 间の楠 付 耕作 

に 差 支への あろ 程度にまで 公沒を 命.^ する ことができない 

ことと なって ゐる 

その他 數 項が あり、 何れも 農民の ために 好都合な 立法で 

ある。 この 法案 は 異論な く 通過し ました。 

四 、麵き 公債 

W 政 委員. ソ コル-一 n クの 報告に よると * 共產 ti シャは 

債權 者の 信用が ゼ 口で あるから、 長期の 公 愤を發 しても と 

ても汰 目 だから 短 明に すろ こと, 公債の 返却^ 保 澄す ろた 



め 別に 國 庫から 一千 萬 令, 貸留を 用意し、 萬 一 の 場合 はこの 

金 を もって 內 外の 市場から 穀物 を 買 入れて 返 償す る こと、 

また 買 入れ 不能の 場合 に は 金 貸で 返 債し て もい i ことが 述 

ベら れた。 討論が 行 はれた 後に この 報告書に 基いて 大體左 

の ごとく 決定され た。 

1、 總額 1 千萬ブ ー ドの ライ 麥に對 すろ 麵齒 公債 を發寸 

る こと、 その 返 憤 は 一 九 一 二 一年 十一 一 月から IH 年 1 1H: 

までの 間に 行 ふこと。 

1 1、 額面 は ライ 麥 1 百ブ I ド とする こと。 

三、 この 公債の 寶 出額 は 九十 ブ ー ド。 

四、 この 公債の 賫買は 自由で ある こと。 

五、 公債、 補廣は ライ 麥 提供 地に おいて される こと。 

六、 補償 準備と して 1 千 萬 金 貸留を 別に 積 立て- - 匿く 二 

と 

五、 私有 財產權 

私有 財產權 についての 新 民法 案 は 共産 I- シャの 新 方向 を 

示す うへ に 最も 重要な 記錄 である" 

口 シ ャ では 土地の 所有 權 そのもの は國 家に 尾して るるが 

動產 上に は 私有財産 主義が 認められ てるろ が、 この 主義 を 



明確に し 且つ その 適用 範園を f 、徴發 及び 公沒の 一般的 

2 權 カを麼 えした の は 所謂 新經濟 政策 實施 後, 特に 一 九 二 1 

. 年に 制定され た 諸 布告で あつたが • 司法 委員 クルス キ ー の 

報告 は、 この 動産 上の 私有財産 を 1^ 確定 的に 法律 化 

しょうと する もので、 法案の 第三 章が これで ある。 

動 產の抵 常權. か 許る されろ。 

發明、 特許 及び 著作の 權利 は從來 は、 國 家の ものと 宣言 

されて ゐ たが、 今囘の 法案で は 發明者 特許 權者 1 及び 著作 

者の 私有 權が 承認され る。 

相賴權 について は * 從來 はごく 制限され た最 局部 的な も 

ので あつたが、 この 法案に よると 原^...、 して 相 續權が 承認 

さるれ ことと なって ゐ る。 そして 累進 相 賴税か 課される こ 

ととな つてる る。 

また 契約 權が 承認され、 厘 傭, 寶 買, 債權、 保證, 保險、 

組合、 爲替 手形. 入札 等に つ いての 契約が 禁ん せられな い。 

そして 法律上お 効で、 哉 判 所の 保護 をう ける。 

この 法案に ついては 扣當の 討論が あつたが、 根本 ^則に 

ついては 異論 を i? へろ ものが なく • 原^として は * 會議を 

通過した こと、 並に 細目の ために 再び 委員に 附託され る こ 

とが 決定され た。 



協同 戰 線の 失敗の 顚末 

三派ィ ンタ ナショナルの 宣言 

三つの インタ ナショナルの 協同 戰線は 、世界の 勞働者 か 

ら 多大の 希望 を もたれて るた もので あつたが、 五月 一 一十三 

日から 同一 一 十五 日へ かけての 三 派 代表者, 所謂 九 名 委員の 

會議の 結 粱、 第 ニイ ン タナシ ョナル と 第三との 間が. 調和が 

できす、 こ i に 折角の 努力 も 水泡に 歸 する ことと なった J 

失敗の 原因 は、 三 派 インタ ナショナル それ < ^に st^ ると こ 

ろに 相違が あるから * こ-にこの 失敗に ついての、 三 派の 

宣言 を譯 出す る 方が 便利と 思 ふ。 

第 一 T ンタ ナショナル の 宣言 

第二 インタ ナショナル は 1 九 ニニ 年 四月 二 1 五日の 伯林 

會議の 決議に^ 成し、 そして 同時に、 これによ つての み國 

際 會議が 成功し え られ ると は 一 般的條 件 を 設けた。 われ 

く は 資本主義に 對 しての 協同 戰線 を洽 望す る。 しかし わ 

れくは 最初 に 共 產黨が これにつ いて 眞 面目で ある こと を 

信ん せられる こと を 望ん. た。 われく の條 件のう ちで、 社 



會 革命 *s の 裁判に ついて 部分的に 受諾され た。 しかし レ 二 

ンは 被告に 對 して 死刑 を 要求し 、「ブラ ウダ」 は その 辯 護人 

を 「社會 的 反逆者」 T ブル, チヨ ァ 階級の 從僕」 と 罵倒し, そ 

して 「煽動 者』 T 殺害者」 として 問責した。 * チヨ オル, チア は 

赏 つてない 應 迫の もとに 蹂鹏 され、 そして ゼ ノア 會議 では 

そ は 宛 かも 箪 なる 特種 石油 坑 であるよ 5 に, 全然 資本主義 

的 立場から * ソビエト • ロシャ によって 取扱 はれた 。しかし 

われく の 一 般的 約束 は 協同 戦線 へ の 好意と 誠意と であつ 

た。 われく は 反對の 報告 をし なくて はならない。 勞働組 

合 を 分裂 させろ 仕事 は モス n ゥの 公然の 指導の もとで * 特 

に フランスと ノル ゥ ,ェー において 親 けられて ゐる。 ネル テ 

ィの ハン ガリィに おいてさへ、 共 產黨は 勞働者 階級 運動の 

, 無くて はならぬ 結 <ja を 不可能なら しめつ. ある。 

伯林 會議で 決定した 四月 二十日の 協同 示威運動 は 1 ,チヨ 

オル, チアで は 武力で 破壞 された。 |g 逸で は 共 產黨が 軍なる 

武力に よって 多くの 勞働者 集會, ライプチヒに おけろ 建築 

勞働 者會議 さべ も、 破 壌した。 社會 民主 黨 への 罵言 は從前 

よりも 狂暴に なり、 タ エル スと シャイ デマ ンとは カナ ル* 

9 リイ. ブ クネヒト の 殺戮の 鼓吹者と して 罵 しられた。 そして 

ノ 五月, 1 日の 示威運動? ブル ,チ ョ I と 社會良 主黨に 



1^!」 と 記る した 旗 を かざして、 モス n ゥで行 はれた。 

18 逸 共 產黨の 公式の 決定に よると、 協同 戰線は 軍に 「ソ 

エツ ト權 力と • そして 共產 主義者の 目的の ためにす る勞 

働荐 階級の 獨裁攻 治の ための 戰 における 豫備的 舞臺」 であ 

ると 宣言され てゐ る。 

第二 インタ ナショナル は、 この協同が實際には£卑なる|^ 

瞞 であって • 破滅と 細胞 組成との 行程 を もって 手際よ く韆 

續 すろ ための 戦術 的 詭計で ありながら、 單 なる 外面 上の 協 

同に よって、 ブ ロレ タリ ャ 階級 を 欺く ところの 如何なる 企 

てに も參 加す る こと はでき ない" 共 產黨の 行動に 變 化が 起 

ら ない 限り は、 如何なる 一般 會議も 明らかに 有害で ある。 

今日の 狀您 は, 第 一 一 インタ ナシ ョナル をして できろ だけ 强 

く、 ゼ ノアに おける ソビ H ット 政府の 態度が 純粹に 帝國主 

義的 且つ 資本主義 である、 こと、 そして 第一 一 及び 第三 ィ ン タ 

ナショナルの 間に 存在す ろ 根本的 相違が • 自由と 社 酋とは 

何 を 意味す るかに ついての 觀 念のう ちに 存在す る もので あ 

る こと をカ說 させる ので ある。 

第 一 一半 ィ ンタ ナショナル の 宣言 

おれ/^ は 1 般ぇ ンタ ナショナル 會議 の發議 者で ある ヴ 



30 



并.^ A> 4 クタ^ タ ルの 執行委員が、 , "の 1- 般會議 一 

道に 潢 はって るる 障害に 打ち克った めにあら ゆろ 努力 をぶ 一 

す ことにつ いて, 常に 1 致し 且つ 堅い 決心で ゐる とい ふこ 

とを斷 言す る。 われく は 更に ヴ并 ー ン ,ィ ン タナシ ョナ; 

ふの 仕事が 诀 して きたので なくて、 一 般國際 勞働會 議とー 

圃際的 協同 行動 を もたらす ために、 われく は 寧ろ 狀 態に 一 

應 じて われく の努方 を繼賴 すべきで あると いふの 意見で 一 

ある。 - 

しかし- ヴ井 I ン • インタ ナショナルの 執行委員が この 一 

仕事に 協同して ゐて も、 われ ノ\ は 不幸に して か- -ろ 協同 一 

は 今日に おいて は 他の 二つの 執行委員の 組織の 何れもに お 一 

いて、 そして 第 1 1 及び 第三 ィ ン タ ナショナルの 執行委員 會 一 

における 内部的 意見の 相違が、 この 問 超の 解诀を 一 困難 一 

にし、 そして 一般 阈際 會議の 途上に おける 障害 を增大 する 一 

とい ふこと を 陳述し なくて はならぬ。 一 

これ 等の 障害 は、 第一 に は It 逸に. P ける 右 IS 社會 主義 及, 

び フラン ス における 共產 からく る。 IS 逸社會 民主 黨の中 

央機關 フ オル ヴ エルクの 主張 は 世界 勞働 者會議 S 開催 に 公 一 

然と 反對 である。 しか t 第三 イン タ ナショナルの 中に おい: 

て さへ, 今: n 顛際 勞勸會 議に對 する 豫備 的の 仕事の 韉鎮を 一 



妨害す る 目的が 疑 もな く觀 取す ろ ことができる。 われ. (- 

はレ 一一 ンが 伯林 會 議に關 し、 九 人 委員 食の 共產 -M 代表者の 

態度 を 公然 非難した こと、 そして こ S 不信任投票が 公的に 

發 表された こと を 思 ひ 出す。 共産 インタ ナショナルの 總裁 

,チノ ヴィ H フが 五月 十七 日 即ち 九 人 委員 會の 開かれる 前に 

害いて, そして そして 「赤旗」 に發 表された もの はもう 一 歩 

を 進めて るる。 この 論文で ヂ ノ., ゥ井 H フは 「九 人 委員 會の 

破减は 協同 戰 線に 對 する 共產ィ ンタ ナショナル の 鬪爭を 弱 

めないで 强 める であら. フ」 と 宣言して ゐる。 これ は 九人委 

員め 活動の 停止 は 今日に おいて は 共產^ によって 彼等の た 

めの 有利な 結果と して 利用す る ことができる とい ふことの 

明らかな 宣言で ある。 

これ 等の 倾向 について、 われく は 九 人 委員 會の 活動の 

範^ を あまりに 廣く縻 ろ ゆた とい ふの 意見で あろ。 四月 五 

月の 伯林 決議に 從 へば、 委員 會の 義務 は 三 執行委員 會 並に 

未だ 三つの ィ ン タナシ ョナル の 何れに も鏖 して ゐ ない 黨派 

を 含めての 大 された 規模の もとに、 この ラ への 會議を 開 

く 準備 を なすこと であった。 この 點に ついて 第三 ィ ンタナ 

、ン ョナ ルの內 部に 分裂が 起った。 フランスの 共 產黨は 九 人 

委員 會が何 か 永續的 職分 を 遂行す る ことの 觀 念に 反 對 した 



第三 ィ ン タ ナショナルの 內部 において 彼等 S 代表者が 世界 

會諶が 直に 開かれろ かで なければ 九人委 M 曾が 直に 解散す 

べきで あると 宣言した の はこの 困難の ためで あつたの であ 

る 

これに 反して ヴ并 ー ン • イン タナ ショ、 ナルの 執行委員 會 

は, 九 人 委員の 仕事 は 精力と 忍耐と ももって 糙續 する こと 

がお 界勞働 會議の 利 《化で あろ。 何と なれば かくして のみ 協 

同 的阈際 行動の 途上に as はる 闲 難に 打ち克つ ことができる 

とい ふ 意見で ある。 われく は 九 人 委員 會 世界 勞 働會議 の 

ための 準備 行動 を 遂行す るた めに 適當 にして 不可 缺の 機闞 

であると 考 へる。 それ故に われく はこの 委員 會の 仕事 を 

ゆ 典 面目に 進め、 そして 交渉の 自然 的 糠 績に、 各派 代表者の 

間 に 依然 存在す ろ 困難と 誤解と に 打ち勝 つ 、 J とがわれ く- 

の 義務で あると 信ん する。 共產 代表者 も, もとく は 九 人 

委員が 世界 會議 のために 必要た とい ふ 意見な ので ある。 何 

となれば それ は T の ごとく 宣言して ゐ るから、 曰く 「おし 

ブ. ti レ タリ ャの 4* 共 產黨の 多 衆が 彼等の 指導者の 態度の 變 

化を來 させる ことに 成功したなら、 共產 インタ ナショナル 

の 執行委員 會は 常に 彼等の 代表者 を更 めて 三 派 執行委員 會 

の ^ 會 4a に 送る の 用意 をして ゐる であら 、ゥ」 と。 



世界 勞働 者會議 は 各派 執行委員 會 から 成立す る 組織 委員 

會の媒 子に よっての みもちき たらせる ものであると いふの 

_ 原則 上に 一 致が^^^するにか--ゎらす、 第二 及び 第三 イン 

タ ナショナルの 宣言 の 根本に おいて、 今日 この 交 涉を繼 1^ 

する ことの 不可能で ある こと を 認める ので ある。 ••:•:• . 

(アドラ ァ、 ブラック、 クリス ビエ ン) 

第三 インタ ナシ ョ ルの 宣言 

三 派 執行委員 會の 代表者 會議は * 第二 インタ ナショナル 

の 態度から 見 て 、 世界 勞働 會議は 四月 末に 開く ことができ 

ない とい ふこと に 決した しかし 同時に、 全世界に おける 

社會的 及び 政治的 方面に 一 ぼって、 ブ ロレ タ リア ー トに對 す 

る 資本主義の 攻擊を 防ぐ ために 缺く ベから ざろ この 會議の 

成るべく 速 かな 召集の ために 九 人 委員 會を 組織す る ことに 

決した。 三 派 執行委員 會の 會議 から 八 週間 過ぎた。 た^ 開 

議が 開かれなかった ばかりで はなしに、 九 人 委員 會を 召集 

する こと さ へ も 可能で ある ことが 分らない。 この 不可能に 

針す る 唯 一 の 理由 は、 第一 1 インタ ナショ ナルが あらゆる 方 

法 を もって 資本主義 外交官が ブ W レ リャ 階級の 侵入に よつ 

て照亂 されない ようにし ようとした 慈 度に ある。 :::•• 



B4 ン タナシ 3 ナ-ル の 代表者 會議 がソピ ヱクト • 口 シ 

ャを锾 ける 事が 凡ての 社會 嫁の 接務 であると 決め e れて後 

に 頻 逸社會 民主 戴 31 會 長で 且つ 伯. 林會議 への 第一 T ン タナ 

シ ョナル の 代表者であった 人 (ゥ ェ ルス) は、 彼の 攻黨の 伯 

林 代表者 會議の 席上に 於る 演說 によって 挑戰を 始めた。 彼 

は 共 產.. ン タナシ ョサ, か、 ソビ ェ ヅト •£! シ ャの 外交 攻策 

それ 自身 帝 國お義 政策 を 遂行し つ i あると 菲 難した。 ゼ ノ 

ァ における 苦ろ しい 戦の 全 期 を 通じて * 蹈 逸社會 民主 黨の 

新 間 は、 ソビ エツ ト攻府 の 攻策を 資本主義の 攻策 だと 論ん 

じた。 . 白耳義 の社會 民主 勞働黨 は同國 政府が 無制限 的に Q 

シ ャに 私有財産 を 回復しょう とする 戰に 針して 中立 を 宣言 

した。 第二 インタ ナショナルの 會員 であり、 スェ ー デン政 

府に 列し, 第二 イン タ ナショナル 執行委員の 1 人た る ブラ 

ン ティン ダは同 國攻府 の 代表と して ゼ ノアに 出席した にか 

i わらす、 スヱ ー デ ン社會 民主 黨は、 ソビ ェ ット 代表者が 產 

業 を n シャ 無産者 國冢の 手に 維持し ようと 戰 つたこと に 一. 

言の 助け をも與 へなかった 不幸に して ヴ井 ーン* インタ ナ 

ショ ナルは 口のう へで ロシ ャ革 4 叩を捥 護しながら * 資本 主 

義的 復興に 反對 する ソビ ェ プト *ロ シャ の戰 ひに 對 して, 彼 

等の 新 間 紙上での 初步 的な 援助 さへ も與 へなかった。 却つ 



て 背後で 攻撃した、 :…… 

第 1 1 及第 一 一半 ィ ン タナシ ョナル と はソビ ヱ クト攻 府と共 

產ィ ンタ ナショ ナルと をソビ エツ ト • ロシ ャの 外交 攻 策の 

明らかな 機閼 だと 攻楚 した。 ……: この 宣傳 によって 第 ニイ 

ン タナシ ョナル は その 協 :15 戰 線な 怠業 せんとす る 固執 的の 

攻策を 是認し, そして 資木 主義の 益々 加 はら 耻 なき 攻 華に 

對 すろ 勞働者 階級の 地位 を 結合せ しめろ ことの 社會 主義の 

初歩 的 義務 を 回避し つ あると い ふ 非難に 抗辯 しょ、 フと望 

むので ある。 

この 狀 態に 顧みて、 D シ ャ共 產黨の 中央 委員 會は 自ら I 

I それが 第 ニイ ン タ ナショナル を 満足させる なら l 共同 

宣言のう ちから ソビ エツ ト權 力の 防禦に ついて 述べられて 

ゐろ 一 切の 字句 を 除外す る こと を 承諾す る。 ……: 

共產ィ ンタ ナショナル 執行委員 會 はこの 見解 を 全く 正當 

だと 認める。 萬^の 勞働者 階級 は その 鬪爭に おいて ソビ 

ェ ット *0 シ ャを 援助す ろで あらう。 何と なれば 資本主義に 

對 する 防禦 的 戰爭に 於て ソビ エツ ト • ロシ ャが國 際 的無產 

者 階級の 最も 重な 位 sii の 1 つで あろ こと を 知って ゐ るから 

である。 第二 インタ ナシ 3 ナル の 指導者 及び 第一 一半 インタ 

ナショナルの 指導者の 1 部 をして, ブ ロレ タ リア ー トに對 



して ゾビ ヱット • 口 シャの 擁護 を 明せ しめたの はこの 勞 

0^0^ 暖 :9 なので ある。 、 J れ 等の 指導者 や 黨 派が そ の 黨 

員に 封 して 彼等が ソビ ェクト • 口 シャに 反 封で ある こと を 

言した にしても、 若し 第一 一 及第 1 1 半 インタ ナショナルの 

諸 $g 派が 少 くと も西歐 及ァメ リ 力に おける 最も 直接な 切迫 

的 利害に 對 して 共產黨 とともに 戰 ふの 用意が ありさ へ すれ 

ば、 共產 インタ ナショナルの 協同 戰 線に 對 する 態度に は 何 

の 變 り もないで あら V ?。 :…… われく は 資本主義の 攻擊に 

對 乙て 無産者の 力 を 結合す るた め 出發點 として, 世界 勞働 

者 會議の 召 案が 近き 將來 において 不可 缺 であると 考 へる。 

共產ィ ンタ ナショナルの 代表者 は、 共產ィ ン タナ ショナ 

ルが 四月 會議で 交された 凡ての 協定 を 遂行した こと を 確認 

し、 そして 更に、 協同 戰 線の 途上に 潢 はる あら ゆろ 障害 を 

取り除く ことに 用意して るる こと を 確認す ろ。 共產 インタ 

ナショナルの 代表者 ほ 凡ての 勞働 組合の 問題 を- 赤色 勞慟 

組合 ィ ン タナシ ョナル を 加 へ て (そ は旣に 承諾した)、 アム 

ス テル タム インタ ナショ ナル とともに 討議す るの ffl 意が あ 

る。 それに も か i わら す* 若し 第二 インタ ナショナルの 代 

Q 表 者が 近き 將來 にお:;, て W 界勞働 會議. ^召集す る ことが 不 

可能で あると 考へ ろなら * 共產 インタ ナシ. ョナル 代表者 は 



これによ つて 九 人 委員會 は、 今日の 組 $s せられて ,0 る もの 

として は、 (それの 存在の 理由 を 失った ものであると 宣言す 

る ……: 

若し 第一 一 インタ ナショナル が 近き 將來に お いて 世界 勞働 

者 會議を 召集す る こと を拒絕 するなら、 共產ィ ンタ ナショ 

ナル 執行委員 會の 代表者 は 九 人 委員 會 から 辭任 する。 そし 

て 共產ィ ンタ ナショナル は 倍 增の勢 ひで、 協同 戦線の ため 

の 鬪爭を 遂行し、 そして 多くの 群衆 を 共產黨 員で ない 勞働 

者で あっても * 協同 戰 線の 必要で ある ことに 說 得し- 彼等 

の 指導者 をして、 ブル. チヨ ァ 階級との 協同 戰線を 止めて, 

彼等の 階級 を 無産者 階級の 共同 利益の ための 戦 ひの ために 

結合す る こと を餘 儀な くせし める であらう。 若し 共 產黨に 

屬 しない 勞働 者の 群衆が 彼等の 指導者の 態度に こ、 フ した t、 

化 を もちきた す ことに 成功す るなら * 共產ィ ンタナ ショナ 

ルの 執行委員 會は 何時でも その 代表者 を 再び 三派ィ ン タナ 

ショナ 4 の 共同 集會に 送る こと を 承諾す ろで あらう。 

九 名 委員 會共 產ィ ンタ ナショナル 委員 



大木 倒れる 時 

t ジ ュルゲ ー ドの 死につ いて.! 

大. 木 力 朽ちて 倒れる 時、 こに 臬 べんで 居た 多くの 小鳥 は 樓家を 失って その 方向に 迷 ふ。 ジ ュ ルグ I ドが 死ん,, 

一 はゐ な。 かった。 0. 小鳥 は 大木の よ i うと 倒れ る音を閗 いて • もう 一遍 かって 管れ た蒙を 

ミュル 、グ ー ドの 末路が • よし ど, あつたに もせよ、 惠 まれた 世界の 無 產者は 彼 を 忘れて はならない 

せ 六の 身 を もって、 パリ ,コ ムミュ ンに 馳せ參 じた 彼 は、 ララン ス 勞働黨 を 起し、 統 一 社 會黨を 組織した。 妥^ を も 

つて 邪道と なし、 彼 は、 はたして 何度 ジォ レスと 爭 つたの だったら うか。 

理論家, 彼 は社會 主義の 思想 を 衆 化した。 大木の 若 かりし 頃- 幾多. の 枝葉が その 樹液に はぐ まれた こと だら う。 

、彼 は アルべ I ルド、 マン 伯に 答へ て、 しかり 我等 はと もに 勞働者 を 愛すつ 食 下 は 血 まみれし 勞働者 を 愛すの だ 

大木 は老 ひた。 諸々 の雜 草が 大木の 周 園に はびこって 来た。 山上に は 更らに 1 本の 大木が 現 はれた。 〇〇〇 その 木 

お 更 に 高い。 あはれ むべき は 人. の 思想で ある 〇〇 を 準備し- 〇〇 を 急いだ。 ジ ュルグ —ドは 〇〇 の 本 S@ を 知り 得な 

かった。 

バリの 赤色 旗 は I 數に列 をな す。 小鳥 は 倒れた 大木の 上 を 飛び ま はる" 

人 は 地下. に, 眠る? そめ 思想 は 地上に を どる。 1 一 r 九、 十七、 小牧近 江) 



◊ 目 品賣販 ◊ 



三越 マ I ケット の 好評 



三越 吳服 店の 五 階の 奥に 常設して あります 



A つ 二し しょく 

一- 1 越 マ I ケット 特色 

. わ ?ズ やす こと 

1 、 ^庇い 事 

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二、 が 良い 事 

t-ia い ひと 

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う こと 

に は ija: らぬ事 

じつようひん ほか 

四、 實 E! 品の:^ 1 

切 費らぬ こと 

に 出した る、 スコッチ 洋 ゅニッ i¥n 十七 翻 八十^、 メル 

きん ゑん せん おなじく *ん • , s ん , . せん 

ン のォバ I コ ー ト金ー 一十 四圓. だ 十錢、 トン ビ金 f 一十 五圓 八十、 设、 

.C み A*-.* つ, .t- ゑん そ \ た, ぐつ? ん ゑん せ 人 た^-をればぅし さん ゑん ひじ やう 

sih 靴 4i ハ^ 1,:¥錢、 短靴へ 4- 五圓 九十 i、 中折帽子 金 三 は 非常な 

こ. 「ひやう ュ く ,J 、- y ないよう じう じつ ザ ひ らん ねが 

好評を£^,^て居る、 如 I? に 内容が 充 資せる か 是非 御 一 覽を^ ひます 



♦ 木 線 頸 … … 新^ 仙、 双子、 紡 綾 縞、 遠州镇 

^ 、: 31 ネ ^ 、晒木綿、 裏地、 鉗排 

布 園 地、:^ 饼、 白^、 紡 J« 饼、 ^ ス お 他 

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靴下、 筆、 墨、 欲、 1^ 物、 小兒 服、 石敏、 手袋 

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菓子、 想 節、 茶、 i;^ 物よ リ% 物まで 一 切 

♦ 洋服 類、 靴、 中 iiUSl 子 



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捌賨大 



B 京 神 
本 

-?. ^ 束 
诚海京 
堂 'ま: 堂 



^ ^ ^ ^ (定價 金壹圓 五拾錢 



靈 の王國 



私 は 伯林に ゐる 間に、 ラ ー テ ナウの 二、 三 書 を 

貪る ような 氣 持で 讀ん だ。 私の もって ゐる 書物 

も 数 于册は あらう。 しかし 私 は 未だ 甞 つて ラ ー 

テナ ゥを 讃んだ 時の よう、 な 感激 を覺 えた こ、、 J が 

ない。 凡てが 感激で ある。 凡てが 生命で ある。 凡 

てが 豫言 である。 r 靈の 王國』 はラ ー テナ ゥの思 

想の 紹介です。 しかし 單 なる 紹介でなくて、 感 

激を もって、 書かれた ものです。 この 書物 はラ 

i テナ ゥを傳 へた もの V- して は 不完全な 一 書で 

す、 しかし 尙ほ、 より 高き 社會 主義の 存在 ヾ/ 

そして 人々 が 現代の 世界に、 制度の 機械的 作用 

の も S に 生活して ゐる: との、 如何に 憐れな も 

ので あるか を敎 へる うへ に、 何 ほどかの 助け ヾ J 

ならう か 心 ひます。 (著者) 

11 出版 所 i . 東京 芝 愛宕 下町 改造 社 

is^-H^^^^^S^^^ 1 日 :一 S 發行) 批, 評 十 



, ,_ 每 カー 同一 n»5 行 一 ffii 稅 mm 

.JtJ 一一 ' 1 



^ (改正 定價金 廿錢) 



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一部 廿 a 五 厘 

半年 分 一四ー一十55 m 共 



一 年分 二 四 s« m 共 



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為5^<$5~ は 可成 楚 .^郵券代用一割せ 

大正 十 一 Jlf 十月 一日 印刷 納本 

大正 十 一 年 十月 一 日资 行 



東京 市芝區 一 一一 田 一 丁目 二十 六 番地 

^4^. 利 部 一 郞 

束京帘 京椅區 築地 二 丁目 三十 番地 

ess 川 崎 活版 所 

柬京市 芝 區三田 一丁 m 二十 六 番地 

行所批 評 社 

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北隆館 …:. 



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田 松 



二 哲正 

郞 ル 二 俊 



帳 手の 人由自 I 



= 批評 十 一 月號 (第 八號) 內容 = 

〇 

▽ 生活 統一 と 日本の 將來 

V 資本主義 の 發 達と 社會 主義 ts^ 命 ::.:: 

▽ ソレ ルの 山川 小 泉 論戰觀 

V ソレ ル 自叙 傳 (全 譯) 

〇 

逝け る ソレルと ノ 

彼の 暴力 哲學 

• 

一 

ラ I テ ナ ゥの思 出 

(アイ ンシ タ.^ ン 手記)、 



生活 統 一 と 日本の 將來 

個の 限界 は 1 個の 全で ある。 しかし 乍ら、 その 全の 限界 はまた 一個の 個で ある。 かくの 如き 循環:^ 論證に 於いて、 

その 個と全との. 關係 は、 常に ある 種の 段階 を設 くる ことに 依って 區别 される。 卽ちー つの 個 は * ある 段階に 於て その 

全體 との 閼係を 保持す る。 其 虚に憤 値 及び 意義が 生す る。 さ 5 して 進化の 事 實も亦 其 處に存 する ので ある。 

進化の 事實は 今日に 於て は單に 生物 學的 見解の うちにの み 止って はるない。 現 莨の 事 實は總 て 一 個の 存在で ある。 

しかしながら その 現實が 生活. である 限り、 それ は必す 進化の 事實を 示して ゐる。 卽ち 生活と いふ 事實に 於て 進化の 證 

跡が 認められ るので ある。 進化と は此 場合に 於て, 如何なる 意味 を 持つ であら 5 か、 

凡そ 一 個の 個 は それの 限界と して I 個の 全 を 持つ。 然しながら、 その 一 個の 個 を 持つ。 總 ての 位置す るの は 盡く無 

便 値で ある。 此無價 値なる 存在 を 憤 値 づけむ が 爲には * その 存在の 全 體に對 する 關 係が 規定され なければ ならない。 

便 値と は、 元來闕 係の 槪念 である。 從 つて 進化 も 亦 関係の: g 念の 裡に 生す る" 槪 念と は事實 ではない。 それ は 常は抽 

象 的で ある。 故に それ は 他の 語 を 以てすれば、 常に 精神的の ものであると 云 はれる であらう。 一個の 罩 細胞 動物から 

人間に 到 も 迄 進化した 一 體 系を觀 察せよ。 その 間に 存 する あらゆる 個々 の 一個 體 は- それ か 集った 時、 a? 同に 依て 判 

別せられ て 1 つの 族 をつ くる。 斯 くして 生物 學 上の 分類 的 段階- 卽ち 門、 綱、 屬等を 作る。 然しながら- 是 等の 段階 

の區別 は、 云 は 槪念 なので ある。 それ は事實 としての 存在で はない。 例へば 一 個の 目に 屬 すろ 個々 の個體 は, それ 

ぞれ 大體を 同じく してる て、 しかも 內觀 的に は 各々 異 つて 居る。 各個 人の 顔 か 如何に 異 つても 其 差異が ある^ 人 をし 

1 て 人類と いふ 屬を脫 せ. しめない のと 同樣 である。 此の 關係を 目して 段階 的と なす 所以で ある。 故に、 若し 其の: r 左 3^ か 

s めて 甚だしべ 成れば • そこに 新たなる 分類の 綱目, M は 種族 を 作る.,, ので ある。 日本人 も人閒 である" 白人 も ゆ 人 間 



. である" 然し 乍ら 何れも 人類 以外の 生物で はない。 それに も閼ら す各毽 の變 異性 は 新たなる 個體を 作り、 新たなる 種 

2 族 を 作る e さ、 フ して その 總 ての 種類 を 互に 聯結 する 時、 初めて 段階 的: g 念 を 得る ので ある。 さう して 進化 も 亦 さうな 

ので ある。 

進化 的 1^ 理 として 認められる もの は, 自然 淘沃 及び 雌雄 淘沃 である。 然しながら 若しも 此の 進化 的 事實を 精神的に 

認めるならば. 其虚に 他の 原理が 用 ひられな け, れ ばなら ない。 

生活と は 元より 人間の 生活で ある。 人間 も 生物の 一種で あるに は 違 ひない。 しかし 乍ら 人間の 生活 を 他の 生物の 生 

活と區 別す る もの は、 高度なる 意識の 生活で ある。 意識 は 如何にして 生じた ので あるか。 凡ての 生物 は それの 生存 を 

保持す る爲に 本能の 力に 侬る。 人間 も 亦さラ である。 然し 乍ら • 人間に 於て 本能 は その 生活の 指禪 をす るに 甚 しく 不 

足で ある。 この 事赏に 依る 時、 人間の 生活 は j 般 生物界の 生存に 比して、 その 生活 本来の 意識から 甚. たしく 墮 落した 

ものである。 さう して 神經 系統の 發 達に 伴 ふ 意識の 發 生が、 遂に 本能に 代って 生活 を 指揮し 初めた ので ある。 

其の 理由 は 外で もない。 生物の 生存に 於いて それの 目的 は 元よりの 自已 保存と 種族 維持と であ ら。 人間 も 亦 さう で 

ある。 しかし 乍ら、 此の 根本的 本能の 目的 を 全うする 爲の 補助 的 本能が 充分に 其の 役目 を果し 若しも 其の 力が 及ばな 

て 居る 時 は 別に 問題 はない。 例へば 蜂が 其巢を 作り、 さう して 其 生活 を 終る が 如き 時に 於て さ.、 フ である。 然し 乍ら、 

い 時には、 他の 手段に 依らなければ ならぬ。 例へば 人間が 家 を 造る が 如き 時で ある。 人間が 樹の 上に、 住んだり、 穴 

居したり すろ. 時に、 自然が そわ を壓倒 すれば、 人間の 生活 は 危殆に 陷ら ざる を 得ない。 故に 本能 は それに 對抗 する 手 

段を講 する。 さう して 人間 をして 家 を 建てる 方法 を 立てし める。 そこに 意識が 發 生し、 その 役目 をぶ-す S である。 卽 

ち 帝 5 識は 本能の 一 表現に 他なら ない。 意識 生活 は、 本能 生活の 代りに 發 生した ものである。 故に や) 識 生活と 雖 其の 

根底 は 依然として 本能 生活で ある。 それに も 關らす 人間の 生活と してい ふ 時. 第一 一次 的なる 意識 生活 か 本能に 代って 

第一 次 生活と なる ので ある。 それ は あらゆる 存在の^ 立 的 傾向から 論す る も 亦 然るが 故に 意識 は 本能より 離れて それ 

自身の 存在. ^保ち, それ 自身の 生活 を爲 すので ある。 



人間の 生活 は、 故に その 根底に 本能 生活 を 持ち * 總 ての 事實は 本能に 基して ゐ るに も 閱 ら す, その 上部構造 として 

は 意識 生活 を 有し、 兼てその意識生活が上都構造としての生活指^禅の任^§を取ってゐる。 

故に 生活 は 現 莨に は 常に 全體 として 觀 察せられ、 意識 生活 及び 木 能 生活の 一 一 者が 混同して 存在して るるので ある。 

從ってか.rる全^的なる_生活の£:に進北の^9T*^を認めんとす^0時は• 5单に 自然 的 進化 原理 を豫 想す る 外に * なほ 精神 

的 進化 原理 をも豫 想し なければ ならぬ。 それ は 意志で ある。 一 

. 思 ふに あるが 故に あると ころの もの を 欲する とい ふこと は 調和の 原理で ある。 同時に あると ころの ものなる が 故に 

あら ざら むと 欲する 事 は 除斥の 原理で ある。 又 あるが 故に あらざる ところの もの を 欲する とい ふこと は對 象の 原理で 

ある。 同時に あらざる ものなる が 故に これ を 欲せす とい ふこと は 放棄の 原理で ある。 卽ち 此の 四つの 見解 は 二元的な 

ので ある。 ち 欲する と、 欲せざる と あ もざる ところの もの を 欲する と. 欲せざる と、 あると ころの ものに tif 足す る 

と, せざる と、 何れも 補足 的 態度 を 取り、 結局 二元的 見解に 歸着 する ものである。 一 を假に Pro と 名 づければ 他 は 

.Cpnrta である 0. 

生活 は 實 である。 それ は 本能の 生活に 他なら ない。 さ、 フ して 意識 生活 も 亦 ある 意味に 於て 現實 である。 それ は 本 

能 生活と 1^ 立して 一個の 世界 を 持つ と共に、 これと 關 係して 一個の 全體的 生活 を 構成す る。 一個の 實的 生活 ありと 

せよ。 その 意識 は、 或は 此れ を 欲する が 故に その 現實と 結合して 益々 その 方向に 進化す るで あら.?。 或は これ を 欲せ 

ざる 故に, これと 反對の 方向に その 實を 導く であらう。 簡箪 なる 例 を 取って 云へば、 沈餺 なろ 人 は 沈 縛なる が攻に 

沈 なる 生活 を 欲する。 それ は 調和の 原理で ある。 レオパルディの 如き はこの 例で ある。 又、 沈. S なる 人 は 自已が 沈 

なる が 故に これ を 欲せす 快活 を 愛する。 モリエ —ル とその 戯曲の 如き その 例で あらう 。ヴ アイ 二 ン ゲルの 男女 觀の 

如き もこの 所説 を 裏書きす る もの. V いふべき である。 此の 一 一元的 見解 は 常に 同時 存在 を爲 して ゐる。 之れ を ディア レ 

タティ I ク的 にいへば、 それ は Pro と Contra とで ある。 この ニ箇は 同時に 存在す る もので あろが 故に、 ,てれが 現 

に 接する 時、 そ 28 れが發 生す るか は 全然 块し 難い。 さう して その れで あるか を块定 する もの は 一 切の 還 境で あ 



り、 又 意志 者 s 傾向で ある, 

進化 段階に 於て、 この ニ箇の 傾向 は必す 共存す る。 從 つて 進化の 一 段階が • 次の 段階に 昇らん が爲に は、 この 二 元 

的倾 向の 敦れ かの 發現を 必要と する ものと 見做なければ ならない。 例へば 自由主義と 專制 主義、 古典 主 養と 良漫 主^ 

理想主義と 現赏 主義の 如き 何れも それで ある。 假に藝 術 思潮に その 例 を とれば、 この 二 個の 見解が 常に 對 4:- してる る 

ことが 解る であらう。 ニイ チェ は それ を ディ ォ -1 ュソス 的、 及び アポ Hi ン的を 名 づけた。 ギリシャ 藝 術に 於、 てま 

正しく それが 共存して ゐ たの ^ る。 しかし 一般的に いへば それ は 各々 の 時代に 應 じて 或は 現れ、 或は 直へ てるた と 

いふ 方が 確かで あらう。 それ は 同時 存在で あるが 故に 同時代に 於ても 一 人 は 一 方 を 取り、 他の 一 人 は 他の 一 方 を 取る 

かもしれ ない、 しかし 事寶 をより 廣く 時代 的に 見る 時、 この 考が 明らかと なろ ので ある。 例へば 十七 八 世紀 十:: 典 

莪を 進行の 1 段階と せよ。 其內に Pro と contra との 二 傾向. か 同時に 働く が 故に 好んで 古典主義 を 助長せ しめんと」— 

る 一 派が あり、 之 を 好ま ざろ が 故に これと 反對の 方向に 走る ものが 現 はれろ であらう。 槪 言 すれば 古典主義 S 發 生か 

ら 成長期へ かけて は, 古典主義に 對 する 1*3 が 動き、 それの 盛時より その デカダ ン ス にかけ て は centra が勒 くの 

である。 しかも この CVmtra は、 他の 進化 過程に 於け る 最初の 半分 を喑 示して ゐる。 それ は 浪漫主義の 初期で ある。 

さう して それが 全然 浪漫主義に はいった 時, 又 I)ro と Contra との 共存が 次の 運動 を 却って 浪漫主義の 段階に うつ 

して 自然主義の 方 へ^いて 行かう とする ので ある。 同様にして 自然主義 は象徵 主義に 轉じ、 象徴主義 は未來 主義に 轉 

じ やうと する ので ある" . 

文 慈 史上ぶ 於け る この 例 は、 極めて 明白に 此の 進化の 二元的 見解 を 示して 餘 りが ある。 他の 精神的 分野に 於ても 

それ 程 明白で はない にしても、 同様の 現象 を あら はして ゐる。 さう して、 これらの 現實は 常に 相 對的關 係に あろので 

あり 小 は 飽くまで 小に、 大 はいよ いよ 大 になる が 故に、 この 段階 はかの 生物 學的 分類の 段階と 等しく 觀 察される こ 

とがお 來 るので ある。 例へば、 近世 原子論の 發 達に 從 へば * 1 原子の 構造 は 一 原子核 を 中心として 數 電子が その 周圍 

*«鄞 转 して ゐ るので ある" そのお は^も 一? ^崖が 街 星 を 伴へ るか 如き ものである。 さ-..' して その 遊屋は 太陽の 》^園 を 



5 



SI 轉 する。 故に 太 腸 を 一 "i- 子 法と して, 遊星が 此の 周閣 廻? t して るるのに 當ろ であら、 7。 同時に その 太陽 は 他の « 

星 方へ 進行し つ、 ある。 さ ひして 局 今迄 知られて ゐる宇 i 由の 限界が、 銀河系 宇 《由に 歸 着して ゐ ろが 如き ものに 成 

るので ある。 

これ を 世界の 文明の 進化に 適 鹿 すれば、 如何になる であらう か。 元來 世界 文明と は 何 を 云 ふので あらう か。 現赏的 

にいへば、 此の 地球上に. 於け る あらゆる 人間的 生活の 總;; でなければ な.^ ない。 しかしながら、 相對的 見地に 依れば 

人 の 生活 は その 段階 を 有して ゐる * パプア 土人の 文明 も 人 問の 文明で あり、 又 世界 文明の 1 部 を 成す ので ある。 し 

かしながら、 それが 世界 文明の 主要 素と して は * 認められないで あらう。 この 除外 は實は 不當な ものである かも 知れ 

ない。 iK に それ は 現實を 捨て i 意識^ 中に のみ 返 かう とする 智識 階級 的 思想、 或は 白人 的 思想で あるか も 知れない。 

しかしながら 1 度 意識の 世界の 猢 立 を §i め • そして これ を 時代 的に その 段階 を 定めん とする 時、 この 除外 は 意味の な 

い 事で もない。 然 らば 世界 文明と は、 要するに 現在 位 51^ する 世界 文明の 所謂 主要なる 要素の 文明の 謂で なけれ はなら 

ぬ。 それ は、 總 ての 進化 段階 を 分類して、 その 問の 關係を 認識して, • その 進化の 度に 應 じて 之 を 定めろ ので ある。 故 

に 生蕃の 文明が 全體 としての 日本 文明の 一 要素と して 存在す ると 共に、 それが 日本 文明の 段階の 主位 を 占め 得ない 如 

く、 世界 文明に 於ても その 主位 を 占めろ 段階 を 取って 考 へる のが 最初の 仕事で ある C 

現在の 主要な ろ 文明 は、 ゲル マ ン 族の 文明で ある。 それ は、 しかしながら マ 時代の 文明に あって は、 文明 要素 

から は 除外され て 居た。 常時に あって は に D1 マ 族の みが その 耍 素に 當 つてる たので ある。 それ は 文明 段階の 相違 

に 依ろ ので ある。 さう して その ゲル マ ン 族が 文明 段階の 主位に はいり 得た の は、 彼等が よく 古代文明の 1 體系 中には 

いり、 そめ 段階 を 糠 承し、. 更に 之 を その上の 段階に 導き たからで ある。 故に 文明の 段階 は 系統的で あり、 連續 的で 

あろ, 

然. ば、 現在に 於け る 世界 文朋の 特徵は 何で あるか。 古代文明に 於て ギリシャ 及び 口 ー マが その 最 たる もの e あつ 

た 事 は Si め もれる。 的: .il>u ば、. それらお 更に 先進 文明 を受サ たからで, * にれ を 初期の 段階と 假定 すれ は、 ギリ 



V> ャ 》t び tl .» T の 文明 を 古代文明の 主位に 證 X こと は 許される であら テ o 

古代文明^ 特徵は 何で あるか ,それお A? ら ゆる 親點 から 觀 察される であらう しかし 最も 抽^的に これ を 指示す 

れば • それ は 倫理的 世界? € る。 倫理的 世界と は、. 卽ち 善の 世界で あり、 各個人.かその權威を^!1己以外に持っ世界で 

ある。 即ち, 個人が 認められ すして, ある 圑體の あろ 權 威が 認められた 時代で ある。 此の 圑體 主義 は 古代の 生活の 必 

然的耍 求から 生じた もので あろ" 卽ち 種族の 生活がなければ、 生物と しズの 人間の 生活が 出來 なかった からで ある。 

故レ 家の 生活 も 亦 さう であった 。此の 圑體 生活が 生長す ろ 時、 國家 主義が 發 達する。 そ 5 して あらゆる 個人 は- その 

1 切の 存在の 意義 を 其の 圍 SS に 附着せ しめて ゐた 。例外 は 固より 然り である。 殊に ギリシャの 生活 は • 必す しも その 

具體的 生活から 云へば、 その 例證と はならない かも 知れない。 しかも 一 切の 宗敎的 崇拜が 家の 制度 を 保持し, 圑^ 主 

薪 を^ 執して ゐ たこと は その 一 證 となる であら 5。 この 宗敎的 生活が 古代の 社會 の特徵 であり、 圑體 主穀を 固執して 

るた こと は その 一 證 となる であらう。 この 宗敎的 生活が 古代の 社會 の特徵 であり、 圍體 主義 的 生活 S 基礎であった。 

それが 正しく, 倫理的 世界の ー變 形に 當る ものである リ 

か、 る 生活 段階に 於て、 個人 は 如何に 位 して 居た であらう か。 それ は. qi 我の 沒 却と、 團體 主義への 機牲 であった 

卽ち この 文明の 進化-股 理と しての 1)さ と contra と は、 單に 3.0 のみが 動いて るた と 見做さなければ ならない。 

個々 の 個人主義 や、 反 宗钕が ギリシャの 哲人の 中に あるに しても • それ は 小な ろ csltra に 過ぎぬ。 全體 として は 

依然として 圑^ 主義が 勝利 を 占めて ゐ ; 一ので ある。 

しかしながら * 前述の 例の 如く • ,ての 圑體 主義 は それの 完成と 共に その 轉向を 見なければ ならない。 その 圍體 主義 

に對 する Contra の 完成が 次の 文明 段階 を豫 想す るので ある。 さう して ルネサ ン スの文 W 史的 意義が そこに 存 する。 

ルネサンス^、 當 時の キリスト 敎的宗 敎的倾 向に 對 する oolltra で. ある。 それの 目標と して は、 ssi. に 古代 ギリシャの 

光 榮をー 恢復す る ことに あつたの かも 知れない。 しかしながら, その 得た る 結 は それと 異った 相を呈 して 來 た。 し 

かも この 異 つた 景 相が 親 代に. とって 甚;^ しく 重要であった。 フ マニス ムス * 宗敎 改革の 如き は その 主要なる 一 例で あ 



る o そして 世界 は ISIS 主 に 代る に 個人主義 を鑤め 6 樣 になった。 

この 結 el- を 一 言に していへば 何で あるか、 それ は 古代人の 夢想 だ もせざる へ; I 瑰的 世界の 發生 である。 それ は 「遠ニ の 

沘.界 である 。古代の 世界に あって は 一 個の 事物が 生活に 價値を 供す ろの は、 それが 眞 であるか 或は A ごない かより は 

善で あろ か 善で ないかに 依って ゐ た。 ルネ サン ス 以後に 於て は、 それが あべこべに 善で ある ことより も眞 である こと 

を 必要と する や、 リ になった。 ajf 理とは 論理的 體 系の 一 目標で ある。 かくして 賓驗、 觀察、 分解、 分 折、 卽ち 批評 的 方 

法 * 卽" 科 舉か發 生した。 さう して 今や この 科舉 生活が W 界 文明の 基調と なって 來た。 

科學的生活とは批評的^^場でぁろ。 批評と は 結局 個人に 歸奢 する ものである。 さ 5 して 個人の 權威は 外-:^ 世界 を脫 

して 個人 に 戾 つて 來 た。 酹 g 主義 か崩壤 して 個人主義と なった。 さ- フ して 現代と は、 正しく この ルネサンスの 橋續に 

也なら ない。 この 形勢 を 生み出し たもの は、 固より 前代の 世界に 對 する centra である。 他の 語 を 以てすれば 自由 主 

義 である。 自由主義 は 必然的に 個人主義に 結合して ゐる。 自由と は 圑體の 自由に あらす して 個人の 自由で ある。 圑 

:束嗦 せられた る 個人が その 束搏 から 脫 せんとす る 傾向で ある P それ は S 単 は 消極的 努力に 過ぎない。 卽ち ヨ の 

is5 志 は 常に 消極的で あり- Pro の 意志 は 積極的で ある〕 又 前者 は 下降 的で あり、 後者 は 上昇 的で ある。 一 は 崩壊 的 

であり、 一 は 建設的で あろ。 故に 自由主義 は園體 主義の 崩壤! 理に 他なら ない。 さう して 科舉的 生活 觀が 保持す ろと 

ころの 眞理 とい ふ 目標 は、 この 個人主義 的 自由に 1 根 を與 へて ゐる。 さう して この 自由主義と 個人^^と はこ k に 

浩 合して 科 擧の應 用と その 効果と を 基と して 新たな ろ 生活 過程に はいった。 古代の 社會は それの 宗敎 的, 圓^ 的, 俭 

理的 見地 $、 必然的に. 治-か 重要なる 照 系と なった。 現代 はこれ に反して 經濟 がその 主耍 なる 耍素 である。 卽ち交 

通の 發 達に 伴って、 各國の 重商主義 となり、 企業の 自由主義 となり、 さう して 資本主義 的 傾向に 進んだ。 資本主義 は 

故に 科學の 直接の 子で あり 又.,、 人の 知る が 如く、, 個人主義、 自由主義の 結粱 である C 

7 . 資本主義の 發達 は、 . この 個人主義. 自由主義に 對 する 建設的 傾向の 發現 であ.^。 自由主義 は S 単に 崩壤 原理に 過ぎな 

. い^で あるが、 そ. 歩. 8 でて? 《 お 主義と いふ.. f め Pro と, P てこ. -に 積極的 位 81^ を 見出した。 さう して 《4 本 主 



8 



義 ry して 成せられ たる 時 は、 れは 本来の 自由主義 を 捨て- -, 資本主義 的. tE 由 主義 を 保持す るので あった。 

にの 傾向 は 進化^ 理の. 建設 意義から 當然 古代の 世界の 建設的 方向と 一 致す る 從 つて 資本主義と 個人主義と は、 自 

由 主義と して 殘 つてる るが、 資本主義 そのもの は 新たな. る圑體 主義 を 形成す る。 近世 ki 於る 阈 家の 發達は 正しく 古代 

の圑體 主驟の 資本主義 的界 生に 他なら ない。 さう して それが; tla々sw 固に なろ に從 つて、 その 園 IS 主 裁かます ます 固く 

なる ので ある。 そして そ. れ が帝國 主義と 化して、 1 面に は國 家と 結合す る。 しかしながら ルネ サン ス 以後の 生活 觀は 

箪に資 本 主義に その 根 據を與 へた V けで はない。 科學 は本來 中立で ある。 自由主義 は本來 凡ての 人に ついて 共通で あ 

る。 この 自由主義 は 又 必然的に この 新たなる 文明の 進化 段階に 際して Contra として 働かなければ ならない。 それ は 

無政府主義、 社會 主義で ある。 無政府主義の 立場 は S 単に 古代 世界に 於け る圍體 主義に 反抗して、 個人の 自由 を 保持せ 

ん とする ものに 過ぎない。 これ 多くの 無政府主義の 古代 的で あり- 貴族的で あり、 動もすれば * 反動主義に 化さん と 

すろ 傾向の ある 所以で ある。 それ は 古代の 圍^ 主義に 對 する Contra であって, 資本主義が 獲た 国體 主義と 共通す る 

所が ある。 故に 必す しも、 現代 資本主義 的圓體 主義に 反對 すると は 限って るない * 社會 主義 はこれ と 進化 段階 を 異に 

する。 それが 持つ ところの 自由主義 は 現代の 圑 Si 主義 卽ち 資本主義、 國家 主義に 反對 する ものである。 故に それ は單 

に 1 個人の 自由 を 目的と はしない。 それ は 資本主義と 全然 同一 の 段階に ある ものである。 故に それ は 資本主義 かなけ 

れば 決して 存在し ない ものである。 故に それ は 資本主義 を 完成せ しめたる 自由主義 乃至 個人主義に 反對 する もので あ 

つて、 寧ろ 直接に 園 SS 主義に なら、 フ とすろ 傾向 を 有して ゐる。 殊に 共產 主義と 名づ けられて 居る ものに 於て 其 特徵を 

有する。 共産主義 は その 中に 平等主義 を 保存す る。 しかしながら それ は 共 產主碧 以上に 出で ない 平等主義 である。 寧 

ろ 自由 を制艰 しても 圑體を 構成し、 これに 依って 現代 資本主義 的圑 體に當 らんと すろ ものである。 それ は ある 點 から 

いへば、 古代 主義の 復活で あると もい へる。 故に 資本主義と 同じ 段階に あると 共に、 資本主義の 間 をお いて 古代 主義 

に 連接す る。 宛 も文藝 史上の かの 1 系統の 如き ものである。 

上觀 察する ところに « つて、 ルネサンス 以後の 世界観が 1 文明 段階 を 成す ことが 知 わ 得る と共に、 親 代 は その 段 



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階の 後^に 屬 する ものである 事 も 明らかで ある。 これ は 個人主義 を經 過し 去らん とし • 將に 新たな ろ圑體 主義に は 

いらん とする 時で ある -> しかしながら この 世界 文明の 段階 は 主として 西歐 文明の 段階で ある。 これ を 世界 文明と 稱す 

る, の は、 や、 當 つて 居ない かも 知れない。 しかも 主なる 文明 要素と して はさう 認めざる を 得ない ので ある。 

人 は 西洋文明 を 東洋 文明と を對 比する。 これ は 正しく 世界の 二つの 文明 體系 であるか も 知れない。 しかしながら is- 

洋の 文明と は 印度支那、 及び ァラ ビヤの 文明で あるが、 この 三文 明の 進化 段階 は、 世界 文明に 於て は 正しく ルネ サン 

ス 前に 属する ものである。 卽ち 東洋 文明に 於て は、 ルネサンス は 無かった。 印度 は 人種的に 西洋文明 とその 基 を 同じ 

くして る, ると 共に、 古代に あって は その 倫理的, 宗敎 的、 政治的 文明で ある ことに も 間違 ひ はない。 それ は その ま > - 

現代まで 續 いてる るので 未だ 嘗て 科舉的 世界に はいった ことがなかった。 故に 世界 文明 發 達の 段階から いへば、 今の 

西, 洋は 世界 文明の 一要素と して、 ルネサンス 以前の 文明 段階で はない。 現在に 於て は西歐 文明 を 以て 世界 文明の 先 i 

とい はざる を 得ない。 その /J と は 事實に 於て 西歐 文明が 世界の 文明 を 征服し つ >- ある ことに 依って 知られる。 

この 現象 は 何に 依って 説明 せらるべき か。 それ は 進化 段階が 異 るので ある。 異なる 進化 段階に 位置す る 二 文明が 

共に 世界 文明の 1 要素で あろと すれば、 1 は 他に 依って 代表せられ るので ある。 それ は對等 存在 權を 主張し 得ない。 

古代文明 として 例へば • 口. I マ 文明と 支那 文明と を 封 等に 置く こと は 出来る。 しかしながら 一度、 段階 を 認め 進化 を 

認めるならば、 今日の 西欧文明と 支那 文明と.^、 同 一 に 親 こと は 出来ない。 か- r る 異れる 段階の 二 文明が 接觸 した 時 

如何なる 結果 を 81 すべき か。 . 

文明と は 生活の R6U 日 5. に過ぎない 生活 は その 還 境に 依って 變 化する。 北方の 民 は 南方の 民と 同 一 の 生活 を 保 

ち 得ない。 故-に 1 文明 は 必然的に その 生活に 依據 する。 しかも その 文明の 意義 は その 遠 境から 抽出す ことが 出來 る" 

東洋 文明が 東洋の 生活に 依據 せらる こと は、 西洋文明が 西洋の 生活に 依據 せる ものに 等しい。 此 問題 は 意義の 上に 存 

する で 生活 は 常に 統一的で ある 。意義 は必す 現實の 生活と 合體 する。 生活 は 常に 現實 的で あり 一 切 を その 體系 中に 融 

合する.^ 1 1 文明の 接觸に 於て.:, 若 IH.^ の 意義. か 平等であるなら ば、 1 1 者 は 互に 同化し 合 ひ 各々 の 遠 境に 應 じて それ 



ぞれの 生活に 統 一 しぞの 必然的の 生活 を i し、 しかも、 その 意 達 を 等しく する。 しかしながら 異れろ 段階の I 一文 明が- 

接稱 する 時、 低度の ズ朋は その 統 1 を 失 ひ、 高度の 文明に 全然 征服され る。 さう して 高度の 文明の 移植に 依って、 そ 

の 植民地と して 存在し、 その 遠 境 や * その 人種の 生活の. 必然性 を 無視す るに 到ろ。 、しれに 反して 高度の 文明 は その 文 

明 を 進化せ しむべき sl^ 素 を 低度の 文明より 吸收 すると 共に、 これ を 全然 同化して その 體 系の 中に 統一す る〕 故に 日本 

人 は 洋翥を 輪 入して これ を模 傲す ると 共に, 西洋人 は 日本 翕より 喏 示 を 受けて、 その 體 系の 進化に f;5 する に 止まる。 

ェ クゾテ イズム はこれ である。 さう して 日. 本 は 生活の 混亂を 招く と共に、 西洋 は單に その 生活の 內 容を豐 富に する 

に過ぎない。 それ は 極めて 卑近な 例で. ある。 しかし 全文 明の 會合 も亦然 りで ある。 

こ- -に 於て 問騁は H 本に かへ る。 世界 文明の 進行に 面して、 東洋の 文明、 特に 日本の 文明が 如何なる 形勢 を呈 すべ 

きか はわれら 日本人に とつで 重大な ろ 問 超で なければ ならない。 

日本 はもと より 支那 文明の 一 亞流 である。 さう して 全體 としてい へば、 東洋 文明の 一 潮流の 中に 捲き 込まれる。 現 

實の 生活に 面する 時、 日本 はま だケネ サン スを 經てゐ ない * 換言すれば、 それ は その 基調が 倫理的で あり、 宗敎 的で 

あり、 攻治 的で あり、 表 志 的で ある。 さう して 一 切の 個 を 放棄して 圍體 主義 的 理想 を 抱いて ゐる。 嘗て は 祭政一致と 

して その外 的 權威を 固く した。 さラ して 此幾 千年の 存在 を 通じて 內部 的に は家權 制度 を 確保し- 外部 的に は國家 主義 

を Sil 固に した 3 しかしながら その 國家 主義 は 古代 的宗敎 意識の 發 現に 他なら ない。 それが 進化す る爲 に- この 阐體主 

而に對 する Contra は 一 切 用 ひられす して、 常に その Pro のみが 動いて ゐた。 それ は 常に それの 建設的 方面に のみ 

働いて るた。 しかも その 間に 外の 世界に 於て は 西洋文明が 旣に 新たな ろ 世界 を 開いた。 さ 5 して そい 影 1& か 直接に 日 

本に 及んだ。 開國とはその結5|^し他ならなぃ0 しかも 單 なる 一 結 は 重大なる 他の 外の 結果 を 生ぜし めて ゐ るつ 日本 

は 西洋文明に 而 して その ルネサンスの 働きの み を 見た。 そ は 鐵キ! 7』 であり、 汽船で あり? 電信で あり、 1^ せ 話で めった。 

しかも これ をして 生み出さ しむ 可き 生活の 內面的 必然性と、 4^ の體 系の 統 一 性と を 忘れて ゐた. - 意識 生活と 現實 生活 

との 結合々 忘れて ゐぉ。 遠 境 意志との 係 を 忘れて ゐた 。さう して 軍に 所謂 1^ 明の 利器み 輪 人す る ことにの み 満足 



して ゐたリ しかしながら 生活の 如何なるし 片 と雖、 その 全體 と, の 驟係を 先って はるない。 何故に 科舉 であるか。 河 

に 商業で あるか。 何故に 帝 國 主義で あろ か。 何故に 電話で あるか。 何故に 電車で あるか" 凡そ これらす ベての 所謂 物 

質 文明 は盡く 西洋の 意識 生活と 關聯 しその いは ゆる 精神 生活と 不可分の 關 係を爲 して ゐる。 生活と は、 幾度 もい ふが 

如く 充 一 的 * 全體 的の 流 勳髖 であろ。 その 何れもが 全體 として 一 つに まとまって ゐな いもの はない。 極端に いふなら 

ば 電車に のる こと そのこと が 必然的に、 あら ゆろ 西洋の 哲學體 系 • 科學體 系、 藝術體 系、 政治 體系等 • 卽ち 一言に し 

て 言へば 西洋の 生活 體系 を豫 想して ゐ るので ある。 電車に ある 時、 ソ ー クラ テ ー スを考 へ、 ブラト I ンを考 へ、 -ーゥ 

トン を考 へ、 ゲェ テを考 へ、 ナ. ホ レオン を考 へ、 アイ ンシ ユタ イン を考 へなければ ならない ので ある。 それ は 誇大し 

て 言った ので あるが 事實は 正しく さう でなければ ならない。 それ を 忘れて 罩 に 物質文明の 輪 入に のみこれ 努める こと 

の 結果 や 知るべき である。 

その 生 "活3^ に 於て 日本 は 旣!. i 一度 か、 る 生活の 危機 を經 過した、。 これ はかの 重大 文明の 輪 入であった。 しかしな か 

ら當字 こあって は その 危機 は 今 白 5 比で はない" 常時の 日本 は 殆ど 何ら 自己の 文明 を 持って るなかった。 原始的な そ 

の 生活と その 逸 境 を 外にして 何の 統一的 系ケ おして ゐ なかった。 故に 他の 文明の 輪 入 は談、 き はめて 容易 じある。 

それ はた だ 輪 入 さへ すれば よかった 必然的な 生活の 統一 力 は その後で 働く ので ある d 日本人 は 万般 廣を 模範と して 

それ に^へば それで 一切 は解诀 された。 その 日本的 統一 は 生活 それ 自身の 力で ある。 その 力 は 日本と 雖缺 けて ゐ ない 

<f 「日 遠れ ろ 奈良朝 文明が いかに 的で あるに しても それから 發 したと ころの 文明 は > 遂に 日本的で なければ ならない 

衣服で ある。 文學 である" 檢讅 である〕 生活 万般で ある。 そこに 日本と して 特色つ けられるべき 日本 生活^ 系 か、 た 

とへ 支那 文明の 一 支流で あるに しても、 なほ 完成され てゐ た。 この 事實を 古代 は 和魂漢才と 稱 して ゐ^。 それ は 生活 

の統 一 的 方面 を 輪 入した る 方面の 區別 をい ふので ある。 必す しも 支那 思想に 音であった ので はない。 否 * 支那 思想 も 

また ひとしく 物質文明と 共に 吸收 してる た。 さう して それ も 亦 日本の 生活 體 系の 1 部と して 完全に 統 1 され 了った の 

である 



一. >w の 時に 於け., on? 本の 生活の 混 亂は、 現代の 比で ない。 それ は 生活 段階が 兩者 共に ひとし, く 古代 的で あり • 意志的 

r| であり ► 倫理的で あり、 、宗敎 的であった からで ある。 さう して 日本 は 支, 恥と 共に 日本的 生 话體系 をな しつ. -も、 なほ 

この 古代の 特色 を 保 f, i§S 誕 ^ 主教 を 保持し して ゐ た。 さう し 西洋文明が 遂に ルネ サン スを經 たに も ii せす、 その 數 

せ 年の 長い 夢, をつ けて ゐた。 - 

故に 明治の 開 國が 火事 件であった。 そこに 輸入され た 文明^ 個人 主 殺の 世界であった 。決して 圑體 でない。 一事 一 

物と 雖、 それに 合する ものはなかった。 それ は 量の 相 逸で なくして 質の ちが ひで ある。 段階の 相違で ある。 その 混亂 

の狀ゃ 察す 可き である。 

しかしな が. ら 當 時の B 本人のと つた 態度 は 正しかった。 4- れは 今日から 論 すれば その 明の 及ばざる ものが あった。 

にしても、 當 時として はす ぐれた ものであった。 當 時の 日本人 は 一 切 を 通り こして 一 意 西洋文明の 外形 を學 ぶの 外な 

かった。 それより 他の 手段がなかった。 その 精祌 なり、 その 文明の 意 袋な り を 討究す るに 暇がなかった。 さラ でな け 

れば 日本の 減 亡より 他, その 運命がなかった ので ある。 それ はやむ を 得なかった にしても、 • その 結果 を受 くべき 日 木 

の 生活 こそ 災難で なければ ならなかった〕 支那 文明の 輸入の 時 は、 日本に 體 系がなかった。 今日 それが ある。 さう し 

て その 體 1^ と 全く 異る體 系の 輸入で あるが 故に 生活の 混 亂は來 さ らんと する も 得ない ので ある。 しかも それ は 生活 

そのもの >. 統一 性 U よって 現に 生半可に でも 落ちついて ゐる。 だが 問^ は その 意 i:^ の 上に ある。 

日本が 舊 段階から 新なる 段階に 入る ために は、 いかにす ねばよ かった 力。 團^ 主義 は 結, 局 個人主義 によって 倒され 

なかった) 西洋に於てもすぐに個人主義本來の自由4+^篯は死して資本主義, 帝國 主義に 力 を そ- - いで ゐた。 その 結 

として、 資本主義 は 近世 的國家 主義と, かたく 結んで、 新たに 又圑體 主義 を 固く して ゐた。 故に 日本 は その 侵略の 勢に 

そな へるべく、 もとより その 由圑體 主義 を 固く する か、 また 新ら しきその 資本 主 一: ST 帝國 主義に 人る かしなければ な 

ら なかった。 自由主義、 個人主義 は 全く 必要かなかった。 さ 5 して 日本 は 直接に その 帝國 主義と 資本主義と を 西洋に 

舉ん. お。 それ は i お 時え レて 當然 である,^ 日本の 生存に か- -る問 臨であった からで ある" しかも 個人主義、 自由 主 il^ か 



13 



ら脫 却した 資本主義 か B 本に 興り • それが 直に 圑體 主義と 結んだ の は、 日本の 生活の 將利 であつ. さラ して 日本 は 

逮 にルネ サン ス をも經 ようと もしなかった。 自由と か、 平等と かの 語 も 輪 入され た。 それ は 2単 に 日本の 資本 階級の 內 

部に 於け ろ 問 超に 過ぎなかった。 、 

さう して 日本 は 依然として その 古代 的 特徵を 保持す る こと を 以て 得意と して ゐた。 嘗て 東洋が 精神 文明に 於て 優り 

西洋が 物質文明に 於て 勝る と稱 して ゐた。 如き は その 誤れる 見解 を 表白せ る ものと いふべき である。 か- -る 得意 さは 

段階の 劣る ものが 段階の 髙 きものに 對 して、 猶 その 存在 を 主張 せんとす ろ 時に 發 すろ 心理で ある。 さう して 却て その 

固執す ると ころが 發 達の 段階の. 低き こと を 明示す るの も 知らないの である。 卑近なる 例 を とれば, 西洋に て は 敎會に 

於て 結婚式 を舉 ける。 その 虞 似 をして 日本で 神前 ゃ佛 前で 式を舉 けろ が 如き これで ある。 模倣 は旣に 自己の 劣る こと 

の を 示す ものである。 それに も 闢らす 日本 は その 劣れる こと を簞に 物質文明に 於ての み認. めた。 その 故に その 圍^ 主 

義 をより 堅く せんが 爲に 家族 主義、 國家 主義 を强 調した" 一切の 思想 的, 意識的 生活に は, 西洋文明 を 輸入す る こと 

を 禁じた。 その 當然の 結 某と して 古來 の圑體 主義が、 新たなる 個人主義の 精華なる 資本 主 殺的團 |g 中: i 翁と 結合した。 

かくして 日 木 は 個人主義 的 精 祌を經 過せ すして、 その 結果の み を經驗 してる る。 その 生活」 根底が なく、 統一が なく- 

必然性がない ことが * 日常 万般に 見られろ 百蔽の 根元な ので ある。 しかしながら、 あら ゆろ 努力に も 關 らす 形勢 は そ 

のま >- 止って はゐ ない。 生活 S 統一 は 物質の み を 許す こと を しないが 故に、 輸入せられ たる 西洋文明 は その 全. 2: 容を 

舉 けて 來り、 今や 意識的 方面 も 這 入って 來 やうと する。 卽ち 個人の 解放と いふ ことが 今日^ 主 なる 生活の 問題と な 

つて ゐる。 日本の ルネ サン スは その オ來の 意義に 於て、 今日に 於いて はじめて 始まった ので ある。 故に 第一 に 個人 主 

義の 徹底, 婦人の 解放 等 一 切 を 摩け て 今日に 行 はれ やうと する。 しかも 舊 時代の 意識 は 全力.^ 攀 ゆて 之に 對抗 しゃう 

として ゐ る。 さう して この ルネサ ン スも必 すし も 日本に 榮 えようと はしない。 それ は 古い 圑體 主義が 未だ 日 木に, ての 

勢力 を 振って るるから である。 それに も 闢らす 時代 は 正に 根底から 個人主義 的に ならう としつ- - ある-" 赏 て直譯 時代 

法 や が铜人 is 的であった にも 翻せす、 生活と S 矛盾が 明らかに 示された るが 如く、 今日 各種の 舊思恋 は、 . 



あべこべに 個人主義 的 思想と 衝突 せんとし てるる そこに も 日本 文明の 混 a が 生じて るる。 

1 一 , 困難 は それの みに は 止まらない 。問 超 は 二重に ならう とすろ。 旣に 述べた 如く 西洋文明 は 個人主義 的 思 の 極點に 

達した。 これに 對 する Coutra の 意識 は旣 にあら ゆる 方面に みなぎって るる。 今日は. e-E 主 一教に 非ず して 镯裁 主義で 

ある。 個人主義に 非す して 圑體 主義で ある。 しかも 日本が その 生活の 全部 を まゆて 世界 文明に 參加 せんが 爲 li は • 等 

-し くこの 一 1 つの 主流に 投じなければ ならぬ。 日本の 遠 境 は本來 的に は 古代 主 の園體 主義 を 持す るに も ii らす 未だ 個 

人 主義 すら 徹底せ す • 僅かに その 曙光 を 見ん とする 時に 當 つて、 旣に 早く これ を 放棄し なければ ならない ので ある" 

こ i に 於て 困難が 一 一重に 加され る。 

等しく 圑體 主義で ある。 而も 一 は 個人主義 を經 過せ ざる もので あり、 一は 經 過した も S である。 へ ー ゲル 的 論法に 

依れば 或は 1 は Thesis であり、 一は Synthesis であるか も 知れない 。この ディア レク ティ ー クを 信す ると 信ぜ ざ 

ると を 論ぜす、 その 內色的 意義が ^常に 異る事 は 明らかで ある。 

科學は 嘗て 分析の 原理 を敎 へた。 これに 依って 世界 は客觀 文明に 傾か、 フ として ゐる。 しかしながら! つの 奇妙な こ 

と は 個人主義 本來の 傾向 は、 寧ろ 主觀 主義に 傾く; :- である。 ここに 於て 一 つの 矛盾. か 生じなければ ならない。 この 矛 

盾 は 個人主義 思潮が 直接に 科舉の 子で はなく、 單に 個人主義 思潮が 古代 国^主義に 反對 して 立った 時、 偶然に もこの 

個人主義 を 生ぜ しめたと ころの 根底の 原因が 科舉を 生み、 さう して この 科 舉がこ S 個人 折 一翁 を 援護した 譯 になる ので 

ある。 即ち 古代 的 生活 觀に對 して 主として 科學と 個人主義と は 共に 手を携 へて 戰 つたが その 闥係は 科 學が寧 ろ 建設的 

で * 個人主義が 崩 壌 的であった ので ある。 しかるに 科舉 それ 自身 は、 發 生の 時期に 於て は 建設的で あるに も闢ら すそ 

の 方法と 意向と はむしろ 崩 壌 的であった。 そこに 個人主義との 會 合が ある。 近世に 及んで 全體 としての 世界 觀か 確立 

されて、 科學が 純然たる 建設 主義 をと り、 分析 的 方法から lii 的に 赴き、 客観主義に なって きたので. める。 ,てれ は 丁度 

自由主義 や 個人主義 思潮が 却って 古代の 圑^ 主義に 近づいて、 帝國 主義 や 資本主義 を 堅く したのと 對 比 的に 等しい 關 

保 * 持って ゐ る。 さ 、> もて 個人主義 的 思潮が 自我の 探れ <に 赴き、 カント や フィヒテ や ニイ チェの 如き 主我 主 薪 を 53 す. 



ょラ になった と 反對 iT 客観的 眞理を 目指して • この 自我 主義 を 減せ しめ ゃラ としてる る。 ある 人が いった 如く • 

十九 世紀の 最大 發見は 社 會を發 見した ことで ある。 さう して 個人 は 結局 社會 生活 的 方面 を 忘れる ことが 出來 なくなつ 

た。 從 つて?^ 代に 於いて は、 如何なる 個人主義者と 雖 も客觀 的に 證明 せられた る 社 會科學 の 示す ところに 從 はざる を 

§ なくなつ てるる. - 故に * 近代 科學は 個人主義 ゃ自. E 主 ^を 擁護す るよりも 團體 主義 ゃ诀定 主義 を設 明しても ろので 

ある。 その 閼係は 昔時と 反對 である。 社會 主義、 社會連 帶說等 は、 その 實證 となるべき である" 

この 新たなる 圍^ 主義 は 固より 科 舉の洗 を 受けた ものである 。それが 原始的 圍^ 主義 を 甚だしく 異る ところの あ 

るの は 3. すまで もない。 しかしながら、 旣に證 明され たるが 如く、 進化 事 I 霞の 二元的 見解 は 常に、 一段 階 を 隔て 、は 

互に 類似して ゐる こと を 示して ゐる。 卽ち、 文 藝の例 を とれば、 古典主義が 自然主義に 近く" 浪澄 主義が 象徵 主義に 

近いの を 以て も 知る に 足る。 故に 進化 過程に 於て、 1 段階 は、 必然的に 第三 段階に 近づく ので. ある 。共産主義 ゃ社會 

主義の 如き 圑腊 主穀が 古代の 圑體 主義と その 外貌 を 等しく する 事 は當然 である。 凡て 現實 的に かへ り 原始的に ならう 

. とする 頃 は, その他.. の分理 の哲舉 なり 藝術 なりに も 認められる。 しかも その 意義 は甚 たしく 異 つてる るので ある。 

第二- 階を經 過せ, さろ 第三 段階 は 却て 進化の 意義 を炔 いて ゐる。 禪の 坊主 か 悟った とい ふ ときには、 凡ての ものが 悟 

ら ない 前と 異 つて ゐろ けれども、 更に 悟った 後で は、 その 坊主の 見解が 復、 元の 俗人の 見方と 一 致す ろ。 それに も閼 

,1^すその內色的意味が全然違ふのでぁも。 歴史 哲學に 於て、 ヴィ ー ェの回 歸說の 如き はこれ に 近いの かも 知れない。 

さう して 見る と 第一 段階から 同時に 第三 段階に 飛び込む とい ふこと は單に 外形が 等しいだ けであって、 その 內色的 意 

味が 甚だしく 異 るが 故に、 それ は 生活の 統一と いふ 事寳 から も 缺陷が 生す るので ある。 奴隸の 集合と 自覺 せる 個人の 

一. 團體と は、 同じ 園體 であっても その 現實的 意味 並び に存^# 的 意味が 違って ゐる。 果して 然 らば. 日本 か 今. 日 その 大 

部分に 古代の 思想 を 受けて ゐ るに も閼ら す、 直ちに 次の 段階 を とびこ ヌて、 新. U なる 圑體 主義に 入らう とい ふの"..' 

U か な もので あらう か。. それ は事赏 として は、 日本の 舊 思想が これ を 許容すべく もな いつしか も 明治維新の 時 タ國 

の 凡てが 帝國 主義なる が爲, 之に I すべく 帝國 主義 を 盛,^ しな けれ はならなかった 事情 は、 今日に も 正に 常て は 



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まるので ある。 現に 努廣 ロシア を 相手と して 通商 を 開始す るのに さて, 多大の 困難 を 感じて ゐる ではない か。 もしも 

世界 全體が この 新たなる 圑體 主義 S 文明に は 人った 時, 日本 はもと より 日本 特存の 事情に 應じ てこの 體樣を 異にする 

であらう が、 それにしても 立憲 政體を 日本的に 改造して 施行した 如く、 やはり その 世界的 新園體 主義に 附 I® して 行か 

なければ ならないで あらう。 この場合、 日本 は あろ 點か らいへば 最もい.." 位 にる るので あろ。 それ は 進化 原理の 二 

元 的解譯 からい つても、 もしも 全く 個人主義 を 知らないならば、 たと ひその 內色的 意識 を缺 くと はいへ 却って 好都合 

だとい へる であら、 フ。 しかも この 榻合^ 困難 は、 結局 人が 個人的 自由 を 要求す る 日の 来る ことの あるのに 存 すらと 共 

に 「又 現在の 日本が すでに 個人主義の 味 を 少しで も甞 めて ゐる ところに 存 する。 この 點 について ど 5 すれば い- - ので 

あるか。 

具 體 的の 例 を とれば かう である。 曰 本人 は 洋服の 着 方 を 知らなかった。 背廣 さへ 着て るれば 一 切 は 通った。 改化主 

義に 依って その 着 方 を まさに 知らん とした 時、 その 歐洲 が旣に ドレス ゃモォ ニン ゲを棄 て i、 背廣 たけで 通用す る 用 

になった。 これ は 日本人に とって 物 怪の幸 ひで あると いはな けれ ぱ ならない。 日本人 は それで 堂々 と 大手 を ふって 步 

けろ ので ある。 只 問 超 は 之 を將に 知らん とした 連中に か i る。 その 連中 は ブルジョワ である。 その 恨み や 知るべき で 

ある。 しかも 民衆 は 平然として 新たなる 歐, g へ 行ける ので ある。 

この 立場 は 正しく 日本 文明が 現在の 世界 文明に 對 する 立場 を 示して ゐる。 さう して この 例に 從 へば 日本 は, 異 f 

なく 舊圑體 主義から 卽 座に 新圑體 主義の 中へ とび 込んで 行けさう に 見える。 しかも この 眞理は 一面の 褒理 であって 全 

面の 魔理 でない。 日本 は その 將來を 如何にすべき であるか。 

1 體 系の 統 一 は, それの 進化に 應 じて 變 化する。 故に その 統 一 的 態度 は 流動的で ある。 一 體 系が 次の 體 系に 更 はる 

に は、 崩壞 要素と 建設 要素と が 同 一 時に 働くべき である。 もしも この 二つの 要素 か現寶 的に 同時に 働き 得るならば、 

個人主義 的 段階 を經 過せ すして 新たな ろ圑體 主義に 這 入る ことが 可能で ある。 しかしながら 一 存在 は その 全 體 との 關 

係に 於て, あらゆる 觀點を 持つ 故に この 點は云 ふべ くして 行 はれざる ことで ある。 故に 科學的 眞理が 更に 確實 に主觀 



主義 を 抑制す る ことが 出来れば 成就す る。 それ は 總體に 安全なる 進行の 方法で ある。 生活 は 常に 現實 なる が 故に、 ^ 

賓の爲 に 計ろ のが 富 面の 急務で ある。 故に 極めて fS 健なる 手段と して は、 この 自巾 主義 思想 を 徹底せ しむべき である 

一 投階を 越えての 見解 は 却って 反動的で ある。 しかも 外界の すべ ての 存在が その 見解 をして 持せ しめ ざれば やはり そ 

の現實 主義 も 亦危險 になる 日本 は 第三 段階の 世界に 園 まれた ろ 第一 段階で ある。 さう して そこに 日本的 啓^思潮の 

1 特徴が ある。 新ら しき 現實を そこに 開かなければ ならない。 この 新ら しき 現 貧と は 第三 段階の 現赏を 認めろ 現 I 莨で 

ある。 日本の文明は輪入の啓^^!^に初まって輪人の啓^^に終る。 しかも 生活が 絕んす 無言の 中に これ を處理 する" この 

現 莨が 正しい ものである" 從 つて 個人主義 も新圑 SS 主義 も 同時に 輪 人され て 同時に 混亂を 起す と雖、 其混亂 とい ふ 事 

寳が 生活 を 規定す る樣 になる。 レ 1-1 ンは ベラ *ク| ンに 訓電して、 ホン ガリ ャの 事情が あるが 故に、 必す しも 會シャ 

革命 s; 例に なら ふ 必要 はない といった。 この 1 言 は 彼が 經世 家で ある こと を證 明す る。 生活が 景 後の 歸若點 である。 

日本 は 結局 日本で ある" 日本に して 進化の 過程 を 輪 入 的に もせよ、 模倣 的に もせよ、 正 當に踏 じなら ば當然 新ら し 

き 第三 段階に 這 入る であら 5。 さう しで それ は 日本的 個性 を 確保しながら しかも 世界 文明 5:- 的 意 識 を 持つ。 これ, カ統 

1 であり、 又 個性的な ので ある。 

世界 文明の 將來 はさまし く 科學的 生活 觀に 依つ て 決定され る。 今日 迄に 科 學の敎 へ た 事 莨 は 常に 全體 へ の 方向で あ 

つた。 しかも 旣に 述べた る ごとく、 全體と 個との 闢保 は相對 的なる が 故に、 その 個の 自覺が 等しく 全體の 將來を 左右 

する。 從 つて 盲目的 圑體 主義 は 全體へ の, 貢献 をな さない。 蟻の 世界に 於て は 一 個の, 縫 は- 單に 生物 中の 一 細胞の 如き 

ものに 過ぎない。 それ は 機械的な 1 存在で ある。 人間の 社會に 於て は 一個の 人間 は全體 への 係に 於て は、 一 細胞と 

. 遠 ひ はない ので あるが、 而も それ 自身が 自己に 封して 持つ ところ は 一個の 全體を 成して ゐる。 それ は罩 なろ 機械的 

在 以上の ものである。 そこに 個の 意義が 存 する。 

日本が 世界 文明の 一 部 を 成す こと は、 日本の 生活の 致す ところで ある。 日本 は 個人 主 一 の 徹底に 於て * その 一 

を經 なければ ならない。 その 個人主義の 一面 は、 資本主義に 於て 表 はされ てるる。 □ 本が 全^の 舊圓體 主義で あると 

5; いふ こと は 最早 半 ぱは據 であろ。 いかに 力 をつ くしても 資本主義 帝^ 主 一 IS かぼ界 と共に 完成した る 時. それ は^しく 

いは ゆる 物質的 方面の 孤 由 思想 • 個人主義 を 輪 入した ので ある。 これ を自 iK せしめなかった. たけで ある。 葚圑體 主ぎ 



は 資本主義 としての 国體 14 えづて ゐ. るに は 達 ひない々 さ 5 して 人 は 個人主義 につして 相闞 しない かも 知れない。 しか 

^ も 生活 それ 自身が 最早. ガ くの 如く 個人主義に 針し で宦 なること を 許さない。 現に 目覺 めた る 新たなる 圍. g 主義への 

方向が、 實は その 個人主義の 結染 として 生じた る ものなる こと を a 心へ。 そこに 崩 壌と しての 個人主義が 實 はすで に 新 

らしき 圑體 主義の 基礎と なって るる。 それ は诀 し匸舊 き圑體 主義から 盲目的に 新ら しき 圍體 主義へ 入らう. とする ので 

ない > .lilspl 的に しかせん とする のさへ、 蔡團髓 主 r が 禁じて ゐ るので ある。 個人 は その 個人に 於て 自 ii^ したが 故に、 

新たな ろ圑體 主義に 入ら、 rs とい ふので ある。 それ は 科 舉の敎 、る 通りで ある。 さラ して 十九 世紀に 見出され たる 社會 

生活が その 本来の 道 を 行く ので ある。 こ-に 日本の 世界 文明に 對 すろ 新たなる 道が ある。 日本 もい つまで も吳 下の 舊 

阿 蒙で はない。 さう して その 新たなる 闋體 主義に 對 する 準備 も出來 てるる であら ラ C 

じか も 現 實 に 目 を 注け、 日本の 生活 11 系- S 紛亂は 恐らく その 極に 達して ゐ るので あら、 フ 。世界 か 今 面せろ ところ は 個 

人 主義 文明の 行 きづまり である, - フ ラス も イギリス も ドイツ も皆然 り、 た ロシャ のみが 新ら しき 道 を 開いて るる。 

それ は 恐らく 今日 試驗の 時で あら s.。 さう して 日本 は 一. 面に は その 個人 主 凝 文明の 極點に 行きつ まりながら- なほ 一 

面、 古來 の圑體 主義 を 奉じて そこに 身動き も出來 なくなって ゐる。 さ-.' して その 前面に は 新ら しい 圓 Si 主 マ S を理相 .^ と 

する 前衞が ある。 それらの すべてが SSf なろ 輪 者で あると せよ。 しかも その 生活の 混亂は いづれ にもが 救 ふことの 出 

來 ない 狀 にある 。、たに 生活 は 唯一 の 救 ひ 主で ある、 實 のみが よくこれ を 解決す る。 生活 は 常に 自ら 動きつ- - 自己 を 

統一す る。 た. 日本 は 古來輪 人と 直譯を 以て 生命と した こと を 忘れて はならない。 さう してし かも 今日に 於て 最も 安 

全で あると 思 唯され る 生活 統一 の 方針 は、 やはり 個人主義の 徹底に 一 化する。 ,てれ は古來 の古陋 なる 图體圓 から 日本 を 

救 ふと 共に、 また 徒らに 現實を 顧みす して 新たなる 圑 主義の 中に 導き 込む のな 支へ るで あらう。 ) の 考へは ブル ジ 

ョヮ 的で あるか も 知れない。 しかも 落人 主義 は現啻 の 日本に とって 缺く ベから. ざろ ものである、 資本主義の 完成に 非 

すして 崩壊の 爲に、 さう して B 本 をして 1 歩 世界 文明に 近づける ために, さう して 結局 正しき 意義に 於け る 世界主義 

を 了解す る爲に 個人主義の BT お ^ 的 徹底 を 必要と する ものである。 單 なろ 個人 キ" 義 でない。 また 箪に 西洋の 模放を これ 

事と する のみで はない 。個性 を 持ち 侵すべからざる 自己み-有して、 しかも 常に 實を 正しく 見ん とする ものの 正しき 義. 

» である。 さう して 進步は コントの いへ るが 如く 秩序と 共に ある。 .m- 進 は 之を妨 けないで あら、 フ。 (村 松 正 俊) 



、マ ルクス 主義と ボルシチ ヴ イズムに 對 する 一 考察 

「批^の 共産- M が無產 級 的 革命 の 最大の 指導者た る 力 アル • マルクスと フリ ー ドリ ッヒ • ヱンゲ ルス よって 寄 かれ 

た 宣言の 形ち で、 その 綱領な 發 表してから 七十 二 年の 歳月 は 流れ 去った。 .::: この 七十 年の 間にお ける 共産主義 S 發 

達は荆 棘の 道であった。 …く 乍然、 その 根本に おいて その 發達 は共產 黨宣雾 の 中に 示された 道 を 行った。 最後の 決戰 

の 時期 は社會 革命の 使徒が 期 望した よりも 週れ て 來た。 乍 然そは 遂に 來た。 歐洲、 アメリカ、 アジア 諸國の 革命的 プ 

サ. レタ. ァリ— トの 代表者で ある 吾 々共産主義者 は、 ソヴ イエ ッ トのモ スク ヮに會 し、 七十 二 年 前に 宣言され た 綱領の 

き。 奉 者で あり 實 行者で ある こ L., を 感ずる。」 (Deri. K:§gress t Komm 一 mistschen Internationale s. 171) これ は 一 

九 一 .f^ 年 三月 一 一 日から 十九 日まで 開 I された 國際 共產黨 第 一 回大會 において ト ロッキ ィ によって 讀 まれた 新 共產黨 宣 

雷の its である。 この 宜 言の 中に 表 はれて ゐる ゃラに ロシプ の共產 主義者 は 力 アル • マ ルクスの 熱心な 信奉 苕 である。 

この こと は 殆んど 說明を 要さない 程 明白な事 實 である. - さう して 彼等 は 熟 心に ボ ル シ tT ゥ イズム こそ 眞の マル ヰンズ 

ム であると 主張す る ぶルシ ェ グイ ズ ム. は 果して マ ル. ク シズ ム であらう か C 

マルクス によると 社會的 革命 は、 經濟的 基礎 を 必要と する。 卽ち マルクスの 唯物史観の 法刖 によると、 「如 &.、 なる 社 

會 制度 も、 すべての 生産力が 餘地 ある 限り 發展 し遂 ゆない 間 は 消 威す る ことがない。 さ、 プ して 新しい より 高い 生產關 

•SV 保 は、 この 物質的の 存在 條 件が 舊社會 組織の 內に成 熱しない 內は • 出現し 得ない。」 ので ある? (zur Io.itic cler 

, PolitiBhcu cekonomle vorworc さラ して 「資本論」 第 一 卷の 序文に よると 「 一 社會は その 運動の 自然法 6 跡 を 追 ひ 得 



るに 至った SNn と 雖も诀 して その 順當 なる 發達 階段 を 跳び 越える こと は出來 ぬし、 また 法令 を 以て それ を 撤去す る こ 

. ^も 出来ない」. ので 一 あ.. る? 資本, 論 第 1 卷の 結論 は、 資本の 集中と 勞 働の 社會化 とが 相 矛盾して 資本 的生產 方法の 革命 

時代が 來 ると 敎 へて るる 0( 資本論 第 .一 卷第 一 1 十四 章參 照) 更らに 共產黨 宣言 もブ &レタ リアの ブル ジ ョ アジ ー に對す 

る 勝利の 基礎と して * 資本 的 生産の 發展、 この結果 である 少數 者に 對 する 資木 集中と 人口の 大多数が プロレタリア ー 

ト階极 に陷ち 入る こと を舉 ゆ、 さ、 フ して * ブ tl レタ リア 的 革命の 勝利 を 信じて るるので ある 。要するに 力 アル • マルク 

ス社會 主義 的 革命の 基礎的 條件 として 舉け たもの は 次の 五つで あると 云 ふこと が出來 やう。 (一 ) 資本主義 的 生産の 高 

度の 發 達と 集中の 存在す る こと。 (二) その 結果と して 産業に 共同 的 または 社 會的勞 働の 行 はれる こと^ (三) 有力な inj 

大な 資本家 階級の 存在す る こと。 (四) 工業 勞働 階級が 人口の 大多数 を 形成し、 訓練せられ、 結合し、 組織 せらる i 

こと, (五) 資本家と 勞働 者との 問に 激烈な 能動的な 意識的な 階級 鬪爭の 行 はれる ことで ある。 (Morris Hilquit, 

1 つ rem marx to Lenin- ^. 18:- 然るに 口 シ ァ の狀 is 一 .K 1 七 年の 革命 勃 發當時 は 勿論 英 米、 0, 佛 等の 如く 資本家 

的生產 方法に おいて 進歩して ゐ なかった 。この こと は -ー コ ライ *レ1- 一 ンが 新經濟 政策と して 實物 我を說 明す るた めに 

シ ャの 統濟狀 ST か 過渡的 時期に ある こと を 明かに し、 ^時の 口 シ ァ において 五つの 生産 形態 11 即ち ( 一 ) 自然 經濟 

、的 家長 的 小農 生產, (二) 商品の 小規模 生産、 (三) 私人 的 資本主義、 (四.) 國家 資本主義、 (五) 社會 主義 11 を牮: b てる 

るに 徴 しても 明かで ある o(^-. lveD】n, Die vorlbedingtsgen und die wedeu Tls^ der nuen politik sowjet.Kusslamis 

liber die Natural Steiier S. 6) 今 私の 問題と すると ころ は、 n シ ァ 革命の 當事 者で ある ボ ルシェ ヴィキ が マルクス 

の 言った 意味に おける 資本主義の 發 達と 社會 主義 革命との 閼係を どう 解釋 した かと 云 ふこと である。 この 目的の ため 

に 私の ffl ゐゃラ とする 文献 は- 1 コ ライ *ブ ハリンと ブ レオ ブラ チン ス书ィ の 共著 r 共產 主義 入門』 Nicholai wuchari- 

Das ABC des wommunismus と 力 アル • ラデックの 「科學 から 行爲 へ の社會 主義の 發達」 Karl Kadek, Die EntwicklunK 

Hwe S JsozialiBmuB von dcr wisBnsdlaft zur Tat. (Die Lehrn dtr russbchen Revolution) である。 



ブ八 9 ン は 現在の 經 8 生活に » して ► ル ク ス 主義 的の 觀察を 行 ふ。 即ち 現诗 における 資本主義 的 生産の 特 © は、 第 

1 に 商品が 直接め 費が 生產 されす, 反って 販寶 のために 市鍚を 目的と する ことで あり、 (wuchariu, l.Kapitel. §6 

笫 一 一に 生康 機^が 資本家 階級に よって II 占 せらる、 ことで あり、 第三に その 結 として 生産に 要す 6 勞 働が 商品と し 

て {Bs- せらる i ことで ある ス §7.8.9.) さう して 生 產機關 の 形 能 I: において 保持 せらる、 -資 本家の 「資本 は 餘剩惜 値 を 生 

む惯 値 である。」 故に 『資本家 的 生産 は 餘剩價 値の 生産で あら。」 (§11) マ ルクスの 敎義 によると 餘剩惜 値 は勞働 力の 

只に 投 せられろ 資本の 可變的 部分の みから 發生 する。 後 言す ると 勞励 のみ 餘剩價 値 を 生む ことが 出來 るので ある。 

然るに 資本家 は 生產機 關の獨 占者と 云 ふ 優勝 的 地位 を 利用して * 勞 働 者の 產 出した 餘剩憤 値 を 奪掠す る ことが 出来る 

ので ある。 そこで 資本家と 勞働 者との 利害が 相反して 來る。 この こと は 本 主 „i5 制度に 必然 伴 ふ ものである" マル キ 

シ スト はこの 點に 資本主義 經濟 組織の 第一 の 難點を 求め やうと して ゐる。 次に 資本主義 制度と 下にお ける 生産 はすべ 

てが 兒込 生產 である。 故に 霈要と 供給と は 厳密に 一致し 難いので ある。 恐慌 はかくの 如き 點に 起る" 資本主義の 制度 

の 第二 S 難點 はこ、 にある。 この 二つの 點 から、 資本主義 制度の 自家撞着 を 主張す る。 ブ ハリンと プ レオ ブラ チェン 

ス キイ はこの 點を 次の や 5 に說明 する。 

1 Kkj 確^ 不拔の やうに 見える iiis; 本 主義 社會 には大 なる 矛盾と 罅 隙と が^ 在す る。 第 1 に 資本 主穀の 下に は生產 物の 

的の 生産 も 分配 も存 しない。 たに 生産の 無政府 狀 態が 存 すろ 許りで ある。 生産者 は、 他の 生產 者と 全く 獨 立に 生 

. 產に從 事す る。 從 つて 需 要と 供給との 間!4 調和がない。 生產 における 無政府 狀態は 市場に おける 競, を 惹起す る。 市 

5^ における 競爭 は先づ 一 一人の 生産者 問 の 競- i.:- に出發 し、 その 最も 發 達した 形態と して 世界 市場の 獲得の ためにす る資 

本 主義 生産 國 家の 抗爭に 至って ゐる。 かくて この 資本主義に. おける 無 攻麻狀 慈 こそ 資本主義の 一 主要の 難點 である。 

次に 資本主義 瓧會の 階极的 性質で ある 0. 資本主義 社會 にに 勞働 者と 資本家の 二つの 階級が 最も 有力な 利害の 相反す る 

階級と して 存在す る。. この 點か 資本 主; 翁の 重要な 罅 隙で あろ。 この 二つの 點 から 資本主義の 制度 は 必然的に 崩壊し な 

けれ はならない ので ある。 (§lio 即ち 本 一教 ir 教生 產の結 「資本 の 數は减 少し、 勞働 者の 数は增 加し、 その 人數程 



22 



急速で ない が • それと 共に 努働 者の ンリ ダリ テは增 加す る。 資本家と 勞蠛 者-の 差別 は 《41 々著しくなる" 故に資本主^« 

の發! ^は 必然的に 階級^ 爭卽ち 共産主義 革へ 叩 へ と 導かれる。」 ( §17). 

この 狀 is 最近に おいて しぐな. りつ i ある。 これ は舍 融資 本の 支配 權の 增大 である。 卽ち 二三の 金融資本 家 

の 支配 下にす ベての 生產 業が 從展 しつ. - ある 狀 態で ある。 各國の 生産者 は自國 C における 自由 競爭を 避ける ために 企 

業 合同 もしくは 企業 聯合 を 企てた。 舍融 資本家 はこの 企業合同 また 聯合 を 支配す る ことによって * 自國內 における 生 

產の無 攻府狀 態 を IS 減した。 自國內 における 競 爭の輕 減 は絕對 的の 競爭 の廢絕 ではない。 金融資本 自國內 の 競 爭に代 

へ 、るのに 對外國 と S 競爭を 以てし 4^。 さう して これに 對 する 政策と して は關税 と帝國 主義と を 摩け る ことが 出来る。 

卽ち 自國內 における 外國 品の 競爭 を抑壓 する ための 闢税と 他 國に對 する 販路 擴 張の ための 帝國 主義 的戰爭 である。 何 

となれば, 國 外に 對 する 資本の 輸出 は 必然的に 資本 保護の ために 强大な 軍隊な 必要と する からで ある。 さう して この 

目的 を 貫徹す るた めに は 二 國 の軍國 主義 化 を 必要と する。 列國 の財攻 における 軍事費の 增加は 有力に この こと を 物語 

る ものである。 さ、? J て 1 九 一 四 年 1 1 九 1 八 年に おける 歐 洲大戰 はこの 國際的 資本 競爭の 直接 產物 である。 この 

欧洲 大戦 爭は 更らに 資本主義の 發達を 極度まで 發展 せしめた ので ある。 從 前の 戰爭 はた r 金の 問題であった。 ナボレ 

オンが 第 1 に 金- 第二に 金、 第三と 云った の は 這 般の間 題 を說 明した ものに 過ぎない。 然るに 近時の 戰爭は 國を舉 ゆ 

ての 戰爭 である。 軍に 金の 問題 のみでな く、 同時に 組織の 問題で ある。 た 全然 生 i 闞の 集中に よっての み 戰爭は 

可能と なった。 更- ちに 一 の 必要 條件は 生 產機關 の 集中 は 軍需品の 生産の ためせら る. - ことで あり、 且つ 生產 5箪|而 

品への 集中 は 他の 生産 部面に おける 荒廢を 意味し、 材料 品の 浪費 を 意味す る。 これと 共に 、戦時中と 云 ふ 名目の 下 

に 勞働者 側に 對 して 著しい 抑. 壓を 加へ る ことになるの である。 「戰 時產 業の 地位 は 石炭、 鐵、 その他の 必要 材料の 缺乏 

のために 危機に 瀕した。 世界の すべての 國家は 一 の アメリカ を 除いて は, 完全に 貧窮に 陷 つた" 饉餓と 破壞と 寒氣ど 

が 全世界 を 侵略した。 勞働者 は 特に この 困窮に 惱ん. た。 彼等 はこれ に 封して 抗議の 申立 をし やうと 努力した。 けれど 

も 彼等の 前に は、 すべての 權 力.^ 有する ブル ジョ ァ國 家が ゐた, ので ある。 すべての 國家 において 勞働者 階极は 未だ 嘗 



.1 



てな き w< 迫 を 蒙った o 癸 S 者 同盟 IS ェ權を 奪 はれた 許りでなく, 等が これに sSl して 如何に 僅少な 沆議. つた 

場合に おいても, 無慈悲に も抑遯 された ので ある。 かくて 資本主義の 專制は 階級 間の 入亂 へと 導いた の. である。」 

三 

資本主義 的 生産に 內在 する 矛盾に 始 つて * 帝國 主義 的 世界 市場の 護 得に 終る 資本主義 生 產の發 展をブ ハ リ ン の 云 ふ 

通り 承認 するとしても、 (資本 集中に 關 する ェヅ ュヮァ ベ ルン シュ タイン の 批評の 如き はしば らく 惜 いて〕 資本主義 

度の 最も 發 達した 英* 米に 革命 か 起らないで, 反って ロシアに 社會 主義 革命の 起って ゐる 事情 を說 明す ろ ことが 出 

來 ない そこで n ン., ^ユニス トは 資本主義 生産に 附隨 する 現象 1- 卽ち 資本主義 制. M を 保護す る ブル ジョ アジ ー の.^ 

と 云 ふこと を舉 けて 來る。 次に この 點に關 する コ ン ミ ュ 二 ストの 說 明を閒 きたいと 思 ふ。 

ブ ハリンが 資本主義の 成 熱と 社會 主義 革命の 關係を 飽くまで 保持し やうと する に 針して、 力 アル • ラデックの 態度 は 

f、J の 關係を 5 調し ない (否 彼 はこの 豳係を 否定す るので ある。 曰く、 「口 シャ 革命の 經驗は 資本主義の 最も 發 達して ゐる 

ところに 社會 主義 革命 は 始まる もので ない こと を 吾-々 に 語った」 と。 ラデック は社會 主義の 勝利 は 生産力の 

锼展- 一依 芋して ゐ て、 資本主義が 全國に 普及して から 以後に おいての み 確保され ると する 說を マル クシ ズムの 「改惡 

された 解釋」 として ゐる。 (S.12) かくの 如く ラデック は 唯 物 史觀的 見解 を 斥けて、 かくの 如き は マルクス 說を 以て 

統計的 見薛 でありと し、 または 算術の 問題と する に 均しい 愚昧で あると する。 「統計表に よって 民衆に 社會 主義 革命の 

不可能 を 知らし める もの は * 彼が マルキシズム ス に 就いて 何もの も 理解して るない こと を 示す ので ある。」 「この マル 

チシ ズ ム ス の 化石 化は賓 本 主義の 平和的 發 達なる 事に よって 說明 せらる ベ き マルキン ズ ムス の 精神に 對 する 罪 惡 であ 

も。」 <J/ 

, おらば- 何故に 最も 貸本 主義の 進歩し. ぉ國 において 社會 主義 革命 は 起らない ので あら ラか。 資本主義の 發展 と共に 

ブル ジョ アジ— は 强大な 國家權 力 を その 手中に 收 める。 - さう して 資本主義の 防禦 戰を 勇敢に 行 ふこと になる。 從 つて 



r4 



封 主驗の 戰鬪は 益々 惡戰苦 SI た ざら る を 得ない からで ある。 社會 主義 革へ 叩 は 資本家 階級に 對 して 未だ 嘗て あら ざ 

る特 權を與 へた 全 IK 本 主義 的經濟 方法 を變 革し なければ ならない ので、 鐵を 以ての み 打ち破ぶ る ことが 出来る や 5 な 

最も 强 力な この 階級の 反抗 を 惹起す る。 さう して 資本主義が 一 國 において 强 力に 發 達して るれば るる ほど ブ ロレ タリ 

プ. I トに對 すろ 防禦 戰は、 ; S 々無遠慮と なり, ま々 强暴 となり、 プロレタリア I ト 革命 は 念々 流血 的と なり、 勝利 を 

得た 勞働者 階級 を その 抑壓 すべき 施設 は i ぬ々 無遠慮と なる。. KS.17」 かくの 如き 場合 は诀 して 社會 主義 革命が 容易に 起 

り 得らと ころで はない ので ある。 ブハリ 一一 も 資本主義の 最も 進歩した 諳國 における 革命が 資本家の 强 力な^ 杭に よつ 

て 盆々 狂暴なる べき こと を 主張す る。 (§.33) . 

然 らば 何 處に社 曾 主義 革命 は 起る ので あらう か 。ラデック は 答へ て 云 ふ 「資本 主 幾から 社會 主義への 變遷は 次の ゃラ 

な 接合に 始まる。 資本 的 社會が 民衆の 生活の 靜な步 み を 破 壌し、 資本の 支配に 對 して 杭 爭 する やう な^み を與 へた 時 

卽ち 資本 的 湾に よって 形成され た閼 保が 最早 民衆の 酎え 得ざる に 至ろ ときこれ である。 ある 一 國 において 資本主義 

が 非常に 發 達し、 產$^{の最も重耍な,部:.^、 信用 並に 交通が 資本 的の 集中 的の、 圑體の 掌中に ある ときには. ブ ロレ タ 

ァ I トは產 業 交通 並に 信 川 を その 手中に — 勝利 的な 國家植 力と して 組織され た プロレタリア I トの 手中に 置く こ 

とが 可能で あるし- また これ を耍 求し なければ ならない. KS.13) 別の 言 一 架を以 つて 云へば T 社會 主義 的 革命 は 資本 主 

^的飢 US 弱い 資本 W 義國に 最初に 起る。 最も 非 組織的,:、 抑 應機關 か 持って るる 資本主義 國 は社會 主義の 發點 である 

そこに 社會主 革命 は 始まる o」 (8.15) ブ ハリン は ある 制限した 意味に おいて この 意見 を 採って るる。 彼れ によると 

^-シァにぉぃて革命の起ったことはロシァの資本家階級が他國のそれに比して|^弱でぁったことと、 ^^11 を缺 いて, 

たこと によるので ある。 けれども ブ ハリン はこれ が ある 故に ロシャ 革命 を 最も 典型的 革命と する もので はない。 彼 は 

曰 ふ シャ において は 革命 は 資本 主 の發 達が 低 皮であった ために 起った。 乍然 この 弱 點卽ち ロシアが のブ ロレ タリ 

,ァ| トが 人口の 少 部分 を 占め、 多数の 小 商人が 存在す る, V 云 ふ 赏か * 共産主義の siss^ 截を組 絵す るの を 困難なら 

しめたの であ も。. 



四 

共產 主義者 は 資本主義の 成煞と 云 ふ 要素の み を 以て は、 社會 主義 革命、 少く とも ロシア 社會 主義 革命 を說 明す る 二 

と は出來 なかった。 こ. - において 資木 主義の 成熟して るない 處 でも、 もし 資本 義主 組織と 防禦 力との 弱い 場合に は 社 

會 主義 革命の 可能性が あ, ると した パブ ハリン) ラデック は 資本主義の 諸闢 保が ブ " レタ リア ー トの 耐えざる に 至る と 

きに 社會 主義 革命 は 起る こと を 主 is^ し ブロ卞 タ リア I トの 必理狀 能」: に だしく 重要性 を 認めて ゐる。 さう して 彼 は 明 

かに 資本主義の 生産力の 最高 頂に 達した ときに お いての み社會 主義の 革 A 叩が 來 るべ しとす る 唯 物 史觀的 見解 を 斥けて 

るるので あ, る。 

力 アルマ ルクスの 諸 著に 現 はれて ゐろ 根本 思想が 唯物史観 であろ こと は 本文の 始めにお いて これ を 述べた が、 共產 

主義者が その 信奉者で あり、 實 行者で あると して ゐろ 共產黨 宣言に 就いての み 云っても、 均しく 唯 物お 觀的 見解の 上に 

立って ゐる。 同書の 第一章 は無產 階級の 不可避 を論證 した ものであるが、 その 甚礎倏 件と して 資. H 主義の 高度の 發達 

を 以てして ゐ .00 資本の 蓄積と 集中と 人口の 大多数が ブ 口 レ タ リア ー トに陷 ち 入る ことによって、 「のみ 大多数の 利益 

のために する 大多 敎の獨 立の 連動」 なる ブ レ タ リアの 運動が 可能と なる ので ある。 「如何なる 國 においても 行爲 とし 

ての 革命 は 人口の 多數 によって 始められない」 (S.17) と 云 ふ ラデックの 言 水 は 共產黨 宣言の 云 ふところと 明かに 相違 

して ゐる 私 はこ., -で 共產黨 宣言が 正しくして、 ラデックの 云 ふところが 誤りで あると 云 ふので はない。 た^ ラデッ 

クの云 ふところと 共 產黨宜 言の 云 ふところと はかくの 如き 差異が あると 云 ふに 過ぎない。 さう して かくの 如き 差異の 

存 する にも 不拘、 彼等が 吾々 のみ 眞 正の マル キ シス ト だと 云 ふの 理. Q を發 見し 得ない ので ある。 

吾々 の 見る ところに よれば, 革命が 當 時の 社會關 係に 耐え 得 なくなった 階級に よって 起される と 云 ふだけ ならば • 

これ を 承認す ざこと. か出来る。 た, これ を 以て マルキン ズ ム だと 云 ふこと は 得ないで あらう。 社會 主義 革へ 叩の 諸條件 

は 箪^な もので はない。 私 はこの ことに 就いて 別の 機會 において 述べた ことがあ るから、 (表現 八月 號 拙稿 「社會 主義 

革命の 諸條 件」)、 J に 繰り返す 必要 はな い。 た.^ 私 は マルクス の 主張す る社會 主義 革命 は 資本主義の 最も 發 達した と 

^1 ころに おいての み 行 はれる と 云 ふ 意味で あり、 以上 要約して 紹介した コ ンミュ 一一 ストの 意見 (殊に ラデック) は 明かに 

V, ,ル キシ ズムの 見解と 1 致せす と 云 ふこと を 主張す るた めに 本稿 を 起した ので ある o( 1 九 ニニ • 1 1 1 哲 1 1) 



丄 、ソレルの 山川 小 泉 論爭觀 

, サン ヂカ リストの マルクス 批評 

「改造」 の 二 號に現 はれた 小 泉 信 三 氏の r 勞働憤 値說と 平均 利潤率の 問題」 が 導火線と なって 喚起され た 同氏 對 山川 

. 均 氏の マルクス 憤 値 理論に 關 すろ 論爭 は, 空前の 龍卷 を學, 侮に 惹起し.、 餘波は 遠く 飛んで 社 會に反 饗 する の 盛 觀を呈 

した。 (週 刑 朝日、 七月 十 六日 號) 況んゃ 七月の 「改造」 に 於て 答へ た 辛辣 極まる 小 泉 氏の 逆 戦に 對 し, 更に 山川 氏の 陴 

營に は、 再攻 庫に 必勝 を 期し 得べき 有 ゆる 謀計と 準備との 成れる を 信すべき 充分の 理由が ある。 謂 ゆる 「知識」 に锇 

. ゑた 我 國の諝 書 子は釗 目して 戦場の 結 鬼 を 待つべき であらう。 

所で 私から 見れば、 兩 氏の 論戦の 容には 何等の 新しい ものがない。 一 方が ベ ェム • バズ ルク、 ッゥ ガン • バラ ノウ 

ス ヰの 古城に 立 龍って マ ルクス 說. 底に 沈める に 成功 すれば、 他の 一 方で は ルイス • ブゥ, チン • ガブ リ ェ ル *ド# ィ 

ルの堅 《&• に據 つて 其の 殘骸を 海底より 奪 ひ、 人工呼吸 を 以て あはよ く. は 彼 を 蘇生せ しめんと する に 汲汲たり で、 與に 

偕に 全く 三十 年來 マ ル クス 文學の 上に 行 はれて 來た兩 派 —— マ ル クス 直系と 自稱 する 謂 ゆる 科學 的社會 主義者と そ 

の ブル ジ ユア 的 批評家 I の 戦術 を 其 儘 蹈襲して ゐ る ことば 遺憾で ある。 小 泉 氏に しても、 氏が 經濟學 おの 專攻 者で 

あり 特に マ ルクス 說 に通曉 して ゐ ると 稱 せられる からに は、 尠くとも その 價爐现 論に 對 する 批評 を爲 すに 常って.^ - 

只 1 二べ. ェ ムたパ >1 ルクの 徒 を 引用す る のみでな しに、 夙に マルクス^ 濟論に 就て 新しい 見解 を 表明して ゐた 左^ 社會 

主義 舉派 (とも 云 ふべき 人人)、 譬 へば 伊の アル ッロ • ラブ リオ ラ、 佛の クリスチャン *コ ルネ リセ ン 諸家の 批評に も. 

ilUi 廣く 答へ るべき 義務がなかった であらう か? 何と なれば 以上の 諸家 は 一介の 經 濟理、 I 家た るに 止ら す、 何れも 

その背後に拉典民^獨自の社會思想を中心と^?革命的勞働蓮動を卒ゐてゐたからでぁも:。 



27 



次に 山川 氏に も敢て 苦言 を呈す こと を容 して 貰へ るなら ば, 何人で あれ マ ルクス 資本論に 對 して 僅かで も 非難 を 放 

つもの あれば, 彼 は 一箇の ブル ジ ユア、 資本主義の 代 辯 者、 自由主義の 御 S 舉者 として 氏の 白 薦 に は 反映す るかの 觀 

が 5 る。 勞働攬 値說と 平. ST 利潤率と は 相容れない と斷言 する もの は ブル ジ ュ ァでぁる、御卬學^|«でぁる、小泉钕授でぁ 

る! そこまで はよ ろしい としても、 若し マルクス の眞 の學 徒にして、 或は マ ル ク スを眞にfg^^」すると稱するものにし 

て- 1^.1^4 の抽. egsB は 全然 失敗の 勞作 であ f^. 「人 SI 神の 偉大な ろ 創意で ある」 ^¥ 憤 舉は i 一川の 麼物 である 

絕 4 する ものが めれば、 如何なる 態度 を 取られる ので あるか? 平常 は 極めて 冷靜 なる 頭腦? 持主で ある 氏に も 似 

す、 I 度資、 本、: iiF 、り圓 光に 放射され ると 氏の 理性 は 全く 鄕 して、 ソレ ルの謂 ゆる 「科舉 的」 社會 主義の 「穴.^ 恕的」 分 

子が 活躍 を 始める。 の 空想的 分子 は 小 泉 氏 を 是非とも ブル ジ ユア 御 ffl 學者に 祭り 上け なくて は.^ 知が 出 來ぬ。 その 

爲には 勢 ひ 小 泉 氏に 封す る 勇猛に して 痛 極まる 皮肉が 进 出せざる を 得ない。 これが 亦た 小 泉 氏を醖 つて 辛辣な 諷刺 

を 衷に藏 した YlrtBC なる 方程式 を 案出す るに 到らし める。 小 泉 氏 は 山川 氏が 支拂. is の 借金の 言譯 のために 一社 會 

主義 研究」 五 frr 號に 載せた 長文 は 千 九十 二字に 及ぶ と 御苦勞 にも 計^され たが、 此の 長長しい 兩 氏の^ 戦が 終結 を告 

ける に 至る までに は、 總計 f ベ 堂堂 一 萬 言の; 51 集 を 成す ことで あら ラ。 ゾ レ ルの 口吻 を學 ベば、 「科學 的社會 主義の 

騎. H の 面 力 は 自分 達が こんなに 澤 山の インク. 哲舉 S 遊戯に 消費した と は 信す る ことが 出來 ないだら う。」 尤も 否 

味と 當察 りと:^ 探し, H 揚 足取りに 懇 けて は 近来の 檁作 であろ 兩 氏の 論文 は、 アイ 口 ニイ は 哲學の 窮極の 言棄 とならな 

ければ ならぬ と 主張した ルナンから れば、 立派な 哲學 になって ゐ るの かも 知れぬ。 

マレ ダス 批評家の タぇフ に は、 ド# ィル. ゥンタ アマ ン、 ブゥダンなどのゃぅに何處までも師の學^^を掩護しょぅ 

とする 所謂 正統 マルクス 波と, べェム • パ ヹルク 、トォ マス • マ. サリュ イク、 ッゥ ガン • バラ ノウ スキ などの 如く 自. e な 立 

から マ ル クス說 を 比 評しようと いふ 所謂 ブ ル ジ ュ ァ舉 者の 一 圑 とめ 外に、 も、 フ 一 つ 左翼から 忌 揮な く 批評す る 一 ^ 

が あると 云 ふこと が 出来る C 革命 派サ ン. チカ リス ム 及び 無 玫府コ ン i ュ 二 ス ムの 理論家 は 此の 範嘻 に屬 する つ 玆では 

主として, マルクス 信 植理綸 おけ を 批評の 主 超と して 論じた 此の方 面の 著書 を舉 けて よう。 . 



先づァナァキストの^;:^場からマ ルクス儇敏理論を論^したものに^^なる Chr. G6rn41i§n, Th6orie de I, 

c valeDr. R か futation de? the、orleB de Kofrtus, wall Marx, Stanley Jevons et Jshm.Bawerk. Paris, 1904. 1913. 

(Theorie der waarde.:Kritiek op de theories vs Ko や ertus, te:arl Marx, Stanley Jevons en v. B6be ち- Bawerk. 

Amsterdam, 1904y か ある。 著者 コ ル ネリ セン は 亦た: En umrche vers la social nouvelle, Paris, 1900. G 作者と して 

無政府- M 內の 有力な 鬪將 であるが, 前に 拐け た惯 ig 論の 著に 依て 經擠舉 者と して 1 1^ 有名で ある。 此の 大著に 對 する 

小 泉敎授 あたりの 批評 を 聞きたい もの だ。 

に サン, チカ リストからの マルクス 價値 論に 對 する 代表的 批評家と して ジョ ルジォ • ソレル 及び 彼の 高弟 アル ッロ • 

ラブ リ オラの 二人 を舉 ゆる ことが 出來 る; > ソレル は已に 十九 世紀の 末 J^、 それぞれ 佛、 伊、 獨の 專門雜 誌に マルクス 

憤 値 論に 就ての 自家の 見解 を發 表して ゐ, る。 卽ち 左の 如し I 

•C Sorel, Sur la th^rie maxiste <le.la v ゆ leur. (Journ. d Boonom, 1897, mai し 

G.Sqrel, Ueher &e marx、sch,e weFttheorie* (socialst. monatshefte, 1,1897. ) 

G, Sorel,. Nuovi contribute alia teoria marxistioa del valore.(Gioi.u degli Economisti, :1898, luglio.) 

次に アル ッ 口 • ラブ リオ ラはサ ン . チカ リス ム の 理論家た ると 同時に、 伊太利 有数の 經濟學 者で あるから、 夙に 一, ル ク 

ス惯値 論に 注目し、 例の 平均 利潤率の 問 超 を も 論じ、 此 等に 閼 して 諸 雜 誌に 現れた 論文 も 相當に 多い 卽ち • 

Arti, Labriola,!! 

1. L-e conclusioni postuse di Marx sulla teoria del valore. oon postilla della dircyione. TCritiea Bociale, V, 1895) 

2. ;La teoria marxista del valore e ii aaggio medio del proffito. (critica Sociale, V, 1895.) 

3. La teoria marxista del valcre. (Riforma Sociale, 1897.) 

右の 外.、 見落して はならぬ 霜 立した 彼の 著書が ニ册 ある. - . 

r :U ucti* del valore & Q. Marx, studio Bol ! p libs del capital. Palermo, 1899. 



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5, Marx nelrEoonomia e come toerioo del socialiBmo, Lugano, 1908. 

以上の 二 害 は ラブ リオ ヲの マル クス憤 JS1 觀 ひいては ラブ タ オラ 自身の 經、 濟體系 を 窺 ふ 上から 云って 最も 重要な も 

の だが、 生憎く 今日 伊太利で 絕版 になって ゐる。 尤も 此の 最後に 揭 ゆた 經濟學 に 於け ろ マ-入 クス 並び、 に 、會 主義の 理 

ii がいい ト§ "わい" は 1 九 1 年 * ソレル 門下の 逸足 ヱドヮ アル つへ ルトに 依て 經濟舉 者社會 主義 若 力 アル マ ル ク 

、ス なろ 表 超 5- 下に 佛譯 され e 里の リ#ェ ェ ル から S3 版され た。 此の 佛譯に は ソレルが 約 四十 頁に 一旦る マ ルクス 批評の 

序文 を 寄せて ゐ るが、 これが 亦た 大變 重要な もの だ" 一 般 に社會 思想家に は 警句 、風刺、 機智、 皮肉な どの 天分 を 多量に 

享 けてゐ るん のが 多い が、 特に 此の r サ ン * チカ リス ムの 純正 哲學 者」 の 如き は 最の最 たる もの だら ラ。 彼 は 此の 論文に 於 

て その 該博なる 知識の 蕴蓄を 傾けて 糙 父の 炔 探しに 全力 を挪 つて ゐて、 吾々 „ ^マ ル クシ スト をして Si ま 快哉 を 叫ばし 

むる ものが あろ。 曾て 瑞 西の. サイべ ル敎授 が 彼の リエ 二 ンは 亡命 中 ソレルの 著書に 耽溺して 思想 上 實行上 その^ 化 を 

受けた こと は 夥しい と 書いた の をソレ ル 自ら 修正して、 リエ 二 ンが 或は 余の 思想 を 採り 容れ たか も 知わぬ が、 若し 余の 

思想で 彼に 役立つ 部分が あつたと したら、 それ は 余が ブル ウド ンの 戰爭と 平和から 繼 承した 思想に 相違 あるまい と 首 

つて ゐる f2 り は (sorel. Reflexions Bur la violence, edition de 1820, Plaidoyer pour 1-enine.) ソ レ ル其人 G 哲學カ 

マルクス を 祖述す ると 云 ふより は それ 以上に ブル ウド ンの 嫡子で ある こと を 吾々 に 首肯させる。 そこで マ ル ク ス 直系 

を 自任して もられろ 山川 先生と して は 「ソレル も 近頃 老耄れ たね」 とか 「ソレル も 近頃 はちつ とも 擬 はない ね」 とか 

云 はれる の は 甚だ 道理に 適って るる 譯だ。 尤も 此の 七十 五 歳の (Agostino Lanzillo, Giorgio Sorel. Kc.i 191P 

に は ソレル 自身の ピ ettera autobiografica が附 いて ゐる。 それに 依る と、 余 は 1 八 四 七 年 十 1 月 二日 シェ ルブ ウルに 

生る と ある) 老義 隠居が 昨年 I>e rutilit^ du prag ョ atiie とい ふ責 重な 哲學 上の 著述 を 創作した の だから 吾々 碌 

に 翻譯さ へ 出來 すに ごろくして ゐるパ ラシ イト の 類は慚 死す るの が本當 なのか も 知れな い。 

餘談 はさて 置き * 以下に 揭? I- する^ は、 ラブ リ オラの マルクス 研究の 佛譯 へ. 序文と して 翁 稿した ソレルの マルクス 

批評の 全文で ある。 ソ レ ルは 山川 針 小 泉の 大 Jl 爭に 於て £1 接で は あるが れ へ 勝利 扇 を 上け るで あらう か? ^ 



らく 何方へ も 園 扇 を锡 ゆまい と 思 はれる が • 若し 勝負が あつたと したら * 卽ち預 りと なったら. 餘儀 なく 小 泉 先生へ 

§ - 〇 屋を 山川 先生へ <3屋 を與へ はしない たらう か。 小 泉 氏は豫 P せざる 方面よりの 救援 を 得て 恐らく 苦笑 を! S ら さざる 

を 得な いだちう" 

■ y レルの 文章 は 相當に 難解 だと 稱 せられて をる. 上、 氽の 淺舉を 以てして は, SI ま? 譯な きを 保し 難から う。 けれど 

も 中に 引用され た 書 は * その 大部分に 就て 余 も 亦 親しく 原書と 參 照した こと を附 加へ て 言って 置く〕 (九月 十三 日 

杳掛星 野に て、 エリ ゼニ郞 )- 

:) 

此の 約 三十 年以來 マルクスの 學說 を宣傳 したり 註釋 したり 或は 反駁した りする 爲に、 非常に 澤 山の 論評が 書かれた 

が • その 中には 人氣 取り^ 通俗化に 終ろ もの も あれば、 又た 堂堂と 科學 的の 態度 を. 装って ゐ ろの も ある。 けれども 一 

般に、 貼 問で は 此等① 理論の 知識が 此の 批評の 浪費に 依て 大いに 普及した と は 認めて ゐ ない。 予 がその 爲に 此の 序文 を 

書く 本書 は、 決定的な 歸 結に 到達す るに 相違な. いやう に 見える 1 つの 造 を m-KBS^ に 開いて ゐる。 著 害 は 往往 あの 不 

思議な 經濟問 超の 取扱 方 を マ ル タスに 强 いて ゐる儷 執の 起原 を フォイ ァ アバ ッ ハ $ca. のうちに 探求すべき こと を 吾々 

に钕 へて ゐる。 而 して, 他方で は • 社會 主義: S 動 を 1 層よ く 理解す るた めに、 吾々 が マルクスの^ 覺 から 引出さな け 

れ ばなら ぬ砍^ ヶ-、 著^|?1は限定してゐる。 最後に吾々は彼等の政策.^の必1"に應じて社會;1^-主^1|5人人に侬.し製.ぉさ 

れた 例の 傅統 的な > ルクス 說 から 釋 放される こと を 望む こと バ:! 出 來る。 吾々 は鵃 て, そ £ 思 や-の 發展 のうちに 本 (。3-」 

現 はれろ 通りに * マ ルクス を 考察す る ことが 出來る やうになる だら う。 

ァ ルツ ラブ リオ, ラの說 明、 假說、 及び 個人的 見解 は、 著者の 甚. れ 特別な 舉識 上の地位から 推しても * 鑑, 11 ある 人 

人の 住 意 を惹く 價磁が ある。 彼 は 啻に 歐洲 社會 主義 思想の 最も £ 威 ある 代表者の 一人で あるば かりで ない。 ナ ぶリ大 

C- に ズて 經濟學 を敎授 してる る 人で ある。 吾々 は 斯樣な 事象 を佛菌 西で は 殆んど 理解す る ことが 出來 ないだら、 プ。 赏 



際、 吾々 は 此の 隊 腐な 經 濟舉践 — それに 隨 ふと 經濟學 は 平和の 術策に 依て 彼等の 國土 を繁榮 させよ 5 とする 政 麻 者 

を 啓 發 する 爲に S ゐら るべき である-. いふ II を實 によく 噩 it して ゐる。 斯 樣な觀 方は國 家の 實地を 指導すべき 運命 

を擔 つ. U 舉 問 の 品位 や 最高 度にまで 上 ゆると いふ 結 21- に 立 到る おらう と 或 人 は 想像す るか も 知れぬ が * 然し 乍ら 實際 

は、 純理 上の 命 g| は、 色色の 社會學 派. か沒. 娘して ゐる 綱領に 封して 適宜に 安排 されて ゐる。 で 自由貿易 を 主張す る經 

濟舉が あるかと 思へば, 保護. M 易 をカ辫 すろ 經濟舉 も あろ。 個人主義の 經濟樂 も あれば、 干渉 主義の 經濟舉 も あり * 

革 ふ 叩 主義 (一) の 經濟學 も ある。 更に 又- 傅統 主義の 經濟舉 が あれば、 唯物論に 基く 經濟學 あり、 他方に は 基督 敎 的の 

經済舉 も ある ふ 云った 調子で あろ。 

(一) 一七 八 九 年の is- 則に 一 致 するとい ふ 意味に 於ての み 革命 主義で ある" 

伊太利 は 純粹に 公平な^ 究の 非常に 古い 傳統を 有って ゐる國 土で ある。 考古學 や、 藝術^^ゃ、 文献 學が 何時も アル 

ブスの 彼方の 熱情 を 以て 研究され て來 たの も 良に 故 ある 譯 である。 だから 伊太利 人が、 種種の 政策と は沒 交渉で ある 

今日 謂 ふ 所の 純瑰經 濟學ふ 厚意 を 以て 迎 へ たこと は に 當然 であった。 マ フエ ォ* パン タレ ォニ は 新しい 敎 育の 傾向の 

特質 を 最も 善く 摩け た。 卽ち 1 八 九 七 年 十月 1 1 十一 一日 * 彼はジ ュ ネ ェ グ大舉 に 於け る 開講の 辞に 於て、 次の やうに 述べ 

た0「 余 は、 恐らく、 余が 如: 1: なろ 舉派 にも 愿 してるな いこと, 又 余の 工房から 來る やうな 舉設は 生憎 一 つも 持 合せて 居 

ない こと を 諸君に 告白す る ことに 依て、 自己流の 鄙見 を 諸君に 開陴 する だら う。 恐らく、 余 は 更に 經濟學 には舉 派が 

ない と 云 ふこと を 附言 する ことに 依て、 諸君 を 立腹させる だら う。」 こんな 意見が 公然と 行 はれて ゐる 大舉の 境涯に 生 

活 する 人人 は • 資本 諭のう ちに 其の 著者の 真正の 思想 を 探求す る 上から 見て、 佛蘭西 や 獨 逸の 著述家よりも すっと 適 

任で ある * 

バス チアの 著書のう ちに 眞 の經濟 * 原論 を 見出した 積り になって るる やうな 連中に マ ル ク ス舉說 の 正當な 評價を 要す 

S3 する ことが 出来ぬ の は 明白 だ。 # ルフレ t-i パレ トォ は、 パス チアの 體 系は偷 輝. 的 ユウ トビ ァを 構成す ろ ものであって 

.【 その 中には 相當に 正確な 或 種の 分析が 含まれて は 居る が、 然し 1 般に今 BS&ST 犰究に 於て 要求され てゐる 厳密と いふ 



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點か炔 けて ゐ ると 指摘した。 此の 口 ォ. サン ヌの 名高い 大舉敎 投の論 にも 拘ら す、 我が 佛!! 民の 大多数 は敢て 此の 

i 想ぎ を 正統 經 SS の 名 を 以て 呼ぶ 、 〕 とを辭 さな いので ある )1 

r 1 )vilfredo Pareto, Los syst6mes sooialistes, tome H, !*p.4G—66. 一 九 〇 九 年 一 一月 一 一十 五日、 勞 働の 目 由に 關 

して i 繭 西 iaasl で 行 はれた 討論に 於て、 一 人と して 正統 經濟學 の 名で 批評され たもの の 空 相. 尚 性質 を 指摘した 

ものがなかった。 

我國の 法科 大舉に 於け る 敎育は 通例、 純理 經 ssf の 精神から 出来るだけ 離れた 精神で 敎 導され て 居る。 放任して sa 

けば、 血氣に 任せて 絕對の 解決の 方へ 走る かも 知れない 舉生 を、 社 首 上の 詭辯 を 弄する に 適した、 賢明な 政略家に 作 

り 上け るた めに、 自分 達は國 家から 俸給 を 貰って ゐ るの だと 敎授連 は 信じて るる。 そこで 彼等 は孜孜 として 學 生に 吹 

き 込んで ゐる —— 社會主 一お は、: 餘 りに 自家 撞 著の 革命 を豫 想す る もの だから、 決して 是認して はならぬ。 けれども、 

そラ かと 云って 進化の 美 を 理解し ないやうな 淺狹な 保守 論者に も追從 して はならぬ。 解 5- すべき 大問趙 は, それ 程- ® 

抗を 惹起さない 中庸の 解決 を 見出す ことに 依て、 馬鹿者が より 高き 正義の 理想と 呼んで ゐる ものの 方へ、 全く 平穩無 

事に 社會を 嚮導す る ことで あると。 

マル. タスの 著述に 沒 頭して ゐ ろ社會 主義者 は、 殆んど 1 人殘ら す. - 多くの 權威 者が 彼等に 與 へた 惡 例に 從 つた。 彼 

等 は それに 據て 彼等の 運動 を 辯 正し 得る 特別な 經濟學 の 必要が あると 信じた。 彼等 は 此の先 人 見に 捉 はれて 資本論 を 

説, した。 彼等に 隨 ふと, 此の 書 は 社 會舉史 に 於て、 一一 ゥ トンの 原理 論が 物理 舉史に 於て 占めたと 等しい 重要な 地位 

を 占める ものであると。 彼等 は縱し 多くの 敎授 連が マルクスの 與 へた 經濟 上の 證 明に 反 對 したと しても * それ は此 等 

の敎授 連が 資本主義の 消减を 必然に する 原因 をば 社會に 認識 させない やうに して、 それで 特權 階級 を 擁護し よ.. - とし 

たの だと 想像した。 世界の 將來 は社會 主義者が 第四階級の 利益 >^ 徒にし なくて は 批評す る ことが 出來 ないや ラな 時と 

して 恐ろしく 瞹昧な 或ろ 文句の 解 釋に懸 つて ゐる だら う。 

アルタ ラブ リオ ラ に^て は、 以上 述べた やうな 僻見 を 認める ことが 出來 ない。 然し 乍ら 彼 を 第四階級 革命の 敲で 



33 



あると 云って 非難す る こと は 至難で あら ラ0 そこで 社會 主義^. H を 以て. a ら任 して ふる 人人 は、 今迄 資本論の 註釋者 

に 向って 投 せられ ナ駭論 を 彼等が 檢 討した- 乂 上の 眞 面目 さで 彼のへ; I 题を儉 ^しな けれ. はならぬ だら う。 

(二) 

余 は、 資本論の 第三 卷が末 了の 儘に なった こと は、 思想 史家に は 非常に 幸運な 事 であると 考 へる。 誰でも. 第一 

卷に 含まれた 論 證は之 を、 猾な佾 侶 か 俗人に 糞 敬 念 を 起させる や 5 な 神秘の 姿を與 へんが に • 衣裳 や 装飾 や 覆 

面 やで 文り 立てた 磨 した as 像と 比 絞す る ことが 出來 はしない かと、 幾度で も 反問す る ことが 出來 る" 反對 に、 吾々 は 

第三 卷の 下書のお 蔭で, マ ル クスの 精神に は經濟 上の 事寳 がどう 映つ たかを 望見す る ことが 出來 る, - 

最 先に T 利潤率 低下の 傾向 法則」 を檢 討して 見よう。 とい ふ譯 は、 マ ルクス は 彼の^ 系 優越 を 目立た せる のに 特に 

適して るる ものと して 之を觀 たや. ひに 思 はれる からだ。 實際、 彼 は 云って ゐる、 r-.t- の 法^ は、 今 吾々 が說 明した 所に 

よると 簡單に 見える: U けに- 經濟舉 者に は それ を發兑 する ことが 不可能であった。 此の 兇暴な^ 象 は:! 仪寺 S 觀察ふ 一^ 

れ なかつ たけれ. ども、 彼等が それ を說 明す る爲に 試みた 企晝は 悉く 失. g し. u。 と は 云 ふ ものの、 吾々 が發 表した 法^ 

は アダム *ス ミス 以来の 有 ゆる 經濟舉 が 其の 解決に 沒 頭した 問1§ て あり 、又 種種の 舉 派の 間の 境界線の 基礎と なった SI 

超で あると 謂 ふこと が 出来ろ とい ふ 位、 資本主義 生産に とって は 最重耍 を 有する ものである。」 

資本論のう ちに 見出されろ; fi 證は 極めて 簡潔な もの だ? そは數 行に 係って ゐる T 活勞 働の 重^さ は, そが 使 する 

生產 手段に 體 現せられ て 居る 死勞 働に 比例して 間斷 なく 减少 する が 故に、 不 拂活勞 働の 分量、 卽ち餘 剩惯値 量 は總資 

本に 比例して 雜間 なく 減少せ ざる を 得ぬ は 明白で ある。 餘剩價 値と 總 資本 額との 間 の 比率が 利潤率の 表 であろ から 

刖ち 利潤率 は 漸次に 低减 せねば ならぬ"」 (capital, trad, franc, tome III, Ire Partie, PP. 2201230) 結局-マ ルクス 

と共に, 餘剩價 値 は 常に 勞 銀と 同 I の關 係に あると 云 ふこと を容 II さへ したら、 一 切が 自明の理に 歸 著して 仕舞 ふ。 

併し乍ら 此の 開 保の 恒久 不變 とい ふこと より 明 咬で ない こと はない。 第 一 卷の 「餘 剩憒値 率」 と 題す ろ 章 は マルクス 經 



34 



濟學の 重要な 要素で あるが、 其 處には 極く 僅かの 引證 しか 出て をらぬ ので ノ 驚かぬ もの はない ひ 此の 章 は 二つの 赏例 

を舉 けて あろ。 I は 一 八 一 五 年の r ジ ヤコ ブの 著蒈」 に^って、 保護貿易 制度の 治下に、 英吉利の 農業-か 運轉 した 條 

件に 闢 する ものであって、 餘剩價 値 率 は 當時十 割 を 極く 僅か 超過した であら、 フ。 他の 計算 は 一 八 七 一 年 四 尸の 一 週間 

に 於け る 一 萬 錘の 製絲 エ^の 報 北口 から 借用した もので、 當時は 十五 割 三分 八 厘 四 毛 を 葰 得した さう だ。 併し ェ ン ゲル 

スは、 第三 卷に 於て、 此の 週間 は 事情が 特別に 跳へ 向きであって、 綿花の 價检が 吊に 低くて 訪績絲 の 惯格か 吊に 

高かった と 吾々 に敎へ てるる。 (ご 11 もう 少し 溯って、 1 八 三 1 年に 露 西 亞のキ セ レ フ大 將がダ -1 ゥブ諸 國 に對し 

て 公布した 組 熾 的 規定 は、 11- 則と して 餘剩價 値 率が 箪に六 割 六 歩 六 厘 六 毛で ある やうに 賦役 を 定めた と 云 ふこと に 吾 

々の 注意 を 促して るる。 是は つ 英吉利の 工業 及び 農業 勞働 者の 勞働を 規定す る 率よりも 非常に 低」 率で ある。 (二) 

( 一 )capital, tome I, p.JM ct tome p Iri partie, pp. 58159. 此の 例外の 餘剩價 値 は三釗 三分 一 一 厘 八 毛の 利潤 

fes 當 する。 第三 卷の第 四窣は H ング ルスに 依て 編纂され た。 

(一 1) Capital, tomel, p. 一 102, col. 》 マルク ス. が 英吉利の 平均 率 を 十 割に 見 積った^ は 如何にも 尤もらしい • 彼の 

槪略 S 計算に 現 はれる の は 何時も 此の 率で ある。 

利潤率 は、 マルクス 文學に 於て 著名で ある 所の もう 一 つの 問 超 を 惹起した。 づ つと 以前の ことで あるが- 經濟舉 者 

は 利潤率 は 1 地方の 產 業の 全體に 於て, 齊 一 される 傾向が あると 云った。 一 時の 高率 利潤の 爲に、 益す 資本 を 吸引す 

る 企業に 於て は、 競爭が 愈よ 激しく 行 はれ- 之に 比して 有利で ない 企業に 於て は 競 爭.. か 衰退して 行く 傾向が ある。 そ 

こで 赁銀は 前者で は 騰貴し、 後者で は 下落す る。 斯 くの 如くに して、 若し 經濟が 算盤 珠の 如く 落着す ろ ものなら ば、 

利潤率 は 平均され る だら う。 併しな-から • 若し 餘剩價 値 率が 生産の 總 ての 部門 を 通じて 同 一 であると いふ ことな 容 

認 するならば、 產 業が 1. 部門に 他と 比較して 多くの 勞賃を 使用 すれば する ほど 利潤 は その 部門に 於て、 投下資本に 

比例して、 4 せす 大を 加へ るで あらう。 此の 時から して、 利潤率が 相互 平均し 得る とい ふこと は 不可能に 思 はれる ゥ 

1 t;^t< 五 年、 第二 卷の 宇玄の 終りに、 ェ, 一 クルス は B ォ、 トぺ ルッス の 門弟ら (彼等 は マルクス は 彼等の 師を 剽竊 した 



たの だと 難詰し.; に 向って 前記の 難問 超 を 解いて 見て はどう かと 勸 めた 。「だが 急いで 貰 はう」 と 彼 は附け 加へ. U" 

何故と いふに 間 もな. く 第三 卷の、 フ ちに マ ル タスが 叙述した 理論が 發 表される 害であって、 其 時 は どんなに か マルクス 

其 人が 彼の 論敏に 優越して ゐ るかが 分る だら、 フ から。 一八 九 四 年に、 第三 卷の 序文に 於て、 ヱ ンゲ ルス は 彼の 挑戦に 應 

へろ ために 提出され た 諸種の 說明を 論評して ゐ る。 彼 は 傲慢に、 も かなり 満足な 答案 を麝 した もの は 唯 二人の マルク 

ス 論者の みだった と證 言した。 彼 は 平均 利潤率に 就て 彼の 友が 書いた 章 は 人間 精神の 最も 美 はしき 創意の 一 つ をな す 

もの だと 明かに 確信した。 

然し 乍ら マルクス はェ ンゲ ルスが 斯樣に 得意と なって 公言した 解 诀を發 見した からと 云うて • 何も 自ら 多くの 誹謗 

を 引受けろ に は 及ばない。 彼 はかう 云った に 止まって ゐる。 寶 買され た價 格の 總和は 生産され た價 値の 總 和に 等しい 

と? ふこと、 惙格 は^ 對價 値より 低い こ ともあれば 高い こと も あろと いふ こと、 奢 買 は 利潤率が 相互に 平均す る やう 

こ 行 はれる ものであると 云 ふこと。 極めて 簡單な 計算で、 槪 略の 一 例に 就て、 如何に 此 等の 相殺が 行 はれ 得る かが 證 

明され も。 (1) 

(一 )capital, tome III, Ire partie, pp. 1601164. 

斩樣な 4^ 理 方法に 當 面する と, 何人も 經濟學 に 於け る 量の 使用の 問題に 就て マ ルクス は どんな 考を 抱いて ゐ たかを 

反問せ ざるな 得 なくなって 来る。 物理 學の 問題 を 論す ろ數學 者が そ を 理解す ろ 如く 彼が 此の 使用 を 理解し なかった こ 

と は 明白で ある。 量的 關係 は-彼に は 單に槪 略の、 遠い 或は 恐らく 象徴的な 徵 證を與 へる に恰 適した ものの やうに 思 は 

れ たらしい。 それ は 此の 量的 額 係が 非現實 的で あれば ある 程、 その 透明 さは 愈よ 大 となる からだ。 (一) 若し 吾々 に 

して 資本論の aas を 完全に 理解し 藎さ うと 思 ふなら、 此の 難解な 問題 を 研究す る ことが 肝要で ある だら う。 

( 一 ) 第一 卷の百 七十 六 頁. 1 1 行 目に、 此の 種の 推理の 甚だ 奇妙な 一 例 を 見出す ことが 出来る。 改良され た 機械 を 採 

用す る 資本家 は Tf: 取され る勞働 者の 比例 數の 減少 を 相對的 餘剩勞 働の みならす、 尙ほ絕 對的餘 剩勞働 S, 增 加に 

依て 補 ふために、 最も 1& 度の 暴 方 を 以て 本能 的に 勞働 間 を 延長す る や 5 に」 なる もの iu。 



36 



けれども^ 濟 學を眞 に 教理 的に 取扱 ふこと を 許す 方法に 就て、 一八 七 一年 以來 公に されて ゐ た、 あの やうに 周知の 

研究に 對 して マ ル クスが 全然 無關 心で あつたと は 不思議で はない か。 アル ッロ • ラブリ f ラは、 マルクス はジ イヴ ン ス 

の, 綸超 を識 つて 居た、 そして 資本論の 著者 は 新說は 彼の 學說 には缺 けて ゐる ある 新しい もの, を 產むカ を 持って るる こ 

と を 自認し. たので、 此の 大著 述を 中途に して 抛棄した の だと 見て ゐる。 ェ ンゲ ルス は、 甞て マルクスの 精神が 斯樣な 

疑惑に 驩 はれた と は 吾々 に へ. なかった から * 此の 說 明に 反 對 する ことが 出來 ない こと はない。 けれども 吾々 は、 ^ 

常に 多くの 實 例に 伎て, ェ ンゲ ルス. が マルクス-の 學 識 的 活動に 就て は犬變 惡ぃ證 人で ある こと を 知って, る。 マルク 

スは 彼の 健康が 許 なかった 爲に 一 八 七 〇 年から 一八 七 七 年まで 資本れ 1 の勞 作に 從事 しなかった。 此の 一 八 七 七 年 3 

春 彼 は 印刷に 附 する 爲に 第二 卷を編 冪すべく 努力した が、 一八 七 八 年の 七月に その 企て を拋 楽した。 エンゲルス は- 

第二 卷の 序文に 於て, マルクス は 彼の 死の 少し 前に、 彼の 友が 彼の 蒐集した 材料で 何 か 爲て貰 ひ 度い とい ふ 希望 を 彼 

の 娘の 1 人に 漏らした さう だと 吾々 に敎 へて ゐる。 だから マルクス は 彼が 殘 した 仕事に 針して 餘り 好感 を 抱いて ゐ な 

かったら しい。 して 見れば アル ッロ • ラブ リオ ラが 資本論の, 完成し なかった こと を 新しい 舉說の 出現から 生じた 失 sif 

落 膽に歸 したの も 尤もで ある。 

若し アル ッロ • ラブ リオ ラの 見解 を 承認す もなら. ば、 何故 マ ル クス がその 晚年 になって から、 カト ン が希臊 語み 舉び 

始めた 如く、 微積分 を 研究した かとい ふ 疑問が 氷解す る。 彼の 研究の 範圑は 少しも * 原理 や 越えて るない。 (一) 卽ち 

大 なる 興味 を與 へない 解析の 部分に 止まって ゐる" 果して 彼が 數理派 經濟學 者の 推論に 從ふ 準備 をす る ことが 必要で 

あると 信じなかった としたら;' 如何なる 目的で マ ル ク スが 自ら 進んで 此の 不愉快な 勞苦を 忍ぶ ことが 出來 たのが 更張 

り 分らない 話で ある。. 

(1)1 八 八 四 年 九月 十五 目の Journal des mconomistes のうちに、 ボ オル • ラフ アル グは マル タスに 依て 書かれた 徴 

積分に 閼 する 著作の 近刊 を 知らせた 。ァ ル ッ II* ラブ リオ ラは 此の 原稿 は 出版され なかった けれども、 その 中には 唯 

だ 研究者の 手控が 秘められて るるに 過ぎぬ と 云った。 資本論 を 書いた 時に、 マルクス は 二 項が 共に 零になる 比の 惽植 



を 求めろ 爲に 一 般に 用ゐる 方法に 就て 全く 明白な 觀念を 持って ゐ なかつ ぶに 遠 ひない こ.^ は、 第一 卷の百 三十 三 

頁 一行 目 を Is^ れば 誰に も 分る。 

ァ ルツ 口 • ラブ リオ ラの 巧妙な 假說を 檢證し 得る こと は 全く 與 味の ある こと だら う。 マ ル クスの 書簡の 衷に は、 ジィ 

グ ン スの 思想に 留保され た 未來に 就て 彼が どう 考へ たかを 吾々 が 知る こ. V が 出來ろ やうな 徵證か 秘められて るるとい 

ふこと は 如何にも 有り さ、?^ こと だ。 若し 此の 假說 にして 間違 ひがない としたら、 吾々 は 一人の 師の 精神と その 瞹昧 

な解說 者との 間に 1 般 によく 存在す る對 抗の顯 著な 一 例 を 得た 譯 である。 蓋し • ジ イヴ ン スの 理論の 無爲 無能 を 宣言 

する 爲に は、 箔附の マ ル ク ス舉 徒が そこら 港り に ざら に轉 がって ゐる。 

(三) 

社會 民主主義の 舉說を 言 ひ 表 はす 爲に 一 般に鑼 逸に 於て 用 ゐられ た科學 的社會 主義なる 術語 は、 マ ル クスの 著作に 

關 する 研究の 海中に 成る 混 亂の大 石を投 する のに 非 i 吊に 功勞 があった。" 一) 此の 稍 ゃ大裝 t_ ^な 名稱は 一 八 七 七 年に ェ 

ンゲ ルスが 寄いた 文庫に 由來 する 彼に 從 へば、 社會 主義 は 彼の 友の 一 1 大發 見の ために 科舉 になった であらう。 唯 物お 

觀の 舉說と 餘剎價 値の 理論と は 即ち 此の ニ大發 見で あると いふ。 此の 定式 は、 デュ • ボヮ • レイモ ンドの 所 言から 出發 

すると、 之 を 大分 合理的な 意味に 解す る ことが 出來ょ 5。 此の 一 ci 名な 生 it- 學者は 云った、 「sciellce なる 語を佛 藺西汄 

は その ま. >- 自然 科學 Naturwiinsclmft と い ふ^|:.5咮に取るし、 又 Wisseuscliaft なる 語を獨 逸人 は その ま X 精神科 學 

とい ふ 意味に 取る oi ミ 故に ェ ンゲ ルス は 唯 だ、 マ ルクス は社會 主義者に 幼稚な 想像の 晤 示に 耽溺す るの はもう 止め 

, にして 經濟 現象の 觀 察に、 批判に. 叉 反省に 沒賴 する やう 勸說 したの だと 謂 はう としたに 過ぎない と 主張す る ことが 

出来よう。 併し ェ ン、 ゲ ルス はもつ と 大きな 野心 を 抱いて 居た。 

^ (一) Socialisme et science とい ふ表题 で飜譯 された ベ ル ン ス タインの 講演のう ちに、 著者が どんなに 此の 定式に 

當 惑して ゐ るか.^ 窺 ふこと が 出 來る。 



1) Kevue Isientif 一 que, 10 nov6mbre 1883 p,586, coL 2. 

王 1 八 七 七 年, ヱ ンゲルスが一 八七〇年戰役以來^-il-とぃふ言葉が享有した眞に驚く、へき勢名をば.彼の黨汲をして- 

利用せしめんと欲したことは明白でぁる。 當時 人人 は 到ろ 處で 逸の 豫想 外の 勝利 は その 科學の 優越に 據る もの だと 

繰返して 言った。 そこで 社會 民主 IS 員 は, 若し 勞働 者に して 社會 民主 主 蘐の學 者の 敎訓を 素直い 4 聽 き容れ るな,^ ば、, 

第四階級の 勝利 は II 逸 軍 # の それに も增 して 目覺 ましい もので あらう とい ふこと を 彼等に 信で さ ij るの が 明かに 利, <必 

でぁると!^^て取った。 ; 

それに 又、 社會 i 文書に 於て は マ ル> ス說は 一 種の 唯物論で ある、 換言す ると 自然 科學の 方法と 同樣な 方法で 組 

截 された 認識で あるとの 思想が 絕 えす 現 はれて るる こと を 附言し なければ ならぬ。 そこで マ ル クスは 近世の 舉 者のう 

- ちに 見出される やう;^ 偏見と 同じ 倔 見 を is て 彼の 學理を 建設した ので あると 誰でも 信す る やうに なった これ は、 ァ 

ルツ 口 • ラブ リオ 一 rv の マ-ルクス 經濟 舉說の 批評が 吾々 に 提供され た 以上、 最早 之に 陷る こと .25 されない 根本的な 誤謬 

である。 

マ ルクスの 研究 を, よく 理解す るた めに は 十九 世紀の 前 三分の 一 の 間!^ 逸の 諸 大學が 授けた 敎 育を絕 えす 囘 想す る必 

要が ある 。、常時 はダュ ill- ヮ* レイモ. ンドが 「蹈逸 科舉の 恥辱」 と 名け てるる 自然 哲學が 全盛であった。 (LOC. cit.,p. 

go, col. 2.) リイ ビクヒ は 一 八」 j 四 年- ヨハネス *ミ ゥラァ は 1 八 一 一六 年 * ェヱ レン ベルダ は 一 A1 一七 年、 ,ェ エバ ァは 

1 八 一 】 八 年、 グェ ラ ァ ほ 1 八 三 五 年、 敎授に 任命され た? チ ュ *ボ ヮ* レイモン ド は 新時代 は フンボルト が 伯林 へ歸 つた 

時 (1 八 二 七 年) からさ を 割す こ. とが 出來 ると 考 へ-てるる。 それまで フンボルト は e 里の 舉界で 頗る 重大な 地位 を 占 

めて るた が、 常時 e 里 は 確 實に舉 問 上の 覇權を 掌握して るた。. の 事情が 獨 逸に 於て 常な 勢力 を 彼に 保證 したので 

其 處に彼 は 立派な 研究 を獎勵 した。 (LOC. cit,p585, col. 2 ,et p. 586, col. 1.) 併し乍ら 舊 思想 も 一 朝 一 夕に して 消え 

失せる もので はな. い, でダュ • ボヮ • レイモ; てトは 自然 哲學の 最後の 代表者 は 彼の 時代に も尙 ほ危險 であった と 吾々 に 

敎 へて. る (LOC.cir p. ag, col. 2,>* かフ |» い 此の 彼の 時代と は マ ルクスの 時代に 外ならぬの である" 



39 



自叙傳$斷片:の、》^ちに、 》ィ,ビッ」ヒは、 その 青年時代に, 吊に 率 越した 化學 者と 看做された が、 その 寳 分析す る 

こと を 知らな かつ, た カスト ナァの 講義 を聽, いたと 語った。 彼 は マ アル ブルクの ー敎 授を識 つてる たが- 此の先 生は不 

思議な 木製の 道具 を 持って ゐて、 その 中で 水颠が 自生 的に 產 出された。 又 此の先 生 は、 素燒の 宵, の 中で 酸素 を 熱して 

實驗 的に 酸素が 窒素に 變赏 する こと を證 明した。 リイ ビッヒ は、 姑ら くの 間、 シェヱ リングが ヱル ランゲンで 敎授し 

た 講義に 心 を 奪 はれ ズ 居た. ぶー) で C 里で ゲイ • リウ サック や テナ アル や. チウ 口 ンの 講義 を聽 いた 時、 彼の 驚愕 は菲 常な 

ものであった 0(=) 

(1) 此の 事實は 例外で はない。 何故と 云 ふに, チュ • ボヮ • レイモ ンドは 多数の 優れた 人人が 此の 哲學の 誘惑 を 受け 

たと觀てゐるから。 ::^^ ッタ ァは,^-れを受け容れたし、ョ ハ ネス • ミウラ ァは 此の 陷 葬に 掛ら なかった こと を 大いに 

不安に 感じ 44o(L0c,.cit., p. 584, 81. 2.;} 

(1 l)Kevu や BC 一 entifique, 20 mai 1891, p, 643, col. 2 ; p. 644. 

頻逸 思想の. 革命 は、 鉞粹 な專門 家の 咸 信が 廣く行 はれなかった 丈け、 愈よ 科學的 思潮の 改革 を 遂行す るのに 多くの 

時間 を 費した。 此の 隔世の 咸身 ある 時代に, 識者 は獨 逸に は その 名前に 依て 彼等の 國 土が 世に 顯 はれる に 違 ひない やう 

な舉 者が あると 固く 信じて 怪しまぬ かの やうに 見えた。 ヂュ • ボヮ • レイモンド は、 此の 精神 狀態 獨特 の例證 として、 ハ 

ィ ン リツ ヒ* ハイネが ゲッ チン ゲンの 諸 敎授に 就て ラ 4 ゼ ビルダ ァ のうちに 試みに 揶 撮を舉 けて rO る 尸 二 彼等の 中に 

は、 十 九 世紀に 於サる 一 流の 大 先生の 1 人で ある ガウスが あった 2) ハインリッヒ • ハイネ は、 佛蘭 西の 公衆へ 棒 ゆる 

ために 彼の 創作 を 深く 訂正した 時に も、 彼の 諧譜ケ 削り取ら ねばなら ぬと は 信じな かつ. た。 多分 彼 は. ェ ヱ ハ ァとヴ ェ 

ラヶ とが 此の 大舉の 上に 新しい 光彩 を投 する に 貢献して ゐ たこと を 何時も 知らなかった ので あらう。 

(二) ァ、 \2 ハイネ l.j 隨 へば、 ゲッ チン ゲン は大膳 詰と 大學 とで 名高い さう である。 (tienri Heine, Keisebilder, 

2e m.di fral?ai3e, SBla I, p 8) ゲッ チン ゲンと ポロ 一一 ャと では 何處が 違って ゐ るかと 云 ふと、 後の 伊术 利の 町に 

は大擧 者と 小狗: かゐ るのに 前の 蜀 逸の 町に は小舉 者と 大 犬が るるんだ さ ノな。 (ts 一 5 II,i>. 14(J) 



(1 一). Revue scientifiq-le , 10 novemdre 1883, !&84, col. 2. 

5 一 大抵、 大舉敎 校ら が 切 資する 二束三文の^ 談は 卓越した 人人の 上に 永續 する やうな 影響 を與 へない もの だ。 何故と 

いふに 此 等の 人人 は、 そ G; 倦む こと を 知らない 好奇心の お蔭で、 彼等の 思想の 肸蓄を 日日に 新に する こと を 忘れない 

からだ。 斯 くの 如くに して、 多くの 躅 逸の 舉者は 彼等が、 大學で 受けた 呢 ふべき 敎 育に も拘ら す、 近代的 認識の 1^ 生 

に 於て 斯 かく 偉大な. 役釗を やる ことが 出來 たの だ。 彼等 は 佛蘭西 や 英吉利に 於て 攻究され た 通りの、 真正な 科睾 

と 接觸し 始めた 時に、 自然^ 學の 奇怪な 方法 をば 抛擲した。 マルクスが 舊來 の!! 逸諸學 派の 影響 を 消 させる に 好適 

した 研究に 一 身 を 委ねた と はどう も 思 はれない。 

1 八 九 八 年 * 余が マルクスに 依て 利用され た 典據を 調べて 見た 時に * 余 は 資本論の 參考 資料が 著者の 認識の 5 ちに 

非常な 缺陷が ある こと を敎 へて ゐ るの を 見て 一 驚 を 喫した 次第で ある。 彼 は、 綿 i 松な 注意 を 以て * ほな Is 學の諸 大家、 

英吉利の 歴 3„ ^に 充てられた 多數 の英謇 * 及び 特に 議會 に關 する 無用な 書類の 山積 を讀 破した。 併し乍ら 怫蘭 西に 關し 

て は 又 古代 及び 中世に 就て は、 彼 は赏際 殆んど 何も 知らなかった。 縱令彼 は 厘ば、 或 時代の 社會關 係 を 理解 せんに は、 

生産に 使用され た 方法 を囘 想して 見なければ ならぬ と 主張した にせよ、 彼の 生產 技術の 研究 は 不思議に も 初歩に 止ま 

つた。 彼 は勞働 者に 課せられる 勞 働の 過度に 由て 惹起され る 害惡に 就て 非常に 多数の 文章 を 書いた が * その 際に も 近 

世 生理 蔡に關 する 一 般槪念 を 把握した と 云 ふ 欲求 を 感じなかった ミこ 

( 1 )soziali8tiBohe Moiiataliefte , juillet 1898,p. 321 et G. Sorel, Saggi di critica (lei marxisso pp. 27—32. 

11 マルクスが 生理 舉に 就て どの位の 知識 を 有って ゐ たかと いふ 例證 として、 玆に 甚だ 典型的な 一文 を舉 ゆて 見 

よう。 「糰續 せる 單 調な 勞働は 終に 動物 精神の 飛躍と 緊張と (die Spann und Schwungkraft cler J」el>ensgeister) 

を 弱める に 至る ものである。 何と なれば 動物 SI 神 は 活動の 變 化のう ちに 慰安と 快^と を 見出す からで ある"」 

(capital, tome I, p. 148, col. 52) 

クスが 十九 世紀の 科舉的 精神 を 以て 莨徵 されなかった と 云 ふ 此の 事實 から 出發 する 時、 坷 放に 彼の 著書 か斯か 



く 矛盾した 极定 を招來 する ことが 出來 たかと いふ 理由 を 理解 すら ことが 容易と なって 來 或る 批評家 は、 彼の 經濟 

上の 定理 は、 奇怪に も 科學的 推理 を爲し 得ろ 條件を 理解して るない こと を證 明した と宜 言した が、 是は窻 に その 通り 

である。 併し乍ら、 他方で は、 人人 は 近代 社會 主義の 上に の 如く、 古代の 社會 運動の 上に 潑锏 たろ 明 光 を 投じて るる 

听の 鋭敏な、 刻に して 頃 笑すべき 多分の 直觀に 就て 注意 を 喚起した。 マルクスの 榮譽の 眞憒は 講堂に 於て 講ぜられ 

ない 處の 彼の 著作の 部分に 存 する ものである。 

(四) 

マルクスの 書いた ものと 彼の 青年時代に 全盛 を 極めた 哲學 との 間に 多くの 比較 對照を 立って 見る こと は 誰に も m 來 

る。 斯樣な 比- 似が 著しい 時には、 毎に マ ル タスの 雷 ふ 所み ひしひしと 吟味 するがよい。 何と なれば 其 處に誤 護の 

推定が あるから だ 。 、 

(.a) デュ • ボヮ • レイモンドに 隨 ふと * 自然 哲學の 迷妄 は 「何でも 深く 堀って 行って 窮極の 結果へまで 推究 せんとす 

ろ玀 逸人の 性向」 と 結び 著いた。 常時 は 世 を 摩け て 藝術的 直觀に 依て 世界 を 改造す べしと 絕 叫し 「經驗 論 者の 規律 正 

しい 辛抱 强き勞 苦の 眼に 見えない 結果」 をば 軽蔑した C 彼 は 更に 附加 へろ T 最も 優れた 人々 は、 彼等の 帑 像と 彼等の 

,M を 普遍 化せん とする 傾向と が 卑俗 平凡な I 切の 事物 を 軽蔑す る やうに させた ので, 還ば (此の 哲學 の) 誘惑に け も 

なく 引掛 つた。」 (一) 如上の 省察 は 完全に 資本: ii の 多くの 部分に 適用され ろ やうに 私に は 思へ る。 而 して マ ル. クスか 如 

何に 輕 is 挑して 市井^ .g^ を 詰った か、 吾々 は 之 を 知って るる。 

r 1 )Kevue Boientifiqi , 10 novembrel883, p. 580, col. に. 

自然 科舉 者の ォ オケ ンが、 實 在に 到達す る爲に は、 假 現の 奴隸 であると ころの 諮 家の 眼 を 以て 事物 を觀 すに * 生理 

舉 者の ほっし 觀 察せ a ぶなら ぬと 頻りに 勤說 したの を mf- る 時に、 誰でも 尙ほ 本能 的に マ ル クス のこと を考へ る。 (一) 天 

ォ の直覺 のうちに 多量の 自家 撞著的 推理 を混揚 した、 此の ォォ タンの 無謀 さ 加滅. が 如柯, はかり 大 であった か、 誰でも 



42 



知って るる 0(5- 

C 一 ) Kevue aoientifque, 29 novembrel879, p. 516, coL 1, 

(一 一) Ed ョ oncl f*errier. La philosophie zoologique avant Darwin, づ p. 1C57117P 

老朽した It 逸の 敎授 連に 取っての 大 問題 は 真理 を發見 する ことではなくて、 寧ろ 工夫 を 凝らした 話題 を搏捉 すると 

云ふ處 にあった。 リイ, ビッヒ は 云った。 「誰で...^ 自然現象に、 巧妙な 人が 切 取って 甘く 配合した • 婀娜っ ほい 綺麗な 衣 

裳な 釣合 はせ た。 而も 是が謂 ふ 所の 自然 哲學 であった ので ある ピ (一) カスト ナァに 據れば 「月の 雨に 及 ほす 作用 は 一 

目焼然 であった。 何者 月が 見られる と 雷雨が 止む" 一 步を 進めて 論す ると、 日光の 水に 及 ほす 影 13 は、 中には 眞夏 

でも 採鑛 されない のが あろ 樣な 坑道の 凹地に 溜った 水の 上昇の、 フ ちに 證 明され ると" 工夫 を 廻らさねば ならぬ 講^と 

して はた だ單 に、 雲 か 散る と 月. か 見える とか、 夏 汲 出 啷筒を 動かす 谷川が 涸渴 して 居る 時には il 地の 水が 蒸發 すると 

か 云った 丈け では * それで は餘 りに 面白味がなかった ので あらう。」 (一一.^ 

( 一 ) Kevue scientifique, 23 mai 1891, p. 643, col. 2. 

1) Loc. cit., p. 643, 81. 1. 

マルクス. を驅っ K 次の 如き 3 典に 奇怪な 文章 を 書かし め. ii もの は、 單に凝った名句を吐か-^^とする厭べことを知らな 

い 欲望な ので ある T 夫 自體に 於 一:^ は, 斷 じて 商品で ない * 例へば * 名譽 とか 良心と か 云 ふやうな 物件が、 金で 買 はれ 

る ものと なり,. 而 して それらに 與 へられる 價 格に 依て、. 商品^ 形態 を 獲得す る こ. V が 可能で ある。 故に ある 物件 は、 

價疸を 有せす して、 肜式 的に 憤 格 を 有する ことが 出來 る。 玆に 於て ま價格 は, 數 學.^ • の 或る 分量の 如ゝ、 想像 的 表現と 

成る … 然し 乍ら 他の 一而から 見る と, 想像 的な 價格 形態 は、 例へば 何等の 價値を 持たない * 未 耕の 丄 地の 價 格の, 

如-く 直接で はなく とも. ,實 際の 偕 爐 關係 をば 隱匿 する ことが 出 來る。 モー) 

(一 ) 此乃 文句 は 资木論 編^の 際に は、 マ ルクス は 想像 量と は 何で ある?^ 全然 識ら なか. つ. U こと を證 is- する。 い 

( 1 1 )CJapital、 tpme - 1. p* .43, .col. 1, 



此等 人 神秘の 漠然たる 定式のう に は 探求すべき 一 物 も 無い。 著者 は Ssf に生產 反び!?? 値がなくても, 商品 並びに!! 5? 

检が 存在す る こと を 確設. する ニ窟の 場合 を 指^しよ ラ としたに 過ぎない 。^ち 或 時 は道德 上の 物 伴が * 道義の 非常な. 頌 

廢の結 eT $5.^商.品でぁろかの如く, 公然と 憤 格, を 定められ、 又 或 時ば 物質 上の 物件が その 所持者た る權 利が 與 へろ 

1: 益に 應 じて あろ 惯 値 を 獲? 化する" 後者の 場合に 於て は. 惯格は 問 接に 生産に 結 ひ 著く。 何故と 云 ふに 市街地の 持主 

は、 14 業 を 始めろ 爲に 新しい 地面の 必 |§な を 感じて ゐろ 工業 家に 彼の 思 ふや ラな條 件 を, 强 制する ことに 依て * 利 < 化 を 得 

るからで ある。 ところが 道德 上の 物件の 惯格は 之 を 同樣に 生産に 結び 著け る ことが 出來 ない。 何故と 云 ふに 背 德漢が 

その 良心 を賫る 代儅は 法律制度に 設定され; - 規則と は 何の 關係 もない からた。 思惟の 表現 を混亂 させる やうな 叙述 的 

比- を 用る る ことなしに、 簡 15- な 言葉で 之 を 言 表 はしたら * もつ とづつ と明嘹 になった ので ある。 

cb) 世人 は屢 マ ルクス は諧 Si や 諷刺 や 警句: 依て それ を 晦^な ものにした:;; I 法 を蹈龔 した ものであると 云って 彼 

• を 非難した。 彼の 寄 物. の 此の^ 瑾は, 急進的な へ- ヱ ゲ ル 左翼に 於て 流行した 精神の 常^に 留意す ると、 容易に 說 明され 

る。 ペル ンシ タイン、 は ブルジョワ を 呆と言 はせ る ことに 夢中と なって ゐた此 6; 文 十社界 が、 伯林の カフェ • ヒッべ 

ルで 自由 人 Freien の 連中と 繁く 交際した マルクス 及び ェ ンゲ ルスの 上に 與 へた 影響に 就て 極めて 巧. みに 注意 を 喚起 

した。 此 等の 自由 人のう ちに、. その 大膽 なろ 逆說に 依て, 彼等の 理 か 或 意味での 高名み 羸 得.?:^ 1 1 人の 大立 物が あった 

それ はブ ル ノォ *バ 、ゥ ヮァと マ ックス • スチ ルナ ァ とであった。 (一) 

(J ) wernstein, Socialis ヨ e • th へ oriquo et social-dslocmtio pratique, tnuh, fnlllc, iv 35 K チ ルナ ァに 就て は 

エンゲルス がー 八 九 二 年に 記憶から 描 富した 一 枚の スケッチが あるば かりで、 其 外に は 背 像がない (】 ヒ batp, 

18 ju ョ et i き 9.) 

ルナン は此 等の 哲學 者に 就て 嚴な拾 言葉で 自分の 所感 を 述べて るる. T フォイ ァ アバ ッ ハ とへ ヱ ゲル 新舉 派」 に閱す 

ら論說 の 胃 頭に、 彼 は 次の やうに 書いた C 「人 n 思 #0 界に 於け るお e る顯 著な 發展 は、 誰も 其處に 激動して ゐる 思想の 

. 拔 aE..K な-る 整 植を鼹 めない 時で さへ,. 注目に 爐 する ものである" 批評 S. 探求に 一 身 を 委ねた 人 か、 基督教に SI する 



44 



新 へ ェ ゲル 舉 派の 事業が 必 すし も眞 に科舉 的な 性 IS を 持って 居る 譯 でもな く、 亦 そこに は 豕 の嚴密 な 方法よりも 虔 

ば 多分の ュ ゥモ リストの 空想が あるに も 拘らす - 此 等の 事業に 對 して 自ら その 注意 を禁 する ことが 出來な いのは、 全 

く 此の 理由から である。」 (一) 

( 1 ) Renan, Etudes cThistoie reliyieuse, P.405. 此に 止ら す 彼はェ ヱ ル ベ ックに 依て 反譯 された 此の 舉 派の 拔萃 

集のう ちに は 、「如何なる 意味に 於ても • 之 を 眞而 目に 取る ことが 出來 ない」 ゃラな 斷片が あると 云って ゐる) 

(P40.0 11 尙ほ 彼, は 書いた 、「吾々 は バウ ヮァ君 S 著作 を その 相 常 以上に 眞 面目に 取らせる ために 助力し ょラと 

は 思 はないだ らう。」 (P.185) バウ ヮァ に關 する ヱ ングル スの 意見 參照 OCKeligioll, philosophie, socialis ョ e, p. 15) ル 

ナンが マ ルクスの 蒈 友の 成る 人人に 放つ た 非難 を、 マ ルクス も 亦屢. は 甘受せ ねばなら ぬと 云 ふこと を證 明す るに 

は、 何も 例を攀 ゆるまで もない。 - 

(C) ベルス タイン は マルクス 及び エゲル スが あんなに 屡ば 彼等の 歴史 觀 をへ エゲルが 嘗て li 逸で 敎投 した 洌 の辨證 

法の 勝手な 範嗜の 中へ 押込めね ばなら ぬと 信じた こと を 惜しんだ。 彼 は 此の 對 偶の 雜然 たる 堆積 を^く 抛棄し なけれ 

ばなら ぬと 觀 てるる。 (Bernstein, op. cir pp. 38—39) 斯 くの 如き 的な 傍若無人の 言; i に對 して, カウ ツキ ィは 

甚く 愤慨 して 開き直ろ o「 然し 乍ら、 若し 研究の 最善の 道 兵で あり、 その 最も 銳 利なる 武器であった 辨設法 を マ ルクス 

の 方法から 〈# ひ 取るならば、 Es^ して 何 かその に淺 ると 思 ふか?」 (K^autBky, L-e mal.xii53e et son ciitique Berns- 

tein, trad, franc, p. 48) || 逸. リ酊. 會 民主 黨は、 實 際べ ル ン ス タイン 叛逆の 時に 到る まで、 眞 正の 敎理 として 次の 命題 

を 承認して 居た I— マルクス は、 へ エゲル 哲學の 哀に眞 に 大切に 秘められて ゐ たもの、 即ち 辨證法 を は 難破から 救助 

した ものである。 加 之 * 彼 は それ をへ エグル 唯心論から ii 立した ものにする ことに 依て、 此の 辨證法 を 改造した もの 

であると。 (Ellgels, op. cit., p. 174 et pp. 2051207) 例へば、 ブレカ ァノフ は 一 八 九 一年、 へ エグル 沒後 六十 年祭の 

爲 にかう 害いた T 辨證 法的 方法 は 獨 逸の 唯 心 說. サ その後 繼君 たる 近世の 唯物論に 遣した 最も 重要なる 舉問 上の 遠 産で 



マルクス は、 資本論の 第二 版の 序文に 於て" 彼が 辩證 法の 變形を 如何に 考へ たかを 物語った。 次の 章句 は 逢ば 用 

された もので、 又赏 際、 甚だ 重要な ものである。 「余 は 曾てへ ヱ ゲル 辨證 法が 尙ほ 流行して ゐた 時代、 さう 今から 三十. 

年,..? 前に、 その 神? 方 W (nlystificirendc^ seite) を 批評した :.:: へ エゲル は 神 ;ゅ 說 (Mystifikatioll) に 依て 辨證法 

を 不具に して ゐる …:: 彼に 於て は * 辨證法 は 天上に 進行す る。 全ぐ 合理的なる その 形相 を 出さん に は、 そ を 足下に 

, ^,パ どへ す tli そ" でい いので ある {^l\Ian muss sie umstulpen um dcii l.atiouellen Kern iii der mystisclien Hiille zu 

eutdeckeloo そぎ 祌? g 的 方面より 昆れば (in ihrer ョ ystifidrf JA§0、 辩證法 は^ 逸に 於て 一 種の 流行と 成った、 何 

となれば そ は 存在す ろ 事物 を譜 美す るかの 觀 かあつた からで あろ。 その 合理的 方面よ る 見る と (一" ヨ i 一 ま i§011ell 

Gestalty そは支配階級並びに彼等の兄^!-たる觀念論^|<?に對する侮辱と憎惡でぁる3 何故と 云 ふに、 存在する^^物の 

ジ iH^^irlT ハ;^ に クかス PJi- (ill dem positiven Verstaendniss (ICS 13estellen(len), 辨證法 は 同時に それ" の 宿命的 否定の 

• ネガ シ オン. ファタ ァヶ ド-ル ウル-., テスト リュ クシ オン-子 セセ, -ル 、-. TT 1 . -メ r . 二 r 

わ こそ つら 6:; ふ 然 め崩壞 の 認 識 を 含んで 一 Q る 01£ verstaelldni semer ,l>fegatloll, semes 110tllwelKl】gen 

uutenrangs einschliesst) からだ。」 (capital, tome I, p. 350, col. 2 et p. o51, col. 1.) 

此の 弗 蘭 西. 股 文 は 之 をよ く 親しく 吟味して 見る 値 打が ある。 何故かと いふに、 此の 原窨が マルクス 自身の ベム 認を經 

たもので あろ こと は、 此の 序文の 前に 附 いてる ろ 緒 君 を 見れば 明かで あるから だ。 if なる 語は玆 では リット 

レ も識ら な:; うな 意味に 用る られて 居る。 マ ル ク スが 此の 語 を どう 云 ふ 意味に EE ゐ ようとし たかを 充分-」 理解す る 

^に は、 一八 1 八 年に クウ ザ. ンがぺ 4 した 講 養を囘 想す る 必要が ある。 (二 クウ. サンの 意味で は, へ ヱ ゲル 辩? 法は祌 

秘 的で ある。 何と なれば、 へ ュゲルは歴5^ゲー指導する世界精神とぃふものを想定し* 且つ 此の 精神 をば^ 實 のりとし 

てへ W じて ゐ るからで ある。 然るに マルクス は * 之に 反して、 辨證 法と いふ 道具 立の-.' ちに、 事實の 全ヌを 特に 一 ズれを 

うまく 認識し 得られる や 5 に 再現す るの 手」 &を 見る に過ぎない T へ エゲルに 取って は、 彼が f の 名辭の 下にん 格 化 

ムゥゥ マンド ,ラ. パシヤ 

して る (Imter dem Namen Idee in ein selbstaendigcs Suhjckt verwilmldt) 思 ^蓮 動 (I>en】q)ro(-,sy か實, ^の 

ilPl 物 主であって、 此の 實在は 理念の 現袭形 能, 5 に過ぎない ものである" 所が, 余に 取って は, 思惟 運動 は、 人 61 の 



.J ランヌ ボすゼ • ダン •, >>:a •* i*- シ オン. ウダ >-ン* レ * 

腿の 中に 移轉 され 拔 位された る、 現實の 蓬 動の 反 射に 外なら ない ((laa Weelle nichts tm<l 一 ま als das .i ョ 

menschenkopf umgesetzte imd Ubersetzte materiel le)。 I- (-ご 故-にもう 吾 々 を 離れて 精神に 侬て 投影 さ a る 如何な ろ 想 

的 存在 もな く、 (クウ. サンが 此の 語に 與へ たやうな 意味での) 神秘的 Si 覺も なく、 亦つ 欺瞞 もない ので ある さ-一) 

( 一 ) 此め, 講義 は 一 八 三 六 年に 漸く 上梓され た。 ルメン は 彼の 講義が どんなに 深い 印象 を 一 八 四 1 1 年頃に 彼の 上に 

與へ たかを 吾々 に 知らせた OCRenan, Feuiiles detachees, 1). 299) 一 八 四 四 年に は マルク スは HJ 里に 住んで ゐ た。 

OCapital, tome I, p. 350, col. 2 

(三) 今日で も尙ほ mystiituen (神秘) とい ふ 語 は、 多くの 大學の 人人に 取って は、 クウ ゲン 流の 意味 を 保有して 

ゐ るし * 亦た そ は mystification (欺瞞) の 觀念を 表 はして ゐ るが, 是は よく 注意すべき ことで ある。 余はァ ンリ 

-ヺォ ジョヮ の 論說 のうちに 此の 種の 遣 習の 一 例 を 見る C 乃ち 彼 は 次の やうな 句 を 用 ゐた? triiplle (le 】a mya 

tique dreylusleune- et cle la mystification dreyfusarde,, (Action fraucaise,17 mai 190y) 

マルクス がへ H ダルの 辨證法 は 天上に 進行す ると 云った の は、 之に 依て、 そ は 彼等の 精神 歴 的實 在の 意識的 觀察 

を 超えて 飛翔 させろ 人人に 依て、 巧妙に 織り成された ものである こと を 寓意しょう とした からだ。 處が 彼の 證辨法 は 

地上に 進行す る。 何故と 云 ふに そ は 嚴密に 事 實の觀 察に 忠實 である からだ。 カウ ツキ ィは 此の 特質の 上に 堅く 執って 

動かない マルクス は、 如何にして 事物が 近世 史上に 生起し, 不可抗力に 因て 死 威す るに 到る もので あるか を確證 した 

後に • 甫 めて 辨證 法の 形 の 下に 資本主義 的 財産の 運命に 關 する 彼の 總括的 見解 をば 明言した であらう。 (Kautsky, 

op. cit, p. 50 et p. 60,) 

へ エゲルの 方法と マ ルクスの 方法との 間に マ ルクスが 弗 常な 勢で 宣言した や、 フな時 抗か存 する ものと はどう も 余に 

は 受取れ ぬ。 ブ レカァ ー フ すら, 先に 引用した 論文のう ちに、 斯うい ふ 事 を 認めて ゐ る。 即ち 赝ば 此のへ エゲルの 愛 

読者 は 「自分が 唯心論 者と 戰 はねば ならぬ こと を 殆んど 忘れて、 而 して 真にへ ェゲルに有るが^に歴a,^ゲ觀てゐろと 

いふ 事、 また < エグル は經驗 的に 歴史的に 推究 する 法則に 厳密に 從 つて るるとい ふこと を、 承認し かけて ゐる」 と 0(: 



又 一 面 • ズレカ ァ.. 'フ がへ エゲル を 弗 難して 此の 哲舉者 は 彼 特有の 洞察力 かりして 餘 りに 局限され た 觀念を 摘へ 上け 

たと 言って るるの は • 大いに 注目に 値する o「 存在す る ものから して、 死! iisf!^- 程に ある ものから して、 (へ エゲル は) 

轉 成しつつ あろ もの を椎斷 する こと を舉 んでゐ る"」 ヨ) 此の 露西亞 の社會 民主 若が 叙 上の 問题を 解く ことか 出來る 

やうな 方法 を 吾々 に敎 へなかった こと は * 返す ぐ も殘 念な 事で ある。 ブレ カァノ フ玀 創の 哲 3§ の-つちに,." 明かに 多 

くの 暮斷の 分子 を 交へ てるる だら う。 で 余 は、 マ ルクス 舉 徒の 辨證法 は 時として 經驗の 堅固な 地上 を 離れて 天空に 飛 

翔し はしな かつ たかを 甚く 怖れる ものである。 

( 一 )Ere nouvelle, ootobre 1894, p, 145. 

(一 1) Ere iiouve novembre 1894, pp. 269170. 

私の 考 では, マルクス は 其の 青年時代に 知合で あつたへ エゲル 舉徒 ほど そんなに へ エゲルに 感れて はるない。 彼等 

は 師の體 系 を 放擲 はした が、 此の 舉 派の 對 偶と いふ 道具 を 恐ろしく 器用に 操った。 恐らく 彼等 は 凰の 詭辯 家と 云 ふよ 

り は、 寧ろ 拙劣なる 辯士 であった であらう。 彼等 は 如何なる 問題た る を ii せす、 何でも それ を證 明す る^に、 否定と 

否定の 否定と いふ 偉大なる 排列 をす る こと をば 知って るた ou> ハインリッヒ • ハイネ は 一 八 四 〇 年頃 lis- 逸 を 驚嘆 させ 

た 此の 綱^りの 稽古 を 非常に 侮蔑して 語る。 「伯林の 辨^ 法と いふ 踟蛛, 1 の 中には, 蠅ー 疋. V 「死んで はゐ まい」 と 彼 は 

冷 かして ゐる。 而 して、 彼に 從 ふと、 此 等の 精力 絶倫な 論理 家 は 何時.,、 全くへ エゲルの 敎訓を 理解し なかった とさへ 

考 へる こと. か 出 來ろ。 何故と いふに、 ハイネ は 吾々 にか、 フ敎 へて ゐる 11 e 里に (伯林に の 誤解 かと 思 はれる —— 二 

郞) 滯 在中、 彼 は 「まだ 辨證 法の 公式 を 立てる こと を覺 えた 丈け で」 それでへ エダ ル說の 蕴奧を 極めた もの だと 早 合 

點 して ゐ る 手 合に 頻頻と 出會 つたと 0(5 

( 一 )Misere de la pllilosopllie(pp. 1481.149) に 於て、 マルクス は 一 切のへ エグル 說を對 偶に 依て 論究す るの 術に 

^ 要約して ゐ るかの 觀か ある。 

(一 1) Henri weig, De l*Allemagne. edit, de 1855, tome II, p. 301 et p. 294. 



4H 



. 斯 くの 如く、 钗 上の 巧妙なる 兒 戯は此 方法の 使用の 名 3t を 失墜せ しめろ に與 つて 力が あつたが、 マルクス がへ ェ 

ダルの 辨證 法に 貢献した 改善 は、 此 等の 兒戯を 屏息せ しめる に 到った かと 言 ふに、 決,) て さう 見えな い 。實^ 、社會 民主 

主義の; Si 者は采 ひく ェ ン ゲル ス が.、 チウ リング を駁 すに 於て、 確賈に否定の否定を利用せんとすろ門第らを^^導する爲に 

立派な 典型 を與 へたと いふ こと を 容認した。 (一) 然るに、 此 等の 例證は 一般に 甚だ 貪 弱な もので あろ。 余 は 唯た 數學 

から 借りた 二つの 例 を その 中から 舉 ゆて 見ろ とい ふ譯 は、 ェ ンゲ ルス は NK ゥリ ン グの較 論 を 逆 壟す るのに 特に 好適し 

たものと 之 を 看做した からで ある。 先 づ或量 を a として 「之 を 否定 すれば ? 更に? を f を 以て 乘 じて 此の 否 定を マロ 

定 すれば、 3! 即ち 15- の 正 i を 得た が、 併し乍ら 一 次 だけ 高き 量で ある ピ 微分 は 有限 量 を 否定して 「量な き i 的 關你, R 

創造す るに 在ろ。 積分 は 否定の 否定で ある。 此の 見事な 事に 感嘆して、 ェ ング ルス は, チウ リン ゲに 挑戦して 曰く.」. * 

を を 以て 乘 じても とならな いし、 又 微分 や 積分 を 求める 者 は 何人 を 問 はす 之 を 死刑に 處 す、 とで も 云った やう 

な 新しい 數學」 (一) を 君が 發明 乙ない 限り、 針 偶 的辨證 法な しに 一 日で も暮す ことが 出來 ろかと 。社 會黨に 罵して ゐな 

い 理性 人に は、 理解す ろ ことが 出來 ない。 つ-一) 

广 一 )Antonlo LzatHuoia, Socialisme et philosophie, tr. fr, jp. 189. 

(二) Anto-io Labriola, op. cit, pp. 2231230 et p.、238. 

(三) 辨證 法に 對 して 讀 辭を呈 さなかつ たので, 余 は 今から 十 年 前に、 此の 譫語 を 人 問 精神の 傑作 だと 考 へた アン 

ト 二 ォ* ラブ リ オラの 4«責 を 蒙った 。啻に 彼 は 余との 有 ゆろ 私 交を絕 つたの みならす、 社會 民主 敎の 信仰 を:^ 問す 

ろ 判事に > 異端者の 中に 朋友 を 持って ろとの 靡で 告發 されて は 一 大事と あって、 公式に 余 を 破門した。 

(五) 

以上の 探索の 結 BT 吾々 は 一 八 四 〇 年の 1^ 逸 忍 想が 非, 常な 影 i« を マ ルクス 思 相-むの 上に 及 ほした こと を 承認す ろ こと 

が 出来ろ。 斯 くして 吾 々は、 資本! 31 の經 濟攀 を フォイ ァァ バッハ 哲學 から 生れた 僻見に 據て說 明す ろ アル ッ" • ラブ 



49 



リ オラの 批評に 出會 ひて、 ら、 さまで 目眩 はす に それ を 理解す ろ ことが 出來る a 

ァ ル ッ .ロ?フダリォラの-^^ん九は,&が^!<?に對して非常な利益になるのは云ふまでもなぃ —— 何故って、 彼等 は 重ねて、 

あろ 著^の.! 見 S.B 來に就 て 爲 された 探究 は、 彼- S 舉說の 正常な 解釋に 導く の 一に 大いに 役立.^ 得ろ もの だと 云 ふこと 

を- 客んで 認めろ であらう か" 11 だが、 S せに それだけ ではない。 更に 余 は 此の 研究が 社會 主義に 針して 最も 重要な 

贲際的 影 g ゲ ゲ^ら すだら-つと 考 へる。 社會主 狄 はもう 資木 論の 解說 者が それに 鉸 めた 厄介 を, 騒々 しい、 重い 鎮を長 

長 と曳 いて. il^ くに は 及ば な い だ らう、" 

多くの 一,? 3 者 は 昔から 資本: f;I は 一 貧した 著述と 云 ふよりも、 寧ろ 相互に 丸で 達った 種類に 風す ろ 斷片を 編^した もの 

であろ と 注^した。 その 中には、 第一に リカ アド ォの 事業 を 完成 せんとの 非望 を 抱け る 抽象 經濟 論、 第二に マルクス 

が 資本 主 殺發 達の 典型 を 示す ものと 見做す 英國經 濟史、 第三に 大生 產が行 はれろ 條 件に 關する 観察が 含まれて ゐ ろが 

以上のう ち 第三の 観察 は 時として 他の 本文の 中に 散亂 された 小さな 註釋に 限られて をり、 又 或 時 は、 數衍 された 形態 

を 取って 居る。 

今日まで、 殆んど總ての社曾主3-^|^?は斷-&の第.一 範嗜を以て巖も重耍なろものと思惟し!^。 エンゲルス は、 一八 七 

七 年の 有名な 神託に 於て、 惯値、 勞働カ 及び 餘剩惯 値に 關 する 定理 は 「料 舉的社 會主毅 」 の 二つの 基礎の 一 つ を 成す 

ものであると 宣言した ではない か? 一 八 八 三年 ガブリエル • ドウ ィル に恢て 公に された • 資本論の 大綱 は 此の 相對 

的重耍 の 尺度から 出發 して 組 された。 ところが 今や、 アル ッ0* ラブ リ ォ ラは 多く. S 社 會主穀 者が その上に 勞 苦し 

た, 此の 抽. を釆 心く 利用に^ えない ものにす. る 所の 根本的 缺陷を 剔抉し に 吾々 の 面前に 進み出る。 マルクス 的 

編^の 各部 分に 就ての 一切の 舊 式な 評價は 擯斥すべき である。 餘剩價 値の 學は、 正 《「5 な瑶 由に 據て、 之 を 無 ffl の 長物 

と 見る ことが 出來 ろので あって、 却って マ ルクスの 著蒈を 現赏の 上に 利用 せんと 〔がすろ 證^ は、 生産に 關 すろ 1 觀 ル 

を 深く 究めねば ならぬ だ らう。 此^の 斷^ を 殘らす 集す 5 とい ふこと。 又 それ を譬 へば 哲學の iaN! や 共 產黨宣 一 B か 

ら拔萃 した 同種, 類の 斷: IT と きして、 終に マルクスの 具象 經! a の體系 を 社會に 公表 せんこと は. 吾々 の 諸^に 希-堅し 



て 息まない 所で あろ。 

W 余 は アル ッ 口 • ラブ リオ ラの 創見が 社 會主錢 者の で賞證 君よりか 多数の 難 者に 遭遇す る だら うと 明言す ろ。 多く 

の 人人 は、 多 數の抗 謎 を 惹起 さすに、 資本論の 常用 解說の 上に 稍 や 徹底した 新 見解 を 採り 入れろ こと を 可能に せんと 

て- まあ 何 本 の^を 餘剩價 の爲に 折った こと だら. つ! 「科舉 的 社會主 殺」 の 騎士の 而面は 自分 達が こんなに 澤 山の 

墨 を 煩^ 遊戯に 使った と は 信す る ことが 出來 ないだ ちう。 彼等が 丁 M」 に 於て 享有して るろ 權勢は 彼等 か マルクスの 

經 15 定理 を现 解して ゐ ると いふ 世評の 賜物で ある。 二) そこで 彼等 は 自分 等の 貴重な 特橫が 神祕の 消!^ に て fe え 失 

せろ とい ふこと を、 反抗せ すに は、 認 する ことが 出來 ない。 疑 ひも 無く、 斯 樣な狀 f お〕 は 何時までも 持續 する もので 

は あろまい。 今日の、 社會 If: 錢者か fsfti の 惯川的 解 釋の爲 に發禪 して ゐる 執着心 は、 蓋し 的 分子の 殘存に 基く も 

のであって、 吾々 は此 等の ュ ゥ トビ ァの 時代が 今日 旣に 終り を告 けたと 信すべき 充分の 理巾を 持って ゐる。 

(1)兹にモリェ ェ ルの女 者 第三 幕 第五 揚を思 ひ 浮べて 見よう か 。(弦に もソレ ルの 思ひャ t ひが ある、 以下の 會話 

は レ* ファム ,サ ブントの 第三 Issf^ 五^に は 出て 來 ない。 頃日。 醬: 島 與志雄 氏と 一 ^に 調べて 兑 たら 同 慕の 第三 場. 

に 出て ゐ る 11 1 1 郞。) 

トリ ソタン 

彼の 方 は 昔からの 作家で 一 杯に なった 知 を 持って をいで です。 さう して、 奥さん • 佛蘭西 人に して はよ く希臉 

語 を 知って をら れ ますよ。 

フ イラ マント 

希瞪語 を! おやおや! 希^ 語 を! お前 > あの方 は 希 躐語を 知って お出で だと さ! 



な あに! 責方は 希 腿 語 を 知って ゐ らっしゃ るの? ああ! 御 生. たから、 あなた、 希臊 iSlS の 愛の ために、 皆ん な 

が 食 方に 接吻す ろの を 許して やって 顶戴。 



51 



官僚 的 マルクス 舉徒 は、 古い 空想家と 全く 同じ や 5 な 結め ,§ を それから W か 、フ との 意志から • 資本論 を說 明す る こと 

が出來 たの だと 云へば、 それ は、 マ ルクス は 社 會主殺 を 空 相 から 科學 へと 蹯進 させた と 云ふェ ン ゲル スの 神託な 何時 

もみ ふ怫 して 居ろ 人人に は、 怪しから ぬ 逆: ;!?^た と 見えろ かも 知れない 所 S 斷定 であろ。 併し乍ら ちょっと 反省して 見れ 

ば 分ろ 通り、 其 處には 等の 逆說 もない^ であろ。 誰でも 知って ゐる 如く、 極く 多 數の揚 4n に、 吾々 が 吾々 の 行お を 

說明 すろ 爲に與 へろ 動機 は, 實 際に 吾々 を 動かした 力と は 大變? !! つて 居ろ。 が 之に a- ベ ろと、. 吾々 の哪ま は 吾々 の批 

判に 止まらない 諸の 向に 依て 赝ば 決定され る もの だと 云 ふこと は、 仲 仲 之を容 が =i し 難い。 けれども- 此 S 第二 種の 

現 第一 種の 夫れ の 如く 的確な ものである。 そこで 此の 二つの 51N 口に 於て、 吾々 が尙 ほ., r. 主 智 の^ 域に 占 

據 して、 煩玻 哲^的な: f;I 文に 表明され ろ 分子の みに 注意な 拂 へば 拂ふ 程, 此の 潜在 分子が 愈よ 確赏 に活; ^する もので 

あろと さ へ 附首 すろ ことが H 來ろ。 

社贲. H.; 設者 は, 現代の 產業 制度 は マ ル タスの 理論-」 隨 へば、 不彿努 働に 依ろ 本家 S 利 と 云 ふ 見ろ に 忍びない 不 

^^.|1§の|?$.1|33上に.換言すれば货條人が1=-の懷牲者でぁるマま棼の上に$^"さ.;;てゐると云ふことを、第三階級に;1^す 

ベく 努力す ろが、 此 S 時 彼等 は, 明^-に{4^^的倾向の影1!の下に行動する、」 多 g-s マ ルクス^ 徒 は 此の 訴 i ヷゲ」 飽 Vi6 

で 反^して 一一- 〔つたし、 また ェ ンゲ ル ス自身..;:彼等の文^^1をま難したとは忍はれなぃ。 何:^ と 云 ふに • 一八 八 i: 年, 彼 

は 哲^の 窮乏への 序文のう ちに 次の 樣に f」;I いた T 今日の 社 <s "は、 表,:^ き 此の 正義の (- てれに 從 へば、 一 切,? 交換 

は馏 IgSKF や;^ に^じて 行 はれろ) を-.^" 認す ろが、 而も實!^には何時.;>??^ー^1〈んしに、 之 を 歷の 如く 棄 てて 顧 "ざろ か 

の^か あろ 此, の^? :7.| 人心の 廢に侬 て、 正 a な ブル ジ ョ ヮの^K心は深手をs^ふたものだと自ら感じなければならぬ。」 

(Misere dc la t^hilosophie, p. 14) サ -ン. チカ リス ムの t^Ki が s!;, 教 II- 爭を 一 切に 理解せ しめて W 來、 かかろ, 抱 は 

そ S 有 ゆろ 存在の 理. 3 を 失 ふ もので あろ。 蓋し 社會 主き 者 は、 第三階級 がその 俭瑰的 .15- 理を適 川す ろに 常って 陷 つた 

誤 を自 &1 させら!^ に、 此^ ブル ジ ユア シ ィに訴 へて はならぬ、 !• サ似等 は 唯た • 笫 W 階級の^ 來 之^ 舉 けて サ. _ハ の 

主人に. 對 して 宣霄 された 休息な き 〇〇 に诚 5 つて ゐろ こと を 碑: 解 させろ 爲に、 此の ブ ロレ タ リア へと 赴かねば ならぬ U 

此の 目的に 到達す ろ爲に は、 餘剩憤 値の 舉說は 無用で あろ" 多くの 近世 社會 主義者 は、 !^;:^本論の大部分を酪解なもの 

にした 謂 ゆら 經濟 定理 に^して 隨喜 の涕を 零した が、 更に 此のき 相 分子 を 一 掃せ よと. S 最後の 耍求 と, 共に、 此. S 欽 

仰の 圓光は 消え失せろ であらう。 一 九 〇 九 年 八月、 ジ ョル, チュ • ソレル . 



の 自 
手 由 
帳 人 



ソン 水の 死と 

、.,: 其 暴力 哲學 , 

古き, 社會 主観が だんく と 地に 墜 ちて ゆく。 英國 では ハ 

イド マ ン が、 1^ 逸で はハ 1 ゼが、 そして 佛蘭 西で は. チ ョ ゥ 

レ スを 早く 失った ので あるか- 最近に なっても. グ ー ドが 1^ 

き. それから 今 また マルセル • サンバ と.. チ ョォ- チ* ソレ ルと 

の 訃に 接した。 サンバ は ,チョウ レス の 友と して 終始した ゲ 

I ドと 彼と は、 世界 戰爭後 全く 佛!! 西勞慟 の 感激から 遠 

ざかった ように 見えた。 ,チー ルも 云って るると ほり、 ボル 

シェグ 并ズム の 影 1! を考 へなくて は 今日の 世界の 社會 主義 

運 動 を 理解す ろ こと はでき ない。 佛藺 西で も 無; i そうな の 

であろ。 あろ もの は ボル 卞ェヴ 并ズム を 恐れて 返却した。 

あろ もの は その 影^に 捲 こまれて 人心に 投じた。 ,チヨ ウレ 

スの 門弟 マルセル • カシャン は 修正主義から 一 足 飛びに レ 

一一 ンの陣 營に飛 ig した。 飛驩 した もの は ili. 代に めいて き 



た。 サ ン バは 最後まで * チヨ ウレ ス黨 として 殘 つた。 そして 

全く 時^の 大きな 動き を 把握す ろ ことができ; i:^ いで 彼の 1 

生 を閉ぢ た〕 

ソレルの 文. 揚 はこれ と は 全く 違った す 一?^ ましあった 彼 は 

口 シ ャの 革命のう ちに 偉大な もの を 見た。 ダ ヨウ レス から 

何等の 偉大な もの を 見なかった 彼 は、 レ ii ン のうちに $i.K 

な もの を 見た。 彼の英雄主^^奴とボルシ ヱヴ井キの英雄主殺 

との S1 に、 sg に 契機の の 相 通す る, ものが あろから であら。 

サジ カリ ストの 一派 (C.G.T.U.) が 赤色 努働 組合 インタ ナシ 

ョ ナ ルに 入らう とすろ の も、 また 革命的 サ A>K 力 リズ ムの 

鬪 爭的 精: t と ボル シ H ヴ并 ズムの 鬪 爭的 精神との 間に 一 點 

の扣: 迎 する ものが あろからで あらう。 口 シャ 革命の 後に、 

世 屏の勞 働 者の 11 爭的 精神 は, ^に ボルシェ ヴ井 ヰに よつ 

て 鼓舞され たに 相 遠ない。 實にロ シャの 外にお いても 内に 

おいても, ボルシェ ヴ并 ヰの 一 派が 試みた 努力、 その 勇敢 

な戰ひ は, 癬 しきって ゐ た 古る き 勞働者 運動の 首領 連 を 

1 ^ すろ に 充分な ほどの ものである- 、 

しかし ソレ ルの 理論と ボルシェ ヴ并 ヰの 理論と は その 根 

本に おいて 一 致が できろ であらう か? ソ レ ルの 暴力: ii は 

ボルシェ ヴ并 ヰの 暴力 綸. とその 根本に おいて 1 致す る こと 



おて きろで あら ラか? 統一 勞働 同盟の 赤色 インタ ナシ 

ョ ナ ル 加入 倏 件が 却て ボル シヱ ヴ并ヰ S 根本 條 件の 轉 覆の 

sf- 求で あるよう に、 ソレルの 暴力 論 は、 ボルシェ ヴ井キ の 

暴力 論の 根 木 的轉複 ではないで あらう か? ソレルに つい 

て 私の もってる ろ 知識 は 極めて 使少 であろ、 > 私 は 彼の 力 

論 を設 んだ に過ぎない。 そして 彼の 死 報 を 間いて びそれ 

を 繰返して 諝ん た。 その 限に おいて は、 ソレルと 混 して 

はならない よ、 フに忍 はれる。 

二 

ソレル の 主張 は^に 一 種の ヒロ イズムで あろ。 彼に 弱者 

の^ を Hi 罵した。 今日の 世界.」 行 はれて ゐろ iSiS は、 彼 

に從 へば 主として ギリシャの 衰頸 代から 傳來 した^ 德で 

あろ。 『お 者の 5F.li_3 をら てして ド苹 命的サ ン ダカ リズム は 不 

可能で あろと 彼 は 云った。 彼 はまた 一 種の 亞魔主 一お 者で も 

あった。 パク ー ユンが 魔の 崇拜 者で あつ. U ように、 彼れ 

もまた 亞 魔の 崇拜 者であった。 彼に 亞魔を 名つ けて 「^ 界 

の 王子とまで 云 ふて ゐ ろので あろ。 彼 は、 彼 自身が 世界の 

社^主義 理論のう へに 重耍 な. 寄與 をな して ゐろ こと を 誇り 

を もって 語って ゐる。 その 寄 與とは 何んで あろ か? 革命 運 



動の^ 理化 がそれ であろ。 彼 曰く、 社會 主義が その 高き 淪 

理的價 値を负 ふて ゐ ろの は 暴力. If それによ つて 近代の 世 

界に 救濟を もちきた す. I であろ と。 こうい ふ 立? から 彼 

は ブルダ ョァ 階級の 墮 落に 針して- 勞働者 5 殘酷 行動 を 用 

ゐろ こと を說 いた。 總 同盟 一能 ェ の § によつ て 啓蒙 さ れ た 

力 こそ 彼 か佛蘭 西勞働 者に す i めた 理想であった。 

三 

彼の 暴力 論 は 現代 2^ 界に對 する 二 つの 大きな 反抗で あ 

つた。 彼 は 現代の^ 界を f£ 費 者の^ の 支配す ろ 世界 だと 

考 へた。 彼は消ぉ者^^』!-に對して宋來5生產者道德を打ち 

樹 てろ 事の 必要 を說 いた。 彼に とって は, 欺^み 暴力 以下 

に 罰する 現代の 道德は 消費者の 道德 であ つ, た。 「疏 低の 破 

產」 に して 死刑 を 課した 一 七 1 1 五 年 八月 五日の 宣告 は 彼 

にと つて は 寧ろ 望ましい 德 であった。 

かくの ご とき 費 者の^ の 行 はれて ゐろ 時代が、 その 

最後の 歴 3,^ 的 舞 登に 近づく と" 個人的 意思の 行動 は 無くな 

つてし まう。 そして 社 會の全 か 宛 かも 一 つの 組^ 驗 s; 樣 

に 自動的に 働く ので あろ。 ところが 多くの 倫理 ssq- や 14 ^濟 

舉 者の 誤り は、 この 時代の 現實を 自然 的な もの、 または is- 



始 的な ものと 考へ るの 點 にあろ。 何故なら 「それ は BSIf 力に 

よって 造られた もので あろと ともに, また 暴力に-よって 破、 

破す る ことができ ろからで あろ o」 ソ レル はこう 云って ゐ る 

ので あろ。 彼 は 機械的 現代 を Ds- 力 1^ よって 破 壞 すろ ことが 

できろ と考 へて ゐ るので ある。 

機械的 時代の 特徴 は、 人々 がその 犠牲的 精 祌を失 ふこと 

である。 利己的な ものが 支配して 機牲 的な ものが 無くなる 

機械的な ものが 榮 えて 個人的 意思が^ 萍 してし まう ので あ 

ろ。 彼 はこ-に 時代惡 を 見た。 この 時代 惡を救 ふの 道 は、 

だから 彼に とって は、 ル ナ ン の 次の ような 言 築であった。 

ナボレ ォ ンの 兵士 は 彼が 常に, 貧乏で あろ こと をよ く 知って 

ろた。 しかし 彼 は 彼が たづ さわって ゐる 史詩 は 永遠で あり 

そして 彼が 佛蘭 西の 榮光 のうちに 活 きろで あら、 ンと云 ふこ 

と を 知って 感じて ゐ た。」 と。 また 曰く、 兵士 は 一時 的!;;; 報 

酬の 約束で 製造され ろ もので はない。 彼は不 の 生命 を も 

たなくて はならぬ」 と。 然り、 ソレ ルに とって は 不朽の 生 

< 叩に活 きろ 道德 こそ、 生產^!^の道^^:-でぁり、 勞働者 の道德 

であり = ^つて 將來の 道 であろ。 彼の 暴力^ は 貲 にこの 

高き 道 的,... 界の產 物で あろので あら。 言 楚を 後え て 云 へ 

ば 1 つの 道 德的 暴力で あろ 。利 已的^ 力に 針 すら 道德的 



, 力、 若しくは 機 牲的 pJlf 力の 主張 だと も 云 ふこと がで きょ ラ 

と 思 ふ。 

四 

そこで 彼の 暴力 は!! 家的榴 力と は 全く 逮っ たもので ある 

^^,^,崇拜者と し ての 彼 は 國冢横的カ,の痛罵^1^と し ての 彼 

であろ。 彼に 從へは 酣家的 描 力 は ブル ヂョァ 階級の 使用し 

たもので あり、 ブ ロレ タリ ャ階扱 はこれ に對 して 暴力 をら 

つて 反動す ろ もので あろ。 彼 曰く、 サン, チカ リストの 暴力 

は阅 家の i^ISS を耍 求す るブ 口 レ タリ ャ によって ストライキ 

の 進行 中に |g 續 する ものであって、 それ は國家 迷信家 の 殘 

忍 性と 混同して はなら な いと。 

ソ レ ルのサ ンヂカ リズ ムは國 家に 對 する 絕對的 S 對抗で 

ある。 彼はブ ル^K ョ ァ國家 を 否認す る ものである ばかりで 

はなしに 勞 ^者の 國家 を も 否認 す る。 社會 主義^ 家 を も つ 

て ブル. チヨ ァ國 家に 代へ る こと は、 彼 に とって は マ ルクス 

主?! 我の 胃 澄な ので あろ、、 

統社會 主義 は. 彼に 從 へば、 國 家に, よって 資本主義 を 

破壊す ろと 云 ふ。 そして その 爲に、 勞;; 1 者 は 凡ての もの を 

機牲 にしなくて はなら な ペリ 資本 主 殺を麼 上す ろ こと を 約 



束す ろ 人々 を權. p の 地位 に^める ために 凡ても の を IS 牲に 

しなくて はならない しかし こうした 制度 は、 ソレルに 從 

へば、 た 新ら しき 主人が、 古ろ き 主人に 代った だけな の 

であろ. - iH^^ の 群 はたに その 主人 を變更 した に 過ぎない 

ので あろ。 彼等. か 奴^で あろ ことに は n: の變化 もない ので 

あろ。 そして多くの^働^^か、 所謂 「訓練」 の 名の もとに 

彼等の 「智 的お Frl- 者の 榮光」 のために 奴 隸制皮 を 永久 化すろ 

過ぎない ので ある。 

彼が デ モク ラシ —の攻 ,^であつ た の は!^ に そうした 立 

5.^ からであった。 彼が r 勞., i 丄せは デモ クラシ— の 奴 的 木 

能 を もたない」 と 云って ゐる のは^に こうした 立?; A からで 

あった。 彼が デモ クラシ I と は、 一 つの 機械的 組^で あり 

群衆の「訓^^11でぁると考へ てゐ たがた めな ので ある。 彼の 

この考 は 極めて 徹底し, たもので あった。 彼 は 指導者 をいた 

く攻, した。 彼 はいたく 國家 を攻, した。 國 家と は 彼に と 

つて は ブル * チ ョ ァの攻 治 組-旅であった。 ブ ロレ タリ ャ はこ 

の ブル, チヨ. ァの攻 治 組!! を眞 似て はならない と 云 ふた。 

に從 へば、 かくの ごとき ブル, チヨ ァ の.^ 治 組 II を眞 似ろ よ 

り は、 一時 は縱 令混亂 もし、 弱く あっても、 その 方が まし 

であろ と。 



ソレル の # 力 論. は 無論 力 ゥ ッ キ— 派の 正統 マ ー クス^、 

若く は, チヨ レ ス、 ベル シン タイ ン 等の 修正 派に 向けられた 

ものであるが、 彼の この 根本 批評 はまた 今 m の. ホ ル シ ェヴ 

井キ のうへ にも 加 へ られ てゐる ものと 見なければ ならぬ こ 

一 J に 私はソ レ ル の 暴力 $1 と、 ボルシェ ヴ井キ の:: i# 力 il との 

Si に 混同す ベ から ざろ 區 別が あ <? と ふ。 ソレル は 矢張り 

サン * チ カリ ストであった。 彼 は 後に ボ ルシェ ヴ并キ へ の 同 

倚^|^ではぁったがそれ自身ではなか.った0 私 は ソレルの 死 

に 際して、 彼の 力と ボル シ ェヴ 并キの それとの 間に 超 ゆ 

ベ から ざろ 區 別の あろ こと を 思 ふ ものである。 

赤松 克磨著 

社 I 革命 史論 Is 九十 ■ . 

大^ 閭發行 



-ク ー テナ 夕の 思 出 

.11?』 の 「クイ ェ *^ ンドシ ョ ゥ」はラ — テナゥの暗殺,!^s念する 

ために、 、ラ. ー テナ タ號 *J.^ しました .0 それに 4- — ン ゲァ、 ぺ 

^ンハ 〃ト、 ゥン 少 J 、ゲ》 ン ク マン、 ァ イン シタ インな どの 各 

方面の著名な人々が筆*^ミ って.43ろ。 また ラ— テナ ゥ自 身の 二 

つの 文窣も 載せられて ねる? 現代 IS 逸に おけろ この 最高の 政活 

家 に ついて、 彼の 親しき 友 ァ イン シ タインが、 如何.,: その 人^ 

見、 如何 II その 人 惜しみ、 ま^ 如何-,: 猶太 人 >i しての 思 ひ,^ 

述べ. てね ろか は、 ご ヒし 譯 した 短い f 文 ドレって, t よく 知る、、 

が で 、 や う ?j 思 ふ ( 譯 ) 

ラ— テ ナウに つ いての 私の 感想 は樂し い 糞 敬と 感謝と で 

あった。 また 現在 もそう なので あろ。 實に彼 は 私に は、 今 

日の 喑 らい ョ — 口 ツバの 狀態 において、 希望と 慰藉 を與へ 

そして 彼 は 明らかに 見、 暖かに 慼ん する 人と して 私に 忘れ 

がたない 時を與 へ-てく れ たので ある。 大きな 濟 上の 關係 

についての 波の 理解、 諸國 民の 特性と 人民の 凡ての 方面に 

ついの 彼の 心理的 了解、 個々 の 人々 に對 する 彼の 知! i は 驚 

嘆すべき ものであった。 そして 彼 は、 その 知らない 人で あ 



づて も、 その 生活 を肯ん じて, ゐ る 人の ょラ に、 凡ての 人 を 

愛する のであった。 彼が 友と ともに 卓 を 園んで 舌って ゐ 

る 時に、 彼, の 話 は 3 具 面目と ベ ルリ ン • ュ,, 'モ ァの 美. P い g| 

りこみ との 類 ひない 歡 びであった。 天上に 住む 人が 理想家 

であろ こと は 何の 不思議 もない。 しかし この 地上に 住みな 

がら、 しかも その 臭味の ない 11 人の 追縱を 許る さない— 

—理想家であった。 

彼が 大臣と なった こと は殘 念に 甲 5 ふ。 .11 逸の;^ 育 ある 人 

々の 大部分が 猶太 人 排斥に 組して るよう な狀 の もとで- 

猶太 人が 公生活から 遠慮す る ことの 自然で あろ こと は 私の 

ifllS り あろ 確信であった。 しかし この 憎惡 がかくまでに 深く 

盲目的で 且つ 蕪惡 であら うと は 私の 思 ひ 及ばない ところで 

あった。 またし かし 過去 五十 年 問に 獨 逸の^ 理的敎 育が 敎 

へて きたと ころの こと を * 私 はこ. -に 叫びたい ので ある。 

11 彼等の 果實 によって 汝は 彼等 を 知らねば ならぬ。 

<ァ ルバ アト • アイ ンシ タイン) 



ソレル 自叙 傳 

ジ ウル *ダ エド、 マルセル • サンバの 二 大老 將を 相次いで 失った 佛蘭 西の 社會 運動 は、 更に 营」 佛 藺 西の みで なしに 

全世界の 革命的 組合 運 励の 上に 燦 燜 たる 明 光 を 投じて ゐ た 一 大惑 wi- を 喪った ゾ 九月 八日の マ ン チヱ タァ V カァ- チア ンの 

週刊 はジ ョル. デュ • ソレ ルの E 里に 於け ろ 計 を 吾々 に 知らせた 。第四階級 理論の 素材 第一 一版の 附錄 「ブル ウド ン說の 解 

釋 のうちに ブル ウド ンを 以て 十九 世紀に 於て 怫藺 西が 有った ところの 唯 一 の 偉大な ろ哲學 者と 爲 した ソレ ルは、 同じ 

誊の 扉に 於て 自ら を 以て 「ブル ウド ン がさう したやう に、 何 n まで もブ 口 レ タ リアの 私心 を 挾まない 忠僕と して 押 通 

して 來た 老人」 に擬 した" 常々 ソレ ルを 以て ブル ウド ンの lej: 生と 考へ てゐ. た 私 は、 今や 計らす も 彼の 計 報に 接して、 

1 一十 ぼ 紀に. 於て 佛藺 西が. 持った ところの 难 一 の 偉大な ろ哲舉 者ケ- 失った かの 感を 深う せざるを得ないぐ 

彼の 死 は 要すろ に 老衰の 結果と は 思 ふが、 最近の リュ マ 二 テゃラ *#ィ* ゥヴ リエ ヱ ル などが 手許 にないので 細し い 

こと は 分らぬ。 取敢 へす ァゴ ス チノ 「「フン ツイ 口の ジ オル ジォ • ソレ ルの卷 |^に ソレ ルの 著者に 宛てた 自傳の 手紙が つ 

いて ゐ ろので、 そわ を簡 laf であるが 紹介す ろ ことにした。 尤も 此の 害簡 のうちに も あろ 通り .ii 瑪 の- チ. ヱ 二 レ*ソ チア 

にから ソ レ ルの 懺悔 錄が 出た 笞 であるが、 實 公刊され たか どうか 私 は識. ら ない 。若し それが 今日まで 出版され なかつ 

たと したら、 以下の 短い 1^ ぱ簡か ソレルの 唯一の 自叙 偉と して 後世に 俥 はる もの: たらう。. . -. 、 

此の-ぬ 文 は 伊利 太 文で あろ。 贫 弱な 伊語の 知 |i から 邦譯 した もの だから 誤譯が あろ かも 知力ない が、 ぞれは 大目に 

見て 戴きたい。 (十月 十九 、大宫 束 京 庵に て、 エリ ゼニ郞 ,0 

レ テラ • アウト ビォ グラフ. イカ 

G 里、 一九 一〇 年 二 Di; 二十日 

なる 友お ノ 



,::£^下桎く手短かに私の係記を書ぃて見ませ5。 私 は 一八 四 七 年 十一月 二 tn、 シ. - ケブ クルに 生れました • 

S 私 は 此の 町の コ レエ ジ ュ勉强 しました。 尤も 一 年間 は (HJ 里に あろ) コ レエ ジュ • 口 オラン に擧ん だのです が 。私 は 一 

八 六 五 年から 一 八 六 七 年まで レ コ オル • ネリ テク -1 ィ ク (工科 大舉の 如き もの) にる ました。 一 八 九 一 一年に 私 は 土木 係 

の 職を棄 てました。 卽ぢ其 時 私 は 叙 勳( レ ジ オン っト ヌ クル 千 字 章 は 或ろ 階級の 總 ての 官吏に 對 すろ 法定 勤務の fl^ 窨で 

あろ) され、 また 按 師長に 仟命 された けれども, 私 は 在職 中 辛うじて 大過な きを 得た に 過ぎません。 私 は 無限 休職に 

止まろ の 特別待遇 (これ は, H 木 行政 部の 全 is 吏に 與 へられる ものです) を 要求す る ことが 出來 たでせ う。 此の 無限 休 

暇に 依て、 私 は 恩給 を 受けろ 權利を 保留す ろ ことが 出來 たのです。 だが 實 際に は 私 は 何人に も 特別待遇 を 申請し ない 

ことにして、 辭職 七て 仕, 舞 ひました。 

私の 一 一つの 著蒈 (saggi di critica 及び Reflexions sul. la violence) は 私の 妻に 棒 けられました。 私の 妻 は 社會主 

篛の 著述家と しての 私の 生活の 一 部を爲 して ゐ ると 言 ふこと が 出來る 。實 際、 彼女 は 私に とって は 何時も 勇氣 と誡實 に 

充ち 溢れた、 の 友で ありました。 私 は 一 八 九 七 年に 彼女 を 失 ひました。 而 して 其 時から 私 は 彼女の 記念に 値すろ 

哲舉 上の モー 1 ュ マ ンを 建てろ ために 努力した と 云 ふこと が出來 ます。 彼女の 思 出 は 失意の 時に も尙ほ 私に カを與 へて 

く えます 

私が ルッソ ォに 就ての 論文のう ちに 次の やうな 文章 を 書いた の は、 彼 4«c のこと を考 へながら したので す 「献身的な 

又カ强 くて, ての 愛 を 誇って. ろ 女に ぶっかった 男 は 幸福で あろ。 彼女の 愛 は 何時でも 彼 をして その 靑 春の 時代 を 眼前 

に sav 館せ しめる であらう * 彼女の 愛 は 彼の, 魂 を 滴 足す る ことから 妨ゅ ろで あらう レ 彼女の 愛 は 彼の 課業の 義務 を絕ぇ 

す 彼に 喚び 起す ことが 出来る. たら 、つ * 而 して 彼女の 愛 は 時として 彼の 天ォを 彼に 啓示す ろで あらう! 斯 くの 如ぐ にし 

て、 吾々 の 知識 生活 は 大部分、 然 なろ 廻り 合 G 如何に 因る もので あろ。 ルッソ ォを 理解す るに は、 彼の 結婚 を 思 ひ 浮べ 

る 事が 必要 だ:: 妻の 選擇は 男の. 深い 心理が 最もよ く 現 はれろ 行爲の 一 つで めろ。」 (Jvtouvemetsocialiste, Guiu- さ 07) 

愚妻の 歸後 I 私 は * 妻して 家父で ある、 彼女の 甥の 1 人と 一 姥 に 田 舍に 引退して 暮 しました" 一八 九. 九 年から 一 



八 九 七 年までの 間, 私 は Devenir Social に 立^って 大いに 活勖 しました が、 さは 私が ラフ アル ゲゃド ャ. r ルゃァ 〃プ 

レ ドたホ ン ネ と共に 創始した ものです 。私 は 論說ゃ 新刊 窨の 批評な ど 書いて. 全體の 三分の 一 程此, の雜誌 を 編輯し まし 

た。 私 は、 デュク 口 オイの 總 長の 下に 建設され た、 レ コ オル *デ* ネ > ゼチ ュド ,ソ シャル の 理事で したが * 1 九 〇 

六 年に 此の^ を^し. ました 。それ は、 理事の 一 人が R み lexioiis sur la violence を 公に する こと は、 此の 舉 校に とって 

危險 であろ と 私に は 思 はれた からです。 實際. 此の 學校 は!: 家 か "補助金 を下附 されて るた のです から" 一 八 九九 年 

にラ ガルデ ェ ルが Mouvement ぎ cialiste を 創刊した 時に * 私 は 之 を 共同! SI して 彼 を 援助し ました。 併し そこに 唯自 

分 達 を 有名に する ためにの み 騒ぎ 立って ゐろ靑 年 を 見た 時、 私 は 早速 此の 雜 誌と 手を切りました。 私 は それから 長く 

此の 圜體と 離れて 傍観して るました が、 遂に ラ ガルデ ェ ルが奠 面目な 新 方針 を 探りたい や、 フに 見えて 來 たので * そこ 

で、 1 九 〇 六 年、 私 は 1^ び Mouvement に 協力す る ことにな りュ 6 した" 丁度 その Si のこと です、 私が あなの の」) 一く ー 

enire に 於て Ciisiderazioni sulla violeuza の 初版 を 出版した の は。 ラ ガルデ エル は 私が 伊太利で 發 表した 論題の^ 

値.^ ?1 識 して 私が 指示した 道に 從ふ. たらう と、 私 は 想像して ゐ ました。 けれども、 彼 は敢て さう しなかった のです 

と 云 ふの は、 彼 は 野心家で 餘り 遠慮のない 靑年 達に 取 捲 かれて ゐ ました、 彼等 は自稱 サン ダカ リス, トの圑 IB の 親分と 

して 色々 の會 謹に 彼 を 引 指って 行った のです。 斯 樣な圑 結のお 蔭で、 此 等の 策士 連 は勞働 同盟の 諸 將と相 並んで 有力 

になり ました。 而 して 恐らく 彼等 は佛蔺 •€! に 於け ろ勞働 iss の轉機 を诀定 する 上に^ 常な 役割 を 演じた でせ う" 一九 

八 年の^り に, 私はラ ガルデ ェ ルの周 園に は 私と ベ ル ト とが 彼等 を 自由にして 欲しい と 望んで ゐろ 多くの 政略家 力 

居 6 こと を 認めた ので、 吾々 は 此の 集團 との 有 ゆろ Si 係を絕 つて、 是非 黑白を 明かに ました。 

Divenire が 刊行 中の Confessioni は. 私の 生涯の 極く 詳しい 輪廓 を與 へろ ことが 出来ます。 

目下のと ころ、 私 は 極度に 疲れて 意氣 沮喪して ゐ ます • で 私 はも、 rs これ 以上 あなたに 申 上け る こと は出來 ません。 

g 一 終りに 臨み 1 謹んで 貴下に 敬意 を 表します。 

I ジ 3 ルジォ • ソレル 



以上で シ. レルの 手紙 は 終って るる。 ランツィ わ は 之に 補足して 次の ゃラに 言って るる。 

彼 は ダル. ジ. ユアの 舊冢の 出で ある" そして 其の 象 返は嚴 格な 逍德觀 念の 訓練の 傳統を 保って ゐ ろさラ だ。 波の 兄弟 

. のうち 一人 は. b: 官 であり、. 他の 一人 は化學 者で あつたが、 仳の人 は 死んだ。 

ノ 彼 は aj 里 廓 外の 町、 ブゥ 口才-一 ュ* スュル • セェ ヌの 小さな 庭 圚に圑 まれた ささやかな 家に 住んで るる。 其 所に 彼 は 

知. 識と 批判の 盡 きせぬ 好奇心に 刺戟され て^ 日 を 研究に 送って るる。 彼 は 云った 、「私 は大 學敎授 でもな く • 巷に 道 を 

説く. 者で もな く、 また 一黨の 首た らんこと を 窺 親す る 者で もない。 . 私 は 私 It 自の舉 習に 侬て 私に 與 へられた 足 前 を II: 

人に でも 贈ろ 一 介の 玀舉 者で ある」 と。 

以上で ラ ン ツイ "5: 附言 は 終って ゐる。 ソ レ ルの自 傳もラ ン ツイ 口の 捕: も與に 一 九 一 〇 年に 書かれた もの だから 

近く ソレルの 死ぬ までに は、 十二 年の 歳月が 流れて ゐる。 私 は寡閉 にして 最近の ソレルの 動 靜を詳 かにせ ぬが、 彼自 

身 も 言つ.;.: 通り、 有 ゆる^ 際 運動との 交渉 を絕 つて、 一 介の it 學者、 一 筒の 研究者と して 終始して ゐ たらしい。 卽ち 

私の 知る 限りに. 於て は、 シャ アル • ラッ. ホボ オルの 主宰す る Kevue Comnumiste 誌上に 新刊 批評 を蒈 いたり、 彼の .舊 

著の 暴力の 省察 や 進 步の幻 や 5 や 第四階級 §1 の 素材な ど を 重版す るに 當 つて, 現 時の 世界の 形勢に 鹿 じた 重要な 新.;; 平 

を增 補したり * 最後に プラグ マチス ムの 効用に 就て とい ふ 貴重な 哲學 上の 新作 を殘 して 靜 かに 死ん た譯 た。 要するに 

その iisr 作 を 整理し、 一大 新著 を 土產 にして、 一介の アウト ヂ ダッタ としての 天命 を全フ して、 大往生 を遂 けたと 云 

ひ?. S よう 

終りに 彼の 言葉 を 繰 して 茶 を 欄く ことにする。 lo non sono ne J)roIessore, ne vol^anzzatore, ne aspini;ite 

a Capo cn partito; souo un autodidatta che presenta a ひ ualcuno, gli ajipunti che J^li son serviti IJei. la propria 

iitnuios". Ecco 、luomo. w- p 



告廣 

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誠 海 京 

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室 伏 高 信 著 CMIri) i 蒸? 町 改造 社 

靈 の王國 

來る 可き 世界 は 如何なる Is- 现 のう へ に榭 てられべ きか。 大道お 命 

家の 叫ぶ やうに 二十 四 ト^ 問の 暴力 行動で 新世界 は來 るで あらう か 

をれ, 、人 問 精神の 根本まで も 革命され ねばならぬ であらう か ? 

人 は 何の 爲に 生きろ? 何の 爲に 革命 を 求める ? 如何なる こ.、」 の 革 

命 を 求める? 高き 道徳の 世界 は 如何なる 世界で あるか? かくの 如 

き 世界 は 人 問の 世界に 絕 51- であるか 資本家.、」 其の 一 園の <c 唱^の 

言 ふ ど ほり 人 g 性 は 不變の ものである か? 現代の 世界 は 人類の 魂 

を はぐぐ みそれ を 高め つ \ あるか? 凡て の 人々 はみ な 奴 隸には あ 

ら ぬか? 奴 であ ながら それさ へ も^:^識する ことができないで 

わ ろ ほ V- 時代の メ キヤ ズム に 人心 を 腐らして ゐ るので はない か ? 

この 小さい 一 害 はこうした 問 に 答 を與へ るた めに 書かれた もの 

であ.^ ま- To 

P 、レャ 畫 報 

「批評し 特別 號ビ. ^て 印刷した もの、」 -1 ン、 ト ci ツキ ー、 ブ ハリン 

デノヅ ヰ H フ 等の Ji! 眞を 初め 共 產黨の 會. 議ソビ ュ ット 會議、 第三 

ィ ンタナ ショナ ル會議 光景 等 一 一十 葉の 眞を收 む。 共產 E1 シャ 

の 諸;. 一 目で 分る (定 ffi 四十 餞 批評 社發 行) 



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民衆 娛樂の 基調 



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社會 思潮の 變遷に 伴 ふて、 吾.々 の娛樂 生活 も、 亦、 I しい 推移 變化を 見た。 玄人 式の 娛 

樂 から、 現代の 近世 K 衆 娛樂が 生れる までの 進, 族の 跡を迎 つて 見る こど は、 旋て、 今 = の 

吾々, の 社^生活の 本 相 を 正しく 理解し 得る 關鍵 であって、 娱樂 生活が 如何に ffi 要なる 

民衆の 生活 內容を 構成して, るか を 知ろ こどが できる、 本窨 は、 鍵の 『民衆 樂 問题』 の 

姉妹 驚,、」 して、 民 * 奴. 樂 政策の 基調 を 切論し 『事實 V」 しての 民衆^ 樂』 を 明かに せろ 『民 * 

^ 樂 問題、、」 併せて. 民衆, 娛樂 問題の 解決に 一 步を 進める こピ がで きる 



權田保 之 助 著 § 



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(大原 研究所 叢書 第五) 

大林 宗嗣, 著 IKH^, 



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(十一月 十五 日 發賨) 



雑誌 『批評』 は、 大正 八 (一九 一九) 年 三月に 創刊され、 翌九年 十二月までに ニニ 号 を 出し、 一年 余の 休 を おん 

で、 大正 十一 年 四月から 十一月まで、 さらに 八 号 を 出して 終刊した。 本書 は それ を 復刻した ものである。 

大正 八 年と いう 年に ついて、 この 雑誌の 主宰者だった 室 伏 高 信 は、 「改造 論の 一年」 と 題して 『中央 公論』 十二月 号 

に 一 文 を 寄せて いる。 その 書き出しの 一 節が、 当時の 社会的 精神的 雰囲気の 一 端 を うかがわせる